ミイラというと「エジプト」を思い浮かべる人が多いと思いますが、実は全世界で作られていたことを知っていますか?もちろん、日本にもミイラはあります。
ミイラの作り方やマリアや少女ロザリアなど世界の有名な本物のミイラや日本のミイラの事例、ミイラが作られなくなった理由などをまとめました。
この記事の目次
ミイラとは乾燥保存された遺体
ミイラとは乾燥させたことで、白骨化されずに原型をとどめている死体のことです。
人間や動物が死ぬと、そこから腐敗が始まります。そして、そこから白骨化していき、「骸骨」のようになってしまいます。
そのため、人間が死ぬと、普通は骨しか残らなくなるのです。
ただ、ある一定の自然条件に置かれた死体や人為的に急激に乾燥させた場合、腐敗を進ませる細菌の活動が弱まるため、腐敗が進まなくなり、原形を残したまま長期間保存できるようになります。
ミイラは死体が腐敗するよりも早く乾燥させることで作られます。水分が人体重量の50%以下になると、腐敗の信仰が弱まるので、ミイラが作られやすくなります。そのため、ミイラは空気の乾燥が強い砂漠などで見つかることが多いです。
しかし、それでも内臓が腐敗しなくなるまで乾燥することは珍しいため、自然に作られたミイラは少ないとされています。
ミイラは昔は薬だった
実は、ミイラは昔薬として重宝されていたことを知っていますか?16~17世紀のヨーロッパではミイラは一般的な薬として広く使用されていたんです。ミイラはどんな病気にも効く万病の薬・不老長寿の薬とされていました。
ヨーロッパでは「ミイラが万病に効果がある」と信じられ、上流階級御用達の高級な薬となりました
そのため、ミイラ取り(ミイラを発掘して盗み出す)を仕事とする人も増えました。しかし、ミイラを盗るためには、お墓の中に忍び込んだり、砂漠を超えたりしなければならないので、ミイラ取りは危険な仕事でした。このような仕事があったために「ミイラ取りがミイラになる」ということわざが生まれたとも言われています。
そして、エジプトから盗み出されたミイラは、ヨーロッパなどに輸出されました。
こうして盗み出されたミイラは、中東や北アフリカ、そして交易の果てにヨーロッパへと持ち出されるようになります。盗み出されたミイラが「薬」として取引されたことも13世紀頃の記録として残っており、「農民がアルバイトでミイラを掘り出している」と記されています。
さらに、日本にも持ち込まれるようになったのです。日本でもミイラは薬として人気があり、大名たちはミイラを服用していたとされています。ちなみに、江戸時代のミイラの効能は次のようなものとして記されています。
打ち身や骨折箇所に塗る。虚弱や貧血に桐の実の大きさに丸めたミイラの丸薬を一日一、二度ほどお湯で服用する。産後の出血、刀傷、吐血、下血のさいに服用する。気疲れ、胸痛、痰たんがあるときは、酒や湯と一緒に飲む。しゃくり胸痛も同様。虫歯には患部の穴に蜜を加えてミイラをつける。頭痛、めまいは湯とともに服用。毒虫や獣に咬まれたときは粉末にして油を加えて塗る。妊婦が転んで気を失ったときは、ミイラを火で炙って、そのにおいをかがせるとよい。痘疹が出たときは、身体を温めてから服用する。食あたりはお湯で、二日酔いは冷水で服す
引用:江戸の人々が「エジプト産ミイラ」を薬として珍重していたワケ 単なる「迷信」というわけでもない (3ページ目) | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン)
打ち身、骨折、虚弱や貧血、産後、刀の傷、吐血や下血、気疲れ、胸痛、痰、虫歯、頭痛、めまい、毒虫や獣の咬傷、痘疹、食あたり、二日酔い。これらがミイラの効能です。本当に万能薬だと考えられていたんですね。
ミイラの本物の作り方
