ディアトロフ峠事件の真相!犯人はマンシ族?被害者の舌や眼球がない理由・ドラマや映画もまとめ

ディアトロフ峠事件とは1959年2月にソビエト連邦のウラル山脈で起きた、男女9人の不審死です。この記事ではマンシ族犯人説、カルマン渦説などディアトロフ峠事件の真相考察や被害者の舌や眼球がない理由、事件を題材にしたドラマや映画を紹介します。

ディアトロフ峠事件の概要

 

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1959年2月2日の夜、ソビエト連邦(現在のロシア)を南北に縦断するウラル山脈北部で、登山中の男女9名のチームが不可解な死を遂げる事件が発生しました。

 

一行は摂氏マイナス30度という気温のなか、内側からテントを切り裂いて極寒の屋外に裸足で飛び出しており、発見された遺体は下着姿だったといいます。

 

また発見された遺体のうち2体には頭蓋骨骨折の痕が見られ、別の2体は肋骨が損傷していました。さらに不可解なことに舌と眼球がない遺体もあったうえ、衣服からはなぜか高濃度の放射能が検出。

 

雪山遭難事件として片付けるにはあまりにも謎が多いこの事件は、トレッキングチームのリーダーであったイーゴリ・ディアトロフ氏の名前から、「ディアトロフ峠事件」と呼ばれ、真相について「KGB犯人説」「雪男犯人説」などさまざまな考察が飛び交いました。

 

しかし他殺説が飛び交うなか、ソ連の捜査当局は「抗いがたい自然の力」によって9名が事故死をしたと発表。本件に事件性はないと結論づけたのです。

 

そしてその後、3年間にわたって遺体が発見されたホラート・シャフイル山の東斜面を立入禁止としました。

 

なお、事件現場となったホラート・シャフイル山はシベリアの原住民・マンシ族の言葉で「死の山」を意味する名前だといいます。

 

 

 

ディアトロフ峠事件の被害者

 

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ディアトロフ峠事件の被害者となったトレッキングチームのメンバーは、ウラル科学技術学校の学生と同学校の卒業生を中心とした男性7名・女性2名の合計9名でした。

 

一行は1月25日から22日間をかけてウラル山脈を北に進み、オトルテン山まで到達する予定でした。

 

厳冬期には極めて難易度が高いルートに挑戦していたとされますが、一行は9名が全員、山岳遠征や長距離スキー旅行の経験が豊富であったため、計画に反対するメンバーはいなかったといいます。

 

遠征出発時にはもう1名参加者がいましたが、途中で持病のリウマチを発症し離脱しています。

 

なお、被害者の9名以外に不審死発生の現場に居合わせた人物はおらず、雪山の中で生存中の一行を目撃したというほかのパーティもいません。亡くなった9名の被害者の詳細は以下のとおりです。

 

 

イーゴリ・アレクセーエヴィチ・ディアトロフ

 

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一行のリーダーであったのが、ウラル科学技術学校無線工学部の5年生のイーゴリ・アレクセーエヴィチ・ディアトロフ(事件当時23歳)です。

 

冷静沈着な性格で雪山登山の経験も豊富であったことから、チーム内での信頼は厚かったといいます。

 

また、同じくディアトロフ峠事件の被害者となったジナイダに言い寄っており、彼女とは友達以上恋人未満の関係だったとの話もあります。

 

 

ジナイダ・アレクセーエヴナ・コルモゴロワ 

 

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ウラル工科大学ラジオエンジニアリング専攻の4年生で、事件当時は22歳でした。

 

社交的で優しく、好奇心旺盛な性格をしており、一行のうちの数名の男性が彼女に好意を寄せていたといいます。

 

また、過去に参加したトレッキングの際には毒蛇に噛まれたものの、周囲に心配をかけまいと自分の荷物を背負ったまま目的地まで到達したという精神力の強さを窺わせるエピソードも持ちます。

 

 

リュドミラ・アレクサンドロヴナ・ドゥビニナ

 

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ウラル工科大学の3年生で、事件当時は20歳でした。愛称はリューダ、快活な性格でカメラが趣味。ディアトロフ峠事件の資料となる写真の多くは生前の彼女が撮影したものだといいます。

 

また、過去の遠征ではメンバーが誤射したライフル銃の弾が彼女にあたったにもかかわらず、争いを避けるために黙って耐えたというほど、忍耐強い性格でした。

 

