松本サリン事件の場所と犯人!河野義行さんの冤罪・その後現在も総まとめ

1994年にオウム真理教によって引き起こされた「松本サリン事件」が注目されています。

 

この記事では、松本サリン事件の概要と場所と地図、麻原彰晃を首謀者とする犯人達がなぜ事件を起こしたかの目的、犠牲者や冤罪被害を受けた河野義行さん、その後や現在についてまとめました。

 

松本サリン事件はオウム真理教がサリンを散布し8名が死亡したテロ事件

 

出典:https://pbs.twimg.com/

 

「松本サリン事件」は、当時存在した新興宗教団体「オウム真理教」によって猛毒で化学兵器としても使用される神経ガスのサリンが散布され、死亡者8人(発生当日の犠牲者は7人、後に後遺症により1名が死去)、負傷者約600人もの被害者を出した、長野県松本市で1994年6月27日に起きたテロ事件です。

 

1989年11月4日の「坂本堤弁護士一家殺害事件」、1995年3月20日の「地下鉄サリン事件」とともに「オウム3大事件」と呼ばれています。

 

戦争状態にない国において、化学兵器として使用される毒物が一般市民に対して使用された世界初の事件として、世界でも知られています。

 

 

 

松本サリン事件発生時の経緯

 

出典:https://static.tokyo-np.co.jp/

 

1994年6月27日22時30分頃、麻原彰晃の指示を受けたオウム真理教の幹部らが、長野県松本市北深志住宅街の駐車場で、2トントラックを改造した「サリン噴霧車」から、加熱式噴霧装置によって気化させたサリンを散布しました。

 

翌28日の0時過ぎから早朝4時半頃にかけて、サリンガスを吸引した近隣のマンションなどに住む、19歳から50代までの男女7名が死亡し近隣住民ら約700名が重軽傷を負いました。28日の0時頃には現場に警察や消防が駆けつけ、閑静な住宅街が騒然となりました。

 

事件発生当初は、犠牲者らの死因となった物質が何かわからず、28日から7月3日の新聞やテレビなどのメディアでは「謎の有毒ガス」、「農薬中毒に似た症状」などと報道されています。

 

7月3日、分析にあたった長野県警捜査本部と長野県生活環境部公害課が「原因物質はサリンと推定される」と発表し、化学兵器として使用されるサリンが散布された事が判明し社会に大きな衝撃が広がりました。

 

 

 

犯人の判明

 

出典:https://clairvoyant-report.com/

 

松本サリン事件発生から数ヶ月後の1994年秋から12月にかけて、「松本サリン事件に関する一考察」と題する怪文書が、マスコミや警察関係者の間に出回りました。この怪文書の作者は「HtoH&T.K」を名乗る匿名の何者かで、その正体は現在も不明です。

 

この怪文書では松本サリン事件の犯人がオウム真理教である事を示唆する文章で構成されており、この「一考察」と題された文書の他にも、同様の作者による複数の文書が確認されており、その中には地下鉄サリン事件を予言するような内容も含まれていました。

 

翌1995年3月20日、東京都の地下鉄複数車両内で「地下鉄サリン事件」が発生し、犠牲者14日、重軽傷者約6300人の大惨事が引き起こされました。

 

出典:https://cdn-img.sannichi.co.jp/

 

地下鉄サリン事件発生の2日後の3月22日、警察による全国のオウム真理教施設25か所の強制の家宅捜索が実施され、サリン製造過程で使用される薬品や自動小銃の部品などが発見されました。

 

この家宅捜索以後、オウム真理教幹部が次々と逮捕され、5月までに幹部らは松本サリン事件を含む一連の事件の犯行がオウム真理教によるものである事を自供しました。

 

松本サリン事件を含む一連のオウム真理教事件の首謀者である麻原彰晃は、5月16日に山梨県上九一色村のオウム真理教施設「第6サティアン」で逮捕されています。

 

 

 

松本サリン事件の場所は長野県松本市北深志1丁目の住宅街【地図あり】

 

