2007年に財政破綻した夕張市の現在がゴーストタウン化していると話題です。
この記事では夕張市の人口推移や財政破綻した理由とその原因、戦犯とされる当時の市長、現状の借金時計、出身有名人、その後や財政再建への努力が続く現在やゴーストタウンとして人気についてまとめました。
この記事の目次
夕張市はかつては炭鉱で栄えたが財政破綻しゴーストタウン化した街
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夕張市(ゆうばりし)は、北海道の中央部に位置する道央地方、空知総合振興局に所属する市です。
夕張市は国の北海道開拓事業によって1890年(明治23年)に設置された登川村をルーツとし、明治の後半から大正、昭和30年代にわたって日本有数の炭鉱の街として栄えました。最盛期の昭和30年代半ばには人口は約12万人にも達し、街の中心部に人々がひしめき合う写真や映像が残されています。
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しかし、昭和40年代以降、エネルギー革命に伴う国のエネルギー政策の転換(石炭から石油への転換)により、24あった炭鉱の閉山が相次ぎ人口が急速に流出し夕張市は急激に衰退していきました。
炭鉱閉鎖による衰退に危機感を持った夕張市は1970年代頃より「炭鉱から観光へ」を合言葉に掲げ、炭鉱に代わる新たな雇用を生み出すため自治体が新規事業に乗り出す事を国が積極的に後押しする法律である「産炭地域振興臨時措置法」(産炭法)などを利用して多額の補助金を調達。
この資金を使い、炭鉱跡地に大型レジャー施設を次々とオープンさせ、観光の目玉として人々を呼び込みました。夕張市はさらに地方債を発行して資金を調達(借金)し次々と新たな施設を建設しました。バブル経済もあってこの方策は一時はうまく行き、ピーク時には全国から年間230万人もの観光客を集め、1990年には地域活性化のモデル都市として国から表彰されています。
しかし、バブル崩壊(1990年代初め)を契機に観光客が年々減少し借金が夕張市の財政を圧迫するよになりついに2007年に財政破綻しました。
夕張市は、ピーク以降は人口は1度も増加しておらず、2024年12月の調査時点で人口は約6000人、最盛期の20分の1にまで減っており、人口推移は減少の一途を辿っています。
そんな夕張市ですが、ゴーストタウン化してポストアポカリプスな雰囲気を醸し出しているとして、廃墟やレトロな昭和ロマンなノスタルジックな雰囲気を好む一部のマニアの間で注目する動きも出ています。
夕張市の人口推移
下の表は夕張市の人口推移です。
人口の推移とその時の夕張市の状況を照らし合わせられるよう、その年の重要な出来事を付記しています。
年 | 世帯数 | 総人口 | 出来事 |
1892年 | 109 | 511 | 夕張炭山の採炭開始 |
1907年 | 5214 | 2万3463 | 大夕張炭鉱会社設立 |
1912年 | 5984 | 2万2745 | 大夕張炭鉱会社を三菱合資会社が買収 |
1918年 | 9427 | 3万7642 | 夕張郡登川村から夕張町に改称 |
1920年 | 1万840 | 5万1064 | 第1回国勢調査で全国45位北海道6位の人口に |
1943年 | 1万2499 | 7万3953 | 市制施行により夕張市に |
1960年 | 2万5156 | 11万6908 |
第九回国勢調査で最多人口を記録 |
1971年 | 2万114 | 7万503 | 吉田久市長就任 |
1973年 |
1万7368 |
5万7958 | 大夕張鉱業所が閉鎖 |
1979年 |
1万4553 |
4万4613 |
中田鉄治市長就任(夕張財政破綻戦犯とされる) |
1980年 |
1万4112 |
4万2483 |
約14億8300万円をかけた「夕張市石炭博物館」開館 |
1982年 | 1万3309 | 3万8568 | 北炭夕張炭鉱株式会社倒産 |
1983年 | 1万2427 | 3万5190 | 約55億円をかけた「石炭の歴史村」全村オープン |
