鳥屋智成は、2018年1月に東京都大田区で発生した慶應義塾大学生父親刺殺事件の犯人です。この記事では鳥屋智成の生い立ちや父親、母親、兄弟ら家族との関係、経歴、犯行動機、祖父が有名漫才師という噂、実家や現在について紹介していきます。
この記事の目次
鳥屋智成と慶應義塾大学生父親刺殺事件の概要
2018年1月18日の22時頃、東京都大田区内で不動産管理会社経営の鳥屋多可三さん(たかみ・当時58歳)が刺殺されるという事件が発生しました。
鳥屋さんを刺した犯人は、慶應義塾大学に通っていた当時20歳の長男・鳥屋智成。
鳥屋智成は、酒に酔って帰宅した鳥屋さんが自宅リビングで弟に説教をしているところを止めに入り、「やめないなら刺すぞ」と果物ナイフを持ち出したといいます。そして、鳥屋さんの腹部を1度刺して殺害したとのことです。
母親が通報したことにより鳥屋智成は現行犯逮捕されましたが、事件が報道されると何一つ不自由のないエリート一家の長男がなぜ実の父親を、と注目を集めました。
そして後の調べで、鳥屋智成には父親からの虐待でできたと思しき痣があることが発覚。
友人ら周囲の人々からも「父親の暴力が酷いと悩んでいた」との証言が出て、父親の家庭内暴力から弟を庇おうとして事件を起こしてしまった可能性が浮上します。
さらに事件前に鳥屋智成は公認会計士の資格試験に落ちており、心身のバランスを大きく崩していたことなども明らかになりました。
最終的に2019年に行われた裁判では、鳥屋智成は統合失調症の疑いがあるとして懲役3年、執行猶予5年が言い渡されています。
鳥屋智成の生い立ちと経歴① 家族構成・出生から中学時代
鳥屋智成は1997年に東京都内で誕生しました。家族構成は父親と母親、そして3歳年下の弟の4人。
父親の多可三さんは30代後半で初めてできた子どもということもあって、幼い息子を溺愛していたといいます。
経済的にも恵まれた環境で育った鳥屋智成は、明るく優しい少年だったそうで学校の成績も優秀でした。
小学校高学年の時に中学受験の勉強を始めるようになり、慶応大学卒のエリートであった父親の多可三さんも勉強を教えたり、塾の送迎をしたりと積極的にサポートをしていたそうです。
その甲斐もあって、中学は見事に慶應義塾湘南藤沢中等部に合格。中学校入学後は空手部に入部し、英会話教室に通って熱心に英語を学ぶという文武両道の学生生活を送りました。
友人関係も良好で、部活では後輩の面倒見もよく人望もあったとのことで、傍から見ると充実した悩みのない学生に見えたといいます。
しかし、鳥屋智成が中学にあがる頃になると父親の多可三さんは酒に酔っては家で妻や息子たちに暴力を振るうようになっていたそうです。
鳥屋智成もテストの点数が思わしくないなどの理由で、暴言を吐かれたり殴られたりといった目に遭っていました。
とくに鳥屋智成は国語や古文などがとても苦手で、文系科目はいつも赤点ギリギリだったといい、このことで多可三さんに殴られることは一度や二度ではなかったとのこと。中学時代からの友人も、以下のように証言しています。
「父親のことを『昭和のお父さん』と言い、ごく少数の親しい友人には父親が兄弟や母親にまで暴力をふるうことを明かしていた。数学はできたが、文系科目が苦手で、いつも留年ギリギリ。父親と成績のことで殴り合いのけんかをしたと話したこともあった」
鳥屋智成の生い立ちと経歴② 高校時代・父親との関係
慶應義塾湘南藤沢高等部に進学すると、お洒落に関心を持つようになったという鳥屋智成。友人の話によると、好きな服が似合う体系になりたいと言って筋トレをして体を絞っていたそうです。
友人と遊ぶ時も服装にはこだわり、部屋もいつも綺麗に掃除していたといいます。また、高校生になっても家族思いの性格で、3歳年下の弟にはかかさず誕生日プレゼントを渡していました。
友人や部活の後輩からも「電車で席を譲る姿をよく見た。いつも周りをよく見ていた」「優しい先輩で、部活帰りにもよく遊びに誘ってくれた」という話が出ています。
しかし一方で、高校2年生の時に鳥屋家では父親と息子の関係を変えるある事件が起きていました。
自分も高校2年生、弟は中学2年生という多感な時期を迎えて、鳥屋智成は多可三さんに初めて「自分の部屋が欲しい」と要望を伝えたそうです。
いくら同性の兄弟とはいえ、思春期にもなれば自宅内にプライベートな空間がないのは誰だって嫌でしょうし、逆によく高校生になるまで我慢できたなという印象を受けます。
