プチエンジェル事件とは2003年に起きた少女誘拐・監禁事件で、犯人・吉里弘太郎が経営するデートクラブが事件名の由来です。本件の詳細や真相考察、芸能人や有名人が載っていた顧客リスト、怪死したフリーライター、被害者少女のその後、現在について紹介していきます。
この記事の目次
- プチエンジェル事件の概要
- プチエンジェル事件の詳細
- プチエンジェル事件の不審点① 犯人・吉里弘太郎の自殺
- プチエンジェル事件の不審点② 自殺前の犯人の行動
- プチエンジェル事件の不審点③ 共犯者の存在とマンションの契約
- プチエンジェル事件の不審点④ 怪死したフリーライター染谷悟さん
- プチエンジェル事件の不審点⑤ 事件の報道
- プチエンジェル事件の不審点⑥ 芸能人や有名人の名も?顧客リストの噂
- プチエンジェル事件の不審点⑦ マンションの所有権
- プチエンジェル事件の不審点⑧ 監禁時の様子
- プチエンジェル事件の真相① 吉里弘太郎には自殺願望があった?
- プチエンジェル事件の真相② フリーライターの怪死は事件とは無関係だった
- プチエンジェル事件の真相③ 別事件から暴力団との関係が指摘される
- プチエンジェル事件の真相④ 顧客リストが本物だったと仮定して
- プチエンジェル事件のその後① 被害者の少女たちの現在
- プチエンジェル事件のその後② フリーライターを殺害した犯人の現在
- プチエンジェル事件についてのまとめ
プチエンジェル事件の概要
出典:http://tskeightkun.blog.fc2.com/
プチエンジェル事件とは2003年7月13日に発覚した、未成年者の誘拐および監禁事件です。
被害者となったのは小学校6年生の少女4人で、彼女らは東京都港区赤坂2丁目にあるウィークリーマンション「インターナショナルプラザ赤坂No.1」に監禁されていました。
被害者の少女のうち1人がマンションを抜け出して助けを求めたことから捜査が開始しましたが、誘拐および監禁の犯人とされる吉里弘太郎(当時29歳)は、事件発覚前に自殺をしており、動機や事件の全貌は明らかになっていません。
事件の名称は犯人の吉里弘太郎が経営していたデートクラブの名称が「プチエンジェル」であったことに由来します。このデートクラブは児童買春を斡旋する非合法のものでした。
そのため、吉里が少女らを誘拐した目的も自殺理由にもデートクラブが関与していると見られ、自宅にも捜査が入りました。
そしてデートクラブで働いていたと思われる少女の映ったビデオテープや、2000名以上もの名前が連なった顧客リストが発見されます。
しかし顧客リストは偽名ばかりだったとのことで、警察は捜査の打ち切りを発表。
一方で突然の捜査打ち切りに対して、顧客リストには政財界の有名人や芸能人などの名前も載っていたため、捜査が打ち切られたのでは?といった憶測が飛び交いました。
また、この事件について調査していたフリーライターの染谷悟(ペンネーム・柏原蔵書)さんが怪死したことなどもあり、プチエンジェル事件は未だに闇が深い事件、調べてはいけない事件と囁かれています。
プチエンジェル事件の詳細
プチエンジェル事件の犯人である吉里弘太郎は、自らが経営する非合法のデートクラブ「プチエンジェル」のスカウトを、雇用した女子高校生にやらせていました。
デートクラブ「プチエンジェル」の特徴
・店舗を持たない。事務所として使用されていたのは都内のホテルだった。
・プチエンジェルというのはチラシに書いてあっただけで、店や会社の名称ではない。
・完全会員制で年会費は60万円。
・働いている少女は全員18歳未満。女子小学生も120人ほど登録していた。
スカウト役の女子高生は渋谷や新宿などの繁華街で、女子小学生や中学生に声をかけて「カラオケ5,000円、下着提供10,000円、裸体撮影10,000円」「30分で終わる簡単なアルバイト」「バイトのお金でセシルの服いっぱい買えるよ」などと書かれたチラシを渡していたそうです。
異性に声を掛けられると警戒するような少女でも、歳の近い女子高生から「私もやってる」「楽して稼げる」と誘われれば、簡単に唆されてしまったのでしょう。
まずはプチエンジェル事件がどのような事件だったのか、当時報道された情報などから事件の詳細を紹介していきます。
①誘拐・監禁事件の発生
誘拐および監禁の被害者となった小学生のうち1人(以降、Aとする)も、2013年の7月上旬にプチエンジェルのスカウトの女子高生から渋谷で声を掛けられ、吉里と知り合ったそうです。
女子高生に連れられたAは吉里とあるマンションの一室で会い、部屋の掃除を頼まれました。掃除が終わると、「お礼に」と一万円を渡されたといいます。