1985年 | 1万2152 | 3万1665 | 約6億5000万円をかけた「めろん城」がオープン |
1988年 | 1万421 | 2万5921 | 約8億5000万円をかけた「ロボット大科学館」開館 |
1990年 | 9192 | 2万1824 | 三菱石炭鉱業南大夕張炭が閉山(全ての炭鉱が閉鎖) |
1991年 | 8887 | 2万752 | 第1回ゆうばり国際ファンタスティック映画祭を開催 |
1994年 | 8319 | 1万8535 | 夕張鹿鳴館を一般開放(観光資源として活用) |
2002年 | 7294 |
1万4719 |
約26億円でマウントレースイスキーリゾートを買収 |
2003年 | 7136 | 1万4235 | 中田鉄治市長が退任し新たに後藤健二市長が就任 |
2007年 | 6427 | 1万2307 | 財政再建団体となり事実上財政破綻、藤倉肇市長就任 |
2011年 | 5869 | 1万654 | 鈴木直道市長が就任(一部で戦犯など言われている) |
2012年 | 5802 | 1万390 |
住民基本台帳法改正で外国人が人口に含まれるように |
2015年 | 4539 | 8843 | 夕張シューパロダム竣工(鹿島地区の大部分が水没) |
2017年 | 4956 | 8470 | 夕張高校魅力化プロジェクト開始(若者呼び込み施策) |
2018年 | 4837 | 8211 |
夕張市公設塾「夕張学舎キセキノ」開設 |
2019年 | 4706 | 7907 | 石勝線夕張支線廃止、厚谷司市長就任 |
2020年 | 4520 | 7578 | 再建計画初の公共施設「りすた」オープン |
2021年 | 4256 | 7145 | 夕張市民研修センター廃止 |
2022年 | 4111 | 6830 | 火災被害の旧北炭夕張炭鉱模擬坑道復旧工事開始 |
2023年 | 3973 | 6531 | 厚谷司市長が再選 |
2024年 | 3733 | 6107 | 現在までに公開されている最新値 |
夕張市の人口のピークは1960年の11万6908で、当時は全国有数の炭鉱の街として大いに栄えていました。
しかし、1960年代半ばから1970年代にかけて、エネルギー革命に伴う政策転換により石炭から石油へのシフトが進み人口推移は減少に転じました。
1970年代後半から1990年代初めにかけて夕張市は「炭鉱から観光へ」を合言葉に掲げ、多額の借金をして観光産業に投資しましたが、この間も人口は減少に推移し続けており観光客は呼び込めても移住者を呼び込む事には失敗しています。
そして1990年代から2000年代にかけてはバブル崩壊の影響も受け、1970年代の炭鉱衰退に次ぐ2度目の凋落とも言える2007年の財政破綻を迎えました。
夕張市は財政再建計画のために、市職員の解雇や給料の大幅カットを断行せざるを得ず、さらに住民の税金も大幅に引き上げられたため人口の流出に拍車がかかり、最新のデータである2024年12月時点で人口は最盛期の20分の1の約6000人にまで減少しています。しかもこれは外国人移民を含めた人口で、夕張市の現状は「限界集落」ならぬ「限界都市」などと呼ばれています。
夕張市が財政破綻した理由と原因
夕張市が財政破綻した理由や原因についても詳しく見ていきます
夕張市財政破綻の理由・原因① 人口減少期に箱物行政による莫大な借金
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1970年代、国のエネルギー政策の転換により次々と炭鉱が閉鎖して人口減少が急速に進んでいるにも関わらず、夕張市助役を経て夕張市長を務めた中田鉄治は「炭鉱から観光へ」をキャッチフレーズとして掲げ、炭鉱に代わる基幹産業として観光事業の基盤づくりに莫大な投資を行いました。
当初は産炭法などに基づく国からの補助金(炭鉱の閉山対策資金)などを活用してテーマパークなどをオープンさせましたが、さらに投資を拡大して地方債を乱発し短期間で莫大な借金をして施設を次々とオープンさせました。(いわゆる箱物行政)
