最後の晩餐の裏切り者ユダの位置はどこ?意味や人物の解説・都市伝説や現在もまとめ

キリスト教の重要な場面である「最後の晩餐」が話題になっています。

 

この記事では最後の晩餐の意味やいつどこで起きたのか、絵画の作者や解説、人物の配置や裏切り者のユダの描かれている場所、秘密が隠されているという都市伝説や男ども破損し修復を経た現在についてまとめました。

最後の晩餐の意味はイエス・キリストと弟子達の処刑前日の最後の食事

 

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「最後の晩餐」の意味は、イエス・キリストが十字架に磔にされて処刑された前日に12人の弟子達(十二使徒)との晩餐(夕食会)を指す言葉で、具体的には新約聖書の中のマルコによる福音書14章、マタイによる福音書26章、ルカによる福音書22章、ヨハネによる福音書13章などに記述されている内容を示しています。

 

この最後の晩餐の際に、イエス・キリストは12人の弟子達に向けて「あなた達のうちの1人が私を裏切ろうとしている」と告げたとされます。

 

弟子達はイエスの衝撃的な言葉に騒然となり、弟子の1人のヨハネが「裏切り者とは誰なのですか?」と尋ねたところ、イエスは「私と共に鉢に手を入れている者が私を裏切ろうとしている」と答えたとされます。

 

この時、弟子の1人・ユダが、イエスと一緒に鉢の中に手を浸しており、裏切り者がこのユダである事がわかり、ユダはその場を飛び出していったとされます。

 

そして、イエスはパンを取って祈りを捧げ、それを割いて弟子達に与えると「皆これを取って食べなさい。これはあなた方のために渡される私の体だ。」と告げました。続けて、イエスは葡萄酒の盃を取って祈りを捧げ、「皆これを受けて飲みなさい。これは私の血の杯、あなたがたと多くの人のために流され、罪の赦しとなる。新しい永遠の契約の血である」と告げ、それを弟子達に与えたとされています。

 

聖書に記されているイエス・キリストのこの言葉が、キリスト教の信者が司祭から与えられたパンと葡萄酒を口にする「聖体拝領」という儀式のもとになっています。

 

以上が、新約聖書の福音書それぞれに書かれている「最後の晩餐」と呼ばれているシーンの要約です。

 

最後の晩餐は、イエス・キリストの受難伝の重要な主題の1つとされており、この場面は古くは5世紀から現在に至るまで絵画化など様々な美術表現がされています。特にレオナルド・ダ・ヴィンチによる絵画「最後の晩餐」は非常に有名で、現在も「最後の晩餐」という言葉はこのレオナルド・ダ・ヴィンチの描いた絵画を示す意味でしばしば使われています。

 

また、イエス・キリストが弟子に与えた「パン」と「葡萄酒」は、重要なモチーフとされていて、無数にある「最後の晩餐」のシーンを描いたほとんど全ての絵画にパンと葡萄酒が描かれています。

 

 

最後の晩餐はいつ頃の出来事か…西暦30年か33年の4月が有力とされる

 

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「最後の晩餐」がいつ頃に起きた出来事なのかは正確にはわかっていません。

 

最後の晩餐が描かれている新約聖書では、最後の晩餐はイエス・キリストが十字架に磔にされて処刑される前日の夜の出来事だとされています。

 

イエス・キリストが処刑されたのがいつかも諸説ありますが、現在の定説では西暦30年頃だとされています。

 

また、最後の晩餐でイエス・キリストと12人の弟子達が食べていた食事は、ユダヤ人が春に祝う「過越の祭り」での「過越(すぎこし)の食事」だったとされています。

 

そのため、最後の晩餐は西暦30年の春頃の出来事だとする説が有力となっています。

 

最後の晩餐がいつかの代表的な有力説は2つで、1つ目は聖書の記述などから推測された「西暦30年4月7日の金曜日」、2つ目は聖書の皆既日食と月食の後のニサン月(グレゴリオ暦の3月〜4月)14日の金曜日にキリストが処刑されたとの記述から推定された「西暦33年4月3日の金曜日」となっています。

