ロボトミー殺人事件と犯人/桜庭章司の現在!藤井医師への復讐・無限回廊の記事・その後もまとめ

1979年の「ロボトミー殺人事件」は承諾のないままロボトミー手術を受けた桜庭章司が主治医の藤井医師を恨みその妻と義母殺害した衝撃事件です。

 

この記事ではロボトミー殺人事件の犯人・桜庭章司の生い立ちや事件までの経歴、その後や現在、無限回廊の記事などについてまとめました。

ロボトミー殺人事件は桜庭章司が藤井医師への復讐で妻と母を殺害した事件

出典:https://pbs.twimg.com/

 

「ロボトミー殺人事件」とは、スポーツライターとして活動していた桜庭章司(事件当時50歳)が、無承諾のままロボトミー手術(前頭葉白質切截術)の一種であるチングレクトミー手術を受けて人生を狂わされたとして、それを行なった精神科医の藤井澹(ふじい・きよし。以下藤井医師)に恨みを抱き、1979年9月に藤井医師の自宅に押し入ってその妻と妻の母親を殺害した事件です。

 

ロボトミー手術とは、日本では1930年代から1970年代にかけて行われていた外科手術で、うつ病や統合失調症、各種人格障害などの精神病の治療として頭蓋骨に穴を開け、脳の前頭葉の一部を切除し感情が湧かないようにする事を目的としていました。

 

ロボトミー殺人事件の犯人である桜庭章司は、生来極めて神経質かつ生真面目でよく言えば正義感が強く曲がった事が許せない性格で、その気性が災いして暴力事件や恐喝事件を何度も起こして有罪判決を受けた過去があり、精神科病院に強制措置入院され、本人の同意がないまま主治医の藤井医師の指示によりロボトミー手術の一種であるチングレクトミー手術を施されていました。

 

チングレクトミー手術後、無気力となり仕事もうまくいかなくなった桜庭章司は、藤井医師に恨みを抱くようになり、藤井医師を殺害して自分も死のうと思い立ち、藤井医師の自宅に押し入りました。

 

しかし、藤井医師は帰宅せず、桜庭章司は自宅にいた藤井医師の妻と母親を殺害し、物取りに見せかけるために預金通帳と多額の現金を奪って逃走します。

 

その帰り、桜庭章司は不審な動きを警官に見咎められて職務質問を受け、刃物を所持していたため銃刀法違反で現行犯逮捕。その後、帰宅した藤井医師の通報によって事件が発覚し桜庭章司は強盗殺人の容疑で再逮捕され裁判で無期懲役の判決が確定する事になりました。

 

ここでは、そんなロボトミー殺人事件と、その犯人である桜庭章司が事件を起こすまでの生い立ちや経歴、その後や現在などを中心に紹介していきます。

 

 

ロボトミー殺人事件の犯人・桜庭章司の生い立ちと経歴

 

「ロボトミー殺人事件」の犯人・桜庭章司の事件を起こすまでの生い立ちと経歴を見ていきます。

 

 

ロボトミー殺人事件の犯人・桜庭章司の生い立ち

 

桜庭章司は、1929年1月1日に長野県北安曇郡(松本市は誤情報)で次男として生まれました。

 

実家は貧しく、桜庭章司が小学生の時に仕事を求めて家族で東京へ移住。1941年に墨田区向島の小学校を卒業した桜庭章司は、東京高等学校付属工科学校に進学するも家庭の貧困のために1年で退学し工員として働くようになりました。

 

1945年に終戦後、桜庭章司は家族と長野県へと戻り、松本市で父親が経営し始めた食堂を手伝っています。この頃、桜庭章司は町のボクシングジムでボクシングを習い始め、19歳の時には北陸の社会人ボクシング選手権にライト級で出場して優勝を飾っています。

 

ロボトミー殺人事件の犯人・桜庭章司の経歴① 独学で英語を学び通訳や翻訳業

 

桜庭章司は長野県に戻った頃から独学で英語を学び始め、英語塾にも通って高い英語力を身につけました。

 

1949年、20歳になった桜庭章司は、東京立川の在日米軍(占領軍)基地の通訳募集に応募して合格して上京するも、家賃を支払えずにやむなく松本へ戻っています。

 