しかし、1990年代のバブル崩壊、2001年の産炭法の廃止による臨時交付金の中止、2006年の地方交付税の産炭地補正の打ち切りなどが起こり、夕張市の財政構造が極度に悪化。公債費が多額となり財政の硬直化が顕著となりました。
また、炭鉱会社が次々と撤退した後、夕張市は炭鉱会社が鉱員向けに整備していたインフラを買収する事になり、40億円を負担して夕張炭鉱病院を市立病院へ移管、炭鉱住宅5000戸、上下水道設備などを151億円で買収し市営住宅に転換するなどしています。
こうして夕張市が1979年から1995年にかけて費やした炭鉱閉山処理対策費は584億円に達し、2006年に財政破綻した際の負債総額は632億円で当時の税収の約65倍に達しており、このうち地方交付税などで手当する目処がついた分を除いた353億円の赤字を解消する必要が生じました。
夕張市財政破綻の理由・原因② 行政体制の効率化の遅れ
夕張市が人口ピークであった1960年に必要とされた職員615名でした。
しかしその後相次いだ炭鉱閉鎖による急激な人口減少に対応できず、職員の定年退職での自然減と新規採用の縮小などにより調整を図ったものの、人口に見合った職員数及び人件費の抑制は全く不十分で、無駄な人件費を長年にわたって支出し続けており、これも市の財政破綻の理由・原因の1つに挙げられました。
夕張市財政破綻の理由・原因③ 観光施設への過剰な投資
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夕張市は石炭産業に代わる産業として観光業を掲げ、観光客の様々なニーズに応える総合観光を目指しホテルなどの宿泊施設整備にも多額の投資を実施しました。
外部企業の誘致も実施されましたが、当時の夕張市は狭隘な山間地域に石炭産業時代尾炭鉱施設や住宅などが放置されていた事から断られる事が相次ぎ、最終的に夕張市自らが主体となってこれらの観光施設の運営を行いました。
こうした背景があり、本来ならば使用料などの収入により補うべき経常経費及び施設整備に係る借金の返済に充てる収入が不足し、景気低迷によりただイタズラに赤字を垂れ流すだけの施設と化しました。
こうした状況にも関わらず、夕張市は雇用の確保と地域振興推進として観光関連施設の整備を推し進め、約26億円を投じて松下興産からマウントレースイスキーリゾートを買収するなど多額の投資を行った結果、債務を増大させ多額の赤字を抱える状況に至ったと指摘されています。
夕張市の財政破綻戦犯は6期にわたって市長を務めた中田鉄治とされている
夕張市財政破綻の戦犯とされる中田鉄治元夕張市長
生年月日:1926年4月1日
没年月日:2003年9月10日(77歳没)
出生地 :秋田県(生後すぐに夕張市に移住)
出身地 :北海道夕張市
夕張市が財政破綻した理由は当時の市税収入の65倍にもあたる総額632億円もの負債であり、その莫大な借金の原因は「炭鉱から観光へ」などと謳って、地方債による借金で観光施設や宿泊施設を次々と作った事と、その観光施設の赤字運営をイタズラに続け債務を増大させた事でした。
これを主導したのは、1971年から1979年まで2期8年にわたって夕張市助役、1979年から2003年まで6期24年にわたって夕張市長を務めた中田鉄治氏で、この中田鉄治元市長こそ夕張市の財政破綻を招いた戦犯だとして現在も名指しで批判されている人物です。
夕張市を財政破綻に追い込んだ大戦犯は、中田鉄治市長(当時)。相続人は市長として受け取った報酬を全額返納すべき。
— takauoa52020😋iPhone一括1円購入😁103万円の壁😆フォロバ100% (@takauoa52020) October 2, 2023
舞台を夕張市にしたときの仮面ライダーBLACKに出演した中田鉄治市長(当時)。石炭産業に見切りをつけて、その影響もあり財政ボロボロだったのに観光に大転換、6期24年の中で禁じ手含め借金しまくってハコモノガンガン作って、夕張市を財政破綻に追い込んだ大戦犯だったわ
— \(-_-)/オワタ兄さん (@owata23) September 21, 2023
夕張市財政破綻の原因を作った戦犯とされる中田鉄治元夕張市長の経歴
