天橋立の現在!またのぞき転落事故と犯人や会社・場所や観光モデルコースもまとめ

天橋立は、京都府宮津市に位置する日本三景の一つに数えられる湾口砂州です。この記事では天橋立の場所や観光のモデルコースとともに、2024年に起きたまたのぞきの転落事故についても事件性の有無、犯人や会社特定の噂、現在をまとめて紹介していきます。

天橋立の場所・概要

 

出典:https://www.amanohashidate.jp/

 

天橋立は京都府の最北端・宮津市の文珠天橋立公園に位置する、全長3.6kmにも及ぶ湾口砂州です。

 

宮津湾と内湾の阿蘇海を隔てており、宮城県陸奥の松島、広島県安芸の宮島とともに日本三景に数えられます。

 

砂州一帯には約6,700本もの松の木が生えており、日本の美しい海岸の風景「白砂青松」(はくしゃせいしょう)の代名詞とも呼ばれる景観が広がります。

 

また、天橋立は展望台から全景を望むだけではなく、その中を歩いたり、海水浴を楽しめることからも人気が高く、日本でも指折りの人気観光地です。

 

 

アクセス方法としては、京都丹後鉄道の天橋立駅から徒歩約5分、車で向かうのなら宮津天橋立ICから約10分となります。

 

 

天橋立の歴史

 

出典:https://ja.wikipedia.org/

 

天橋立出現は縄文時代まで遡るとされます。およそ7000年前に「縄文海進」と呼ばれる海水面の上昇が起こり、その結果、陸地が海に浸食され、砂礫が堆積していた場所だけが残って砂州になったのが、天橋立の原型です。

 

縄文海進の後も地震や地滑りなどの影響で砂礫が堆積していき、徐々に面積を増やしていったことで現在の天橋立ができあがったとされます。

 

有史以前から現在の場所に位置していた天橋立ですが、景勝地として評価されるようになったのは、奈良時代以降です。

 

百人一首には小式部内侍が詠んだ「大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立」という歌も収載されており、この頃には天橋立の景観の美しさが知られるようになっていたことが見て取れます。

 

また、室町幕府第3代征夷大将軍の足利義満も応永2年に天橋立を訪れたという記録が残っていることから、権力者からも美しい景色が愛されていたことが窺えます。

 

天橋立が日本三景と呼ばれるきっかけとなったのは、江戸時代前期・寛永年間の頃で、林春斎が記した『日本国事跡考』で松島、宮島とともに「三処の奇観」と称したことが最初と言われています。

 

その後、同じく江戸時代には本草学者の貝原益軒が天橋立を旅した紀行文『己巳紀行』で、「其景言語ヲ絶ス、日本の三景の一とするも宜也」と書いたことから、日本三景という言葉が生まれました。

 

こうして風光明媚な場所だと話を聞いた一般の民衆も天橋立を訪れるようになり、江戸時代中期頃から観光地として広く認知されるようになったそうです。

 

明治維新後には国をあげて保全活動が行われ、1952年には文化財保護法に基づいて国の特別名勝に認定。現在まで長く愛されてきました。

 

 

天橋立伝説とは

 

出典:https://www.city.miyazu.kyoto.jp/

 

天橋立には神話や伝説も数多く残っています。

 

『丹後風土記』の逸文によると、「天橋立」は国生みの神であるイザナギノミコトが天から地上に通うためにかけられた梯子だったと記されています。

 

逸文では現在の天橋立の先端を指す言葉として、「天橋立」という呼称を使っており、先端の根本の部分は丹後一宮にあたります。

 

丹後一宮には籠神社があり、イザナギノミコトは籠神社の奥宮にあたる真名井神社の岩に祀られていた女神・イザナミノオオカミの元に通うために、この梯子を使っていました。

 

しかし、イザナギノミコトが居眠りをしている間に梯子が倒れてきてしまい、それが天橋立になったとのこと。

 

そこに丹後半島にいた龍神が土を盛ったできあがったのが、砂州になったとされます。

 

このような言い伝えが残ることから、天橋立は神様と人間、天と地を結ぶ道だと信じられてきました。

 

 

天橋立の観光モデルコース

 

出典:https://www.amano-hashidate.com/

 

明治時代まで、人々は周辺の寺社を参拝するついでに天橋立の景色を楽しんでいたとされます。

 

そのため現在でも天橋立駅周辺には名刹・古刹が多く、これらを巡る観光モデルコースが人気です。ここでは天橋立周辺の観光・展望スポットを紹介していきます。

 

 

①智恩寺

 

出典:https://www.city.miyazu.kyoto.jp/

 

