市橋達也の現在!生い立ちと両親や姉・経歴と結婚・事件の動機・逃亡生活と刑期も総まとめ

市橋達也は2007年に起きたリンゼイ・アン・ホーカー殺害事件の犯人で、長期の逃亡生活の後に逮捕されました。市橋達也の生い立ちや両親、姉や兄弟など家族、経歴、現場のマンションや整形外科、犯行動機、判決、結婚やファンクラブの現在について紹介します。

市橋達也とリンゼイ・アン・ホーカー殺害事件の概要

 

出典:https://twitter.com/

 

2007年3月26日、イギリスから来日し英会話講師として働いていたリンゼイ・アン・ホーカーさん(当時22歳)が行方不明になったという相談が、千葉県船橋警察署にありました。

 

相談をしたのは彼女のルームメイトで、船橋警察署の警官はすぐに調査を開始。そして、リンゼイさんの部屋から日本人男性の電話番号とメールアドレスが書かれたメモを発見します。

 

電話番号とメールアドレスは、市川市内に住む市橋達也という当時28歳の男のものでした。

 

市橋は約1週間前の3月20日に電車でリンゼイさんを見かけ、自分の連絡先を渡して「レッスン料を払うから、英会話を教えてくれないか」と頼み込んでいたのです。

 

ルームメイトからの証言もあり、この男が怪しいと見た警察は千葉県市川市福栄二丁目の市橋達也のマンションに向かいます。

 

時刻は21時40分頃で、警察が呼び鈴を押すと市橋は普通に玄関口まで出てきました。しかし、警察に部屋の中を覗かれそうになると、マンションの廊下を走って非常階段を駆け下り、そのまま行徳駅方面へと逃亡します。

 

警察が睨んだとおり、リンゼイさんの失踪に市橋達也は深くかかわっていました。市橋は一目惚れした彼女を自宅に監禁し、逃げられそうになったことから殺害してしまっていたのです。

 

警察が訪れた時点で、市橋の部屋にはリンゼイさんの遺体がありました。そのため、どうしても市橋は警察を部屋にあげるわけにはいかなかったのです。

 

その後、市橋は駅周辺に配備していた警官らの目を巧みに避けて上野に逃げ落ち、各地を転々としながら、なんと961日間にも渡って逃走を続けました。

 

逃亡生活の間に市橋は数回、整形をして顔を変えていました。しかも、整形外科で施術を受けたのは2回のみで、ほかは自分でカッターやはさみ、裁縫用の針と糸を使って唇や鼻の形を変えたとされます。

 

出典:https://a19750601.exblog.jp/

 

逮捕後の市橋は、この異常な行動と逃亡への執着で注目を集めました。

 

さらにエリート家系の生まれで高学歴の持ち主という経歴も話題になり、市橋に熱をあげる女性「市橋ガールズ」がいる、ネットではファンクラブまであるらしいとマスコミに取り上げられて騒ぎになったのです。

 

そのため、殺人鬼である市橋達也に熱をあげるのは倫理的にどうなのか、リンゼイさんの遺族に対して恥ずべきことだといった議論も呼びました。

 

 

 

市橋達也の生い立ち・経歴① 出生と家族構成・幼少期

 

出典:https://www.youtube.com/

 

市橋達也は1979年1月15日に誕生しました。兄弟は姉がいたことがわかっており、両親は父親が医者、母親が歯科医というエリート家系でした。

 

千葉県で誕生し、小学校1年生の時に母親の出身地である岐阜県羽島市に家族で引っ越しをして以降は、高校卒業まで羽島市内で過ごしています。

 

小学生の頃から非常に勉強ができたうえ、運動神経も良かったという市橋はひときわ目立つ少年でした。

 

逮捕後も地元の人からは「本当に優秀な子だった」「あんなに良い子だったのに、なんで」との話があったほどです。

 

一方、幼少期の市橋の性格について息子同士が仲が良く、よく遊んでいたという女性からは「大人しい子だった。ただ、何かのきっかけで子ども同士が喧嘩になると、ものすごくキレる子だった」という証言も出ています。

