福岡一家4人殺害事件は中国人留学生3人により小学生を含む一家4人が惨殺された強盗殺人事件です。
この記事は福岡一家4人殺害事件の詳細と発生場所、母親の松本千加さんら被害者、犯人3人の裁判と判決、犯人の養子縁組とフライデーによる黒幕報道と真相をめぐる謎、現在についてまとめました。
この記事の目次
- 福岡一家4人殺害事件は中国人留学生3人が一家4人を殺害した強盗殺人事件
- 福岡一家4人殺害事件の発生場所
- 福岡一家4人殺害事件の詳細な経緯
- 福岡一家4人殺害事件の被害者① 最初に殺害された母親の松本千加さん
- 福岡一家4人殺害事件の被害者② 父親の松本真二郎さんは衣料品販売業
- 福岡一家4人殺害事件の被害者③ 小学生の長男・海君と長女・ひなさん
- 福岡一家4人殺害事件の犯人① 魏巍(ウェイ・ウェイ)
- 福岡一家4人殺害事件の犯人② 楊寧(ヤン・ニン)
- 福岡一家4人殺害事件の犯人③ 王亮(ワン・リャン)
- 福岡一家4人殺害事件の裁判と判決
- 福岡一家4人殺害事件の真相をめぐる謎とフライデーなどによる黒幕説報道
- 福岡一家4人殺害事件の犯人・魏巍の養子縁組
- 福岡一家4人殺害事件の現在
- まとめ
福岡一家4人殺害事件は中国人留学生3人が一家4人を殺害した強盗殺人事件

「福岡一家4人殺害事件」とは、2003年6月20日に福岡県福岡市東区馬出の一軒家で発生した強盗殺人事件です。
犯人は中国人留学生3人、被害者となったのは、事件の発生場所となった一軒家に暮らす松本真二郎さん一家4人でした。犯人の中国人留学生3人は金銭を奪う目的で松本真二郎さん宅に侵入し、幼い子供2人を含む一家4人を惨殺し、遺体を博多湾に遺棄しました。
無慈悲かつ計画的、そしてあまりにも残虐極まりない犯行により、何の罪もない一家が犠牲になったという事実は、当時の社会に大きな衝撃と怒りを与えました。
ここでは、この「福岡一家4人殺害事件」について、事件の詳細な経緯、犯人たちの人物像と動機、捜査から裁判、そして判決に至るまでの道のりを、現在の時点で得られる情報に基づき可能な限り詳細にまとめていきます。さらに、犯人の1人である魏巍(ウェイ・ウェイ)死刑囚(当時)と日本人女性との不可解な「養子縁組」、やフライデーなど一部のメディアで報じられた「黒幕」の存在や「真相」を巡る様々な憶測、そして事件から20年以上が経過した現在についてもまとめていきます。
福岡一家4人殺害事件の発生場所
まずは、福岡一家4人殺害事件の発生場所について詳細にまとめていきます。
福岡一家4人殺害事件の発生場所(殺害現場)は福岡市東区馬出の被害者自宅
福岡一家4人殺害事件の発生場所となったのは、福岡県福岡市東区馬出(まいだし)四丁目6番にあった、被害者・松本真二郎さん一家の自宅です。当時の報道写真などからは、玄関のすぐ横に風呂場があったことが確認できます。
犯人たちが最初に襲撃したのが、入浴中だった妻の千加さんであったことからも、この間取りが犯行に影響した可能性が考えられます。
福岡一家4人殺害事件発生場所の周辺環境と当時の状況
福岡一家4人殺害事件発生場所となった東区馬出は、九州大学医学部・歯学部・薬学部および九州大学病院キャンパスに隣接する地域です。周囲には商店街もあり、古くからの住宅と新しいマンションなどが混在する、比較的落ち着いた市街地でした。
近隣住民の証言によれば、松本さん一家は周囲との関係も良好で、子供たちが元気に遊ぶ姿もよく見かけられていたといいます。まさかこのような閑静な住宅街で、一家全員が惨殺されるという凶悪事件が起きるとは、誰も想像していなかったことでしょう。
犯人グループは、犯行の数日前から松本さん宅周辺の場所を下見しており、一家の生活サイクルや建物の構造などを入念に調べていたとされています。また、犯行に使われた手錠や鉄アレイといった道具は、松本さん宅から約1km離れた場所にある大型量販店で購入されたものであることが、後の捜査で判明しています。
福岡一家4人殺害事件の詳細な経緯
続いて、福岡一家4人殺害事件の詳細な経緯についてみていきます。