智恩寺は天橋立駅から徒歩約5分の場所に位置し、日本三文殊の一つに数えられます。

 

学問成就のご利益があるとされ、境内からは天橋立が望めることでも知られます。智恩寺も天橋立伝説と縁のあるお寺です。

 

智恩寺には『九世戸縁起』という古文書が伝わっており、このなかには寺の成り立ちについて以下のような説明があります。

 

日本列島をつくった二柱の神、イザナミとイザナギが地上を見下ろすと、丹後半島は荒海神と呼ばれる龍が占拠して、生き物が住むことができなかった。

 

そこで最も優れた智慧を持つ仏である、文殊菩薩を呼び寄せることとなった。海を越えてやってきた文殊菩薩は、1000の時間をかけて荒海神を説得し、龍を改心させた。

 

改心した龍は人々を守ると約束し、やがて丹後半島にも人が定住するようになった。そして人々は文殊菩薩を信仰し、この土地に迎えた。

 

 

②天橋立観光船

 

出典:https://www.amano-hashidate.com/

 

天橋立観光船の乗り場は、智恩寺と目と鼻の先、徒歩約1分ほどの場所にあります。

 

乗り場のそばには「周囲を三回まわると頭が良くなる」という言い伝えを持つ知恵の輪灯籠もあり、観光船からは松並木が楽しめるほかカモメに餌をやることも可能です。

 

 

③天橋立傘松公園

 

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観光船で一の宮桟橋に向かい、ケーブルカー・リフトに乗ると到着するのが数ある展望スポットのなかで最も有名な天橋立笠松公園です。

 

笠松公園にはまたからのぞくことで天橋立が天に向かって延びているように見える「またのぞき」や、かわら投げなどがあります。

 

 

④成相寺

 

出典:https://saikoku33.gr.jp/

 

成相寺は西国三十三ヶ所巡礼の第28番札所で、笠松公園からバスで7分ほど行った場所にあります。

 

山の中腹に位置する成相寺は、もとは修験道の道場だったとされます。

 

本尊は小野小町も信仰したという身代わり観音で、ほかにも鋳造の際に赤ん坊が溶けた銅の中に落ちてしまい、つくと赤ん坊の鳴き声のような音がするという伝承を持つ撞かずの鐘もあります。

 

 

⑤籠神社

 

出典:https://ja.wikipedia.org/

 

籠(この)神社は成相寺から再び笠松公園に戻り、リフトで府中駅に向かい、そこから徒歩10分ほどの場所にあります。

 

籠(この)という字は「かご」とも読みます。籠神社の主祭神である彦火明命(ひこほあかりのみこと)は、籠で作った船で竜宮城にお出かけになった、あるいは籠に乗って雪の中から現れたという言い伝えを持つことから、神社の名にも「籠」の文字が使われるようになりました。

 

しかし、創建時から彦火明命を主神としていたわけではなく、もとは別の神様である天照大神と豊受大神を祀っていたとされます。

 

伊勢神宮以前に天照大神と豊受大神を祀っていたことから、籠神社は「元伊勢」の名でも呼ばれます。

 

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神代の時代、真名井原の地に豊受大神(とようけ)が鎮座していました。真名井原の地というのは現在の籠神社の奥宮にあたる場所です。

 

出典:https://ameblo.jp/

 

第十代崇神天皇が、皇祖神である天照大神の御神霊を宮中から大和国の笠縫邑(かさぬいむら)に移した後、御神霊が落ち着く先を探して訪れたのが、真名井原でした。

 

ここで豊受の饗応を受けた天照は、4年の間、真名井原に留まったとされます。

 

後に天照大神が伊勢の土地に落ち着くまでに、滞在した場所のことを「元伊勢」と呼ぶようになったため、真名井原に創建された籠神社も「元伊勢」と呼ばれるようになりました。

 

ですから、元伊勢というのは籠神社の固有の呼称ではなく、日本各地には元伊勢と呼ばれる場所が複数存在します。

 

しかし、笠縫邑を出て最初に滞在したのが真名井原であったため、籠神社は元伊勢の中でも最高格とされているのです。

 

そのため籠神社の高欄上には、伊勢神宮以外ではここでしか見られないという、青、黄、赤、白、黒の五色の座玉(すえたま)が拝せられています。

出典:https://ameblo.jp/

 

天照大神は伊勢に落ち着いた後、豊受を伊勢に呼んで食事の世話を頼んだとされます。そのため、真名井原から豊受がいなくなり、主祭神として彦火明命が祀られるようになりました。

 

 

⑥天橋立ビューランド

 

出典:https://www.amanohashidate.jp/

 

