女子高生に対する痴漢行為で2度逮捕され有罪判決を受けた元大学教授の植草一秀さんの現在が話題です。
この記事では植草一秀さんの大学教授などの経歴、結婚と嫁や子供、逮捕後に離婚したのかどうか、ミラーマン事件の概要と判決、その後や現在についてまとめました。
この記事の目次
- 植草一秀(元大学教授)のプロフィール
- 植草一秀(元大学教授)の経歴① 都立両国高校を経て東京大学経済学部卒
- 植草一秀(元大学教授)の経歴② 野村総合研究所や大蔵省財政金融研究所
- 植草一秀(元大学教授)の経歴③ 早稲田大学大学院教授になるも逮捕
- 植草一秀(元大学教授)の結婚していて嫁と子供がいた
- 植草一秀(元大学教授)が2度目の逮捕後に離婚したかどうかは不明
- 植草一秀(元大学教授)のミラーマン事件の概要や判決
- 植草一秀のミラーマン事件は冤罪?国家のでっち上げだとする陰謀説も存在
- 植草一秀(元大学教授)のミラーマン事件のその後…訴訟を起こしほぼ勝訴
- 植草一秀(元大学教授)の現在① 経済評論家として講演会を精力的に開催
- 植草一秀(元大学教授)の現在② 「植草一秀の『知られざる真実』」
- 植草一秀(元大学教授)の現在③ 著作も多数発表している
- まとめ
植草一秀(元大学教授)のプロフィール
植草一秀のプロフィール
生年月日:1960年12月18日
出身地 :東京都江戸川区
植草一秀さんは、元野村総合研究所チーフエコノミスト、 元大蔵省財政金融研究所研究官、元早稲田大学大学院公共経営研究科教授などの輝かしい経歴を持つ経済学者で、現在はメルマガや講演活動、執筆活動などで活躍されている方です。
そんな植草一秀さんですが、2004年に手鏡を使って女子高生のスカートの中を覗く痴漢事件を起こしたとして逮捕されて罰金の有罪判決を受け、週刊誌やワイドショーなどで過去の痴漢での逮捕歴や特殊な性癖などが暴露され、手鏡を使った手口から「ミラーマン」などと呼ばれるようになりました。
さらに、植草一秀さんは2006年にまたしても女子高生に痴漢を働いたとして東京都迷惑防止条例違反で現行犯逮捕されて今度は実刑判決を受けて4ヶ月間服役しました。
2度の逮捕と有罪判決により社会的に抹殺されるかに思われた植草一秀さんでしたが、2度の逮捕と有罪判決は全て国家によるでっち上げで自身は罠に嵌められたとの主張しており、現在もエコノミストとして活躍を続けています。
植草一秀(元大学教授)の経歴① 都立両国高校を経て東京大学経済学部卒
植草一秀さんは、幼い頃から成績優秀で学生時代の友人・知人の証言によれば成績表はいつもオール5で、「神童」などと呼ばれていたのだそうです。
植草一秀さんは江戸川区立松江第四中学校を卒業後、全国有数の名門「都立両国高校」(現在は完全中高一貫校で附属中学の偏差値は65)へと進みました。
高校時代の植草一秀さんは男子クラスで、女性や恋愛の話には目もくれずに毎朝本を読みながら登校していたという事です。
その後、植草一秀さんは都立両国高校を1979年3月に卒業後、同年4月に東京大学経済学部(文科二類の現在の偏差値は67.5)へ進学して1983年3月に卒業しています。東京大学では経済学士の学位を取得されています。
植草一秀(元大学教授)の経歴② 野村総合研究所や大蔵省財政金融研究所
植草一秀さんは東京大学経済学部を卒業後、1983年4月から野村総合研究所に入社して経済調査部に配属されました。
その後は、1985年7月より、大蔵省に入省して財政金融研究所研究官を務め、1991年6月より京都大学経済研究所助教授、1993年10月よりスタンフォード大学フーバー研究所(Hoover Institute)客員フェロー(研究員)などの金融・経済の研究職を歴任。