本物のミイラの作り方を見ていきましょう。ミイラは乾燥させて作りますが、実際には内臓まで乾燥させるのは難しいです。
エジプトで作られていたミイラの作り方をご紹介します。
1.遺体を洗う
2.鼻の穴から細長い棒を差し込んで脳を液状化させてからかきだす
3.内臓(消化器・肺・肝臓など)を取り出す
4.腹部に没薬を詰める
5.全身をナトロンで覆ったり、塩漬けにして乾燥させる
6.乾燥したら化粧や整髪をして、装飾品をつける
7.死体に防腐剤を塗る
8.樹脂に浸した包帯を巻きつける
9.棺に納める
脳や内臓を乾燥させるのは難しいので、エジプトでは脳と内臓は取り出してから乾燥させていました。
没薬とは殺菌作用がある赤褐色の植物性ゴム樹脂のことで、古代エジプトではミイラ作りの遺体の防腐処理に使われていました。ナトロンとは炭酸ナトリウム10水和物と炭酸水素ナトリウムを主成分とする鉱物で塩湖が干上がったところにできるものです。
ミイラと言えば、包帯が巻かれているイメージがありますが、あれは防腐処理をしているだけでなく、脆い遺体を崩れないように固定する目的もあるんです。
ミイラを作るためには約70日の期間が必要になります。自然環境だと、3ヶ月間かかりますので、人為的に防腐剤などを用いてミイラを作ると少し期間が短くなるんですね。
世界のミイラ①:エジプトのミイラ
世界のミイラの事例、1つ目はエジプトのミイラです。やはりミイラと言えば、エジプトのミイラですよね。
古代エジプトでは紀元前3500年前ごろには人工的なミイラ作りが開始していたとされています。エジプトではファラオなどの王族・貴族だけでなく、一般庶民や犬・猫・ワニ・ヒヒ・トキなどの神の化身とされた動物のミイラも作られています。
この古代エジプトのミイラたちは、後世になると万能薬として人気になっただけでなく、燃料としてもつかわれるようになりました。ミイラは松ヤニがしみ込んでいたので、工場や蒸気機関車の燃料として使われましたし、ミイラの包帯は一般家庭の調理のための燃料として使われていました。
ミイラを燃料にするってなんだかすごいですね。
世界のミイラ②:少女ロザリア
世界の有名なミイラの2つ目は、少女ロザリアです。少女ロザリアとは、「世界で最も美しい少女のミイラ」と呼ばれることもあるミイラです。
少女ロザリアの名前はロザリア・ロンバルドと言います。1918年12月13日生まれましたが、1920年12月6日に1歳11か月で肺炎のために亡くなり、イタリアのパレルモにあるかプチン・フランシスコ修道会の地下納骨堂に葬られています。
少女ロザリアはエンバーミング処理されていて、死後100年以上経った現在でも、亡くなった当時のままの姿を保っています。
ロザリアのミイラ化を望んだのは父親で、ミイラにした当初は毎日遺体に面会していましたが、父親はあまりにも生前の姿のまま遺体がミイラ化されて保存されていたため、変わらない彼女の姿により深い悲しみを感じるようになり、面会に来なくなってしまったそうです。
少女ロザリアは生前のままの姿だったために、ろう人形にすり替えられていて、本物のミイラではないのでは?と疑われていましたが、MRIを撮ったところ脳や内臓はそのまま残っていることが確認されたため、本物のミイラであることがわかっています。
この少女ロザリアは防腐処理・ミイラにした方法は長年分からないままでしたが、2009年に処理方法を記したカルテが発見されました。
このエンバーミングにはホルマリン、塩化亜鉛、アルコール、サリチル酸、グリセリンが用いられていて、アルコールが遺体のミイラ化を促進し、グリセリンが適度な湿潤環境を保って、サリチル酸が菌の繁殖を防いだために、カラカラに乾いたミイラではなく、生前の状態のままミイラになったと考えられています。
世界のミイラ③:マリアは本物?