出典:https://www.asahi.com/

 

松本サリン事件が起きた場所は「長野県松本市北深志1丁目」の住宅街です。

 

犯人らは、サリンを散布する目標を松本地方裁判所宿舎としており、そこから西方30数メートルの地点にある松本市北深志鶴見西駐車場に「サリン噴霧車」を駐車して裁判所宿舎のある東方に向かってサリンを噴霧させました。

 

 

松本サリン事件が発生した場所一帯の地図

 

下は、松本サリン事件の発生した場所一体の地図です。

 

 

地図で赤いピンが表示されている場所が、3名の犠牲者が出たマンション「開智ハイツ」のある場所です。その東隣にある建物が同じく3名の犠牲者が出たマンション「松本レックスハイツ」です。

 

そのすぐ南の「松本市北深志1丁目13-25」の場所には、明治生命の寮があり、ここでも1名の犠牲者が出ました。

 

松本サリン事件発生直後に犯人扱いされ、冤罪の被害者となりかけた河野義行さんの自宅があった場所は「松本市北深志1丁目13-2」で、開智ハイツの南西に位置していました。この住宅では、河野義行さんと妻の河野澄子さんがサリンの被害者となりました。妻の河野澄子さんはその後遺症に苦しみ、2008年8月5日に亡くなりました。(松本サリン事件8人目の犠牲者)

 

裁判では負傷者は4名に絞られましたが、当初の調査報告では、実際の負傷者はこの地図一体の約600名以上に及んだとされています。

 

 

松本サリン事件の犯人① 麻原彰晃(実行犯らに犯行を指示した首謀者)

 

麻原彰晃のプロフィール

 

本名  :松本智津夫(まつもと・ちづお)

生年月日:1955年3月2日

没年月日:2018年7月6日(享年63歳)

出身地 :熊本県八代市金剛村

 

 

松本サリン事件の首謀者は、オウム真理教の教祖だった麻原彰晃(あさはら・しょうこう)でした。

 

麻原彰晃は、1984年頃にオウム真理教の前身となる「オウム神仙の会」を発足させ、1985年頃から蓮華座を組みながら空中に浮遊しているように見える写真をオカルト系雑誌などに掲載させるなどして、誰でも自身の方法で修行を積めば超能力を身につける事ができるなどと説いてセミナーを開くなどして自身の信者を増やしていきました。

 

1987年6月に団体の名称を「オウム真理教」に改称し、核戦争勃発などの不安を煽る手法で信者を増やし、理想郷を建設する「日本シャンバラ化計画」を打ち出して信者からの布施を集めて資金を獲得しました。

 

1988年には、出家信者約100名〜200名、在家信者約3000名〜4000名の団体にオウム真理教を拡大させ、国内の主要都市だけでなく、ニューヨーク支部を開設するなど勢力を拡大させました。

 

1988年9月下旬、富士山総本部で修行していた男性の在家信者が死亡し、これが外部に漏れて問題化する事を恐れた麻原彰晃は、信者らに命じて遺体を施設内の焼却場(護摩段)で燃やし、残った骨は粉々にして遺棄させています。

 

さらに、この遺体処理に関わったある男性信者が、同年12月中旬頃に教団から抜けると言い出したため情報の漏洩を恐れて信者に命じてこの男性信者を殺害させています。

 

麻原彰晃はその後、1989年5月頃からオウム真理教信者の家族から相談を受け、オウム真理教を批判する活動を展開していた坂本堤弁護士に殺害を信者に命じ、1989年11月4日に妻子もろとも殺害させています。(坂本堤弁護士一家殺害事件)

 

これ以降も、オウム真理教は麻原彰晃の指示により犯罪を繰り返し、ついには麻原彰晃は国家の転覆を画策して、自動小銃の製造やサリンなどの化学兵器の製造を信者らに命じて教団の武装化も進めさせました。

 