1996年7月からは野村総合研究所主席エコノミストに就任し2003年まで務めました。
植草一秀(元大学教授)の経歴③ 早稲田大学大学院教授になるも逮捕
植草一秀さんは2003年4月から早稲田大学大学院(専門職大学院)公共経営研究科の教授と大阪経済大学客員教授に就任しました。
一方で、フジテレビ「情報プレゼンター とくダネ!」、テレビ東京「ワールドビジネスサテライト」をはじめとする報道・情報番組でコメンテーターを務め、多くの人々に顔を知られる存在となりました。
ところが2004年4月に、品川駅で手鏡を使って女子高校生のスカートの中を覗き見る迷惑行為、通称「ミラーマン事件」を起こして逮捕されていた事が逮捕の数ヶ月後に発覚し、早稲田大学大学院の教授職、大阪経済大学の客員教授職を失い、出演していたテレビ番組も全て降板しています。
2005年4月、国際政治経済の情報発信や投資コンサルティングなどを手がける「スリーネーションズリサーチ株式会社(略称:TRI、Three-Nations Research Institute Co., Ltd.)」を資本金1000万円で神奈川県川崎市麻生区に設立し代表取締役社長に就任。
2006年4月には名古屋商科大学に客員教授として招かれるも、その矢先の同年9月に再び女子高生に痴漢を働いたとする迷惑防止条例違反で現行犯逮捕され、名古屋商科大学客員教授を免職処分になっています。
植草一秀さんの起こした痴漢事件、通称「ミラーマン事件」と裁判での判決については後述します。
植草一秀(元大学教授)の結婚していて嫁と子供がいた
出典:https://www.data-max.co.jp/
手鏡を使って女子高校生のスカートの中を覗く痴漢行為をしたとして逮捕された事により「ミラーマン」などと呼ばれるようになった植草一秀さんですが、その当時、植草一秀さんは結婚していて嫁がおり、子供もいた事がわかっています。
当時、「週刊文春」(2006年9月28日号)が「植草教授の妻が悲痛告白」と題する記事を掲載し、植草一秀さんの嫁が夫の2度目の逮捕に動転するコメントが紹介されていました。
植草一秀さんの嫁は、2004年の1度目の逮捕(ミラーマン事件)の際には「彼を信じている」と言った夫を冤罪だと信じているとするコメントを発表していましたが、2度目の逮捕には流石にショックを隠しきれない様子を見せていました。
植草一秀さんの子供は、有名私立小学校に通う男の子が1人いた事がわかっています。この子供は2024年の現在はすでに成人されているはずです。
植草一秀(元大学教授)が2度目の逮捕後に離婚したかどうかは不明
植草一秀さんは結婚していて嫁と子供がいる事が明かされていますが、2004年のいわゆるミラーマン事件での逮捕の時点では嫁とは離婚はしていません。
2006年の2度目の痴漢容疑での逮捕の時点でも植草一秀さんと嫁は結婚生活を続けていた事がわかっていますが、2度目の逮捕後については続報がなく離婚したのかどうかはわかっていません。
植草一秀(元大学教授)のミラーマン事件の概要や判決
植草一秀さんを一躍「ミラーマン」にした2004年の女子高生のスカートの中を手鏡でのぞいたとして東京都迷惑防止条例違反容疑で逮捕された通称「ミラーマン事件」と、2006年の電車内で女子高生に痴漢をしたとして東京都迷惑防止条例違反容疑で2度目の逮捕になった事件についても改めて見ていきます。
2004年に女子高生のスカートを手鏡でのぞいたとして1度目の逮捕
2004年4月8日、当時、早稲田大学大学院公共経営研究科教授だった植草一秀さんは、東京のJR品川駅のエスカレーターで、女子高生のスカートの中を手鏡を使って覗こうとしたとして、鉄道警察隊に東京都迷惑防止条例違反(粗暴行為の禁止)で現行犯逮捕され、同年4月28日に東京地検に同容疑で起訴されました。
