ハイルブロンの怪人とは、1993年から2008年にかけてドイツを中心にヨーロッパ各地で起きた40件もの事件の犯人とされていた人物の仮称です。この記事ではハイルブロンの怪人の意味や、DNAの付着した綿棒の真実、犯人、現在について紹介します。
この記事の目次
ハイルブロンの怪人とは?意味や事件の概要
ハイルブロンの怪人とは、1993年から2008年にかけてドイツをはじめとしてヨーロッパ各地で、殺人を含む40の事件を起こしたとされる犯罪者の仮称です。
国を跨いで発生した40もの事件の犯人が同一と判断された理由は、事件現場から同じ人物のDNAが検出されたからで、発端となったのは2007年4月に発生した警官銃撃事件でした。
犯人はパトカーの中で休憩をとっていた警官2名に対して発砲し、女性警官1名が死亡。もう1名の警官も重い障害を負う大怪我をしました。
そして現場からは犯人のものと思われるDNAが採取され、これをもとに警察が血眼になって捜査をしたところ、驚くべきことが明らかになったのです。
なんと、このDNAが1993年にドイツのイダール・オーバーシュタインで発生した、62歳の女性殺害現場に残されたDNAと一致。
さらに調査を進めると、ドイツだけではなくフランスやオーストリアで起きた事件の犯人のDNAとも一致したのです。
警官殺しの犯人はハイルブロンの怪人と呼ばれ、国際的な凶悪犯としてヨーロッパ中で注目を集めることとなりました。
しかし、後述しますが40もの事件現場で同じDNAが検出されたというのは単純なミスが原因で、稀代の犯罪者・ハイルブロンの怪人は存在しないことが捜査の途中で明らかになります。
40の事件はそれぞれ、別の犯人による犯行だったのです。その後、2007年5月に発生した警官殺しの犯人だけは判明したものの、40の事件については捜査が振り出しに戻ることに。
このことからハイルブロンの怪人は、系統的誤差の具体例として扱われることもあります。
ハイルブロンの怪人が起こしたとされる事件
ハイルブロンの怪人が起こしたと考えられていた事件は、殺人から麻薬取引まで多岐に渡りました。
そのなかでも凶悪犯罪として注目されたとしては、以下の事件があげられます。
・1993年5月、ドイツのイダール・オーバーシュタインで女性が自宅で首を絞められて殺害された。カップに付着したDNAがハイルブロンの怪人のものと一致。
・2001年3月、ドイツのフライブルグで61歳の男性が殺害された。食器棚の扉からハイルブロンの怪人と同じDNAが検出される。
・2004年にフランスのアルボワで宝石商が強盗に遭い、脅しに使われた玩具のピストルからハイルブロンの怪人と同じDNAが検出。
・2006年10月、ドイツのザールブリュッケンで起きた強盗事件の現場に残された石からハイルブロンの怪人と同じDNAが検出される。
・2007年3月、オーストリアのオーバーエスターライヒ州ガルノイキルヒェンの眼科医院で強盗事件が起こり、現場からハイルブロンの怪人と同じDNAが検出。
・2008年1月、ドイツのオッペンハイムでグルジア人3人が殺害される。遺体を運んだと見られる車から検出されたDNAがハイルブロンの怪人のものと一致。
・2008年10月、ドイツのヴァインスベルク近郊で看護助手の遺体が発見される。彼が死んでいた車の中から、ハイルブロンの怪人と同じDNAが検出された。
捜査のきっかけとなった女性警官殺害事件
ハイルブロンの怪人騒動が起きるきっかけとなったのは、ドイツのハイルブロンで起きた女性警官のミシェル・キーゼヴェッターさん殺害事件です。
2007年4月25日の14時ごろ、麻薬取締局に所属するエリート警察官のミシェル・キーゼヴェッターさん(当時22歳)は同僚とともに昼食をとろうと、巡回中のパトカーでハイルブロンの駐車場に入ってきました。
しかし、車を停めた直後にミシェルさんたちは背後から歩み寄ってきた2人の武装集団に銃撃され、頭を撃たれてしまったのです。