夕張市の財政破綻の原因を作った戦犯として批判されている中田鉄治元夕張市長は、生後すぐに秋田県から夕張市に移住し、地元の高等小学校(戦前にあった教育機関で現在の中学1年〜2年に相当)を卒業後、北海道殖産銀行(後の旧北海道拓殖銀行)に就職し、北海道炭礦汽船事務職員を経て、1945年の秋に夕張市役所へ入庁しました。
その後、夕張市企画室長に就任した中田鉄治元夕張市長は早くも1970年には早くも炭鉱産業の衰退に危機感を持っており、新産業誘致を打ち出すなど、この点においては先見の明がある人物でした。
1971年から夕張市助役(市長を補佐する役職)を務め、1977年には「炭鉱から観光へ」のキャッチフレーズを掲げ、広大な夕張炭鉱の跡地を利用した巨大テーマパーク「石炭の歴史村」の事業計画を立ち上げました。(1978年着工)
そして、1979年に夕張市長選で当選した夕張市長に就任。以降、中田鉄治氏は2003年まで6期24年にわたって夕張市長を務める事になりました。
夕張市長就任後、中田鉄治元夕張市長は、「夕張市は国の石炭政策転換の犠牲になったのだから、国が新たな事業振興の責任を持つべきだ」との考えにより、国が当時制定していた石炭炭鉱の閉山のための補助金制度を積極的に利用し、テーマパークや観光施設、宿泊施設の建設、スキー場の買収など様々な事業を次々と展開しています。さらに中田鉄治元夕張市長は大量の地方債を発行して資金を調達し「自治体は倒産しない。借金には国の保証がある」などと言っていました。
中田鉄治元夕張市長はさらに、1982年には市議会議員報酬の引き上げを断行し、1983年度には前年度比17パーセント増の予算を組むなど積極財政を推し進め、借金による大規模投資を続けました。
中田鉄治元夕張市長が推し進めた主な事業としては、1980年「夕張市石炭博物館」(投資額約14億8300万円)、1983年「石炭の歴史村」(投資額約55億円)、1985年、特産の夕張メロンの加工施設「めろん城」(投資額約6億5000万円)、1988年「ロボット大科学館」(投資額約8億5000万円)などがあります。
しかし、1990年代のバブル崩壊により観光客が激減し、これらの施設は利益をもたらすどころか赤字事業となり夕張市の財政を圧迫しました。
こうした状況にも関わらず、中田鉄治元夕張市長は2002年に約26億円をかけて松下興産からマウントレースイスキーリゾート買収を実行しています。実はこの時、北海道庁は買収資金調達のために市債発行を申請した夕張市に対して「財政負担が重過ぎる」として不許可を言い渡しています。しかし、夕張市はその北海道庁の判断を無視し、観光事業と無縁の公営企業・土地開発公社に購入させた上で金融機関からの借入金を夕張市が肩代わりして返済するという違法な「ヤミ起債的行為」によってこれを強行しました。
これにより、夕張市は毎年の元利金返済義務に加えて、新たに赤字の源を背負いました。2001年度まで130億円台だった実質赤字は、2005年度までのわずか4年間で約260億円にまで倍増しており、この買収が夕張市の財政に致命的な打撃を与えた事は疑いの余地がありません。こうした一連の行為が中田鉄治元夕張市長が、夕張市財政破綻の原因を作った戦犯として批判される理由です。
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この無謀な買収を置き土産に、中田鉄治元夕張市長は2003年4月に夕張市長を退任し、その年の9月10日に77歳で死去しています。死因は「肝細胞癌」でした。夕張市財政破綻の戦犯とされる中田鉄治元夕張市長ですが、生前の功績を讃えられて勲三等瑞宝章追贈、従五位に叙されています。
そして、死去から3年後の2006年、後任の後藤健二市長が「夕張市が巨額の財政赤字を抱えており、国の財政再建団体指定を受ける事で夕張市の再生を図りたい」と表明。これにより、夕張市が危機的な財政状況に陥っている事がはじめて白日の元に晒されました。
つまり、夕張市財政破綻の戦犯と名指しで批判されている中田鉄治元夕張市長ですが、この事実が明るみに出た時には既にこの世を去っており、本人が直接批判にさらされるという事はありませんでした。
元夕張市長で現在の北海道知事の鈴木直道を戦犯と呼ぶ声も存在