植草一秀さんは逮捕直後には容疑を認め謝罪していますが、その後、「手鏡は持っていたが覗いていない」と一転して容疑を否認し、以降は一貫して冤罪を訴えました。
この逮捕後、植草一秀さんの自宅が家宅捜索され、屋根裏から痴漢などを題材とするアダルトビデオやDVDが見つかり押収された事などが報じられています。
この逮捕の影響により、植草一秀さんは同年5月7日に早稲田大学大学院の教授を退いています。
この事件の裁判では、検察により、植草一秀さんが1998年6月にもJR東海道線横浜駅~品川駅間で痴漢行為をおこして、神奈川県迷惑防止条例違反で罰金5万円の有罪判決を受けたことを明らかにされました。また、マスコミはこぞって植草一秀さんの特殊な性的嗜好を報じて公衆に晒される事になり、植草一秀さんはマスコミが揶揄して名付けた「ミラーマン」の名前で知られるようになりました。
2004年の1度目の逮捕の裁判と判決
この事件の裁判は2004年6月17日に東京地裁で始まり、植草一秀さんは冤罪だとして無罪潔白を主張し、全面的に争う姿勢を見せました。
検察側は植草一秀さんの自家用車の中から女子高生の制服ような服装をした女性が写ったインスタント写真やデジタルカメラ画像が約500枚見つかり、植草一秀さんの携帯電話の中からも同様の画像データが見つかった事などを裁判の冒頭陳述で述べています。(証拠として提出されたのかは不明)
2004年8月30日、植草一秀さんは霞ヶ関で記者会見を開き、「手鏡はテレビ出演時に身だしなみを確認するため持っていただけ、天地神明に誓って潔白」と改めて冤罪を主張しました。この際には、一旦は容疑を認めた事についても「認めれば情状酌量が得られると警察に提案されたため」と説明しました。
しかし、2005年3月23日、東京地裁は植草一秀さんと弁護側の主張を退け罰金50万円と手鏡1枚没収の判決(求刑は懲役4ヶ月と手鏡1枚没収)を言い渡しました。
植草一秀さんはこの判決になおも冤罪を主張するも、裁判制度が正しく機能していない事を悟ったとして控訴を断念し、控訴期限日の同年4月6日に判決が確定しました。
2006年に女子高生に痴漢行為をしたとして2度目の逮捕
2006年9月13日の22時頃、植草一秀さんは京急本線の品川駅〜京急蒲田駅間の下り快特電車乗車中、近くにいた女子高校生に密着しスカートの中に手を入れて尻を触るなどの痴漢行為を働いたとされ、この女子高校生が声を上げたため、近くにいた男性2人に取り押さえられ、東京都迷惑防止条例違反の現行犯で警視庁に逮捕されました。
この際、植草一秀さんは紹興酒を20〜30杯も飲んで酔っており、覚えていないと供述しています。植草一秀さんは駅事務室に連行された際には「私は女性が不快に思うことをやりました」と容疑を認めていましたが、警察の取り調べに対しては一転して無罪を主張しています。この取り調べの際、植草一秀さんはこのままでは家族も被害を受けると考え「家族を守るためには私が死ぬしかない」などと考えて駅事務室でネクタイで首を絞めて自殺を図ろうとしています。
植草一秀さんはこの時、「帰宅途中だった」と説明しましたが自宅とは逆方向の電車に乗っていました。これについては「品川駅で乗り間違えた」と説明しています。
同年10月4日、東京地検は植草一秀さんを東京都迷惑防止条例違反容疑で起訴しました。
2006年の2度目の逮捕の裁判と判決
2006年12月に始まった裁判では、植草一秀さんは「警察によるでっち上げ」を主張して無罪を主張し、弁護側は「被告人は当時紹興酒を20〜30杯近く飲んでかなり酔っており、痴漢などできる状態ではない」と主張しました。