 

アレクサンドル・セルゲーエヴィチ・コレヴァトフ

 

 

ウラル工科大学の4年生で物理学専攻。事件当時は24歳でした。学業も優秀で、友人からも「優れた統率力を持ち、勤勉で理知的な人物だった」と評されています。

 

 

ルステム・ウラジーミロヴィチ・スロボディン

 

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1959年にウラル工科大学を卒業したOB。事件当時は23歳で、スヴェルドロフスク科学研究所のエンジニアでした。

 

物静かで穏やか、困難な状況でも冷静な判断ができる人物で、友人からは「バランスマン」と称されていました。

 

 

 

ユーリー・アレクセーエヴィチ・クリヴォニシチェンコ

 

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ウラル工科大学の工学部卒業のOBで、事件当時は24歳。マヤク核兵器生産コンビナートの職長を努めていました。

 

彼が勤務していたマヤク核兵器生産コンビナートでは1957年9月に爆発事故が起きており、放射能について高い知識を持つ技術者であったクリヴォニシチェンコは事故現場に派遣されていました。

 

ディアトロフ峠事件で回収された衣服に放射能汚染が見られたことと、核兵器生産コンビナートでの爆発事故は関係しているのではないかとも考察されています。

 

 

 

ユーリー・ニコラエヴィチ・ドロシェンコ

 

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ウラル工科大学の3年生で、事件当時は21歳。一時期ジナイダと交際していたといいますが、事件時にはディアトロフともジナイダとも友人関係にあり、険悪な様子はなかったそうです。

 

 

 

ニコライ・ウラジーミロヴィチ・チボ=ブリニョーリ

 

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ウラル工科大学土木工学卒業のOBで、事件当時は23歳でした。父親はスターリン政権下で処刑されており、強制収容所で生まれたという過去の持ち主。

 

しかし、暗く過酷であった幼少期を跳ね返すかのような明るく親切な青年で、多くの友人に慕われていたといいます。

 

ただ母親は息子が危険なトレッキングに挑戦することを心配していたようで、今回の登山を最後にトレッキングは卒業するつもりでいたそうです。

 

 

 

セミョーン・アレクサンドロヴィチ・ゾロタリョフ

 

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事件当時37歳。登山ガイドで生計を立てていたことから、ガイド役を頼まれて同行していたものと見られています。

 

また、理由は不明ですが異なる名前を名乗ることが多く、セミョーンという名のほかにアレキサンダー、サシャなど複数の名で自己紹介をすることがあったといい、どれが本名かわからないとされています。

 

過去には軍人として4つの勲章を授与しており、ロシア語のほかにポーランド語、ウクライナ語、ドイツ語など多言語を流暢に操るなど、謎の多い人物です。

 

 

 

ディアトロフ峠事件の詳細① 事件発生まで

 

出典:https://every3.hokanko.jp/

 

1月25日、ディアトロフ峠事件の被害者一行はスヴェルドロフスク州北部の中心地にあるイヴデリに到着。

 

彼らはトラックを使ってイヴデリから約80km北にあるヴィジャイに進み、27日にヴィジャイから目的地のオトルテン山に向けて旅立ちました。

 

なお、ヴィジャイはウラル山脈付近で最後の有人集落とされており、ヴィジャイを出発した翌日には参加者の1名であったユーリー・ユーディンがリウマチの悪化により離脱

したため、これ以降は被害者一行を目撃した人はいません。

 

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そのため明確な足取りはわかっておらず、一行がどのように雪山を進んだのかは残された日記や写真から推測されたものとなります。

 

1月31日にオトルテン山麓に到着した一行は、帰路に備えて下山に必要な食料や飲料を残置してから登山に挑みました。

 

そして2月1日にオトルテン山に入山。渓谷を北に越えた場所にテントを設置する予定だったと考えられますが、吹雪に酔って視界が遮られ、道に迷ってホラート・シャフイル山に迷い込んでしまったと見られています。

 

ほどなくして一行は目的地から外れた場所にいることに気づいたとされますが、下山せずに遮蔽物のない斜面にキャンプを設営。

 

そして2月2日の未明、この場所でディアトロフ峠事件が発生したのです。

 

一行がキャンプを設置した場所から1.5kmほど下った場所には森林地帯があり、そこまで戻ってキャンプを張れば風雪を凌げるうえに設営も楽で安全でした。

 

