堀慶末の現在!生い立ちと兄弟や家族・結婚と子供・事件と死刑判決・その後まとめ

堀慶末は碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件、名古屋闇サイト殺人事件などを起こした連続殺人犯です。この記事では堀慶末の生い立ちや経歴、両親、兄弟などの家族、実家、結婚した嫁と子供、死刑判決を受けた後の現在について紹介します。

堀慶末が起こした複数の事件の概要

 

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堀慶末(ほり よしとも)は、2007年に発生した闇サイト殺人事件の犯人として逮捕された殺人犯です。

 

2007年8月24日、当時32歳だった堀慶末は「闇の職業安定所」というサイトを通じて知り合った男2人と共謀して、名古屋市千種区で帰宅途中の会社員・磯谷利恵さん(当時31歳)を拉致しました。

 

そして磯谷さんからキャッシュカードを奪い、暗証番号を聞き出した後に殺害。遺体を岐阜県の山中に遺棄しました。

 

犯行の直後に共犯者の1人が警察に電話をして自首したために、堀慶末はすぐに逮捕・起訴されましたが、この事件の裁判では「更生の可能性がある」として無期懲役が言い渡されます。

 

しかし、この判決が言い渡された後に大きな前科がないと見られていた堀慶末に、強盗殺人などの余罪があったことが発覚します。

 

1998年に発生した碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件を含む2つの事件に関与していたのです。

 

碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件は尾張旭市のパチンコ店の店長であった馬氷一男さん(当時45歳)と、妻の里美さん(当時36歳)の2人が自宅で殺害されて、現金などが奪われた強盗殺人事件です。

 

事件発生直後から警察は顔見知りの犯行と見て捜査を続けていましたが、いくら調べても怪しい人物は浮上せず、未解決のままとなっていました。

 

ところが事件現場となった馬氷さんの家に残されていた犯人のDNAが、闇サイト殺人事件ですでに逮捕されていた堀慶末のDNAと一致したのです。

 

そのため無期懲役で服役中であった堀慶末は、碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件の犯人として再逮捕され、強盗殺人罪と死体遺棄罪で起訴されることとなります。

 

闇サイト殺人事件で逮捕された後も、堀慶末は自分が碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件の犯人であることは自供せず、前科などないように振る舞って死刑を免れていました。

 

このことから考えて、殺害した被害者の数以前に堀慶末に更生の余地などないのは明らかで、今度は死刑判決が言い渡されたのです。

 

堀慶末は2件の強盗殺人事件と1件の強盗傷害事件に関わっていました。しかも、被害者はみな面識のない人々ばかりで、狙われた理由は「なんとなくお金を持っていそうだったから」というもの。

 

ある意味、誰が被害者になってもおかしくない殺人事件ばかり起こしていたのです。

 

 

堀慶末の生い立ち・経歴① 出生と家族

 

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堀慶末は1975年4月29日に、岐阜県内で誕生しました。父親は在日韓国人2世、母親は日本人という両親を持ち、出生名は「金 慶末」といいます。

 

なお、父親が在日韓国人であることは、堀自身が逮捕後に出版した手記『鎮魂歌(レクイエム)』で明かしています。

 

兄弟は男5人で、堀は末っ子の5男として生まれた堀は、幼児期に「紫斑病」という血液が凝固しづらく、怪我などを負うと血がとまりづらい病気を持っていました。

 

そのため生後半年頃から5、6歳になるまで通院が続き、怪我をするおそれがある遊びを禁じられて育ったといいます。

 

堀が生まれた当時、父親はダンプカーを所有して玉石などを運搬する仕事をして家族を養っていました。

 

ところが、上の兄たちが小学校に通いだす頃に父親は浮気をし、家では夫婦喧嘩が絶えなくなります。

 

そして父親は家で暴力を振るい、母親も子供たちの世話をせず、ネグレクト気味になっていったそうです。

 

 

堀慶末の生い立ち・経歴② 両親の離婚・兄弟と帰化

 

その後、一家は岐阜から愛知県名古屋市の父親の実家に引っ越していきます。

 

堀の父方の祖父は反日感情が強く、日本人の息子の嫁のことも、堀たち孫のことも遠ざけていたそうです。そのため堀たちは祖父との縁が薄かったとのこと。

 

