2004年に起こった佐世保小6女児同級生殺害事件を覚えていますか?
今回はこの佐世保小6女児同級生殺害事件の概要とその事件の被害者である御手洗怜美さんの家族(父親・母親・兄弟)と経歴や小学校、犯人の辻菜摘(ネバタたん)との関係・トラブル、葬儀や家族のその後と現在をまとめました。
この記事の目次
御手洗怜美は佐世保小6女児同級生殺害事件の被害者
出典:x.com
御手洗怜美(みたらいさとみ)さんは、2004年6月に長崎県佐世保市で起こった佐世保小6女児同級生殺害事件の被害者です。
御手洗怜美さんは、小学6年生の時に学校内で同級生の女子児童である辻菜摘にカッターナイフで切り付けられ死亡しました。
小学校の中で小6女児が同級生の小6女児を殺害するというセンセーショナルな事件は、世間を震撼させ、マスコミはこぞってこの事件を報じました。
御手洗怜美が被害者となった佐世保小6女児同級生殺害事件とは
出典:youtube.com
2004年6月1日、長崎県佐世保市にある佐世保市立大久保小学校で殺人事件が発生しました。
<佐世保小6女児同級生殺害事件>
・発生日時:2004年6月1日
・場所:佐世保市立大久保小学校
・被害者:御手洗怜美さん(小6・当時12歳)
・犯人:辻菜摘(小6・当時11歳)
・犯行:殺人
事件の発生
2004年6月1日、4時間目の授業が終わり、給食の準備をする12時15分ごろ、犯人の辻菜摘は御手洗怜美さんを教室から約50m離れた学習ルームに呼び出しました。
辻菜摘は学習ルームのカーテンを閉め、御手洗怜美さんを椅子に座らせました。
辻菜摘は御手洗さんの背後に立ち、手で御手洗さんの目を覆った状態で、カッターナイフで首を切りつけました。御手洗怜美さんは椅子から立ち上がり、両手を振って抵抗しましたが、辻菜摘は抵抗する御手洗さんを何度も切りつけて殺害しました。
御手洗怜美さんが床に倒れた後も、辻菜摘は身体を触ったり、御手洗さんが動かなくなったことを確認し、自分の手に着いた返り血を拭いたりしてから、自分の教室に戻っています。
御手洗怜美さんを発見
辻菜摘が御手洗怜美さんを殺害して、自分の教室に戻ったのが12時35分。ちょうどこの時、教室では給食の準備が終わり、「いただきます」とみんなで唱和するタイミングでした。
担任の教員がこの時、教室内に御手洗怜美さんと辻菜摘がいないことに気づきますが、同時に廊下を走ってくる足音が聞こえました。
そして、教室の入口に返り血を浴び、カッターナイフと血まみれのハンカチを持った辻菜摘が立ったのです。担任は辻菜摘からカッターナイフを取り上げ、血まみれだったためにケガをしていないかを確認しました。そして、辻菜摘に何があったのかを尋ねると、辻菜摘は次のようにつぶやき、学習ルームの方を指さしました。
担任が学習ルームに駆け付けると、御手洗怜美さんが床に倒れているのを発見します。この時点で、御手洗さんはまだ息をしていたそうです。学習ルームは壁にも血が飛び散り、入口に折れたカッターナイフの刃が落ちていました。
担任は御手洗さんを抱きかかえて止血をするのと同時に、「救急車!救急車!救急車!」と叫んで、救急要請しています。
救急車到着以降
担任の救急要請を聞いたほかの教員がすぐに職員室に飛び込んで教頭に報告しますが、教頭はすぐにはその状況を理解することができず、自ら学習ルームに向かいます。
そして、現場の状況を目にした後、12時43分に119番通報をしました。また、その後すぐに御手洗怜美さんの父親にも連絡を入れています。
救急車は119番通報から8分後の12時51分に到着しましたが、この時点で救急隊員は病院への搬送を諦め、警察に通報しました。
この頃、犯人の辻菜摘は1人で廊下に立っていて、それを見たある教師が保健室に連れて行きます。そして、警察が到着した後は校長室で事情聴取を行い、自分が御手洗怜美さんを殺害したことを認めました。
翌日には警察から長崎少年鑑別所に移送され、事件から3ヶ月後の9月15日に児童自立支援施設送致が決定され、栃木県にある国立きぬ川学院に移送・入所し、生活指導・自立支援が行われています。