出典:twitter.com
世界の有名ミイラの3つ目はマリアです。
マリアとは2015年にペルーのナスカで見つかった3本指で後頭部が長い白いミイラです。
このマリアは168cmで、245~410年ごろの遺体であり、通常のミイラ処理を行っていることがわかっています。そして、膝を抱えて座り込む姿勢をとっていますが、なぜか指が3本しかないのです。しかも、その指は異常なまでに長く、人間のように見えますが、その指の長さからエイリアンではないか?とも噂されていました。
このマリアはイギリスの研究者らの解析によると、ヒトの新種であり、進化の過程だった可能性があることがわかりました。
英国の研究者らは、最新のDNA解析と放射性炭素年代測定法を用いて徹底調査を行った。その結果、ミイラは1800年前のもので、ヒトの新種である可能性が高いという。
このマリアは98.5%が霊長類だけど、残りの1.5%は不明とされています。人間に限りなく近いけれど、違うDNA構造も持っているということなのでしょうか。
ただ、このマリアのように長い3本指を持っているミイラは、マリア以外に見つかっていません。マリアがたまたまミイラ化して保存されて、ほかの進化の過程だった仲間の遺体は腐敗してしまったという可能性もありますが、人間から進化したものだったら、どんな知能を持ちどんな生活をしていたのか気になりますね。
世界のミイラ④:社会主義指導者のミイラ
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世界の有名ミイラの4つ目は、社会主義指導者のミイラです。世界の社会主義の国々では偉大な指導者が亡くなった時、火葬や土葬をせずに、ミイラ処理をして遺体を永久的に残すことが多いです。
・スターリン(ソ連)
・金日成(北朝鮮)
・金正日(北朝鮮)
・毛沢東(中国)
・ホーチミン(ベトナム)
世界のミイラ⑤:アンデスの凍結ミイラ
出典:tocana.jp
世界のミイラの5つ目はアンデスの凍結ミイラです。
1999年にアメリカの考古学者のヨハン・ラインハルトはアルゼンチンとチリの国境にあるアンデス山脈のユヤイヤコ山頂付近(標高6700m)から3つのミイラを発掘しました。その3体の遺体の中の1つである15歳の少女はドンセリャ(処女)と呼ばれています。
このドンセリャは世界でも類を見ないほど保存状態が良く、肌は乾燥しておらず、ただ眠っているようにも見えるようなミイラでした。
このドンセリャは発見された場所から約1600キロ離れたクスコに住んでいたことがわかっています。そして、人身御供の儀式で生餌にされたために、この標高6700mの地点まで歩いてきたと見られています。この遺跡でドンセリャたちはトウモロコシのお酒を飲んだ後に昏睡状態になり、そのまま凍死して、神に身をささげることになりました。
世界のミイラ⑥:メキシコの瞬きをするミイラ
出典:youtube.com
世界の有名ミイラの6つ目は、メキシコの瞬きをするミイラのことです。
メキシコのハリスコ州にあるグアダラハラ大聖堂には、瞬きをするミイラが安置されています。
この瞬きをするミイラはサンタ・イノセンシアと呼ばれる少女で、今から約300年前に父親に刺されて死亡しました。
サンタ・イノセンシアの家ではカトリックの信仰は絶対に許されないことでした。でも、彼女はカトリックの信仰を持ち、カトリック教徒になることを決心します。そして、教会で聖体拝領の儀式を済ませて帰宅したら、父親に刺されたとのこと。
カトリックの教会では、彼女を殉教者として扱い、亡くなった後に聖体としてエンバーミング処理されて、蝋を塗って大聖堂に遺体は保管されることになりました。
そんなサンタ・イノセンシアのミイラが瞬きしたというのです。その動画がこちら。
確かに瞬きしているように見えますが、瞬きする直前、なぜか映像がぼやけているところが怪しいです。ちなみに、世界一美しいミイラとされる少女ロザリアも瞬きしたことがあると言われていました。
世界のミイラ⑦:アイスマン
世界のミイラの事例、7つ目はアイスマンです。アイスマンとは世界最古のミイラのことです。
アイスマンは1991年にアルプス山脈のイタリアとオーストリアの国境のエッツ渓谷の氷河で見つかったミイラで、約5300年前のものであることがわかっています。