一部の人々からは、現在の北海道知事で元夕張市長の鈴木直道さんを夕張市を壊滅状態にした戦犯と呼ぶ声もあるようです。
これは、鈴木直道さんが夕張市長時代に夕張リゾート(マウントレースイスキー場、ホテル)を中国系企業に2億4000万円で叩き売りし、これが香港系企業に15億円で転売されたあげく、すぐに廃業させられ、夕張市に残されていた観光資源を壊滅させた戦犯として批判されています。
この人のせいで夕張市が「赤字市政」→「壊滅状態」
になりましたからね。
スキー場もホテルもキツかったですが
かろうじて観光資源が残ってたのに😥💦
駅前のホテルマウントレースイを中国企業売り飛ばして、
一気にゴーストタウン化させた戦犯
道民には適切な判断をしていただきたい https://t.co/n8sZCtDy2g— Mackt-13(Usf・Mackt13) (@MacktT1) January 16, 2023
#鈴木直道 夕張市の全てを投げ捨てて逃げた戦犯じゃないのか? pic.twitter.com/UaZb5ICNfT
— darrellmay(ダレルメイ) (@architecturemay) March 31, 2019
夕張市の借金残高の現状は借金時計でわかる
2007年に財政破綻した夕張市ですが現在も借金(市債)の返済が続いています。
夕張市の借金(市債)の返済の現状は、夕張市の公式ホームページに設置されているコンテンツ「借金時計」によりリアルタイムで公開されています。
夕張市のホームページにある借金時計は、市債の状況を夕張市民にわかりやすく伝えるために設置したもので、市債残高の見込み額を時計の形で示したもので借金が減っていく様子がカウントダウン形式で表示されています。
夕張市の借金時計によると、2025年1月現在、現状での借金残高は約54億円で、返済済みの金額は「約300億円」となっています。
夕張市出身のある有名人
夕張市が出身の有名人、もしくはゆかりのある有名人についても紹介します。
夕張市出身の有名人① 芸能人
夕張市出身の有名人としては以下の方がいます。
最近の方では俳優の間瀬翔太さん、女優や声優として活躍する平田裕香さんがいます。
- 喜劇俳優・坊屋三郎
- 芸人、俳優・芝利英
- 女優・本間文子
- 女優・不忍鏡子
- 女優・三戸部スエ
- 俳優・伊吹聰太朗
- 俳優・垂木勉
- 俳優・間瀬翔太
- 女優・平瀬りえ
- 俳優・石黒千尋
- 姉妹デュオ「ザ・リリーズ」(燕奈緒美、燕真由美)
- ジャズベーシスト・水橋孝
- シンガーソングライター、音楽プロデューサー・千田裕之
- 歌手・大橋純子
- 女優、声優・平田裕香
この他、夕張市にゆかりのある芸能人として、「夜空ノムコウ」などで知られるシンガーソングライターのスガシカオさんがいます。父親が夕張市出身だという事です。
厚谷 夕張市長、メールいただきました
いつか父の出身地 夕張で歌える日が来ますように! https://t.co/NVYX2EuTWa— スガ シカオ (@shikaosuga) October 17, 2023
夕張市出身の有名人② スポーツ選手
夕張市出身もしくはゆかりのあるスポーツ選手としては以下の方々が挙げられます。
- 元大相撲力士・朝登俊光
- 元大相撲力士・騏ノ嵐和敏
- 元大相撲力士・大雪嶺登
- 元大相撲力士・若吉葉重幸
- プロレスラー・三沢光晴
- プロボクサー・岳たかはし
- 元スキージャンプ選手・浅利正勝
- 元プロ野球選手・石川晃
- 元プロ野球選手・高泉秀輝
- 元JRA騎手・加藤和宏
- 登山家・中村テル
この中では特にプロレスラーの故・三沢光晴さんが有名です。ただ、三沢光晴さんがまだ幼い頃に夕張炭坑が閉山になったため家族で埼玉県に移住しており、三沢光晴さんは夕張市での記憶は全くないと語られていました。
この他、夕張市にゆかりのあるスポーツ選手として、ヤクルトスワローズやソフトバンクホークスでプレーし、メジャーリーグでも活躍した元プロ野球選手の五十嵐亮太さんがいます。五十嵐亮太さんの父親が夕張市の出身で北海道夕張南高校のアルペンスキー種目の国体選手でした。
