「寝屋川強盗致死事件」の主犯格で自称ラッパーの持田多嶺が話題です。
この記事では持田多嶺の生い立ちや出雲の実家や家族、結婚、これまでの経歴や中退した高校、ラッパー活動やアパレルブランド立ち上げ、寝屋川強盗致死事件の概要や裁判、判決や現在の様子などについてまとめました。
この記事の目次
持田多嶺は寝屋川強盗致死事件の犯人の1人で自称ラッパーの女
持田多嶺(もちだ・たね)は、2022年3月1日の23時50分頃に大阪府寝屋川市で発生した「寝屋川強盗致死事件」の犯人の1人です。
持田多嶺の事件当時の年齢は21歳で、職業は「自称ラッパー」と報じられています。
大阪府寝屋川市の美容室敷地内で専門学校生の男性(20)が刺殺された事件で、大阪府警は9日、強盗殺人容疑で、住所不定の自称ラッパー、持田多嶺(たね)容疑者(21)を逮捕したと発表した。
持田多嶺は、光亮斗(ひかり・あきと。事件当時20歳・無職)、岩川榛(いわかわ・はる。事件当時19歳)、阿世知雅斗(あせち・まさと。事件当時18歳)ら、3人の知人男らと共謀し、専門学校生・吉村竜さん(当時20歳)を呼び出して殺害し、現金約13万円の入ったバッグなどを奪いました。
殺害された吉村竜さんは大麻など違法薬物の密売人をしてお金を稼いでいた事がわかっており、持田多嶺が、他の3人に「プッシャー(薬物の密売人を表す隠語)を叩こう」などと言って犯行を持ちかけた事などが裁判記録などから明らかになっています。
こうした裁判記録などから、持田多嶺は「寝屋川強盗致死事件」の主犯格だったと見られており男3人を従えた女性の主犯として注目されています。(今後の裁判で別の事実が判明してくる可能性はあるものの)
今回はこの持田多嶺について現在までに判明している内容を、インターネット上の匿名のタレコミ情報なども含めてまとめていきます。
持田多嶺の生い立ち
持田多嶺の生い立ちについては、過去に使用していたFacebookや逮捕前まで使用していたインスタグラムの投稿に付けられたハッシュタグの内容などから高校卒業頃までは島根県出雲市で生活していた可能性が高い事がわかっています。
詳しい生い立ちは不明ですが、少なくともFacebookに投稿されていた画像から受ける印象は、中学生の頃までの持田多嶺は、どこにでもいるような、ギャルといった事もなくむしろ真面目そうなタイプの少女だったようです。
ただ、後述しますが、持田多嶺は高校に進学してからは生活が少しずつ荒れ始めた事も過去のSNSへの投稿などから読み取れます。
持田多嶺の実家は島根県出雲市か
持田多嶺の実家は、「島根県出雲市」にある可能性が高いと見られています。
生い立ちのところでも触れたように、持田多嶺のインスタグラムやFacebook、Twitter(現在は削除)などのSNSが特定されており、そこに投稿された内容や画像などから島根県出雲市の出身である可能性が極めて高いと見られるためです。
ただし、持田多嶺の実家の詳細な場所の特定は現在のところはされていないようです。
持田多嶺の家族
持田多嶺の家族についての情報はほとんど何も出ていません。両親や兄弟など家族構成も一切不明です。
インターネット上の匿名掲示板では、持田多嶺と家族の関係が悪く、それが今回の事件を起こす事につながったという声と、家族とは仲が良かったが地元の島根県出雲市から大阪に出て来て、家族と離れてから様子がおかしくなったといった正反対の声があります。
しかし、いずれも匿名掲示板で関係者を名乗って投稿された内容で信ぴょう性は高くありません。
持田多嶺のインスタグラムやTwitter、FacebookなどのSNSは軒並み特定されていますが、そうしたものにも家族についての書き込みや家族との画像投稿などは全くありませんでした。
関係者を名乗る匿名の人物の書き込みでは、持田多嶺が過去にSNSに母親とのツーショット画像を投稿していた事があったようですが現在はそのような画像は確認できません。(同世代の友人を私のmamaと冗談で書いている画像は確認)
持田多嶺の結婚
出典:https://parupunte-life.com/
持田多嶺は結婚はしておらず独身でした。これまでにも結婚歴があるといった情報は出ていません。
また、持田多嶺は2018年頃には彼氏がおり、半同棲のような生活を送っていた事がわかっていますが結婚はせずこの男性とは2019年までに別れているようです。
5 月 3 日