犯人の辻菜摘(ネバタたん)はすでに社会復帰
出典:udn.com
佐世保小6女児同級生殺害事件の犯人の辻菜摘は、行動の自由を制限する「強制措置」を認める保護処分になり、2004年9月16日に栃木県にある児童自立支援施設の国立きぬ川学院に入所しました。
国立きぬ川学院ではほかの入所者とは離れて生活をしていましたが、反抗的な態度はなく、模範的な児童として生活していました。
そして、2008年春に施設内の中学校を卒業すると、児童自立支援施設を退所して社会復帰しています。つまり、すでにごく普通の生活をしているということになります。
いくら事件当時、小学6年生の11歳だったとはいえ、人を一人殺しておきながら、たった3年半で社会復帰できるというのは、御手洗怜美さんやそのご家族はやり切れないものがあるのではないでしょうか。
未成年ですから、わかりやすい鮮明な顔写真は公開されていませんし、社会復帰する時に「辻菜摘」という名前は変えているでしょうから、周囲の協力さえあれば、少しずつごく普通の生活に戻ることができるはずです。
2024年で辻菜摘は32歳になります。どこかの企業で正社員として働いているかもしれないし、結婚して子供がいるかもしれません。
御手洗怜美の死因
御手洗怜美さんは2004年6月1日に、佐世保市立大久保小学校の学習ルームで犯人の辻菜摘に殺害されました。死因は失血死です。
長崎大学医学部で司法解剖が行われ、死因が解明されました。
2004年6月1日、長崎県佐世保市の小学校で、6年生の女児が同じクラスの女児を特別教室に呼び出し、首をカッターナイフで切りつけて失血死させた。
御手洗怜美さんは犯人の辻菜摘に背後からカッターナイフで首を切り付けられましたが、首の傷は深さが10cm、長さ10cmにも及んでいました。一般的な大人の首の太さは直径13~15cmですので、小学校6年生の女児の首はもっと細かったはずです。
担任教師が学習ルームに駆け付けた時には息があったそうですが、それから約15分後の12時51分に救急者が到着し、救急隊が現場に駆け付けた時には救急隊員は御手洗怜美さんを病院に搬送することを諦めています。
救急隊員はよほどのことがない限り、病院に搬送します。病院に搬送せずに警察に連絡するのは、「明らかに」死亡していると判断できる時だけです。
・頸部や体幹部が切断されている場合
・全身に腐敗が見られる場合
・四肢の硬直や死斑がある場合(ほかにも項目はある)
御手洗怜美さんはこのどれかに当てはまっていたということになります。死亡してから30分程度だと腐敗や死後硬直は起こりません。
ということは、頸部がほぼ切断された状態だった可能性が一番高いです。成人の首の太さは直径13~15cm。小6女子の首の傷が深さ10cm、長さ10cmにも及んでいたら、頸部はほぼ切断されていたと考えるのが自然です。カッター1つで、ほぼ頸部を切断したなんて、それだけ御手洗怜美さんへの強い殺意があったのでしょうか。
また、御手洗怜美さんの左手の甲には骨が見えるほどの深い傷がありました。この手の甲の傷は、辻菜摘からの攻撃を防ごうとしてできた傷(防御創)と見られています。
御手洗怜美の家族:父親・母親・兄弟
御手洗怜美さんは5人家族でした。
・父親(御手洗恭二さん)
・母親
・長兄
・次兄
・御手洗怜美さん
父親は事件当時、毎日新聞の佐世保支局長をしていました。佐世保市の地元で大手新聞社に所属するマスコミ関係の仕事をしていました。
母親は事件当時はもう他界しています。事件の3年前に乳がんの再発で亡くなったんです。「再発」ということは、それまでも乳がんの闘病生活を続けていたのでしょう。御手洗怜美さんが小学3年生の時に亡くなったんですね。
父:妻は、事件の3年前に、乳がんの再発で亡くなりました。それから先は、私が食事を作り、子どもを送り出す生活でした。
2人の兄は事件当時は大学生と中学生でした。大学生の兄は、母親が亡くなって半年後に長崎県外の大学に進学していました。中学生の兄は御手洗怜美さんの3つ上で、事件当時は中学3年生になっていました。
事件当時は父親と次兄と3人暮らし
出典:saga-s.co.jp