 

 

最後の晩餐が行われた場所はどこか

 

最後の晩餐があったと伝承されている「上の部屋」(The Cenacle)

 

最後の晩餐が行われた場所がどこかははっきりとはわかっていません。

 

最後の晩餐があった場所だとする伝承が残されているのは、現在のイスラエルにあるエルサレム旧市街地にある「シオンの丘」の「ダビデの墓」にある建物の「上の部屋」、「二階の広間」、「高間」、「セナクル」などと呼ばれる場所で、現在は保存されて聖地として公開されています。

 

 

最後の晩餐のシーンを描いた絵画の作者や解説

 

「最後の晩餐」の場面は数多くの絵画で描かれています。その中でも名画といわれるいくつかの作品や作者を解説します。

 

 

レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐(1495年〜1498年)

 

出典:https://media.thisisgallery.com/

 

現在、「最後の晩餐」と聞いて多くの人が真っ先にイメージするのはこの巨大な壁画だと思われます。この最後の晩餐の作者はレオナルド・ダ・ヴィンチです。

 

レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐は、北イタリアの都市ミラノ(当時はミラノ公国の首都)のカトリック教会の聖堂「サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院」の食堂の壁に描かれた壁画で、縦420cm、横910cmの巨大な絵で、描かれている人物はほぼ等身大で描かれています。

 

作者のレオナルド・ダ・ヴィンチは、自身のパトロンであり、当時のミラノ公だったルドヴィーコ・スフォルツァの依頼を受け、1495年から制作に取り掛かり3年をかけて1498年に完成させています。

 

実は、当初はこの壁のある部屋は食堂になる予定ではなく、ルドヴィーコ・スフォルツァはここに一族の霊廟を建てるつもりでした。

 

当時、壁画では塗りたての漆喰に直接絵の具を乗せていく保存性の高い「フレスコ画法」が使われていましたが、作者のレオナルド・ダ・ヴィンチはより精密で鮮やかな作品に仕上げたいと考えて、あえて下塗りの上にテンペラ絵の具で描く事を選択しました。

 

以前から、「最後の晩餐」のシーンを描いた数多くの作品が生まれていましたが、レオナルド・ダ・ヴィンチが描いた作品はそれまでの常識を覆す革新的な表現が取り入れられています。

 

 

瞬間の表情や動きまで表現された詳細な人物描写

 

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当時、最後の晩餐のような聖書の中の重要なシーンを描くイコンと呼ばれる「聖画」は、読み書きのできない人々にも聖書の場面を伝える事が目的だったため、そこに描かれている人物が躍動しているかのような細かな人物描写よりも、わかりやすくあからさまな人物描写で表現されていました。

 

しかし、レオナルド・ダ・ヴィンチはあえて、中心に描かれたイエス・キリストとそれを取り巻く12人の弟子達の表情や瞬間の動きをそのまま切り取ったかのように緻密かつ精細に表現し、イエスが「この中に裏切り者がいる」と告げた時の衝撃を見事に描き出しています。

 

 

遠近法を取り入れた美しいシンメトリー

 

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レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐は、イエス・キリストのこめかみに消失点を置いた遠近法で描かれており、イエスに向かって引き込まれていくような感覚を生み出しています。

 

また、イエスを囲む12人の弟子達は3人ずつ4つのグループで対称に描かれていて、この表現により中央のイエス・キリストの孤立感や孤高の存在である事が巧みに表現されています。

 

 

裏切り者のユダをどこに描くのかでも革新的な表現

 

出典:https://amazing-trip.xyz/

 

レオナルド・ダ・ヴィンチの以前に描かれた最後の晩餐のでは、裏切り者であるユダ1人だけをイエス・キリストの対面に後ろを向いた状態で配置し横顔で描写するのが定型表現のようになっていました。