 

この女性は、喧嘩した際の市橋の様子を見て「この子、大丈夫かな。もし凶器なんかを持っていたら、うちの子たちが怪我をさせられるんじゃないかな」と心配になったこともあったそうです。

 

キレやすい一面は学校でも見られ、通信簿に担任の教師から「頑張りましょう」という文章が書かれていたのを見て激怒し、そのまま通信簿を破り捨てたこともあったといいます。

 

また目立ちたい、周囲からの注目や尊敬を集めたいという願望が強かったのか、市橋は小学校4年生の作文では「将来は総理大臣になりたい」と書いており、小学校の卒業文集では「オリンピックに出たい」と書いていました。

 

ただ、不思議なことに目立つほど勉強ができたにもかかわらず、卒業文集では「生まれ変わったら秀才になりたい」とも書いていたとされます。

 

後述しますが親、特に母親は長男の市橋に対して大きな期待と理想を持っていたといい、近隣の人が「あんなにできた子なのに、何を叱っているだろう」と不思議になるほど、ヒステリックに息子をしかりつけていたそうです。

 

市橋が小学校の卒業文集で「秀才になりたい」と書いたのも、母親の影響が強かったのかもしれません。

 

 

 

市橋達也の生い立ち・経歴② 中学~高校

 

出典:https://www.minkou.jp/

 

小学校卒業後、地元の公立中学に進学した市橋達也はバスケ部に入部し、副キャプテンを務めるなどして依然として目立つ存在でした。

 

生徒会の役員もしていたといい、優秀な生徒として教師からも高く評価されていました。

 

しかし、キレると怖いという性格は中学生になってもなおっておらず、親しい友人からは恐れられることもあったそうです。

 

中学卒業後は県内でも指折りの進学校である羽鳥北高校に進学。国立大学理系学部志望クラスに籍を置きました。

 

この頃になると小学生時代の無邪気さはなりを潜め、将来の進路は医者一筋になっていました。

 

高校に入っても学業は優秀で、運動も陸上部に所属し、学年で一番足が速いなど注目を集めていたといいます。

 

逃亡時に市橋は脚力で警察官を振り切ったことが話題となっていましたが、学生時代から抜きんでた俊足の持ち主だったのです。

 

ただ、この頃になると同級生からも「親が医者なのを鼻にかけて自慢話ばかりしてくる」「常に一番になりたがる奴で、やたらとマウントをとってきて面倒くさい」といった悪い評判も出てきていました。

 

 

 

市橋達也の生い立ち・経歴③ 大学受験での失敗~千葉大学入学

 

出典:https://www.h.chiba-u.jp/

 

これまで何をやっても目立ち、優秀だとほめそやされてきた市橋達也。しかし、大学受験で初めての挫折を味わうこととなります。市橋は志望していた大学に落ちてしまったのです。

 

なんとか横浜国立大学の二部には合格して通い始めるのですが、夜間部であること、そして医学部ではないことに劣等感を持つようになって中退。

 

その後も医学部を目指して勉強を続けましたが、良い結果は出せず、結局21歳の時に千葉大学の園芸学部に入学することとなりました。

 

希望の進学先ではなかったものの、市橋は千葉大学での生活をそれなりに楽しんでいたようです。

 

入学後は空手部に入り、顧問からも「練習に真面目に参加していて筋がいい」と評価されていたといいます。また、留学生交流会ではリーダー的な役割を果たしていました。

 

市橋がリンゼイさんを監禁した理由は「好みのタイプだったから」とのことで、逮捕後の供述で外国人女性が好きだったことが明らかになっています。

 

そのためおそらく、この頃から大学の活動を通して外国人女性に興味を持つようになっていったのではないかと思われます。

 

 

 

市橋達也の生い立ち・経歴④ 大学卒業~事件まで

 

2005年3月、市橋は26歳で千葉大学を卒業しました。しかし、大学卒業後も就職せずに、千葉にとどまって1人暮らしを続けます。

 

両親には「まだ勉強したいことがある」と言っていたそうで、それを信じたのか両親はいい歳をした息子に毎月15万円もの仕送りをしていました。そのため市橋はアルバイトさえしていませんでした。

