レッサーパンダ帽男殺人事件は知的障害者が起こした事件であり、障害者による犯罪だけでなく、障害者の家庭環境や福祉も問題になりました。
レッサーパンダ帽男殺人事件の概要や被害者への犯行動機、犯人の山口誠の生い立ちや家族(父親・母親・兄弟)、経歴や知的障害の程度、犯罪歴と判決、現在をまとめました。
この記事の目次
レッサーパンダ帽男殺人事件とは
出典:twitter.com
レッサーパンダ帽男殺人事件とは、2001年に起こった殺人事件です。
レッサーパンダ帽の男が背後から襲撃
2001年4月30日午前10時35分ごろ、東京都台東区浅草で19歳の女子短大生(被害者)が台東リバーサイドスポーツセンターに向かっていたところ、後ろからレッサーパンダ帽をかぶった男が近づいてきました。
被害者が振り向くと、驚いたような表情をしていたため、レッサーパンダ帽を被った男は自分がバカにされたと思い込み、被害者の背中を持っていた包丁で刺しました。
その後、被害者を路地に連れ込んで、仰向けに転倒させて馬乗りになり、それから前胸部や腹部を包丁で繰り返し突き刺し、さらに首を両手で絞めるなどの犯行を行いました。
犯行に気づいた近隣の住民や停車中のタクシー運転手が「警察呼ぶぞ!」などの大声を上げたため、被害者に刺さっていた包丁を引き抜いて、その場から逃走しました。
被害者は失血死
レッサーパンダ帽男に何か所も刺された被害者はすぐに救急搬送され、緊急手術を受けましたが、下大静脈など大きな血管が損傷していたため、失血により午前11時52分に死亡が確認されました。
・右乳房部:深さ6.5センチ
・心窩部:深さ14センチ
・臍部:深さ12センチ
・左上腰背部:深さ2.3cm
・左手首:長さ7cm(防御創)
心窩部の刺創は肝臓や下大静脈を貫通していて、臍部の刺創は左腎静脈を完全に切断し、20~30cmの小腸が出ている状態でした。
被害者は友人が台東区の台東リバーサイドスポーツセンターで行われるブラジリアン柔術大会に出場するため、その応援に向かっている途中でした。
山口誠が逮捕される
犯人のレッサーパンダ帽男はその場から逃走しましたが、現場周辺では「レッサーパンダ帽をかぶった男」が何度か目撃されていたため、その人物が犯人であると断定して捜査が開始されました。
犯人のレッサーパンダ男は現場から数百メートル離れた場所で血痕の付着した包丁やレッサーパンダの帽子、服などを捨てて逃走し、都内の駅構内などを寝床にしていました。
その後、東京駅周辺で日雇い業者から声をかけられ、代々木付近の工事現場で働いていましたが、その会社の関係者が「似顔絵に似た男がいる」と警察に通報があり、事件から10日後の5月10日に代々木で逮捕されました。
逮捕されたのは当時29歳の山口誠という男でした。
レッサーパンダ帽男殺人事件の動機は被害者へのわいせつ目的だった
レッサーパンダ帽男殺人事件では、なぜ被害者は殺害されたのでしょうか?犯人の動機はわいせつ目的です。
事件があった2001年4月30日、犯人の山口誠は朝から女性にいたずらをしてみたいという気持ちになり、若い女性を物色していました。好みの女性が見つからなかったため、一度は自分の寝場所に戻りましたが、再びいたずらをしたくなって、女性を物色し始めます。
その時に見つけたのが被害者の女子短大生でした。被害者に目星をつけた犯人の山口誠は、背後から近づきます。顔が好みのタイプであれば、わいせつ行為をしたいという考えたあったと供述しています。
背後から近づいてきた気配を感じたのか、被害者女性は後ろを振り向きます。その時、被害者は変な顔をして犯人の山口誠をにらんだため、山口誠は馬鹿にされたと思い、殺害したのです。
私は,女性に近づくと,女性が振り返った。私は,女性の顔を見たところ,とてもかわいくて,自分の好みのタイプであったので,女性を自分のものにしたいと思った。しかし,女性が物凄く変な顔をして私を睨み付けてきたので,私は,馬鹿にしていると思い,また,女性には彼氏がいると思って,腹が立ち,女性を殺して自分のものにしたいと考えた。