天橋立駅から南に徒歩5分ほど行った場所にある天橋立ビューランドは、展望スペースのほかに観覧車やサイクルカーなどの遊具もある幅広い世代で楽しめる観光地です。

 

南側からのまたのぞきができるスポットとしても知られます。

 

 

天橋立またのぞき転落事故とは

 

出典:https://www.youtube.com/

 

2024年2月15日16時頃、天橋立笠松公園でまたのぞきをしようとした男性が、一緒に来ていた同僚の男性に突き落とされて、崖下に転落するという事故が発生しました。

 

上でも触れましたが、またのぞきはかがんだ姿勢で股の間から天橋立を見ると、天に向かって砂州が延びて行っているように見えるという独特の眺望スタイルです。

 

古くは大正時代の絵葉書にもまたのぞきをしている女性の写真が使われており、2016年にイグ・ノーベル賞を受賞したことで世界的にも知られるようになりました。

 

笠松公園にはまたぞのきの絶景スポットとして「股のぞき台」が設置されており、多くの観光客がこの台の上でかがんで景色を楽しみます。

 

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この転落事故も、被害者男性が股のぞき台に上ってかがんだところを悪ふざけをした同僚に押されて、台の後ろにある高さ15mの崖を転がり落ちたとされます。

 

現場の崖には転落防止用の鉄製のフェンスが設置されていたのですが、被害者男性はそれを超えて落ちていき、胸を強打。事故後すぐに病院に運ばれ、入院となりました。

 

宮津市の消防によると落下事故での救助要請はここ30年ほど1件もなかったとのこと。

 

公園管理者も「落ちてしまう人はいるが、悪ふざけで故意に押して転落というのは、聞いたことがない」と話していました。

 

股のぞき台には転落防止用の手すりが付けられており、近くに行けばすぐ後ろが崖になっていて危険であることがわかります。打ちどころが悪ければ、命を落としていたおそれもあったでしょう。

 

子どもでも危ないとわかるような状況で他人を押し、怪我をさせたことから、「転落事故」と報じられましたが、「これは傷害事件ではないのか」「殺人未遂では?」といった声もネット上ではあがりました。

 

 

 

天橋立またのぞき転落事故の犯人は?会社や名前は特定された?

 

転落事故が起きた瞬間の監視カメラの動画は、ニュース番組でも流されています。

 

下のANNが公開した動画でも、開始1分くらいから監視カメラの映像が流れているのですが、被害者・加害者ともに顔がわからないように加工されており、氏名も報じられていません。

 

 

報じられているのは、被害者と加害者が同じ会社の同僚であり、知人数名と一緒に天橋立を訪れていたということ。そして、被害者男性は50代ということだけです。加害者については年齢も公開されていません。

 

また、会社の慰安旅行で天橋立に来ていたという報道もありましたが、会社名は報道されていません。

 

 

天橋立またのぞき転落事故に事件性はない?

 

出典:https://www.youtube.com/

 

転落事故が報じられた当初は、殺意を持って突き落としたのではないかとも囁かれていた天橋立の転落事故。

 

監視カメラの映像が公開されると、被害者・加害者ともに普段からこのような悪ふざけをしていたのではないか?との声がネット上では目立つようになります。

 

監視カメラを見ると被害者男性も覗き込む向きが逆であったことから、「本当にふざけていてツッコミ待ちだった可能性もあるかも」「理解できないけど、被害者も押すなよ…的なノリだった?」といった指摘もされました。

 

しかし、殺意はなかったとしても崖から突き落とすという行為をしたわけですから、刑事罰に問われないのか?と疑問に感じる人も多いようです。

 

過去にも新婚夫婦落とし穴死亡事故のように、その場が盛り上がるだろうという軽い気持ちでやったことが原因で人が亡くなった事件はあります。

 

これらの事件では重過失致死などに問われていることもあるため、天橋立の事故も過失傷害に問われるのではないかと指摘されています。

 

ただ、過失傷害の場合は被害者側が告訴しなければ起訴できない親告罪となりますから、天橋立の転落事故の加害者が罪に問われないかもしれません。

 

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2月に時点では警察も傷害事件にあたらないか取り調べをしていると報じられていましたが、その後のことは報道されていませんし、事件性なしと扱われる可能性もあるでしょう。

 

 

天橋立の現在・転落事故の影響で景観が台無しに

 

転落事件後に天橋立に行った人によると、股のぞき台の周辺には下の写真のような看板や案内が貼られるようになっていたといいます。

 

 

笠松公園の運営会社は、事故発生の2日後には注意喚起を訴える看板を設置し、翌3月の1日には地面に幕を張るなどの対応を講じたそうです。

 

