2013年に発生した餃子の王将社長射殺事件で実行犯として逮捕された田中幸雄容疑者が話題です。
この記事では田中幸雄容疑者の生い立ちや工藤会石田組に所属した経緯や経歴、家族や結婚、大林組銃撃事件への関与や餃子の王将社長射殺事件の動機、現在についてまとめました。
この記事の目次
田中幸雄は餃子の王将社長射殺事件の実行犯として逮捕された暴力団幹部
田中幸雄容疑者(逮捕当時56歳)は、2013年12月19日に発生した、「餃子の王将」などを展開する「王将フードサービス」の社長だった、大東隆行さん(事件当時72歳)が射殺された事件で、実行犯として殺人などの容疑で2022年10月に逮捕された男です。
田中幸雄容疑者は特定危険指定暴力団「工藤会」の2次団体「石田組」に所属する暴力団構成員で幹部を務め、一部報道では「武闘派」、「プロのヒットマン」などと報じられて、どのような人物なのかと注目されています。
この「餃子の王将社長射殺事件」は背景に黒幕がいるとも言われており、悪い評判のなかった大東隆行さんがなぜ殺害される事になったのかや、その黒幕の動機など、いまだにほとんど何もわかっておらず、このまま迷宮入りするとも言われていました。
しかし事件発生から約9年が経過した2022年10月に、実行犯だとして田中幸雄容疑者が逮捕された事で、その真相が解明されるのではと関心が高まっています。
この記事では、この餃子の王将社長射殺事件の実行犯だと見られている田中幸雄容疑者について、現在まで判明している内容をまとめていきます。
田中幸雄の生い立ちや経歴① 福岡県出身で都内の大学中退後は旅行会社などに勤務
田中幸雄容疑者の生い立ちについては情報がまったく出ていません。わかっているのは工藤会が拠点を置く福岡県の出身である事と1966年か1967年の生まれ(2022年10月の逮捕当時56歳)である事飲みです。
田中幸雄容疑者の経歴については、都内の大学を中退しており、その後は関西地方を中心に旅行会社などで働いていた事が朝日新聞やFRIDAYなどによって明らかにされています。
関係者によると、田中容疑者は福岡県出身。都内の大学を中退後、旅行会社などに勤め、主に関西地方で働いていた。関係者は「暴力団としては珍しい経歴」と話す。
また、日刊サイゾーは、田中幸雄容疑者は一流大学を卒業後に公務員をしていたとの情報を書いています。
その石田組で当時、本部長を務めていたのが、某一流大学を卒業後に公務員などの職に就いたのち、現・石田組の門を叩くことになったといわれる田中容疑者ということなる。
都内の大学を中退した後に関西の旅行会社などで勤務していたのか、一流大学を卒業した後に公務員として働いていたのか、どちらの経歴がより正確なのかは不明です。あるいは公務員から旅行会社などの一般職を経て暴力団員になった経歴を持つのかも知れません。
ただ、これだけの重大事件を起こした暴力団構成員が本当に元公務員の経歴を持つとしたならばメディアはもっと大々的に報じるように思えるので、大学中退後に関西地方の旅行会社などで勤務していたとする経歴の方が信ぴょう性が高そうです。
田中幸雄の生い立ちや経歴② 工藤会系石田組幹部(本部長)
田中幸雄容疑者は、大学中退後に関西地方で働いていた時に何らかの経緯で暴力団関係者と知り合い、その紹介で特定危険指定暴力団である工藤会の2次団体である石田組の構成員になったという事です。
田中幸雄容疑者は、工藤会系石田組では本部長のポストを担う幹部だったとの情報も明かされています。
工藤会傘下の組織を紹介され構成員になったようですが、暴力団員としては異色の経歴です。田中容疑者は工藤会系の石田組に所属し、中核ポストの本部長を担っていました。