 

これは、裏切り者であるユダを他の弟子達と同列には配置せず、なおかつ、聖書に書かれている「私と共に鉢に手を入れている者が私を裏切ろうとしている」というイエスの言葉のシーンを再現すためにはイエスの対面位置にユダを配置せざるを得ないという表現的な制約のためでした。

 

しかし、レオナルド・ダ・ヴィンチはこの定型的な表現を覆し、ユダを他の弟子達と横並びに配置(正面から見てイエスの左にいる肌の色が浅黒く表現されている人物)し構図の不自然さを解消しました。

 

そして、ユダの左手をイエスも手を伸ばしている鉢に伸ばし、ユダの右手にはイエスを裏切った対価として受け取った銀貨が入った袋を握らせる事で、この人物がユダである事をさりげなく表現しています。

 

 

アンドレア・デル・カスターニョの最後の晩餐(1447年〜1450年)

 

出典:https://art.xtone.jp/

 

上は、イタリアのフィレンツェ派の画家、アンドレア・デル・カスターニョが描いた「最後の晩餐」です。

 

レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐よりも約50年前に描かれた作品で、イエス・キリストを中心に11人の弟子達が横並びに座っている中で、ただ1人裏切り者のユダだけがイエスに対面して反対側に描かれています。

 

正面から見てイエス・キリストの右隣には、弟子の1人のヨハネが机に突っ伏すような格好で描かれていますが、これは聖書の中に書かれているイエスがヨハネに「私と共に鉢に手を浸した者が裏切り者である」と告げているシーンが表現されています。

 

この作品は、最後の晩餐のシーンの構図を決定づけたと言われていますが、前述した通り、レオナルド・ダ・ヴィンチはこの定型的な構図を覆す革新的な構図で最後の晩餐を描いた事で注目されました。

 

 

ドメニコ・ギルランダイオの最後の晩餐(1480年)

 

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上は、レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐より前の1480年に描かれた最後の晩餐で、作者はイタリアルネサンス期の画家のドメニコ・ギルランダイオです。裏切り者のユダを1人だけイエスの対面に配置する定型的な構図で描かれている事がわかります。

 

 

ピエトロ・ロレンツェッティの最後の晩餐(1310年〜1320年)

 

出典:https://amazing-trip.xyz/

 

最後の晩餐の構図でもう1つの主流だったのが、イエス・キリストと12人の弟子達を円卓で囲ませる構図でした。

 

上の作品はその構図で1310年から1320年に描かれた最後の晩餐で、作者はイタリアのシエナ派の画家、ピエトロ・ロレンツェッティです。

 

この構図にする事で、裏切り者のユダをイエス・キリストの隣に描く必要がなく、自然に同じ鉢に手を伸ばせる位置に配置できます。

 

この構図の場合、イエス・キリストとユダ以外の11人の弟子の頭の後ろには光輪が描かれてますが、裏切り者のユダにだけは光輪が描かれないという表現が定番でした。

 

 

ルーカス・クラナッハ親子の最後の晩餐(1547年)

 

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上は16世紀に描かれた最後の晩餐で、作者は16世紀に活躍したドイツの画家、ルーカス・クラナッハ親子です。親子で同名のため、ルーカス・クラナッハ(父)、ルーカス・クラナッハ(子)と表現されます。

 

この作品はヴィッテンベルク市教会の祭壇画の一部として制作されたもので、円卓を囲む構図で描かれています。

 

この作品で特徴的なのは、イエス・キリストが正面中央ではなく画面の一番左に配置されているところです。

 

イエスに抱き抱えらるようにもたれかかっているのがヨハネで、ユダは画面手前の黄色い服を着た人物です。ユダはイエスの顔をこわばった顔で凝視し左手にはイエスを売った時に得た銀貨が入った袋が握られています。

 

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ピーテル・パウル・ルーベンスの最後の晩餐(1631年〜1632年)