そして「友達を紹介してくれたら1人につき3万円渡す」として、プチエンジェルの求人チラシも渡されました。このチラシには吉里と連絡が取れる携帯電話の番号も書いてあったとのことです。
こうして簡単な掃除をするだけで1万円を手にしたAは、吉里に言われたとおりに小学校の同級生で友人のB、C、Dの3人に声を掛け、4人で吉里のもとに向かおうと考えます。
事件当日
7月13日午前10時、渋谷駅を訪れた4人の少女は南口にあるモヤイ像前で吉里と待ち合わせをしました。なお、親には「近所の体育館で友だちと遊ぶ」と嘘をついていたそうです。
待ち合わせ場所には、吉里以外もう1人、吉里のことを「社長」と呼ぶ男がいたといいます。2人の男と4人の少女は2台のタクシーに分かれて乗り、目的地のマンションに向かいました。
このマンションこそ、犯行現場となった東京都港区赤坂2丁目17-54にあったウィークリーマンション「インターナショナルプラザ赤坂No.1」の1101号室です。(現在は売却済み)。
この時、なぜか2台のタクシーの到着には1時間ほどの差があったといい、先にマンションに到着した吉里は連れてきた2人の少女に買い物を頼んで、男の到着を待っていたとされます。
しばらくして買い物に行っていた少女が戻り、残りの2人も男に連れられて部屋に入ってくると、吉里の様子が豹変。
「ここに来た意味はわかってるよね?」などと言ってスタンガンをちらつかせて少女らを脅し、アイマスクと手錠をつけて拘束しました。
②警察の動き
被害者少女のうち2人は脱衣所で、残りの2人は1人ずつ洋室に閉じ込められて監禁されました。
吉里は少女たちにつけた手錠に20リットルのポリタンクや鉄アレイをつけ、逃げられないようにしていたといいます。
また、少女のうち2人が逃げようとした際には1人の背中に見せしめとしてスタンガンを当てたそうです。これにショックを受けた少女たちは、恐怖から逃げる意思をなくしてしまいました。
一方、近所に遊びに行くと言って出て行ったきり帰ってこない娘を心配し、事件発生当夜に被害者の両親らが自宅近くの多摩中央署に捜索願を提出します。
すると、Aの同級生の女子児童から「渋谷でいいアルバイトがあると誘われた」という証言が出てきたのです。
さらにAの部屋からプチエンジェルのチラシが発見され、警察はチラシに書かれていた電話番号をもとに、吉里にたどり着きました。
この時すでに吉里が新宿や渋谷で未成年者を勧誘し、違法なデートクラブで働かせているらしいという情報が警察に入っていたといい、警視庁生活安全部少年育成課も吉里をマークしていました。
少女たちの失踪にプチエンジェルが関与していると見た警察は、7月16日の午前中に吉里の逮捕状を請求します。
といっても、今回の事件については関与が疑われているだけで決定的な証拠はないため、逮捕状は吉里が2年前に起こした少女買春容疑という別件での請求でした。
しかし、住民票上の住所地である横浜の叔母の家にも、居住が確認されている埼玉県久喜市内のアパートにも吉里は現れず、なかなか足取りは掴めません。
そのため警察は公開捜査に向けての準備を開始していたといいます。なお、7月16日の時点で被害者の名前や詳細を伏せ、小学生の行方不明事件としてプチエンジェル事件は報道されていました。
③犯人の自殺
警察の捜査が進むなか、吉里は7月16日の正午頃に風俗店に客として電話をかけ、女性を派遣してほしいと依頼していたといいます。
その際、対応したスタッフに「家にいる女の子にサービス中の様子を見せたい」と伝えてきたそうです。
当然、女の子というのが監禁している少女のことだとは伝えませんでしたが、風俗店のスタッフは不穏な雰囲気を察して「違法だから」と、これを断りました。
しかし、吉里はしつこく「今日しかないんだ」などと食い下がってきたそうです。風俗店が営業を終了するまで、1時間おきに同じ内容の電話をかけていたとの話もあります。
そして7月16日の深夜、吉里は少女たちを監禁したまま練炭自殺を図ったのです。
④被害者の逃走と保護
7月17日の未明、脱衣所に監禁されていた少女のうち1人が手錠を外すことに成功します。
彼女はリビングから吉里の声がせず、物音もしないことを確認してから17日の正午頃にマンションの外に逃げて、近くの花屋に駆け込みました。
裸足の少女から「そこのマンションに、友達が3人捕まっている」と助けを求められた花屋の店員は驚き、少女を保護するとともに警察に通報します。
こうして駆けつけた警察によってマンションに残された3人も保護され、被害者は救助されたのです。