弁護側の証人として事件の目撃者が出廷し、痴漢があったとされる時間帯の品川駅を発車した直後から青物横丁を過ぎたあたりまで植草一秀さんは酒に酔った様子で吊革につかまりながら、何もせずにうなだれていたと証言し、植草一秀さんの無実を主張しています。
しかしその後、この証人はウトウトして電車内で眠ってしまい、植草一秀さんが男性客2人に取り押さえられる際の騒がしい物音で目を覚ましたと証言したため、検察側はこの証人が眠っている間に植草一秀さんが痴漢行為をしたと主張し、証言の有用性が裁判で認められる事はありませんでした。
さらに、2007年1月25日の第3回公判では、科捜研の研究員が検察側証人として出廷し、被害女性のスカートの構成繊維と植草一秀さんの両手の指から採取した繊維片が類似していると証言しました。
その後、裁判所は検察側の主張をほぼ全面的に認めて、2007年10月16日に東京地裁は懲役4ヶ月の実刑判決を言い渡しました。
植草一秀さんは判決を不服として即日控訴し、2008年3月に始まった控訴審でも植草一秀さんは改めて無罪を主張。
植草一秀さんは控訴審では、一審で証拠として採用された繊維片について、事件当日に駅員と揉み合った際に駅員の制服の構成繊維が付着したものであると主張し反論。植草一秀さんは駅員着用の制服構成生地を入手して専門の大学教授に鑑定を依頼した結果自身の手指から採取された繊維片と「極めて類似」との鑑定結果が出たとし、それを裁判で証拠として申請するも採用されず、鑑定を依頼した大学教授の証人申請も却下されたと主張しています。
東京高裁は同年4月16日、一審の実刑判決を支持し控訴を棄却。植草一秀さんは即日上告しますが、2009年6月25日、最高裁は一審と二審の実刑判決を支持し上告を棄却する決定を下し、懲役4年の実刑判決が確定しました。
植草一秀さんは同年8月3日より、刑務所には送られず東京拘置所で刑の執行を受け、同年10月4日に満期で出所しています。
植草一秀のミラーマン事件は冤罪?国家のでっち上げだとする陰謀説も存在
植草一秀さんの2度の逮捕は、国家によるでっち上げだとする陰謀説も存在します。
植草一秀さんは政府の緊縮財政方針を批判しており、当時の「小泉・竹中構造改革」についても激しい批判を展開してました。
そのため、植草一秀さんの存在が邪魔になった政府が、社会的に抹殺するために罠に嵌めて痴漢事件をでっち上げて、裁判も裏から手を回して強引に有罪にしたという陰謀説です。
現在、自民党政権と財務省による緊縮財政政策が日本を不況にし続けている原因だとする説が浮上して政府や財務省への批判がネット上で高まっているため、植草一秀さんが逮捕されたミラーマン事件も再び注目されているようです。
植草一秀(元大学教授)のミラーマン事件のその後…訴訟を起こしほぼ勝訴
植草一秀さんが2004年と2006年に逮捕されたミラーマン事件のその後ですが、植草一秀さんはミラーマン事件をスキャンダラスに報じた週刊誌やテレビ局を名誉毀損で訴えて民事裁判を起こしています。
植草一秀さんは2007年4月19日に自身の痴漢事件を虚偽の内容を含めてスキャダラスに取り上げた「女性セブン」の小学館、「フライデー」の講談社、「アサヒ芸能」の徳間書店、「サンデー毎日」の毎日新聞社を相手取り、合計5500万円の損害賠償などを求める民事訴訟を起こしました。
さらに、2007年9月10日には情報番組「ムーブ!」で虚偽の内容を含む「女性セブン」の記事をそのまま紹介し名誉を傷つけられたとして朝日放送に1100万円の損害賠償を求める民事訴訟を起こしました。
小学館とは、2008年4月4日に小学館側が和解金100万円を支払い謝罪広告を掲載する事を条件に和解。
徳間書店との裁判では2008年5月21日に、東京地裁より190万円の損害賠償金を支払う事を命じる植草一秀さんにとっての勝訴判決が言い渡されました。