桜庭章司は新潟県に移り、新潟電話局(現在のNTT)に英語通訳として働き始めています。その翌年の1950年の5月2日、桜庭章司は同僚女性との恋愛問題から睡眠薬を飲んで自殺未遂を起こしており当時から精神的に不安定なところがあったようです。

 

1950年12月、桜庭章司は在日アメリカ軍新潟基地の防諜隊(CIC)からのスカウトを受けて新潟電話局を退職し、在日米軍の通訳・翻訳として働き始めました。(特別犯罪調査局OSIとの説もあり)

 

在日米軍で働く事で英語力に磨きをかけた桜庭章司でしたが、松本市の母親が病に倒れたため、やむなく仕事を辞めて実家へ戻っています。

 

 

ロボトミー殺人事件の犯人・桜庭章司の経歴② 土木で働くも事件を起こし逮捕

 

松本市には翻訳や通訳など英語力を活かせる仕事はなく、ボクシング経験もあり体力に自信のあった桜庭章司は土木現場で働き始めました。当時の土木の仕事は喧嘩が絶えませんでしたが、ボクシング経験者である桜庭章司は弱い者が暴力を受けているの見つけると助けに入り相手を叩きのめしていたようです。

 

桜庭章司は1954年に一時的に上京して東京で私立高校と予備校で英語講師として働きますが、アパートの隣室の音が気になって転居を繰り返し1955年に退職して再び肉体労働に戻っています。(この頃にも精神的な不安定さが目立っていた)

 

1957年8月、桜庭章司は路肩工事で手抜きを発見し班長に報告するもクビを宣告されます。桜庭章司は納得せずに社長に直談判しますが、社長に小料理屋へ連れて行かれて酒を飲まされ、口止め料として5万円を渡された上、解雇に同意させます。

 

当時は大卒銀行員の初任給が1万3000円に満たない時代であり、5万円は贅沢をしなければ数ヶ月暮らせるような大金でした。当時、桜庭章司は作家を夢見ており、働かずに執筆や読書に専念できると考えてこの金を受け取り実家へ戻ります。

 

ところがそれから2ヶ月後、桜庭章司は暴行と恐喝の容疑で警察に逮捕されます。前の職場で叩きのめした男が暴行で訴え、この件で事情聴取を受けた社長が脅されて5万円を渡したと虚偽の供述をしたためでした。

 

桜庭章司は暴行と恐喝で起訴され、懲役1年6ヶ月執行猶予3年の判決を受けています。初犯だったため執行猶予がつけられました。

 

しかし、1958年8月、ダム工事現場で働いていた桜庭章司は仲間の不当な解雇と賃金の不払いが発生。正義感が異常に強い桜庭章司はまたも社長に直談判して自宅へ押しかけ、これが恐喝事件になって2度目の逮捕をされます。

 

執行猶予期間中の逮捕という事で執行猶予は取り消され、1959年12月から1年8ヶ月長野刑務所で服役しています。

 

 

ロボトミー殺人事件の犯人・桜庭章司の経歴③ スポーツライターとして成功

 

1961年8月、桜庭章司は長野刑務所を釈放され、上京して鉄筋工として働き始め、並行して翻訳会社にも勤め始めています。この頃はちょうど民間にもテレビが普及し始め、力道山が国民的なヒーローとなってプロレスブームが起き、ボクシングなど格闘技界全体が盛り上がっていました。

 

1962年5月、桜庭章司は翻訳会社からの帰り道にたまたま目にしたスポーツ新聞で、海外のスポーツ情報がでたらめに伝えられてる事に驚愕して腹を立て(英語が堪能だった桜庭章司は日本メディアがいかに海外のニュースをでたらめに伝えているのかに気がついた)、新聞社や出版社に宛ててクレームの手紙を書いて送り付けました。

 

手紙を受け取ったある新聞社が、桜庭章司が海外の情報に精通している事に注目し、当時は英語力のある人材が不足していた事もあって、桜庭章司に連絡を取り原稿を依頼してきました。

 

これを機に、桜庭章司は「鬼山豊」というペンネームでスポーツライターに転身し、新聞や雑誌で多数の記事を寄稿するようになりました。

 