しかし、なぜか一行は斜面にキャンプを設営しており、これが惨事を招いた一因とも考えられています。

 

このことについて、途中で離脱したユーリー・ユーディンは「リーダーのディアトロフは斜面でのキャンプの経験を積みたかったか、もしくは到達地点から降りるのを嫌がって、ここにテントを設置したのではないか」と指摘していました。

 

また、マイナス30度まで気温が下がっていたものの川の氷は薄く、歩いて渡るには危険だったために川を避けてこの場所にテントを設置したのではないか、「スポーツマスター」というソ連公式のアスリート資格の第3級を取るため、あえて斜面でのキャンプに挑んだのではないかといった考察もされています。

 

 

 

ディアトロフ峠事件の詳細② 捜索

 

一行は2月12日には下山してヴィジャイに戻る計画を立てていました。そしてヴィジャイからディアトロフが所属するスポーツクラブに宛てて電報を送る予定だったのですが、12日を過ぎても連絡はありませんでした。

 

一行が雪山登山に慣れていたこと、遠征での数日の遅れは珍しくないことなどから周囲の人々は「もうじき戻るだろう」と心配せずにいたといいます。

 

しかし、2月20日になっても何の連絡もなかったことからようやくディアトロフの妹やジナイダの親たちがおかしいと感じ、捜索を願い出ました。

 

こうしてウラル科学技術学校の有志の学生や教師が捜索隊を結成してウラル山脈に向かい、その後、軍と警察が救助活動にくわわります。

 

ところがこの時も、捜索隊の目的は「どこかにいるであろう9名の救出」であり、一行が死んでいるとは考えていませんでした。それほど一行の登山技術は確かなものだったのです。

 

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2月26日、ホラート・シャフイル山の斜面までやってきた学生らの捜索隊は、半分雪に埋もれた状態の大型テントを発見。

 

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この時、テントはナイフで切られて破れたうえに雪に押しつぶされて破損していましたが、衣服や靴、食料などの持ち物は中に残されており、先ほどまで人がいたかのような状況だったといいます。

 

 

 

ディアトロフ峠事件の詳細③ 遺体の発見

 

そして2月27日、テントから20mほど離れた場所で一行のものと思われる足跡が発見されたのです。

 

足跡は山を降りた方向にある森に続いており、なかには片方だけブーツを履いていると思われるもの、靴下だけのもの、裸足のものなど、不可思議なものも見られました。

 

テントから500mほど離れると足跡はどれも雪に覆われて消えていましたが、捜索隊はテントや森の周辺の捜索を続行。

 

そしてテントから1.5km離れた大木の下で、ユーリー・クリヴォニシェンコとユーリー・ニコラエヴィチの遺体が発見されたのです。

 

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2人の遺体は下着と薄いシャツを身に着けた姿で靴を身に着けておらず、肘などにひどい火傷を負っていました。2人の遺体が発見された場所の近くには焚き木の跡があったため、暖を取ろうとして火傷を負ったものと見られています。

 

また、遺体があった場所の近くの木の枝が5mの高さまで折れていたことから、2人うちどちらかが木に登ってテントを探したのではないかと考えられました。

 

さらにこの後、テントの1.5km圏内からディアトロフ、ジナイダ、ルステム・スロボディンの3人が遺体で発見されます。

 

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3人の遺体は先に見つかった2人の遺体とテントの間に100mほどの間隔をあけて倒れ込んでおり、向きから考えてテントに向かう途中で息絶えたものと見られます。

 

また先に見つかった2人ほどではないものの、この3人も薄着で、防寒着を身に着けていませんでした。なお、ディアトロフが身につけていた腕時計は午前5時31分で時間が止まっていたといいます。

 

ディアトロフ峠事件の詳細④ 舌や眼球がない遺体が見つかる

 

その後も残りの4人の捜索が続きましたが、4人の遺体は雪に埋もれてしまったために発見が遅れ、見つかったのは雪解け後となりました。

 

5月4日、最初の2人の遺体が発見された場所から100mほど離れた谷で4人は発見されました。

 

4人の遺体のそばには木の枝が集められており、これは雪の中に穴を掘って木の枝を敷き詰め、シェルターをつくって寒さを凌ごうとした跡だと見られています。

 

また、この4人の遺体はしっかりと防寒着を身に着けた状態だったとのことですが、遺体そのものの様子も先に発見された5人のものとは明らかに異なっていました。

 

