「機動戦士ガンダム」のマ・クベ大佐や「クレヨンしんちゃん」のぶりぶりざえもんで知られる声優の塩沢兼人さんの経歴や死因が注目されています。
この記事では塩沢兼人さんの声優としての経歴、結婚や子供、死因となった階段からの転落事故による脳挫傷などについてまとめました。
この記事の目次
塩沢兼人(声優)のプロフィール
塩沢兼人のプロフィール
本名 :塩澤敏一
生年月日:1954年1月28日
没年月日:2000年5月10日(46歳没)
出身地 :東京都
身長 :171cm
血液型 :A型
塩沢兼人(しおざわ・かねと)さんは、1970年代半ばから2000年に亡くなるまで声優として、アニメや映画の吹き替え、ゲーム、ナレーションなどで活躍された方です。
甘さとクールさが混在し憂いを帯びた色気のあるテノール系の声質で「唯一無二の声」とも称されていました。
塩沢兼人さんの数多くの作品に出演されていますが、よく知られているものでは、「北斗の拳」のレイ、「聖闘士星矢」の牡羊座のムウ、「クレヨンしんちゃん」のぶりぶりざえもん、「名探偵コナン」の白鳥任三郎、「銀河旋風ブライガー」の木戸丈太郎(ブラスター・キッド)、「ハイスクール!奇面組」の物星大、「美少女戦士セーラームーンR」のプリンス・デマンドなどが挙げられます。
また、洋画の吹き替えでは、スターウォーズシリーズのエピソード4〜6の主人公のルーク・スカイウォーカーをはじめ、「シザーハンズ」のエドワード・シザーハンズ、「ウエストサイド物語」のリフなどを担当されています。
塩沢兼人(声優)の経歴① 生い立ち
塩沢兼人さんは1954年の生まれで、幼い頃は病弱で運動もあまりできなかったそうなのですが、高円寺の幼稚園に通っているときに半分以上の窓ガラスを割って退園にされたというヤンチャなエピソードも知られています。本人のインタビュー発言によると「虚弱体質である鬱憤から割った」という事です。
幼稚園を退園した後、小学校入学前に「劇団ひまわり」に入団していますが、当時は芝居にはあまり興味がなく、近所の子供達と遊んでいる方が楽しかったため、小学校進学前に退団しています。劇団ひまわりの在籍期間は3ヶ月ほどだったそうですが、舞台にも立っており、当時から堂々と演技をされていたようです。
出身小学校は「中野区立武蔵台小学校」で、当時は自分が「劇団ひまわり」に在籍した事に「自分はそういう華やかなところにいた、他の子とは違う」という自負のようなものがあり、その影響で段々と芝居に興味を持つようになったそうです。塩沢兼人さんは小学生時代には作文が中野区の大会で入選するなど表現の才能も見せはじめていたようです。
芝居に興味を持つようになった塩沢兼人さんは、「中野区立北中野中学校」に進学後、3年生の時に自らが中心になって演劇部を創設し部長を務めています。
一方、中学生の時に両親を亡くしており祖母に引き取られて養育されています。
塩沢兼人(声優)の経歴② 高校時代に劇団を結成し活動するも大学は中退
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塩沢兼人さんは中学卒業後、1969年4月に日本大学附属第二高等学校へ進学しています。これは、将来的に日本大学芸術学部へ進む事を念頭に置いての進学先を決められたそうです。
高校時代の塩沢兼人さんは演劇部に所属しましたが、2年の時に退部し、学校外で30人ほどの仲間を集めて独自に劇団を結成して活動されています。
高校卒業後、1972年4月に日本大学芸術学部演劇科へと進学し、本格的に演技の勉強をはじめ、1年生の5月には豊島区民文化センターで「棒になった男」を上演するなど演劇活動を精力的に続けましたが、10月に大学を中退しています。
大学中退の理由は、正科でバレエがあった事で挫折し、単位を取るのも大変であったため、面倒臭いと感じたためだったそうです。
塩沢兼人(声優)の経歴③ 東放学園声優科に入学し声優を目指す事に
塩沢兼人さんは日本大学芸術学部演劇科を1年で中退した後は、一時芝居から離れて約1年間アルバイト生活を送っています。