 

なお、大学入学時からリンゼイさん殺害時まで市橋が住んでいた千葉県市川市内のマンションの部屋は、両親が所有していた物件のため家賃は発生していなかったとのこと。

 

となれば、家賃抜きで毎月15万円の生活費があったわけですから、新卒で働いている平均的な社会人よりも良い暮らしをしていた可能性さえあります。

 

ところが、親もいつまでも無職の息子に仕送りを続けているわけではありませんでした。

 

市橋は海外の大学の大学院に進学したいと言って仕送りを受けていたのですが、独学で2年ほど英語を勉強したものの大学院に入学はせず、時間だけが過ぎていってしまったのです。

 

これに呆れたのか、両親もついに28歳にもなった息子への仕送りを打ち切ってしまいました。

 

こうして親から仕送りの打ち切りを宣言された数日後に、市橋は電車の中で偶然リンゼイさんを見かけて事件を起こすことになります。

 

 

 

市橋達也の家族① 両親

 

上でも触れたように、市橋達也の両親は父親が医者、母親が歯科医で、小学生の時から移り住んだ母親の地元では、祖父母の代から医者の資産家一族として知られていました。

 

父親は愛知県内の一宮西病院で外科医として勤務しており、事件前までに外科部長になっていたとされます。

 

また、母親は両親が開業した歯科医院で働いており、一家は裕福な暮らしをしていました。

 

しかし、地元の人からの市橋の母親に対する印象はあまり良いものではなく、子どもたちにも将来は医者になるように言い聞かせ、怒ってばかりだったといいます。

 

また、市橋の友人も「あのうちのお母さんはいつも怒っていて怖い」と感じていたそうです。

 

とくに市橋が大学受験に失敗してからは母親は目に見えてヒステリックになったらしく、「すぐに人に八つ当たりをしてヒステリーを起こすから、とても付き合いきれなかった」「息子が医者にならなかったのが相当悔しかったんだろう。いつもイライラしていた」との証言も近隣住民から出ていました。

 

 

 

市橋達也の家族② 兄弟(姉)

 

市橋達也には2歳年上の姉がいたといい、姉もとても優秀で医師として働いていたそうです。

 

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事件発生時には30歳で結婚もしていましたが、弟が殺人事件という重すぎる罪を犯した後に離婚しています。

 

なお、姉は結婚式に実の弟である市橋を呼んでいません。実は市橋はリンゼイさん殺害のおよそ2年前にも漫画喫茶で財布を盗もうとした挙句、持ち主を階段から突き落とすという事件を起こしていました。

 

両親が被害者に示談金を支払ったために前科こそつきませんでしたが、もしかしたらこの時のことが原因で姉は結婚式に弟を呼ばなかったのかもしれません。

 

 

 

市橋達也が起こしたリンゼイ・アン・ホーカー殺害事件の詳細

 

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2007年3月20日、東京メトロ東西線に乗っていた市橋は、同じ車両に乗っていたイギリス人女性のリンゼイ・アン・ホーカーさんに一目惚れをし、西船橋駅で下車した彼女を追いかけて話しかけました。

 

市橋はリンゼイさんに「留学をしたいのだが、英語を教えてもらえないか」と声をかけたといいます。

 

面識もないのに突然話しかけてきた市橋を警戒したリンゼイさんは、足早に家に帰っていきました。しかし、なんと市橋は彼女の家までついて行ったのです。

 

リンゼイさんの部屋の前までついてきた市橋は、「水を1杯もらえないか」などと話しかけました。

 

不気味に思ったものの、部屋にはすでにルームメイトたちが帰宅していたことから大丈夫だろうと思い、リンゼイさんは市橋を家にあげてしまったそうです。

 

家に招かれた市橋は、「1回、3500円のレッスン料を支払うから、英会話を教えてほしい」「良い英会話講師に巡り会えなくて、本当に困っているんです」と再度リンゼイさんに頼みました。

 