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リュドミラ・アレクサンドロヴナ・ドゥビニナとセミョーン・アレクサンドロヴィチ・ゾロタリョフの遺体からは眼球が失われており、さらにリュドミラの口からは舌が根底からなくなっていました。

 

また、ほかの遺体も肋骨や頭蓋骨などが骨折していて、低体温症で亡くなった遺体というよりも交通事故や転落事故、暴行を受けた遺体のように損傷が激しかったのです。

 

先に見つかった5人の死因は低体温症と見られていました。しかし、低体温症で片付けるにはあまりにも不自然な4人の遺体の状況から、一行の死は遭難によるものではなく事件に巻き込まれたのではないか?との憶測が飛び交うようになりました。

 

 

 

ディアトロフ峠事件の詳細⑤ ソビエト当局の見解

 

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最初に発見された5人の遺体については発見直後におこなわれた検死の結果、死因になるような致命傷が認められないことから「遭難による低体温症」と結論付けられました。

 

薄着で見つかったことについては凍死者に見られる矛盾脱衣(体内の温度と外気の差により「ここは暑い場所だ」と錯覚をおこして衣服をぬいでしまうこと)であると考えられ、ほかの異常行動についても極限状態での錯乱と見られました。

 

しかし、5月に発見された4人の遺体については意見がわかれることとなります。4人のうち3人は致命傷を負っており、頭蓋骨や肋骨の骨折は外から非常に強い圧力をかけられた結果、生じた可能性が高いと判断されたのです。

 

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このことから9人は寝ていたところを何者かに襲われたのではないか、との見方が強まりました。雪で潰されていたテントも内側から切り裂かれた跡があったため、誰かに襲われて逃げるためにメンバーが切ったのではないかと指摘されたのです。

 

ところが5月28日、ディアトロフ峠事件の捜査にあたっていたソビエト連邦の当局は「未知の不可抗力によって9名は死んだ」と発表し、捜査の打ち切りを発表。

 

被害者の怪死の理由がわからず、このような歯切れの悪い幕引きをしたことから、ロシアはもちろん世界中で「ディアトロフ峠事件の背景には、ソ連当局が隠したい何かがある」と囁かれるようになっていったのです。

 

 

 

ディアトロフ峠事件の真相考察① 犯人は原住民のマンシ族か

 

出典:https://ja.wikipedia.org/

 

一行が立ち入ったホラート・シャフイル山には、シベリアの原住民であるマンシ族の狩猟場があったとされます。

 

残されたカメラから押収された写真には、マンシ族の貯蔵庫や、部族の縄張りを示すサインが残されていました。

 

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また捜索隊に参加した学生の証言によると、一行のテントから北東におよそ1km離れた場所にマンシ族のテントがあったといいます。

 

マンシ族はもともとよそ者が自分たちの縄張りに入ることを嫌っており、この山には彼らが「生贄を捧げる聖なる洞窟」があるとの話も出ていました。

 

そのため、一行が知らずに聖なる洞窟を荒らしてしまい、そのことに怒ったマンシ族が夜間に襲撃をかけて9人全員を殺害したのではないか?との説が浮上。

 

実際に被害者の日記には「原住民とトラブルがあった」という旨の記述があったそうです。

 

ただ、テントの周辺には争った形跡がなく、被害者以外の足跡も見られないこと、また実際にはマンシ族が友好的で部外者を排除するような暴力的な部族ではないことが捜査途中に判明したことから、現在ではマンシ族が犯人という説は否定されています。

 

 

 

ディアトロフ峠事件の真相考察② 犯人はKGB説

 

ディアトロフ峠事件が発生した直後からソビエト国内でまことしやかに囁かれていたというのが、KGB犯人説です。

 

この説によると、被害者一行はトレッキングを装って諜報活動をしていたKGB職員であり、メンバーの1人が国の機密情報を他国の諜報員(CIAなど)に漏らそうとしたことから惨劇が起きたと考察されています。

 

突飛な説に思えますが、この説にも根拠があります。

 

ゲオルギー・クリヴォニシチェンコとルステム・スロボディーンの2人が冷戦中にプルトニウムを生産していたオジョルスクで働いており、ディアトロフ峠事件の被害者の衣服の一部から放射能が検出されていました。

 

このことから核兵器をめぐる情報を他国に売ろうとした裏切り者とほかのメンバーの間で殺し合いが起きて、最終的にKGBが事件を処理したのではないかという説が発生したといいます。