御手洗怜美さんとそのご家族は、佐世保小6女児同級生殺害事件の時は佐世保市内で怜美さんと父親、次兄の3人で暮らしていました。
前述の通り、母親は3年前に他界していて、長兄は県外の大学に進学していたためです。
母親が亡くなって、長兄が県外に進学したことで、父親の恭二さんは職場と住居が一体になっている毎日新聞佐世保支局に異動希望を出して、引っ越してきました。
妻が亡くなったときは佐世保にいませんでしたが、職場と住宅が一体となっているところを探し、希望して佐世保支局に行きました。
職場と住宅が一体になっている場所なら、シングルファザーでも仕事をしながら子育てができると考えたのでしょう。
この佐世保支局の3階が住居になっていて、御手洗怜美さんが通っていた大久保小学校からは750mの距離にありました。
御手洗怜美さんは父親と次兄の3人暮らしでしたが、佐世保支局では支局員2名+アルバイト1名が働いていたので、6人暮らしのような感じだったとのことです。
兄が事件を知らされた時の様子がリアル
佐世保小6女児同級生殺害事件が起こった時、御手洗怜美さんの父親は教頭から連絡を受けすぐに学校に駆け付けました。警察が現場に到着するよりも早く、怜美さんの父親は現場に到着しています。
一方で、中学3年生だった次兄は事件発生時、中学校にいました。
5時間目の時に担任に呼ばれ、校長室に連れて行かれました。そして、紙に印刷されたインターネットのニュースを渡されたんです。
兄:事件を知ったのは、当日のちょうど13時、5時間目のときですね。担任の先生から「御手洗、校長先生から話がある」と呼ばれました。「なんや? 俺、悪いことしてないんだけどな」と。
中学校で5時間目をやっている時には、すでにネットニュースになっていたということですね。12時59分に父親が現場に到着して、その後に警察が到着しています。父親がマスコミ関係者だったという事情もあると思いますが、あまりにも早いニュースリークですよね。
その後、兄は妹の御手洗怜美さんが殺害されたという事実を知っただけでほかの情報はない状態で、ずっと校長室で先生たちに囲まれながら16~17時まで無言で校長室で座っていました。
兄:16時か17時くらいまでは、無言で先生方に囲まれていました。2~3時間、ただひたすら座って、黙っていなければいけない。正直、脱出方法はないかと考えていました。周りでは、女の先生は泣いていますし、男の先生もうつむいて何も言いません。自分自身は、泣くまでにはいたらないんですよね。情報だけしか頭のなかに入っていないから、それを感情表現する手段を持ち合わせていなかった。
この無言で先生に囲まれていたけれど自分は泣くことはなかったというのが、とてもリアルですよね。
警察で事情聴取を受けた父親が迎えに来た時には、兄は自分や妹の怜美さんの事よりもまず父親を心配しました。
兄:まず、自分の目を見ていない。目が泳いでいるんですよ。ストレートな言い方をすると、「この人、自殺するかもしれない」と、純粋に思いました。
妹を亡くし、さらに父親の自殺の心配まですることになった次兄も、佐世保小6女児同級生殺害事件の被害者と言えるでしょう。
御手洗怜美の経歴・小学校
出典:youtube.com
御手洗怜美さんは1992年に生まれました。
小学4年生の頃に、佐世保市に引っ越してきて、市立大久保小学校に転校します。映画研究クラブとミニバスケットボールクラブに所属していました。
また、ご家族によると次のような子供でした。
・好きなアーティスト:SMAP、宇多田ヒカル、175R
・好きなファッション:ヒョウ柄、ズボンやGパン
・好きな教科:国語(漢字が得意)
・嫌いな教科:体育
・好きな漫画:ワンピースやナルト
・好きな本:ハリーポッター
・好きなテレビ:SMAP×SMAP
・好きな食べ物:ジャガイモ(肉じゃが、カレー)、焼肉
こう見ると、御手洗怜美さんはごく普通の小学6年生の女の子だったことがわかります。
御手洗怜美と犯人の辻菜摘にはトラブルがあった
被害者の御手洗怜美さんと犯人の辻菜摘さんの関係性を見ていきましょう。もともとは仲が良い友達でしたが、事件前には2人の間にトラブルがあったようなんです。