ただ、被害者女性は馬鹿にしたつもりはなかったでしょう。ただ驚いただけだし、警戒しただけのはずです。
普通、背後から誰かが近づいてくる気配があったら、誰だって驚きますよね。しかも、振り返ったら、レッサーパンダの帽子をかぶった180cmの大男だったのです。そりゃ、ビックリするし、警戒して睨むはずです。
しかも犯行当時、山口誠は毛皮のコートを着ていました。
被告人は,本件各犯行当時,4月末であるにもかかわらず,自分が気に
入ったレッサーパンダの帽子や毛皮のハーフコートを身に着けるという些か奇妙な
格好で,人目も気にせず,町中を歩いていること
春真っ只中の4月末にレッサーパンダの帽子をかぶり毛皮のコートを着ている180cmの男性。女性から見たら、恐怖の対象以外のなにものでもありません。
当たり前の行動・表情をしただけなのに、たったそれだけで被害者はめった刺しにされて殺害されてしまったのです。
ただ、裁判の後半では、犯人の山口誠はわいせつ目的で近づき、殺意を持って包丁で刺したことを否定しています。ただ単に女性と話したいと思って、脅して話を聞かせようと思っただけで、抵抗されて気がついたら包丁が刺さっていただけと証言を変えています。
しかし、裁判では最初の供述(わいせつ目的・殺意あり)は信頼性があるけれど、後半の証言(話したい・殺意なし)は信用できないと結論付けました。
レッサーパンダ帽男殺人事件の犯人・山口誠の生い立ち
山口誠は1972年2月、北海道札幌市で生まれました。父親と母親はできちゃった婚で、山口誠が生まれる1ヶ月前に、ようやく入籍したそうです。
父親は職を転々とし、パチンコに浪費していたため、母方の祖母や兄夫婦と同居することになりました。
幼少期は5人家族でした。
・母親
・山口誠
・弟(2歳年下)
・妹(6歳年下)
しかし、山口誠が小学3年生の時に同居していた祖母が亡くなり、アパートに引っ越しました。
山口誠は地元の小学校・中学校に通学していましたが、成績は芳しくなく、オール1の成績を取っていたとのことです。
また、父親からDVを受けていて、青竹で叩かれたり、真冬に全裸で屋外に放り出されたりしていました。
レッサーパンダ帽男殺人事件の犯人・山口誠の家族:父親も知的障害
レッサーパンダ帽男殺人事件の犯人の父親は、DV&パチンコ狂いで経済的DVをしていました。
父親は中卒で営林署に勤めたもののすぐに退職し、その後は職を転々としていました。若い頃は実家に住んでいたため、給料のほとんどをパチンコに費やしていたそうです。
パチンコに給料をつぎ込むことは結婚しても変わることなく続きます。嫁と子供が3人いるにも関わらず、給料のほとんどをパチンコにつぎ込んでいました。
しかも、山口誠は父親からDVを受けていました。皮膚が膨れ上がるほど青竹で叩いたり、札幌の真冬に全裸で外に放り出したりしたこともありました。
また、犯人の山口誠は知的障害がありましたが、レッサーパンダ帽男殺人事件後には父親も実は知的障害があったことが判明しています。軽度知的障害だったから、今まで検査をせず、周囲からも指摘されずに来たのでしょう。
ただ、知的障害があったから、このようなDV&パチンコ生活をしていたのかは不明です。
レッサーパンダ帽男殺人事件の犯人・山口誠の家族:母親は病死
レッサーパンダ帽男殺人事件の犯人の母親は、23歳の時に山口誠を出産しました。父親がパチンコで給料を使ってしまうと、パートをして家計を支えるような女性でした。
母親は山口誠が17歳の時に、白血病で亡くなりました。山口誠は母親の死に大きなショック・衝撃を受けたようで、母親の遺体を保存しておきたいという願望を持ったようです。
