ポル・ポト政権下のカンボジアの虐殺の場所「キリング・フィールド」が怖いと話題です。
この記事ではキリング・フィールドの実話、当時の写真や遺体、生き残りの実話を元にした映画「the Killing Fields」、霊感のある人が怖いお思いをしたといった声や現在についてまとめました。
この記事の目次
キリング・フィールド(カンボジア)はポル・ポト政権による大量虐殺の地
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「キリング・フィールド(Killing Fields)」とは、共産主義の独裁政権だったポル・ポト政権(クメール・ルージュ政権)の支配下にあったカンボジアで、大量虐殺が行われた処刑場の跡の俗称です。
ポル・ポトとは、1975年から1979年の間にカンボジアを独裁的に支配した共産主義者で、彼のひきたクメール・ルージュは、原始共産主義の実現を目指してカンボジア国民を共同農場で強制労働させ、些細な事で反革命分子という濡れ衣を着せるなどして大量の人々を虐殺しました。
ポル・ポト政権下で死亡したカンボジア国民は130万人〜200万人とも言われ、当時のカンボジア国民の約4分の1が死亡したとも言われています。
このポル・ポト政権下で処刑場として使われたカンボジア国内に点在する場所が「キリング・フィールド」という俗称で呼ばれています。
キリング・フィールドとして最も有名な場所は、カンボジアの首都・プノンペンにあった政治犯収容所コード名「S21」(現在のトゥールスレン虐殺博物館)に付属して作られた処刑場「チュンエク(Choeung Ek)」です。
キリング・フィールドという名称は、実際にカンボジアで強制収容所に4年間入れられていた生き残りであるカンボジアのジャーナリストDith Pranが、逃亡中にカンボジア各地の大量の白骨死体をみて「キリング・フィールド」と名付けたのが由来となりました。Dith Pranの語った事は後に映画「the Killing Fields(邦題はキリング・フィールド)」の題材となり、これがキリング・フィールドという名称が世界に認知されるきっかけとなりました。
キリング・フィールド(カンボジア)の大量虐殺は紛れもない実話
キリング・フィールドにあるチャンキリの木。クメール・ルージュはここに赤ん坊や幼児の頭を打ちつけて虐殺した。現在は慰霊のために大量のミサンガが供えられている。
ポル・ポト政権下のカンボジアにあった大量虐殺の処刑場「キリング・フィールド」では、クメール・ルージュの原始共産主義政策に反対している、あるいは反対すると判断された者、さらには原始共産主義の実現に妨げになると判断された者を一方的に反革命分子、敵国のスパイなどと断定して次々と処刑しました。
自らを「アンカー」と称したクメール・ルージュは、反革命的であるという警告、または密告を受けた国民を収容所へと強制連行し、苛烈な虐待と拷問によって自らはスパイ、反革命分子であると強制的に自供させた上で、処刑場(キリング・フィールド)へと連行して残虐な方法で処刑しました。
アンカーは、教師や医師、科学者、薬剤師などの知的な職業についていた者は無条件に処刑し、そればかりか、本を読んでいる、文字を読む事ができる、眼鏡をかけている、手に労働のマメがないなどという信じがたい理由で逮捕し拷問の末に虐殺しました。これは全て実話です。
さらに、ポル・ポトは「腐ったリンゴは、箱ごと捨てなくてはならない」などと発言し、反革命分子であると一方的に断定して殺害した人の家族・親類に至るまで連行して虐殺しています。これは幼い子供、生まれたばかりの赤ん坊にまで及び、幼児や赤子はキリング・フィールドのチャンキリの木の幹に頭を打ち付けられて虐殺されたのでした。これも全て実話であり、大量の白骨や拷問危惧など明確な物証が見つかっています。
キリング・フィールド(カンボジア)は怖いが決して忘れてはならない歴史
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キリング・フィールドで行われた虐殺行為は人間の怖い本質が凝縮されているいえます。
キリング・フィールドでの大量虐殺において最も怖いのは、その虐殺を引き起こしたのも元々は普通の人間であったという事です。