誕生日&2month
ディズニーで制服デート✌
まさか彼女とディズニーくるなんて思ってなかったし制服なんて着ることないと思ってた
すっごい大好きだからこれからも持田多嶺とずっと一緒にいまーす☺️
では次は3monthツイートで pic.twitter.com/eeh24L6m07— たくみ (@T_CELSIOR30) May 3, 2018
持田多嶺はこの当時交際していた男性に対しては、お弁当を作ったり、手料理を振舞ったりしており、彼氏にかなり尽くすタイプの性格だった事も窺えます。
持田多嶺の経歴① 本人Twitterプロフ欄に書かれていた内容
持田多嶺の経歴についても詳しい内容は明らかになっていません。
ただ、持田多嶺のTwitterのプロフィール欄には「島根→大阪・BARLiberate店長・LSL事業担当、専属モデル」とのこれまでの経歴を思わせる記載がありました。
これをヒントに持田多嶺の経歴について探っていくと、持田多嶺は高校を中退後に地元の島根県出雲市から大阪へと出てきて、大阪の繁華街であるミナミのとあるバーで店長として働いていたようです。
そして、19歳の頃に「L.S.L」という自身のストリート系のアパレルブランドを立ち上げ、自らモデルのような事もしていたようです。
持田多嶺の経歴② 2019年初め頃に監禁被害に遭ってから異変か
匿名掲示板に関係者を名乗る人物により、持田多嶺は「畑」という名前の彼氏と付き合い始めて、働かされて金を取られたり、監禁されたりしてからおかしくなったという内容が書き込まれました。
これを裏付けるように、2020年1月に持田多嶺のインスタに2019年1年を振り返るような内容で以下の書き込みが確認できます。
年明けから横浜で監禁もされたし、辛すぎてGUCCIのベルトで何回も死のうともしたし、でもそのおかげで13㌔痩せたし
自分でハサミで手のひらぶっ刺したり、急に叫んで器物破損しだしたり精神的におかしかったり、毎日腕ぼこぼこでアザだらけの時期もあったし
この投稿内容が事実であれば、持田多嶺は2019年の年明けに横浜市で監禁被害に遭っていたようです。
さらに、持田多嶺はその後についてもおかしな内容を続けています。
持田多嶺は、心霊現象にあったとしてお祓いを繰り返し受けていたと書いています。また、同時期にあちこちの警察のお世話になっている事も書いています。
寝屋川強盗致死事件の裁判では、持田多嶺が違法な薬物の使用を仄めかす発言をしていた事も明らかにされているため、この頃に持田多嶺は何らかの違法な薬物に手を出すようになり、行動がおかしくなって行った可能性なども考えられます。
生霊やいろんな霊に取り憑かれすぎて有りえん事起きまくりすぎてお祓いしまくった時期もあったし
広島の警察署、渋谷交番、道玄坂交番、走水交番、出雲の本署で沢山お世話になった時期もあったし
そして、詳しい内容は不明ながら、持田多嶺は交通事故を起こすなどして何度か車を廃車にし、運転免許取り消しの処分を受けているようです。
その後、ヤケクソになって大阪へと移住。上で見たように大阪ミナミのバーの店長におさまったという流れだったようです。
車は廃車にしまくったら免許無くなったし
やけくそで免取りになった三日後に、知り合いもおらんし何のあてもなく1人で大阪に引っ越したら以外とすんごい楽しかったし。
持田多嶺の経歴③ アパレルブランド「L.S.L」の立ち上げ
地元の島根県出雲市から横浜市での監禁を経て、2019年に大阪府へと移住した持田多嶺は、19歳だった2020年頃にアパレルブランド「L.S.L」を立ち上げて起業しています。
しかし、このアパレルブランドのオフィシャルインスタやウェブサイトなどはその後すぐに閉鎖されており、事業はすぐに手仕舞いしたようです。この時期に持田多嶺は大金を見せびらかすような投稿もインスタにしており、アパレルブランドで小金を稼いでさっさと撤退したようにも見えます。
また、同時期には持田多嶺は何らかの違法薬物を吸引している事を匂わせる投稿もインスタグラムで行っています。(ストローで何かを鼻から吸引している画像を以下のハッシュタグを添えて投稿)
#食わずに吸うだけ #食わずに吸うだけ #食わずに吸うだけ #くだいて吸うだけ #食わずに吸うだけ #食わずに吸うだけ #食わずに吸うだけ #食わずに吸うだけ #食わずに吸うだけ #まちがいさがし
持田多嶺の経歴④ ラッパーとして活動