ところが、多可三さんは息子の願いを聞き入れませんでした。母親の証言によると、この頃になると父子の関係は悪化しており、家庭内では以下のような言い争いが起きていたそうです。
「高校時代、夫と成之はよく衝突していました。夫は酔った勢いで子供たちに向かって『誰のおかげで飯が食えていると思ってるんだ』とか『俺の言うことを聞かなければ学費は払わないぞ』などと言っていました。反論を許さない性格だったので、成之が言い返すと胸ぐらをつかんで怒鳴ることもありました」
多可三さんが家庭内で発していたという暴言は、現在ではモラハラだと批判されるものです。たとえ酔っぱらった状態でも、養育義務がある我が子に言ってよい言葉ではありません。
それでも、これまでは父親の度を越した暴言や暴力の前に、素直に引き下がっていたという鳥屋智成。
しかしついに堪忍袋の緒が切れたのか、部屋のことで言い争いになり、自分を突き飛ばしてきた多可三さんを殴り返したのです。
高校生にもなれば50を過ぎた父親よりも息子の方が力もあり、体格でも勝っているのが一般的です。
いつの間にか成長していた息子に反撃されたのがショックだったのか、多可三さんはこの一件以降、「智成の意思を尊重しよう」と考えるようになったといいます。
鳥屋智成の生い立ちと経歴③ 大学入学後・挫折
高校卒業後、鳥屋智成は慶応義塾大学の経済学部に進学します。大学に入るとダンスサークルの活動に没頭するようになりました。
2年生になると多可三さんから「就職活動前に何か資格を取っておきなさい」と勧められ、公認会計士を目指して勉強を開始します。
なお、公認会計士を目指した理由について鳥屋智成は親しい友人に以下のように語っていました。
「明るいときと暗い時の落差が激しい感じがあった。高校時代に彼が『自分はどちらか言えばネガティブ。友達を作るのが苦手なんだよね』と話すのを聞いた。大学に入ってからは『自分は営業系の仕事には向かないから、公認会計士を目指す』と話していた」
ところが2017年6月に公認会計士試験に近い難易度とされる日商簿記1級の試験を受けたところ、結果は不合格。
この初めての挫折がこたえたのか、鳥屋智成には奇行が見られるようになっていきました。
友人によると、構内であっても下を見ていて挨拶を返さないようになり、次第に姿も見かけなくなっていったといいます。また、母親からも下のような証言が公判時に出ていました。
「簿記の試験に落ちてから、成之は変りました。試験をあきらめると言って予備校を辞めてしまいました。それまではファッションに気をつかってコンビニへ行くにも着替えるほどだったのに、髪はボサボサで髭は伸び、家族とも必要最低限の会話しかせず、部屋に閉じこもっていました。私が一番気にかかったのは、目つきが別人のようになっていたことです」
家に引きこもるようになった鳥屋智成は、ご飯にマヨネーズやケチャップなどをかけたものを食べては嘔吐を繰り返すなど、摂食障害のような行動まで見せていたそうです。
ほかにもトイレに入るたびに、飾ってある人形を必ず自分と目が合わないように後ろ向きにする、リビングからTVの音が聞こえると「うるさい!」と激怒するなど、以前の温厚な様子からは想像ができないほど奇妙な行動が目立つようになったといいます。
母親は息子を心配して心療内科や専門のクリニックに連れて行った方がいいのではないか、と夫の多可三さんに相談したそうですが、多可三さんは「あいつは大丈夫だから」と診察は必要ないと言ったとのこと。
こうして、そっとしておけばいつか息子は落ち着くだろうという願望に両親が縋ってしまい、事件が起きたとされます。
鳥屋智成が慶應義塾大学生父親刺殺事件を起こすまで・事件当日の詳細
事件が起きる数日前に鳥屋智成は両親に「1人暮らしをしたい」と切り出しており、事件発生の2日前には大学近くのアパートの内覧に行って、多可三さんからも環境を変えたほうが良いだろうと1人暮らしの許可が下りていたといいます。
しかし1月18日の夜、20時頃に弟が多可三さんから借りたジャージをなくしたことを気に病みながら部活から帰宅。
その1時間後の21時過ぎに多可三さんが酒に酔って帰宅し、貸したものをなくしたと弟を詰り始めたのを聞き、自室にいた鳥屋智成が激怒して口論に発展したといいます。
口論のなかで「空気が悪くなるから、弟を叱るのはやめろ」と言った鳥屋智成に対して、多可三さんは「引きこもって奇行を繰り返しているお前の方が、家の空気を悪くしている」と反論したそうです。