一方で、田中幸雄容疑者をよく知るという工藤会関係者の証言として、田中幸雄容疑者は報道されているように「武闘派」や「プロのヒットマン」といったイメージではなく、親分の世話係をして小遣いを得て生活をしており、ニコニコしている気の良い兄ちゃんだったとの情報が明かされています。
田中容疑者をよく知る工藤会関係者の一人は、こう明かすのだ。
「田中は身体も大きくなく、ニコニコした気のいい兄ちゃんで、武闘派でも何でもない。大きなシノギ(収入源)もなく、親分から小遣いを貰って生活していたような奴です。普段は親分の運転手など、お世話係をしていた。
また、この工藤会関係者は、田中幸雄容疑者は石田組の本部長だとはいっても、現在の石田組には田中幸雄容疑者くらいしか構成員がいなかったとも証言しています。
しかし今、石田組の主要メンバーは工藤会で勢いのあるO組などに流れて行きよった。辞めた人間も多い。田中が本部長いうても、彼くらいしか組におらんのです。髪を伸ばしとった頃の田中は、頭のてっぺんが薄くて、いかにも人のよさそうな風体。昔は白縁のメガネをかけとって、『哀川翔みたいなメガネして』なんてイジっても、『いやいや、今これ流行っとるとですよ〜』なんて言いよったですもんね
田中幸雄が工藤会系暴力団・石田組に入った理由
暴力団関係の記事を中心に掲載していた実話誌「実話時代」(2014年4月号)に、暴力団の若手幹部を特集する記事が掲載され、その中に田中幸雄容疑者のインタビューが載っています。
それによると、田中幸雄容疑者が工藤会系の暴力団「石田組」に入った理由は「カタギの世界(一般社会)に愛想が尽きたため」だったという事です。
詳細は不明ですが、田中幸雄容疑者は暴力団組織に入る前に何らかのトラブルに巻き込まれ、その時に助けてくれたのが石田組の関係者だったそうです。
暴力団の若手幹部の特集記事。この中で田中容疑者は暴力団組員になった理由をこう話していました。 【「実話時代」 2014年4月号より】
『ひと言で言えばカタギの世界に愛想が尽きたということです。とんでもないトラブルに巻き込まれてうんざりするような体験をしましたが、それを助けてくれたのが石田組の方々でした』
引用:「カタギの世界に愛想が尽きた」王将事件の容疑者が”ヤクザになった理由” 社長との接点は?元警察幹部「独断でこんな大きな事件を起こすことはまずありえない」
田中幸雄容疑者は33歳までは普通に会社員として働いたが、トラブルに巻き込まれた際に石田組の人に助けられたようです。そして、石田組組長(5代目工藤会会長補佐の石田正雄組長か)の人間性に惚れ込んで石田組に入ったようです。
関係者によりますと、田中容疑者は大学を中退後、33歳まではごく普通の会社員としてまじめに暮らしていたといいます。しかし…。 【「実話時代」 2014年4月号より】 『私は長いことカタギの世界で生きてきました。一度として上司に人間的な魅力を感じたことなどありません。ところがうちの親分は、私がかつて味わったことのないほどの温かさを示してくれました』
引用:「カタギの世界に愛想が尽きた」王将事件の容疑者が”ヤクザになった理由” 社長との接点は?元警察幹部「独断でこんな大きな事件を起こすことはまずありえない」
この発言に偽りがないとすれば、田中幸雄容疑者は石田組の組長や工藤会関係者に恩義を感じていたため、自分が逮捕される事も厭わずに、上からのどんな命令にも従ってきたという事なのかも知れません。
この後の経歴のところでも触れるように、田中幸雄容疑者は餃子の王将社長射殺事件で逮捕されるまでにも、パチンコ店にトラックを突っ込ませたり、2008年の建設会社大林組の社員の乗る乗用車銃撃事件でも実行役として関わるなどして何度も逮捕されており、いずれも何者かの指示を受けての犯行と見られています。
田中幸雄の生い立ちや経歴③ パチンコ店にトラックで突っ込み現行犯逮捕