結果、運転席に座っていたミシェルさんは致命傷を負い、助手席にいた同僚も重傷を負うことに。
通報を受けて警察と救急車が到着した時、被害者となった2人の警察官はパトカーの隣で地面に倒れており、所持していた拳銃と手錠が盗まれていたとされます。
この事件現場から検出されたのが、ハイルブロンの怪人と騒がれることになる謎の人物のDNAだったのです。
ハイルブロンの怪人の犯人像
DNAからハイルブロンの怪人は東欧かロシアにルーツを持つ女性ということのみ明らかになりましたが、そのほかのことは不明。
しかもハイルブロンの怪人が起こしたとされる40の事件には一貫性がなく、プロファイリングによる犯人像も掴めません。このことからハイルブロンの怪人は「顔のない女」「殺人女王」とも呼ばれました。
ハイルブロン警察署のなかにはパークプラッツ(ドイツ語で駐車場という意味)の特別捜査本部が設置され、2009年1月からはハイルブロンの怪人についての有力な情報には30万ユーロを支払うという報奨金まで設けられたといいます。
DNA検査官らもホームレスの女性、麻薬使用者の女性、重大な犯罪歴のある女性などを中心に約3,000人ものDNAサンプルを集めて照合しましたが、ハイルブロンの怪人と一致するものは見つかりませんでした。
ハイルブロンの怪人の真相・DNAのついた綿棒と捜査の凡ミス
DNAからは女性とされていたハイルブロンの怪人。しかし、ミシェル・キーゼヴェッターさん殺害事件の現場近くで怪しい人物を目撃したという人物から「犯人は男だった」との証言が出ました。
上の画像は、目撃証言をもとに作成したモンタージュです。男性にしか見えません。
さらに2007年3月にはドイツのザールフリュッゲンにて、窃盗目的で学校に侵入した子どもたちが残したコーラの空き缶からも、ハイルブロンの怪人のDNAが検出されるという奇妙な現象が起きたのです。
さらに、2009年3月に男性の亡命申請者の遺体から指紋をとったところ、なぜか彼からもハイルブロンの怪人のDNAが検出され、警察内でもいよいよ「ハイルブロンの怪人は実在するのか」「各現場で採取されたDNAがおかしいのではないか?」という声が強まっていきます。
ハイルブロンの怪人のDNAの正体
実はハイルブロンの怪物のものとされていたDNAは、DNA検査に使用する綿棒を製造していた
南ドイツの会社に勤める女性のものでした。
ハイルブロンの怪人のDNAが検出されたのは、ドイツ、フランス、オーストリアの3ヶ国。この3ヶ国の捜査機関に納入されていた綿棒は、すべて同一の工場で作られたものでした。
そして、その工場内で綿棒は東欧系の女性工員によって個包装されていたのですが、工員たちは手袋などをせずに素手で封入作業を行っていました。
そのためDNA検出に用いられた綿棒には、最初から東欧系の女性工員のDNAが付着しており、これがハイルブロンの怪人のものとして騒ぎ立てられただけだったのです。
ハイルブロンの怪人が起こしたとされる警官殺害事件の真犯人
2009年になってハイルブロンの怪人という犯罪者は存在せず、単に汚染された綿棒を使用して殺人や強盗の現場でDNA検出を行っていたことがわかりました。
しかし、事件は実際に起きていることから、真犯人は探さなければいけません。
ハイルブロン警察が犯人逮捕に躍起になっていたミシェル・キーゼヴェッターさん殺害事件については、2011年11月に真犯人が明らかになっています。
ミシェルさんたちを銃撃した犯人は、1998年から2011年にかけて活動していた国家社会主義地下組織(NSU)という、極右テロ組織に所属していた3人の男女でした。
NSUは、主にドイツ国内のトルコ系中小企業経営者をターゲットとした一連の外国人排斥的殺人事件を犯していたとされます。
ミシェルさんの家系はギリシャ系で彼らのターゲットではなかったのですが、過去に接点があったことから狙われた可能性が高いとのことです。