 

出典:https://upload.wikimedia.org/

 

上は、バロック時代のフランドル地方の画家、ピーテル・パウル・ルーベンスが、1631年から1632年にかけて完成させた最後の晩餐です。

 

この作品は最後の晩餐の中でもレオナルド・ダ・ヴィンチの作品に次いで有名なもので、ベルギー・メヘレンの聖ロンバウツ教会の祭壇画の一部として描かれました。

 

作者のルーベンスは、レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐に強く影響を受けていたと言われており、この作品でレオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐よりもより高度な人物の感情表現を試みたとされています。

 

イエス・キリストや裏切り者のユダがどこに配置されているのかも特徴的な作品で、画面の中で最も光が当てられて中央に配置されているのがイエス・キリスト(赤い服で光輪がある人物)で、次に目立つ位置に配置されているのが裏切り者のユダ(黄色い服で鑑賞者の側を振り向くどこか怯えた表情の人物)となっています。

 

また、机の下にはどこか不気味に表現された犬が意味深に描かれています。この犬の意味については諸説ありますが、ユダが隠し持っていた強欲さと邪悪さを象徴しているのではないかとも言われています。

 

 

シモン・ウシャコフの最後の晩餐(1685年)

 

出典:https://upload.wikimedia.org/

 

上も円卓を囲うような構図で描かれた最後の晩餐で作者はロシアでイコン画家であるシモン・ウシャコフです。成立は1685年とされ、現在はモスクワのセルギエフポサド州立歴史美術館に収蔵されています。

 

ウシャコフはロシア皇帝に仕えるイコン画家だったと言われており、上の最後の晩餐の絵画も聖書の内容をわかりやすく伝えるため、それぞれのキャラクターが際立つように描かれていて、誰が裏切り者のユダであるかも一目でわかるように表現されています。

 

 

サルバドール・ダリの最後の晩餐(1955年)

 

出典:https://livedoor.blogimg.jp/

 

20世紀を代表する画家であるサルバドール・ダリも最後の晩餐をモチーフにした作品を残しています。

 

レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐を再構成して描いたとしており、同じように極端な遠近法が用いられていて、消失点であるイエス頭部と地平線の高さが重なっています。空間は正12面体で表現されていて、中央のイエスが指差す先には両手を広げて透明に体が透けたイエスの身体が描かれ、最後の晩餐の時にイエスの身体は既に天に昇っていた事を表現しているとの見方もあります。

 

背後の窓ガラス越しの風景はスペインのカタルーニャ州のダリにとって馴染みの深い風景が描かれています。

 

この作品には賛否が巻き起こりましたが、シュールレアリズムと古典的なキリスト教のテーマが融合した作品として注目されました。

 

 

アンディ・ウォーホルの最後の晩餐(1986年)

 

出典:https://pbs.twimg.com/

 

 

現代ポップアートの旗手であるアンディ・ウォーホルは、最後の晩餐をモチーフにした作品を100個近く残しています。

 

上の画像の作品は1986年に制作されたもので、レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐のイエスをモチーフにしカジュアルなデザインに仕上げています。ちなみに描かれているバイクはHONDAのもので、バイクで男性性が表現されていると言われています。

 

真ん中の目立つ位置に書かれた「699」の文字の意味は謎ですが、キリスト教で不吉な数字とされる「666」をもじり、「69」とする事でセクシュアルな意味合いを持たせたのではないかとの見方があります。

 

また、「THE BIG C」という言葉はイエス・キリスト(Iesus Chrestus)の「C」を表すと共に、がんやコカインを示す隠語でもあり、示唆的な意味が強く感じられる作品になっています。

 

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最後の晩餐に描かれた人物はイエス・キリストと裏切り者ユダら12人の弟子

 

出典:https://artmuseum.jpn.org/

 

「最後の晩餐」の絵画に描かれている人物達は、イエス・キリストと裏切り者のユダら12人の弟子です。

 

レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐を例に挙げると、左からバルトロマイ、小ヤコブ、アンデレ、ペテロ、ユダ、ヨハネ、イエス・キリスト、大ヤコブ、トマソ、ピリポ、マタイ、タダイ、シモンの順に人物が描かれています。

 

 

最後の晩餐の絵画はどこにあるか

 

出典:https://artmuseum.jpn.org/

 

「最後の晩餐」の絵画の中で最も有名なレオナルド・ダ・ヴィンチの作品がどこにあるのかが気になり検索されている方が多いようです。

 

レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐は、現在もイタリアのミラノにあるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂があった部屋の壁面に残されていて保存されています。

 

事前予約が必要ですが、一般公開もされていて現在も多くの人々が鑑賞しに訪れています。アクセスは地下鉄カドルナ駅、コンチリアツィオーネ駅、ノルド鉄道のミラノ・カドルナ駅から徒歩で行く事ができます。

 

 

最後の晩餐の絵画にまつわる秘密や都市伝説

 

レオナルド・ダ・ヴィンチは「最後の晩餐」の中に秘密の暗号を隠しているという都市伝説があります。

 

映画化もされた小説「ダ・ヴィンチ・コード」もこの秘密や都市伝説がストーリーの軸となっていました。

 

 

最後の晩餐に隠された秘密の都市伝説① ヨハネが女性のように描かれている

 

出典:https://lh4.googleusercontent.com/

 

レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐で、正面から見てイエスの左側に描かれているのは公式の見解では弟子の1人であるヨハネとされています。

 

ヨハネは、12人の弟子の中で最も若く聖書の中で書かれている「イエスの愛しておられた弟子」にあたる人物だと言われています。

 

イエスの12人の弟子は全員が男性だとされていますが、レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐で描かれているヨハネとされる人物は明らかに女性的に描かれていて、これは何らかの秘密を暗示しているのではないかという都市伝説が囁かれています。

 

この秘密にはいくつかの説があり、実はイエスとヨハネが同性愛の関係にあった事を暗示しているという(聖書では同性愛が非難されている)都市伝説や、この女性的な人物は実はヨハネではなくイエスと結婚していて子供もいたという説がある「マグダラのマリア」ではないかという説があります。

 

もしこれが本当はマグダラのマリアだとすれば、ヨハネはどこに行ったのかという謎が残りますが、レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐にはイエスの左側に不自然な空間があり、元々はここにヨハネが描かれていたのを、何らかの都合の悪い事(例えばイエスが同性愛者だと示す何かなど)を隠すために教会側が消したのではないかという都市伝説も囁かれているようです。

 

 

最後の晩餐に隠された秘密の都市伝説② ユダの銀貨やペテロのナイフの不自然さ

 

出典:https://stat.ameba.jp/

 

レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐では裏切り者のユダが右手に、イエスをユダヤ教の保守派の指導者層に売り渡した対価として手に入れた銀貨の袋が握られています。

 

しかし、ユダはイエスをユダヤ教保守派側に引き渡した後に銀貨を受け取ったと解釈している人々からはこの最後の晩餐の時点でユダが銀貨の入った袋を持っているのはおかしいので何らかの謎が隠されているという見方が出ていて、都市伝説のように語られています。

 

ただこれについては、聖書の内容をよく読むとユダは最後の晩餐よりも前にユダヤ教の法学者や祭司長にイエスを引き渡すからその報酬をくれと持ちかけていたと解釈できるため、最後の晩餐の時点でユダが銀貨の袋を持っている事に矛盾はありません。

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また、ユダの後ろには弟子の1人ペテロが描かれていますが、その右手にかなり不自然な角度でナイフが握られています。レオナルド・ダ・ヴィンチは絵画の写実性を極めるために人間の動きや解剖学まで専門的に学んだ完璧主義者だった事が知られておりペテロの右手の角度の不自然さにはかなり違和感があります。

 