仲が良い関係だった
出典:x.com
被害者の御手洗怜美さんと犯人の辻菜摘は、市立大久保小学校の同級生でした。
2人は一緒にコミュニティーサイトのウェブサイトを運営していましたし、ミニバスケットボールクラブも一緒でした。6年生になってからは辻菜摘が主導して2人は自分のホームページを立ち上げ、お互いに掲示板に書き込みをしたり、チャットしたりと良い関係だったことが分かっています。
また、怜美さんの自宅に辻菜摘が遊びに来ることもあり、怜美さんの次兄とも交流があったとのこと。2人ともパソコンが好きで、特に辻菜摘はパソコンが得意だったことから、怜美さんは辻菜摘を師匠のように思っていたという家族の証言もあります。
2人は共通の趣味を持つクラスメイトとして仲が良かったんです。
おんぶがきっかけでトラブルに
出典:youtube.com
御手洗怜美さんと辻菜摘の間にトラブルが発生したのは、「おんぶ」がきっかけでした。
事件の直前の2004年5月下旬、遊びの中で御手洗怜美さんは辻菜摘を「おんぶ」しました。その時に、怜美さんは「重い」と言ったんです。その言葉が思春期の小6女子にはショックだったようで、辻菜摘は「失礼しちゃうわ」と言いました。
この言い方が気になった御手洗怜美さんは自分のホームページの掲示板に「言い方がぶりっ子」と書き込み、辻菜摘をからかいました。
それを見た辻菜摘は交換していたパスワードを使って削除し、そこからトラブルが深刻化していきます。
おんぶをして怜美さんが「重い」と言う
→辻菜摘が「失礼しちゃうわ」
→怜美さんが「言い方がぶりっ子」と掲示板に書き込み
→辻菜摘がそれを削除
→怜美さんが再び同じ書き込みをする
→怜美さんが自分のサイトを書き換えられたことを「あの人がやってる」のように書き込む
→辻菜摘が怜美さんのアバターを削除した
→怜美さんがブログにサイトが改ざんされたことを報告
→辻菜摘が怜美さんのサイトを初期化
→怜美さんがそれをブログで報告
このようなトラブルは最初は思春期女子にありそうなものですが、どんどん深刻になっていき、取り返しがつかない状態になっていることがわかります。
手書きの交換日記でもトラブルに
出典:x.com
このおんぶから発生したネット関係のトラブルだけでなく、手書きの交換日記でも御手洗怜美さんと辻菜摘の間にはトラブルが発生しました。
御手洗怜美さんは辻菜摘、ほかの同級生女子数人は手書きの交換日記をしていました。その中で、辻菜摘は「Next○○」という言葉を使いだし、それが交換日記の中で流行ったことがありました。しかし、辻菜摘はこの「Next○○」という表現をほかの子が使うことを禁止しました。
御手洗怜美さんはその禁止に対して反論し、怜美さんと辻菜摘の決裂は決定的なものになったんです。
事件当日の2時間目の休み時間に、御手洗怜美さんは友人を経由して、交換日記を抜けたいと辻菜摘に申し出ています。
御手洗怜美は兄に相談していた
出典:mainichi.jp
御手洗怜美さんは次兄に辻菜摘さんとのトラブルを相談していました。
辻菜摘は怜美さんの家に遊びに来て、次兄と会ったことが何度かあるので、怜美さんも相談しやすかったのでしょう。
また、怜美さんは辻菜摘のことをブログでは「ドーセアノ人がやっているんだろぅ。フフ。 アノ人もこりないねぇ。」のように余裕の態度・強気の姿勢を見せていますが、仲の良い家族の次兄に相談するほど、辻菜摘とのトラブルを悩んでいたのでしょう。
犯人の辻菜摘は殺害を計画
ウェブサイトで「ぶりっ子」の書き込み(怜美さん)→削除(辻菜摘)→再書き込み(怜美さん)の中で、辻菜摘は怜美さんに殺意を抱きました。
そして、犯人の辻菜摘はその3日前の土曜日(5月29日)に御手洗怜美さんを殺害することを決めたと供述しています。ただ、月曜日は代休で学校が休みであり、月曜日に殺害するとバレると思って、火曜日(2004年6月1日)に実行することにしたとのことです。
御手洗怜美の葬儀
御手洗怜美さんの葬儀の時、父親は自分では立って歩けないほど憔悴していました。