接点といっても、ミシェルさんや彼女の家族がNSUに与していたわけではありません。
父親がNSUのたまり場であったバーに客として出入りしていたといい、そのことから「警官がスパイとしてバーに潜り込んでいる」という噂が流れてミシェルさんが狙われ、相棒の警官も襲撃されたと発表されています。
彼女を殺害した犯人とされたのは、このバーで料理人をしていたベアテ・ズシェペと、ウーヴェ・ベーンハルト、ウーヴェ・ムンドロスというNSUメンバー3人。
このうちムンドロスが銀行強盗をして追われているさなかにベーンハルトを銃殺し、自殺を図っており、自殺現場から見つかった拳銃がミシェルさんらから奪ったものであったことから、殺害事件の犯人だと判明しました。
2人が逮捕前に死亡したことから、実際に逮捕、起訴までできたのは隠れ家にいたズシェペだけだったといいます。
なお、ベアテ・ズシェペは合計10件の殺人に関与していたとのことで、2018年に終身刑が言い渡されたとのことです。
ハイルブロンの怪人のその後① 40の事件は捜査やり直しに
結局、ミシェル・キーゼヴェッターさん殺害事件以外の事件については、DNA検出に用いられた綿棒の汚染が確認された後に、最初から再捜査が行われることとなりました。
これらの事件に関しても2009年までの間に膨大な回数、不必要かつ無意味なDNA検査が行われており、総額200万ユーロの捜査費用と16,000時間が無駄に費やされたとのことです。
当然ながらこのことに対しては、ドイツ国民を中心に批判の声が上がったとされます。
ハイルブロンの怪人のその後② 現在のDNA汚染リスク
ハイルブロンの怪人騒動から7年が経過した2016年、国際標準化機構 (ISO) は 、法医学調査で使用される材料に対するDNA汚染のリスクを最小限に抑えるための、「ISO 18385」という新しい規格を開発しました。
ISO 18385の要件を満たすEppendorfのForensic DNA Gradeの消耗品の生産条件は、高度に自動化された生産ラインと厳格な入室管理の2 つです。個別のブリスター包装や、再密封可能な袋に入れて少量で提供することにより、汚染を効果的に防ぎます。
そのため、現在では他人のDNAに汚染された綿棒が捜査機関に配達されるということはなく、ハイルブロンの怪人のような騒ぎは起こらないとされています。
ハイルブロンの怪人のその後③ 創作のモデルになっている
『CSI:ニューヨーク』シーズン6の第4話として放送されたエピソード「幻の女」は、ハイルブロンの怪人をモチーフにしたと作品です。
本編では夫を殺害したと自首してきた女性以外の人物のDNAが凶器から検出され、出頭した女性は誰かを庇って嘘をついているのではないか、と疑うところから話が始まります。
結果としてはハイルブロンの怪人騒動と同じく、使用した綿棒が汚染されていたため他人のDNAが検出されてしまったというオチでした。
ハイルブロンの怪人についてのまとめ
今回は1993年から2008年にかけて、ドイツ、フランス、オーストリアで殺人を含む40件もの事件を起こしたと騒がれた幻の犯罪者・ハイルブロンの怪人について紹介しました。
当時もDNA検査の精度そのものは高く、検査結果で出た「ロシアか東欧系の女性」という結果自体は正しいものでした。
さらにミシェルさん殺害現場に関与したベアテ・ズシェペも女性であったためか、本件でも「現場から逃げる怪しい男を見た」という証言のほかに、「犯人は女性」という証言も出ていたそうです。
さらにハイルブロン警察では別の工場から納入された綿棒をDNA検査に用いていたこともあり、怪人騒動に対する違和感に気づくのに遅れたのではないかとも考察されています。
ともあれ、現在は「ISO 18385」という規格ができたため、同様の事件が起きる可能性はなくなりましたから、一安心と言えるでしょう。