同時に警察は、吉里の死体も確認しました。発見された時、吉里はリビングにテントのようにビニールを張り、そのなかで練炭に火をつけて倒れていました。
⑤その後の捜査
事件を受けて7月18日には渋谷でいっせい補導が行われ、なんと1,500人以上もの少年少女が補導されたといいます。
当時、渋谷や新宿では非合法のデートクラブビジネスが横行していたとのことですから、類似事件の防止を狙ったのでしょう。
被疑者死亡、被害者は無事保護というかたちでプチエンジェル事件は幕を下ろしました。
しかし、吉里の遺書などは残っていなかったため犯行動機は明らかにはなっておらず、デートクラブの全貌を把握するためにも警察の捜査は続きました。
吉里の事実上の住所地とされる埼玉県久喜市のアパートからは、プチエンジェルの顧客2,000名以上が名を連ねる名簿や、売買春の証拠となるようなビデオテープが押収されたといいます。
このことが報道されると、当然ながら名簿に名前が載っている者も児童買春罪で摘発されるかと思われました。
ところが警察は「名簿にあった名前は偽名で、捜査は不可能」として幕引きを宣言したのです。
さらにマスコミも事件についての報道をやめ、プチエンジェル事件は真相がわからないまま現在に至ることになりました。
プチエンジェル事件の不審点① 犯人・吉里弘太郎の自殺
犯人の吉里はビニールで作ったテントの中に七輪と練炭を持ち込み、火をつけて練炭から発生する一酸化炭素で中毒症状を起こして死亡した=練炭自殺をしたと結論付けられました。
しかし『真相報道 バンキシャ!』などのメディアが検証したところ、以下のような不審点が浮き上がったとされます。
・ビニールの中で練炭に火をつけると高熱でビニールが溶けてしまい、一酸化炭素が外に漏れるために中毒死は不可能。
・ビニールが溶けなかったとしても、密閉された空間で練炭を燃やせば内部の空間は高温になり、吉里は火傷を負うはず。しかし、遺体に火傷痕はなかったという。
・テントに使ったビニールは外側からテープが貼られて目貼をされていた。吉里が1人で自殺をしたのなら、中に入って内側から目貼をするのが自然。
1つめの指摘については、後日「不可能とは言い切れない」と訂正が入りました。
しかし、2つめの指摘については、警察が司法解剖をしなかったこと、遺体の状況を公表しなかったことから、本当は他殺だったのではないか、どうしても自殺にしないといけない理由があるのではないかと疑いの声が上がっています。
プチエンジェル事件の不審点② 自殺前の犯人の行動
事件を起こす直前の7月11日に、吉里が所有していたフェラーリ2台を売却したことが明らかになっています。さらに同日中に、ATMからも預金を引き出していたことが確認されています。
そしてその翌日には少女の監禁に用いたアイマスクやポリタンク、自殺に使った練炭や七輪を購入していました。
つまり、12日には自殺を決心していたのです。自殺を決意していた人間が、自らの経営するデートクラブのために少女4人をマンションに連れて行って監禁するものなのでしょうか。
また、自殺を考えている人間が車を売却して大金を手元に残す理由も不明です。後述しますが、吉里は複雑な家庭に育っており、家族に遺産を残すために車を売ったという線も薄いと考えられています。
そのため、誰かに脅されていて逃走資金として車を売って現金を用意したが、逃げられないと悟って自殺を決意したのではないか、少女の監禁も誰かに命令されて行ったのではないか、と事件に黒幕がいる説が囁かれているのです。
プチエンジェル事件の不審点③ 共犯者の存在とマンションの契約
被害者の少女たちは、吉里ともう1人の男によってマンションに連れてこられて監禁されたと証言していました。
しかし、この男は逮捕されておらず、犯行は吉里単独で行われたと警察は発表しています。
実は事件現場となったインターナショナルプラザ赤坂No.1は、ビジネスホテル代わりに数日間のみ借りる人も多い場所で、吉里がここを借りたのも7月11日、つまり事件の直前でした。
吉里が借りたといっても契約をしていたのは別の男性で、マンションの契約者は事件当日に吉里と一緒にタクシーで少女たちを運んだ男と同一人物との話もあります。
しかも、マンションの契約期間は1ヶ月間になっていたとのこと。前述のように、マンションを契約した翌日には吉里は自殺を決意していたと考えられます。
それであれば、1ヶ月間も契約する必要はあったのでしょうか。なお、このウィークリーマンションの賃料は、立地の良さから1週間で9万7000円と比較的高額だったといいます。
