八木茂は1999年に発覚した本庄保険金殺人事件の犯人で、武まゆみら愛人を使って2人を殺害しました。この記事では八木茂の起こした事件や生い立ち、家族、結婚、子供、死刑判決が下されてから現在どうしているのかなどを紹介していきます。
この記事の目次
八木茂は本庄保険金殺人事件の犯人
八木茂は1994年から1999年にかけて3度にわたって保険金目的で殺人事件を企て、2人を殺害して多額の保険金を得た保険金殺人の犯人とされる人物です。
八木は自分の愛人であった武まゆみ、森田考子、アナリエ・サトウ・カワムラ(フィリピン人)の3人を使って被害者男性を巧みに騙して複数の生命保険に加入させ、そのうえで殺害し、3億円もの大金を手入れました。
八木は被害者殺害にトリカブトや風邪薬を使用しており、警察が遺体の司法解剖をしても他殺とはわからなかったといいます。
そのため八木の3人目のターゲットとされていた男性が保険金殺人に気づいて警察に助けを求めても、なかなか逮捕に至りませんでした。
疑惑の人物としてマスコミに注目された八木は、自らが経営する埼玉県本庄市内のスナックに記者を集め、連日にわたって有料の記者会見を開いて無罪を訴えていました。
記者会見の様子は報道され、自分の有罪を疑う毎日新聞の記者を暴行することなどもあったことから、八木は世間の注目を集めます。
最終的には八木の共犯者でもある愛人が保険金殺害を自供したことから、本庄市保険金殺人事件は解決し、八木茂には死刑判決が言い渡されました。ところが八木は現在も無実を訴えており、未だに死刑は執行されていません。
八木茂が起こした本庄市保険金殺人事件の詳細① 第一の被害者
本庄保険金殺人事件の最初の被害者となったのは、佐藤修一さんという当時45歳の男性でした。
佐藤さんは隣町のパチンコ店に勤めていたといい、1985年のある日、八木が本庄市内で経営するスナックに客として訪れたことから保険金殺人のターゲットにされました。
八木は、佐藤さんの接客に当時まだ18歳であった愛人の武まゆみをつけました。美人の武にすっかりのぼせ上がってしまった佐藤さんは請われるままに酒を注文し、店を出るころにはとても払えない額まで会計が膨らんでしまったそうです。
するとそこに八木が現れ「ツケておきましょうか」と声をかけてきました。佐藤さんは八木に感謝して、その日は何事もなく帰宅したとされます。
一見、親切に見える八木の行為ですが、実は佐藤さんを常連客にするための手管でした。
案の定、武に会いたさに休みのたびに佐藤さんはスナックに向かうようになり、ツケは300万円にもなっていきます。
通常ならばここまでツケが膨れ上がる前に、店のオーナーが激しい取り立てを行うものですが、八木は取り立てるどころか毎回「ツケでいいよ」と佐藤さんを見送り、信頼を獲得していったのです。
そしてある時、八木は佐藤さんに「わざわざ店まで通うの大変でしょう。住む場所も仕事も用意できるから、こっちに引っ越したらどうですか?武も喜びますよ」などと言って、佐藤さんを本庄市内に転居させます。
ツケも返せていないのにこのような申し出までしてくれたことに感激した佐藤さんは、八木に紹介されたアパートに住み、八木に紹介された鉄工所で工員として働きだしました。
優良とは呼べないような支払いを焦げ付かせた客に対し、八木がこのような態度をとったのにはもちろん裏があります。
そうとも知らず、佐藤さんは毎晩のように武に会いにスナックを訪れてしまいました。
八木は住む場所も仕事も完全に掌握したうえで、佐藤さんに「実は、店で働いているフィリピン人ダンサーに長期ビザを取得させないといけなくなった。偽装結婚してもらえないだろうか」と相談します。
八木に借りがある佐藤さんは、できれば八木の頼みを聞きたいところですが、偽装とはいえほかの女性と結婚してしまえば武と結ばれる可能性は万に一つもなくなってしまう、と思い悩みまました。
すると察したように八木が「もちろん、籍だけいれたらすぐに離婚してくれて構わない。ちなみに武もこの話を知っていて、偽装結婚の件が片付いたらあなたと結婚したいと言っていた」と背中を押してきたそうです。
武との結婚をちらつかせられた佐藤さんは、偽装結婚を承諾します。
しかし、八木の愛人である武に佐藤さんと結婚する意志などなく、偽装結婚の相手も八木の愛人であるアナリエだったのです。
多額の生命保険と殺害計画
1990年12月、佐藤さんはアナリエとの婚姻届を提出しました。そして、それを確認した八木は佐藤さんに生命保険の加入を勧めます。
