2019年4月に起こった池袋暴走事故(東池袋暴走死傷事故)を覚えていますか?この池袋暴走事故の被害者遺族が松永拓也さんです。
松永拓也さんの学歴や経歴(仕事・職業)、結婚や嫁・子供、再婚のデマや誹謗中傷、飯塚幸三の謝罪受け入れなどの現在をまとめました。
この記事の目次
松永拓也は池袋暴走事故の被害者遺族
松永拓也さんは2019年4月に発生した池袋暴走事故の被害者遺族です。
松永拓也さんの妻子である松永真菜さん(享年31)と娘の莉子ちゃん(享年3)が、飯塚幸三(当時87歳)が運転していたプリウスの暴走によってはねられて亡くなりました。
松永拓也さんは被害者遺族として加害者の厳罰を望む署名運動を行ったり、「関東交通犯罪遺族の会(あいの会)」のメンバーとして事故の再発防止のために、高齢者の免許返納を促進する施策の必要性を訴えるなど、被害者遺族だからこそできる活動を表に立って活動しています。
池袋暴走事故とは
池袋暴走事故は、2019年4月19日12時25分ごろに、地下鉄東池袋駅前の交差点で起こった交通事故です。
この交通事故は加害者である飯塚幸三(当時87歳)が運転していたプリウスが暴走し、歩行者や自転車を次々にはね、松永拓也さんの妻子である松永真菜さん(享年31)と娘の莉子ちゃん(享年3)の2名が死亡、運転していた飯塚幸三と助手席にいた妻を含む10人が重軽傷を負いました。
この池袋暴走事故は、飯塚幸三がブレーキとアクセルを踏み間違えたことが原因の事故でしたが、次のようなことが理由で、飯塚幸三へのバッシングが相次ぎました。
・車の故障でブレーキが利かなくなったと無罪を主張し続けた
・87歳という高齢だった
・杖を使うことがあるほど足が不自由だった
・パーキンソンに似た症状があり、医師から「運転は許可できない」と言われていた
また、飯塚幸三は事故から7ヶ月後にようやく書類送検されました。
書類送検が遅くなったのは、飯塚幸三が事故のケガで入院生活を送っていたためです。
ただ、あまりにも遅い書類送検、しかも逮捕ではなかったこと、さらに飯塚幸三が通算産業省の技官でクボタの副社長を務めていた経歴から「上級国民だから優遇されているのではないか?」と噂されるようになり、「上級国民」という言葉はユーキャン新語・流行語大賞候補になったほど話題になりました。
松永拓也の学歴や経歴(仕事や職業)
出典:oricon.co.jp
池袋暴走事故の被害者遺族である松永拓也さんの学歴や経歴はほとんど明かされていません。
ただ、事件当時は会社員として働いていて、現在も働き続けていることはわかっています。
マスコミ各社の報道からわかっていることをまとめました。
松永拓也さんの自宅
松永拓也さんは東京都豊島区の2DKのアパートに親子3人で住んでいました。
妻子の真菜さんと莉子ちゃんが池袋暴走事故に遭った時、自転車に乗っていました。
ということは、東池袋駅から3歳の娘を後ろに乗せて自転車で行ける距離の場所に住んでいるということですね。
松永拓也さんは事故から5年経った現在でも、この2DKのアパートは借りたままになっています。ただ、松永さん自身はやはりつらい思い出になってしまうのか、事故後は近くにある両親の家で生活しているとのことです。
松永拓也さんの学歴・経歴
松永拓也さんは豊島区のアパート近くに両親の家があるとのことですから、東京都豊島区(もしくはその周辺)出身ということになります。
学歴については不明ですが、事故当時は会社員をしていました。
都内企業に勤めていたとのことですが、事故が起こった時は千葉の職場にいたそうです。
事故が起きた昨年4月19日、松永さんは千葉県内の勤務先にいた。
ということは、都内に本社があり、千葉に支社があるような企業なのかもしれません。また、ある程度の規模があり、しっかりした企業の可能性が高いです。
なぜなら、事故の後約1ヶ月間、松永拓也さんは仕事を休むことができ、さらに必要時は在宅勤務選択できるような会社だからです。
都内の企業に勤める松永さんは2019年4月の事故後、忌引や有給休暇などを合わせて約1カ月間、休みを取った。
仕事は会社の理解を得て、在宅勤務だけにした。
引用:「殺害予告」が遺族、松永拓也さんの生活を変えた…「争い」終わらず、かなわぬこと 池袋暴走事故:東京新聞 TOKYO Web
最愛の家族を事故で亡くしたら、会社がこのくらいの配慮をするのは当たり前と思うかもしれませんが、実際問題としてきちんとこれだけ対応してくれる企業はそこまで多くありません。そして、このような配慮をしてくれるのは大企業が多いです。
ということは、松永拓也さんはある程度の規模の企業で働けるくらいの学歴があったと考えられます。
松永拓也さんは給料が高い仕事?