これらの情報からも吉里は主犯ではなく、駒として動いていただけなのではないか、一緒にいた男はなぜ逮捕されないのかなどの疑問が出ています。
プチエンジェル事件の不審点④ 怪死したフリーライター染谷悟さん
2003年9月12日に、柏原蔵書というペンネームで執筆活動を行っていたフリーライターの染谷悟さん(当時38歳)の遺体が、東京湾から発見されます。
染谷さんの遺体には頭部に陥没するほど強く殴られた痕があったうえ背中を8箇所も滅多刺しにされており、両手が縛られた状態で腰には潜水用の重りがつけられていました。
染谷さんはプチエンジェル事件をふくむ児童買春事件を追っていたといい、殺害される前から「中国人マフィアに命を狙われている」と周囲に不安を語っていたそうです。
凄惨な遺体の状況から、マフィアやヤクザなどにお金を払って殺人を依頼したのではないかとの噂が流れ、染谷さんはプチエンジェル事件について知りすぎたために殺されたのではないかと囁かれました。
プチエンジェル事件の不審点⑤ 事件の報道
通常、子どもの行方不明事件は事件発生から時間が経てば経つほど子どもの生存率が下がり、事件が迷宮入りするおそれも出てくるため、警察は早い段階から公開捜査に踏み切ります。
しかし、プチエンジェル事件は被害者の両親らが捜索届を出してから警察が公開捜査を決めるまでに空白の時間が存在し、当初は警察と被害者の家族、被害者の通っていた学校の教師のみで捜索が行われていました。
この点に関してもプチエンジェル事件の闇、何かを隠蔽するための時間稼ぎだったのではないかとの指摘もあります。
ただ、これについてはAの部屋からプチエンジェルのチラシが見つかっていたりと、早い段階で売春組織と誘拐との関連が示唆されていたことから、警察が慎重に動いていただけとも考えられます。
性犯罪の被害者になっている可能性がある以上、少女らの尊厳を考慮して秘密裏に解決したかったのかもしれません。
行方不明事件がTVなどで報道されたのも、7月16日からでした。事件発生から3日が経っています。
この頃には渋谷に数十人規模の捜査員が動員されて被害者の捜索が行われており、もはやマスコミに隠して捜査をすることは困難と考えたのでしょう。
二転、三転する報道
7月17日に被害者が保護されると、TVでもいっせいに「行方不明の少女が発見された!」と報じられ、その日のうちにプチエンジェルというデートクラブが関与している、部屋にあった遺体は吉里弘太郎のものだという点が次々に報道されました。
気になるのは7月17日の夕方の時点では「吉里の共犯者に男1人と高生風の女がいて、警察が足取りを追っている」「見張り役としてもう1人男がいた」と伝えられていたことです。
ところが翌18日の報道では「誘拐、監禁は吉里の単独犯行だった」と報道内容が切り替わっていました。
そしてこれ以降、プチエンジェル事件がメディアに取り上げられる頻度は極端に減り、新しい情報も出なくなったのです。
事件当時の報道の不自然さについては、密室での犯罪であったため証言が被害者の少女からしか得られず、精神的なショックも影響して正確な情報が聞き出せなかったからではないか、とも指摘されています。
たしかにそうなのでしょうか、被害者への事情聴取は一回だけしかされなかったとの話もあり、とくに共犯者の有無については違和感が残ります。
そもそも吉里が非合法のデートクラブを経営していたことが明らかになっている以上、そちらも警察が解決しないといけないはずです。
そのため警察やマスコミが動かなかったことに対する不気味さを指摘する声も多く、4人が保護されて事件解決という幕引きに納得行かない人は未だに少なくありません。
プチエンジェル事件の不審点⑥ 芸能人や有名人の名も?顧客リストの噂
プチエンジェル事件最大の謎、一番深い闇と言われているのが、吉里の部屋から見つかったとされる顧客リストの中身です。
ジャーナリストの片岡亮さんによると、顧客リストの中身についてはマスコミにも流れており、なかには政治家、財界の大物、芸能人、ミュージシャン、文化人など有名人の名前が多数含まれていたそうです。
当時、マスコミ関係者はそれぞれどこに誰が聞き込みに行くか、という段取りまで緊急会議を開いて決めていたといい、お祭り状態だったとのこと。
しかし、警察から「顧客リストは全部偽名だった」という発表が突然されて、以降は顧客を取材しようとする動きはいっさいなくなったといいます。
このことについて片岡さんは、以下のような不審点をあげていました。
・名簿の名前の多くが有名人のものだった。偽名として有名人の名前を使う人間がそんなにたくさんいるのか?