しかし、その祖父が死去したことを機に父方の祖母と堀の母親は和解し、祖母が1人で暮らす実家に引っ越すことにしたといいます。

 

しかし、父親は不倫相手との関係を終えるどころか家族を捨てて愛人と同居を続け、堀が小学生になる頃に両親は離婚。

 

そして1984年8月22日、小学3年生だった堀は兄たちとともに帰化して、日本国籍を取得します。

 

小学4年生の夏に母親と兄とともに名古屋市内の県営住宅に引っ越すのですが、これも幸せな引っ越しではありませんでした。

 

妻子を捨てて愛人との生活を始めた父親は、離婚後に多額の借金を作り、勝手に堀たちが暮らす実家や仕事道具のダンプカーを売り払ってしまいました。

 

そのため住む場所を追われた母子は、県営住宅に入居したのです。

 

 

 

堀慶末の生い立ち・経歴③ 中学生時代

 

引っ越し先の小学校で堀はサッカーに打ち込みました。そして地元の公立中学に進学しますが、中学にはサッカー部がなく、仕方なく硬式テニス部に入部。

 

するとテニスにも熱中するようになるのですが、同時に新しいテニスラケットを買うお金欲しさに兄の紹介で夏休み中に外壁工事のアルバイトを始めました。

 

このアルバイトで中学生にしては大きなお金を稼いだ堀は、徐々に金銭感覚が壊れていったと指摘されています。

 

さらに2年生の時に同じ県営住宅に住む先輩から改造した制服をもらい、それを着用していることを教師に見つかって酷く叱られたことがきっかけとなって、非行に走るように。

 

暴力沙汰などを起こして厄介者扱いされ、担任教師からも「もう学校に来るな」と言われてそのまま不登校になりました。

 

こうして学校にも行かず、ブラブラしていた堀は兄からの誘いでまた外壁工事のアルバイトを開始。

 

この頃に、後に碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件で共犯者となる葉山輝雄と出会ったといいます。

 

 

堀慶末の生い立ち・経歴④ 3歳年上の嫁と結婚・子供の誕生

 

中学2年の秋ごろから再び学校に行くようになった堀は、定時制高校に進学します。しかし、「楽しくない」といういい加減な理由で1年生の1学期途中で中退。

 

再び7つ年上の四兄に誘われて、兄の仕事の手伝いを始めました。そして未成年にもかかわらずスナックに出入りするようになり、そこで知り合った3歳年上のホステスの女性と交際を開始し、17歳の時に結婚します。

 

結婚をした理由は彼女との間に子供ができたためで、堀の母親は当初、息子の結婚に反対していたそうです。

 

高校も中退し、就職もしていない堀がまともな結婚生活を送れるはずがないと考えたからです。

 

こうして1993年、親の反対を押し切って結婚した堀とホステスの女性の間に長男が誕生します。

 

しかし血は争えないのか、堀は子どもが誕生した年の末にはコンパニオンの女性と不倫をしていたそうです。

 

堀によると、この女性には妻子がいることを最初から話しており、遊びのつもりだったとのことですが、新生児を抱えて慣れない育児に苦しんでいる妻を放って不倫というのは正気を疑う所業です。

 

 

堀慶末の生い立ち・経歴⑤ 不倫がバレて家を追い出される

 

17歳頃までは葉山輝雄とともに兄たちの仕事を手伝っていた堀ですが、そのうち四兄との関係が悪化して仕事を辞めたいと思うようになります。

 

ちょうどその頃、ほかの兄弟と会社をやっていた次兄が独立から独立を考えていると聞かされた堀は、自分も会社を興そうと考えだしました。

 

そして1994年、19歳で「ヨシトモハウス」という会社を始めて、義理の弟とともに兄たちの仕事の下請けをするようになります。

 

仕事には車が必要だったため、堀は兄に借金を頼み、兄の経営する会社名義でワンボックスカーを購入したのですが、運転免許は持っていませんでした。

 

そもそも堀はバイクの免許を持っていたもののすぐに免停になっており、免停期間にまたバイクに乗っていることがバレて免許取り消し処分を受けたという過去の持ち主です。

 

そのため教習所に通っても20歳までは自動車免許を取得できなかったのですが、平然と無免許で車を乗り回していました。

 

