徳島刑務所暴動事件の犯人と被害者!櫻井弘士受刑者や松岡裕人医師・その後現在もまとめ

2007年11月16日に発生した「徳島刑務所暴動事件」の闇が深いと話題です。

 

この記事では徳島刑務所暴動事件がなぜ起きたのかの原因や、原因とされる虐待事件の犯人の医師や被害者となった受刑者、徳島刑務所虐待事件の犯人に対する判決やその後や現在などについてまとめました。

徳島刑務所暴動事件は2007年に発生した受刑者による暴動事件

 

出典:https://upload.wikimedia.org/

 

「徳島刑務所暴動事件」とは、2007年11月16日午前9時25分頃に、徳島刑務所第2工場で発生した多数受刑者と刑務官が衝突した刑務所暴動事件です。

 

暴動自体は小規模なのもの(刑務官数名が軽傷、受刑者側に怪我はなし)でしたが、暴動事件が起きた原因が同刑務所の医務課長(医師)による受刑者に対する日常的な虐待行為だった事がわかり、それが原因となった死亡者(自殺含む)が複数出ている事も判明し、週刊誌(週刊現代)やテレビニュースでも刑務所での受刑者虐待事件として報道されました。

 

その後、徳島刑務所暴動事件の原因となった虐待事件の被害者である受刑者や元受刑者、死亡した受刑者の遺族が、虐待事件の犯人として医務課長、徳島刑務所長、医務課職員の看守の3名(いずれも当時の役職)を特別公務員暴行陵虐、同致傷罪で徳島地方検察庁に告訴・告発を行う事態へと発展しました。

 

 

徳島刑務所暴動事件がなぜ起きたのか

 

出典:https://oneness-g.com/

 

徳島刑務所暴動事件がなぜ発生したのか、その原因とされる同刑務所の医務課長らが犯人とされる受刑者虐待行為についてみていきます。

 

徳島刑務所暴動事件の原因となったとされる虐待事件の裁判で、なぜ暴動事件が発生したのかの原因が明らかにされています。

 

 

徳島刑務所暴動事件がなぜ起きたか原因① 直腸指診と称した肛門虐待行為

 

徳島刑務所暴動事件が発生する3年半前の2004年4月に同刑務所の医務課長に松岡裕人医師が着任してから同医師による受刑者に対する日常的な虐待行為があったとされています。

 

虐待事件の告訴・告発人の訴えによれば、犯人とされる医務課長は、受刑者が身体の不調を訴えて診療を申し出ると、直腸指診などと称して手足を助手に押さえつけさせて、突然受刑者の肛門に指を挿入し肛門内部をかき回すなどし、出血を伴う全治1週間の肛門部裂傷を負わせたり、肛門にクスコ式膣鏡を無理矢理挿入した事で肛門部裂傷、肛門部壊死を引き起こし、外部病院で直径15cmの切除手術と約3ヶ月の入院加療が必要な重傷を負わせたりしたとされます。

 

徳島刑務所ではこの医務課長が赴任してから暴動事件が発生前の間に、肛門への虐待行為に関連する33件の不服申し立てがあった事も明らかにされています。

 

 

徳島刑務所暴動事件がなぜ起きたか原因② 痛覚検査と称した数々の暴力行為

 

徳島刑務所暴動事件の原因となったとみられる虐待事件の犯人である医務課長の松岡裕人は、受刑者を診察する際に痛覚検査(ピンチテスト)と称して、受刑者に暴力行為を働いていた事がわかっています。

 

ある受刑者が意識を失って診察室に搬送された際に、松岡裕人は同受刑者の両太ももを強く抓り、意識が回復した後に胸部にまたがるようにして両頬を平手で繰り返し殴打し、受刑者が抗議すると「俺は叩いたりしとらんぞ、こうしたんや」などと言いながら、右手の掌底部で5回〜6回にわたって顔面を激しく殴打したとされます。さらに松岡裕人は「口の中を切ってないか見てやろう」などと言い、包帯を巻いた右手を受刑者の口腔内に無理矢理にねじ込んだとされます。この被害者は左目周辺部内出血などの重傷を負っています。

 

この他にも医務課での暴行の不服申し立ては50件以上にのぼり、身体の数十カ所に青あざができるほどのつねるなどの暴行を受けた受刑者も確認されています。

 

 

徳島刑務所暴動事件がなぜ起きたか原因③ 医療放置(7名が死亡との情報も)

 

徳島刑務所暴動事件の原因となったとされる虐待事件の犯人である医務課長の松岡裕人は、持病などを持つ受刑者の診療拒否や投薬拒否を行なっていたとされます。

 