このアイスマンは2012年に解凍調査され、男性で瞳や髪の色は茶色、肌は白、身長160cm、体重50kg、年齢47歳前後、筋肉質で、血液型はO型、乳糖不耐症で牛乳は苦手、腰椎すべり症で腰痛持ち、さらに背中や足に刺青の後があり、ツボ治療をしていたことがわかっています。
さらに胃の中からは、動物の脂身やハーブ、小麦粉に水を加えて加工したものが検出されていたため、パンを食べていたと見られています。
最初は凍死したと見られていましたが、左肩に矢尻が見つかり、失血死したことがわかっています。さらに、右眼窩に裂傷、後頭部に即死するほどの脳出血があったことから、誰かに矢で撃たれ、さらに頭部を鈍器で殴られて殺害されたと見られています。
5300年前のミイラから、こんなに細かいことがわかるなんてすごいですね。
日本のミイラ①:奥州藤原氏
日本にもミイラは存在します。その代表的な例が奥州藤原氏です。
奥州藤原氏と言えば、中尊寺金色堂を建築し、平安後期に東北地方に勢力を持った藤原北家の豪族です。奥州藤原氏が作った中尊寺金色堂には初代から4代までのミイラが安置されています。
・初代:藤原清衡
・二代:藤原基衡
・三代:藤原秀衡
・四代:藤原泰衡(頭部のみ)
この4体のミイラ(藤原泰衡は頭部のみ)は、なぜミイラ化されたのかがわかっていません。
自然にミイラ化したという説もありますし、人為的に遺体を残すためにミイラ処理がされたとも言われています。遺体には人工的な処置が加えられた形跡はないという見解を述べる研究者もいますが、遺体には内臓や脳漿が全くなかったことや男性生殖器は切除されていたことなどから、加工してミイラ化したという説を唱える研究者もいます。
確かに、いくら東北とは言え、夏は暑いですし、自然の環境で腐敗が進まずミイラ化したとは考えにくいので、何らかの目的でミイラ化したと考える方が自然かもしれません。
日本のミイラ②:溝口直道
日本の有名なミイラの事例2つ目は、溝口直道のミイラです。
1909年、東京の海福寺が深川から下目黒に移転する際に、元旗本の溝口家のお墓を掘り返したところ、ミイラ化した3体の遺体が発見されました。
1体は女性で、徳川家斉の時に大奥に出仕していた山の井という名前の上臈で、1837年に亡くなっています。白無垢に打ちかけ姿で座っていて、両手を組んで手首には数珠がかけられていました。
もう1体は男性で、同じく1837年に亡くなった7代当主の溝口直道のもので、白無垢姿で胡坐をかいて座り、両手を組んで頭が垂れている状態だったとのことです。その後、9代当主の祖母のミイラも発見されています。
山の井と溝口直道の遺体は、東京帝国大学に検体されました。
日本のミイラ③:即身仏
日本の有名なミイラの事例、3つ目は即身仏です。
即身仏とは仏教の僧侶のミイラのことです。即身仏は僧侶が救済のために永遠の瞑想に入り、そのまま亡くなってミイラになったものを指します。
僧侶が米や麦などの穀物を食べない「穀断ち」などの厳しい修行を経て、土に掘った穴の中に入って「土中入定(にゅうじょう)」し、3年後に掘り起こされて即身仏として安置されるというものです。
引用:日本最後の即身仏に会える「観音寺」/村上市|新潟県観光協会公式ブログ たびきち|【公式】新潟県のおすすめ観光・旅行情報!にいがた観光ナビ
即身仏になるためには、肉体が腐敗しないように米や麦などを食べずに木の皮や木の実を食べ、瞑想します。そうすることで、腐敗の原因となる脂肪がなくなり、筋肉も落ち、水分もなくなっていきます。また、漆の防腐作用を期待して、漆のお茶を飲み、嘔吐してさらに体の水分を減らすこともしたようです。
そして、生きたまま箱に入って土に埋められ、入定してから3年後に掘り起こされて、即身仏になります。江戸時代にはたくさんの僧侶が即身仏になったようですが、明治になってからは法律で禁止されました。
・石頭希遷(神奈川県・790年)
・弘智法印(新潟県・1363年)
・弾誓上人(京都府・1613年)
・本明海上人(山形県・1683年)
・宥貞法印(福島県・1683年)
・舜義上人(茨城県・1686年)
・全海上人(新潟県・1687年)
・心宗行順大行者(長野県・1687年)
・忠海上人(山形県・1755年)