このようにとても褒められたものではない仕事をしていた堀でしたが、私生活では20歳の頃に妻との間に第二子が誕生。

 

しかし、堀は長男誕生後と同じように遊び歩いており、近所のスナックに勤める10歳年上のホステスと不倫関係にありました。

 

不倫相手に現を抜かすようになった堀は仕事も義理の弟に押し付け、家に入れるお金も最低限の生活費のみになっていきます。

 

さらに外泊も増えたことから妻の怒りを買い、ついに21、2歳の頃に家を追い出されてしまいました。

 

 

堀慶末が起こした事件① 碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件

 

出典:https://okigogo.ti-da.net/

 

家を追い出された後、堀は不倫相手の家に転がり込んで仕事も真面目にしなくなります。

 

収入がないため消費者金融などで借金を重ねて暮らしていたため、次第に借金が膨れ上がっていきました。

 

そんな折、1998年5月に次兄から「肩代わりしている車のローン残金を支払え」と返済を迫られた堀(当時23歳)は、強盗で金を工面しようと考えます。

 

そうして起きたのが、1998年6月の碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件です。

 

ここでは堀慶末が起こした1つ目の事件である、碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件の詳細を時系列で見ていきましょう。

 

 

馬氷一男さんが務めるパチンコ店に目をつける

 

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犯罪で金を得ようと思った堀は、まずひったくりで通行人から金を奪うことを考えました。

 

しかし、車のローンの残金だけで100万円を超えていたことから、ひったくりで借金返済は難しいと思い、今度は閉店後のパチンコ店の事務所に強盗に入ろうと計画し始めたといいます。

 

そしてこれまで客として出入りしたことのない店を下見してまわった結果、尾張旭市にあるパチンコ店に目をつけました。

 

堀は兄から紹介された仕事を通じて知り合った佐藤浩(当時22歳)に声をかけて犯行に誘います。

 

佐藤という男は中学卒業後にミュージシャンを志して上京したものの、早々に音楽専門学校を辞めて覚醒剤の密売に手を染め、暴力団関係者とトラブルになって名古屋に逃げてきたという経歴の持ち主でした。

 

そのような人物ですから、誘えば強盗に参加すると考えたのです。

 

案の定、佐藤は計画への参加を快諾し、堀は同じく仕事で知り合った葉山輝雄(当時29歳)にも声をかけて馬氷さんの店に押し入ろうと軍手やビニール紐などを準備しました。

 

 

馬氷一男さんの自宅に強盗に入る

 

出典:https://okigogo.ti-da.net/

 

しかし、閉店後もパチンコ店には遅くまで従業員が残っているうえ、セキュリティも厳しいことから店へ強盗に入るのは難しいと判断します。

 

その代りに堀が思いついたのが、馬氷さんの家に強盗に入ることでした。馬氷さんからパチンコ店の鍵を奪って、店に侵入しようと考えたのです。

 

観察を続けて、堀らはパチンコ店の休業日が月曜で、火曜から土曜までは泊まり込みで勤務している馬氷さんが日曜の夜には決まって帰宅していることを知ります。

 

そして帰宅する馬氷さんの跡をつけて住所を確認し、電話帳で電話番号を調べ上げてアンケートを装って電話をかけ、家族構成も調べました。

 

こうして1998年6月28日、葉山の車で名古屋市内から碧南市油渕町4丁目28番地1にあった馬氷さん宅の近くまで向かった3人は、16時30分頃に馬氷さん宅に侵入。

 

この時、家の鍵は施錠されておらず、馬氷さんの妻の里美さん(当時36歳)、長男の一樹さん(当時8歳)、次男の貴成さん(当時6歳)が在宅していました。

 

家の2階で洗濯物を干していた里美さんと鉢合わせをした堀らは、「自分たちは馬氷さんの知り合いで、ヤクザとトラブルになって逃げて来た。匿ってほしい」と説明したといいます。

 

3人に怪しさを感じたものの、里美さんは子供たちを守るために騙されたふりをして3人を1階の和室に案内し、酒やつまみなどを提供。堀たちは飲食中も軍手を外さなかったといいます。

 

 

馬氷里美さんを殺害

 

しばらく3人をもてなしていた里美さんですが、一刻も早く、子供たちを脅かす人間に出て行ってほしいと思ったのでしょう。

 

