1992年に福岡県飯塚市で起こった飯塚事件は久間三千年が逮捕されて死刑が執行されていますが、冤罪の可能性がある事件です。
飯塚事件の概要や久間三千年の生い立ちや家族(妻/息子)について、死刑執行と最後の言葉、冤罪と真犯人などをまとめました。
この記事の目次
飯塚事件とは
飯塚事件とは、1992年2月20日に福岡県飯塚市で当時7歳の2人の女児が行方不明になり、翌日の2月21日に同県甘木市(現在の朝倉市)で遺体が発見され、事件から2年後の1994年に飯塚市内に住む久間三千年(逮捕時54歳)が逮捕された事件です。
2人の女児が遺体で発見
1992年2月20日に福岡県飯塚市で、当時7歳・小学校1年生の女児2人が登校中に行方不明になりました。
保護者や学校関係者、警察が2人の女児の行方を捜していましたが、行方不明翌日の2月21日に、失踪したと思われる飯塚市から約20km離れた甘木市(現在の朝倉市)の山中で遺体が発見されました。
2人の女児の遺体は次のような状態で発見されています。
・顔に傷があった
・下半身は下着を脱がされていた
・性的暴行を加えられた痕があった
2人の女児の死亡推定時刻は午前9時30分以前と見られています。また、遺体発見現場から数km離れた場所で、女児たちのランドセルや洋服、下着などが捨てられているのを発見されました。
捜査線上に久間三千年が浮上
この飯塚事件では、事件発生から5日後の2月25日に、女児2人と同じ校区に住んでいる久間三千年に警察は事情聴取をしています。久間三千年は事件当時、無職で専業主夫をしていました。
女児2人の遺留品が発見された場所で事件当日の午前11時頃に不審な車が目撃されていますが、この車の特徴・色などを同じものを久間三千年が所有していて、さらに事件から数年前の女児行方不明でも久間三千年が捜査線上に浮上したことから、警察は久間三千年を容疑者として捜査を進めています。
警察は目に見える形で久間三千年を尾行したり、自宅前で張り込みをするなど徹底的にマークをしていましたが、久間三千年を逮捕する決定的な証拠はなく、逮捕に至ることはありませんでした。
久間三千年を逮捕
出典:fnn.jp
事件が動いたのは1993年になってからです。1993年9月29日に、久間三千年がゴミを出した後、すぐにそのゴミを警察が回収しようとしたことに久間三千年は激怒し、剪定鋏を取り出して、警察ともみあいになり、警察官2人にケガを負わせます。
そのことで、久間三千年は傷害容疑で現行犯逮捕され、略式起訴となり、罰金10万円の判決となりました。この現行犯逮捕をきっかけに、久間三千年が事件当時に所有していた車をもう一度鑑定したところ、次のような鑑定結果が出ました。
・車のシートに付着した血液や尿の血液型が被害者の1人と一致
この結果から、久間三千年は事件から2年以上経過した1994年9月23日に死体遺棄罪で逮捕され、その後に殺人罪や略取誘拐で追起訴されています。
飯塚事件の久間三千年の生い立ち
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久間三千年は1938年1月9日に生まれています。詳しい生い立ちはわかっていませんが、事件当時52歳の時点では、専業主夫となっていて、飯塚市内の明星寺団地に住んでいました。
以前は公務員として働いていたこともありましたが、仕事を辞めた後は妻の給料と自分の年金で生活していたとのことです。
毎日、妻を職場まで車で送り迎えしていたそうですし、町内会長をしていたとのことですから、マメで地に足がついた生活をしていたようです。
飯塚事件の久間三千年の家族(妻や息子)
久間三千年は事件当時、妻と小学生の息子の3人暮らしでした。事件当時54歳で、息子は小学生でしたから、年齢を重ねてからできた子供だったようです。
久間三千年は事件当時は専業主夫(無職)だったことから、「ヒモ生活」と思われがちですが、当時はかなり珍しい専業主夫をしていたようで、家族仲は良かったことが妻の証言からわかります。
私たち家族の幸せは、日々のなかにあり、夫の優しさ、思いやりは、生活の中に満ちあふれていました。子供の成長に合わせて、軽自動車のワンボックスから普通車のワンボックスに替えて、運転席に3人で座って出かけるのが楽しみでした。
引用:冤罪処刑だったのか? 小1女児2人殺害「飯塚事件」久間三千年が獄中で訴え続けた「警察の捏造」! 妻も主張「夫は正義感の強い人間」 (2017年6月25日) – エキサイトニュース
このような家族の証言を見ると、久間三千年が小学生女児2人に性的な暴行を加えて殺害するなんて思えません。