出典:https://p-town-admin.dmm.com/
田中幸雄幸雄容疑者は、工藤会系石田組の構成員になった後の2003年5月1日の深夜2時35分に、福岡県福岡市東区二又瀬新町のパチンコ店「マルハン二又瀬店」にトラックを突っ込ませて建造物損壊の容疑で現行犯逮捕されています。
逮捕後の取り調べで、田中幸雄容疑者は「店側に『あいさつに来い』と求めたが、来なかったのでやった」と犯行の動機を供述しています。この時のパチンコ店の被害は壁面のガラス4枚とパチンコ台5台で人的な被害は出ていません。
1日午前2時35分ごろ、福岡市東区二又瀬新町のパチンコ店「マルハン二又瀬店」の従業員から「店にトラックが突っ込んだ」と110番があった。駆けつけた福岡・東署員がトラックを運転していた同市博多区博多駅南5、暴力団組員、田中幸雄容疑者(36)を建造物損壊容疑で現行犯逮捕した。 調べでは、田中容疑者はトラックで同店の駐車場から進入。6回にわたり、トラック後部の荷台部分を同店(鉄骨平屋建て1919平方メートル)の正面出入り口近くの壁面ガラス(縦5メートル、横3メートル)に突入させ、ガラス4枚を割り、建物内部のパチンコ台約5台を壊した疑い。
引用:毎日新聞(2003年5月1日朝刊)
今から19年前、田中容疑者は福岡市東区のパチンコ店 「マルハン二又瀬店」にトラックを突っ込ませたことがあった。当時の取調べの際、田中容疑者は容疑を認め「店側に『あいさつに来い』と求めたが、来なかったのでやった」と供述しているのだが、詳しい背景などは語っていない。
この逮捕後に田中幸雄容疑者は起訴されて実刑判決を受けています。
田中幸雄の生い立ちや経歴④ 建設会社大林組社員乗用車襲撃事件に関与
田中幸雄容疑者はパチンコ店にトラックを突っ込ませて逮捕され実刑判決を受けて服役した後、2008年1月17日の15時40分頃に大手の総合建設会社(ゼネコン)「大林組」の九州支店の社員ら3人の乗った乗用車が、福岡市博多区下川端町の路上で拳銃で銃撃された事件に関わったとされています。
裁判記録によると、田中幸雄容疑者は大林組社員襲撃事件でも実行役で自動式拳銃で4発の銃弾を大林組の社員ら4人の乗る乗用車に発射しています。銃弾は乗用車のバンパーやヘッドライトの命中したものの、幸いな事に乗っていた大林組社員に怪我人は出ませんでした。
襲撃現場となったのは、大林組の九州支店の事務所が入居するビルの前の路上で、田中幸雄容疑者は乗用車が駐車場に入ろうとしたところを待ち伏せして襲撃しています。
田中幸雄容疑者はフルフェイスヘルメットをかぶって顔を隠しており、発砲後すぐに黒色の原付バイクに乗って現場から逃走したためにこの時には逮捕はされていません。
田中幸雄の生い立ちや経歴⑤ 乾燥大麻所持で逮捕
大林組社員の乗った乗用車の襲撃事件から9年半後の2017年7月6日、田中幸雄容疑者は大麻取締法違反容疑で福岡県警に逮捕されています。
逮捕容疑は、2017年5月6日の15時50分頃に、福岡県柳川市三橋町枝光のパチンコ店の駐車場で、乾燥大麻0.158グラムを所持したというものでした。
警察はこの逮捕の時点ですでに、餃子の王将社長襲撃事件の実行犯が田中幸雄容疑者であると見てマークしていた事も報じられており、この時の大麻取締法違反容疑での逮捕は、いわゆる身柄を拘束するための別件逮捕であったと見られています。
しかしこの時の取り調べでは、田中幸雄容疑者は餃子の王将社長射殺事件との関与を否定しています。
田中幸雄の生い立ちや経歴⑥ 大林組社員乗用車襲撃事件で逮捕
2018年6月28日、田中幸雄容疑者は、2008年の1月17日の大林組社員らの乗った乗用車が銃撃された事件に関与したとして殺人未遂と銃刀法違反(発射)の容疑で福岡県警に逮捕されました。
