1999年に起こった玄倉川水難事故はDQNな行動が起こした事故だったためDQNの川流れと呼ばれています。
DQNの川流れの概要・詳細と場所や原因、動画と犠牲者、生き残りの加藤直樹と子供の加藤朝香、ブログの炎上とその後・現在をまとめました。
この記事の目次
DQNの川流れ(玄倉川水難事故)とは
出典:twitter.com
DQNの川流れとは、玄倉川水難事故を揶揄した呼び方で、主にインターネット上で使われている言葉です。玄倉川水難事故は1999年8月14日に神奈川県足柄上郡山北町の玄倉川で起こった水難事故です。この事故では、子供を含む13人が犠牲になりました。
この玄倉川水難事故が「DQNの川流れ」と呼ばれるようになったのは、次の理由があるからです。
・被害者たちが激流に流される様子がテレビの全国放送で流された
そして、「DQNの川流れ」はあまりにも語呂が良く、玄倉川水難事故を的確に言い表している言葉なので、ネットを中心に認知され、いつの間にか「玄倉川水難事故=DQNの川流れ」と認識されるようになりました。
玄倉川水難事故はインターネット上でDQNの川流れと呼ばれるようになり、「真夏の教訓」とされることで、毎年夏になると、定期的に5ちゃんねる等で話題になっています。
17人が濁流に流される瞬間の映像が残っていることで、事故から20年以上経った現在でも忘れ去られることはなく、ネット民の興味を引き付け続ける事故です。
DQNの川流れ(玄倉川水難事故)の詳細・流れ
DQNの川流れ(玄倉川水難事故)は1999年8月14日に起こった水難事故ですが、事の発端は8月13日になります。
8月13日午後:中州でキャンプ
1999年8月13日、神奈川県にある産廃処理業者の富士繁の戸塚工場でドライバーをしていた加藤直樹をリーダーとするグループ25名(富士繁の社員とその家族)が、神奈川県山北町の丹沢湖に流れ込む玄倉川にキャンプをするために訪れました。
■10時00分ごろ
加藤直樹をリーダーとする25名グループが玄倉川に到着し、中州にテントを張る
■15時00分ごろ
雨が降り始める。当時は50張程度のキャンプ客がいた。
■15時20分
ダム管理職員が巡回に来て、天候の悪化と増水・水位上昇の危険性をキャンプ客に知らせて警告し、退避を促す。この警告でほとんどのキャンプ客が水際から離れて退避した。
しかし、25名の当該グループは冷ややかな目で職員を見ていて、退避しなかった。
■16時50分
神奈川県に大雨洪水注意報が発表される
8月13日夜:再三の退避勧告を無視
出典:nicovideo.jp
■19時00分
このころから、10mm/時を超える断続的な雨が降り続ける。
25名グループの中で4名は日帰り予定だったため、キャンプ場を離れて帰宅する。(これでグループは21名になる)
■19時35分
雨足が激しくなる。
玄倉ダムが放流予告のサイレンを鳴らす。通常はサイレンは10分間だが、この日は30分間鳴らした。このサイレンで河川敷に残っていたほかのキャンプ客は、全員がテントを置いて退避した。
■19時50分
ダム管理職員が2回目の巡視を行い、当該グループに直接、中州から退避するように勧告するが、テントの中からは何も反応がなかった。職員は「酒でも飲んで寝てしまったのではないかと思った」と思った。
■20時06分
ダム管理事務所はこれ以上、キャンプ客が中州にとどまるのは危険であると判断し、警察からも退避勧告を出してもらうために、警察に通報する。
■20時20分