頃合いを見て、「私の親戚に警察官がいるんですが、困っているのなら紹介しましょうか」「家の近くにも交番がありますから、ヤクザと揉めているのならうちに隠れているよりも交番に行ってはどうですか?」等と、近くに警察がいることを仄めかしつつ、堀らに出て行くように促しました。

 

この話を聞いた堀はいったん外に出て、止めてあった葉山の車に乗って交番の場所を確認し、警察に目撃されないような場所に車を移動させました。

 

そして1時間ほど経って馬氷さんの家に戻ると、葉山と佐藤が里美さんを絞殺していたのです。

 

なお、一樹さんと貴成さんの2人は恐怖からかこの時のことを断片的にしか覚えておらず、貴成さんは後に「犯人の1人に兄とともに寝室に連れていかれ、『ここにいろ』と脅されてクローゼットに押し込められた記憶がある」と、話しています。

 

 

馬氷一男さんを殺害

 

2人が里美さんを殺害したことを知った堀は、3人で手分けをして馬氷さん宅から金目のものを探し出そうとしました。

 

そして里美さんの財布から現金6万円を盗み、和室の押し入れから手提げ金庫を発見します。

 

しかし、その後も帰らずに里美さんの遺体を放置したまま1階の浴室付近に隠れて、馬氷さんの帰宅を待ちました。

 

日付が変わった29日の午前1時頃、馬氷さんが帰宅。和室で倒れている妻の姿を見て、すぐに2階に向かった馬氷さんは、寝室にいた一樹さんに何があったのかを聞きます。

 

一樹さんと話した馬氷さんは、「1階でお母さんが倒れている、死んでいるかもしれない。お父さんは警察に連絡してくる」と言い残して、再び1階に降りていきました。

 

そこを待ち伏せしていた堀らに襲われて、馬氷さんも殺害されてしまったのです。

 

 

夫婦の遺体を遺棄

 

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馬氷さんの遺体から店のものと思われる鍵束とブレスレットを奪った3人は、先ほど発見した金庫と現金、そして飲食に使った皿や箸などを持ち出しました。

 

そして馬氷さんのレクサスのトランクに夫婦の遺体を押し込み、高浜市内の団地の敷地内に車ごと遺棄して逃げ去ります。

 

その後、堀らは馬氷さんの務めるパチンコ店に行き、奪った鍵束で店内に侵入しようとしました。

 

しかし、解錠できずに諦めて帰宅。佐藤の家に向かい、バールで金庫をこじ開けましたが、中に入っていたのは銀行の通帳1通のみであったため、碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件で堀が得られたものは2万円にも満たない現金とブレスレット1本のみでした。

 

 

堀慶末が起こした事件② 守山事件

 

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碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件を起こした後、堀は別居していた嫁と正式に離婚します。

 

そして第一子誕生直後に不倫していた3歳年上の女性(以下A子とする)とよりを戻して、名古屋市内にある彼女の実家で暮らすようになっていました。

 

この頃、一時は兄の仕事を手伝っていたようですが、腰を痛めたことを理由にまたぞろ働かなくなり、兄から給料を前借したり、A子さんのお金を盗むなどしてパチンコ店に入り浸るように。

 

そんな生活のなか、A子さんは堀の子供を妊娠するのですが、結局流産してしまいます。

 

堀は彼女の流産に対して「碧南市の事件のことを考えると、彼女が自分の子供を産むのが正しいのかわからなかった。だから、妊娠に対して曖昧な反応をとったせいで流産したのかもしれない」と、手記『鎮魂歌』で書いていました。

 

流産を経てA子さんはパニック障害を発症してしまいますが、それでも別れることはなく2004年には実家を出て名古屋市東区泉一丁目のマンションで堀と2人暮らしを始めます。

 

このマンションの家賃は約13万5000円ほどで、堀は小型犬まで飼っていたそうです。

 

が、堀はその後も真面目に働かず「ダーツのプロになる」と言い出してダーツバーに入りびたって中学の同級生(以下B子とする)と浮気をし、さらに借金を重ねます。

 

こうしてまたしてもお金に困った堀は、前回失敗したにもかかわらず強盗に入ろうと考えます。

 