この時には元工藤会系組員の大曲俊定容疑者、準構成員の浦誠治容疑者ら合わせて4人が同様の容疑で逮捕されています。
田中幸雄容疑者はこの大林組社員の乗用車銃撃事件で、銃刀法違反(発射)と器物損壊の罪で起訴され、懲役10年の実刑判決を受けて、2020年11月に確定しています。ちなみに共犯者である大曲俊定容疑者に懲役5年、浦誠治容疑者には懲役3年執行猶予5年の判決が確定しています。
大手ゼネコン「大林組」従業員らが乗った乗用車が2008年に福岡市の路上で銃撃された事件で、銃刀法違反(発射)と器物損壊の罪に問われた指定暴力団工藤会系組幹部の田中幸雄被告(53)に対する判決公判が6日、福岡地裁であった。足立勉裁判長は懲役10年(求刑懲役12年)を言い渡した。
組幹部は08年に福岡市内で大手ゼネコン大林組九州支店の社員らが乗った車に4発発砲したとして銃刀法違反などで逮捕、起訴され、20年11月に懲役10年が確定し福岡刑務所に服役していた。
その後、田中幸雄容疑者は福岡刑務所に服役していましたが、前述のように2022年10月28日に餃子の王将社長射殺事件の実行犯として殺人の容疑などで逮捕されました。
田中幸雄容疑者は、プロのヒットマンでもなく武闘派でもなくニコニコしている気のいい兄ちゃんだったとの関係者の証言が出ているものの、経歴を見てもわかるように、餃子の王将社長射殺事件を起こす前にも過去に何度も過激な犯行で実刑判決を受けているという事からしても武闘派と報道されている事が誤りだとは言えません。
暴力団組織の中の基準においては気の良いにいちゃんだったというだけで、一般的な感覚からすれば危険極まりない人間である事は疑いようがありません。
田中幸雄の家族
餃子の王将社長射殺事件の実行犯として逮捕された田中幸雄容疑者ですが、家族に関する情報は現在の時点ではほとんど出ていません。
田中幸雄容疑者は、福岡県の出身だということで、実家の家族も福岡県の人である可能性が高そうです。
田中幸雄容疑者は都内の有名大学を卒業、あるいは中退しているとの情報も出ている事から、大学時代まではごく普通の家族で育った可能性が高そうですし、都内の大学へ進学させられる程度の経済力があるという事から考えても、特に育った家族の環境が悪いという事はなかったとも推測できそうです。
田中幸雄の結婚や妻
田中幸雄容疑者の結婚に関してはFRIDAYの取材に応じた工藤会系の暴力団関係者が「嫁がいると聞いたが1度も見た事がない、女もおらんかった」と証言しています。
田中には嫁がいると聞いたが一度も見たことがなく、女もおらんかった。時々、地元のスナックに仲間と遊びに出とって、偶然店で田中と会うたことがあった。女の子とちょっと話した後は、誰も知らんようなマニアックな演歌を歌っていました。
この証言から、田中幸雄容疑者には結婚歴がある可能性は高そうですが、見た事がないという事なので結婚生活を送っていたのかは不明です。また、結婚していたにしても、田中幸雄容疑者が工藤会系の石田組に所属する以前ではないかと推測されます。
経歴でも触れたように、田中幸雄容疑者はこれまでに餃子の王将社長射殺事件や大林組の社員の乗用車銃撃事件などで少なくとも4回逮捕されています。
一般的な感覚からいえば、妻が仮にいたとしてもこれだけ何度も逮捕されている男と結婚生活を維持したいと考えるとは思えず、既に離婚しているか結婚生活は破綻している可能性の方が高そうです。
その他、田中幸雄容疑者に子供がいるのかなどの情報も現在の時点ではわかっていません。
田中幸雄が実行犯として逮捕され餃子の王将社長射殺事件
田中幸雄容疑者が実行犯だとして逮捕された、餃子の王将社長射殺事件の経緯についても改めて見ていきます。