父親によると、1人で渡航することを心配する両親に対してリンゼイさんは「日本はとても治安がいいし、友達と一緒に暮らすから大丈夫」と話していたといいます。

 

日本は治安がいい国という安心感と、市橋の真剣な様子にほだされてしまったのでしょう。リンゼイさんは、そういうことならと市橋の連絡先を受け取り、後日レッスンをする約束をしてしまいました。

 

連絡先を交換してもらった市橋は満足し、その日は大人しく帰宅しました。

 

 

犯行当日

 

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連絡先を交換した5日後の3月25日の午前9時から、市橋は行徳駅前の喫茶店でリンゼイさんに英会話の個人レッスンをつけてもらいました。

 

レッスンは問題なく終了したのですが、いざ支払いとなった時に市橋が「財布を忘れてしまった」と言いだします。

 

そしてリンゼイさんに、「自分の家はこのすぐ近くにあるから、一緒に来てもらえないか」と、家でレッスン料を支払うと伝えました。

 

この時、すっかり市橋のことを信用していたリンゼイさんは快諾してマンションまで一緒に行くことにします。

 

こうしてマンションに到着すると、市橋は玄関で待っていてくれるようにうながし、リンゼイさんが玄関に入ったことを確認するやいなや、すぐに背後からドアを閉めて襲い掛かったのです。

 

そして、市橋はリンゼイさんを拘束して暴行し、浴槽に閉じ込めて監禁しました。

 

 

リンゼイさん殺害

 

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日付が変わった26日の午前2時頃、こっそりと拘束を解いたリンゼイさんが市橋の家からの逃走を図りました。

 

しかし、市橋はすぐにこれに気づいて激怒。リンゼイさんの首を絞めて殺害してしまいます。

 

リンゼイさん殺害後、市橋は夜が明けてから近所のホームセンターに向かいました。そして、園芸用の赤玉土56リットル、園芸土50リットル、シャベル、発効促進脱臭剤、脱臭剤、苗木などを購入。

 

帰宅すると拘束に使用していた浴槽をベランダに出し、その中にリンゼイさんの遺体を入れて購入してきた園芸用の土をかけて脱臭剤を混ぜ、カムフラージュ用の苗木を植えて遺体を隠そうとしました。

 

一方、この頃すでにリンゼイさんのルームメイトは、まる1日以上、何の連絡もなく帰ってこない彼女のことを心配して警察に相談をしていました。

 

連絡を受けた船橋警察署の警官はリンゼイさんの自宅に向かい、ルームメイトから「数日前に、市橋という怪しい男がリンゼイの後をつけて家までやって来た」「昨日は朝から、その男に英会話を教える約束で家を出ていた」と説明を受けたといいます。

 

そしてリンゼイさんの部屋から市橋の連絡先を見つけて、この男が行方不明に関与している可能性が高く、事件性があると見た警察は、市橋のマンションに署員数人を向かわせるとともに行徳駅周辺にも警官を配備しました。

 

 

警察の訪問と逃走

 

3月26日の21時40分頃、葉県船橋警察署の警察官が市橋のマンションに到着し、対応した市橋に「リンゼイ・アン・ホーカーさんという女性を知っているか?」と尋ねました。

 

まだ隠ぺい工作が完全に終わっておらず、ベランダに遺体がある状態で警察がやって来たことに驚いた市橋は、この時かすかに動揺を見せたといいます。

 

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それを見抜いた警察は部屋の中を覗き込み、中に押し入ろうとしたところ、突然、市橋が逃亡。

 

マンションの非常用階段を駆け降りたところで、待機していた警官に行き会いましたが、それを振り切ってまんまと逃げてしまったのです。

 

その後、市橋は物陰に隠れて警察の様子を窺いながら走って行徳の隣の妙典駅まで向かい、そこから電車に乗って上野駅まで移動。こうして長い逃亡生活が幕を開けました。

 

 

 

市橋達也の逃亡生活

 

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マンションから逃げ出した時、市橋は裸足にTシャツ、ジーンズという服装で、所持金は5万円程度でした。

 