福岡一家4人殺害事件はは2003年(平成15年)6月20日の未明、午前0時過ぎに発生し、一家4人の遺体が同日午前4時過ぎに博多港に遺棄されています。
福岡一家4人殺害事件詳細① 犯人達が犯行に至るまでの経緯
福岡一家4人殺害事件の犯人は、いずれも当時日本に留学していた中国人の男3人。元私立大学留学生の王亮(ワン・リャン、当時21歳)、元日本語学校生の楊寧(ヤン・ニン、当時23歳)、そして元専門学校生の魏巍(ウェイ・ウェイ、当時23歳)でした。
王亮と楊寧は、学費や生活費に困窮し、福岡市内のアパートで同居しながら窃盗などを繰り返していました。
2003年6月中旬、楊寧はアルバイト先へ通う途中で、高級外車(ベンツ)が駐車されている松本さん宅に目をつけました。「金持ちに違いない」と思い込んだ楊寧は、王亮に強盗計画を持ちかけます。さらに、犯行を確実に遂行するため、腕っぷしの強い知人であった魏巍を「分け前は少なくとも100万円以上になる」と誘い、事件のわずか4日前に仲間に引き入れました。
犯人らは犯行前に、一家全員を殺害して口封じをすることを決めていました。金品強奪に失敗した場合でも、事件の目的が殺人であるかのように見せかける偽装工作まで計画していたとされます。
犯行のために手錠や鉄アレイ、ダンベルといった道具を事前に大型量販店で購入し、遺棄場所として博多港の箱崎ふ頭を下見するなど、その計画は極めて周到でした。
福岡一家4人殺害事件詳細② 犯人らのあまりにも残忍な犯行内容
6月20日未明、犯人3人は松本さん宅に侵入。当時、夫の真二郎さんはまだ帰宅しておらず、家には妻の千加さん(当時40歳)、長男の海君(同11歳)、長女のひなさん(同8歳)が在宅していました。
犯人たちはまず、入浴中だった妻の千加さんを襲撃。千加さんは洗面器で抵抗したものの、2人がかりで浴槽内に顔を押し付けられ、溺死させられました。続いて、犯人らは2階の子供部屋で寝ていた海君とひなさんを襲いました。弟の海君を絞殺した後、ひなさんを人質にして真二郎さんの帰宅を待っています。
やがて帰宅した真二郎さんに対し、犯人たちはひなさんの命と引き換えに金品を要求。「娘だけは助けてくれ」と哀願する真二郎さんを脅迫し、現金約3万7000円とキャッシュカードなどを奪いました。しかし、犯人らは最初から一家皆殺しを決めていました。約束を反故にし、ひなさんを絞殺。そして、真二郎さんにも手錠をかけ、瀕死の状態に陥らせました。
福岡一家4人殺害事件詳細③ 犯人達は証拠隠滅のため博多湾に死体を遺棄
犯人たちは、殺害した松本千加さん、海君、ひなさんの遺体と、まだ息のあった松本真二郎さんを、松本さん所有の車に運び込みました。そして、事前に用意していた鉄アレイやダンベルといった重りを手錠で遺体に取り付け、箱崎ふ頭の岸壁から次々と博多港の海へ投げ込みました。
真二郎さんはこの時、生きたまま海に沈められ、溺死しています。犯行後、彼らは一家が失踪したかのように見せかけるため、車を別の場所に乗り捨てて逃走しました。
福岡一家4人殺害事件詳細④ 犯人らの犯行後の証拠隠滅
犯行を終えた犯人3人は、まず犯行の証拠隠滅に奔走。一家の遺体を運ぶのに使用した松本さん所有のベンツを、福岡県内の駐車場に乗り捨て、事件との関連を断ち切ろうとしました。
そして、犯人らは、強奪した現金約3万7000円を山分けし、キャッシュカードで現金を引き出そうと試みましたが、暗証番号が異なっていたため失敗に終わります。魏巍は楊寧から分け前として1万円を受け取ったとされています。
さらに犯人らは、犯行に使った衣服や、奪ったキャッシュカードなどを市内のごみ箱に捨てるなどして、証拠隠滅を図りました。
犯行グループの主犯格とみられる楊寧と王亮は、事件が明るみに出る前に日本を脱出することを計画。楊寧は知人から金を借りるなどして逃走資金を準備しています。
福岡一家4人殺害事件詳細⑤ 犯人達の逃亡
犯行から4日後の6月24日、王亮と楊寧は福岡空港から中国・上海行きの飛行機に乗り込み、日本からの逃亡に成功しました。
一方、魏巍は日本国内に留まりました。逃亡資金がなかったことや、自分だけは捕まらないだろうという安易な考えがあった可能性が指摘されています。