玄倉ダムが放流を開始する
■21時10分
ダム管理職員と警察官が当該グループに退避勧告を行う。この勧告で、21人中3人が中州から退避して、車に避難した。警察は、万が一の時は後方の山に避難するように伝えた。
■22時45分
警察官が退避を求めたが、当該グループはかなりお酒に酔った状態で、『うるせえ、警察にそんなこと言われる筋合いはない。』と暴言を吐く状態だった。夜中に移動するのは危ないから、油断せずに見張りを立てることを確認して、警察は引き上げた。
8月14日朝:天候が悪化してもまだ退避せず
■5時35分
神奈川県に大雨洪水警報を発表
■6時00分
前日の夜に中州から避難した3人がテントの様子を見に行った。この時点では、水流は膝下くらいで、まだ何とか歩いて中州と岸辺を渡れる状態だった。
当該グループのメンバーは熟睡していて、中州から退避するように呼び掛けるが、「大丈夫」と言うだけで、退避を拒否した。
■6時30分
警察官が現場を確認
■6時35分
豪雨による増水で、玄倉ダムは放流量を増やした
■7時30分
警察官が巡回し、テント2m付近まで近づいて退避を求めるが反応はなし。全員が寝ているようだった。この時点で対岸とはまだ陸続きのため、警察はまだ大丈夫と判断した。
■8時00分
天候がさらに悪化して、川が増水し、対岸とも陸続きではなくなり、濁流が中州を囲むようになる。子供はまだテントの中にいたが、大人はテントの外に出ていた
8月14日8時00分~:救助要請が入るが悪天候で救助できず
出典:twitter.com
■8時04分
前日に避難したグループメンバーから、「大人12名、子供6名が中州に取り残されて渡れない」と消防に救助要請の119番通報が入る。
■8時30分
中州が水没し、テントは流されていた。中州からすぐ下流にある立間堰堤での水深はいつもよりも85cm深い1mになっていて、自力での退避は不可能であり、グループはパニック状態になっていた。
■9時07分
救助隊5人が救助工作車で現場に到着した。水流が激しく、歩いての救助は断念することになった。お盆中の土曜日だったため、消防・警察共に当直体制だったため、徐々に救助要員を増員することになった。
■10時01分
消防隊から「要救助者18人は膝上まで水に浸かっている状態」との報告が入る。
同時刻ごろに、レスキュー隊2名が断崖伝いに対岸に到着する。
テレビ局のカメラも現地に到着し、取材・中継がスタートする
■10時10分
救助用ヘリコプターの出動が要請されるも、悪天候による二次災害が懸念されたため却下される。はしご車でも救出も安定の維持が不可能であるため、ロープによる救出以外に適切な方法はなかった。
■10時27分
レスキュー隊が救命発射銃発射で救助用ロープの発射を試みるがうまくいかなかった。その後、リードロープは張ることができても、救助ロープは水圧で張ることができなかった。
■10時42分
「要救助者は腰まで浸水している」と消防から報告あり。
当該グループは3本のビーチパラソルを支柱にして、男性たちが上流で踏ん張り、水流をやわらげ、中央部に女性や子供が寄り添って、雨風を避け、下流部で乳児を抱いた男性がいる状態だった。この様子はテレビで全国放送された。
■11時00分
警察からの要請でダム管理事務所が5分だけダムの放流を止める。しかし、玄倉ダムは貯水能力が低い小さなダムのため、崩壊防止のために5分後にまた放流を始める。
8月14日11時38分:18人が流される
出典:youtube.com