また、妻は事件から25年経った2017年に、日本テレビにの報道番組にVTR出演し、夫は無実で冤罪であることを主張していました。25年経っても夫のために闘い続ける妻の姿を見ると、やはり久間三千年は飯塚事件の真犯人ではないかもしれないと思えてきます。
飯塚事件で久間三千年を逮捕・有罪となった根拠
飯塚事件では、警察は久間三千年を逮捕しました。なぜ、警察は久間三千年を逮捕したのかを、裁判で明らかになった根拠などを交えながら見ていきましょう。
車両の目撃情報
飯塚事件では事件当日、女児2人が行方不明になったと思われる現場付近で、女児が最後に目撃された時間前後に、久間三千年が所有する車と同じ特徴の車が複数人に目撃されています。
・車の色は紺色(マツダ独特の青みがかった黒)
・窓にスモークフィルムが貼ってあった
・後輪はダブルタイヤ
久間三千年が当時所有していた車は上記特徴にすべて当てはまっていたんです。
また、事件当日の午前11時には、被害者の遺留品が発見された現場近くで、次のような車と40代くらいの男性が目撃されています。
・後輪はダブルタイヤ
・窓に色付きフィルム
このマツダのボンゴ車を所有していた人たちにはすべてアリバイがあり、色付きフィルムは貼っていなかったため、久間三千年が犯人の可能性は高まったと言えるのです。
アリバイ証言があやふや
飯塚事件では、久間三千年のアリバイ証言はあやふやでした。久間三千年は、事件当日の2月20日は朝に妻を職場に送って行って、そのまままっすぐ実母の家に行き、それからパチンコをして自宅に帰ったと証言しています。
しかし、この証言に至るまでには、「妻を職場に送った後、一度自宅に戻った」と言ったり、「後になってから、自分のアリバイを思い出した」と言ったり、非常にあいまいで、証言を変えたりしていました。
さらに、実母はその日に久間三千年が遊びに来たかは定かではない(記憶にない)と証言していますし、妻は実母宅に米を届けたのは「事件前後」としていて、確実に2月20日に実母宅に行ったという確証はありません。
そのため、久間三千年のアリバイ証言はあいまいで、アリバイは成立しておらず、犯行の機会はあった可能性があるのです。
繊維片がほぼ一致
1993年になってから再鑑定された結果の中に、被害者の衣服から採取された繊維片と久間三千年の車の座席シートの繊維片がほぼ一致したという結果が出ました。
ただ、「ほぼ一致した」というだけで、裁判では「ボンゴ車の座席シートの繊維片であると断定することはできない」としています。それでも、「一致する可能性は極めて濃厚」としています。
膣周囲からの血痕DNAが一致
被害者の女児2人の膣内や膣周囲には血痕が付着していました。この血痕のDNAと久間三千年のDNAは一致したのです。
このDNA鑑定と血液型鑑定を合わせると、約266人に1人の割合で、久間三千年と犯人は一致することが分かっています。
陰茎から出血しやすい状況
被害者女児の膣周囲には、犯人のものとみられる血痕がありました。被害者の下着には血痕は付着していなかったことから、被害者に付着した血液は犯人の陰茎からの出血だったと推測されています。
当時の久間三千年は亀頭包皮炎を罹患していて、外部からの刺激に対して、簡単に陰部から出血してしまう状態でした。
車の後部座席から血痕・尿痕が検出
久間三千年の車の後部座席からは、誰のものかは不明ですが、血痕や尿痕が付着していました。血痕はO型であり、尿は相当量のものだったことはわかっています。
ただ、久間三千年の妻も息子も、車内で鼻血を含め出血した記憶はなく、失禁した記憶もないということですし、久間三千年もなぜ血痕や尿痕が後部座席に付着していたのか、整合性のある説明ができませんので、裁判では被害者女児のもの考えるのが妥当と結論づけられました。
飯塚事件の久間三千年は冤罪を主張
久間三千年は逮捕されてから、一貫して飯塚事件に無関係であり、自分は無罪で冤罪であると主張し続けました。
久間三千年とその弁護人たちが冤罪を主張する根拠を見ていきましょう。
DNA鑑定のあやふやさ
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久間三千年が有罪になった証拠の1つには、DNA鑑定がありました。被害者に付着したDNAを鑑定したところ、血液型も合わせると、犯人と久間三千年は266人に1人の割合で一致しています。
しかし、事件当時のDNA鑑定はまだ技術が未発達であり、欠陥がある鑑定方法でした。実際に、足利事件では同時期に同じ方法・同じ技術、ほぼ同じ科警研のメンバーでDNA鑑定が行われましたが、鑑定結果が間違っていて、足利事件は冤罪だったことが裁判で認められました。