しかし、彼は逃走資金を得るために元交際相手の女性を頼った際、口論の末に暴行を加えてしまい、傷害容疑で警察に逮捕されるという失態を犯しています。この時点では、まだ福岡一家4人殺害事件との関連は明らかになっていませんでした。
福岡一家4人殺害事件詳細⑥ 警察の捜査の進展
福岡県警は、6月20日に博多港で遺体が発見された直後から、大規模な捜査本部を設置し、迅速な捜査を開始しました。
捜査の突破口となったのは、遺体に付けられていた手錠とダンベルでした。これらの製品が、九州地区では特定の大型量販店でのみ販売されていることを突き止めました。
捜査員がその量販店の防犯カメラ映像を徹底的に調べた結果、事件直前の6月18日に、不審な手錠2個とダンベル2セットを購入する若い男の姿を発見しました。
この映像が決め手となり、男が日本語学校に在籍していた王亮であることが判明。さらに、同居していた楊寧、そして知人であった魏巍の3人が捜査線上に急浮上しました。
捜査員が王亮と楊寧のアパートに踏み込んだ時には、2人は既にもぬけの殻で、中国へ出国した後だったのです。
福岡一家4人殺害事件詳細⑦ 犯人達の逮捕
捜査網は、国内に潜伏する魏巍と、中国へ逃亡した2人の両方に迫っていきました。
福岡県警は、日本国内に留まっていた魏巍の行方を追跡。事件から約2ヶ月後の8月、出国を目前にした魏巍を福岡市内で発見し、身柄を確保しました。これにより、事件の全容解明に向けて大きな一歩を踏み出しました。
一方、中国へ逃亡した王亮と楊寧の逮捕は、国境を越えた異例の捜査協力によって実現しました。
福岡県警は、2人が中国へ出国した事実を掴むと、直ちにICPO(国際刑事警察機構)を通じて国際手配。中国の公安当局に対し、指紋やDNA型鑑定のデータなど、決定的な証拠を提供し、捜査協力を要請しました。
日本の警察から提供された情報に基づき、中国の公安当局が捜査を開始。遼寧省などで潜伏していた王亮と楊寧の身柄を確保しました。
特に王亮は、中国で別件で拘束された際に、福岡での事件について自供し、主犯格である楊寧の逮捕に繋がる情報を提供したとされています。この協力が、後の裁判で判決が死刑から無期懲役に減刑させる一因となりました。
このように、犯人たちの周到な計画と逃亡にもかかわらず、遺留品という物証を手がかりにした地道な捜査、そして日中両国の警察当局による緊密な連携が、国境を越えて犯人全員を法の裁きにかけることを可能にしました。この事件の捜査過程は、国際化する犯罪に対応する上での重要な先例となりました。
福岡一家4人殺害事件の被害者① 最初に殺害された母親の松本千加さん

福岡一家4人殺害事件の被害者となった松本さん一家4人についてもみていきます。
福岡一家4人殺害事件で最初に殺害されたのが、母親の松本千加さん(当時40歳)でした。
松本千加さんは、夫を支え、2人の子供たちの成長を温かく見守る専業主婦でした。松本千加さんは家庭を守りながら、地域活動にも積極的に参加していたとされています。近所の人々からは物腰の柔らかい夫人として知られていました。
事件当夜、松本千加さんは一家の中で最初の犠牲者となりました。2003年6月20日午前0時15分ごろ、犯人グループが松本さん宅に侵入した際、千加さんは入浴中で、犯人たちは最も無防備な状態の松本千加さんを襲撃。必死に抵抗するも、顔を浴槽の湯に押し付けられ、溺死させられました。
浴室の扉ガラスが割れ、血痕が残っていたことからも、襲撃時の凄惨な状況が窺われます。
福岡一家4人殺害事件の被害者② 父親の松本真二郎さんは衣料品販売業

出典:https://static.chineseherald.co.nz/
福岡一家4人殺害事件の被害者家族の父親の松本真二郎さん(当時41歳)は、福岡市内で衣料品販売業を営んでいました。
かつては韓国料理店を経営していたこともあり、「いつかまた店を再開したい」という夢を抱いていたと知人は語っています。家族を支える働き盛りの父親でした。
福岡一家4人殺害事件の被害者③ 小学生の長男・海君と長女・ひなさん
福岡一家4人殺害事件ではまだ小学生だった幼い子供2人の命までも奪われました。