松永拓也さんは事故当時、給料が高い仕事をしていたエリートサラリーマンの可能性があります。
そもそも、ファミリー用の2DKのアパートを豊島区の池袋近くに借りられるというだけで、ある程度の給料があったと考えることができますよね。
また、嫁の真菜さんと交際していた時には月に3回、東京から沖縄に通っていましたし、結婚後は真菜さんはおそらく専業主婦をしていましたが、北海道に旅行に行ったり、沖縄に頻繁に帰省したりしています。
2019年5月には沖縄帰省、2019年6月にはディズニーランドへの旅行も計画していたそうです。
このような生活スタイルから、松永拓也さんは大企業のサラリーマン、もしくは給料が高い仕事をしていたと考えることができます。
松永拓也の結婚や嫁との馴れ初め
馴れ初めと結婚
松永拓也さんは嫁になる真菜さんと、2013年の夏に出会いました。松永さんが27歳、真菜さんが26歳でした。
松永さんの母親が沖縄出身で、親戚の法事で沖縄に行った時に従兄弟に真菜さんを紹介されて、松永さんは真菜さんに一目惚れしました。
沖縄滞在中に真菜さんを食事に誘い、6時間もの間松永さんが一人で話しているのを、真菜さんは「うんうん」と笑顔で聞いてくれていたそうです。
松永さんが東京に戻った後は、毎日1時間以上電話で話し、松永さんが月に2~3度沖縄に行き、真菜さんが月に1度くらい東京に来て会うという生活を続け、仲を深めていきました。
でも、実は松永さんは真菜さんに2回も交際を断られているんです。
真菜さんは2009年に姉を白血病で亡くしていて、沖縄を離れることを決断できなかったので、松永さんとの交際に踏み切れなかったとのことです。
でも、真菜さんは友人に「好きだったら勢いも大事」とアドバイスされ、松永さんからの交際の申し込みを受け入れます。松永さんが3回目に告白したのは2013年11月4日のディズニーランドでのこと。
「良かったらお付き合いしてもらえませんか?」
すると、真菜さんはうれしそうな表情でこう答えました。
「きょうは何日か知っている?11月4日だよ。『いいよ』の日だよ」
こうして2人は交際を始め、1年後の2014年11月4日に入籍しました。
沖縄への移住を計画
2014年11月4日に結婚した松永拓也さんと嫁の真菜さんは、松永さんの職場がある千葉県で生活を始めましたが、2020年に沖縄に移住する計画を立てていました。
真菜さんは松永さんに沖縄に移住したいと打ち明けたそうです。
「3人で沖縄に移住したい。そして海のそばに、中古でいいから、小さくていいから家を買って、そこで生きていきたい」
松永拓也さんは真菜さんが自分と結婚するために東京に来てくれたのだから、今度は自分の番だと考え、2020年の移住を決め、沖縄で一軒家カフェを経営する計画を立てていたとのことです。
新婚生活は千葉で始めていましたが、松永さんと真菜さん、娘の莉子ちゃんは事故当時は豊島区に住んでいました。これは沖縄への移住の準備のためでした。
真菜さんたちが松永さんの親の住むビルに転居したきっかけについて、沖縄に移住する準備のためと証言。
引用:【詳報】池袋暴走事故 飯塚被告「踏み間違えた記憶は全くございません」無罪主張 検察は禁錮7年求刑:東京新聞 TOKYO Web
もしかしたら、事故当時に松永拓也さん家族が住んでいた豊島区のアパートは、松永さんのご両親が所有していたアパートなのかもしれません。職場は千葉だけど、移住に向けて節約・貯金をするために、ご両親所有のアパートに引っ越して家賃を浮かせていたと考えることができます。
ということは、松永拓也さんは実家が不動産持ちのお金持ちだったのかもしれません。実家の援助もあるから、思い切って移住を決断できたのかもしれませんね。
ただ、沖縄への移住を翌年に控えた状態で、松永拓也さんは妻子を飯塚幸三が起こした事故で失ってしまうのです。
松永拓也の子供は娘…息子はいない
出典:fnn.jp
松永拓也さんには事故当時3歳だった娘の莉子ちゃんがいました。息子はいません。松永拓也さんの子供は娘の莉子ちゃん1人だけです。