たくさんのレスキュー隊・警察・関係者・マスコミ・野次馬が見守る中、水流は胸まで達していました。
そして、11時38分に3~4人の要救助者が流されたのをきっかけに、18人全員が水流に飲まれて流されていきます。1歳の子供(加藤直樹の子供)は抱っこしていた伯父がとっさに岸に放り投げ、別グループでキャンプに来ていた男性が危険を顧みずにその子を救出したため無事でした。
また、18人のうち大人3人と子供1人は、対岸に流れ着きましたが、残りの13人はすぐ下流にあった立間堰堤から流れ落ちたのを最後に姿が見えなくなってしまいました。
8月14日午後以降:13人の遺体収容
丹沢湖で8人くらいの人が流されている(結局は誤情報)という情報をもとに救命ボートで捜索が続けられましたが、姿を発見することはできず、神奈川県知事は17時に陸上自衛隊に災害派遣を要請します。
翌日の8月15日は朝から対岸に流れ着いた4人の救出作業が行われ、4人は無事に救助されています。
その後、340名体制で捜索が行われ、事故から2週間後の8月29日に最後の1人の遺体が発見され、捜索終了となりました。13名全員の遺体が丹沢湖から発見されたとのことです。
・救助された人:5名
・前日の夜退避した人:3名
・日帰りした人:4名
これらが玄倉川水難事故の25名のメンバーの結果となります。
DQNの川流れ(玄倉川水難事故)の場所
DQNの川流れ(玄倉川水難事故)は、神奈川県足柄上郡山北町で起こりました。玄倉川は酒匂川水系の支流で、丹沢湖に流れ込む渓流です。
玄倉川の下流にあり、500m程度で丹沢湖に合流するあたりです。
普段は水深15cm程度の渓流でしたが、当時は大人の胸まで水がありましたので、水深1m以上に増水していたと思われます。また、増水していたことに加え、数十メートル下流には立間堰堤があり、そこが滝のようになっていて、流された人が落ちていったため、捜索が難航したようです。
DQNの川流れ(玄倉川水難事故)の原因
DQNの川流れ(玄倉川水難事故)はなぜ起こってしまったのでしょうか?その原因は主に3つあります。
直接的な原因:悪天候
DQNの川流れの直接的な原因は、悪天候です。1999年8月13日~14日にかけて、関東地方には熱帯低気圧が近づいていました。
平成11年8月14日を中心に、熱帯低気圧の影響で関東地方の山沿いで400mmを超える大雨となり、関東地方の平野部でも300mm前後の大雨となった所がありました。
引用:<気象予報士が振り返る「平成の災害」⑥>気象災害(平成11年-平成20年)(tenki.jpサプリ 2019年04月22日) – 日本気象協会 tenki.jp
そのせいで、玄倉川水難事故の現場では8月13日15時から雨が降り、20時には1時間の雨量は25ミリ、救助活動が開始された8月14日10時には1時間で38ミリの雨が降っています。1時間に38ミリの雨は「バケツをひっくり返したような」と表現されるような土砂降りです。
事故当時の総雨量は349ミリに達しました。
事故当時の累計雨量は最終的には29時間で349mmとなった。ただしこの値自体はとくに珍しいものではなく、毎年一度は起きるというレベルだという。
しかし、引用部分にあるように、「毎年一度は起きるレベル」であり、「未曾有の大雨」というわけではありませんでした。実際、ダムを放流したことで、玄倉川では「DQNの川流れ」以外の災害は起こっていません。
間接的な原因:お酒を飲んで判断力が低下?