一連の事件はこの時点では発覚していなかったものの、この頃にはオウム真理教の危険性を訴える人々が多く出始め、一般市民の間でも教団に対する警戒心が強まりました。

 

そうした背景の中で、オウム真理教は、長野県松本市に松本支部道場と食品工場を建設する土地を取得する動きを見せました。一時は正体を隠したまま賃貸契約と売買契約を結び、半分の土地に道場を設立しますが、正体がオウム真理教だと気がついた地主側と地域住民による反対運動が起こり訴訟に発展します。

 

裁判の結果によって松本市からの撤退を余儀なくされ、しかも別の地域でもオウム真理教は同様の反対運動を受けていたため、麻原彰晃はこれに敗訴すれば他の地域からの撤退にもつながる事を恐れました。

 

そして、麻原彰晃は、裁判さえ開かれなければそうした事態にはならないという発想を持つに至り、それを目的として裁判所をターゲットにしてサリンを撒き攻撃する事を実行させ、「松本サリン事件」を引き起こしました。

 

 

 

松本サリン事件の犯人② 村井秀夫

 

村井秀夫のプロフィール

 

生年月日:1958年12月5日

没年月日:1995年4月24日(享年36歳)

出身地 :大阪府吹田市

 

オウム真理教では麻原彰晃に次ぐナンバー2の立場にあったのが村井秀夫でした。

 

村井秀夫は松本サリン事件を含む、オウム真理教が引き起こした事件のほぼ全てに関与しています。

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松本サリン事件では、村井秀夫はサリン噴霧車の製造を指揮し、実行犯グループのリーダーとしての役割を果たしています。

 

事件当日には、現場への到着が予定より遅れたため、当初のターゲットであった長野地方裁判所松本支部は既に閉まっており、村井秀夫は幹部の新実智光と相談して目標を裁判所宿舎に変更する事を決めています。そして、サリンの噴霧地点を策定したのもこの村井秀夫でした。

 

 

 

松本サリン事件の犯人③ 新実智光

 

新実智光のプロフィール

 

生年月日:1964年3月9日

没年月日:2018年7月6日(享年54歳)

出身地 :愛知県岡崎市

 

新実智光は、男性信者殺害事件や坂本弁護士一家殺害事件では実際に被害者を殺害する役割を負った男です。

 

松本サリン事件にも村井秀夫に次ぐ幹部の立場で参加し、決行当日に他の実行メンバーらに作戦の概要を説明しています。この時、新実智光は「これから松本にガス撒きに行きまーす!」、「マンジュシュリー正大師(村井秀夫のこと)のワークを邪魔するものはボコボコにして構わない」などと、軽い調子で作戦の内容を伝えています。

 

さらに、実行メンバー中、作戦中の警備を命じられた端本悟が「警備中に戦闘になったら殺してもいいのか?」と心配しつつ尋ねると、新実智光は「いいんじゃないですかあ。主に闘うのは警官になると思います。闘っている間に我々は逃げますから、後はよろしく」などと、軽い調子で答えています。

 

また、松本市へと向かう道中の車の中では、教団内でサリンを示す隠語として「魔法使いサリー」が使われていた事から、その主題歌を他のメンバーと熱唱していたという事です。

 

 

 

松本サリン事件の犯人④ 端本悟

 

端本悟のプロフィール

 

生年月日:1967年3月23日

没年月日:2018年7月26日(享年51歳)

出身地 :東京都調布市

 

端本悟は、空手の腕を買われて麻原彰晃の警護役に任命され、坂本弁護士一家殺害事件でも坂本堤弁護士と妻の殺害に加わっています。

 

松本サリン事件では、犯行時に使用する作業着の購入、サリン噴霧車の運転、サリン噴霧中の周辺警備を担当しました。

 

 

 

松本サリン事件の犯人⑤ 中村昇

 

中村昇のプロフィール

 

生年月日:1967年1月10日

出身地 :山口県

 

中村昇は、松本サリン事件のほか、サリンプラントの建設、男性信者のリンチ殺人事件、公証人役場事務長逮捕監禁致死事件などに関与しました。

 