そこでターゲットにしたのが、過去に外壁工事で訪れたことがある、名古屋市守山区脇田町の一軒家でした。

 

この家には当時69歳の女性が1人で住んでおり、工事に行った際に裕福な家だと感じていた堀は、簡単に大金が稼げそうだと考えたのです。

 

2006年7月20日の正午頃、堀は碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件の共犯である佐藤を誘い、過去に外壁工事で訪れた際の会社を騙って「メンテナンスに来ました」と女性宅を訪れました。

 

堀の話を信じてしまった女性は2人を家にあげてしまい、屋内で首を絞められるなどの暴行をくわえられて、現金約2万5000円と金庫など合計12点(時価合計約39万円相当)を盗まれてしまいます。

 

堀たちが逃げた後に女性は自分で拘束を解いて近隣住民に助けを求めたことから一命をとりとめましたが、両肩関節運動障害などの後遺障害を負ったとされます。

 

 

 

堀慶末が起こした事件③ 名古屋闇サイト殺人事件

 

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守山事件の後、堀はA子さんではなくB子さんの家に入り浸るようになっていました。

 

というのも、B子さんはキャバクラなどの水商売で毎月60~70万円を稼いでいたうえ、離婚した元夫から子供の養育費を受け取っていたために金銭的に余裕があったのです。

 

堀はB子さんに隠れて、彼女が自分の子供たちのために貯めていた合計110万円近くの貯金を盗み、さらに彼女の通帳からも170万円のお金を引き出して遊興費にあてました。

 

そして、2007年3月にこのことがB子さんにバレてしまい、「盗んだお金や借りたお金、合計440万円を毎月10万円ずつ返済する」という誓約書を書かされて、家を追い出されます。

 

しかし、真面目に働いて10万円を返済するという考えはなく、またしても強盗で楽に稼ごうと考えるのです。こうして起きてしまったのが名古屋闇サイト殺人事件でした。

 

ここでは、堀慶末が逮捕されるきっかけとなった名古屋闇サイト殺人事件について見てきましょう。

 

 

「闇の職業安定所」で仲間を募る

 

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名古屋闇サイト殺人事件で堀は、「闇の職業安定所」という闇サイトを通して知り合った神田司(当時36歳)、川岸健治(当時40歳)とともに行動していました。

 

川岸と神田は以前からこのサイトを利用しており、川岸は2005年7月に振り込め詐欺で懲役1年2ヶ月(執行猶予4年)の有罪判決を受け、神田も2006年3月に詐欺事件で逮捕されて懲役3年執行猶予5年の有罪判決を受けていました。

 

つまり2人とも執行猶予期間中に、「闇の職業安定所」を使って名古屋闇サイト殺人事件を起こしたのです。

 

堀も2007年6月からこのサイトを利用して仕事を探すようになったのですが、最初に応募した債務回収の仕事は依頼主から報酬が支払われなかったため、自ら強盗の共犯者を募るようになります。

 

2007年8月16日、川岸の「東海地方で組んで仕事できる人募集」という書き込みを見た堀は、「強盗で小遣い稼ぎをしないか」と持ち掛けました。

 

この時の募集には杉浦(仮名・当時29歳)という男と、神田も反応して4人で集まって強盗をしようという流れになります。

 

 

堀慶末の顔見知りをターゲットにするが失敗

 

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集まった4人はまず、堀の提案で堀の行きつけのパチンコ屋に出入りしていた男性をターゲットにしました。

 

これを快諾した川岸、杉浦は凶器のロープや金槌を用意してパチンコ店に向かい、男性を待ち伏せして尾行しますが、途中で見失ってしまい犯行を断念。

 

計画を変更して堀の知る家に強盗に入ることにしたものの、ここでも番犬に吠えられたことが原因で犯行を断念しました。

 

こうして失敗が続いて杉浦は堀たちから離れていき、その日の夜に堀と川岸はJR中央本線の金山駅で神田と合流します。

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そして3人はお互いに経歴や犯罪履歴を盛りながら自己紹介をしあいました。

 

この時に神田は「俺は指定暴力団の構成員で、拳銃も覚せい剤も手に入れられる。だから女を拉致して覚せい剤漬けにして、風俗に売り飛ばして儲けよう」と言い出し、川岸と堀も負けじと犯行のために用意した金槌を見せて「殺しもできる」と豪語したそうです。