最初は渋った佐藤さんですが、そのたびに武との結婚をちらつかせて言いくるめられてしまいました。
こうして気が付いた時には、3億円近い生命保険に加入。保険金の受取人は、書類上とはいえ妻のアナリエでした。
準備が整った八木は、まず過労死を装って佐藤さんを殺害しようとします。アナリエと武に殺害計画を伝えてうえで、八木は佐藤さんの勤務先に手をまわし、月100時間を超える残業をさせるように工作しました。
さらに借金返済を要求して、佐藤さんにアルバイト先を紹介。日中は鉄工所で働いて残業までしたうえで、それが終わったらアルバイト、そして日付が変わるころには武に呼び出されてスナックに向かい、酒を飲まされ続けるという日々が続きます。
このような暮らしを続けたせいで日中も佐藤さんはアルコールが抜けず、勤務中に事故死するか、過労死するのではないかと八木は考えたのです。
ところが八木の予想に反して佐藤さんはとても丈夫な心身を持っており、まったく衰弱する様子を見せません。
そのため八木は過労死を諦め、タバコで煮出したニコチン入りのコーヒーをアルコールで割ったものを武に作らせて佐藤さんに飲ませるという、「成人病作戦」という作戦で佐藤さん殺害を目論見ます。
とても飲めたようなものではない味でしたが、佐藤さんは武が手作りしてくれたものだということで我慢して飲み干したといいます。
これを飲ませ続ければ佐藤さんもすぐに弱るだろう、と八木は楽観していましたが、なんと佐藤さんはこのニコチンコーヒーのアルコール割を飲み続けても体調を崩さず、半年が過ぎていきました。
佐藤さん殺害
まったく亡くなる気配を見せない佐藤さんに業を煮やした八木は、山中で猛毒を持つトリカブトを採取して、これを細かく刻んでアンパンに混ぜ込み、佐藤さんに食べさせました。
その後もトリカブトの混入した食べ物を摂取させられ続けた佐藤さんは、次第に弱っていきました。
しかし、佐藤さんが弱っていく様子を見た八木は「トリカブトで死んだとなると、警察に他殺だと疑われるのではないか」ということに気づきます。
そこで、武を使って佐藤さんを自殺に見せかけて殺害することに決めたのです。
この頃になると流石に佐藤さんも過労とトリカブトの毒で衰弱しており、八木への借金の返済にも悩むようになっていました。
そこで八木に命じられた武が佐藤さんに近づき、「借金は踏み倒して2人で逃げよう、どこか田舎で2人でやり直そう」と声をかけたのです。
武に惚れ込んでいた佐藤さんはこの言葉に感激し、言われるままに勤務先に電話し、うつ病を装って退職を申し出ました。
そのうえで弱った佐藤さんにさらにトリカブトを摂取させ、ぐったりしたところを車で運び出して利根川に投げ込んだのです。こうして1995年6月3日に佐藤さんは亡くなります。
そしてその2日後、アナリエが妻として警察に佐藤さんの捜索願を出しました。
数日後には利根川で佐藤さんの遺体が発見されますが、遺体からはトリカブトは検出されず、さらに佐藤さんが多額の借金を抱えてうつ状態だったということから、警察は自殺の可能性が高く、事件性はないと判断してしまいます。
八木茂が起こした本庄市保険金殺人事件の詳細② 第二の事件
佐藤さんにかけていた3億円近い保険金を手にした八木は、この金を資金に本庄市内で「エンショップK商事」という街金を開業します。
しかし経営はうまくいかなかったらしく、資金調達のために再び八木は保険金殺人を企てました。
ターゲットとなったのは当時59歳のパチンコ店定員・森田昭さんと当時38歳の塗装工・川村富士美さんの2人。
八木は2人にも借金をさせたうえで森田昭さんを愛人の森田孝子と結婚させ、川村さんをアナリエと結婚させました。
そしてそれぞれ妻を受取人とした生命保険をかけさせ、今度はアルコール度数96%を超える酒と大量の風邪薬をサプリメントと称して飲ませたといいます。
結果、1999年5月29日に森田さんが衰弱して死亡。森田さんには1億7000万円の保険金が掛けられていました。
八木茂が起こした本庄市保険金殺人事件の詳細③ 発覚
またしてもうまくいくかと思われた八木の計画でしたが、森田さんが亡くなった翌日の30日に川村さんが八木の企みに気づき、入院していた病院の看護師に頼んで警察に通報します。
警察は直ちに火葬寸前だった森田さんの遺体を回収して司法解剖しましたが、風邪薬の摂取が死因だと証明することはできませんでした。
こうして八木は容疑をかけられながらも決定的な証拠がないために野放しとなり、マスコミからも保険金殺人の容疑者として注目を集めます。
そして203回にも渡って有料会見を開き、1,000万円以上の金を荒稼ぎしたのでした。
