写真週刊誌では、毎日のようにたくさんの芸能人・有名人のスキャンダルが報じられていますが、数あるスキャンダルの中でも芸能史に残るものが「ニャンニャン事件」です。
高部知子さんのスキャンダルであるニャンニャン事件の詳細や事件の結末、タバコは吸ったのかどうか、高部知子さんの引退やその後の局部ピアス写真と現在などをまとめました。
この記事の目次
ニャンニャン事件とは高部知子の大スキャンダル&元祖リベンジポルノ
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ニャンニャン事件とは、1983年に起こった清純派アイドルの高部知子さんの大スキャンダルです。
当時15歳の高部知子さんは当時「欽ちゃんのどこまでやるの!」から生まれた人気ユニット「わらべ」のメンバーで、しかも超人気ドラマ「積木くずし~親と子の200日戦争」で主役を演じるなど、「清純派アイドル・清純派タレント」として人気でした。
そんな清純派アイドルの高部知子さんがベッドで裸に布団をかけた状態で、火のついたタバコをくわえながら微笑んでいる写真が、写真週刊誌「FOCUS」に掲載されました。
清純派アイドルが「セックス後」と思われる状態でタバコを吸っているというギャップに、世間は騒然となりました。
このニャンニャン事件で高部知子さんは芸能界引退に追い込まれ、写真を暴露した男性は自殺という衝撃的な結末になりました。写真の衝撃度だけでなく、その悲劇的な結末があったため、「ニャンニャン事件」は芸能史に残るスキャンダルとなり、40年経った現在でも語り継がれています。
高部知子は積み木くずしの人気タレント
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高部知子
生年月日:1967年8月25日
出身:東京都
血液型:B型
所属:ボンド企画
活動:タレント、女優(ニャンニャン事件当時)
ニャンニャン事件の解説の前に、まずは高部知子さんにプロフィールや経歴を紹介します。当時の高部知子さんの活動を把握してから、ニャンニャン事件を詳しく知ったほうが、ニャンニャン事件がどれだけヤバいスキャンダルだったのかがわかると思います。
高部知子の生い立ち
高部知子さんは1967年に東京都で生まれました。子どもの頃は喘息で体が弱く、外で遊ぶよりも家で本を読んでいる方が好きなタイプでした。
両親は高部さんが幼い頃に離婚しています。友達が来るとおやつを出してくれましたが、普段はテーブルの上に200円置いてあるだけで、遠足の時にもお弁当を作ってもらえず、値段が付いたままのコンビニ弁当を渡されただけだったとのことです。
このような事情もあり、母親がかまってくれないため、母親のことが嫌いだったと語っていました。
芸能界入り
そのような高部さんが芸能界入りすることになったきっかけはスカウトです。スカウトされて、13歳の頃にテアトルアカデミー所属の子役としてデビューしました。デビュー作は1979年の映画「東京大空襲 ガラスのうさぎ」です。
この時は、役柄の戦争孤児になりきっていたため、自宅でも「お父さん死なないで!」と絶叫したことがあったそうです。その後も、映画やドラマなどに出演しています。
高部知子さんが一躍有名になって認知度が上がったのは、『欽ちゃんのどこまでやるの!?』です。1982年に『欽ちゃんのどこまでやるの!?』の番組内の企画で「わらべ」という女子高生ユニットが作られることになり、オーディションを受けた高部知子さんは、わらべの長女の「萩本のぞみ」としてメンバーに選ばれました。
・萩本のぞみ:高部知子
・萩本かなえ:倉沢淳美
・萩本たまえ:高橋真美
1982年9月に『欽ちゃんのどこまでやるの!?』に初出演し、12月には坂本龍一編曲の「めだかの兄妹」でデビューしました。この「めだかの兄妹」は年間シングルチャート3位となるなど大ヒットしています。
この「わらべ」のメンバーになったことで、高部知子さんはブレイクし、さらにドラマ『積木くずし〜親と子の200日戦争』では主人公役に抜擢されました。積木くずしは最高視聴率45.3%を記録する国民的ドラマであり、その人気を確固たるものとします。
高部知子さんはその演技力の高さも高く評価されていて、「第二の大竹しのぶ」と呼ばれることもあったほどです。また、「積木くずし」が高視聴率で好評だったために映画化が決まっていました。しかも、その映画はドラマ版とはつながりがない別作品という扱いだったため、ドラマ版から続けて出演するのは主人公役の高部知子さんだけ。それ以外のキャストは一新されています。
「高部知子さん以外のキャストは一新」ということからも、当時の高部知子さんの人気がすごいものだったことがわかりますね。
ニャンニャン事件の詳細
1983年6月に写真週刊誌「FOCUS」に清純派アイドルの高部知子さんの衝撃写真が掲載されました。
FOCUSに高部知子の衝撃写真が掲載
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1983年6月24日号のFOCUSに当時15歳の高部知子さんの衝撃スキャンダル写真が掲載されました。
高部知子さんは、ベッドにあおむけになっていて、布団がかかっていますが、首から肩、デコルテ、腕はあらわになっていて、裸でベッドに横たわっていることは間違いないでしょう。また、右手には火のついたタバコを慣れた手つきで持っていて、タバコをくわえている瞬間であることがわかります。
高部知子さんであるとはっきりわかる写真で、カメラを向けている人物を信頼しているようなリラックスした表情を見せています。ベッドで裸で横たわりタバコを吸っているということから、セックス後の写真であると推測できます。
当時の高部知子さんは15歳。しかも、欽どこの「わらべ」のメンバーで清純派アイドルとして人気でした。その清純派イメージとは真逆の写真が掲載されたため、世間は大きな衝撃を受けます。