 

また同じく国によって殺害された説として、強制労働収容所(グラグ)からの逃亡者と間違われて当局に殺害された説などもあります。

 

 

 

ディアトロフ峠事件の真相考察③ 雪崩説

 

出典:https://gigazine.net/

 

事件直後から指摘されていたのが、怪死の原因は雪崩ではないか?という説です。

 

しかし、一行がキャンプを設営した斜面は比較的緩やかで大規模な雪崩が起こるような環境ではないこと、事件当夜には雪崩が起きるほどの積雪がなかったことから、雪崩説は信憑性が低いとされてきました。

 

また雪崩が死因の場合、窒息死を起こすことが多いものの被害者の死因は別のものであり、法医学データではテントを張るための穴を掘ってから9時間後に雪崩が起きたと予測されたことからも雪崩説は否定されました。

 

ところが2019年になってディアトロフ峠事件を再調査したロシアの検察当局が「9人の死は主に雪崩が原因だったと考えられる」と発表したのです。

 

そして2021年には、スイス連邦工科大学チューリヒ校のアレクサンダー・プズリン博士とスイス連邦工科大学ローザンヌ校のジョアン・ゴーム博士の2人が雪崩説を提唱する論文を提出しました。

 

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2人の博士はコンピューター・シュミレーションで事件当夜を再現し、一行は遅発性の「スラブ雪崩」という雪崩に襲われた可能性が高いことを示しました。

 

被害者たちはテントで休んでいる間に幅5mほどの小規模な雪崩に見舞われ、9人のうち5人が負傷。

 

なんとか内側から切り裂いて雪に埋もれたテントを脱出し、逃げたものの寒さからテントに戻ろうとして5人が死亡し、雪崩によって重傷を負った4人も動くことができなくて死亡したのではないかと指摘しました。

 

ただ、博士らは「科学的に考えれば雪崩が9人の命を奪った可能性が高いが、すべての謎が解明されたわけではない」とも語っています。

 

 

 

ディアトロフ峠事件の真相考察④ カルマン渦説

 

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フロリダ在住の映像ジャーナリスト、ドニー・アイカー氏が、ディアトロフ峠事件について調査したことをまとめた著書『死に山』のなかで提唱しているのが、事件の原因はカルマン渦だったという説です。

 

カルマン渦とは強い風が半球状の物体にぶつかった時に発生する、ヘアピン状の渦のことです。

 

アイカー氏が気象学者に取材した結果、一行がキャンプを設営した斜面はカルマン渦が起こりやすい環境であったといい、テント周辺の地形には凹凸がなかったことから渦の勢いが増し、事件当夜には竜巻が起きていた可能性もあったといいます。

 

テントを吹き飛ばすことはなかったものの、竜巻が引き起こす地響きを伴う轟音と、体調不良を引き起こすほどの超低周波音にパニックになった一行は思わずテントの外に出てしまい、低体温症を起こして死亡した者、足を踏み外して谷底に転落し、亡くなった者などが出たのではないか、とアイカー氏は指摘しています。

 

この説は雪崩説同様に科学的に説明がつくことから有力視されており、2018年に「奇跡体験!アンビリバボー」でディアトロフ峠事件が取り上げられた際にも、カルマン渦説が紹介されていました。

 

 

 

ディアトロフ峠事件の真相考察⑤ キャトルミューティレーション説

 

出典:https://dyatlovpass.com/

 

上の画像は、被害者一行が残したカメラが最後に撮影したとされる写真です。他の写真はメンバーの姿や景色などがはっきりと写されたものでしたが、この写真だけは何を撮影したのかわからないものであったため、さまざまな憶測が飛び交いました。

 

とくに有名なのが、この写真に写ったのはUFOなのではないか?という説です。

 

トンデモ説ではありますが9人が亡くなった当夜、一行のキャンプ地から50kmほど離れた場所にいた別のパーティがホラート・シャフイル山の方角の空を浮遊するオレンジ色の光の球を見たと証言したこと、捜索隊のメンバーも捜索中に火の玉のようなものを目撃したと証言したことからUFO説も支持されているようです。

 

UFO説によると、舌や眼球がない遺体は地球外生命体によってキャトルミューティレーションされたものと考えられていますが、なぜリュドミラとセミョーンのみがターゲットになったのかなど説明ができない点も多々あります。

 

また、UFOではないとしてもこの光の球や火の玉がディアトロフ峠事件に関わっているとする説は多く、光の球はソ連軍が極秘裏に発射したミサイルで放射能を放っていた、火の玉は隕石だったという考察もされています。

 

 

 

ディアトロフ峠事件の真相考察⑥ 舌と眼球がなくなっていた理由は?