 

意気投合した3人は、8月22日に再度パチンコ店の常連男性襲撃と、出会い系サイトを使って女性から金銭を騙し取ろうとしました。

 

しかし、結果的にはこの日の犯行も失敗に終わります。前回と違って男性の家にまでついていくことはできたのですが、セキュリティ対策がされた高級マンションだったためにエントランスさえくぐれなかったのです。

 

 

若い女性を狙うことを決める

 

失敗続きの3人が次に思いついたのが、若い女性を狙って金品を強奪することでした。

 

この提案をしたのは川岸で、「路上で若い女を拉致監禁してキャッシュカードの暗証番号を聞き出して、その後に殺せばいい」と言い出したそうです。

 

これに同調した堀と神田は、狙うのなら大金を持っていそうな風俗嬢がいいなどと言い合いましたが、神田が「キャバ嬢は金を持っていない」と主張し、川岸が「ソープ嬢は後ろに暴力団がついているから報復が怖い」と訴えて意見がまとまりません。

 

そんななか、川岸は再び杉浦を誘って過去に働いていた会社に盗みに入ります。

 

が、事務所に侵入することはできたものの金庫がある場所がわからず、現場で杉浦と揉めた挙句、彼を置き去りにして会社から出て行ってしまいました、

 

どう帰ればいいのかわからない場所に置き去りにされた杉浦は、途方に暮れて警察に連絡。自首をして建造物侵入と窃盗未遂で逮捕されます。

 

こうして完全に杉浦は堀たちの計画から離脱。そして杉浦が逮捕された8月24日の午後、堀、川岸、神田の3人は合流して「給料日だし、帰宅途中の会社勤め風の女を狙おう」と決めたのです。

 

 

磯谷利恵さんを殺害

 

出典:https://www.youtube.com/

 

8月24日19時過ぎ、ファミリーレストランで話し合って会社員の女性を狙うと決めた3人は、名古屋市内を車でまわりながらターゲットを探します。

 

そして夜が更けてきた23時頃、春里町2丁目付近で帰宅途中だった磯谷利恵さん(当時31歳)に目をつけました。

 

道を尋ねるふりをして堀が磯谷さんに近づき、立ち止まった彼女に背後から襲い掛かって車内に拉致。

 

ガムテープで彼女の口を塞いで手錠で両手の自由を封じ、そのまま国道155号線沿いのレストランの駐車場に向かいます。

 

人気のない駐車場に到着すると、堀たちは磯谷さんの所持品を漁って現金約6万円とキャッシュカードを奪い取り、時価1万5440円相当のバッグも強奪しました。

 

そして用意していた包丁で磯谷さんを脅してキャッシュカードの暗証番号を聞き出します。

 

が、この時に磯谷さんが堀らに伝えた「2960」という4桁の番号は虚偽の暗証番号でした。

 

当時、磯谷さんは母親と暮らす家をリフォームしようとお金を貯めていたそうです。そのため、何が何でも犯罪者にお金を渡したくないという強い意志があったのでしょう。

 

暗証番号を聞き出せたと気を良くした神田と堀は、いったん車外に出て煙草を吸ったとされます。その間に川岸が磯谷さんを強姦しようとし、抵抗にあって大声をされてしまいます。

 

これに慌てた神田と堀は、「殺すしかない」と判断。まず川岸と神田でロープを使って彼女の首を締めあげましたが、窒息死させられなかったために堀が金槌を持ち出して磯谷さんの頭部を3回連続して殴打。

 

磯谷さんは意識を失いましたが、しばらくして目を覚まし、「殺さないでください」と力なく命乞いをしたそうです。

 

しかし、3人は彼女の悲痛な願いを聞き入れずに頭部に何重にもガムテープを巻いたうえでレジ袋を被せてロープで首を絞め、さらに金槌で頭を30回も殴打して殺害しました。

 

 

死体を山中に遺棄

 

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磯谷さんを殺害した後、3人は返り血のついた車内を掃除して一宮のドン・キホーテで着替えを購入します。

 

そして強奪した中京銀行のキャッシュカードを使って現金を引き出そうとしますが、取り扱い時間外だっために断念します。

 