・なかにはパッと思いつかないような名前(官僚や財界の大物など)もあった。芸能人の名前ならともかく、偽名で官僚の名前を使うものだろうか?
・芸名が書かれた横に括弧つきで本名が書かれたものまであった。偽名でそこまで細工するものだろうか?
また、当時の渋谷には50を超えるデートクラブがあったといい、片岡さんが関係者に取材をしたところ「吉里はすごい。大物の名刺をたくさん持っていて、太い客を何人も抱えている」との証言が得られたそうです。
マスコミはもちろん片岡さんをふくむジャーナリストやルポライターも、顧客リストに誰の名前が書かれていたのかは明かしていません。
裏付けが取れない以上、名誉毀損になってしまうおそれもありますし名前を出せないのでしょう。
ネット上ではアイドルグループの有名プロデューサーが顧客だったらしい、ジャニーズのタレントの名前もあったらしいなどの情報が錯綜していますが、すべて噂に過ぎません。
皇族との関係があったとの噂も
前述したように顧客リストに名前があった有名人の詳細は表に出ていません。
そのため、この説も数多ある噂のうちの一つなのですが、現在でもまことしやかに囁かれているのが、ある皇族がプチエンジェル事件に関わっているという説です。
調べてみると、ある皇族が身内で撮影した動画(児童ポルノ禁止法に抵触する内容)が流出し、それを揉み消すためにプチエンジェル事件自体がでっちあげられたという陰謀論から、皇族もプチエンジェル事件に関わっている、顧客だったらしいという噂が流れた模様。
言うまでもなく、この噂のもとになった「皇族が身内で撮影した動画」自体が都市伝説のようなものです。
動画いついて調べてみても「自分は見たことはないけど〇〇らしい」「顔は確認できなかったけど似たような動画を見たことがある」などのあやふやな書き込みが目立ちました。
プチエンジェル事件の不審点⑦ マンションの所有権
出典:http://banyuu.txt-nifty.com/
事件現場となったインターナショナルプラザ赤坂No.1の所有権が、小沢一郎氏のの資金管理団体「陸山会」にあったとの噂があります。
そのため、プチエンジェル事件には小沢氏も関与していたのでは?という声もネット上では多く見られました。
しかし、現場マンションの所有者については明確な情報元が見つからず、赤坂2丁目にある別のマンション「デュオ・スカーラ赤坂」が陸山会所有であることから、この建物と混同して噂が流れた可能性も考えられます。
2004年に取り沙汰された「陸山会事件」の際にも、インターナショナルプラザ赤坂No.1の名前は小沢氏の所有不動産としてあげられていません。
プチエンジェル事件の不審点⑧ 監禁時の様子
脅されて監禁されていたという被害者の少女たち。その監禁中の生活についても不思議な情報が出ています。
まず拘束に使われていた手錠ですが、これは玩具だったと公表されていました。もちろん玩具でも精巧なつくりのものもあるでしょうし、パニック状態にあった少女たちが本物の手錠だと思いこんでしまったとしても仕方ありません。
ただ、17日になって手錠を壊して逃げていることから考えて、そこまでしっかりした物ではなかったのではないかとも思えます。
ネットで簡単に買物できるような時代に、その気になれば小学生でも壊せるような手錠を監禁用に用意するものなのでしょうか。
また、吉里は少女らが逃げないようにポリタンクに手錠を繋いでいたとの報道もありましたが、このポリタンクは空だったのでしょうか、それとも水やコンクリートなどを詰めて重しにしていたのでしょうか。
ポリタンクを重しにするなら中に液体やコンクリートを入れるでしょうが、ポリタンクに何かが入っていたという報道はありませんでした。
事件の凶悪性、犯人の卑劣さを伝えるためにも、「こんな酷い細工をして逃げられないようにした!」という点は報道時に強調されると思うのですが、なぜポリタンクとしか報じられなかったのでしょう。
空っぽのポリタンクは小学6年生の女児でも軽く持ち上げられます。もしも吉里が玩具の手錠に空のポリタンクを繋いでいたとしたら、不謹慎ながら滑稽としか言えません。
本当に少女らを監禁する気だったのか、誰かに命じられて仕方なく少女を誘拐したものの、あえて逃げやすい状況を作ったのではないか?という疑念さえ生じます。
さらに被害者の少女のうち1人は、監禁されていた最中になんと現場マンション近くのATMを訪れていたのです。
ATMの防犯カメラに現金を引き出す少女の姿が写っていたといい、このことは事件直後にニュースでも報じられていました。
なぜかこの情報もすぐに報道されなくなったのですが、さらに不思議なのはATMに行った時にどうして少女が外で助けを求めなかったのかという点です。
マンションに残った3人を人質にとられていたなどの理由は考えられますが、それにしても吉里側は杜撰すぎないかという気がしてなりません。
果たして本当に、少女たちは身動きもとれないような状態で監禁されていたのでしょうか。
プチエンジェル事件の真相① 吉里弘太郎には自殺願望があった?