ポル・ポト政権下のカンボジアでは、自らが反革命分子であると疑われないために、人々が率先して「あいつは反革命分子です」と、クメール・ルージュに密告したといいます。また、集団農場や強制労働所では、人々がお互いが監視をし合い些細な事やある事ない事で密告をして自分の保身に走った事などもわかっています。こうした人々の集団での行動心理が最も怖いという事をキリング・フィールドは現在に伝えています。
キリング・フィールドでの大量虐殺などポル・ポト政権下のカンボジアで起きた事は非常に怖いですが、これは日本を含めて全世界どこででも起こりうる事です。怖いからと目を背けずに事実を未来へと伝えて行く事は、このような事を2度と起こさないためにとても大切です。
キリング・フィールド(カンボジア)の当時の写真や遺体
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ポル・ポト政権下時代のカンボジアの、実際にキリング・フィールドで人々の大量虐殺が行われていた当時の写真は残されていません。これは、当時のクメール・ルージュもこの大量虐殺が外部へ漏れれば大変な騒動になるという事は理解しており、人々の逮捕や虐殺に対しての公式な記録を全くと言って良いほど残していないためです。
ただ、ポル・ポト政権は敵対関係にあったベトナム軍の侵攻により1979年に崩壊し、クメール・ルージュの勢力はジャングルへと追い払われました。そして、進駐したベトナム軍によって各地に大量の遺体や埋められた白骨、収容所や虐殺の痕跡が見つかり、こうした場所は後に「キリング・フィールド」と呼称されるようになりました。
キリング・フィールドより大量の白骨が出た当時の写真や、遺体の当時の写真はベトナム軍やカンボジア解放後に現地に入ったジャーナリストにより撮影されています。
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また、遺体やキリング・フィールドではありませんが、当時のカンボジアで強制労働をさせられる人々の当時の写真は残されています。
上は、1976年に撮影されたものでコンポントム州での農場への水路を引く灌漑工事の様子を撮影した当時の写真です。
ポル・ポト政権では科学技術も資本主義の根源であるとして全て否定したため、こうした大規模な土木工事にも重機や近代的な道具を使う事を完全禁止し、全て人力のみで工事が行われました。また、ポル・ポト政権では食料が枯渇したため人々には十分な食事が与えられず、労働の能率は上がりませんでしたが、こうした状況で仕事が遅い、勝手に休んだといった理不尽な理由で多くの人々がキリング・フィールドへと送り込まれて虐殺された事なども伝わっています。
キリング・フィールド(カンボジア)の生き残り
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キリング・フィールドでの凄惨な出来事は、その生き残りによって語られた実話です。
キリング・フィールドの生き残りとして著名な人物としては、産婦人科医師であったハイン・ソムナン・ニョールという人物がいます。
この方は、カンボジアの首都プノンペンで産婦人科病院を開業していましたが、ポル・ポト政権が知識人や専門家を次々と処刑し始めた事から、医師である事や高度な教育を受けた事を隠し、眼鏡も外して身分を隠しました。
1975年、ハイン・ソムナン・ニョールはクメール・ルージュにより妻のミーホイや他のプノンペン市民と共に強制収容所に収容されました。妻のミーホイは妊娠しており収容所の中で出産しましたが胎児と共に死亡。産婦人科医であるニョールが帝王切開をすれば妻の命を救える状況でしたが、医師である事がバレれば処刑されるためにそうする事できなかったと言います。
ハイン・ソムナン・ニョールは過酷な収容所の中で、医師としての知識を活かして昆虫や食べられる植物などを見分けて生き残り、1979年にベトナム軍が侵攻しクメール・ルージュが追い払われた事により、タイへと逃げてそこの難民キャンプでカンボジアから逃げてきた人々のために医師として働きました。
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その後、アメリカへと渡って、キリング・フィールドの生き残りとしてその事実を伝える活動に尽力しました。この方の著作『キリング・フィールドからの生還―わがカンボジア「殺戮の地」』は、当時のキリング・フィールドのあまりにも怖い事実を伝えています。