長男の松本海君は私立福岡海星女子学院付属小学校の6年生、長女の松本ひなさんは私立福岡雙葉小学校の3年生でした。2人とも活発で明るい子供たちだったと伝えられています。
事件の夜、2人は2階の子ども部屋で寝ていたところを襲われました。犯人たちはまず兄の海君を絞殺。その後、妹のひなさんを人質として利用し、父親である真二郎さんを脅迫しました。金品を奪った後、犯人たちはひなさんもネクタイで絞殺するという残忍な行為に及びました。
まだ幼く、これからの人生に無限の可能性を秘めていた2人の命は、あまりにも身勝手な理由で無慈悲に奪われました。その犯行は、幸せに暮らしていた一家を根絶やしにする、極めて残忍なものでした。
福岡一家4人殺害事件の犯人① 魏巍(ウェイ・ウェイ)

既に触れているように、福岡一家4人殺害事件の犯人は中国人留学生の男3人でした。
そのうち、福岡一家4人殺害事件での被害者4人殺害において、中心的役割を担ったのが、当時23歳の元専門学校生だった魏巍(ウェイ・ウェイ)でした。
魏巍は中国河南省の出身で、父親は工芸品の工場を経営しており、犯人3人の中では比較的裕福な家庭で育った事がわかっています。2001年に私費留学生として来日し、日本語学校を経てコンピューター関連の専門学校に進学しましたが、次第に遊興にふけるようになり、消費者金融などから多額の借金を抱えていました。
学費も払えないほど経済的に困窮していたものの、親に頼ることをためらっていたところ、知人であった楊寧から「金持ちの家を襲う。分け前は100万円以上になる」という強盗計画を持ちかけられます。
借金返済と楽に大金が手に入るという誘惑に乗り、事件のわずか4日前に計画に加わることを決意しました。
福岡一家4人殺害事件の犯人② 楊寧(ヤン・ニン)

福岡一家4人殺害事件を主導した主犯格とされているのが、当時23歳の元日本語学校生・楊寧(ヤン・ニン)です。
楊寧は中国吉林省の出身で、犯人の1人王亮とは同郷でした。来日後は日本語学校に通っていましたが、生活は困窮しており、王亮と共に窃盗などを繰り返していたとみられています。
事件のきっかけは、楊寧がアルバイト先へ向かう途中で、高級外車(ベンツ)が停まっている松本さん宅に目をつけたことでした。「金持ちに違いない」と短絡的に考えた楊寧は、同居人の王亮に強盗計画を持ちかけ、さらに実行役として腕力のある魏巍を仲間に引き入れました。 一家全員を殺害して口封じをすることも、楊寧が主導して計画したとされています。
福岡一家4人殺害事件の犯人③ 王亮(ワン・リャン)

主犯格の楊寧と共に計画に関与した共犯者で、犯行の準備段階から関わったとされるのが、当時21歳の元私立大学留学生である王亮(ワン・リャン)です。
王亮は楊寧と同郷の吉林省出身。来日後は私立大学の留学生でしたが、生活に困窮し、楊寧のアパートに同居していました。楊寧から強盗計画を持ちかけられ、これに同調。犯行に使われた手錠やダンベルは、事件前に王亮が大型量販店で購入したことが防犯カメラの映像で確認されており、これが犯人特定への大きな手がかりとなりました。
福岡一家4人殺害事件の裁判と判決
福岡一家4人殺害事件の裁判は、犯行グループ3人が日本と中国の2カ国で裁かれるという異例の経過をたどりました。
日本国内で逮捕された魏巍(ウェイ・ウェイ)と、犯行後に中国へ逃亡し身柄を確保された楊寧(ヤン・ニン)、王亮(ワン・リャン)。それぞれの裁判で下された判決は、三者三様の結末を迎えることとなりました。
ここでは、日本と中国で行われた裁判の詳細と、それぞれの判決内容について詳しくまとめます。
福岡一家4人殺害事件の犯人魏巍の裁判と判決
日本国内で唯一逮捕された魏巍は、強盗殺人、死体遺棄などの罪で福岡地方裁判所に起訴されました。彼の裁判は一審から最高裁まで争われ、最終的に死刑が確定しました。
第一審・福岡地方裁判所
魏巍の裁判の第一審は2004年3月23日に福岡地裁で始まり、2005年5月19日に死刑判決が下されています。
裁判で魏巍は起訴事実を大筋で認めましたが、弁護側は「主犯格である楊寧に従属的に関与したにすぎない」と主張し、死刑の回避を求めました。これに対し検察側は、「人間性のかけらもなく更生は不可能」として死刑を求刑しました。