靴を履いていないことから、そう遠くには逃げられないだろうと警察は考えましたが、市橋はマンションから逃げ出してすぐにゴミ捨て場でサンダルと上着を拾い、これを身に着けて上野まで向かっています。

 

そして、上野のコンビニで裁縫道具を購入し、東京大学医学部付属病院のトイレで裁縫道具を使って鼻を縫って細くしたのです。

 

市橋は手記『逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録』で、この時のことを書いているのですが、小鼻の右から左に糸を通して縫っていくだけで本当に鼻が小さくなるのか、奇妙な風貌になってかえって目立つのではないのか?と不思議になります。

 

とにかく顔を変えた市橋は、関東県内を転々とした後に青森に移動しました。基本的には公園や空き家の軒下などで寝ていたといい、青森でも自分で下唇をハサミで切って整形しています。

 

こうして千葉から遠く離れ、自分で顔を変えた市橋は「どこかで働いてお金を稼がないと」と思い、青森で仕事を探そうとしました。

 

しかし、青森県の有効求人倍率が低いことを知り、電車を乗り継いで大阪に向かいます。

 

そして、大阪の「ドヤ街」と呼ばれるところなら素性を隠して働けるのではないかと思い、西成へ行ったものの、働くために人前に出たら逮捕されるのではないかと怖くなって四国へ向かったそうです。

 

四国では顔を隠しながらお遍路巡りをしました。以前に観た映画『死国』を思い出し、リンゼイさんが生き返ってくれたらどんなに良いだろうと思い、逃亡中にもかかわらずこのようなことをしたのだといいます。

 

その後は愛媛県松山のフェリーターミナルまで歩いて移動し、フェリーに乗って大分へ。大分から電車で鹿児島に移動し、フェリーで沖縄へと渡ったのです。

 

 

沖縄での生活

 

出典:https://ja.wikipedia.org/

 

市橋が沖縄の無人島・オーハ島に潜伏していたというのは、よく知られている話ですが、最初にオーハ島へやって来たのは2007年の5月頃でした。

 

那覇からフェリーに乗ってオーハ島に渡った市橋は、流木で火を起こし、なんとか生活しようと試みましたが、脱水症状を起こして島の住人に助けられ、最終的には沖縄本島に戻っています。

 

離島には仕事がなく、食糧を持たずに潜伏するのは難しいと悟った市橋は身元を偽って那覇市内の建設現場で日雇いの仕事を始めました。

 

ここでは親切な人に面倒を見てもらい、民泊に泊って安定した暮らしをしていたそうですが、ある時、仕事中に「あなた、高橋さん?」と尋ねられたことから逃げ出してしまいます。

 

すでに市橋は全国中に指名手配されており、至る所に顔写真つきのポスターが貼られていたことから、高橋というのは市橋の言い間違いだと思ったのです。

 

沖縄本島にいては逮捕されると思った市橋は、再びオーハ島に戻って釣りなどでして暮らしましたが、やはり食べるものが少なく、西成に出て働こうと決意します。

 

こうして、市橋の逃亡生活の中でもとくによく知られている、大阪と沖縄の往復生活が始まったのです。

 

 

西成での仕事

 

出典:https://www.youtube.com/

 

大阪に向かった市橋は、飯場(土木作業員用の宿泊施設)で寝泊まりをしながら、解体現場やとび職人の助手として働きました。

 

飯場の食堂にも重要指名手配犯のビラが貼られており、市橋は「いつか、自分のものもここに貼られるのだろうか」と気が気ではなかったといいます。

 

なお、西成で働く前に市橋はカッターで自分の顔の左頬にあったほくろを切り取っていました。

 

きつい仕事でも真面目にこなしたことから、給料はひと月で30万円程度にもなったそうです。こうして80万円程度を貯めたところで、市橋は再び西成を逃げ出しました。

 

この頃には飯場での人間関係にも溶け込め、世間話をして食事をするような仕事仲間もできていたものの、そのうちの1人が「東京の知らない電話番号から携帯に着信があった」と言ったのを聞いて、警察かマスコミが自分の居場所を掴んだのではないかと怖くなったのです。

 