・秀快上人(新潟県・1780年)
・真如海上人(山形県・1783年)
・妙心法師(岐阜県・1817年)
・円明海上人(山形県・1822年)
・鉄門海上人(山形県・1829年)
・光明海上人(山形県・1854年)
・明海上人(山形県・1863年)
・鉄龍海上人(山形県・1881年)
・仏海上人(新潟県・1903年)
現在、日本には上記18人の即身仏のミイラが残っています。
日本のミイラ④:本草学者
日本の有名なミイラの4つ目は本草学者です。
本草学とは中国の薬物学のことなので、本草学者は現在の薬剤師のような人のことです。
江戸時代の本草学者は自らの研究成果を示すために、自分の遺体を保存する方法を研究して、「後世に機会があれば掘り出してみよ」と言い伝えたそうです。
そして、第二次世界大戦後に墓地の移転に伴い遺族の承諾を得て掘り返してみたら、実際に掘り出してみたら、見事にミイラになっていました。しかも、脳は委縮していたものの、しっかり残っていたということです。
この本草学者のミイラは亡くなる直前に柿の種子を大量に食べていた可能性があり、それに含まれるタンニンの影響で皮膚が赤褐色になったのではないか?と推測されています。
この本草学者のミイラは2019年11月~2020年2月に行われた国立科学博物館の特別展「ミイラ 永遠の命を求めて」で展示されましたが、迫力が違うと話題になりました。
ミイラ展でやばいなって思った最後のミイラ。「おれはミイラになって死ぬから、後世で俺を見つけてみろ」って遺言残して死んだ江戸時代の学者のミイラがあって、ロマンとかそういうのでは片付けられない、時空を超えた"何か"がそこに座ってたの、怖いくらいに生々しいから是非みんな見てきて欲しい。
— 田村育歩 / TAMURA Ikuho (@metya_sodatuyo) November 18, 2019
あたしもみて鳥肌たった、ミイラの生前すごくかっこいいと思った。 https://t.co/TNtcq03Pzt
— ケツ神崇拝あさみーすと (@gb_love_syjk) November 20, 2019
ミイラが作られなくなった理由
古代はミイラが作られていましたが、現在ではミイラはほとんど作られなくなりました。アマゾンなどの一部では干し首などのミイラは作られていますが、現在はほぼ作られなくなったと言って良いでしょう。
なぜ、現在はミイラは作られなくなったのか?その理由を推測していきます。
エジプトは宗教の変化
ミイラと言えば、古代エジプトです。古代エジプトでオシリスの神話に基づいて作られていました。
しかし、そこにローマ帝国に侵略されてキリスト教が入り、さらにアラブ・イスラム勢力に侵略されてイスラム教が広がりました。
エジプトはローマ帝国に占領され、徐々にエジプト人はキリスト教に改宗していきました。
その後、イスラム勢力下に置かれ、イスラム教に改宗して現在に至りますが、これらの宗教では現世の肉体が来世で必要だと考えられていません。人々の間にキリスト教やイスラム教がエジプトに浸透してからは、ミイラは作られなくなりました。
宗教・文化的に変わっていったこともあり、エジプトでもミイラは作られなくなったのでしょう。
倫理的な問題が出てきた
日本では江戸時代まで即身仏になる僧侶が多くいたとされていますが、明治期には法律で禁止されています。
宗教的な意味合いを考えずに事実だけを表現すると、即身仏は生き埋めです。となると、やはり倫理的な問題が生じるため、禁止されたのでしょう。
また、日本では火葬がメインで、土葬は非常にマイナーな埋葬方法です。そのことも、明治以降の日本ではミイラは作られなくなった理由の1つと言えると思います。
ミイラは展示することもありますが、展示した場合は「遺体を見世物にする」という倫理的な問題も出てきますね。
ミイラのまとめ
ミイラの概要や作り方、世界の有名なミイラ(マリアや少女ロザリアなど)と日本の有名なミイラ、ミイラが作られなくなった理由などをまとめました。マリアや少女ロザリアは本物のミイラであることが判明しました。ミイラと言っても色々ありますね。
古代のミイラは不気味ではありますが、ロマンを感じます。現在の技術で、ミイラからいろいろなことがわかるのは面白いですね。