しかし、飯塚事件のMCT118鑑定は、足利事件以上に不出来であり、①目盛りとなる123ラダーマーカーに重大な欠陥がある、②電気泳動像のバンドの幅が広すぎ、形が悪すぎて、型判定ができない、③現場で採取した試料と被告人から採取した試料を同時に電気泳動していない等、数々の問題点があります。
そのため、飯塚事件のDNA鑑定結果は間違っているし、久間三千年は冤罪であると主張しているのです。
久間三千年にはアリバイがある
久間三千年は、自分のアリバイがあることを主張しています。
久間三千年は事件当日の8時10分ごろに妻を職場に送り届けた後、そのまま山田市内の実母の家に行って、午前10時05分ごろまで母親とおしゃべりをしていた。
そして、午前10時20分から午後0時30分までパチンコをして、午後1時ごろに自宅に戻ったと証言しました。そのため、久間三千年には犯行は不可能であると主張しています。
ただ、前述のとおり、久間三千年のアリバイはあやふやで、「アリバイがある」と断定できる状態ではありません。
車両の目撃証言は誘導?
飯塚事件で久間三千年が逮捕されたのは、現場と遺留品が発見された付近で、久間三千年が所有しているワンボックスカーと同じ特徴の車が目撃されていたことが決め手の1つとなりました。
久間三千年の弁護側は、この目撃証言は警察の誘導があったのではないか?と主張しています。
遺留品発見現場の目撃証言は、目撃後に相当時間が経過しているのに、内容があまりにも詳細にすぎ、実際には見えないはずのことまで証言している等の問題点があります。
被害者の失踪現場付近での目撃証言も、事件発生から何か月も経過してから証言を始めた、科警研のDNA鑑定が出た後に証言を始めた、その内容もあまりにも詳細にすぎる等の問題点があります。
確かに、車の特徴やその場にいた中年男性の特徴などをかなり細かく証言しています。
警察が久間三千年を犯人に仕立て上げるために、目撃者に対して、「このように証言しろ」もしくは「こんな感じの車が停まっていたはずですが」のように誘導した可能性があるのです。
飯塚事件の久間三千年に死刑判決
飯塚事件では、久間三千年に死刑判決が言い渡されました。
・第二審:死刑判決(2001年10月10日)→控訴棄却
・最高裁:死刑判決(2006年9月8日)→上告棄却
飯塚事件の久間三千年の最後の言葉
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久間三千年は2008年10月28日に死刑が執行されています。久間三千年が死刑執行後に弁護士に語った最後の言葉は、次のようなものでした。
「私より前に確定した死刑囚がこれだけいます。(再審請求を)急がなくて大丈夫ですよ」
引用:【検証飯塚事件・2.6高裁決定を前に】(下)死刑後の再審高い壁 前例なし刑事司法根幹に影響 可否判断「裁判官に重圧」|【西日本新聞me】
再審請求をしていると、死刑執行は回避されることが多いので、弁護士は再審請求をしようと動いていました。しかし、久間三千年は自分よりも前に死刑が確定した死刑囚がたくさんいるので、「再審請求を急ぐ必要はない」と思っていたようです。
この最後の言葉を発したのは、死刑執行の約1ヶ月前のことでした。
そして、死刑執行の2週間前には、市民団体が開いた世界死刑廃止デーのイベントがありましたが、そのイベントには、次のようなメッセージを寄せています。
「有罪の直接証拠がないまま、ひとりの人間に『死』を宣告してはばからないこの国の司法に対して私は『否』を貫き通します」
久間三千年は捜査段階から死刑直前まで、一貫して無罪・冤罪を主張し続けています。その期間は約16年半。もし、冤罪ならば、これだけの長い期間、1人でずっと冤罪と闘い続け、警察や検察の圧力にも屈さずに耐え続けてきたことになります。冤罪の恐ろしさ・残酷さを感じずにはいられません。
飯塚事件の久間三千年の死刑執行後に再審請求を行う
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久間三千年は死刑判決後に再審請求を行う予定でしたが、その前に死刑が執行されました。一貫して冤罪を主張し続けていた久間三千年の名誉回復のために、妻と弁護団は再審請求を行っています。
再審請求の理由は、DNA鑑定が疑わしいことと、車の目撃証言で警察の誘導があったのでは?というものでしたが、再審請求は棄却されています。
新たな真犯人の可能性を示す目撃情報も?