2013年12月19日の午前5時45分頃、中華料理チェーン「餃子の王将」を運営する「王将フードサービス」の当時の社長だった大東隆行さんは、京都市山科区の王将本社にいつものように出勤し、駐車場に車を停めて降りたところを何者か(田中幸雄容疑者だと言われている)に銃撃されました。
犯行に使われたのは25口径の自動拳銃で、大東隆行さんは至近距離から4発撃たれていずれも急所に命中していました。午前7時頃、大東隆行さんが倒れているのを見つけた同社社員が119番通報。大東隆行さんは発見された時には既に息をしておらず、搬送先の病院で死亡が確認されました。
京都府警はすぐに大規模な捜査を開始しましたが、長らく捜査の進展は報じられませんでした。しかし警察は現場に落ちていたタバコの吸い殻のDNA鑑定などで、早い段階で田中幸雄を容疑者としてピックアップしており、工藤会による犯行と見て捜査を進めていたようです。
その後、犯行に使ったと見られる2台の盗難バイクが見つかり、うち1台から硝煙反応が検出されます。
さらに、事件現場から約1km離れた場所にある大東隆行さんの自宅周辺を事件の前日に歩き回る不審な男が防犯カメラの映像などから確認されました。ただ顔がはっきりと映っていなかったため、京都府警は歩き方の特徴などを鑑定する「歩容解析」を専門機関に依頼。
これにより、不審な男と田中幸雄容疑者は同一人物の可能性が高いとの鑑定結果が示されたため、2022年10月28日、京都府警は大林組社員銃撃事件で懲役10年の判決を受けて服役していた田中幸雄容疑者を大東隆行さん殺人と銃刀法違反などの容疑で逮捕に踏み切りました。
府警は、殺害現場付近に落ちていたたばこの吸い殻に付着したDNA型が田中容疑者のものと一致したことや、現場からの逃走に使われた小型オートバイのハンドルから検出した硝煙反応、犯人の事件直前の足取りなどから、実行役として田中容疑者を特定。さらに、吸い殻の形状などを科学的に検証し、別の場所から持ち込まれた可能性をほぼ排除し、逮捕に踏み切ったとみられる。
田中幸雄容疑者は餃子の王将社長射殺事件との関与については黙秘を続けていると報じられています。
田中幸雄が餃子の王将を射殺した事件の動機
田中幸雄容疑者が餃子の王将を運営する王将フードサービスの社長であった大東隆行さんを射殺した動機にも注目が集まっています。
報道によれば、田中幸雄容疑者と大東隆行さんとの間に接点は全く確認できておらず、田中幸雄容疑者自身に直接的な犯行動機などはなく、何者かの依頼を受けての犯行だったとの見方が有力となっています。
容疑者は大東さんとの間に個人的な関係はなかったとみられ、動機は不明のままだ。
それならば、田中幸雄容疑者の所属する工藤会石田組に大東隆行さんの殺害を依頼した黒幕とその動機は何かという事になりますが、一部のメディアは王将の創業者の加藤朝雄さんと関係の深い、福岡県でゴルフ場などを経営する70代後半の男性には動機があり、黒幕の可能性があるとして重要参考人として警察にマークされている事を報じています。
それによると、この男性は部落解放同盟中央執行委員長の異母弟で、この人物と王将フードサービスとの間に不適切な資金取引があって数百億円もの資金が流出しており、それが王将フードサービスの経営不振の原因となって創業社長は責任をとって退任し、その後を継いで経営を立て直したのが、射殺された大東隆行さんだったというものです。
大東隆行さんは射殺される前も、この男性との不適切な資金のやり取りの清算に取り組んでいました。そして、事件後に王将が設置した第三者委員会により、その流出資金のうち約170億円が未回収のまま損失処理されている事が認定されています。
この一連のトラブルが、大東隆行さんが射殺された動機になったのではと疑われています。
ただし、大東隆行さん殺害を依頼した黒幕ではと疑われているこの人物は事件との関与を否定しています。