莉子ちゃんは2016年1月11日生まれです。
「莉子」という名前は、真菜と2人で考えました。香りのいい花を咲かせ、人々を癒やす、ジャスミンの花が由来です。花言葉は「愛らしさ」です。ジャスミンのように 可憐かれん で、人を癒し、人から愛される。そんな人になってほしいという願いを込めて、ジャスミンの日本語名である「茉莉花」から漢字を用い、莉子という名前に決めました。
引用:震える手で「無事でいてくれマナりこ」とLINE、いつまでも既読にならず…池袋暴走の遺族・松永拓也さんの意見陳述全文 : 読売新聞
ノンタンが大好きで、事故の4日後には初めて英語教室に行く予定になっていました。
とても可愛らしい莉子ちゃんでしたが、池袋暴走事故では母親の真菜さんと自転車に乗っていたところを飯塚幸三が運転していたプリウスにはねられてしまいました。
時速96kmでプリウスが突っ込んできたため、自転車は真っ二つになり、真菜さんだけ50mも吹き飛ばされたそうです。莉子ちゃんの顔は完全に陥没していて、父親である松永拓也さんも「見ないほうが良いと思う」と言われるほどの状態でした。
しかし、少しめくっただけで分かりました。莉子の顔は完全に陥没していました。全部見たら私の精神が壊れてしまうと察知し、諦めました。最後のお別れなのに、娘の顔すら見ることが出来ない無念さは計り知れないものでした。
引用:震える手で「無事でいてくれマナりこ」とLINE、いつまでも既読にならず…池袋暴走の遺族・松永拓也さんの意見陳述全文 : 読売新聞
父親が最後のお別れに娘の顔を見れないほどの損傷を受けた莉子ちゃん。
それなのに、加害者の飯塚幸三は「アクセルが戻らなかった。車が悪い」と主張しているのは、あまりにも娘の莉子ちゃんも遺族・父親の松永拓也さんも怒りを通り越してやり切れないものを感じると思います。
実は事故以来、飯塚氏からは何度も謝罪依頼が来ていたのですが、断り続けていました。だって、彼は「事故が起きたのは車のせい」と主張しているのに、謝る意味がわからないから。
引用:(4ページ目)「池袋暴走事故」民事初判決 松永拓也さんを苦しめた飯塚氏の「それなら謝罪はしない」という不誠実さ | AERA dot. (アエラドット)
3歳の女の子 が「車の運転を許可できない」と医師から言われていた87歳の暴走で顔が陥没するほどの損傷を負い、即死状態だったというのはやり切れません。
松永拓也の再婚はデマ
松永拓也さんは2019年4月に、愛する妻子を失いました。それからは、加害者に厳罰を与えるため、そして同じような被害者を出さないための活動を続けています。
SNSやインターネット上では、そのような松永さんが再婚したというデマが飛び交っています。
まず、結論から言うと、松永さんは2024年6月時点では再婚していません。事故後ずっと独り身の状態です。
早く忘れて別の女性と出会ったほうがいいのでは?』と問い掛けられているような気がしてしまうのです。そういうのはご縁だからとは思いますが、今は特に求めていません
引用:「池袋暴走事故」から5回目のお盆 妻子を亡くした“松永拓也さん”が明かす「遺族」として生きることのジレンマ(2ページ目) | デイリー新潮
松永拓也さんが再婚したというデマが出た理由は2つあると思います。
1つ目は、光市母子殺害事件の影響です。光市母子殺害事件で妻子を殺害された本村洋さんは2009年ごろに再婚していますので、この情報を混同して、松永拓也さんが再婚したと思い込んでしまった人がいたのかもしれません。
2つ目は悪意のあるデマからの勘違いです。SNSで松永拓也さんに対して「男は新しい女作ってやり直せばいい」などとリプライした人たちがいました。
出典:x.com
こんな誹謗中傷の投稿から、松永拓也さんは再婚したのかもしれないと思い込む人が出た可能性があります。
お荷モツの子どもも居なくなったから
乗り換えも楽でしょうに哄笑