精神のバランスを欠いていた鳥屋智成にとって、これは許せない言葉だったのでしょう。
「俺は悪くない!」と叫ぶと、果物ナイフを持ち出して振り回し、リビングのカーテンを切り裂いて暴れました。
そして「やめないと、刺すぞ!」と多可三さんを脅し、「智成!」と叫び制止しようとした多可三さんの腹部にナイフを突き立てたとされます。
この時、鳥屋智成は多可三さんに「死んじゃえ」と言っていたとのことです。
鳥屋智成が慶應義塾大学生父親刺殺事件を起こした動機
逮捕後、鳥屋智成は父親の多可三さんを殺害した理由について「感情的になり、刺した」と供述していました。
彼の逮捕後には父親への積年の恨みが原因だったのではないかという憶測が飛び交いましたが、鳥屋智成本人は、公判で以下のように動機を語っています。
・父は死にたがっていた。僕を使って自殺をしようとしていたから、殺した。
・父が無理やり結婚をさせようとしてきたから殺した。
・父は僕に殺されたがっているようだったから、手を貸した。
・僕の恋愛に干渉しようとしたが、できなかったため弟を標的にした。だから殺した。
支離滅裂です。母親の証言でも結婚の話などは出ていませんし、妄想と現実が入り混じっているような印象を受けます。
証人として出廷した医師によると、鳥屋智成には統合失調症の症状がみられるといいます。
公判でも鳥屋智成は両手で口や鼻をふさいできょろきょろと周りを窺う様子が見られたといいますが、これも統合失調症の症状の一種なのだそうです。
これまで父親の期待に応えようと暴力や暴言にも耐えて頑張ってきたにもかかわらず、資格試験に落ちてしまい、辞めたいとも言い出せない八方塞がりの状況が辛かったのでしょうか。
もしかしたら、母親が専門の病院に連れて行ったほうが良いのではないかと感じた時に、きちんと病院を受診させて適切なケアを受けていれば防げた悲劇だったのかもしれません。
鳥屋智成と家族の現在
鳥屋智成は2019年3月12日に開かれた判決公判で、懲役3年、執行猶予5年を言い渡されました。
被害者が血縁者だったこともあるのでしょうが、検察も控訴しなかったため鳥屋智成の刑はこれで確定しています。
執行猶予がついていますから現在も鳥屋智成は普通に暮らしているものと思われますが、どこでどのような生活を送っているのかは不明です。
また、事件現場となった実家のマンションは「東京都大田区南雪谷5丁目」にあることは報じられていますが、具体的な場所は明かされていません。
現在も同じマンションで暮らしているのか、一家で引っ越したのかも不明です。
鳥屋智成に関する噂① 祖父が有名漫才師だった?
鳥屋智成の父方の祖父、つまり被害者となった多可三さんの父親は、有名漫才師「コロムビア・トップライト」のコロムビア・ライトこと鳥屋二郎さんであることが明らかになっています。
ただ、多可三さんは自分の父親が漫才師ということをコンプレックスに感じていたとの話もあり、同級生からは「コロムビア・ライトさんの話をされると、見境なく暴力をふるってきた」との証言も出ていました。
鳥屋智成に関する噂② 兄弟と苗字が違う?
鳥屋智成の3歳下の弟も優秀だったようで、事件当時は慶応義塾高校に通っていたとのことです。
この弟ですが、事件当時は閲覧できた鳥屋智成のFacebookでなぜか家族の中で1人だけ「安藤」という姓になっていたといい、一時期話題になっていました。
なぜ弟だけ姓が違うのかは不明ですが、母方の祖父母と養子縁組をしたいたなどの事情があるのかもしれません。
なお、鳥屋智成のFacebookのFacebookは現在はアカウントが削除されています。
鳥屋智成と慶應義塾大学生父親刺殺事件についてのまとめ
今回は2018年1月に発生した慶應義塾大学生父親刺殺事件の犯人・鳥屋智成について、父親との確執や生い立ち、経歴、犯行動機を中心に紹介しました。
この事件では鳥屋智成に対して同情的な声が集まる反面、「イケメンで頭もよく生まれたんだから、少しは我慢しろ」と、俗にいう親ガチャに成功したのだから多少のことは耐えろという意見も少数ながらネット上では見られました。
しかしやはり、いつ自分だけではなく弟まで殴られるのかわからない緊張した家庭というのは、いくら裕福でも教育レベルが高くても耐えられるものではありません。
今後、鳥屋智成がきちんとしたケアを受け、自分のやってしまったことに向き合えることを願います。