しかし、2021年になって新たな目撃証言が出てきたとして、久間三千年と弁護団は第2次再審請求を行いました。
新たな目撃情報とはこちらです。
・その車には女児2人が乗っていて、車内にランドセルがあった
・運転していたのは30~40代の色白で丸刈り男性
・運転手は久間三千年とは違う人物だった
この目撃証言から、この白のワンボックスカーの運転手が飯塚事件の真犯人の可能性があるとして、第二次再審請求を行っています。今後、再審が行われるかは審議中となっています。
飯塚事件の真犯人は久間三千年なのか?
飯塚事件の真犯人は誰なのでしょうか?足利事件では、ずさんなDNA鑑定のせいで冤罪が生まれてしまいました。
では、飯塚事件はどうなのでしょうか?同じ方法で行われたDNA鑑定が行われた飯塚事件ですが、「真犯人はやっぱり久間三千年で冤罪ではない可能性もある」とする声も多いのです。
DNA鑑定以外の証拠も多い
足利事件ではDNA鑑定が逮捕の決め手となっていましたが、飯塚事件ではDNA鑑定以外の証拠もたくさんあります。車の目撃証言やアリバイの曖昧さ、車の血痕・尿痕、繊維片などなどです。
そのため、たとえDNA鑑定の結果がなくても、久間三千年が犯人であると示す証拠はたくさんあるのです。
ちなみに、新しい方法で再鑑定されたDNA鑑定では、久間三千年の車の血痕と被害者の血痕は、23,000人に1人の精度で一致しています。
久間三千年は福岡県飯塚市7歳女児行方不明事件での疑われた過去あり
出典:ameblo.jp
久間三千年が早い段階で、飯塚事件の捜査線上に浮上した理由の1つに、1988年に起こった福岡県飯塚市7歳女児行方不明事件で容疑者になったことがあります。
1988年12月4日に飯塚市で7歳の小学1年生の女の子が、久間三千年の息子を訪ねて自宅に来た後に行方不明なった事件がありました。この女の子の最後の目撃者が久間三千年だったのです。
この事件では、あくまで「最後の目撃者」だったため、久間三千年が逮捕されることはありませんでした。
しかし、飯塚事件で逮捕された後、この事件に関して久間三千年をポリグラフ検査にかけたところ、異常な反応を示したため、久間三千年の自宅近くの雑木林を捜索したところ、行方不明になった女の子の衣類が発見され、近くからは小さな骨(人骨かどうかは判別できず)が発見されました。
久間三千年に衣類が見つかったことを話すと、動揺した様子を見せて、「骨は見つかったのか?」のように警察官に質問してきたとのことです。
この福岡県飯塚市7歳女児行方不明事件は、飯塚事件によく似ています。そして、福岡県飯塚市7歳女児行方不明事件でも、久間三千年が真犯人ではないかと怪しまれているのです。飯塚事件も久間三千年が逮捕されていますので、やっぱり冤罪ではなく、久間三千年が真犯人なのかもしれません。
新たな目撃証言もは時間的に合わない
2021年7月に、新たな目撃証言が出てきたとして、久間三千年の妻と弁護団は第二次再審請求を行いました。
ただ、この新たな目撃証言がすべて正確だったとしても、肝心の時間が合わないのです。この新たな目撃証言は「2月20日の午前11時ごろ」です。この時、車の後部座席に2人の女児がいた(1人は座って、1人は横になっていた)、つまり被害者の2人は午前11時時点では生きていたことになります。
でも、司法解剖で2人の女児の死亡推定は午前9時30分以前となっているのです。となると、ここに時間的な矛盾が生じます。