これは実はレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた最初の絵に何らかの修正が入っているせいではないかとする都市伝説があります。

 

この説では、このナイフを持つ手は元々はユダの手として描かれており、ペテロはそれを後ろから押さえ付けていたのではないかと推測されています。確かに細かく見ると、ナイフを持つ手の手首あたりを別の手が握って抑えているようにも見えます。

 

そして、レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐は損傷が激しい絵として知られ、過去に何度も修復作業が行われています。そのいずれかの修復の際に、ユダの右手として描かれていたナイフを握る手がペテロの右手のように改変されてしまい、ユダの右手がなくなってしまったため銀貨を握る右手を付け加えたのではないかという都市伝説となっています。

 

 

最後の晩餐に隠された秘密の都市伝説③ イエスの左の不自然な空間

 

出典:https://blog-imgs-43.fc2.com/

 

ヨハネが女性のように描かれている事についての謎や都市伝説のところでも触れましたが、レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐では、正面から見てイエスの右隣に少し不自然な空間があります。

 

これは、「イエスの愛しておられた弟子」とされるヨハネをあえて遠ざける事で、この当時のイエスの孤立感(この時期、ローマ帝国への反抗に立ちあがろうとしないイエスに人々や弟子達が失望感を抱き始めていたとの解釈がある)を強調するための演出だとする説もありますが、何らかの謎が隠されているのではないかとする都市伝説も存在します。

 

この空間の謎にはいくつかの説がありますが、よく言われているのがこの空間が「M」の形になっているとして、これが「マリア(Maria)」や「結婚(Marriage)」を指しており、やはりイエスとマグダラのマリアが結婚していた事を暗示しているのではないかとする都市伝説です。

 

さらに、この空間を逆三角形に見立てて、これが女性の子宮を表しているとして、イエスとマリアの間に子供がいるというのを暗示しているという都市伝説もあります。

 

その他、この空間の形が聖杯を表しているという説などもあります。

 

 

最後の晩餐の絵画は劣化や破損が繰り返され何度も修復されている

 

出典:https://img.logmi.jp/

 

レオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐は、壁画の保存に適さないテンペラ絵の具を使って描かれていました。その上薄い石の壁の外側に描かれていたため、温度の変化や湿度の影響を受けやすく、絵の具が剥がれ落ちたりして激しく劣化しました。

 

さらにカビの影響も受けやすく、そもそもテンペラ絵の具は環境に全く適していませんでした。

 

それに加えて、当時は絵を保護しようという意識がそもそも低く、ろくに修復や保存措置もされないまま放置されており、1652年には壁に出入り口が作られてイエスの足が描かれていたと推測される部分が切り取られてしまいました。

 

さらに、17世紀末にはミラノはナポレオンに制圧され、最後の晩餐が描かれている部屋は食堂でなく馬小屋として使われるようになり、動物の呼気や排泄で発生したガスによって侵食がさらに進みました。しかもこの間、ミラノは2度の大洪水に見舞われて最後の晩餐の壁面全体が水浸しになっていました。

 

ようやく修復や保存が試みられたのは1726年で、この時はあのミケランジェロが担当し、強力な溶剤で壁面を清掃した後、剥落した部分を油絵具で書き足し、上からニスを塗って保存しました。

 

しかしこの修復は長持ちせず、1770年に2度目の修復が画家のジュセッペ・マッツァによって行われ、再び油絵具で上描きがされるも、途中で人々の反発が起こり修復は中断されています。

 

1796年には反教権軍(非キリスト教化運動)によってこの部屋が武器庫にされ、兵士たちは最後の晩餐に石を投げたり描かれている人物の目を削ったりして損傷させています。

 

次の修復は100年が経過した1901年から1908年にかけてで、この時の調査で最後の晩餐が油絵具でなくテンペラ絵の具で描かれている事を突き止め、1924年には一部の漆喰の安定化などの保存措置が取られています。

 