このDQNの川流れの間接的な原因には、「お酒を飲んで酔っ払っていた」というものもあるでしょう。
玄倉ダムの管理職員や警察官が再三退避を促しましたが、その時の職員・警察官の感想・報告として、
・かなり酔った状態で、注意しても、『うるせえ、警察にそんなこと言われる筋合いはない。』とひどい状態だった
というものがあります。
また、退避勧告をしても、テントの中から何も反応もないということがありましたが、泥酔して爆睡していた可能性があります。
天候が悪く、退避勧告が出ている中で、中州で泥酔するほどお酒を飲むのが良いかどうかというのは横に置いておいて、お酒を飲んでいたことで次の2つの事態を引き起こしたと考えられます。
・酔っぱらって爆睡したことで、増水していることに気づけなかった
グループのリーダー格を含めた大人たちが泥酔して寝てしまったことで、DQNの川流れが起こってしまったと思われます。もし、泥酔していなかったら、どんなDQNでも「この雨はヤバいかも!危険」と思ってしまったのかもしれません。
根本的な原因:そもそもがDQN
DQNの川流れの根本的な原因は、「そもそもがDQN」というものがあります。この被害者グループたちがDQNでなかったら、このDQNの川流れ(玄倉川水難事故)は起こらなかったでしょう。
実際に、8月13日の21時過ぎにグループ内の3人は「危険」と判断して、自動車に退避しています。また、同じ場所でキャンプをしていたほかのグループは、ダム職員等の呼びかけで、自主的に退避して無事でした。
・悪天候も関係なしでキャンプ続行
・ダム職員の退避勧告を無視
・警察の退避勧告を無視
DQNの川流れ(玄倉川水難事故)は1億円以上の税金が使われた
出典:kanaloco.jp
DQNの川流れ(玄倉川水難事故)では、8月13日には管理事務所から警察に通報があり、8月14日の朝に119番通報がありました。そして、8月14日朝から本格的に救助作業が始まり、川に流されてからは、340人体制で約2週間捜索が行われました。
これらの費用は、およそ1億円とも言われています。
救助費用は地元自治体が負担、4800万円ほどだったと思う
警察関係の費用約1億は国負担
引用:【山北・玄倉川水難事故20年】中州にキャンプ客18人孤立 決死の救助 激流に阻まれ | ガールズちゃんねる – Girls Channel –
そして、玄倉川水難事故にかかった費用は全部公費(税金)で賄われました。このことに対して、不満を持った人はとても多かったようです。
救助費用や遺体の捜索費用など、全部税金で賄ったんでしょ?
悪いけど、生き残ったメンバーに払わせるべきだったと思うよ。あんなに避難指示されたのに刃向かったんだから、命助かったのなら金払えよって思うわ。
引用:【山北・玄倉川水難事故20年】中州にキャンプ客18人孤立 決死の救助 激流に阻まれ | ガールズちゃんねる – Girls Channel –
確かに、危険が迫っていることをきちんと告げて、何度も何度も退避勧告をしていたのに、それを無視して流されてしまったというのは、「自己責任」と言われても仕方ないかもしれませんね。
DQNの川流れ(玄倉川水難事故)の動画
DQNの川流れ(玄倉川水難事故)が、20年経った現在でも、定期的にネット上で話題に上がるのは、被害者たちが流される瞬間の衝撃動画が残っているからでしょう。Youtubeにその動画がアップされています。
画質はあまりよくありませんが、それでも激流に流されていく様子はしっかり確認することができます。これが全国放送で放送されたなんてすごいですね。
上の動画を見るとわかりますが、現場のレスキュー隊や地元の人たちは懸命に救助作業をしていたことがわかります。
DQNの川流れ(玄倉川水難事故)の犠牲者
出典:youtube.com
DQNの川流れでは13人の方が亡くなりました。このグループは最初25人でキャンプをしていましたが、日帰り予定の4人が夜に帰って21人に。そして3人は自主的に退避して18人になりました。
18人は中州に残り、一緒に流されましたが、5人は助かり、13人が遺体となって発見されています。
・松尾理恵さん(30歳):松尾利美さんの妻