当時は、ウェイターや喫茶店でアルバイトをしていたそうです。実家住まいだった事もあり、生活には全く困らずに危機感は抱いていなかったそうですが、「このまま人生が進んでいくのもまずい」との考えもあったそうです。
そんな時に、新宿の紀伊国屋書店で「あなたも声優になりませんか?」というパンフレットを見つけ、「やっぱり芝居をやりたい」という思いが起こり、声優になってみようと思い立って、東放学園専門学校東京アナウンス学院放送声優専科への入学を決めています。
この時、塩沢兼人さんは入学金や授業料を用意できなかったため、直接学校を訪問して頼み込み、1973年の後期から特別に特待生として研究科に入れてもらったそうです。
塩沢兼人さんは半年で東放学園専門学校を卒業し、1974年に演劇集団「ぐるーぷえいと」に入団して、同劇団の第一回公演「動員挿話」に馬丁友吉役で出演しています。塩沢兼人さんは声優デビュー後もこの「ぐるーぷえいと」を中心に舞台俳優としても活躍されていました。
塩沢兼人(声優)の経歴④ 声優デビューしガンダムのマ・クベ役などで人気に
塩沢兼人さんは、東放学園専門学校を卒業後の1974年にプロの声優としてデビューし、1975年には映画「レッツ・ゴー!ハーマンズ・ハーミッツ」の主人公・ハーマン役の吹き替えに抜擢されています。
1976年にはアニメ「ドカベン」でアニメの声優としてもデビューし、1977年にはアメリカのアニメ「スピードローラー猛レース(原題はBailey’s Comets)」の主人公役の声を担当。さらに、その年には、アニメ「一発貫太くん」の戸馳二郎役でレギュラー出演した他、「タイムボカンシリーズ ヤッターマン」にも様々な役で毎週出演しています。
1978年には、「科学忍者隊ガッチャマンII」のサムや、「未来少年コナン」などに出演。
1979年には、「機動戦士ガンダム」のマ・クベ大佐と、その他多数の端役の声を演じて注目されました。この年には、「銀河鉄道999」や「ベルサイユのばら」などヒット作にも多数出演し声優としての人気を上げています。
塩沢兼人(声優)の経歴⑤ 人気声優になり多くの作品にメインキャラで出演
塩沢兼人さんは1980年には、アニメ映画「火の鳥2772 愛のコスモゾーン」の主人公のゴドー役で劇場アニメ初主演を、アニメ「伝説巨神イデオン」のイラ・ジョリバ、「宇宙戦士バルディオス」のマリン・レイガンで国内アニメ初主演して人気声優の仲間入りを果たしています。
その後も、「戦闘メカ ザブングル」、「ナイン」、「銀河疾風サスライガー」、「戦国魔神ゴーショーグン」、「Gu-Guガンモ」、「ふたり鷹」、「蒼き流星SPTレイズナー」、「超獣機神ダンクーガ」、「ハイスクール!奇面組」、「仮面の忍者 赤影」、「ついでにとんちんかん」、「どろろんぱっ!」、「新ビックリマン」、「ミラクル☆ガールズ」、「美少女戦士セーラームーンR」など数々の作品で、主役を含むメインキャラクターを多数演じています。
晩年の代表出演作では、「クレヨンしんちゃん」のぶりぶりざえもん、「バーチャファイター」の我王、「LEGEND OF BASARA」の揚羽、「サイレントメビウス」のガノッサ・マクシミリアン、「モンスターファーム〜円盤石の秘密〜」のガリ、「星界の戦旗 / II」のドゥサーニュ、「名探偵コナン」の白鳥警部補または警部などがあります。
塩沢兼人(声優)の結婚…嫁は元声優の馬場はるみさん
塩沢兼人さんは、1982年に声優の馬場はるみさんと結婚されています。
結婚披露宴は新宿・ロスアルコスで、1982年2月28日に催されました。
塩沢兼人さんが結婚した馬場はるみさんとの出会いは、1977年に塩沢兼人さんが主人子役の吹き替えを担当した海外アニメ「スピードローラー猛レース」での共演でした。
その後、「ベルサイユのばら」など、いくつかの作品での共演を経て交際に発展し結婚されています。
塩沢兼人さんは馬場はるみさんとの結婚後に何度か夫婦でメディア出演されていて、「三枝の爆笑夫婦」に出演した際には結婚生活について語られていました。
それによると、塩沢兼人さんは意外に亭主関白で、妻たるもの夫を褒めておだてろと言い渡していたそうです。一方で夫婦仲はとても良く、結婚3年目になっても自宅で猫の真似をして戯れあっている事なども明かされていました。