それから遺体の処理方法について話し合い、岐阜県瑞浪市稲津町小里の山林内に埋めに行きました。これが8月25日の午前4時40分頃のことです。

 

遺体を埋めた後、3人は再び磯谷さんのキャッシュカードでお金を引き出そうとしますが、どのATMで試してもエラーが出ました。

 

腹を立てた堀たちは今晩も同じ手口で路上で女性を拉致しようと約束して、解散したとされます。

 

 

堀慶末の逮捕

 

出典:http://overdope2005.blog74.fc2.com/

 

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しかし堀、神田と別れた後、川岸は25日の13時30分頃に自ら愛知県警察本部に電話をかけて磯谷さん殺害の件を自首、逮捕されます。

 

川岸は駆け付けた捜査員らに遺体を埋めた場所を伝えて、共犯者がいることも自白しました。

 

捜査員は川岸を装ってメールで堀を呼び出し、25日中に堀慶末を逮捕。さらに神田も逮捕し、8月27日に名古屋地検へ3人を送検します。

 

 

堀慶末が死刑判決を下されるまで

 

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堀、神田、川岸の3人の初公判は、2008年9月25日に名古屋地裁で開かれました。起訴後、神田は自殺未遂を図り、堀も精神安定剤を服用するなどしていたといいます。

 

しかし、堀や神田が良心の呵責から精神のバランスを欠いたわけではなく、川岸も反省の意図があって自首したわけでもありません。

 

川岸は明らかに減刑目的で自首をしていますし、堀はその後に手記のなかで逮捕後の心境について、「闇サイト殺人で逮捕されたことをきっかけに、過去の事件の犯人だとバレたらどうしようかと気が気ではなかった」と書いています。

 

裁判では、被害者の人数が1人であること、一方で犯行内容が極めて残忍であることや社会に与える影響が強いことを鑑みて、死刑判決を出すかどうかが焦点となりました。

 

結果、第一審の判決公判では神田、堀に死刑判決、川岸に無期懲役の判決が言い渡されます。

 

3人が集まったきっかけは川岸の書き込みであり、若い女性を狙おうと言い出したのも川岸です。

 

しかし、磯谷さん殺害で積極的に手を出していたのは堀と神田の2名であったことから、2人に死刑判決が下されました。

 

 

二審で堀慶末は無期懲役に

 

出典:https://ameblo.jp/

 

神田の弁護士は死刑判決を不服として即日控訴しましたが、本人が取り下げたために死刑が確定します。

 

一方で堀は控訴したうえで、二審で無期懲役という判決を勝ち取りました。

 

減刑の理由は、強盗を持ち掛けたのは堀と川岸ではあるものの、被害者を殺害するべきだと言い出したのが神田であったこと、そして堀には大きな前科がなかっため、更生の可能性があると判断されたのです。

 

この時、堀は碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件と守山事件を起こしたことを隠したまま、さも反省しているかのように振る舞っていました。

 

 

碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件と守山事件で再逮捕される

 

死刑を免れたと見えた堀ですが、2012年8月3日に碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件の犯人であることが発覚し、服役中の身の上で再逮捕されます。

 

愛知県警は事件現場となった馬氷さんの自宅から、犯人が食べたと思しき枝豆の皮を発見し、ずっと冷凍保存していました。

 

この枝豆の皮に残った唾液から検出されたDNA型が、堀のものと一致したのです。

 

事件発生時の技術では唾液からのDNA鑑定は困難だったのですが、2012年には唾液からDNA型を調べることが可能になっていました。

 

さらに2010年に凶悪事件の時効が見直され、殺人・強盗殺人の時効が従来の25年から制限なし、つまり時効撤廃になったことから、警察は未解決事件専門の捜査係を立ち上げるなどして殺人事件の解決に奮起していました。

 

保存していた枝豆の皮から事件に堀が碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件に関与していると見た捜査員らは、堀の交友関係から佐藤の存在を突き止めます。

 

とくに佐藤の方はこの時も薬物犯罪を起こして服役中だったため、警察はすでにDNAの検体を所持していたそうです。

 

佐藤を取り調べたところ、葉山の存在を明かしたため、3人は強盗殺人罪で逮捕・起訴されることとなりました。

 

さらに取り調べで、堀が守山事件に関与していたことも判明します。

 

