大王製紙事件と井川意高のその後現在!カジノでのやばい資金流用・判決など詳細も総まとめ

2011年に内部告発により、井川意高会長の特別背任事件が発覚した大王製紙。この記事では大王製紙について会長によるカジノでの使い込み、判決や返金などのその後、新社長との利権争い、現在もやばいと囁かれる理由をふくめて紹介します。

大王製紙事件の概要【特別背任事件】

 

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2011年の秋、日本を代表する大手製紙会社の大王製紙の井川意高(もとたか)会長が、同社のグループ会社から多額の資金を引き出し、私的に流用していたことが発覚しました。

 

井川意高会長はマカオなどのカジノで遊ぶ目的で、大王製紙の子会社から2010年4月から2011年の9月の約1年半の間に100億円を超える資金を流用。

 

それが2011年9月16日に明るみに出て、代表取締役会長の職を退くこととなりました。

 

こうして同年11月には大王製紙側が前会長を刑事告発し、東京地検特捜部の特別背任の容疑で捜査に入ります。

 

捜査の結果、前会長の借入総額は約165億円にものぼり、うち約55億円が刑事告訴の対象とされました。

 

そして2012年10月に東京地裁は、井川意高前会長に対して懲役4年の判決を言い渡しました。

 

 

大王製紙事件の詳細① 大王製紙の会社概要

 

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大王製紙事件について詳しく説明していく前に、まずは事件の舞台となった大王製紙という会社について簡単に紹介していきます。

 

大王製紙は新聞用紙や出版用紙、包装用紙、段ボールなどの梱包用紙、ティッシュ、トイレットペーパー、紙おむつ、生理用ナプキンなどの紙製品を幅広く製造する製紙会社です。

 

国内では王子ホールディングス、日本製紙、レンゴーに次ぐ第4位の売り上げを誇り、2023年にはペット関連の商品への参入も発表しました。

 

有名な商品としてはティッシュペーパーの「エリエール」や「エリエール贅沢保湿」、紙おむつの「アテント」などがあげられます。

 

会社の設立は1943年で、四国紙業などの製紙会社14社が合併して愛媛県四国中央に誕生しました。

 

創業者の井川伊勢吉氏は太平洋戦争の前後に新聞用紙の売り上げを通して業界内でのシェアを拡大し、1956年に大阪証券取引所に上場、翌57年に東京証券取引所に上場と急成長を見せます。

 

しかしその後、紙業界全体の落ち込みを受けて業績が悪化。1962年には会社更生法の申請をして、翌63年には上場廃止となります。

 

そして1964に更生手続きが認可され、すぐに業績が回復したことから65年には更生手続きが完了しました。

 

以降の大王製紙は成長軌道に乗り、1980年代のオイルショックの際にはトイレットペーパーなどの特需によって売り上げを伸ばします。

 

その反動でオイルショック後は減産を強いられることとなりますが、ここで創業者の息子であり二代目社長の井川高雄氏が自ら東京や海外に出向いて営業活動を行い、出版関係の用紙の契約を取り付けてきました。

 

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さらに高雄氏は1979年に大王製紙のヒット商品となるティッシュペーパー「エリエール」の販売を開始し、家庭紙市場にも参入しました。

 

こうして大王製紙は業績を安定させ、1982年には大阪証券取引所に再上場、84年に大証一部上場、88年には東京証券取引所に再上場を果たしたのです。

 

 

 

大王製紙事件の詳細② 三代目社長・井川意高氏の生い立ち

 

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大王製紙は長らく創業者一族によって経営されてきた会社で、とくに悪化した業績を一気に好転させて株式再上場も果たした二代目の井川高雄社長は「カリスマ経営者」と称賛されました。

 

しかし同族経営で何代にも渡って問題なく順調な経営が続くというケースは稀です。

 

王子製紙も三代目の井川意高氏の代以降、大きく経営が揺らぐこととなります。

 

井川意高氏は1964年に二代目社長の井川高雄氏の長男として誕生しました。実家は大王製紙の四国本社のある愛媛県四国中央で、実家の敷地は広かったものの、幼少期の暮らしぶりはそこまで派手ではなかったそうです。

 