福岡地裁の川口宰護裁判長は、「犯行は冷酷非情で計画的。結果も4人の命が奪われたというあまりにも重大なものであり、遺族の処罰感情も峻烈」と指摘。魏巍が犯行において果たした役割は重要であり、従属的だったとは言えないとして、弁護側の主張を退け、求刑通り死刑判決を言い渡しました。
控訴審・福岡高等裁判所
魏巍側は判決を不服として福岡高裁に控訴しました。第二審では、犯行動機や3人の役割分担について詳細な証言を行い、遺族への謝罪の言葉も述べましたが、高裁は第一審の判決を支持し、2007年3月に控訴を棄却しました。
上告審・最高裁判所
魏巍側は判決を不服として2007年3月20日付で最高裁判所に上告。
2011年10月20日、最高裁第一小法廷の白木勇裁判長は、「冷酷、非人間的な犯行で、酌量の余地はない」として上告を棄却する判決を下し、2011年11月10日付で魏巍の死刑が確定しました。判決後、魏巍は「このような重大事件を起こしたのだから、判決は当然だと思う。私自身も望んでいたことだ」と、判決を受け入れる姿勢を見せたと言われています。
福岡一家4人殺害事件の犯人の楊寧と王亮の裁判と判決
犯行後に中国へ逃亡した楊寧と王亮は、日中両国の捜査協力によって中国公安当局に逮捕され、中国の刑法に基づいて裁かれました。
中国での裁判は2004年10月19日に遼寧省遼陽市中級人民法院で始まり、2005年1月24日に判決が出ています。
主犯格である楊寧に対して、中国の裁判所は事件の首謀者と認定。意図的な殺人、強盗、窃盗の罪で死刑判決を言い渡しました。 楊寧は判決を不服として上訴しましたが、遼寧省高級人民法院はこれを棄却し死刑が確定しました。
一方、共犯の王亮に対しては、無期懲役の判決が下されました。これは、王亮が中国公安当局に拘束された後、自らの罪を認め、主犯格である楊寧の逮捕につながる情報を提供するなど、捜査に全面的に協力したことが「自首」および「重大な立功表現(功績)」として評価されたためです。
この判決に対し、被害者遺族や日本のメディアの一部からは「あまりに寛大すぎる」との声も上がりました。王亮は上訴せず、無期懲役刑が確定しました。
この一連の裁判は、国境を越えた凶悪犯罪に対する司法の在り方を示す重要な事例となりました。特に、日中両国警察の緊密な捜査協力と、中国側で作成された供述調書が日本の裁判で証拠として採用されたことは、国際的な司法共助の進展を示すものとして注目されました。
福岡一家4人殺害事件の真相をめぐる謎とフライデーなどによる黒幕説報道
福岡一家4人殺害事件は、中国人留学生3名による凶行として犯人が逮捕・処罰され、法的には解決しています。
しかし、そのあまりにも残忍で計画的な犯行内容と、強奪された金品の少なさ(現金約3万7000円)というアンバランスさから、事件の背後には別の「真相」や「黒幕」が存在するのではないかという憶測が、事件直後から現在に至るまで根強く囁かれています。
ここでは、週刊誌「フライデー」などの報道を交えながら、事件の真相を巡る様々な説や謎について詳しく掘り下げていきます。
福岡一家4人殺害事件でなぜ「黒幕説」が浮上したのか
公式な捜査結果では、犯人たちの動機は「生活費に困窮し、高級車が停まっていた松本さん宅を金持ちだと思い込み、強盗目的で侵入した」とされています。しかし、以下のように、この動機だけでは説明がつかない、いくつかの不可解な点が存在します。
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残虐すぎる犯行内容と奪われた金品のギャップ
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わずか3万7000円の現金を奪うために、面識のない一家を、それも幼い子供2人を含む4人全員を計画的に惨殺する必要があったのでしょうか。 - 犯人たちは犯行前から皆殺しを決めており、口封じだけでなく、万一金品が奪えなかった場合に事件を強盗ではなく殺人が目的だったと見せかける意図もあったとされています。