遺体がかなり腐乱していたり、特殊な状況下であれば、死亡推定時刻が動く可能性はありますが、死亡から遺体発見まで1日しか経っていませんし、冬場だったので、遺体も傷んでいなかったと思われます。また、胃の内容物などから見ても、午前9時30分以前に2人の被害者は亡くなっていると見られるのです。
そうすると、この新たな目撃証言で目撃されている女児2人は、被害者の女児ではなく、全然関係ない女児だった可能性が出てきます。
これらのことを総合すると、飯塚事件の真犯人が久間三千年ではないと否定する証拠はなく、飯塚事件の真犯人は久間三千年の可能性が高くなってくるのです。
飯塚事件が冤罪とされる2つの理由
この飯塚事件を総合的に考えると、久間三千年が真犯人と判断することに矛盾は生じていません。でも、飯塚事件は冤罪であるとする風潮があります。なぜ、飯塚事件は冤罪であると見られているのでしょうか?
足利事件の影響とDNA鑑定
飯塚事件が冤罪であるとされる理由の1つは、足利事件の影響でしょう。足利事件ではDNA鑑定が間違っていたために、冤罪が起こってしまいました。
そして、飯塚事件でのDNA鑑定は足利事件と同じ時期に同じ方法で同じ科警研が行っているので、DNA鑑定が間違っているのではないか?と言われるのです。
ただ、飯塚事件と足利事件が決定的に違う点があります。
・飯塚事件は再鑑定しても久間三千年が犯人であると示す結果となった
足利事件で菅家利和さんが犯人であると示す証拠はDNA鑑定だけだったのに対し、飯塚事件はDNA鑑定がなかったとしても、久間三千年が犯人であると示す証拠は多数ありました。また、DNAの再鑑定をしたら、久間三千年が犯人である(久間三千年の車の血痕と被害者の血痕が2万3000人に1人の精度で一致)と示す結果になったのです。
それでも、足利事件のDNA鑑定の間違いによって冤罪が判明したというニュースの影響は大きかったため、足利事件が冤罪なら飯塚事件も冤罪なのでは?と言われるようになりました。
死刑執行の異常なスピード
飯塚事件が冤罪であると言われるようになった2つ目の理由には、死刑執行の異常なスピードがありました。飯塚事件では、2006年に死刑が確定し、2年後の2008年に執行されています。
一般的に死刑が執行されるのは、死刑が確定してから8~10年程度のことが多いので、飯塚事件の久間三千年の死刑執行はかなり早いと言って良いでしょう。
一応、刑事訴訟法では死刑確定から6ヶ月以内に死刑を執行しなくてはならないと定められているので、法的な矛盾はありません。でも、ほかの死刑囚と比べて早いことは間違いないのです。
なぜ、こんなに早く死刑が執行されたのか?これは、DNA鑑定のミスを隠すためでは?冤罪を隠すためでは?と一部では言われています。
2008年には足利事件でDNA鑑定の再鑑定の動きが顕著になってきました。これを受けて、「飯塚事件でも再鑑定されたらまずいことになるから、それなら早く死刑を執行してしまえ!」として死刑が執行が執行されたのでは?と見られているのです。
「あまりに早い死刑執行。冤罪を隠すためでは?」と思われるのは無理もありません。
飯塚事件と久間三千年のまとめ
飯塚事件の概要と久間三千年の生い立ちや家族、死刑執行と最後の言葉、冤罪の可能性と心煩についてまとめました。
飯塚事件の真犯人は久間三千年なのか?それとも、ほかにだれか真犯人がいるのか?今のところは、久間三千年が冤罪だったと示す証拠はほとんどありません。
しかし、たとえ真犯人がほかにいたとしても、すでに死刑は執行されてしまっているので、司法は自分たちのメンツにかけて、再審は行わない可能性が高いと思います。