それにしても、こんな誹謗中傷の投稿をするなんて、被害者遺族に対してあまりにもひどい仕打ちですよね。上記の投稿をした人は、「哄」という日本語では使わない漢字を使っています。ということは、中国系の人が投稿したのでしょうか・・・。
松永拓也は誹謗中傷や殺害予告に苦しめられた
松永拓也さんは池袋暴走事故によって、突然愛する妻子を失っただけでなく、誹謗中傷や殺害予告にも苦しめられました。
松永拓也さんは加害者である飯塚幸三に厳罰を与えるだけでなく、事故防止・命が守られる交通社会のために実名公表をして活動しています。
「誰にもこんな思いをさせたくない。事故防止の活動をしたい気持ちが強くなった」と述べ、「命が守られる交通社会にする決意を表明したい」としている。
しかし、実名と顔を明かしたことで、誹謗中傷を受けることになったのです。
勘違いした人から誹謗中傷を受ける
松永拓也さんは加害者の飯塚幸三に対し、刑事裁判だけではなく、民事裁判も起こしています。
この民事訴訟は当然の権利です。どんなに刑事裁判で飯塚幸三に厳罰を与えたからといって、飯塚幸三が反省するとは限らない。それに加えて、どんな判決が下されたとしても真菜さんと莉子ちゃんは戻ってこないのですから、せめて飯塚幸三の罪と2人の命の重さを「お金」という形で示すしかありません。
実際に、松永拓也さんもそのように語っています。
私は真菜と莉子の命が返ってくるなら、お金なんて一銭もいりません。大金が支払われたとしても虚しい気持ちで、家族を失った心の隙間は埋まらない。これしか方法がないから賠償請求をしたんです
引用:【絶え間なく続く中傷】池袋暴走事故遺族が告白する“1.4億円賠償”の虚しさ「家族を失った心の隙間は埋まらない」|NEWSポストセブン
そして、民事裁判では飯塚幸三と保険会社に1億4000万円の支払いを命じる判決が言い渡されました。
しかし、この判決で松永拓也さんは誹謗中傷を受けることになります。
・うらやましい
・代わってほしい
・年のいった受刑者に金を払わせるのはおかしい
・妻と娘が大金に変わったな
これらの誹謗中傷が松永拓也さんに届くようになります。そして、とうとう松永拓也さんに殺害予告が届くようになりました。
正確に書きます。
警察に対し、匿名で私への殺害予告が来ました。
「歳のいった飯塚にお金を払わせるのはおかしいので、近いうち松永を殺す」
という旨の予告です。もう一度書きます。
民事裁判の損害賠償は飯塚氏が支払うのではなく、飯塚氏が加入していた損害保険会社が支払います。
— 池袋暴走事故遺族 松永拓也 (@ma_nariko) October 28, 2023
この殺害予告は、1億4000万円の損害賠償を飯塚幸三自身が支払うと思い込んで、「高齢の受者が1億4000万円を支払うのはおかしい」という考えからのものでした。
ただ、損害賠償を支払うのはあくまでも飯塚幸三が加入していた損害保険会社が支払いますので、飯塚幸三が支払うものではありません。それなのに、松永拓也さんは殺害予告を受けることになりました。
殺害予告を受けた松永さんは部屋から一歩も出ることができなくなり、仕事も在宅に切り替えるなど、日常生活に支障が出ることになりました。
誹謗中傷した人が逮捕
松永拓也さんに対し、殺害予告をした犯人は2024年3月に逮捕されました。
平成31年4月の東京・池袋の乗用車暴走事故で妻子を亡くした松永拓也さん(37)を名指しし、警視庁に電話をかけ「殺しに行く」と脅迫したとして、警視庁目白署は19日、脅迫の疑いで、鳥取市青谷町青谷の無職、吉村育久容疑者(62)を逮捕した。容疑を認めている。
また、松永さんを誹謗中傷する投稿をした人物は逮捕されて有罪判決を受けています。それでもまだ、松永拓也さんを誹謗中傷する人はいるようです。
ついに名誉毀損じみた嘘ばかり吐くようになりましたので、スクショ撮った上でブロックしました。
相手にすると喜びますから、皆様にもおすすめします。
お騒がせいたしました。— 池袋暴走事故遺族 松永拓也 (@ma_nariko) May 21, 2024