しかし、警察もいつまでも手をこまねいてはおらず、2000年3月24日に八木茂と3人の愛人の逮捕に踏み切ります。
ただ、この時も依然として被害者殺害の方法が明らかになっていなかったために、4人は公正証書原本不実記載容疑という別件での逮捕でした。
公正証書原本不実記載容疑、つまり保険金殺人ではなく偽装結婚を理由に逮捕された八木は、集まる報道陣に対して「すぐに釈放されて戻ってくるから、また会見よろしく」と、笑顔を振りまいて警察に連行されていきました。
八木の身柄を拘束したものの、保険金殺人についての物証は見つからないまま。警察は焦りましたが、なんと共犯者であった武まゆみが保険金殺人について自供したこと、で事件は急展開を迎えます。
こうして八木と愛人3人は、前述の容疑にくわえて殺人と保険金詐欺の容疑でも再逮捕されるに至ったのでした。
八木茂と武真由美ら愛人らの生い立ち・関係
八木茂は1950年1月10日に埼玉県本庄市内で誕生しました。
幼馴染だという男性の証言によると、幼少期の八木は気弱な印象だったといい、どちらかといえばいじめられっ子タイプでとても殺人事件を起こすような少年には見えなかったといいます。
しかし、成長する間に何が起きたのかは不明ですが、高校を出てトラック運転手として働き出す頃には打って変わって粗暴な印象になっていたそうで、背中に刺青まで入れていたとのことです。
武まゆみとの関係
1980年代の頭、30代の初めで八木はスナックの経営を始めており、愛人の1人である武まゆみは開店当時からこの店で働いていました。
武まゆみは1967年生まれと八木とは歳が離れていますが、お互いの両親が知り合いだったため幼いころから面識があったそうです。
武は中学を卒業したのちに美容学校に進学したもののすぐに中退しており、その後は本庄市内の美容院で働くなどしたもののこちらも長続きせず、そこに八木から「うちの店で働かないか」と声をかけられたといいます。
そうしてスナックのオーナーと従業員として接していくうちに、2人は肉体関係を持つようになりました。
このスナックを皮切りに八木は市内にカラオケ店や居酒屋をいくつか経営し始めるのですが、1988年に開業した居酒屋を1995年には武に売却したという体で譲渡しています。
武はこの居酒屋を「マミー」という小料理屋として経営しており、愛人であるとともに八木のビジネスパートナーでもあったことが窺えます。
アナリエ・サトウ・カワムラとの関係
八木の2人目の愛人であるアナリエ・サトウ・カワムラは、フィリピンから仕事を求めて来日し、やはり武と同じスナックで働いていたといいます。
このスナックは後に経営不振に陥っており、一時期は八木が知人に経営権を譲渡していたもののうまくいかず、本庄保険金殺人事件発覚前の1994年8月にはアナリエに経営を任せていました。
つまり彼女も愛人であるとともに八木のビジネスパートナーでもあったのです。
森田考子との関係
3人目の愛人である森田孝子も武やアナリエと同じスナックで働いており、彼女は八木との間に子供までもうけていました。
この子供の存在は武やアナリエも知っており、それどころか3人はお互いが八木の愛人であることを容認していたといいます。
八木茂の人物像
八木は3人の愛人を自分が経営する「エンショップK商事」でも事務員として働かせていました。
3人は互いの存在を容認していただけではなく、八木に本妻がいること、ほかにも愛人がいることを知ったうえで命じられるままに働いていたといいます。
このようなことができたには、八木が稀代の「人たらし」だったからでした。
八木を取材し続けた記者の小林俊之氏によると、八木は恫喝と懐柔を繰り返して相手を自分の支配下に置き、かと思えばいきなり胸の内を明かしてきたりと人の心を掴む術に長けていたそうです。
そのため街金やスナックなどの敵の多そうな商売に手を出しても危険な目に逢うことなく、いざこざもうまく切り抜けていたといいます。
八木茂の裁判と判決
愛人たちの証言だけが証拠という苦しい状況でしたが、2000年12月13日、25日にさいたま地検は八木と3人の愛人を殺人罪や詐欺罪などで起訴しました。
八木は2001年3月30日に開かれた初公判で無実を訴え、愛人の自供を全面否認します。
八木の弁護側も「佐藤さんを死に至らしめたというトリカブトの存在も、森田さんを死に至らしめたという風邪薬の大量摂取も、すべて物証や科学的根拠がない」と反論しました。