夕張市のその後や現在① 財政再建への努力が続けられている
夕張市では現在も財政再建へ向けての努力が続けられています。
夕張市の再生計画終了予定は2027年3月であと約2年に迫っています。現状も以前として厳しい財政状況で運営されているものの、夕張市職員の給与削減率は6パーセントにまで回復しており改善の兆候が見え始めているようです。
また、夕張高校の2024年度の入学者が26人となり例年を大幅に上回りました。これは今後の夕張の明るい未来を象徴する出来事として受け止められています。
人口減少の著しい北海道夕張市が、地域再生の柱に教育を据えて市内に唯一ある夕張高校の入学者を増やす取り組みを進めている。高校がなくなると現役世代も流出して衰退に拍車がかかる事態となるが、人口が減り続ける中で入学者は横ばいで2024年度は増加に転じた。道外からの入学者もおり、関係者は手応えを感じている。
夕張市のその後や現在② ゴーストタウン化し一部マニアの人気スポットに
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炭鉱の閉鎖と財政破綻により人口減少に歯止めがかからない夕張市は「ゴーストタウン」化していると話題になっています。
ゴーストタウンとは、かつては栄えていた都市や町から何らかの理由により人がいなくなり人がいた痕跡のみを残して廃墟や道路などが残されている状態を指しますが、人口が減り続けている夕張市は中心地でも人が少なくまるでゴーストタウンのようだと言われています。
現在、ゴーストタウンは一部のマニアの間でブームになっており、その独特の雰囲気からまるで異世界に来たような感覚を味わえたり、ノスタルジックな感傷に浸れるとして人気となっています。
夕張市もゴーストタウンマニアの人気スポットとして度々名前が挙げられていて、SNSやYouTubeでもよく取り上げられています。
夕張市はゴーストタウンマニア、廃墟マニアとしてはかなり魅力的な場所なのは間違いありませんが、現在も住んでいる人がいるため、からかい半分で訪れて地元の人に迷惑をかける事は避けましょう。
訪れるのであればゴーストタウン感を楽しむとともに、観光として地域にしっかりお金を落として夕張市の財政再建に少しでも貢献したいものです。ちなみに夕張市の飲食店で提供される食事はとても美味で、豊かな自然も堪能できるため観光地としても非常に魅力的な場所です。
まとめ
今回は、2007年に財政破綻して現在も財政再建への努力が続けられている北海道の夕張市についてまとめてみました。
夕張市の人口推移は、1960年の最盛期の約12万人から2025年現在6000人と20分の1にまで減少し、現状は人口流出に歯止めがかからない状況です。
夕張市が財政破綻した理由原因は、かつて栄えていた炭坑が国のエネルギー政策の転換に伴って次々と閉山したことを受けて観光事業への転換を目指した際の急激な投資により莫大な負債が生まれた事でした。
この観光事業への転換を目指すための投資を推し進めたのが当時24年にわたって夕張市の市長を務めた中田鉄治という人物で、現在では夕張市の財政破綻の原因を作った戦犯だとして名指しで批判されています。
夕張市の借金返済の現状は、夕張市のホームページにある「借金時計」で確認できます。
夕張市出身の有名人では、俳優の間瀬翔太さん、女優、声優の平田裕香さん、プロレスラーの三沢光晴さんらが有名です。また、シンガーソングライターのスガシカオさんや本プロ野球選手の五十嵐亮太さんも夕張市ゆかり(ともに父親が夕張市出身)の有名人です。
夕張市の財政破綻のその後や現在ですが、今も財政再建に向けての努力が続けられています。再生計画終了予定は2027年3月で、「借金時計」によると現状で残っている借金は約50億円、既に約300億円の借金が返済されています。
また、夕張市は人口減少に伴いゴーストタウン化していると話題ですが、現在はそんな夕張市が一部のマニアの間でノスタルジックな雰囲気や異世界感が味わえるとして人気を集めています。夕張市はそんなゴーストタウン的魅力だけでなく、食事が美味しく豊かな自然も味わえる魅力的な観光地なので、興味がある方は是非観光に訪れてみてください。