吉里には自殺願望があったため、少女を誘拐しておきながら急に自殺を図っても不思議ではなかったという指摘もあります。
ここでは本当に自殺だったという説の根拠とされている、吉里の生い立ちや家庭環境を見ていきましょう。
吉里弘太郎の生い立ち・経歴
吉里は3人兄妹の次男として生まれたといい、高校を卒業した後は東京藝術大学に進学していました。
大学時代は大変モテたらしく、複数の女性と同時に交際しながら、生活費や遊興費を出してもらうという学生でありながらヒモ同然の暮らしをしていたそうです。
また、見た目に恵まれていたことを活かしてホストとしてアルバイトをするようになり、そこで初めて客としてデートクラブを利用したとされます。
当時はデートクラブビジネスが盛んだったため、吉里は自分でもデートクラブを経営しようと考え、まずは多摩地区で主婦を使ったデートクラブを運営。
これに味をしめて、渋谷や新宿に進出して18歳未満の少女に売春させればもっと儲かると考え、誕生したのがプチエンジェルでした。
吉里のデートクラブはすぐに軌道に乗り、35億円とも言われる巨額の資産を築いたといいます。
相次ぐ家族の自殺
吉里の父親は元・朝日新聞西部本社社会部長で、本人の学歴からも想像できるようにエリート一家でした。
しかし父親は1996年に難病を苦に自殺、兄も1999年に自殺しており、母親も後を追うように2001年に自殺未遂を起こしています。
母親が自殺未遂をした翌年に吉里は児童買春事件を起こしており、この頃から周囲に「死にたい」と漏らすようになっていたそうです。
そのため、度重なる家族の自殺、自殺未遂から希死念慮に取り憑かれてた吉里が、偶然に少女を監禁している最中に死にたいという衝動を抑えきれなくなっただけなのではないか、自殺に使う練炭などについてはこれまでも衝動的に同じようなものを買っていたのではないか、とも指摘されています。
遺体の不審点
自殺願望があったとしても残るのが、吉里の自殺方法と遺体の状態の不審点です。
上でも触れましたが、吉里の遺体に火傷がなかったという情報が本当ならば、やはり死因は練炭自殺ではなかったのではないかという疑惑が残ります。
正直なところプチエンジェル事件については公式に発表された情報が極めて少なく、なかば都市伝説化したような噂も多くながれているため、吉里の死の真相については不明としか言いようがありません。
プチエンジェル事件の真相② フリーライターの怪死は事件とは無関係だった
プチエンジェル事件について知りすぎてしまったために殺されたのではないかと噂されたフリーライターの染谷さんですが、実は事件とは関係のない理由で殺害されたことが明らかになっています。
染谷さんの遺体が発見された約1週間後に「木原武士」という別名でTV出演もしていた鍵職人の桜井景三と共犯者として無職の熊本恭丈、染谷さんのアシスタントをしていた藤井亮一という3人が逮捕されたのです。
桜井は『歌舞伎町アンダーグラウンド』などの著作のなかで「復讐請負人をしている」などと名指しで批判記事を書かれたことから、染谷さんに恨みを持っていたそうです。
また、染谷さんは「桜井が防犯性能が高いと称しているオリジナルの鍵はイスラエル製品の粗悪コピーだ」という情報を握っており、暴露しようとしていました。
これを知った桜井は、共犯者を集めて染谷さんの殺害を企てたとされます。
なお、桜井は鍵屋の社長になる前に大阪で1年ほど暴力団に所属していた過去があるといい、背中に入れ墨が入っていると報道されていました。周囲からも凶暴で危険な人物だったとの証言が多数出ており、短絡的に犯行に及んだと見られました。
また、染谷さんと桜井の間には金銭トラブルもあったとのことです。
なんとルポライターの村田らむさんは殺害される直前まで染谷さんと一緒に仕事をしていたといい「犯人の桜井景三から300万円近い借金をしていて、踏み倒そうとしていた」として、染谷さんの殺害とプチエンジェル事件は無関係だと語っていました。
上の動画では染谷さんが失踪し、遺体で発見されるまでの過程と、なぜか村田らむさん自身にも染谷悟殺害の疑いが及んだという話を丸山ゴンザレスさんと対談形式でしています。
報道されないような裏話も出てくるので、染谷さんの事件について興味がある方は視聴してみてはいかがでしょうか。