意高氏が生まれた当時、大王製紙は経営状況が悪化して会社更生法の適用を受けていましたから、世間が想像する大企業の御曹司という贅沢三昧な暮らしではなかったのでしょう。小学校は公立の伊予三島小学校に通っていたとのことです。

 

意高氏本人も「当時の大王製紙は、まだ田舎の中堅製紙会社だった。エリエールもなかったし、四国では名の知れた会社という感じ」「子どもの頃は弟と山や川で虫や魚を採って遊んでいた」と語っていました。

 

また、非常に賢い少年で小学校4年生の時にたまたま家族旅行で上京した際に受験塾の中学受験模試を試しに受けてみるように父の高雄氏から勧められ、上級生に混ざって挑戦したところなんと全国2位の好成績を収めたといいます。

 

この頃、大王製紙の業務の関係で高雄氏は東京への引っ越しを考えていました。

 

そのため息子が優秀なことを知り「お前、東京の中学を受験しなさい」と意高氏に受験勉強を勧め、高学歴の自社社員に声をかけて「バイト代を払うから、うちの息子の勉強を見てくれないか」と家庭教師を頼んでいたといいます。

 

こうして父親が中学受験モードになってしまったため、これまで学校の勉強しかしてこなかった意高氏も小学校5年、6年と受験勉強に没頭することに。

 

そして晴れて筑波大付属駒場中学に合格し、中学からは東京での生活がスタートしました。

 

 

 

大王製紙事件の詳細③ 井川意高氏の学生時代

 

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筑波大付属駒場中学に入学した後も意高氏は大企業の御曹司ではなく、ごく普通の少年として暮らしていたようで、当時ブームだったインベーダーゲームにお小遣いをつぎ込むなどしていたといいます。

 

学業の面では英語が苦手で、英語の成績が悪すぎたせいで中学2年生の時には学年でもテスト結果が底辺にまで落ち込んでいたそうです。

 

しかし、付属の高校に入学した後は生来の優秀さを発揮して、1日4時間の自己流の勉強法で東大法学部に現役合格を果たしました。

 

なんでも意高氏は志望校を決める際、両親に「授業料が安い東大に合格したら、浮いたお金で車を買ってほしい」と願い出ており、車欲しさに受験勉強に励んだとのことです。

 

両親も東大に見事合格した息子との約束を守り、意高氏におよそ1000万円もするBMWを買い与えたといいます。

 

ただ、高級外車を贈与された以外は依然として周囲の学生と同じように小遣いで遊興費などをやりくりしており、飲み会が続くと金欠になることもあったそうです。

 

この頃になると大王製紙のヒット商品である「エリエール」も発売され、会社は全国規模に成長していました。

 

しかし、意高氏によると父親の高雄氏は家族に対しても非常に厳しい人で、必要以上に家族を甘やかすことはなかったといいます。

 

 

大王製紙事件の詳細④ 井川意高氏の大王製紙入社

 

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1987年に東大を卒業した意高氏は、大王製紙に入社しました。入社後は本社の人事部付きの立場で簿記の専門学校に通い、経理を勉強。

 

その後は1990年になると三島工場に配属され、現場で働くこととなります。これもやはり現場を知らない人間に経営者は務まらないという高雄氏の方針だったのか、3ヶ月ごとに様々な部署を転々として、主任の指導を受けながら仕事を覚えていったそうです。

 

そして工場配属から4~5年が経つと工場長代理となり、1年ほど勤務。

 

その後は岐阜県にあった名古屋パルプという子会社(現在の大王製紙岐阜工場)に出向し、経営を任されることになりました。

 

当時、名古屋パルプは200億円の売り上げに対して70億円の赤字を抱えていました。

 

これはバブル期に過剰に設備投資をしたことなどが原因で、意高氏は一緒に出向となったベテラン社員の力を借りながらコスト減と生産率のアップに取り組み、この会社の黒字化に成功します。

 

この功績が認められ、社内でも意高氏の能力の高さは評判となりました。高雄氏が明らかに経営不振とわかる子会社に息子を赴任させたのは、「同族経営」「世襲で社長になっただけの三代目」と言われないようにするため、意高氏に箔をつけさせたかったのではないかとも言われています。