しかし、2002年10月1日にさいたま地裁は八木茂に死刑判決を言い渡します。被害者にかけられていた常軌を逸した額の生命保険や偽装結婚などの事実から、愛人らの証言は信憑性が極めて高いと判断されたのです。
なお、八木は被害者にかけていた多額の保険金に対して「佐藤さんのツケは毎月60~80万円にもなっていて、こちらとしても痛い金額だった。そのため万が一、完済前に亡くなるようなことがあっても回収できるように保険に入ってもらっただけ」などと説明していました。
つまり、殺害前提に生命保険に加入させたのではなく、生命保険に加入してもらったら、たまたま亡くなったと主張したのです。
死刑確定
一審での死刑判決の後、八木と弁護側は無実を訴えてすぐに控訴しました。しかし、東京高等裁判所は2005年1月13日に控訴を棄却。
上告しますが、最高裁判所も2008年7月17日に訴えを棄却し、これをもって八木の死刑が確定しました。
武まゆみら愛人3人の判決
武まゆみら3人の愛人には、以下のような判決が下されました。
・武まゆみ…無期懲役
・アナリエ・サトウ・カワムラ…懲役15年
・森田孝子…懲役12年
3人は公判で全面的に罪を認めて遺族に謝罪しており、また控訴もしなかったために2002年3月に刑が確定しています。
八木茂の現在
2008年に死刑が決定していますが、現在も八木茂の死刑は執行されていません。死刑確定後から再審請求を続けているためです。
八木と弁護側は2009年1月30日にさいたま地裁に再審請求をし、武らの証言は警察や検察に脅されての偽証だと訴えました。さらに佐藤さんの死因は溺死だという鑑定書も提出しました。
しかし、さいたま地裁はこのどちらも認めず、2010年3月18日に請求棄却を決定。弁護団は即時抗告をして東京高裁に対し、保管している佐藤さんの臓器の再鑑定を求めます。
これが認められて2014年8月6日に、弁護側は「佐藤さんの臓器を再度調べた結果、心臓や肝臓から川に生息するプランクトンが検出された。これは溺死の証拠だ」といった旨の鑑定書を提出します。
ところが、東京高裁は提出された鑑定書をもって死因が溺死とは認められない、として2015年7月31日に再審請求を棄却。
八木と弁護側は最高裁に特別抗告しますが、2016年11月28日には再審請求棄却が決定しました。
これで諦めて死刑を受け入れるかと思いきや、八木は2016年12月6日にさいたま地裁に第二次再審請求をしました。そのため、現在も八木の死刑は執行されていないのです。
国に対しての賠償請求
自身の刑事裁判とは別に、八木は国に対して複数回にわたって賠償を求める訴訟を起こしています。
まず2009年、八木と弁護団が再審請求の打ち合わせをする接見の場に東京拘置所の職員が立ち会うことは違法だと提訴。これは2015年に最高裁で八木の主張が一部認められる形となりました。
また2014年には接見に職員が立ち会い、時間制限することは違法として提訴。さいたま地裁は八木の訴えを認めて国に275万円の賠償金の支払いを命じ、東京高裁もこれを支持しました。
さらに拘置所内での接見時間は30分以内という取り決めも違法だと提訴し、2020年8月5日にはこれに対しても国に賠償金154万円の支払いが命じられています。
八木茂の家族・結婚していた嫁と子供の現在
八木茂と結婚していた嫁は、事件後も本庄市内の八木の自宅で暮らしていた様子です。
しかし、近隣住民の話によると腎臓病を患っていたのか人工透析を受けていたといい、2010年~2011年頃に亡くなったといいます。
「奥さんは、八木死刑囚が逮捕されたあとも、取り乱すことなく淡々と暮らしていた。グチることもありませんでした。ただ、葬儀は家族だけで行われました」
八木と本妻の間には2人の息子がいますが、すでに自立して家を出ており、八木に面会には行っていないといいます。
息子は事件直後にTVや週刊誌の取材に対し「父は悪魔の生まれ変わりのような人間です」と答えていました。
経済的には恵まれていたのかもしれませんが、父親について思うところがあるのでしょう。
八木は息子に車を買ってやろうと獄中から車の雑誌を送るなどしていたそうですが、息子からは何のリアクションもなかったという話もあります。
八木茂と本庄保険金殺人についてのまとめ
今回は本庄保険金殺人の犯人とされる八木茂死刑囚について、事件や生い立ち、愛人との関係、現在などを紹介しました。
2023年現在、八木は東京拘置所内で73歳を迎えています。保険金殺人の物証がないために何とも言えませんが、再審請求は死刑回避のために行っている印象が否めません。
八木が保険金殺人について正直に話す日は来るのでしょうか。