松本サリン事件では、サリン噴霧の際に現場の警備役を担当しています。

 

 

 

松本サリン事件の犯人⑥ 中川智正

 

中川智正のプロフィール

 

生年月日:1962年10月25日

没年月日:2018年7月6日(享年55歳)

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出身地 :岡山県岡山市

 

中川智正は、京都府立医科大学医学部医学科卒業で医師免許を取得していました。オウム真理教入信後は麻原彰晃の側近となり、オウム真理教付属病院の顧問、麻原彰晃や妻、子供らの主治医として体調管理などを担当しました。

 

坂本弁護士一家殺害事件に関わった後、サリンの生成や薬物を用いた人体実験にも関与。

 

サリンなどの化学兵器製造に中心として関わった立場から松本サリン事件、地下鉄サリン事件をはじめ、池田大作サリン襲撃未遂事件、滝本太郎弁護士サリン襲撃事件、VX事件などオウム真理教が引き起こした一連の毒物を用いた殺人および殺人未遂事件に関与しました。

 

松本サリン事件では、防毒酸素マスクの用意、実行犯らがサリン中毒に陥った場合に備えて、予防・治療のための薬物や器具などの準備などを担当し犯行現場に同行しています。

 

 

 

松本サリン事件の犯人⑦ 富田隆

 

富田隆のプロフィール

 

生年月日:1958年5月21日

出身地 :青森県八戸市

 

富田隆は学生時代から極真空手を続けていた事から、松本サリン事件では端本悟、中村昇と共にサリン噴霧中の周辺警備を任されています。

 

松本サリン事件の実行犯らの中では裁判で唯一有期刑が下され、2013年5月に刑期満了で出所しています。

 

出所後の2018年12月に「オウム真理教元幹部の手記」を発表しています。

 

 

 

松本サリン事件の犯人⑧ 土谷正実

 

土谷正実のプロフィール

 

生年月日:1965年1月6日

没年月日:2018年7月6日(享年53歳)

出身地 :東京都町田市

 

土谷正実は、東京の都立高校を卒業後に筑波大学農林学類(当時)に入学し、その後は筑波大学大学院化学研究科へと進み、修士課程修了、博士課程中退の学歴を持ちます。

 

オウム真理教入信後は、その科学の知識から重用され、サリンとVXガスの製造方法を独学と実験を重ねて確立。麻原彰晃に「サリンというものがあります。作ってみませんか」と提案して、自身の名前(ホーリーネーム)を冠した実験施設を与えられ、サリンをはじめとする様々な化学兵器、違法薬物を生成しました。

 

 

松本サリン事件の実行犯には加わっていませんが、事件で使用されたサリンを生成した犯人として起訴されています。

 

 

 

松本サリン事件の犯人⑨ 遠藤誠一

 

遠藤誠一のプロフィール

 

生年月日:1960年6月5日

没年月日:2018年7月6日(享年58歳)

出身地 :北海道札幌市

 

遠藤誠一は帯広畜産大学獣医学科を卒業して獣医師となり、その後は京大大学院医学研究科博士課程へと進みましたが、オウム真理教への入信後に中退しています。

 

オウム真理教内では、研究者として土谷正実とライバル関係にあり、主にボツリヌス菌や炭疽菌など細菌兵器を研究。土谷正実が主導したサリンの製にも中心的な役割を果たしました。

 

麻原彰晃に寵愛され、麻原の四女の松本聡香の許嫁に指名された事でも知られています。しかしその後、生物兵器の開発失敗を繰り返したため麻原の信頼を失いました。

 

松本サリン事件には、当初の犯行計画の段階から関与し、中川智正と現場周辺の下見を行い、犯行に使用するための松本ナンバーのワゴン車をレンタカー屋から自身の名義で借りています。

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犯行当日にも、医療役の1人として現場に同行。この時に使用したワゴン車の車体に傷をつけてしまった事から、松本市内で故意に接触事故を起こし、警察から交通事故証明を受け取るなどの証拠隠滅工作を行なっています。