2005年、ある受刑者が胸の痛みの他に40度近い高熱と激しい嘔吐が続いていると訴え、適切な医療を受ける事を求めていましたが、松岡裕人は検査などを行わず、医務課職員の看守・岸田克生と共に同受刑者の手足を押さえつけ、無理矢理肛門内の触診を実施して全治1ヶ月の肛門部裂傷の怪我を負わせました。

 

さらに、当時の徳島刑務所長であった浅井弘保は、松岡裕人に「こんな反抗的な奴に点滴なんかしなくていい」と指示したため、松岡は同受刑者に飲み薬の抗生物質を投与するだけの対応をし、同受刑者は症状が悪化しています。それでも松岡裕人は医療を放棄し、最終的に同受刑者は遺書を残して刑務所内で首を吊り自殺しています。

 

自殺した同受刑者の遺書の内容は以下の内容でした。

 

私も終わったかもしれません。こうなるまえに松岡裕人医師を放り出したかったのですが,命脈つきてし まいました。もう、体に力が入らなくなっています

 

この受刑者自殺については、2005年10月24日付の日刊スポーツが報じているのがウェブアーカイブに残されているので紹介しておきます。

 

徳島刑務所(徳島市)は24日、収容中の40代の男性受刑者が独居房内で首つり自殺したと発表した。 同刑務所によると、23日午前6時10分ごろ、男性受刑者が窓の鉄格子にパジャマの上着を掛けて首をつっているのを巡回中の職員が発見。意識がなく、市内の病院に運ばれ、24日午前0時20分ごろ死亡が確認された。

 同刑務所では約15分ごとに巡回しているといい、直前の巡回では異常はなかった。

 

引用:徳島刑務所で男性受刑者が首つり自殺

 

この自殺者の他に、持病などを持つ受刑者に対する必要な投薬の中止、診療拒否などの医療放置行為により、7名の死亡者が出ているとの情報も裁判の中で明らかにされています。これが事実であれば業務上過失致死罪、あるいは殺人罪に問われてもおかしくないほどの非道行為だと言えますが、裁判ではこの事実は認められず不問に処されています。

 

 

徳島刑務所暴動事件がなぜ起きたか原因④ 絶食の強要や脅迫

 

徳島刑務所暴動事件の原因となったとされる虐待事件の犯人である松岡裕人は、下痢の症状を訴えるある受刑者に対して何の検査もせずに「今日より当分の間、食事はおかゆと梅干しだけで結構です」と書いた同意書への署名を強要。同受刑者がこれを拒否するも、「当分の間、おかゆと梅干しだけを食べさせておけ」と指示をし、実際にそれ以後3日間にわたり同受刑者のはおかゆと梅干しだけの食事を強要されたという事です。

スポンサーリンク

 

また、松岡裕人は絶食にすると脅迫して肛門虐待を受容させていた事もわかっています。

 

ある受刑者が食事を喉に詰まらせて入院扱いとなった翌日、松岡裕人は便に血が混じっていないか調べるからズボンを下ろして診察台に上がれと指示したところ、同受刑者は肛門虐待を受けるとしてこれを拒否。しかし、松岡裕人は「検査を拒否するなら絶食を続けさせる」と脅迫し、同受刑者はやむなく指示に従ったところ、肛門内部に指を挿入されかき回されるという虐待行為を受けたという事です。

 

 

徳島刑務所暴動事件がなぜ起きたか原因⑤ マフラー部隊による虐待

 

徳島刑務所暴動事件が起こる直前の2007年10月、松岡裕人による虐待に不満を募らせる受刑者への締め付けを強化するためか、他の刑務所より応援として10人ほどの刑務官が派遣されました。

 

この刑務官らは元々の徳島刑務所の刑務官と区別するためかマフラーをつけており、受刑者達からは「マフラー部隊」と呼ばれていたようです。

 

このマフラー部隊は、受刑者にわずかな失敗や犯行があれば即座に懲罰房に送りこみ、「お前らは社会のクズだ」、「俺達に逆らう事はすなわち国家に逆らうという事だ」などと暴言を吐き、受刑者を集団で袋叩きにするなどのリンチ行為もあったとされています。

 

 

徳島刑務所暴動事件がなぜ起きたか原因⑥ 告発した受刑者を隔離し隠蔽を画策

 

徳島刑務所でのこうした虐待行為に対して、ある受刑者がリーダーとなって告発文を取りまとめ、弁護士や支援団体を通じて外部のメディアと連絡を取って告発を行いました。

 