 

死刑判決

 

碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件と守山事件の初公判は、2015年10月29日に名古屋地裁で開かれました。

 

しかし、堀は公判で殺意を否認し、馬氷さんを殺してしまったのは故意ではなく事故だと言い張り、里美さんについては自分がいない間に佐藤と葉山が勝手にやったことだと訴えました。

 

裁判には佐藤も証人として出廷し、「里美さん殺害は堀の指示だった」と証言。互いに罪を擦り付け合うという有様でした。

 

守山事件についても2人の主張は対立し、「自分は殺すつもりはなかったが、共犯者が殺そうとした」と醜い言い争いを繰り広げました。

 

結局、裁判では堀が主犯で佐藤と葉山は従犯と判断され、2015年12月15日の判決公判で堀慶末に死刑、ほかの2人に無期懲役の判決が言い渡されます。

 

手を下していなくても、里美さん殺害に堀が関与していないとは考えられない、と判断されたのです。

 

堀はこれを不服として控訴しましたが、2016年11月8日に控訴棄却。さらに上告しましたが、2019年7月19日に上告も棄却されます。

 

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その後も上告棄却の訂正を求める訴えを起こしましたが、これも棄却されたために2019年8月8日に堀慶末の死刑が確定しました。

 

 

堀慶末の現在・まだ死刑はされていない

 

堀慶末は現在も名古屋拘置所に収監されており、死刑は執行されていません。

 

なお、名古屋闇サイト殺人事件で共犯だった神田司は2015年6月25日に死刑執行されています。

 

出典:https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/

 

また、獄中で堀は絵を描いてるそうです。上の絵は第16回「死刑囚表現展」で堀が出展したもので、「加賀奨励賞」を受賞しています。

 

 

被害者遺族に賠償金は支払っていない

 

堀は碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件と守山事件の控訴審では、「刑務作業で得たお金を被害者遺族に渡したい」「謝罪の手紙を書きたい」などと話していました。

 

しかし、馬氷さん夫妻の次男の貴成さんによると、堀からお金が振り込まれたことは1度もないそうです。

 

堀は裁判中も「遺族に手紙を出したい」と言いながら、裁判官から「実際に手紙を書いているのか?」と聞かれると「刑務作業が忙しくて手紙を書く暇などない」と返答していました。

 

法務省によると刑務作業は1日8時間までと定められており、おおむね16時20分頃には終了するそうです。

 

遺族に手紙を書く時間なんていくらでもあるはずですし、現に手記を書く時間はあったわけですから、はなから謝罪する気持ちを持ち合わせていないことは明らかです。

 

 

国家賠償請求訴訟を起こして勝訴している

 

遺族には1円も支払わない一方で、堀は「文通をしていたシスターに手紙を送らせてもらえなかった」という理由で国に損害賠償を求めて訴訟を起こしていました。

 

この訴訟では堀が勝訴しており、2023年2月7日に国に33万円の賠償金支払いが命じられています。

 

 

堀慶末の実家の場所は?

 

出典:http://deliciousicecoffee.jp/

 

引っ越しを繰り返しているためどこを堀の実家というべきなのかは曖昧ですが、堀が小学校低学年時代に住んでいた父親の実家については住所が特定されています。

 

小学校低学年時代に暮らしていたという堀の父親の実家住所は、愛知県名古屋市守山区大字小幡字米野(現在の小幡南)92番地です。

 

この住所は、堀が帰化手続きをとった際の1984年8月22日の官報から明らかになりました。

 

また同日の官報により、堀の一家は帰化する前から「橋本」という通り名を使っていたことも判明しています。

 

 

堀慶末についてのまとめ

 

今回は1998年に発生した碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件、2007年に発生した名古屋闇サイト殺人事件などの犯人である堀慶末について、生い立ちや経歴、死刑判決を下されるまでを中心に紹介しました。

 

堀に対しては闇サイト殺人事件の被害者の磯谷利恵さんの母・富美子さんも「犯人の中で一番したたかで、怖い」とその印象を語っていました。死刑になった神田よりも、堀の方が恐ろしいと富美子さんは感じたのです。

 

2023年になっても国に賠償金を受け取り、遺族には1円も渡していないところを見るに、おそらく今もまったく反省などしていないのでしょう。

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