 

 

 

松本サリン事件の犯人⑩ 林泰男

 

林泰男のプロフィール

 

生年月日:1957年12月15日

没年月日:2018年7月26日(享年60歳)

出身地 :東京都小平市

 

林泰男は、工学院大二部電気工学科をトップクラスの成績で卒業した経歴を持ち、オウム真理教入信後は、教団施設内部の電気工事や、創価学会の信者やロシア政府関係者に対する盗聴などを担当しました。

 

その後、村井秀夫の部下となり、松本サリン事件で使用されたサリン噴霧車の製造に関わりました。

 

 

 

松本サリン事件はなぜ起きたか…事件に至るまでの背景

 

出典:https://blogimg.goo.ne.jp/

 

松本サリン事件がなぜ起きたのかが気になる方が現在も多いようです。松本サリン事件が発生するまでの背景についてもう少し詳しく紹介しておきます。

 

 

なぜ松本サリン事件が起きたかの背景① オウムが支部建設のための土地を取得

 

1987年頃から麻原彰晃はオウム真理教の勢力の拡大を目指し、全国に支部道場や教団施設の建設を進めていました。長野県松本市もその1つで、麻原彰晃は同地に教団松本支部と食品工場の建設を計画しました。

 

そのための敷地を確保するため、教団は賃貸契約に基づいて使用する部分と、売買契約により取得する部分とに分け、賃貸部分に関しては「株式会社オウム」の名義で地主と賃借契約を結び、売買部分に関しては、不動産業者を介して教団として買い受けるなどし、1991年6月にそれぞれの契約が締結されました。

 

 

なぜ松本サリン事件が起きたかの背景② 地域住民や地主との間にトラブルが発生

 

しかしその後、事態を知った地元住民が、オウム真理教進出に反対する運動を起こしました。これを受けた当該地の地主は1991年10月に株式会社オウムに対し、賃貸契約を結ぶ際に教団の道場として使用する事を隠していた事などを理由に賃貸契約を取り消すとの通知を行いました。

 

これに対して、オウム真理教側は同年11月に食品工場と事務所(実質は支部道場)を建築する計画をそのまま進め、12月9日に長野地方裁判所松本支部に、町会長を相手取って建築工事妨害禁止等の仮処分の申立てました。

 

対する地主側も12月10日、同裁判所にオウム真理教と株式会社オウムを相手取って賃貸借部分の建築工事禁止等の仮処分の申立てを行いました。

 

双方の申し立てを受けた地裁松本支部は、1992年1月17日、オウム真理教の道場をめぐって、各地で身元住民や信者家族とのトラブルが頻発している事などを理由に挙げて、実質的な借主がオウム真理教である事を意図的に誤らせるような言動は取引上の信義則に反するとして、地主側の主張する賃貸借契約の取り消しを認めました。

 

オウム真理教はこの裁定を不服として仮処分意義を申し立て、オウム側の申し立てを却下された事に対し東京高裁に抗告しますが同年3月13日に抗告を棄却する決定が下されました。

 

これを受けて、オウム真理教側は賃貸借部分を使用する事を諦め、計画を縮小して売買で取得した部分に規模を縮小した教団松本支部を建築する事を決定。

 

しかし、地主側は同年4月3日に地裁松本支部に対し、売買契約の部分も同様の理由で契約の取り消しを主張して、建築禁止等の仮処分申立てを行いました。ただ、こちらに関しては同支部は地主の申し立ての却下を決定しています。

 

 

なぜ松本サリン事件が起きたのかの背景③ 地主側が起訴

 

申し立てを却下された地主側は4月27日付でオウム真理教等を被告として、売買部分の所有権の移転登記の抹消登記手続き、売買部分の明け渡し、本件土地における建築物の建築禁止などの判決を求める訴訟を起こしました。

 

地主側はオウム真理教をめぐる、各地での様々な問題を取り上げて教団の反社会性を強調し、自らの訴えの正当性を主張しました。

 