桜庭章司は当時は珍しかったスポーツライターの草分けとしてそのジャンルを切り開き、スポーツ評論家、スポーツ作家としても高い評価を得るようになります。

 

月収も当時の一般的な会社員の3〜5倍ほどになり、資料整理のためにアルバイトを2人雇うまでに成功したのでした。

 

 

 

ロボトミー殺人事件の犯人・桜庭章司の経歴④ 精神病院送りにされる

 

スポーツライター「鬼山豊」として成功者になったかに見えた桜庭章司でしたが、良い時代は長くは続きませんでした。

 

1964年3月3日、桜庭章司は東京都板橋区にあった妹の家に立ち寄った際、年老いた母親の今後について話し合っている際に妹夫婦と喧嘩になります。桜庭章司は土木作業員として働いていた頃から、実家の母親に収入の半分を仕送りしていましたが、妹夫婦にはそれが理解されておらず、年老いた母親の世話について口論になったのでした。

 

次第に激昂した桜庭章司は、妹の自宅にあった茶だんすや人形ケースを破壊するなどして暴れ、警察に通報されて器物損壊の現行犯で逮捕されてしまいます。

 

妹夫婦は翌日に告訴を取り下げたものの、警察は桜庭章司に前科前歴が複数ある事を問題視して釈放せず、暴力事件を繰り返している原因は精神疾患にあると考え世田谷区の都立梅ヶ丘病院に強制連行し精神鑑定を受けさせました。

 

担当した女医は桜庭章司を反社会的な傾向を示す「精神病質」との診断を下し、当時の法律ではこの診断で強制的に措置入院させる事ができたため、警察は3月11日に桜庭章司を聖蹟桜ヶ丘の桜ヶ丘保養所(現桜ヶ丘記念病院)に強制入院させました。

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この時の主治医こそが、桜庭章司にロボトミー手術を施す事になる、藤井医師(藤井澹)でした。

 

 

ロボトミー殺人事件の犯人・桜庭章司が望まぬまま藤井医師が勝手に手術

 

出典:https://img.medscapestatic.com/

 

1964年3月11日に桜ヶ丘保養所に強制措置入院させられた桜庭章司は、この病院でロボトミー手術が行われており、当時20歳くらいの八重という女性がこの手術を受けて、1週間後に首吊り自殺をした事を知ります。

 

桜庭章司は自分もロボトミー手術がされると恐れ、藤井医師に対して拒否を伝えています。この手術には家族の同意が必要だったため、桜庭章司は母親に絶対に同意しないように伝えていましたが、藤井医師は肝臓の検査だと嘘をついて母親に承諾書にサインをさせてしまいます。

 

1964年11月2日、藤井医師は肝臓の検査だと虚偽の説明をして桜庭章司に全身麻酔をかけ、本人の承諾を得ないままロボトミー手術の1種であるチングレクトミー(前部帯回切除術)手術を強行しました。

 

チングレクトミー手術の後、桜庭章司は従順で覇気のない性格に変化し、1965年3月3日に退院が許可されます。この際、桜庭章司は退院と引き換えに手術の同意書にサインをさせられています。

 

 

ロボトミー殺人事件の犯人・桜庭章司の手術を受けたその後の足取り

 

ロボトミー手術の一種であるチングレクトミー手術を受けた後、桜庭章司の意欲は著しく減退し、原稿を書ける量もかつての5分1に減少。やがて、スポーツライター「鬼山豊」の名前は表舞台から姿を消しました。

 

桜庭章司は1968年3月、大型特殊運転免許を取得しトラクターの運転手として働くも、チングレクトミー手術の影響でてんかんの症状が表れ、トラクターを暴走させるなどしてまともに働けず、自動車修理工場など職を転々とします。

 

桜庭章司は1970年8月に恐喝事件、1971年6月に器物損壊事件を起こしましたが、これはいずれも睡眠薬を服用し朦朧とした状態で起こした事件で執行猶予処分とされています。

 

1971年9月、桜庭章司は仕事を探すために横浜へ移り住みましたが、うまく行かず、思い詰めた末に、ナイフを購入して貴金属店へ押し入る強盗事件を起こします。しかし、手術の後遺症や薬の服用によって手足がうまく動かずに店員に取り押さえられ、駆けつけた警察により現行犯逮捕されました。