その後、市橋は1回目の整形手術を受けて顔を変え、兵庫で働いた後に再び沖縄に向かいました。

 

しかし、沖縄で3ヶ月も生活すると稼いだお金も底をつきかけてしまいます。そこで再び、西成に戻り、以前とは違う会社に仕事をあっせんしてもらいながら逃亡資金を貯めました。

 

この頃には市橋にかけられていた懸賞金は、上限の1,000万円まで上がっていたといいます。

 

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出典:https://plaza.rakuten.co.jp/

 

飯場でTVを見ると必ずと言っていいほど自分が起こした事件の話をしており、「市橋達也は女装をして新宿に潜伏している」という嘘の情報が平然と報道されているのを知って憤ったこともあったそうです。

 

 

 

市橋達也の逮捕ときっかけとなった整形外科

 

西成での仕事で100万円近くを貯めた市橋は、再び整形手術を受けるために新幹線で福岡に向かいました。

 

この整形外科は大阪の漫画喫茶で安く整形できる病院を探していた時に見つけたそうで、施術例で別人のように顔が変わった写真が掲載されていたことから目をつけたといいます。

 

しかし、この病院では市橋の希望の手術は「出っ歯で悩んでいる人のためのものだから、かみ合わせが正常な人にはできない」との理由で断られてしまいます。

 

そこで市橋は仕方なく高速バスで名古屋に向かい、約40万円を支払って下の画像右の顔になりました。

 

出典:https://smcb.jp/worrying_questions/

 

しかし、この整形外科で手術を担当した医師が市橋の左頬に自分でほくろを切除した痕があるのを発見し、施術後に市橋達也だったのではないかと気づいて警察に通報。

 

このことがきっかけとなって、市橋の指名手配写真は整形手術後のものに刷新され、西日本に潜伏していると特定されてしまったのです。

 

手術を受けた後、市橋は福岡に移動し、ビジネスホテルに入ったところでTVを見て、自分の情報が刷新されていることを知ります。

 

そして急いで鹿児島に移動し、オーハ島に逃げようとしたものの、何度も利用しているフェリーターミナルには警察が配備されている可能性が高いと考え、大阪南港のフェリーターミナルから沖縄に渡ろうと考えました。

 

ところが、大阪南港に到着したところでフェリー会社の職員が市橋の存在に気づいて警察に通報。

 

最終的に大阪南港のフェリーターミナル待合室に警官が駆け付け、市橋達也は逮捕されたのです。

 

逮捕日は2009年11月10日。2年7ヶ月、合計961日にもおよぶ市橋の逃亡生活は幕を閉じました。

 

 

 

市橋達也の犯行動機

 

出典:https://plaza.rakuten.co.jp/

 

市橋は殺人、死体遺棄のほかに性的暴行致死の容疑で逮捕されており、犯行動機はリンゼイさんの強姦であり、彼女が逃げようとしたために強姦の口封じのために殺害したと判断されました。

 

犯行当時、市橋には恋人がいました。仲は決して悪くなかったようで、市橋は警察を振り切って自宅マンションを出た後、「一緒に逃げてくれないか」と頼むために彼女に電話していました。

 

しかし、彼女が出なかったために諦めて1人で逃亡したといいます。追い詰められた時に頼ろうと思えるような恋人がいたのに、なぜリンゼイさんを強姦してしまったのでしょうか。

 

千葉大学時代に空手同好会顧問として市橋と接していた本山直樹・千葉大学名誉教授は、「先の見通しもついていない状態で親御さんから仕送り中止を言い渡され、精神的に不安定になったのではないか」と、リンゼイさんを襲った理由について見解を語っていました。

 

 

 

市橋達也の裁判・判決

 

出典:http://blog.livedoor.jp/

 

市橋達也の初公判は、2011年7月4日に千葉地方裁判所で開かれました。裁判員裁判でした。

 

入廷した市橋は、検察官の後ろにリンゼイさんの父親や遺族が座っているのを見ると、いきなり無言で土下座をしたとされます。

 

そのまま数十秒、土下座を続けた後に職員に席に着くようにうながされてようやく立ち上がりました。

 