松永拓也の現在①:刑事・民事裁判が終わる
出典:j-cast.com
池袋暴走事故が2019年4月に起こり、刑事裁判は2020年10月8日に初公判が開かれました。
加害者である飯塚幸三は「心からお詫び申し上げる」と謝罪の意を示したものの、事故の原因はあくまでも「車に何らかの異常が起こった」と主張し、ブレーキとアクセルを踏み間違えたことを認めようとはせず、無罪を主張しています。
最後までブレーキとアクセルの踏み間違いを認めることはありませんでしたが、2021年9月2日に禁固5年が確定。また、事故原因は飯塚幸三が誤ってアクセルを踏み間違えたことと裁判で認定されました。
その後、控訴することはなく「禁錮5年」が確定しています。これで、池袋暴走事故の刑事裁判は終結しました。
民事裁判は2012年2月から行われ、2023年10月27日に松永拓也さんに対して、飯塚幸三側に1億4000万円の支払いを命ずる判決が言い渡され、控訴はなかったので、こちらも2023年11月には判決が確定しました。
この池袋暴走事故に関する裁判がすべて終わったことで、松永拓也さんの中でフェーズが変わり、争うことからさらに前に一歩進める心境になったようです。
「裁判が終わり、フェーズが変わった。今後は彼の本当の言葉を聞いて、事故による経験を社会の糧にしたい」。
松永拓也の現在②:伝達制度で飯塚幸三からの謝罪があった
出典:jiji.com
裁判の中で、加害者の飯塚幸三はあくまでも無罪を主張し、「原因は車にある」としていました。しかし禁錮5年が確定し、収監される時には、自分の過失による事故だったことを認め、松永拓也さんと亡くなった真菜さん、莉子ちゃんに謝罪しました。
暴走は私の勘違いによる過失でブレーキとアクセルを間違えた結果だったのだと理解し、控訴はしないことにいたしました。亡くなられた松永真菜様・莉子様のご家族ご親族様と、おけがをされた被害者の方々には深くおわび申し上げます。
引用:【コメント全文】「反省するため刑に」池袋暴走事故・飯塚元被告、東京拘置所に収容 遺族「未来の命守られることを」:東京新聞 TOKYO Web
松永さんは2024年2月には飯塚幸三の長男を通じて、謝罪の手紙を受け取っています。
また、2024年3月には法務省の「被害者等心情聴取・伝達制度」を使って、刑務所の職員を通じて、飯塚幸三に思いや質問を投げかけ、その回答を得ました。
この回答で松永拓也さんは飯塚幸三から「申し訳ない」という謝罪の言葉を受け取り、面会を申し出に対する承諾を得ています。
松永拓也の現在③:飯塚幸三と面会
出典:s.mxtv.jp
松永拓也さんは池袋暴走事故の発生から5年経った2024年5月29日に、飯塚幸三と刑務所で面会しました。アクリル板越しでの45分間の面会でした。
松永さんが「世の中の高齢者やその家族に伝えたいことはありますか」と尋ねると、「早く免許を返すように伝えてください」とはっきりとした口調で答えたという。
飯塚幸三さんと面会した件について。
ご報告が遅くなりました。さまざまな会話をしました。
裁判当時と比べると、飯塚さんは言葉がうまく出てこない様子でした。
私「再発防止の視点から、世の高齢者やそのご家族に伝えたいことはありますか」… https://t.co/AIUy7VcaG2— 池袋暴走事故遺族 松永拓也 (@ma_nariko) June 2, 2024
松永拓也さんは飯塚幸三はこの面会を断ることもできたのに、面会を承諾してくれたことに感謝の意を述べています。自分の妻と娘を奪った加害者に対して、感謝の意を述べることができるなんて、人間としての器の大きさを感じずにはいられません。
松永拓也のまとめ
池袋暴走事故の被害者遺族である松永拓也さんの学歴や経歴、仕事・職業や結婚した嫁や子供(娘)と再婚のデマや誹謗中傷・殺害予告と飯塚幸三との面会をした現在などをまとめました。
松永真菜さんと莉子ちゃんのご冥福をお祈りするとともに、松永拓也さんが少しでも心穏やかに過ごせることを願います。