出典:https://parupunte-life.com/
持田多嶺は2021年の中頃から、「ThCHANEL」という名義でラッパーとして活動していました。
持田多嶺のインスタにはラッパー活動での楽曲音源がいくつもアップされています。
また、音声ファイル共有サービス「SoundCloud」にも音源をアップしています。持田多嶺のラッパーとしての楽曲は現在確認できるもので「路地裏」、「Revenge (feat.linkway)」、「FOOL。」、「 (feat.ThCHANEL,MC.OGN)」、「Fuck」、「(MC.OGN.ThCHANEL)」、「❌(ThCHANEL.MC.OGN)」、「SAD」、「(ThCHANEL feat. MC.OGN)」、「(MC.OGN ThCHANEL)」などがあり、クラブやライブハウスでのライブ活動も行うなど、それなりに本格的に活動していたようです。
下は持田多嶺のラッパー活動での楽曲をバックにして、寝屋川強盗致死事件のニュース報道などの映像を絡めて編集されたYouTube動画です。
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=1Dc5tc2ZjSw]
持田多嶺の出身高校
持田多嶺の出身高校ですが、過去のSNS投稿などにより、「島根県立出雲農林高校」(偏差値40)の可能性が高いと見られています。
これは、持田多嶺がインスタグラムなどに高校時代の制服を着用した画像を投稿(制服のエンブレムが農林高校のものと一致)していた事や、ある友人について「農林からの仲」と投稿していた事などから特定されました。
優奈とは農林からの仲だけど、いつのまにかめちゃくちゃ急に仲良くなってたよね \(◡̈)/
さらに、インスタの投稿内容から、持田多嶺が高校時代から学校をサボるなど非行に走り始め、最終的には高校を中退している事なども明らかになっています。
授業めんどくさくてよくサボって松江いったり、学校のチャリ小屋まで行ってめんどくさくなって「Uターン!」とか言って帰って暇になって校舎の周りで先生から逃げるゲームしたりもしたね
結局2人ともほぼ同じ時期に辞めてしまったけど。笑
ちなみに、持田多嶺の出身中学は、島根県出雲市大津町にある公立校「出雲市立第一中学校」
である事もわかっています。これは、持田多嶺が過去に使用していたFacebookにこの中学の制服姿の画像が投稿されていた事から判明しています。
持田多嶺の起こした寝屋川強盗致死事件の概要
持田多嶺の起こした「寝屋川強盗致死事件」の概要についても改めて紹介しておきます。
寝屋川強盗致死事件は、2022年3月1日の23時50分頃、大阪府寝屋川市の路上に面した美容室の敷地内で、当時20歳の専門学校生・吉村竜さんが催涙スプレーを顔にかけられた上、特殊警棒などで殴打されて転倒させられた上、背中を刃物で刺されて殺害され、現金約13万円などが入ったバッグが奪われた強盗致死事件です。
裁判記録によれば、事件の発端は、持田多嶺が事件当日に、3日前に知り合ったばかりだった岩川榛(事件当時19歳)と、共通の知人である光亮斗(事件当時20歳)、阿世知雅斗(事件当時18歳)の3人に「プッシャー(薬物密売人)を叩こう」と犯行を持ちかけた事でした。
「プッシャー(薬物の密売人を表す隠語)をたたこう」。岩川被告が持田多嶺(たね)被告(22)=同罪で起訴=からこう持ちかけられたのは、事件当日のことだ。
そもそも犯行グループ4人の関係性は薄く、岩川被告が来阪したのもわずか3日前。知人を介して知り合っただけの関係で、持田被告とは初対面だった。
「プッシャー」とは違法な薬物の密売人を指すスラングで、持田多嶺は違法薬物(この事件では大麻リキッド)を購入するふりをして、違法薬物の密売人をしていた吉村竜さんを呼び出し、襲撃して殺害し金を奪ったという経緯でした。
実行役は持田多嶺以外の男3人で、それぞれがナイフや特殊警棒などで武装して、吉村竜さんが指定したコンビニエンスストアへ向かいました。
このコンビニの防犯カメラには持田多嶺ら4人が、吉村竜さんが1人で来るかを確認する様子が記録されており、1人で来たのを確認した上で人気のない場所へと移動し犯行に及んだと見られています。
警察が、当初の待ち合わせ場所だったコンビニの防犯カメラを調べたところ、4人が事件前コンビニを訪れた男性の様子をうかがっていたとみられることがわかりました。