②被告人は,母親の葬式にいて,その死体を保存しておきたいという願望を抱いているが,被告人の情緒面での支えであった母親の喪失に耐えきれずに抱いた願望として了解可能であり,責任能力には問題がないという趣旨の診断をしている。
遺体を保存しておきたいという思うくらい、山口誠は母親に精神的に依存していたのでしょう。父親から受けるDVから母親は守ってくれていたのかもしれませんね。
レッサーパンダ帽男殺人事件の犯人・山口誠の家族:兄弟が悲惨・・・
山口誠には2歳年下の弟と6歳年下の妹がいました。
弟は不明
山口誠には2歳年下の弟がいましたが、この弟はレッサーパンダ帽男殺人事件の報道では一切登場しませんでした。
おそらく、事件当時にはすでに実家を出ていて独立していたものと思われます。レッサーパンダ帽男殺人事件を起こした犯人が自分の兄だとわかると、人生が破滅しますので、ひっそりと生活しているのでしょう。
妹は働きづめで病死
山口誠の妹さんはレッサーパンダ帽男殺人事件の1年後に25歳の若さでガンで亡くなっています。
妹さんは小学生の頃に母親を亡くし、その後は父親はパチンコ三昧で長兄は知的障害持ち+放浪癖+犯罪者だったということもあり、経済的に高校に進学することを諦め、中卒で働くことになりました。
朝から夜遅くまで食品加工工場で働き、家計を支え、さらにDV父親と知的障害の兄の世話をして、働いたお金は父親のパチンコと放浪癖のある兄に持っていかれてしまう。妹さんは中学卒業後からずっとそんな生活を強いられていたのです。
自分の給料を貯めたお金で買った私物も、山口誠に売り払われてしまったこともあったようです。
そして、ガンを発症します。この年齢でのがんの発症は遺伝的なものだったのかもしれません。
ガンを発症しても妹さんを看病して世話をしてくれる人は誰もいませんし、経済的な理由で働き続けるしかありませんでした。そんな中、レッサーパンダ帽男殺人事件の前には、山口誠は妹に金の無心の電話をかけています。
妹さんはそれまではお金を何とか工面していましたが、その時は「今まで立て替えたお金を返せ!」とお金の無心を拒否しています。この時お金を工面しなかったことで、山口誠はレッサーパンダ帽男殺人事件を起こしたのではないかと妹さんは警察の取り調べ時に話していましたが、どう考えても、妹さんは1つも悪くないし、何の責任もありません。
おそらくこの時、妹さんが無理して工面していても、山口誠はレッサーパンダ帽男殺人事件のような事件を起こしていたはずです。
妹さんはその後ガンが進行して、妹さんの困窮状態を知ったボランティア団体の支援を受けることになりました。妹さんはそのボランティア団体の人に「これまでの人生で楽しかったことなんて、なにひとつない」と話していたそうです。
余命いくばくもない状態の妹さんの望みは、「一人暮らしがしたい」ということ。ボランティア団体の支援でその望みをかなえることができ、観光などに連れ出してもらったりしました。
父親と兄の犠牲になった人生だった妹さんでしたが、ようやく最期に自分の希望を叶えることができ、自分のために時間を使うことができたことが、唯一の救いと言えるのではないでしょうか。
レッサーパンダ帽男殺人事件の犯人・山口誠の経歴:知的障害があった
事件後の精神鑑定でIQを測定するWAIS-Rの検査をしたところ、山口誠のIQは59であるという結果が出ました。
言語性知能指数が55,動作性知能指数が72,全検査知能指数が59ととなっており,また,被告人がそれ以前に受けた知能検査の結果等に照らしても,被告人は,軽度の精神遅滞であると診断されること
精神遅滞とは知的障害のことです。また、IQ51~70は軽度知的障害(生活能力によっては中度知的障害)と判定されます。
中学の時には自閉症であると診断されているとのことですので、自閉症+軽度知的障害であったことは間違いないでしょう。