・松尾歩さん(9歳):松尾さん夫妻の娘
・松尾駿兵さん(5歳):松尾さん夫妻の息子
・加藤裕二さん(33歳):富士繁戸塚工場の作業員、加藤直樹の兄
・加藤美江さん(28歳):加藤直樹の妻、松尾利美さんの妹
・加藤優香さん(1歳):加藤直樹の娘
・梶ヶ谷剛さん(25歳):富士繁戸塚工場ドライバー
・織立亜希子さん(25歳):梶ヶ谷さんの婚約者
・高橋直人さん(26歳):富士繁戸塚工場ドライバー
・小野崎恵子さん(27歳):高橋さんの恋人
・原田啓介さん(48歳):富士繁戸塚工場のドライバー
・原田千佳さん(9歳)原田さんの娘
DQNの川流れ(玄倉川水難事故)の生き残りメンバー
出典:youtube.com
DQNの川流れでは、一度は流されたものの奇跡的に助かった生き残りは5人います。
・加藤朝香さん(5歳):加藤さん夫妻の娘
・加藤一樹さん(1歳):加藤さん夫妻の息子
・平野幸男さん(29歳):富士繁戸塚工場のドライバー
・平野嗣富さん(31歳):平野幸男さんの兄
加藤一樹さんは伯父の加藤裕二(加藤直樹の兄)に抱っこされていましたが、流された瞬間に岸に放り投げられた子供です。伯父が放り投げてくれて、さらに岸にいたとび職の男性が危険を顧みずに救い上げてくれたため、命が助かりました。
また、そのほかの4名(加藤直樹・加藤朝香・平野幸男・平野嗣富)は対岸に流れ着き、対岸に上ることができたので、生き残ることができました。ただ、対岸に流れ着いた後にすぐに救出されたわけではなく、天候の回復を待って、8月15日8時30分ごろに救出されています。
救出された時には、大人は自力で歩くことができる状態で、5歳だった加藤朝香さんも意識はしっかりある状態でした。
加藤直樹はこのDQNの川流れグループのリーダー格でした。この人物がもっと早く退避することをグループメンバーに提案していれば、玄倉川水難事故の悲劇は避けることができたはずです。
加藤直樹が助かって、ほかの人たちが亡くなったというのは、なんとも皮肉な話です。
DQNの川流れ(玄倉川水難事故)の生き残りのその後①:加藤直樹
DQNの川流れ(玄倉川水難事故)の生き残りの1人であるリーダー格の加藤直樹のその後を見ていきましょう。
暴言の数々
加藤直樹は8月15日8時30分ごろに無事救助されましたが、事故前・事故後の言動があまりにもひどいと話題になりました。
8月13日に中州にテントを張った加藤直樹らのグループを見て、地元の方が「危ないからやめたほうが良い」と注意しました。すると、加藤直樹は次のような暴言を吐いたようなんです。
リーダー格が「放っておいて。楽しんでんだよ」と放言したのを皮切りに「地元の人は臆病」「見張りを置くから平気」「田舎人は他人のプライバシーを侵すのが趣味ね」などとの声が広がったので、私は呆れ果ててきたくしたのである。
さらに、あれだけ退避勧告をしていたのに、それを無視して、それどころか警察官に「うるせえ、警察にそんなこと言われる筋合いはない」と暴言を吐きました。しかし、中州で孤立したら、レスキュー隊に次のように暴言を吐いたそうです。
救助活動が始まった際、一行のリーダーの男性はレスキュー隊へ「おい、こら、ヘリを呼べ」「もたもたすんな」「仕事なんだから早く助けろ」などの暴言。
救助後、救助隊には「テントを回収したら返してほしい」という自分勝手な発言。
しかも、救出された後には、もたもたしていたためにレスキュー隊(消防団?)の人に背中を押されながら歩いていましたし、救出した後に地元の方が作ってくれたおにぎりを投げ捨てたという情報もあります。
あと、救助された5人の内赤ん坊を除いた4人に地元の方がおにぎりを作って下さったそうですが「まずい!こんな物食えるか!!」と地面に投げ付けたそうです。
これらのエピソードから、加藤直樹の暴言をまとめてみましょう。
・「見張りを置くから平気」
・「田舎人は他人のプライバシーを侵すのが趣味ね」
・「うるせえ、警察にそんなこと言われる筋合いはない」
・「おい、こら、ヘリを呼べ」
・「もたもたすんな」
・「仕事なんだから早く助けろ」
・「テントを回収したら返してほしい」
・「まずい!こんな物食えるか!!」(おにぎり投げ捨て!)