 

1973年7月、桜庭章司はこの事件で懲役4年の実刑判決を受けました。

 

 

ロボトミー殺人事件の犯人・桜庭章司が藤井医師に恨みを募らせ凶行へ

 

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強盗事件での服役後、桜庭章司は弟が経営する会社の世話になっていましたが、英語力を買われてフィリピンマニラで通訳をする事になり、約2年ほど滞在しています。

 

桜庭章司はフィリピンに永住しようと考えていましたが、部屋に招いた現地の友人の中に反体制派の人間がいたため強制国外退去となり日本に帰国。

 

ここに至り、ようやく桜庭章司は自分の人生を無茶苦茶にしたのは合意もないままチングレクトミー手術を強行した藤井医師であると考えるようになり恨みを募らせるようになります。

 

桜庭章司は医師名鑑で藤井医師の住所を突き止めると、藤井医師を殺害した後に自分も死ぬつもりで遺書を認めました。

 

1979年9月26日の17時過ぎ、桜庭章司はデパートの配達員を装って東京都小平市美園町の藤井医師の自宅に侵入。応対した藤井医師の義母の深川タダ子さん(当時70歳)を押さえつけて刃物で脅し、手足に手錠をかけてガムテープで目と口を塞いで拘束。間も無く帰っていた藤井医師の妻の道子さん(当時44歳)も取り押さえて同じように拘束しました。

桜庭章司は下調べで18時半頃には藤井医師が帰宅する事を突き止めていて帰宅を待ちましたが、その日、藤井医師は同僚の送別会に出席しており20時を過ぎても帰宅しませんでした。

 

このままでは目的を達成できず、藤井医師の義母と妻をそのままにして帰れば警察に通報されてしまうと考えていると、拘束していた2人が騒ぎ始めました。

 

桜庭章司は鎮静剤を服用していたため意識が朦朧とし始めており、2人の喉を刃物で切り裂いて殺害。物取りに見せかけるために妻名義の預金通帳(約35万円の残高)と現金46万円が入った給料袋を奪い逃走しました。

 

桜庭章司はその帰り、ロボトミー手術の影響と鎮静剤服用によって挙動不審な動きをしており、また手錠を何度も取り落とすなどしたため、池袋駅の中央改札近くで警察官に見咎められ職務質問を受けて交番へ連行されます。そして、刃物を所持していた事から銃刀法違反の容疑で現行犯逮捕されます。

翌27日の午前2時過ぎ、藤井医師が帰宅して妻と義母の遺体を発見して通報し、やがて桜庭章司による犯行である事がわかり、桜庭章司は強盗殺人や銃刀法違反など4つの罪で逮捕起訴されました。

 

 

ロボトミー殺人事件は「無限回廊」という老舗事件史サイトで有名に

 

桜庭章司が引き起こした「ロボトミー殺人事件」がインターネット上で知られるようになったきっかけは、昭和から平成にかけての衝撃的な事件について詳しくまとめた老舗サイト「無限回廊」にこの事件のあらましが掲載された事でした。

 

「無限回廊」にロボトミー殺人事件の記事が掲載されたのは2002年で、この頃から匿名掲示板でもよく「無限回廊」のロボトミー殺人事件の記事が話題にされていました。

 

「無限回廊」は現在も運営されており、ロボトミー殺人事件以外にも昭和や平成の衝撃事件が多数詳しく紹介されているため、昭和や平成の事件史に興味がある方にはオススメです。

 

 

ロボトミー殺人事件の犯人・桜庭章司のその後① 裁判で無期懲役が確定

 

「ロボトミー殺人事件」の犯人・桜庭章司のその後についても見ていきます。

 

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桜庭章司は藤井医師の妻と義母に対する強盗殺人、銃刀法違反などの4つの罪に問われました。

 

第一審は東京地裁の八王子支部で開かれ、裁判ではロボトミー手術の影響や睡眠薬や鎮静剤の大量服用などによる責任能力の有無が争点になり、桜庭章司は精神鑑定を受けました。検察側が実施した精神鑑定では「責任能力あり」というもので、脳波検査でも「異常なし」とされました。

 