 

 

本社への帰還

 

こうして1995年、意高氏は大王製紙の専務取締役に就任。本社に戻ってからはティッシュやトイレットペーパーなどを扱う家庭紙事業部に配属されました。

 

しかし、なんと就任2日目にしてもっとも規模の大きい取引先が倒産するという事件が発生します。

 

10億円近い売掛金が焦げ付くことをおそれた意高氏は、トラックに乗ってこの会社に向かい、倉庫からありったけのエリエールをかき集めて持ち帰ってそうです。

 

また、この頃の大王製紙はティッシュペーパーでは高いシェアを誇っていたものの、おむつや生理用ナプキンなどの商品では後発の企業にシェアを取られており、家庭紙事業部全体で見ると赤字でした。

 

さらに当時の家庭紙製品は安売り競争が激化して価格の低下が止まらず、売れば売るほど赤字になるような有様だったといいます。

 

意高氏は名古屋パルプに続いて赤字部署の改善を任されたことになるのですが、就任から5~6年かけて開発からマーケティング、営業までを見直して、1円でも高く売れるように体質改善をしました。そして家庭紙事業部の黒字化に成功したのです。

 

なお意高氏によると、この頃は仕事が忙しかったためカジノにはいっさい手を出しておらず、麻雀程度しかやっていなかったそうです。

 

 

副社長就任

 

こうして1998年に意高氏は大王製紙の副社長に就任します。副社長就任後は家庭紙事業部長にくわえて生産、外材管掌、中国関連の特命担当なども兼任しました。

 

副社長就任後の意高氏の功績としては、大人用紙おむつ「アテント」の販売があげられます。

 

意高氏が家庭紙事業部長に就任した後、大王製紙は乳幼児用紙おむつ「GOO.N(グーン)」の見直しを行い、おむつ市場でのシェア拡大に成功しました。

 

そして2007年にはP&Gの大人用紙おむつ「アテント」を買収。大人用紙おむつのシェアトップに躍り出たのです。

 

また、当時の大王製紙は業界内でも残業が多いことで有名な企業だったそうですが、意高氏は時代に先駆けてサービス残業ゼロを目標に掲げ、残業時間もこれまで30分単位だったものを1分単位で発生するように改善しました。

 

さらに「自分が会社に残っていたら部下も帰りづらいだろう」と考え、18時に退社し、部下が定時に帰りやすい環境にしたといいます。

 

 

 

大王製紙事件の詳細⑤ 井川意高氏の社長就任・退任と会長就任

 

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ここまでの経歴を見ると、意高氏は親から継いだ会社をダメにするタイプのよくいる二代目、三代目社長ではなく、切れ者であることが窺えます。

 

感情で動くことがなく、部下にも理詰めで接したいたことから苦手に思う社員もいたといいますが、現代的な経営者といった印象です。

 

こうして2007年6月、意高氏はついに42歳で大王製紙の社長に就任します。しかし、社長就任早々、運悪くリーマンショックが大王製紙を襲ったのです。

 

100年に1度とまで言われた経済恐慌にさらされたうえ、この頃にはペーパーレス化が進んでいたことから紙の需要は下がる一方となっていましたから、意高氏も社長として舵取りに苦労することとなります。

 

そしてコスト減のために工場の一部稼働停止や人員削減を計画しますが、これをめぐって父親の高雄氏と真っ向から対立してしまうのです。

 

意高氏は高雄氏を説得するために具体的な数値目標をまとめて提出し、経営を合理化して見事に2007年、2008年と大王製紙の連結売上を伸ばしました。

 

ところがリーマンショックの危機を乗り越えたものの、やはり神の需要低下には歯止めがかからず、くわえて2011年には東日本大震災の影響で業績が悪化し、2011年の3月期には純損失182億円を計上するほど業績が悪化してしまったのです。

 

ここまで大王製紙を支えてきた意高氏ですが、株式会社ですから利益が出せず、かつ今後の改善策も出せないとなると社長職を退かなくてはいけません。

 

そのため意高氏は2011年6月に社長を辞任し、会長職に就くこととなりました。

 

 

 

大王製紙事件の詳細⑥ カジノへの資金流用が明らかになる

 