これらの暴言の中には、真偽不明のものも含まれています。でも、暴言の数々を見ると、加藤直樹は真性のDQNであると言えるでしょう。
現在も富士繁の社員
加藤直樹はグループのリーダー格で、産業廃棄物処理業者の富士繁の戸塚工場のドライバーをしていたことがわかっています。当時の玄倉川水難事故のニュースでもそのように報じられていました。
富士繁とは横浜市金沢区に本社を置く産廃業者で、現在は神奈川県に5か所、八王子に1か所の工場を持っていますが、富士繁はあまり評判が良いとは言えない企業のようです。
産業廃棄物処理業者は、昔はバタ屋と言われ、その多くは在日朝鮮人が生業とした職種だったせいか気が荒く乱暴な者が多い。
地域板などで地元民と思われる人たちの書き込みを読むと、富士繁のドライバーは運転が荒っぽく煽ったりするタイプが多いようだ。
あんなに炎上したDQNの川流れがあった後は、富士繁を退職したのでは?と思いきや、2021年時点ではまだ富士繁で働いているようです。
Youtuberが加藤直樹に突撃したようです。「富士繁」という社名は出ていませんが、産廃処理業者であることはわかりますし、ネット上の噂でも、まだ富士繁で働いているという情報があります。
加藤直樹の保険金殺人の噂も出た
DQNの川流れ(玄倉川水難事故)はその後、加藤直樹による保険金殺人ではないか?という噂も出ました。
ネットによると、実は社員に保険金かけてたんじゃないかとあった。
計画的犯行。
やりかねない。
引用:【山北・玄倉川水難事故20年】中州にキャンプ客18人孤立 決死の救助 激流に阻まれ | ガールズちゃんねる – Girls Channel –
加藤直樹が頑なに退避しようとせず、本人は助かっているために出た噂でしょう。どんなにDQNだとしても、さすがに保険金殺人をすることはないと思いますが、そんな噂が出てもおかしくないくらい加藤直樹の言動・暴言がヤバかったということだと思います。
DQNの川流れ(玄倉川水難事故)の生き残りのその後②:加藤朝香(加藤直樹の子供)
DQNの川流れ(玄倉川水難事故)の生き残りには加藤直樹の子供である加藤朝香もいました。加藤朝香は事故当時5歳で、父親の加藤直樹と共に対岸に流れ着き、助かっています。
2011年にブログで炎上
加藤朝香は2011年に事故のことをブログに書いていて、それをネット民が見つけ炎上しています。
手を伸ばしてね一生懸命流されないようにしてたんだ。けどねパパまで水に連れていかれそうで怖かったんだ。だからねパパやめて!って言ったんだ。 そしたらパパがママの手を離したの。
そしたらママ水と一緒にいなくなっちゃたの。
これって私のせいだよね。 ごめんね本当に…。ママに逢いたいです。小さい頃もずっとママが欲しかった。皆にはママがいて私には居なくて悲しかった。 今でもママが戻ってきてほしいと思っている。あと優香にも戻ってきてほしいんだ。
私には妹がいたんだよ。 ママがいなくなっても明るい朝香でいてねって色んな人に言われた。 そう簡単に言うなと思ったよ。
けど私なりに頑張ってきた。毎日明るく生きてる… ーーー
このブログは本名で書いていたわけではありませんが、次のようなことが一致したため加藤朝香のブログであると特定されています。
・妹の名前は「優香」
・妹は死んだ
・ママは水の事故で死んだ
・パパと朝香は生き残り
これらのことから、ブログはDQNの川流れの生き残りである加藤朝香が書いたものであることがわかりました。
>>255だが、本人自らがブログであれこれ喋っちゃってるから書いても大丈夫だと思うから書くけど、横浜市港南区の加藤朝香さん。
今は高2で横浜JK生活を満喫してるよ。
2011年2月の時点で高校2年生とのことですから、事故当時の年齢5歳であると考えると、年齢的にはぴったりです。
ブログはネット民に見つかったとわかるとすぐに削除されたようで、現在はスクリーンショット(魚拓)しか見ることができません。ただ、高校生なのに、ブログの中で飲酒していることを自慢していました。
303 :名無しさん@お腹いっぱい。:2011/03/01(火) 06:49:38.92 ID:???