さらに公園に向かうケーブルカー・リフトの車内でも「股のぞき台の付近では転落に注意してください」「手すりを利用し、安全に楽しんでください」といったアナウンスが流れているとのこと。

 

運営会社が転落防止策をとるのは素晴らしいことなのですが、絶景を楽しみに訪れた観光客からは「あんなに大きな看板があると、写真も撮りづらい」「せっかくの景観を害する」といった声も出ています。

 

子どもが誤って転落してしまった、立ち眩みがして落ちてしまったなどの事情であれば、看板を受け入れられた人も多かったかもしれません。

 

しかし、今回の事故はいい歳をした大人がふざけて起こしたものであるため、「バカッターやバイトテロと変わらない」「運営会社は事故の加害者に賠償金を求めてもいいのに」といった辛辣な意見がネット上でも目立ちました。

 

宮津市は天橋立の世界遺産登録を目指しているとのことです。

 

2008年の文化審議会文化財分科会の審査では、惜しくも世界文化遺産候補見送りとなりましたが、現在も課題克服に向けて邁進しているといいます。

 

事故が起きたから、目立つ看板が設置されたからという理由だけで世界遺産になれないということはないでしょうが、観光客から「景色が台無しだ」と言われてしまうのは、環境保全に取り組んでいる宮津市にとっては辛いことでしょう。

 

 

天橋立ではほかにも事故が起きていた

 

出典:https://www.youtube.com/

 

転落事故の影響で、日本三景の一つなのに名勝が台無しになったと言われている天橋立ですが、実は地元住民の間では長年、別の迷惑行為が問題になっているといいます。

 

問題となっているのは、天橋立観光船の航路・文殊水道や海上で見られる水上バイクです。

 

水上バイクは岸ギリギリまで水しぶきを上げて近づいてくるため、水をかけられる観光客も多いといい、騒音でも周辺住民を苦しめてきました。

 

さらに観光協会によると、修理したばかりの廻旋橋にも水上バイクによる水しぶきが原因で錆がういてしまったとのこと。

 

宮津市では2020年7月から水上バイクの自主ルールを設け、徐行エリアや停泊、係留禁止区域などを定めましたが、罰則がないために守らない者も多いそうです。

 

2018年には観光遊覧船と水上バイクが衝突する事故も起きており、海上保安官が迷惑行為の取り締まりに出動しているとのことですが、注意を受けても海上保安官がその場を離れるとスピードを出すなどいたちごっこになっています。

 

そのため観光協会は2021年以降も自主ルールを厳しく改定しているといい、またのぞきだけではなく文殊水道付近にも注意看板が多く設置されてしまうおそれがあります。

 

 

天橋立の都市伝説

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多くの神話が残る場所だからか、天橋立一帯とくに籠神社には多くの都市伝説があります。

 

なかでも有名になのが、童謡『かごめ唄』が籠神社との関係です。

 

籠神社の名誉宮司である海部光彦さんによると、『かごめ唄』の歌詞は暗号になっているといいます。

 

歌詞に出てくる「かご」の中に入っているのは豊受大神で、豊受が真名井原に降臨してきた時のことを歌ったのが『かごめ唄』だとのこと。

 

ここまでは宮司が認めていることなのですが、ここから竹などで編んだ籠の目は六芒星の形になる、六芒星といえばユダヤのシンボルになるため、籠神社の秘密にユダヤが絡んでいるという都市伝説が誕生しました。

 

出典:https://ja.wikipedia.org/

 

日本人とユダヤ民族の祖先が同じという「日ユ道祖論」を主張する人たちから、この都市伝説は受け入れられたようです。

 

また、籠神社が以前に△と▽を重ねた紋を使用していたことから、これが六芒星だった、今は使用禁止になった裏紋様があったという説も、籠神社とユダヤ教の都市伝説を後押ししている様子です。

 

ただ、この紋については天と地を結ぶという天橋立の神話をモチーフにしたものであり、六芒星とは関係ないという説もあります。

 

 

天橋立についてのまとめ

 

今回は日本三景の一つである天橋立の場所や歴史、人気の観光モデルコースとともに、2024年1月に発生した転落事故の概要や現在について紹介しました。

 

知人を悪ふざけのつもりで押して、崖下に転落させるという信じがたい事故があったせいで現在は天橋立のもっとも有名な展望スポットである笠松公園に、看板などが設置されてしまいました。

 

安全確保のためには仕方がないとはいえ、やはり景観を害するような場所に目立つ看板があると興ざめする人も多いでしょう。

 

加害者男性には自分の軽はずみな行動で多くの人が迷惑を被っているということを、よく自覚してもらいたいものです。

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