講談社との裁判では、2008年7月28日に東京地裁が110万円の損害賠償金の支払いを命じる植草一秀さんにとっての勝訴判決が言い渡されました。
毎日新聞社との裁判では、一審では毎日新聞社に33万円の支払いを命じる植草一秀さんにとっての勝訴判決が東京地裁から言い渡されましたが、被告側が控訴し控訴審では毎日新聞社の勝訴判決が言い渡され、最高裁も植草一秀さんの上告を棄却して敗訴が確定しています。
朝日放送とは2008年10月23日に、情報番組「ムーブ!」にて1分間の謝罪放送を2度放送する事を条件に和解が成立しています。
植草一秀(元大学教授)の現在① 経済評論家として講演会を精力的に開催
出典:https://www.data-max.co.jp/
植草一秀さんの現在ですが、経済評論家として講演会やセミナーを精力的に開催しています。
直近では2024年8月24日にゴールドトラスト株式会社が名古屋市で開催した時流予測セミナーに特別ゲストとして登壇されています。
植草一秀(元大学教授)の現在② 「植草一秀の『知られざる真実』」
出典:https://m.media-amazon.com/
植草一秀さんは現在はブログと有料メルマガ「植草一秀の『知られざる真実』」にて情報発信を続けています。
植草一秀さんは2度目の逮捕で実刑判決を受けて勾留された際に、東京拘置所内で書いた手記をまとめた「知られざる真実―勾留地にて―」を2007年8月に発表し、これがベストセラーになりました。
そのタイトルを取ったブログ「植草一秀の『知られざる真実』」は2008年4月に開設され現在まで更新を続けています。有料(月額550円)のメルマガ「植草一秀の『知られざる真実』」2011年10月に配信がスタートし現在も配信されています。
植草一秀(元大学教授)の現在③ 著作も多数発表している
出典:https://m.media-amazon.com/
植草一秀さんは現在も経済学者として著作を多数発表しています。
2024年7月1日には白井聡さんとの共著「沈む日本 4つの大罪」を発表し、LGBTQ、SDGs、コロナワクチン、政権、メディア腐敗などに鋭く切り込み批判的に論じ話題になっています。
あの事件の記憶しかなかった私は植草一秀氏を完全に誤解していたことが分かった。強欲な資本家やその資本家の走狗となっている愚かな政治家たちによる収奪のありようを分かりやすく説明されていて面白かった。『沈む日本 4つの大罪』(ビジネス社 共著:白井聡) pic.twitter.com/DLKCm6IDdb
— 山奥ダートレー@XF (@FX40117993) December 13, 2024
まとめ
今回は、元早稲田大学の教授の経済学者で、2004年と2006年に女子高校生に痴漢行為をして迷惑防止条例違反で逮捕されいずれも有罪判決を受け「ミラーマン」の別名で知られる植草一秀さんについてまとめてみました。
植草一秀さんは東京大学経済学部を卒業後、野村総合研究所や大蔵省財政金融研究所にて金融や経済学の研究員として活躍。その後、京都大学助教授、スタンフォード大学のフーバー研究所の客員フェロー、早稲田大学大学院教授などを歴任しました。
しかし、2004年に女子高生のスカートの中を手鏡で覗いたとする痴漢行為で逮捕されて有罪判決を受け、2006年にも電車の中で女子高生のスカートの中に手を入れてお尻を触ったとする痴漢行為で2度目の逮捕となり、懲役4ヶ月の有罪判決を受けました。
植草一秀さんは結婚していて嫁と子供がいますが、2どの逮捕の後嫁と離婚したのかどうかは情報がなく不明です。
植草一秀さんはミラーマンの事件で逮捕有罪となったその後も経済学者として活躍しており、講演活動や執筆、著作の発表、メルマガ配信などで話題になってます。