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このような偽装工作まで行う周到さは、単なる場当たり的な強盗殺人とは一線を画しており、「金銭目的」という動機だけでは割り切れない印象を与えます。
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被害者・松本真二郎さんの背景
- 捜査の過程で、被害者の松本真二郎さんが過去に韓国料理店を経営していたことや、衣料品販売業の傍ら、無許可の金融業(闇金)に関わり、複数のトラブルを抱えていたことが報じられました。
- また、親族を含め暴力団関係者との交際があったとの報道もあり、事件当初、警察はこうした金銭トラブルや怨恨の線でも捜査を進めていました。
- これらの情報が、「裏社会のトラブルに巻き込まれ、プロの殺し屋が雇われたのが真相ではないか」という見方を後押ししました。
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実行犯たちの証言の矛盾
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日本で逮捕された魏巍(ウェイ・ウェイ)は、一貫して「自分は従属的な立場で、主犯は楊寧(ヤン・ニン)だ」と主張。一方、中国で逮捕された楊寧と王亮(ワン・リャン)も互いに責任をなすりつけ合う場面があり、誰が真の主導者なのか、あるいは彼らの上に指示を出した人物がいたのか、という疑問が残りました。
これらの点から、「留学生3人は実行犯にすぎず、彼らに犯行を指示した黒幕がいるのではないか」という説が、メディアやインターネット上で盛んに議論されるようになったのです。
週刊誌「フライデー」などの「黒幕」報道と名誉毀損訴訟
福岡一家4人殺害事件発生後、週刊誌各誌は競って事件の背景を報じ、その中でも「フライデー」(講談社)は特に踏み込んだ内容の記事を掲載しました。
2003年10月10日号の「フライデー」は、「福岡一家惨殺事件“殺人チャート”と“黒幕の名前”」と題した記事を掲載。この記事では、被害者男性の義兄(妻・千加さんの実兄)らを匿名で挙げ、「司直の手が迫っている」などと報じ、あたかも親族が「黒幕」として事件に関与しているかのような印象を与える内容でした。
この記事に対し、名誉を著しく傷つけられたとして、被害者の親族は講談社などを相手取り、損害賠償を求める民事訴訟を起こしました。裁判の結果、2005年および2006年に裁判所は親族側の訴えを認め、「フライデー」や「週刊新潮」、「週刊文春」などに対し、それぞれ数百万円から1100万円の損害賠償を命じる判決を下しています。
これらの週刊誌報道は、世間の関心を煽る一方で、根拠の不確かな情報によって被害者遺族をさらに苦しめる結果となりました。しかし、こうした過熱報道が生まれた背景には、公式発表だけでは納得できない、本当の「真相」が知りたいという、社会の強い関心があったことも事実です。
福岡一家4人殺害事件の「真相」をめぐる様々な説が生まれた
結局のところ、捜査当局は「黒幕」の存在を公式には認定せず、事件は中国人留学生3人による単独犯行として終結しました。しかし、この黒幕説が引き金となり、現在もなお囁かれる「真相」をめぐる説が複数生まれる事になりました。
福岡一家4人殺害事件の真相をめぐる説① 裏ビジネスを巡るトラブル説
被害者の松本真二郎さんが関わっていたとされる闇金融などの裏ビジネスで、暴力団などの反社会的勢力と大きなトラブルになり、その報復としてプロの殺し屋が雇われ、留学生たちはその実行役、あるいはさらにその下請けだったのではないかとする説です。
福岡一家4人殺害事件の真相をめぐる説② 保険金殺人説
福岡一家4人殺害事件後、被害者一家に高額な生命保険がかけられていたとの情報もあり、保険金を狙った人物が黒幕ではないかという説も一時流れました。しかし、これも決定的な証拠はなく、憶測の域を出ません。
福岡一家4人殺害事件の真相をめぐる説③ 留学生グループ内の別のトラブル説