一方、別の鑑定では「責任能力は減弱していた」とし、脳に萎縮がある事も判明し、ロボトミー手術の際に止血に使用された金属製クリップが脳内に残留したままになっている事も判明しています。

 

1993年7月7日、東京地裁は「責任能力あり」とした鑑定結果を採用し、無期懲役の判決が言い渡されましたが、検察側は死刑を求めて控訴。桜庭章司も「死刑か無罪にしてほしい。一審の判決は中途半端で、チングレクトミー手術の問題点を理解していない」と訴えたため弁護側も控訴しています。

 

東京高裁での控訴審で検察側が再度精神鑑定を実施しますが、この鑑定では「脳波は異常」との結果が出て、検察にとってはむしろ不利な結果となりました。

 

1995年9月11日、東京高裁は控訴を棄却して一審の無期懲役判決を支持。これを不服として弁護側は上告しましたが、1996年11月16日に最高裁は上告を棄却し無期懲役の判決が確定しました。

 

 

ロボトミー殺人事件の犯人・桜庭章司のその後② 刑務所で自死権の裁判

 

出典:https://image.space.rakuten.co.jp/

 

「ロボトミー殺人事件」で無期懲役が確定し服役した桜庭章司ですが、宮城刑務所で自死権の確認と刑務所が自殺を認めない事に対して国に160万円の損害賠償を求める訴訟を起こしました。

 

しかし、2008年2月15日、仙台地裁は桜庭章司の請求を棄却しています。桜庭章司は刑務所で体調不良で「生きていて仕方がない」として自死を希望していたという事です。

 

 

ロボトミー殺人事件の犯人・桜庭章司の現在…2016年までは宮城刑務所

 

出典:https://auctions.c.yimg.jp/

 

「ロボトミー殺人事件」の犯人・桜庭章司の現在についてですが、2016年までは宮城刑務所で服役していた事がわかっています。しかし、2024年の現在の桜庭章司の所在や生死は不明です。仮に現在も存命していれば95歳になっているはずです。

 

犯罪や事件を追っているジャーナリストの片岡健さんは、2016年1月に宮城刑務所の桜庭章司から手紙が届いた事を公開されていて、日刊ゲンダイなどに記事も寄稿されています。

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片岡健さんも現在の桜庭章司については情報がないようで、医療刑務所に移されたのか、獄中で死亡したのかもわからないようです。

 

2017年の正月明け、私が桜庭に出した年賀状が「あて所に尋ねあたりません」と返送されてきた。これはつまり、桜庭はもう宮城刑務所にいない、ということだ。

桜庭は、医療刑務所などに移されたのだろうか。それとも、ついに獄中で人生を終えたのだろうか。

 

引用:デジタル鹿砦社通信 《殺人事件秘話18》ロボトミー殺人事件の犯人、老後の悲惨な獄中生活

 

 

ロボトミー殺人事件の原因となった藤井医師のその後や現在は情報がない

 

「ロボトミー殺人事件」の原因となった藤井医師のその後や現在もネットで盛んに検索されています。しかし、藤井医師のその後や現在の情報は何もなく、どのような人生を送ったのかは不明です。

 

 

まとめ

 

今回は、1979年9月に発生した「ロボトミー殺人事件」と犯人の桜庭章司の生い立ちや経歴などについてまとめてみました。

 

ロボトミー殺人事件は、性格矯正などを目的として脳の一部を切開し切除するロボトミー手術の一種であるチングレクトミー手術を本人の承諾のないまま施術され人生を狂わされたとし、主治医の藤井医師への恨みを抱いた桜庭章司が、藤井医師の自宅に押し入ってその妻と義母を殺害した事件でした。

 

ロボトミー殺人事件は、衝撃的な事件を紹介する老舗サイト「無限回廊」で2002年に紹介されネット上でも広く知られるようになりました。

 

ロボトミー殺人事件のその後、犯人の桜庭章司は無期懲役の判決を受けて宮城刑務所に収監され、2008年には獄中から自死権に関わる裁判を起こしています。

 

現在の桜庭章司については、2016年までは宮城刑務所にいた事がわかっているものの、2017年にはいなくなっておりその後の所在はわかっていません。現在は医療刑務所に移されているか、あるいは獄中で死亡しているかだと推測されています。

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