起訴内容は強姦致死と殺人、死体遺棄で、市橋は強姦については素直に認めたものの、殺意があったことは否定。しかし、リンゼイさんの死に対する責任は負うとして、謝罪の言葉を述べました。

 

裁判で注目されたのは市橋本人も否定した殺意の有無で、最初から殺そうと思って首を絞めたのであれば殺人罪が適用されますが、誤って殺してしまった場合には傷害致死となるため、罪の重さが変わってきます。

 

弁護側は殺意を否定して強姦罪と傷害致死罪のみ成立すると訴え、市橋が反省を見せていることからも有期刑が相当だと主張しました。

 

一方で検察は殺意はあったうえ、反省をしていたら事件後に逃亡などしていたいと指摘して無期懲役を求刑。

 

7月11日の判決公判で、裁判長は以下のように理由を語って市橋に無期懲役を言い渡しました。

 

堀田真哉裁判長は判決理由で「少なくとも3分は首を圧迫しており、明確な殺意があった」と認定。「性的暴行の発覚を恐れて殺害した動機は身勝手極まりない。長期間の逃亡で真相の解明を妨げ、刑事責任は非常に重い」と指摘した。

 

引用:市橋被告に無期懲役 英国人女性殺害で千葉地裁判決

 

ただ、強姦してから亡くなったまでの間には相当な時間があったことから、罪状は強姦および殺人とされます。

 

市橋と弁護側は依然として殺意を否定し、東京高裁に控訴しましたが、2012年4月11日には控訴審判決でも無期懲役の判決が下っています。

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リンゼイさんは市橋に首を絞められた際に、首の軟骨まで折れていたといい、殺意がなかったとはとても認められないと判断されたのです。

 

また、弁護側が主張した反省についても「減刑を目的に反省したふりをしている」と厳しく批判されました。

 

この後も弁護士や支援者らは上告を勧めましたが、市橋は無期懲役を受け入れて上告しませんでした。

 

そのため控訴審判決をもって市橋達也の無期懲役が確定したのです。

 

 

 

市橋達也の現在…結婚している?

 

無期懲役の判決を受けたため、市橋は現在も長野刑務所に服役中です。ただ、求刑も死刑ではなく無期懲役だったため、2042年には仮釈放審査があると見られています。

 

逃亡生活中の働き方を見る限り、真面目な性格ではあるのでしょう。そのため仮釈放で出てくる可能性もありますが、少なくとも2042年までは服役となります。

 

獄中結婚する受刑者もいますが、市橋に関してはそういった情報もないため、おそらく現在も独身でしょう。

 

また、市橋は逮捕後に手記『逮捕されるまで 空白の2年7カ月の記録』を上梓し、この印税をリンゼイさんの遺族に渡したいとしましたが、彼女の父親から断られています。

 

 

 

市橋達也の家族のその後・現在

 

出典:https://yamagata-dainigeka.jp/

 

市橋達也の両親は、息子が逮捕された当日の2009年11月10日に岐阜県羽島市で記者会見を開き、夫婦そろってマスコミに顔を出したうえで謝罪をしていました。

 

母親は「捕まえてもらってありがたかった」などと話し、父親も「あくまで息子はかわいいと思っているが、罪を犯せば償いをするのは社会の常識だ」と突き放した。

 

引用:逃走2年 英国人女性死体遺棄

 

両親は市橋の逃亡中もリンゼイさんの父親と連絡をとり、彼女の写真を送ってもらって毎日頭を下げていたといいます。

 

当時は「ここまで長く見つからないなんて、裕福な親が逃走資金を援助しているに違いない」と噂されていたのですが、両親はこれを強く否定し「息子からは一度も連絡がなく、もう死んでいるのではないかと思っていた」「生活力のない子だから、自殺を選ぶと思った」と語っていました。

 

事件後、両親は社会的地位のある仕事を辞めており、羽島市でひっそりと暮らしていたそうです。

 