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意高氏が社長を退任してから約3ヶ月が経った2011年9月7日、大王製紙を揺るがすような事件が発覚します。なんと意高氏が、子会社の資金を私的に流用していたのです。

 

最初に資金の横領があったのは2010年5月5日で、紙おむつなどを扱うダイオーペーパーコンバーティングから5億5000万円を引き出していました。

 

そしてその後も6月中にエリエールペーパーテックから合計9億5000万円、8月にエリエールペーパーテックから5億円といったように横領を重ね、事態が発覚するまでの1年4ヶ月の間に総額106億円もの資金を引き出していたのです。

 

しかも、意高氏はこのお金をすべてカジノですっていました。

 

意高氏が最初にギャンブルに手を出したのは1995年のことで、家族旅行で行ったオーストラリアでバカラ賭博に初挑戦して、軍資金100万円を2000万円に増やしたといいます。

 

それからしばらくはギャンブルに縁のない生活をしていたものの、40代になってマカオのカジノにはまってしまったのです。

 

当時のマカオは中国に返還され、アメリカなどが資金を投入したこともあって治安と景観が飛躍的に良くなっていました。

 

そのため、友人から「行ってみないか?」と声をかけられた意高氏も、軽い気持ちでマカオを訪れ、カジノに足を運んだそうです。

 

しかし、最初は自分の持って行ったお金だけを賭けて遊んでいたものの、カジノのジャンケット(仲介業者)から融資を持ち掛けられて負けたらその場でお金を借りるという行為を繰り返すうちに、「負けを取り返してやる」という気持ちが強まって泥沼にはまってしまったといいます。

 

さらに日本から直行便で行かれるシンガポールのマリーナベイサンズのカジノにも通うようになり、ここでの一度の賭け金が大きかったことからどんどん借金が膨れ上がり、子会社の資金を流用するようになっていったのです。

 

 

 

大王製紙事件の詳細⑦ 発覚のきっかけと会長辞任

 

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大王製紙事件発覚のきっかけは、2011年9月7日、グループ企業の社員から大王製紙の関連事業部あてに「9月2日に会長の個人名義の口座に3億円振り込みました」というメールが届いたことでした。

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これをもとに調査を進めたところ、グループ会社から意高氏の個人口座に用途不明の送金が多数あったことが判明し、意高氏は2011年9月16日に会長を引責辞任しました。

 

意高氏は電話一本で、子会社の担当部署に自分の口座に資金を振り込むように指示していたといいます。

 

このようなことができた背景には、当時の大王製紙とグループ会社の関係がいびつだったことがあります。

 

当時、大王製紙には37のグループ会社がありましたが、このうちの18社で、株の過半数を大王製紙ではなく創業者一族が取得するという構造があったといいます。そのため創業者一族は子会社に対して絶大な権力を持っていたのです。

 

実は表沙汰になる前に父親の高雄氏は意高氏の借金(子会社からの資金振り込みを、貸し付けというかたちで処理していた)を把握し、持っている株を売るなどして早く返済するようにせっついていました。

 

そのこともあり、総額106億円近かった借金のうち、会長を引責辞任した時点ですでに47億5000万円を返済し、残りが59億3000万円となっていました。

 

 

 

大王製紙事件の詳細⑧ 井川意高氏の逮捕と判決

 

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返済の意思があっても、意高氏が経営者という立場を利用して会社の利益に反する行為を行ったことにかわりなく、これは特別背任罪に該当します。

 

そのため2011年10月には東京地検特捜部が捜査に入り、11月21日には大王製紙側から不正な借り入れをしたとして告発されました。

 

そして11月22日、井川意高氏は特別背任罪で逮捕されます。続いて高雄氏も顧問の職を解かれ、意高氏の弟も取締役を辞任しました。

 

2012年10月10日、意高氏は東京地裁で懲役4年の実刑判決が言い渡され、弁護側が控訴、上告しましたが棄却され、同年6月26日に刑が確定します。

 

なお、獄中での生活を意高氏は手記『溶ける 再び そして会社も失った』でも綴っているのですが、なんと服役中の身でありながら、正規ディーラーに手紙を出してフェラーリを購入したいたといいます。