一方、嫁の馬場はるみさんは、結婚前に、塩沢兼人さんが電車の切符番号で運勢を占っているのを見て「面白い所に真剣になる人だわ」と思ったり、結婚後に2人で旅行に行った際に、塩沢兼人さんが社会見学のために必ず地元のスーパーマーケットに行く事に呆れているといった結婚エピソードを明かされていました。
塩沢兼人(声優)の子供はいない可能性が高い
塩沢兼人さんは、元声優の馬場はるみさんと結婚されていますが、2人の間に子供がいるという情報は出ていません。
実際には子供がいて、公表されていない可能性も考えられますが、現在の時点で明らかになっている情報の限りでは、子供はいない可能性の方が高いと見られています。
塩沢兼人(声優)は自宅階段での転落事故で死去
塩沢兼人さんは、2000年5月10日に46歳という若さで突然死去しています。
塩沢兼人さんの死因となったのは階段からの転落事故でした。塩沢兼人さんは2000年5月9日の16時頃、自宅の階段から転落し頭を強打しました。この時、外傷は擦り傷程度で意識もはっきりしており、本人も「大丈夫」と嫁の馬場はるみさんに伝えていたようです。
ところが、その日の22時頃に突如容体が急変して意識不明となり病院(東京西新宿の東京医科大学病院)へ救急搬送されました。
そのまま意識は回復せず、日付が変わった5月10日の午前0時54分に死亡が確認されました。
塩沢兼人さんの葬儀は東京都中野の宝仙寺で行われ、多くのファンが訪れています。葬儀の会場では生前のセリフや歌が流され、弔辞は生前親交の深かった声優で俳優の柴田秀勝さんが読まれています。
嫁の馬場はるみさんは最後に挨拶され、「(あまりに突然の死去で)ファンに対してお礼ができなかった」と話されていました。
塩沢兼人(声優)の死因は脳挫傷
塩沢兼人さんの死因は自宅階段からの転落事故による、「脳挫傷」と発表されています。
塩沢兼人さんは、生前、大のお酒好きを公言されていて、以前にも酔って階段からの転落事故を起こして恥骨骨折の重傷を負ったエピソードが知られていました。
しかし、死因となった階段からの転落事故の際には、塩沢兼人さんは飲酒はされておらず、酔って階段転落事故を起こしたわけではありませんでした。
塩沢兼人さんの死因の「脳挫傷」は慶應義塾大学医学部外科神経外科学教室のWebページで以下のように解説されています。
脳挫傷は強く殴られたり、強い頭部打撲を来すことで衝撃が脳に伝わり脳そのものが損傷を受けることで起こります。頭部打撲を来した際に起こる脳震盪よりも脳の構造そのものに損傷を受けるためより深刻です。
主な原因は自動車の衝突や頭部打撲と言われています。
頭部に強い衝撃を受けた際に起こる症状で、衝撃を受けた直後は何ともなくとも、塩沢兼人さんのように時間が経ってから症状が出る場合もあるようです。そのため、頭部に強い衝撃を受けた場合は念のために病院で検査を受ける事が推奨されています。
まとめ
今回は、「機動戦士ガンダム」のマ・クベ大佐や、「クレヨンしんちゃん」のぶりぶりざえもん、「名探偵コナン」の白鳥刑事、「スターウォーズ」のルーク・スカイウォーカー(吹き替え)などで知られる声優の塩沢兼人さんについてまとめてみました。
塩沢兼人さんの経歴については、小学校入学前に「劇団ひまわり」に入団し、これは小学校入学と同時に退団したものの、これが演技に興味を持つきっかけでした。その後、中学時代に演劇部を創設するなどし、日本大学附属第二高等学校時代には自ら劇団を結成して公演活動を展開。
その後、日本大学芸術学部演劇科へ進んで演技を学ぶも1年で中退し、アルバイト生活を経て、東放学園専門学校東京アナウンス学院放送声優専科に入学して声優としての基礎を学び、卒業後に声優としてデビューされています。
その後は、数々の人気アニメで主役を含むメインキャラクターを演じて人気俳優となりました。
塩沢兼人さんは1982年に元声優の馬場はるみさんと結婚されています。夫婦仲は良かったようですが子供はいなかったとみられています。
塩沢兼人さんは、2000年5月10日に46歳の若さで亡くなっています。死因は「脳挫傷」で、原因は自宅の階段から転落事故を起こして頭部を打った事でした。