しかしその後、ヨーロッパで第二次世界大戦が勃発し、ドイツと同盟を組んだイタリアは連合軍によって爆撃される事にあり、最後の晩餐があるミラノも爆撃を受けました。終戦後も修道院の復興は遅れ、1年以上も最後の晩餐はひどい状態のまま放置されています。

 

そして、1978年から1999年にかけて、ようやく大規模な修復作業のプロジェクトが始まりました。この修復は修復専門のアーティストのピニン・ブランビッラ・バルセロナが中心となり、最新の科学技術を駆使し原料と絵画の状態を徹底的に調査した上で実施されました。

 

この修復の際に、レオナルド・ダ・ヴィンチが完成させた以降に行われた修正で上塗りされた部分は全て削ぎ落とされ、塗り重ねられた絵の具の下に残されたレオナルド・ダ・ヴィンチの最後の晩餐の原画が見つけ出され、そのサンプルが研究室に持ち込まれて原料と色などが分析され、できる限りレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた当時のオリジナルの最後の晩餐の再現が試みられました。

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最後の晩餐の現在① レオナルド・ダ・ヴィンチの壁画は世界遺産

 

出典:https://www.pipinobu.com/

 

現在も世界的に最も有名な絵画の1つであるレオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」ですが、2024年の現在も、イタリアのミラノにあるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂に現存しています。

 

レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」は描かれた壁のあるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会ごと「レオナルド・ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院」として、ユネスコによって世界遺産に登録されています。

 

レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」のある部屋は一般公開されていますが、完全予約制で1度に部屋に入れるのは25名まで、鑑賞できる時間は15分までと絵の保存のために厳格なルールが決められています。

 

 

最後の晩餐の現在② パリ五輪の開会式がパロディだと言われ世界的炎上

 

出典:https://s.tgstc.com/

 

2024年7月26日、パリオリンピックが開催されましたが、その開会式でのある演出が、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を揶揄していると指摘され世界中からの批判を集めました。

 

この騒動では、ローマ教皇庁が8月3日にこの演出に対して不快感を表明するなど、大騒動に発展しました。

 

ローマ教皇庁は3日、パリ五輪の開会式で、イエス・キリストと使徒たちを描いたレオナルド・ダビンチの名画「最後の晩餐(ばんさん)」をやゆするような演出があったとして、不快感を示した。教皇庁は週末に発表した異例の声明で「多くのキリスト教徒や他宗教の信者に不快感を覚えさせる演出があったことに心を痛めた」と表明。「世界が集う名誉あるイベントで、信仰を嘲笑するような表現があってはならない」と苦言を呈した。

 

引用:ローマ教皇庁、五輪開会式に不快感 「最後の晩餐」演出

 

この騒動では、裏切り者のユダの位置にアジア人の子供を置いていることから人種差別的な表現も含まれているとする批判も起こりました。

 

ただ、結果として「最後の晩餐」への関心が高まり、ネット上でも最後の晩餐とは結局どんな出来事でどんな意味があり作者は誰なのかといった疑問が起こり、かなりのボリュームで関連する検索がされています。

 

 

まとめ

 

今回は、聖書に書かれているキリスト教の重要な場面である「最後の晩餐」の意味やいつどこで起きた出来事なのか、それをモチーフに描かれた絵画の作者や解説などについてまとめてみました。

 

最後の晩餐とは、イエス・キリストが処刑される前日に12人の弟子らと夕食をとった際に、弟子達の中に裏切り者がいると告げた重要なシーンを指しています。裏切り者は弟子のユダという男で、最後の晩餐の絵画ではこのユダがいずれも示唆的、象徴的に描かれています。

 

特に、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」は有名で、何らかの秘密が隠されているとする都市伝説もよく話題にされています。

 

レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」絵画は描かれてから数百年が経過していますが、これまでに破損と劣化を繰り返しつつも修復され現在もイタリアのミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ修道院の食堂に現存し世界遺産に登録されています。

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