餃子の王将社長射殺事件を追っているジャーナリストの須田慎一郎さんも、事件の黒幕はこの男性ではなく別に動機を持つ真犯人がいる可能性が高いと指摘されています。
須田慎一郎さんはその根拠として、この人物と餃子の王将との貸借関係を清算し終わっており、報道されているような資金のやり取りのトラブルはなかったと説明しています。
須田)動機を持っていたのは、その人物ではない。どうしてかと言うと、大東さんが社長に就任したのが2000年4月ですから、約5年半後の2005年に、「餃子の王将」と上杉昌也氏は、それまでの貸借関係を全部清算し終わっているのです。いま私の手元に「債権放棄合意書」という書面のコピーがありますが、そこではまったくやりとりがないという状況になっているのです。
ただ、この人物の他に、餃子の王将社長射殺事件の動機を持つ人物や組織の情報は、現在の時点ではほとんど何も出てきておらず、一体何者が大東隆行さんを田中幸雄容疑者(工藤会石田組)に射殺させたの真相は謎のままです。
田中幸雄の現在
田中幸雄容疑者は、餃子の王将社長射殺事件の実行犯として、殺人の容疑で2022年10月28日に京都府警に逮捕され、福岡刑務所から捜査本部の置かれている京都府警山科警察署へ厳戒態勢が敷かれた上で移送されました。
田中幸雄容疑者は餃子の王将社長射殺事件への関与については黙秘していますが、2022年11月18日に、京都地検は田中幸雄容疑者を大東隆行さんの殺人や銃刀法違反の罪で起訴しました。
中華料理チェーン「餃子の王将」を展開する王将フードサービス前社長、大東(おおひがし)隆行さん=当時(72)=が平成25年、京都市山科区の本社前で殺害された事件で、京都地検は18日、大東さんを射殺したとして殺人と銃刀法違反の罪で特定危険指定暴力団工藤会(北九州市)系組幹部、田中幸雄容疑者(56)を起訴した。
2023年11月の現在、田中幸雄容疑者の餃子の王将社長射殺事件の裁判はまだ開始されていません。
現在も田中幸雄容疑者は京都拘置所に勾留されていると見られます。今後は裁判が開かれますが、餃子の王将社長射殺事件は未だにわかっていない部分が多くあり、公判前整理手続きに時間がかかっていると見られ、裁判の開始にはまだ時間を要するかも知れません。
まとめ
今回は、2013年12月19日に発生した餃子の王将社長射殺事件の実行犯として逮捕された、工藤会系石田組の幹部の暴力団構成員の田中幸雄容疑者についてまとめてみました。
田中幸雄容疑者の生い立ちについては、福岡県の出身で1966年か1967年の生まれである事が判明しているのみで、詳しい事はわかっていません。
経歴については、東京都内の大学を中退(卒業したとの報道も)後、旅行会社など関西方面で働いた後、33歳の頃に暴力団関係者の紹介によって特定危険指定暴力団「工藤会」の2次団体「石田組」に入り幹部を務めています。
工藤会石田組に入った後の田中幸雄の経歴は、2003年に福岡県福岡市東区二又瀬新町のパチンコ店にトラックで突っ込む事件を起こして逮捕され実刑判決を受け、出所後の2008年には総合建設会社「大林組」の社員が乗った乗用車が銃撃された事件に実行犯として関与(逃亡しこの時点では逮捕されていない)。さらに、2017年に大麻取締法違反で逮捕され、2018年には大林組銃撃事件で逮捕されています。
田中幸雄容疑者の家族や結婚などの情報はほとんどありませんが、工藤会関係者の証言として結婚していて妻がいるとの情報が出ています。
田中幸雄容疑者と、餃子の王将社長射殺事件で殺害された大東隆行さんとの直接的な接点は確認できておらず、犯行動機は何者かの依頼を受けた事だとみられています。
田中幸雄容疑者は2022年10月に大東隆行さん殺害などの容疑で逮捕され、11月には起訴されていますが、現在も裁判は始まっておらず京都拘置所に勾留されているとみられます。