プチエンジェル事件の真相③ 別事件から暴力団との関係が指摘される
2003年7月12日、自民党所属の元国会議員の糸山英太郎氏が東京都港区三田3丁目にある「ザ・イトヤマタワー」の18階で16歳の少女に15万円を渡して買春をしたという事件が起こりました。
当時、この事件は『週刊新潮』や『フォーカス』などの週刊誌で報じられ、さまざまなウェブメディアでも取り上げられました。
しかし、現在では新聞社やTV局などが運営するニュースサイトには残っておらず、糸山氏のWikipediaや当時の2ちゃんねる、個人ブログなどに情報が残るのみです。
というのも、糸山氏が「相手が16歳だとは知らなかった」と供述し、これが認められて逮捕されなかったため、続報がなかったのです。
実際に逮捕されたのは糸山氏に少女を紹介し、売春を斡旋した3人の暴力団関係者のみで容疑は児童福祉法違反でした。
現金を渡して買春をした事実がある以上、相手の女性が未成年だと知らされていなくても売春防止法に引っかかるのではないかという疑念は残ります。
相手の少女が「成人している」と嘘をついていたり、偽の身分証を持っていたりと、「成人している」と思い込んでしまっても仕方ない客観的な証拠があったのならともかく、もしも糸山氏の「知らなかった」という供述だけが証拠になったのだとしたら、不自然と言わざるを得ません。
たとえば2004年にはテレビ愛知の常務が15歳の女子中学生を買春した容疑で逮捕されているのですが、その際には「未成年だと知らなかった」という言い訳は通用しませんでした。
そのため事件当時も、糸山氏は現在で言うところの上級国民にあたるため逮捕されなかっただけだろう、という意見がネット上では飛び交っていました。
逮捕された暴力団員と吉里弘太郎の関係
糸山氏の疑惑についてはさておき、この時に逮捕された3人の暴力団関係者は吉里とも繋がっていたという話があります。
そもそも非合法の未成年売春組織などを経営していれば必ず暴力団の目には止まりますし、持ちつ持たれつの関係を築かないと、それこそ売上をめぐって殺害されかねません。
吉里のビジネスには、ほぼ確実に暴力団関係者が絡んでいたはずです。
もしも吉里の背後にいたのが糸山氏にも繋がる暴力団関係者であった場合、吉里の死にもこの暴力団、ひいては権力者が絡んでいたのではないか、との疑惑があります。
実際に吉里が住んでいた久喜市のアパートの周辺住民からは、吉里が強面の男が運転する車の後部座席に乗せられて、どこかに行く様子が頻繁に目撃されていたとの話も出ていたそうです。何らかの形で事件に暴力団関係者が関わっていた可能性は考えられるでしょう。
プチエンジェル事件の真相④ 顧客リストが本物だったと仮定して
プチエンジェル事件にまつわる噂や陰謀論のなかで、はっきりと真相がわかっているのが前述の①〜③で紹介した事柄です。
これを踏まえて、さらに一番の問題とされる顧客リストに有名人の名前が本当に載っていたと仮定した場合、事件の真相にもっとも近いのではないか?とされているのが、デートクラブ運営の目的は金ではなかったという説です。
この説では、吉里の背後にいたのは中国マフィアと日本の暴力団の2つの組織で、少女売春を通して政財界の情報を集めるのか目的だったのではないか?と考察されています。
中国マフィアとの関連が噂されるのは、橋本龍太郎元首相が公安の工作員とは知らずに中国人女性のハニートラップにかかって、機密情報を流したという前例があるためです。
橋本元首相の後にも上海総領事館員が中国でハニートラップにかかって自殺を選ぶという痛ましい事件が起きており、たびたび問題視されてきました。
少し飛躍し過ぎな気もしますが、国同士の情報戦の手段に非合法のデートクラブが利用され、中国マフィアに売春要員として引き渡すために吉里は少女たちを誘拐したのではないか、とも指摘されています。
割の良い仕事程度の気持ちで手を出したデートクラブビジネスが、まず日本の暴力団に目をつけられて非合法の大掛かりなものになった。
さらに中国マフィアも介入してきたことで自分の手を離れてとんでもないことになってしまい、脅されるがままに少女を誘拐してきたものの、怖くなって吉里は自殺したのではないか?