 

なぜ松本サリン事件が起きたのかの背景④ 麻原が裁判官や地主ら反対住民を敵視

 

オウム真理教は、裁判が行われる中で売買契約部分の土地に松本支部を完成させましたが、麻原彰晃は地主や地域住民の訴えを認め松本支部の規模の縮小を余儀なくさせた地裁松本支部裁判官に対して反感を抱き、これらの者に対して、将来恐るべき危害が加えられる事を予言するような説法を信者に対し行なっています。

 

この麻原彰晃が抱いた裁判官や地域住民への敵対の感情が、松本サリン事件を引き起こす原因となります。

 

 

 

松本サリン事件の目的は裁判官や地域住民への攻撃とサリンの効果の実験

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続けて、麻原彰晃が松本サリン事件を引き起こした目的についても詳しく見ていきます。

 

麻原彰晃はかねてより、70トンのサリンを上空から東京都に散布して首都を壊滅させ、国家権力を倒してオウム国家を建設して自ら王となり支配する計画をもくろみ、信者に命じてサリンの大量生成に着手させていました。

 

1994年6月頃、麻原彰晃は村井秀夫と相談し、新たに製造する加熱式噴霧装置の性能と、それで噴射するサリンの殺傷能力を実験しておく必要があると考えました。

 

麻原彰晃は、その実験の対象として、教団松本支部の規模を縮小させる決定を下した地裁松本支部を選び、同所に向けてサリンを噴霧する事で、地裁松本支部の裁判官と、周辺の住民を殺害する事を決めます。

 

麻原彰晃は6月20日に、村井秀夫、新実智光、中川智正、遠藤誠一に対し、「オウムの裁判をしている松本の裁判所にサリンをまいて,サリンが実際に効くかどうかやってみろ。」と命じ、これによって松本サリン事件が引き起こされました。

 

したがって、麻原彰晃が松本サリン事件を起こした目的は、「オウム真理教反対派の住民の申し立てを支持した裁判官の殺害」と「サリンの効果の実験」でした。

 

 

 

松本サリン事件の犠牲者8名

 

出典:https://news.ntv.co.jp/

 

松本サリン事件の犠牲者は8名です。

 

事件発生日に亡くなられた犠牲者は、伊藤友視さん(当時26歳)、阿部裕太さん(当時19歳)、安元三井さん(当時29歳)、室岡憲二さん(当時53歳)、瀬島民子さん(当時35歳)、榎田哲二さん(当時45歳)、小林豊さん(当時23歳)の7名です。

 

松本サリン事件の発生のすぐ後に犯人扱いされ、一時的とはいえ冤罪の被害者となった河野義行さんの妻・河野澄子さん(事件当時46歳)は、事件後にサリン中毒が原因となって意識不明となり、事件から14年後の2008年8月5日に60歳で亡くなっています。

 

河野澄子さんは、松本サリン事件の8人目の犠牲者として報じられました。

 

 

 

松本サリン事件で冤罪の被害者となった河野義行さん

 

松本サリン事件で冤罪被害者となった河野義行さん

 

生年月日:1950年2月3日

出身地 :愛知県豊橋市

 

河野義行さんは、松本サリン事件の第一通報者で、前述の通り妻の澄子さんはこの事件の犠牲者の1人です。であるにも関わらず、河野義行さんは松本サリン事件後に犯人扱いされ冤罪の被害を受けました。

 

事件後、長野県警察は河野義行さんを事件の犯人と疑い、自宅の家宅捜索を行いました。この捜索で河野義行さんの自宅から農薬が見つかり、河野義行さんの自宅から不審な煙が上がるのを見たという近隣住民からの証言などもあって警察は嫌疑を強め、河野義行さんや家族への取調べを断続的に行いました。

 

さらに、警察の捜査や情報のリークなどを受けた各報道機関が、河野義行さんをあたかも犯人と決まったかのように報道し始めました。

 