 

これを渋谷のセルリアンタワーの駐車場に停めておき、出所後に富士スピードウェイまで出向いて乗ってみたものの、いざ乗ってみると価値を見出せなかったとのこと。結局、所有していたポルシェなどとともに売却したそうです。

 

 

 

大王製紙事件のその後① 新社長による創業者一族の排除騒動

 

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大王製紙事件発覚後、佐光正義(さこうまさよし)氏が大王製紙の新社長となりました。

 

二代目の高雄氏は佐光氏に目をかけていたといい、息子に会社を継がせるのが難しいならと自分が育てた社員を指名したといいます。

 

しかし、佐光氏は社長に就任するやいなや手のひらを返し、高雄氏のワンマン経営を良く思っていなかった井高家の親族と手を組み、頻繁にメディアに登場しては創業者一族を批判するようになりました。

 

高雄氏も負けじと新経営陣の無能さをあげつらうなどして反論したのですが、前述のように事件発覚の1ヶ月後には顧問の職を解かれて、会社から追い出されてしまうのです。

 

この頃、新体制となった大王製紙側は創業者一族との資本関係の解消のため、意高氏側は借金返済のために、創業家一族保有の株式を大王製紙に売却しようとしていました。

 

しかし、大王製紙側が提示した金額が低かったため売却を保留。その後に創業家一族保有の大王製紙の株式と子会社の株式を、北越紀州製紙に売却したのです。

 

 

高雄氏と北越紀州製紙VS新経営陣と高雄氏に反旗を翻した親族

 

北越紀州製紙は業界第5位の製紙会社で、現在の名称は北越コーポレーション株式会社といいます。

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なぜ北越紀州製紙に株式を売却したのかというと、北越紀州製紙の社長の岸本晢夫氏は高雄氏と親しく、また以前から「うちと大王製紙が合併すれば、業界3位になれる」と高雄氏に合併を持ち掛けていたためです。

 

もともと大王製紙と北越紀州製紙は長らく友好的な関係にあり、2006年に北越紀州製紙の前身である北越製紙が王子製紙から敵対的買収を仕掛けられた際には高雄氏が援護に出て、王子製紙から守ったという過去も持ちます。

 

北越紀州製紙は大王製紙の子会社の株式だけは大王製紙に譲渡したのですが、この売却により、業界4位の大王製紙が第5位の北越紀州製紙の持ち株会社になるという異様な構造ができてしまいました。

 

そのため、今度は王子製紙が大王製紙創業者一族の持つ株を狙っていることを知った岸本氏は「うちが株を買って大王製紙の安定株主になろう」と助け船を出してくれたのです。

 

さて、保有している株式を北越紀州製紙に売却するにあたって高雄氏は「株を手放す代わりに大王製紙の顧問に復帰する」という条件を提示していました。

 

こうして高雄氏と北越紀州製紙VS新経営陣と高雄氏に反旗を翻した親族、という対立構造が完成。

 

しかし顧問に復職したのも束の間、2014年10月には金融機関へ情報を漏洩させてとして再び高雄氏は顧問解任となります。

 

高雄氏はこれを不服として大王製紙を訴え、創業者一族と新経営陣の関係はいっそう険悪に。結局、2016年に和解したものの2019年に高雄氏が逝去してしまいました。

 

 

現在も創業者一族は大王製紙に戻れていない

 

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一方で北越紀州製紙は高雄氏が顧問の座を追われてからも、佐光氏に合併の話を持ち掛けていました。しかし、高雄氏と近しい岸本氏の会社との合併を佐光氏が受け入れるはずもなく、交渉は決裂。

 

やむなく北越紀州製紙は業界第6位の三菱製紙と子会社統合の話を進めましたが、なぜか寸前になって三菱製紙が統合を白紙撤回してしまいます。

 

岸本氏はこれに対し、「佐光氏が圧力をかけたために統合の話がなくなったに違いない」と指摘、一方の佐光氏も「圧力などかけていない」と反論し、こちらの関係も悪化してしまいました。

 

北越紀州製紙と岸本氏を脅威に感じた佐光氏は、2015年9月に総額300億円の社債を発行しました。

 