その後、4人は待ち合わせ場所を変更していて、警察は、男性がひとりで来るかを4人で確認した上で、人通りのない場所を選び、犯行に及んだとみています。
引用:専門学校生が1人で来るか事前に観察か 大阪・寝屋川強盗殺人 「私は事件の現場にはいない」自称ラッパーの女は容疑否認
犯行現場付近の防犯カメラには、持田多嶺以外の3人が被害者の吉村竜さんに襲いかかる様子が記録されていました。
この時、持田多嶺はスマートフォンでその様子を撮影しており、吉村竜さんが背中を刺されて力尽きた時には「うわーかわいそう。ははは、動かなくなったじゃん」などと発言し、持田多嶺の笑い声も入っていたという事です。
持田被告は専門学校生が力尽きる様子を動画で撮影していた。「うわーかわいそう。ははは、動かなくなったじゃん」。動画には笑い声が記録されていた。
持田多嶺ら4人は、吉村竜さんのバッグを奪って現場から逃走しています。逃走には持田多嶺が運転する車が使用されており、その様子も近くの防犯カメラに記録されていました。
事件から6日後の2022年3月7日、大阪府警により、光亮斗、岩川榛、阿世知雅斗の3人がまず強盗殺人の容疑で逮捕されました。
そして、それから2日後の3月9日に、大阪府警は地元の島根県出雲市に逃亡していた持田多嶺も強盗殺人の容疑で逮捕しました。
持田多嶺は、警察の調べに対して「私は事件現場にはいませんでした」などと容疑を否認していました。しかし防犯カメラにバッチリその姿が記録されていた事や、犯行時の様子をスマートフォンで撮影していた事などから、そんな主張が認められるわけもありませんでした。
その後、2022年3月29日に、大阪地検は持田多嶺と光亮斗の2人を強盗致死(故意の殺人とは認められなかった)で起訴。
事件当時19歳と18歳の少年だった残る2人は、3月28日に家裁送致された後、4月22日までに強盗致死の容疑で逆走され、4月28にはこの2人も強盗致死罪で起訴されています。
持田多嶺の裁判での判決は懲役20年の実刑(一審判決)
持田多嶺の裁判は大阪地裁で開かれ、2022年12月22日に大阪地裁で判決公判がありました。
持田多嶺に裁判(第一審)で言い渡された判決は「懲役20年(求刑は25年)」でした。
大阪府寝屋川市で3月、専門学校生=当時(20)=を刃物で死亡させて現金を奪ったとして、強盗致死罪に問われた、いずれも無職の光亮斗(ひかり・あきと)被告(21)と持田多嶺(たね)被告(22)の裁判員裁判の判決公判が22日、大阪地裁で開かれた。坂口裕俊裁判長は光被告に懲役22年(求刑懲役25年)、持田被告に懲役20年(同25年)を言い渡した。
同じく事件当時成人であった光亮斗は懲役22年の判決で持田多嶺よりも重い判決となりましたが、これは実際に暴行に加わったかどうかが考慮されたようです。
いずれにしても、持田多嶺は事件の主導的な立場だったと判断され、実際に暴行に加わっていなくともかなり重い判決が下される事になりました。
持田多嶺の現在
持田多嶺は第一審で懲役20年の判決が下されましたが、この判決に対して控訴したかどうかについての報道が出ていません。
控訴期限は判決から2週間なので、現在は既に判断を下していると思われますが、控訴していた場合は現在も拘置所に収監されていると思われます。
一方、判決を受け入れて刑が確定していた場合は、持田多嶺は現在はすでに刑務所へと送られていると思われます。
まとめ
今回は、2022年3月1日に大阪府寝屋川市で発生した「寝屋川強盗致死事件」の犯人・持田多嶺についてまとめてみました。
持田多嶺の生い立ちについては、島根県出雲市の出身の可能性が高く、中学までは真面目だったものの高校から生活が荒れて中退し、その後は実家を出て大阪へ移住した可能性が高い事などが判明しています。
中退した高校については「島根県立出雲農林高校」の可能性が高い事が判明しています。
家族や結婚などの情報は現在のところ出ておらず不明です。
経歴については、高校中退後に大阪へ移住し、バーの店長などを経てアパレルブランドの立ち上げ、ラッパー活動などをしていた事などがわかっています。
持田多嶺は寝屋川強盗致死事件では主導的な立場にあったとされ、裁判では懲役20年の判決が下されました。
現在については不明ですが、仮に控訴していれば拘置所で、控訴していなければ刑務所で過ごしていると思われます。