これを受けて「週刊現代」が調査を開始し、松岡裕人への直撃取材を試みるなど動きを見せました。(松岡裕人は週刊現代記者に対して「死ね」などと暴言を吐いたとされる)

 

徳島刑務所側はこの週刊現代の動きに焦り、内部調査を実施して告発者を特定しました。

スポンサーリンク

 

そして、徳島刑務所暴動事件が発生する前日の2007年11月15日、この告発者が面会に呼び出されたまま戻りませんでした。徳島刑務所側はこの告発者を独居房に隔離し、翌16日に大阪刑務所に移送しようと画策していました。しかし、この動きを悟った受刑者側の怒りは頂点に達し、徳島刑務所暴動事件を誘発する直接的なきっかけとなりました。

 

 

徳島刑務所暴動事件の原因となった虐待事件の被害者(暴動の犯人)

 

出典:https://tokushima.ismcdn.jp/

 

徳島刑務所暴動事件の原因となった虐待事件の被害者である当時の受刑者は匿名で報じられていますが、徳島刑務所暴動事件では複数の受刑者が傷害罪で逮捕され実名が報じられています。

 

名前が挙げられたのは櫻井弘士受刑者、鈴木篤受刑者らで起訴されたのは17名でした。

 

徳島刑務所の受刑者が刑務官にけがを負わせた集団暴行事件で、徳島地検は二十九日、公務執行妨害と傷害罪で、徳島刑務所が書類送検した男性受刑者二十五人のうち櫻井弘士(ひろひと)容疑者(44)=同容疑で逮捕、処分保留=ら十六人を徳島地裁に起訴、残り九人を起訴猶予処分とした。 また、同罪で既に起訴、拘置中の鈴木篤被告(33)の訴因を変更し、傷害罪の対象となる刑務官を二人から四人とした。集団暴行事件で起訴されたのは計十七人に上り、地検の捜査は終了。

 

引用:当時の徳島新聞ウェブサイトより

 

このうち、暴動の首謀者とされたのは櫻井弘士受刑者で、6代目山口組傘下の5代目山健組幹部で、2代目山下組組長を務める有名な暴力団組員でした。

 

なお、暴動事件の中心となった受刑者達の中には松岡裕人の虐待の被害者も含まれているものの、ほとんどは直接的な被害者ではなく義憤に駆られて行動を起こしたと見られています。というのも虐待事件の犯人の松岡裕人は1度でも懲罰を受けると仮釈放の見込みがほぼなくなる無期懲役囚や病弱な老人をターゲットにして虐待を繰り返していました。実際に暴動を起こしたのは、身体が強く抵抗の意思のある受刑者が中心で松岡裕人が虐待のターゲットにした受刑者とは性質の異なるグループでした。

 

 

徳島刑務所暴動事件の原因となった虐待事件の犯人とされる医務課長

 

スポンサーリンク

出典:https://www.beach.jp/

 

徳島刑務所暴動事件の原因となったのは、当時の医務課長である松岡裕人医師により非道な虐待が繰り返された事でした。

 

この徳島刑務所虐待事件の犯人である松岡裕人については、事件発覚当時42歳で2005年4月から徳島刑務所に医務課長として赴任した事などがわかっています。その後、徳島刑務所暴動事件が発生した事を受けて診療業務を解除され、翌2008年に高松矯正管区付きに異動となった事などがわかっています。

 

ただ、この徳島刑務所虐待事件の犯人の松岡裕人医師の徳島刑務所赴任までの経歴や生い立ちなどについては一切明らかにされておらず、情報が隠蔽されています。

 

 

徳島刑務所暴動事件の原因となった虐待事件の裁判と判決

 

徳島刑務所暴動事件の後、2008年2月に暴動事件の原因となった虐待の被害者である受刑者や元受刑者、虐待が原因となって死亡した元受刑者の遺族らが、虐待の犯人である医務課長の松岡裕人と当時の徳島刑務所長の浅井弘保、医務課付きの刑務官だった岸田克生の3名を相手取り、特別公務員暴行陵虐致傷の容疑で徳島地検に刑事告訴しました。

 

しかし、2008年10月に徳島地検は「正当な医療行為であり、殴る蹴るなどの事実はなかった」などの判決(正確には決定、判決は裁判所が下すもので、不起訴とされたため裁判になっていない)を下し虐待の犯人3人を不起訴処分にしています。

 

 

徳島刑務所暴動事件の原因となった虐待事件の犯人のその後や現在

 

