アダルトゲーム業界に「18禁」のレイティングを作るきっかけになった沙織事件は1991年に起こりました。沙織事件の概要や犯人の特定状況、ゲーム内容や無修正画像、18禁の経緯、ニコニコ動画やなんJでの扱いと現在をまとめました。
この記事の目次
沙織事件は18禁が生まれるきっかけになった事件
出典:suruga-ya.jp
「沙織事件」とは、「沙織 -美少女達の館-」というパソコンのアダルトゲームを万引きした事件をきっかけに、ゲームの製造元が摘発され、アダルトゲームの「18禁」が制定されることになった事件のことです。この時の時代背景から事件の概要などを説明していきます。
当時の時代背景
沙織事件が起こったのは1991年のことです。
1991年ごろは、ゲームと言えば任天堂のファミコンやゲームボーイでやるもの、もしくはゲームセンターなどでやるものというイメージが強く、パソコンのゲームはマイナーなもので、パソコンゲームをやる人は「マイコン族」と呼ばれ、「オタク」扱いされるような状態でした。
また、当時は現在よりも「アダルトコンテンツ」についての倫理観が希薄であり、パソコンゲームは一部の愛好家向けのものだったこともあり、今のようなレイティングはありませんでした。
ただ、1988年に宮崎勉が起こした東京・埼玉連続幼女誘拐事件後から、「オタク」やアダルトコンテンツに対する世間の目は厳しくなってきていたのは事実です。
マスコミでは有害図書問題が取り上げられることも多くなり、1991年2月には青年向け同人誌を扱う書店への手入れもあったために、「そろそろゲーム業界も危ないのでは?」と噂されることもありました。
京都で万引き事件が起こる
1991年に京都で男子中学生が「沙織 -美少女達の館-」というパソコンの成人向けゲームを万引きする事件が起こりました。
この男子中学生はその場で取り押さえられたようで、警察を呼ばれて京都府警に補導されています。
この事件は、「未成年の中学生による万引きで補導」というもので、特段珍しい事件だったり、悪質な事件というわけではありませんので、この「沙織 -美少女達の館-」を万引きした事件はニュースで報道されることはなく、世間は知らないままでした。
警察が家宅捜索に
京都での男子中学生による万引き事件は、公に報道されることはありませんでしたが、水面下で警察は動いていたようで、1991年11月25日に京都府警少年課が、「沙織 -美少女達の館-」を発売しているフェアリーテールX指定というブランドを持つ有限会社キララや親会社、家電販売店などに家宅捜索が入りました。
「沙織 -美少女達の館-」の販売元の有限会社キララなどは、京都で万引き事件があったことなんて知らされていないので、まさに突然の家宅捜索でした。そして、キララと親会社のジャストの代表とキララの配送室長が猥褻図画販売目的所持で逮捕されました。
捜査員は300本近くのソフトを証拠物件として押収するとともに、両社の代表ら計3名を猥褻文書販売目的所持の容疑で現行犯逮捕した。
この時は、「沙織 -美少女達の館-」以外にも両社が販売している「ドラゴンシティX指定」、ジャストの「天使たちの午後3 番外編」なども押収対象になりました。
この京都府警による摘発は、全国放送のニュース番組で大々的に取り上げられています。
沙織事件の犯人は特定されていない
沙織事件のきっかけになったのは、「沙織 -美少女達の館-」が発売されたことではありません。京都で男子中学生がパソコンのゲームソフト「沙織 -美少女達の館-」を万引きしたことです。
アダルトゲームを未成年の男子中学生が万引きしたことで、警察が「アダルトゲームはけしからん!しかも未成年も遊んでいるなんてけしからん!」ということになり、製造元などを摘発することになりました。
警察はこのアダルトゲームが定価7,600円で、アダルトビデオに比べて未成年でも比較的購入しやすい値段設定であることも問題視したようです。
ところで、この沙織事件のきっかけを作った犯人の男子中学生が誰なのかは、特定されていません。もちろん、本人やその家族、周囲の親しい人たちはわかっているとは思います。
でも、現代のようにすぐに個人を特定されて、顔写真や名前などの個人情報を晒されることはありませんでした。時代的にまだスマホはないし、インターネットもまだほぼ普及していませんでした。そのため、現代のようにSNSやネット掲示板に晒されることはありませんでした。
今だったら、即特定されて、Xや5ちゃんねるに晒されていますよね。
沙織事件のゲーム内容
沙織事件の原因となったアダルトゲームソフトの「沙織 -美少女達の館-」は、いわゆる「エロゲー(エロゲーム)」でした。
内容は主人公の沙織が白い仮面をつけた2人の男によって、どこかの洋館に拉致監禁されたところから始まります。そして、沙織はそこで性の幻覚を見るのですが、この幻覚が完全に「アダルトビデオ」のような過激なものだったんです。
・父娘の近親相姦