もしくはあまりにも早く吉里が誘拐犯として捜査線に浮上してしまったため、中国マフィアによって殺害されたのではないか?と言われているのです。
確かな情報から考えられるプチエンジェル事件の真相としては、この説が一番現実的なのではないでしょうか。
プチエンジェル事件のその後① 被害者の少女たちの現在
プチエンジェル事件の被害者である4人の小学生は、保護された直後こそ精神的なダメージが大きかったのか様子がおかしかったといいますが、外傷もなく、じきに精神状態も回復したとのことです。
事件後、彼女たちが通っていた小学校の校長がマスコミの取材に対して「被害にあった4人はごく普通の児童で、校内での問題行動などもなかった」と発表し、素行の悪さから事件に巻き込まれたという非難を否定しました。
一方で、少女らの同級生からは「被害者の少女らは学校に携帯電話を持ち込んでいた」「よく子どもだけで渋谷で遊んでいるという話を聞いた」「被害者のなかには髪の毛を染めている子もいた。同級生からはギャル扱いをされていた」などの証言も出ていたとされます。
いずれにしても前と同じ学校に通うのは辛かったようで、卒業を目前に控えながら被害者のうち少なくとも2人は事件後に引っ越し、転校していったとのことです。
被害者は1人消えている?
「プチエンジェル事件の被害者は1人消えている」という噂がネット上に流れたことがありますが、これは事件当時、マンションにもう1人少女がいて、行方不明になったということではありません。
マンションに監禁されていた少女の数は間違いなく4人だったのですが、保護された後に1人がひき逃げに遇って命を落としたため、「被害者が1人消えた」と言われているのです。
このひき逃げ事件については、ニコニコ動画で放送された「ニコ生ナックルズ『未解決事件大全2』~テレビじゃ放送できない不気味な事件たち~」で、ジャーナリストの片岡亮さんが触れており、取材を続けていて知ったといいます。
4人の被害者少女のうち、髪の毛を染めて大人びた外見のギャルっぽい子がひき逃げで亡くなったとのことです。
なお、被害者少女は全員亡くなった、自殺者が出たなどの噂もネット上には流れていますが、上記のひき逃げ事件以外に、プチエンジェル事件の被害者のその後がわかる情報は出ていません。
そのため被害者のうち3人に関する噂は、単なるデマの可能性が高いと思われます。
プチエンジェルで働いていた少女の画像が流出している?
「プチエンジェル事件で吉里弘太郎の家から押収されたビデオの画像が流出した」「プチエンジェルで働いていた少女の画像」としてネット上に流れている上のような画像ですが、これらはすべてフェイク画像です。
画像の出処は、プチエンジェル事件をパロディにしたアダルトビデオだということが判明しています。
これらの画像をもと「この子がアイドルの〇〇に似ている」「〇〇はプチエンジェル事件に関わっていたらしい」といった噂もネット上で流れていますが、画像そのものがプチエンジェル事件と無関係なので、本気にしないよう注意が必要です。
プチエンジェル事件のその後② フリーライターを殺害した犯人の現在
プチエンジェル事件とは無関係だったことが明らかになっていますが、染谷悟さんを殺害した桜井景三のその後について興味深い報道があったため、最後に紹介しておきます。
桜井は逮捕後の裁判で懲役16年を言い渡され、宮城刑務所に服役していました。
ところが出所を目前にした2019年7月に、刑務官に現金138万円を渡して刑務所内での待遇や清潔面での便宜を図ってもらっていたという贈賄疑惑が持ち上がり、逮捕されています。
そして贈賄罪で起訴されて刑期が2年延長となりました。
その後は2021年に刑期を終えて出所したものと見られますが、なんと2023年2月には宮城刑務所の刑務官の家に放火しようとして火炎放射器を国外から輸入した疑いで、またしても逮捕されていたのです。
動機など詳細は不明ですが、服役中に刑務官とトラブルがあり、恨みによる可能性が高いとのことです。
贈賄罪で桜井の刑期が延びた際には、何者かの陰謀で刑期が延ばされたのではないか?やはり染谷悟殺害事件はプチエンジェル事件に関わっているのでは?とも囁かれていました。
しかし、このようにたびたび事件を起こしている様子を見る限り、桜井はカッとなって犯罪に走りやすい人物なだけではないのか、という印象を受けます。
プチエンジェル事件についてのまとめ
今回は2003年7月13日から17日の間に起きた女子小学生誘拐・監禁事件、プチエンジェル事件について紹介しました。
この事件は本当に情報が少なく、当時の報道も頻繁に情報の更新や差し替えがあったために、何が本当なのかはっきりしないままに解決したことになってしまったという印象があります。
事件から20年が過ぎ、今後プチエンジェル事件の真相に繋がるような新情報は出ないだろうと見られています。おそらくその通りなのでしょう。
せめて事件の被害者になり、生き残った3人の少女が現在は平穏な生活を送っていてくれれば、と願います。