また、山口誠は犯行時に被っていたレッサーパンダの帽子について、「函館市で購入したもので、犬の顔を模したものだと思っていた。大切なもので、毎日抱いて寝ている」と答えています。
レッサーパンダを犬の顔だと思っていても悪いことではないし、レッサーパンダの帽子を大切にして毎日抱いて寝ていても良いのですが、29歳の成人男性の答えとしては違和感を感じずにはいられません。
この違和感も、山口誠が知的障害者を持っていたことから来るものなのかもしれません。そもそも、成人男性がぬいぐるみの帽子をかぶっていて浮かないのは、ディズニーランド・ディズニーシーくらいのものですよね。
養護学校に進学
レッサーパンダ帽男殺人事件の犯人である山口誠は知的障害がありました。小学校・中学校は普通学校に通っていたものの、成績はオール1。
中学卒業後は調理師の専門学校に行くことを希望していたようですが、中学の先生の勧めで札幌市立豊明高等養護学校に進学します。
最初は養護学校に進学することを渋っていたようです。その理由は「自分はまともだから養護学校には行きたくない」というもの。成績はオール1で勉強があまりにもできないため、小学校・中学校でもいじめに遭っていたようです。それでも、自分に知的障害があることは認めたくなかったのでしょう。
逮捕後にも知的障害があることを認めようとしませんでしたし、妹さんによると障害者手帳を破り捨ててしまったこともあるようです。
最初は渋っていたものの、結局は養護学校に進学し、そこでは順風満帆な学校生活を送り、生徒会長を務めたこともありました。
放浪癖があった
高等養護学校3年の時に、母親を白血病で亡くし、そのころから山口誠の放浪癖が始まります。3~4日程度の家出を繰り返すようになりました。
気が向くと電車に飛び乗って、北海道から東京まで行き、所持金がなくなると、交番に駆け込んで保護を求めるということを繰り返していました。
放浪癖があるということは、交通費がかかるし、仕事もしないということです。当時、家計を支えていたのは妹でした。それで、妹に金の無心をするようになったのです。
放浪癖の理由は父親からのDVと言われています。母親が亡くなった後、父親から山口誠へのDVは悪化したようです。そのDVから逃げるために放浪していたと見られています。しかし、そのことで妹さんに大きな負担がかかっていくことになります。
いじめがあった
山口誠は1990年に高等養護学校を卒業すると、クリーニング店で働きますが、1ヶ月もたたずに辞めています。次は印刷会社に就職しますが、ここも長続きすることなく退職し、その後も塗装会社などで働きますが、結局はすぐに辞めてしまいます。
山口誠は職場でいじめに遭っていたようです。逮捕時には前歯が欠損していましたが、これは職場でいじめに遭い、暴力を受けたことが原因です。知的障害があったことでいじめに遭ったと言われています。
仕事が長続きせずに、放浪癖がある山口誠は、ホームレスのような生活を送るようになりました。
レッサーパンダ帽男殺人事件の犯人・山口誠の経歴:犯罪歴あり
山口誠はレッサーパンダ帽男殺人事件を起こす前にも犯罪を行い、刑務所に入っていたことがありました。
1993年に手斧の不法携帯で罰金刑を課されています。
1994年11月には函館市内で34歳の女性にモデルガンを突き付けて、公園のベンチに座らせ、お金を要求し、身体を触るという事件を犯しました。この時は女性が「お金がないから銀行で降ろしてくる」と言い、警察に駆け込んだため、山口誠は現行犯逮捕されています。
この強盗未遂と強制わいせつの事件では懲役3年執行猶予5年の判決を受けています。
この事件の半年後、次は熊本県で自転車の窃盗事件を起こしました。執行猶予中の犯行ですから、執行猶予は取り消されます。また、自転車窃盗も懲役10ヶ月の判決でしたので、懲役3年10ヶ月の実刑となりました。
この時、山口誠は23歳でした。