魏巍らの裁判の証言から、彼らが所属していた別の窃盗グループの存在が浮上しています。このグループ内の力関係や金銭トラブルが、松本さん一家を狙うという短絡的で残忍な犯行に繋がったのではないか、という見方もあります。
ただし、元福岡県警の特捜班長は、後のインタビューで「暴力団説など様々な憶測が飛び交ったが、最終的には留学生3人による犯行という結論に至った」と語っており、捜査のプロから見ても、黒幕の存在を裏付ける証拠は出てこなかったのが実情のようです。
福岡一家4人殺害事件の犯人・魏巍の養子縁組
死刑囚として福岡拘置所に収監されていた福岡一家4人殺害事件の犯人・魏巍は、2008年頃、60代の日本人女性と養子縁組を結んでいたことが明らかになっています。この事実は、事件のもう1つの不可解な側面として注目されました。
面会などを通じて魏巍と知り合ったとされるこの女性は、キリスト教の信仰者であると語っていたといいます。しかし、その後の取材で、この女性が別の殺人事件で死刑判決を受けた人物とも養子縁組を結び、その親族から減刑嘆願を持ちかけて多額の金銭を得ていた詐欺的な疑惑が浮上しました。
女性は魏巍に対しても「日本に1人ぼっちでいるあの子を助けてあげたい」と周囲に語っていたとされますが、その真意は定かではありません。この養子縁組は、死刑囚の孤独な心につけ込んだ金銭目的の行為だった可能性が指摘されています。
福岡一家4人殺害事件の現在

出典:https://txbiz.tv-tokyo.co.jp/
最後に、福岡一家4人殺害事件のその後や現在についてもみていきます。
福岡一家4人殺害事件の犯人達の現在
福岡一家4人殺害事件の3人の犯人のうち、日本で死刑が確定していた魏巍は、2019年12月26日に福岡拘置所で死刑が執行されました。当時の森雅子法務大臣が命令したもので、外国人死刑囚の執行は10年ぶりのことでした。
一方、中国で死刑判決を受けた楊寧は、2005年7月に刑が執行されています。また、無期懲役の判決を受けた王亮は、現在も中国の刑務所で服役中であると考えられます。
福岡一家4人殺害事件が社会に与えた影響
この事件は、日本で学ぶ外国人留学生が起こした凶悪犯罪として、留学生の受け入れ態勢や資格審査のあり方について一石を投じました。事件後、入国管理局は留学生の在留資格審査を厳格化するなどの対応が取られています。
また、日中両国の警察当局が緊密に連携して国境を越えた捜査を成功させたことは、国際的な捜査共助のモデルケースの1つとなりました。
福岡一家4人殺害事件発生場所の現在
凄惨な事件の現場となった松本さん宅は、事件後しばらくの間、立ち入り禁止のテープが張られたままの状態で残されていました。しかし、一家の知人や近隣住民によって、家の前には花束や飲み物が供えられ、亡くなった4人を悼む人々が絶えませんでした。
その後、建物は取り壊され、2005年5月の時点では更地になっていたことが確認されています。現在、その跡地は駐車場として利用されており、かつてここに一家団らんの場があった面影は残っていません。
まとめ
今回は、2003年6月20日に発生した「福岡一家4人殺害事件」についてまとめてみました。
福岡一家4人殺害事件は、中学人留学生3人が、小学生の子供2人を含む一家4人を惨殺し現金を奪った極悪非道な強盗殺人事件でした。
福岡一家4人殺害事件の犯人は中国人留学生の王亮、楊寧、魏巍の3人で、金銭を奪うために共謀して犯行に及びました。
福岡一家4人殺害事件の被害者は、福岡市内で衣料品販売業を営む父親の松本真二郎さんと母親の松本千加さん、小学生の長男・松本海君、長女の松本ひなさんの一家4人でした。
犯人のうち魏巍は日本で逮捕され、王亮と楊寧は中国に逃亡するも現地で逮捕され、それぞれ日本と中国で裁判にかけられました。その後、魏巍と楊寧には死刑、王亮には無期懲役の判決が確定しています。
福岡一家4人殺害事件後、「フライデー」など一部メディアが、事件には黒幕がいるという疑惑を報道したことで、事件の真相について現在も様々な説が飛び交っています。


