教育虐待が囁かれていた母親は「あの子がやってしまったことは、すべて私の責任です。医者の仕事に耐えられる神経の持ち主ではないとわかっていたのに、医者になってくれればと期待してしまった」と後悔を滲ませていたといいます。

 

また、一部週刊誌の報道では「両親が遺族への賠償金を支払った」「リンゼイさんの父親が事件関係で来日する際には、市橋達也の親が渡航費用を負担していた」といった報道もされていました。

 

 

姉のその後

 

2015年5月に発売された『週刊女性』によると、事件の後、市橋の姉は離婚して医師の仕事も辞めたと報じられています。

 

現在は羽島市の実家で暮らしているとの話もありますが、定かではありません。

 

 

 

市橋達也が住んでいた現場マンションの現在

 

出典:https://www.youtube.com/

 

事件現場となった市橋達也の住んでいたマンションは、千葉県市川市福栄2丁目11−24にある分譲マンション「新日本サンライズ行徳」であることが明らかになっています。

 

7階建て、全49戸のマンションで、この4階の406号室に市橋は住んでいました。

 

もちろんマンションの建物は現在もあり、事件直後は値段が下がるのではないかと囁かれたようですが、立地の良さなどが魅力となって周辺相場と変わらない金額で売買されているといいます。

 

 

 

市橋達也のファンクラブの現在

 

2007年に事件が起きて以降、当時流行っていたSNSサイトのmixiには市橋達也の私設ファンクラブや、逃亡を応援するコミュニティが大量に発生しました。

 

出典:http://blog.livedoor.jp/

 

当時のスクリーンショットを見ると、「頑張れ市橋達也応援ファンクラブ」なるコミュニティにはなんと1,000人を超える参加者がいた様子です。

 

なかには興味本位で参加した人も多かったのでしょうが、これらのコミュニティでは市橋は「イッチ―」と呼ばれ、「俳優の○○に似ている」「出所してきたら結婚して更正させてあげたい!」などの書き込みもありました。

 

さらには「イッチ―は無罪なのに警察にはめられた」「みんなでイッチーを助けよう」という書き込みもあり、事件のことをまったく知らずに騒いでいた人も少なくなかったようです。

 

しかし、「市橋達也を応援している非常識な奴がいるらしい」ということがTVや週刊誌でも取り上げられるようになると、mixi側が対応に乗り出したのかコミュニティはほぼすべて削除されたといいます。

 

調べたところ現在も残っているものもあるのですが、それも2014年に更新が途絶えており、内容も市橋の愛読書を自分も読んでみたといった当たり障りのないものでした。

 

あまりにも非常識だと叩かれたこれらのファンクラブですが、実は特段珍しいことではなく、心理学では犯罪者に惹かれる心理やその人々を指す「ハイブリストフィリア」という言葉もあるほどです。

 

ただ、同情したり、更生を願ったり、犯罪者の容貌に対して密かにかっこいい、可愛いと思うのは自由ですが、ネット上で事件のこともよく調べていない人間が大勢集まって犯罪者を祭り上げるのは明らかに間違った行為だと言えます。

 

近年も安倍晋三元首相を銃殺した山上徹也をかっこいいと持ち上げる声がネット上で見られますが、犯罪者のファンだと公言することがどのようなことなのか、遺族の前でも同じことが言えるのか、一度考えるべきでしょう。

 

 

 

市橋達也についてのまとめ

 

今回は2007年に発生したリンゼイ・アン・ホーカー殺害事件の犯人で、事件後に2年7ヶ月にわたって逃亡生活を続けた市橋達也について紹介しました。

 

市橋に無期懲役判決が下った後、罪が重すぎると感じた人もいたようです。しかし、彼の手記を読むと「女装をして逃げ回るくらいなら死んだほうがましだ」といったように、死んだほうがましという表現が何回か出てきます。

 

まだ生きていたいと思う人の命を無下に奪ったわけですから、本当に反省していたら「自分は○○するくらいなら死んだほうがましだ」などという考えは出てこないのではないでしょうか。

 

亡くなったリンゼイさんのご冥福を祈るとともに、現在の市橋達也がきちんと自分の罪に向き合い、反省していることを願います。

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