・兄妹の近親相姦
・巫女同士の同性愛
・大学での後輩による先輩の調教
・女性教師と男子生徒の性行為
・上司とOLの性行為
・職場での男性警察官と女性警察官の性行為
ゲームはフロッピーディスク2枚で 画面サイズは640×400ですので、データ量は多くない、つまり今のようなゲーム程鮮明でリアルな画像・映像ではなかったと思います。でも、ゲームの内容はゴリゴリのAVであり、男子中学生がやって良いゲームではありません。
沙織事件のゲームは画像は無修正
沙織事件の原因となったゲームの「沙織 -美少女達の館-」は、画像が無修正であることを売りにしていました。前述のように、当時のゲームは画質が悪いので、現代のゲームのようにリアルさはありませんが、それでもモザイクなしの無修正画像というのは、現代の倫理観では受け入れられないものです。
ただ、沙織事件があったためにゲームソフトの「沙織 -美少女達の館-」の画像が無修正グラフィックであることに注目が集まりましたが、「沙織」だけが無修正だったわけではありません。
当時のアダルトゲームはモザイク処理されていない無修正のものが多かったんです。
モザイク処理されていないアダルトゲームは多かったですし、モザイク処理されていても、特定のコマンドキーでモザイクを外せるようになっているものもありました。
だから、「沙織」が特別だったというわけではありません。
沙織事件がゲームの世界に18禁を生み出した
出典:ameblo.jp
沙織事件によって、無修正のアダルトゲームが問題視されるようになりました。
そして、各アダルトメーカーは逮捕されないためにも、アダルトな性的表現の修正に追われることになります。
当時はまだパソコンゲーム業界に統一した線引き・規制・レイティングががなかったことから、アダルトゲームの開発は鈍り、販売中止になったものもあったようです。
そこで誕生したのがコンピュータソフトウェア倫理機構(ソフ倫、EOCS)です。1992年にコンピュータソフトウェア倫理機構が誕生しました。このソフ倫は「一般作」と「18禁」という2つのレイティングを設け、アダルトゲームが18歳未満が入手できないように規制しました。
ソフ倫はあくまでも自主規制のための審査をする機関です。法的拘束力はないので、審査をしなくてもアダルトゲームは販売できますが、ソフ倫の審査がないものは流通させないようにかく流通業者に通達していますし、各自治体からも指定審査団体に認定されていますので、ソフ倫の審査が事実上必須となりました。
沙織事件をきっかけに、日本ではアダルトゲームのレイティング・18禁が作られるようになり、それまで曖昧だったアダルトゲーム業界が一般と18禁の線引きをきちんとするようになったため、沙織事件が一般社会・青少年育成に非常に大きかったと言えるでしょう。
沙織事件のニコニコでの扱い
当時のニュースの動画あり
この沙織事件が起きた当時はインターネットはほとんど普及していない状態でしたので、ニコニコ動画でもこの沙織事件はあまり扱われていません。
ただ、この沙織事件で家宅捜索が入った時のニュース動画が、ニコニコ動画にアップされて残っていました。
というニュース内容でした。当時はアダルトゲームの専門雑誌が本屋さんで売っていたんですね。それなら、男子中学生が興味を持つのは当然のことかもしれません。
沙織事件はなんJではほとんど扱われていない
沙織事件は、なんJではほとんど扱われていません。
沙織事件の内容を考えると、2ちゃんねる(5ちゃんねる)のなんJ(なんでも実況J)でスレッドがいくつも立ったり、炎上・祭状態になりそうなものですが、沙織事件はなんJでもほぼスレッドは立っていません。
やはり、1991年でネットがなかった時代の事件ですし、犯人の男子中学生を特定したくてもできない状態だからかもしれません。
沙織事件の現在:なかったことにされている
沙織事件が起こった後、製造販売元である有限会社キララは会社名を有限会社アイデスに変更し、エフアンドシーにさらに変更して続いています。現在でもパソコン用のアダルトゲームを作り続けていますが、沙織事件の原因となった「沙織 -美少女達の館-」はなかったことにしているようです。
エフアンドシーのホームページには1980年代からの過去作品一覧が掲載されているのですが、そこには「沙織 -美少女達の館-」はないのです。
親会社のジャストは当時摘発されたほか作品を修正して再販売していますが、やはり沙織事件の直接的な原因となった作品は、記憶から消し去りたいのかもしれませんね。
沙織事件のまとめ
沙織事件の概要や犯人の特定の有無、ゲームの内容や画像、18禁が作られたきっかけ、ニコニコやなんJでの扱いと現在をまとめました。
万引きをした男子中学生も、まさか自分が原因でこんな大事になるとは思っていなかったはずです。でも、この沙織事件があったから、しっかりレイティングがされるようになったため、「ケガの功名」とも言えますね。