また、1984年の映画「キリング・フィールド」では、同じくキリング・フィールドの生き残りで映画の題材となったディス・プランの役に、実際の生き残りとしてこのハイン・ソムナン・ニョールが演じ、1985年のアカデミー助演男優賞を受賞しています。
キリング・フィールド(カンボジア)に霊感のある人が行き体調悪化の話も
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ポル・ポト政権下のカンボジアで、大量の罪のない人々が虐殺された場所である「キリング・フィールド」を霊感のある人が訪れると、体調が悪化したり、何か怖いものを感じたりといった事例が数多くネット上で確認できます。
本当に霊感というものがあるのかは分かりませんが、数百万単位の人々が亡くなり、しかもその遺体の多くがまだ地中に残されているという事を知って「キリング・フィールド」を訪れれば、霊感があるとかないとか関係なく何かを感じたり、怖いものを見たりしても不思議ではない気がします。
霊感云々の話は実際のところは分かりませんが、事実としてカンボジアの現地の人々の間でもキリング・フィールドやポル・ポト政権下時代に虐殺があった場所では幽霊を見るという話が少なからず存在しているようです。
具体的にはキリング・フィールドの木の上に子供の幽霊を見たとか、当時の政治犯収容所で多くの人々が拷問され虐殺された「トゥールスレン虐殺博物館」では現在でも幽霊をよく見ると言った話が伝わっています。
キリング・フィールド(カンボジア)の映画
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ポル・ポト政権下のカンボジアでの虐殺とキリング・フィールドを世界に知らしめるきっかけとなったのが1984年公開の映画「The Killing Fields」でした。
この映画は、キリング・フィールドという名前をつけた実際の当時の生き残りであるジャーナリストのディス・プランの体験を題材にした映画です。
ただ、映画の主人公はアメリカ人ジャーナリストとされており、あくまでも実話に基づいたフィクションとして作られています。当時のカンボジアやキリング・フィールドと呼ばれた惨状を伝えてはいますが、クメール・ルージュによる文化の破壊やその背景にある思想などを伝える事が不十分であるとして賛否両論のある映画となっています。
いずれにしても、当時のカンボジアを知る上での入り口になる作品ではあるので、興味のある方は試聴してみる事をお勧めします。ただかなり重たい作品なので自己責任の上で視聴してください。
キリング・フィールド(カンボジア)の現在
キリング・フィールドは現在ですが、キリングフィールドの1つとしてよく知られるチュンエクの村が整備されて慰霊塔が建てられています。
チュンエク村はカンボジアの首都・プノンペンの南西約15kmにあり、一般公開されていて無料で入る事が可能です。キリング・フィールドの慰霊塔の中には、この地に埋められていた遺体9000体もの頭蓋骨が安置されています。
まとめ
今回は、ポル・ポト政権下のカンボジアでの大量虐殺の場となった「キリング・フィールド」についてまとめてみました。
キリング・フィールドは、原始共産主義を目指す独裁政権であったポル・ポト政権とクメール・ルージュが反革命分子だと一方的にみなした人々を処刑した場所でカンボジアの各地に存在します。知識人である、眼鏡をかけている、文字が読めるなどの理不尽な理由で大量の罪なき人々が虐殺され、その家族や子供、赤ん坊までもが虐殺されました。その全てが実話です。
キリング・フィールドは人間の怖い部分が凝縮されたような場所であり、白骨が大量に見つかった当時の写真や遺体の当時の写真なども残されています。
キリング・フィールドの生き残りの語った内容は実話を元にした映画「The Killing Fields」として公開され、これにより世界中に知られるようになりました。
現在、キリング・フィールドには慰霊塔が建てられて一般に公開されていますが、霊感のある人が行けば怖い体験をするといった噂話もネット上で多く語られています。