 

ディアトロフ峠事件最大の謎の一つが、眼球や舌がない遺体が発見されていることです。舌がない遺体が発見されたことについては、微生物が関係していると見られています。

 

発見された時、唯一舌がなくなっていたリュドミラの遺体はほかの3体とは違って雪解け水に浸かった状態でした。

 

そのため、水の中の微生物が彼女の舌を分解したのではないかと考えられているのです。微生物が人間の舌を分解するには数ヶ月の時間が必要とされていますが、リュドミラの遺体は発見まで3ヶ月の時間を要していますから、その間に分解が進んだのでしょう。

 

キャトルミューティレーション説に比べると信憑性が高いため、この説が真相ではないかと考えられています。

 

眼球は水分含有量が多いために凍って割れたのではないかとの指摘もされていますが、4人のうち2人のみ眼球がなくなっている点については不明であり、十分に説明がつく仮説は未だに出ていません。

 

 

 

ディアトロフ峠事件をモチーフにしたドラマや映画など

 

「世界一不気味な遭難事故」とも呼ばれるでディアトロフ峠事件は、これまでさまざまな創作作品に影響を与えてきました。ここでは、ディアトロフ峠事件をモチーフにした作品について紹介していきます。

 

 

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映画「ディアトロフ・インシデント」

 

 

2013年に公開された映画「ディアトロフ・インシデント」は、ディアトロフ峠事件を題材にしたフェイクドキュメンタリー風のホラー映画です。

 

事件の背景にはアメリカの有名都市伝説のフィラデルフィア計画が絡んでいたという設定で、ディアトロフ峠事件についての考察という要素は薄い作品と言えます。

 

ただ映画としては、「ブレア・ウィッチ・プロジェクト」の焼き直しのようなホラーかと思いきや後半にかけて次々と複線が回収されていくつくりになっていることから、面白かった、ラストで予想を裏切られたという感想が多いようです。

 

 

 

ドラマ「ディアトロフ峠事件」

 

出典:https://www.mystery.co.jp/

 

「ディアトロフ峠事件」は、2022年にAXNミステリーで放送されたロシア制作の連続ドラマです。

 

事件後から囁かれていたさまざまな考察を取り入れたストーリーとなっており、奇数パートではKGBの少佐(ドラマオリジナルの架空の人物)らによる捜査パート、偶数パートでは被害者一行の出発から死亡までの過程が描かれています。

 

被害者一行の1人1人の過去や人物像が詳細に語られているため、悲劇の結末に向けて展開していく話が非常に重く、救いのなさに胸が苦しくなる作品です。

 

 

 

ゲーム「UNTIL DAWN -惨劇の山荘-」

 

 

2015年に発売されたPS4用のゲーム「UNTIL DAWN -惨劇の山荘-」は、ディアトロフ峠事件に着想を得たというホラーアドベンチャーゲームです。

 

プレイヤーは雪山にある別荘にやってきた8人の男女を操作しながら、登場人物を襲うさまざまな惨劇や怪奇現象を体験することとなります。

 

選択によって結末が異なるマルチエンディングとなっており、エンディングの数は全員生存パターンから全員死亡パターンまでなんと256通り。濃密なストーリーが高い評価を集めました。

 

 

 

ディアトロフ峠事件についてのまとめ

 

今回は1959年にロシアで起きたディアトロフ峠事件について紹介しました。さまざまな考察がされていますが、どの説をとっても不可解な点が残ることからでディアトロフ峠事件は未だに世界で最も謎めいた事件の一つとされています。

 

ロシア当局は「原因は雪崩」ということで幕引きとするのでしょうが、被害者遺族らはこの結論に納得しておらず、事件性を疑っている旨の発表をしていました。

 

事件から60年以上が経過した現在、途中で離脱した本件唯一の生き残りのユーリ・ユーディンも亡くなっています。彼は存命中に「ディアトロフ財団」を立ち上げ、事件の真相を探るための活動を続けていました。

 

被害者や遺族、事件に関わったすべての人々のためにも、真相が明らかにされる日が来ることを望みます。

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