山口誠は模範囚だったようで、26歳の時に刑期満了よりも11ヶ月早く仮釈放されます。仮釈放後、刑期満了までは自分の所在地を明確にし、保護司と定期的に面会するなどの決まりがありますが、山口誠はすぐに行方をくらませます。
そのため、仮釈放を取り消されました。仮釈放を取り消された時点で、身柄を拘束されたら、刑務所で残りの刑期を務めることになります。そして、行方をくらませてから1年2ヶ月後に青森で無銭飲食をして逮捕され、懲役10ヶ月の実刑判決となりました。
この懲役10ヶ月に仮釈放取り消しの11ヶ月も加算されますので、2年弱の刑務所行きとなります。
そして、出所したのが2001年1月。刑期が終了したのが3月5日。レッサーパンダ帽男殺人事件を起こす約2ヶ月前のことです。
・1993年:手斧の不法携帯で罰金刑
・1994年11月:強制わいせつと強盗未遂で懲役3年執行猶予5年
・1995年7月:窃盗で執行猶予取り消しで刑務所収監
・1999年6月:仮釈放で出所
・1999年7月:懲役10ヶ月
・2001年1月:仮出所
・2001年3月:刑期終了
・2001年4月30日:レッサーパンダ帽男殺人事件
これを見ると、山口誠は20代半ばからほとんどの期間を刑務所で過ごしていたことがわかります。
執行猶予中に再犯して執行猶予を取り消しになったのに仮出所。仮出所中に行方をくらまして仮出所を取り消され再収監されているのに、また仮出所したというのは、何か理由があるのでしょうか?
1度仮出所して行方をくらませているなら、もう仮出所させないほうが良いと思ってしまうのですが、刑務所の中では模範囚だったのでしょうか。
レッサーパンダ帽男殺人事件の犯人・山口誠の判決
レッサーパンダ帽男殺人事件の裁判では、犯人の山口誠の責任能力に焦点が当てられました。
山口誠の弁護人は、軽度の知的障害に加えて自閉症などの広汎性発達障害であったために、心神喪失・心神耗弱状態だったと主張しています。
弁護人は,判示第2の殺人の犯行当時,被告人は,軽度の精神遅滞に加え,自閉症等の広汎性発達障害であったために,Aに本件包丁を示したところ,同女から思わぬ反応をされたことによって,情動反応が生じていたのであるから,心神喪失又は心神耗弱の状態にあった旨主張する。
2人の医師が精神鑑定をしたところ、1人は責任能力あり、もう1人は心神喪失又は心神耗弱の状態にあったと考えられるという結果を出しました。2人の医師が全く違う鑑定結果を出したわけですが、裁判所は、いろいろな角度から犯人の心理状態を分析した結果、完全な責任能力を有していたことは十分に認定することができると結論付けています。
そして、2004年11月26日に、裁判所は犯人の山口誠に対し、無期懲役の有罪判決を言い渡しています。
レッサーパンダ帽男殺人事件の犯人・山口誠の現在
レッサーパンダ帽男殺人事件の犯人の山口誠は、現在も刑務所に収監中です。無期懲役ですので、今後は死ぬまで刑務所の中という可能性が高いです。
無期懲役の場合、仮出所のハードルは非常に高いです。懲役30年を超えて、ようやく仮出所ができるかどうかの審査に入るのですが、それでも更生の余地があり、支援者がいるというケースに限られます。特に近年は、無期懲役の仮出所は厳しいようです。
この数値で計算すると、1年間に無期懲役からの仮釈放が許可される人の割合は、わずか0.5%程度となります。
山口誠は前科がありますし、仮釈放が取り消されたこともあります。また、仮釈放後にサポートしてくれる家族もいません。となると、やはり仮出所の可能性は極めて低いと言えるでしょう。
レッサーパンダ帽男殺人事件のまとめ
レッサーパンダ帽男殺人事件の概要や被害者、犯人の動機、山口誠の生い立ちや家族(父親・母親・兄弟)と経歴、犯罪歴、裁判の判決や現在をまとめました。
この事件は本当に不条理極まりないものでしたが、同時に知的障害者とその家族へのサポート・福祉の必要性を感じずにはいられません。