徳島刑務所暴動事件の原因となった虐待事件の犯人である松岡裕人医師ですが、その後や現在に関する情報は全く表に出ていません。

 

その後の足取りとしてわかっているのは2008年1月に高松矯正管区(現在の四国矯正管区)に異動になったというもののみでその後の足取りや現在についてはわかっていません。

 

スポンサーリンク

2023年にはネット上で現在も高松にいるとの情報が流れていましたが、これも真偽は不明です。

 

 

なお、松岡裕人でネット検索すると同姓同名の医師の方がヒットしますが、この方は医学部卒業年からして全くの別人なので勘違いをして誹謗中傷などする行為は絶対にやめてください。

 

 

まとめ

 

今回は2007年11月に徳島刑務所で発生した暴動事件についてまとめてみました。

 

徳島刑務所暴動事件がなぜ起きたのかの原因ですが、当時の同刑務所医務課長の松岡裕人医師による受刑者に対する非道な虐待行為でした。虐待被害者には死亡者も出ており、義憤に駆られた一部の受刑者らは暴動を起こしたとされています。

 

徳島刑務所暴動事件の原因となった虐待事件は、被害者の受刑者や元受刑者、死亡した元受刑者の遺族らが、犯人の松岡裕人医師や当時の刑務所長あら3人を特別公務員暴行陵虐、同致傷罪で刑事告訴しましたが、徳島地検は不起訴処分として裁判には発展せずに何の判決も言い渡されずに闇に葬り去られました。

 

徳島刑務所暴動事件の原因となった虐待事件の犯人である松岡裕人医師のその後や現在についても情報がなく、2008年1月に高松矯正管区に異動になった事が明らかにされているのみです。

記事に関連するキーワード

キーワードからまとめを探す

関連する記事①

今見ているまとめと同じカテゴリーの記事

平良恵美子(安室奈美恵の母親)殺害事件と犯人/平良謙二の現在!生い立ちと経歴・家族(旦那/子供)・事件の真相と動機なども総まとめ

佐藤佳弘(トンボ鉛筆事件)の現在!震災メール・長尾弘司の対応・その後まとめ

宇治学習塾小6女児殺害事件と犯人/萩野裕の現在!被害者と現場の指・生い立ちと親や家族・事件の動機・判決と出所まとめ

江東マンション神隠し殺人事件と犯人/星島貴徳の現在!被害者の東城瑠理香さん・大島てるの場所と住所・心霊の噂・事件の判決もまとめ

浅山克己の生い立ちと現在!山形&東京連続放火殺人事件の共犯の嫁・裁判の判決もまとめ

長尾里佳の現在!少年そらくんとのトーク履歴・すっぴんやお風呂画像・生い立ちと経歴・家族や結婚情報・事件の判決まとめ

渡辺泰子(東電OL殺人事件)の生い立ち・親や家族・経歴!事件の真犯人や真相・犯人の無罪判決や死因などまとめ

山田浩二の生い立ちと現在!獄中結婚の噂・寝屋川の星野凌斗くん&平田奈津美さん殺害事件の動機・死刑判決まとめ

関連する記事②

今見ているまとめに近い記事

ドクターキリコ事件の現在!犯人の草壁竜次(橋本直明)・被害者が青酸カリをもらった経緯や判決を総まとめ

渡辺泰子(東電OL殺人事件)の生い立ち・親や家族・経歴!事件の真犯人や真相・犯人の無罪判決や死因などまとめ

慶応大学生・篠崎耕太さん失踪事件と現在!インドで行方不明とその後まとめ

栗山龍(バッキー事件)の現在!被害女優や作品名・経歴と家族や結婚・事件の判決などその後まとめ

人間動物園の現在!日本の万博や人類館事件・なくなった理由・ヨーロッパでの歴史もまとめ

田所浩二(野獣先輩)の現在!なぜ人気?消息不明と死亡説・語録や名言・本名や逮捕との関係を総まとめ

八つ墓村のモデルの事件は津山三十人殺し!映画のロケ地の場所・心霊現象や現在もまとめ

免田事件の真相と真犯人!免田栄の生い立ちと家族・結婚や女性関係・保証金や死因も総まとめ

記事へのコメント

気軽に意見を書いてね

前後の記事

興味があればチェックしてね

葛葉啓介の現在!嫁の葛葉亜希・ネクステージ事件と逮捕・判決とその後まとめ【クレカ不正利用事件】

山谷(東京のドヤ街)の現在!女性やホームレス・事件と治安・最寄り駅はどこか・昔からの歴史もまとめ

カテゴリー一覧

カテゴリーからまとめを探す