突然、最愛の娘を亡くすという事態に直面し、さらに警察での事情聴取を受け、葬儀の手配を行いながら、マスコミ対応をしなければいけないのですから、憔悴しきるのは当然のことでしょう。
怜美さんの父親は葬儀の前にマスコミ対応を断ることなく、記者会見を行っています。
・マスコミから家族を守りたかった
この2つの意識があったから、憔悴しきった状態でも記者会見を開いたとのこと。父親自身がマスコミの人間だからこそ、マスコミの怖さを知っていたのでしょう。
御手洗怜美の家族のその後と現在①:兄は精神のバランスを崩した
出典:mainichi.jp
御手洗怜美さんの家族の中で、残された2人の兄は妹の怜美さんの死に苦しむことになります。
長兄は大学進学で県外に出ていましたが、母親の死後、「家族から逃れたい」という思いで県外に出たことが妹の死の原因ではないかと苦しんだそうです。
母の死後、家族から逃れたいと長男は大学進学を理由に家を出る。事件の後、この「逃げた」ことが妹の死の原因ではないかと悩む。
引用:小6の妹が同級生に 命を奪われ 、 心に傷を負った 兄2人のその後は…「佐世保小6殺害事件」遺族のノンフィクション(レビュー)(Book Bang) – Yahoo!ニュース
また、次兄は事件後に父親の転勤で福岡市の高校に進学しますが、保健室登校がやっとの状態になってしまいます。父親が仕事をしっかりできるようになるまで回復したことで、自分自身と向き合うようになりました。そして、妹の怜美さんから辻菜摘とのトラブルを相談されてアドバイスしたことに自責の念を感じるようになるのです。
悩みの中心は、さっき言った、妹の相談へのアドバイスと、その後の事件。「俺、あのとき、なんてアドバイスしていたら良かったんだ?」と自問自答を繰り返す日々が始まりました。自分のなかで答えを出せない方向に走ってしまった。自分をかなり責めましたね。
次兄は父親と共にカウンセリングに通いますが、カウンセリング自体は何も役には立たず、大学2年生の時に毎日新聞の記者に話を聞いてもらうことで、自分の考え・思いを言語化することができ、気持ちが楽になったそうです。
御手洗怜美の家族のその後と現在②:父と兄は講演活動に
出典:mainichi.jp
御手洗怜美さんの父親と次兄は、その後に講演活動を行っています。
犯罪被害者遺族として、その時の経験を話したりすることで、犯罪被害者の権利を守ること、支援の必要性を訴えています。
また、兄が毎日新聞記者に語る形で本を出版しています。
・謝るなら、いつでもおいで: 佐世保小六女児同級生殺害事件
・僕とぼく 妹の命が奪われた「あの日」から
これは、父親が毎日新聞社員であり、事件前から親しくしていて身近にいた記者だからこそ書くことができたノンフィクションだと思います。
御手洗怜美の家族のその後と現在③:犯人の辻菜摘からの謝罪はまだない
出典:amazon.co.jp
佐世保小6女児同級生殺害事件の犯人の辻菜摘は、2008年春に社会復帰していますが、御手洗怜美さんの家族にはまだ謝罪していないようです。
兄の話を本にした毎日新聞記者の川名壮志氏は2017年の講演の中で、次のように怜美さんの兄の言葉を語っています。
「もし彼女が謝罪に来るのなら、会うのが怖いという感情は僕にはない。きちんと会うべきだと思う。僕も相手も、対等な関係で」
この言葉が2017年に語られたということは、この時点では辻菜摘は御手洗怜美さんの家族に謝罪していないということになります。
手紙では謝罪しているのかもしれません。心の中では謝罪しているのかもしれません。でも、怜美さんの家族がこのように言ってくれているのに、謝罪がないというのは、きちんと罪に向き合っていない、謝罪の意思がないと思われても仕方がないかもしれませんね。
御手洗怜美のまとめ
佐世保小6女児同級生殺害事件の概要と被害者の御手洗怜美さんの死因、家族(父親・母親・兄弟)と犯人の辻菜摘との関係・トラブル、葬儀や家族のその後と現在をまとめました。
御手洗怜美さんのご冥福をお祈りするとともに、ご家族が心安らかに過ごされることを願います。