河野義行さんは、警察の取り調べを受けた際に自白を強要された事なども明かしています。

 

「警察からは『犯人はお前だ』『亡くなった人に申し訳ないと思わないのか』『早く罪を認めろ』と自白を強要されました。私が有毒ガスを発生させたかのような報道もなされ、世間は私を松本サリン事件の犯人とみなしました」

 

引用:人は間違う、だから許す 河野義行さん、四半世紀の境地

 

また、マスコミが犯人扱いして報道した事で、逮捕もされていないのに、無言電話や嫌がらせの電話がかかるようになり、脅迫の手紙も届いたそうです。さらには、被害者の親族を名乗る人間から「お前を恨む。殺してやりたい」などと書かれた手紙が届いたのだそうです。

 

「逮捕もされず、まだ裁判も行われていないのに、一瞬にして犯人にされてしまいました。自宅には無言電話や嫌がらせの電話、脅迫の手紙がたくさん来ました。被害者の親戚を名乗る人から『お前を恨む。殺してやりたい』と書かれた手紙が来たこともあります」

 

引用:人は間違う、だから許す 河野義行さん、四半世紀の境地

 

河野義行さんは松本サリン事件での冤罪被害後、2002年に当時の長野県知事・田中康夫さんの要請を受けて、長野県公安委員会委員に就任されています。長野県警はこれを受けてようやく、河野義行さんを犯人扱いした事について謝罪を行いました。

 

また、河野義行さんは松本サリン事件の被害者でありながら冤罪の被害まで受けた経験から多くの著作を発表され、講演活動なども行われています。

 

現在は、特定非営利活動法人「リカバリー・サポート・センター」理事、「ヘイトスピーチとレイシズムを乗り越える国際ネットワーク」の共同代表を務められているようです。

 

 

 

松本サリン事件の犯人のその後と現在

 

松本サリン事件はその後、地下鉄サリン事件の発生を経て、オウム真理教の幹部が次々と逮捕され、松本サリン事件に関わった幹部らも全員が逮捕されました。

 

犯人のうち、首謀者である麻原彰晃をはじめ、新実智光、端本悟、中川智正、土谷正実、遠藤誠一、林泰男の7人に死刑判決が下り、2018年7月に全員死刑執行されています。

 

なお、松本サリン事件の実行犯のリーダー格であった村井秀夫は、1995年4月23日に東京都港区南青山のオウム真理教東京総本部前で、山口組系の暴力団構成員の徐裕行という男に刺されて病院に搬送され、翌24日に死亡しています。

 

また、中村昇には無期懲役が、富田隆には懲役17年の判決が下されています。富田隆は2013年5月に刑期満了で出所しています。

 

 

 

まとめ

 

今回は、1994年6月27日に長野県松本市で発生した「松本サリン事件」についてまとめてみました。

 

松本サリン事件の起こった場所は「長野県松本市北深志1丁目」で、地図のとおり住宅街の真っ只中です。犯人はオウム真理教の教祖・麻原彰晃の指示を受けた、オウム真理教の幹部信者ら複数名で、トラックを改造したサリン噴霧車を使って、化学兵器として使用される猛毒のサリンを散布しました。

 

麻原彰晃ら犯人の目的は、オウム真理教の道場建設計画に反対する住民と、その申し立てを支持した地裁松本支部の裁判官の殺害と、教団施設で生成したサリンの効果実験でした。

 

犠牲者は10代から50代までの男女8人にのぼり、事件の第一通報者で、妻をサリン中毒で亡くした河野義行さんは、警察に犯人だと疑われマスコミにも犯人扱いされる冤罪被害者となりました。

 

その後、松本サリン事件を起こしたオウム真理教は地下鉄サリン事件を発生させ、その後の警察の強制捜査によって幹部らが次々と逮捕され、松本サリン事件に関わった犯人らも全員が逮捕され、麻原彰晃を含む7名に死刑判決が下り、1名は無期懲役で現在も服役中、1名は懲役17年の刑期を終えてすでに出所しています。

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