この社債は大王製紙の株式と交換できるものとなっており、佐光氏は社債を発行することで北越紀州製紙の持ち株保有率を下げようとしたのです。

 

しかし、北越紀州製紙も黙ってはいません。この社債の発行価格が当時の大王製紙の株価より低いことから「有利発行にあたる」とし、さらに有利発行に必要な株主総会の議決を経ていないことから「違法行為、無効な行為だ」と指摘しました。

 

結局、裁判で佐光氏は「社債の発行は買収目的ではなく、設備投資のため」と主張し、これが認められています。

 

そのため高雄氏が亡くなった後も創業者一族に大王製紙が戻ってくることはなく、2023年現在も社長は佐光氏から若林賴房(よりふさ)氏に代わっています。

 

 

大王製紙事件のその後② 内部告発をした課長が不当解雇される

 

上記の排除騒動の最中に、高雄氏に近かったという大王製紙経営企画部課長の男性が、大王製紙の会計処理の問題を金融庁に内部告発して、解雇されるという事件が起きていました。

 

男性が内部告発をしたのは2012年12月。この2ヶ月後の2013年2月に「会社の秘密を外部に漏らした」という理由で家長の職を解かれて、北海道への出向を命じられたといいます。男性がこの辞令を拒むと、問答無用で解雇されたとのこと。

 

男性は内部告発後の不当解雇は無効だとして大王製紙を訴え、東京地裁は2016年に男性の主張を一部受け入れて「解雇無効」の判断を示し、大王製紙に330万円の支払いと、解雇から判決時までに発生していたはずの給与の支払いを命じました。

 

 

大王製紙事件のその後③ 井川意高氏の現在・借金を返済したのか

 

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井川意高氏は2016年12月14日に出所しており、大王製紙への59億3000万円の返済も完了しているとのことです。

 

事件発覚時、意高氏と高雄氏、意高氏の弟ら家族の持っていた株を売却し、およそ540億円を得ており、そこから59億3000万円を返済したといいます。

 

意高氏本人は自分の職業を「ニートです」と言っていますが、出所後は『東大から刑務所へ』『熔ける 大王製紙前会長 井川意高の懺悔録』などの手記を上梓したり、YouTubeに動画を投稿したりと会社経営とは異なる仕事で収入を得ている様子です。

 

 

 

大王製紙はやばい?なんで業績が悪化している?

 

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大王製紙の2023年3月期の最終損益は、179億円と大赤字でした。2022年3月期は276億円の黒字だったため、1年間で約400億円の損失幅があったことになります。そのため、ネット上では「大王製紙はやばい」と噂されているようです。

 

この原因としてはロシアによるウクライナへの軍事侵攻の影響での原料価格の高騰、円安などがあげられ、売り上げは前年と比較しても横ばいなのですがパルプや木材チップ、石炭などの急騰したために赤字に転じたと見られています。

 

これらの影響は大王製紙にのみ生じるものではありませんから、ウクライナ情勢の悪化以降、多くの企業が商品の値上げを発表してきました。

 

しかし、大王製紙は価格改定の対応が遅れ、同業者から遅れての値上げになったために利益が圧迫されたといいます。

 

また、2022年9月には王子製紙の子会社がボイラー事故を起こしたことも、減収の原因になったと見られます。

 

現在、2024年度の黒字化を目指すと発表されていますが、2023年2月には定員なしで希望退職者を募るなどしており、やはり経営は危ないのではないか、就職先としては避けたほうがよさそう、と囁かれているようです。

 

 

 

大王製紙と大王製紙事件についてのまとめ

 

今回は2011年に発覚した大王製紙事件について、特別背任罪で逮捕された井川意高前会長の経歴や事件発覚のその後、やばいと囁かれる大王製紙の現在を中心に紹介しました。

 

電話一本で会長(社長)の個人口座に多額の現金が振り込まれていたという大王製紙事件。創業者一族に資金を貸しても、資産があるのだから返してくれるのだろうという甘さが招いた事件とも言えます。

 

また、この事件では後に意高氏本人がメディアでギャンブル依存について語るなどしており、改めて依存症の怖さを知る機会になったという人も少なくないようです。

 

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