生き残りの娘がアメーバでブログやってるが飲酒書いてるぞ
確か高校生じゃないの?この子
また、レスキュー隊が救出できなかったことやダム放流にに対して恨み言も言っていたようです。「生き残りの子供が高校生なのにブログで飲酒自慢」ということが発覚し、「DQNの子供はDQNだったか」、「DQNはDNAレベルでDQNなのか」という感想を持つ人が続出しました。
その後の消息は不明
出典:ameblo.jp
加藤朝香は2010年ごろに友達のブログに登場していましたし、加藤朝香自身もブログを書いていたことが判明しましたので、2010年には高校生であることは発覚しています。
しかし、その後はブログが削除されてしまい、加藤朝香の消息は不明となっています。
5ちゃんねるでは次のような情報もありました。
しかし、未確認情報ですので、加藤朝香が現在どうしているのかは不明です。2022年で28歳となっているはずですので、結婚して家庭を築いていてもおかしくはありません。
DQNの川流れ(玄倉川水難事故)のその後と現在:似た事案あり
DQNの川流れ(玄倉川水難事故)はネット民に「DQNはヤバい」、「人の注意はきちんと聞かなければいけない」などの教訓を与えた水難事故でした。
常識を持っていれば、簡単に回避できる水難事故だったDQNの川流れ。DQNの川流れのようなDQNの行動をしてしまうと、ネット上に晒されてしまうし、2ちゃんねるやツイッターなどでネタにされることはわかっているから、だれもがDQNの川流れのような行動は回避するはずなのに、同じようなDQNの川流れは定期的に起こっているようです。
大分で「DQNの川流れ」ギリギリ回避!
出典:asahi.com
2019年8月14日、大分県玖珠町の大谷渓谷にバーベキューに来ていた0歳~42歳の男女18名が孤立した状態で救援を求める事件がありました。
大分県玖珠町にある大谷渓谷の近くで、車が水没して動けなくなったと通報があった。 現場では5か月の女の子を含む18人が孤立状態となっている。 警察と消防などによると、14日午後4時40分ごろ、「車が水没して動けなくなったので助けてほしい」との119番通報があった。
この日、九州には台風10号が接近していて、大雨が降っていました。18人は車から出て高台に避難し、翌日の15日には18人全員が救出されています。
・台風接近の悪天候でアウトドア
・子供も大人もいた
・孤立したのは18人
https://twitter.com/Muttsurishoukai/status/1161667143647158274
しかし、この大分の事故では、18人全員が救出され、犠牲者は出ませんでした。
加古川で「DQNの川流れ」ギリギリ回避!
2022年7月3日に兵庫県加東市を流れる加古川の中州に男女7人が取り残されてしまったことがありました。
この中州は観光スポットの「闘竜灘」で、中州に渡ったら、川が増水して帰れなくなってしまったとのことです。この時、現場では雨が降っていませんでしたが、上流で雨が降って時間差で現場が増水したとのことです。
救助ヘリが出動し、取り残された男女7人は無事救助されました。
https://twitter.com/tihatan_/status/1543512417363443712
この事案も、DQNの川流れにはならずに済みました。
DQNの川流れ(玄倉川水難事故)のまとめ
DQNの川流れ(玄倉川水難事故)の概要や詳細な流れ、場所や原因、流れる瞬間の動画、犠牲者と生き残りメンバー、加藤直樹と子供の加藤朝香のその後と、DQNの川流れの現在をまとめました。
DQNの川流れはあまりにも「語呂が良い」ですし、玄倉川水難事故を的確に言い表した言葉なので、こんなにも広まったものと思われます。
私たちはこのDQNの川流れをしっかりと教訓にして、DQN行動は起こさず、安全な行動を心掛けるようにしたいですね。