最初に高部知子のニャンニャン事件を報じたFOCUSは、「15歳で喫煙&15歳でセックス」を非難するような論調ではありませんでした。
しかし、FOCUSを見た読者や後追い報道では、「15歳で喫煙&15歳でセックス」を厳しく非難するようになります。確かに、当時の高部知子さんは15歳ですから、セックスはともかく喫煙は明らかに違法行為ということになります。
高部知子はレギュラー降板
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この高部知子さんのスキャンダルは、大スキャンダルに発展していきます。そして、高部さんはすべての仕事を失うことになりました。
・「欽ちゃんのどこまでやるの!?」:降板
・ラジオ番組:降板
・映画「積木くずし」:降板
・三菱鉛筆のCM:打ち切り
・ハウス食品のCM:打ち切り
・牛乳石鹸のCM:打ち切り
レギュラー出演をしていた欽どこやラジオ番組は降板。CMもすべて打ち切り。さらにクランクインしていた映画「積木くずし」も降板になりました。映画「積木くずし」は制作中止寸前に追い込まれますが、渡辺典子さんを代役に立てて、当初の予定よりも2ヶ月遅れて公開となりました。
また、1983年秋からは「スケバン刑事」が高部知子さん主演予定で制作計画が進んでいましたが、制作は中止となっています。その1年半後に斉藤由貴さんが主演で大ヒットしていますので、高部知子さんはこのニャンニャン事件で大きな仕事を失ったことになります。
ニャンニャン事件で高部知子さんが失ったものは仕事だけではありませんでした。当時、高部さんは堀越高校に通っていましたが、喫煙行為を重く見て「無期停学」という処分を下しています。
これらのことから、高部知子さんはニャンニャン事件で謹慎することになってしまったんです。1枚の写真が流出したことで、15歳の少女が一気に全方位から集中砲火を浴びることになるなんて、芸能スキャンダルは本当に恐ろしいですね。
ニャンニャン事件のネーミングは「わらべ」から?
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高部知子さんを謹慎に追い込んだニャンニャン事件。このニャンニャン事件というネーミングは秀逸ですが、一体どういう経緯で誰がつけたのか気になりませんか?
この「ニャンニャン事件」はFOCUSの記事がきっかけでつけられました。FOCUSには次のような記述で写真が紹介されていました。
ここから「ニャンニャン事件」と呼ばれるようになりました。
実は、当時は「ニャンニャン」というのは、セックスを意味する隠語というわけではありませんでした。ただ、FOCUSの記者が「セックス」という直接的な表現を使うことを嫌い、セックスを想起させるような言葉を考えたところ、わらべのデビューシングル「めだかの兄妹」で、高部知子さんのソロパートにある「ニャンニャン」を使うことになったそうです。
そして、ニャンニャン事件が一大スキャンダルになることで、「ニャンニャン」という言葉はセックスを想起させる隠語として広まるようになりました。
ただのネコの鳴き声の意味しかなかったソロパートの歌詞「ニャンニャン」がスキャンダルのネーミングに使われ、その後40年経っても、「ニャンニャン」は性的な意味合いで使われることがあるなんて、言葉というのはとても不思議ですよね。
ニャンニャン事件はリベンジポルノだった?
ニャンニャン事件の写真は、かなりのプライベートなものです。あのようなプライベート写真は誰がFOCUSに持ち込んだのでしょうか?
エキストラだった18歳少年
高部知子さんのニャンニャン事件の写真をFOCUSに持ち込んだのは、高部知子さんの元カレである18歳の少年でした。
- 18歳の少年が清純アイドルの高部知子さんと知り合うきっかけは、高部さん出演の「積木くずし」でした。少年はエキストラとして「積木くずし」に参加して、それをきっかけに2人の交際は始まったそうです。一部報道では、高部知子さんが少年に手紙を渡して誘ったとのこと。
あのニャンニャン事件の写真は1983年3月に撮られたものですしかし、交際から3ヶ月くらいたった1983年5月に少年は振られてしまいました。
自分の身を守るためにFOCUSに持ち込む?それともリベンジポルノ?
では、なぜ高部知子さんの元カレである18歳の少年は、高部知子さんの写真をFOCUSに持ち込んだのでしょうか?
Wikipediaには次のように書かれています。
当初、民放のテレビ局に写真を持ち込んだところ、取材が始まったが局の上層部から企画が潰され、さらに暴走族や暴力団から嫌がらせを受けるようになったため、自身の自衛のために『FOCUS』編集部に持ち込んだと編集部に語ったという。
Wikipediaによると、自衛のためにFOCUSに写真を持ち込んだとのこと。FOCUSからは謝礼を受け取らなかったそうですから、金銭目的ではなかったことは確かでしょう。
でも、「自衛のため」というのがいまいち腑に落ちません。そもそも、18歳の少年はなぜテレビ局に高部知子さんの写真を持ち込んだのでしょうか?
その写真が公になれば、高部さんは窮地に陥ることは簡単に想像できたはずです。元カレの少年はそれを狙ったのでしょう。
つまり、リベンジポルノです。当時の写真週刊誌にも「振られた彼が腹立ちまぎれに”恋のアルバム”を暴露したので」と書いてありました。
ただ、少年は高部に夢中になったものの、交際は長くは続かず、彼女に弄ばれたと思い込んだI少年は、2人のセックスを連想させる写真を日本テレビ系ワイドショーのリポーターKのもとに持ち込んだ。
しかも、元カレの少年はFOCUSの取材に「料理は下手だったけど、セックスの経験は豊富だったみたい」と答えていますので、高部知子さんにダメージを与えるために写真を暴露したのは間違いないでしょう。
ニャンニャン事件にさらなるスキャンダル!元カレが自殺・・・
ニャンニャン事件は、高部知子さんの謹慎だけで終わるものではありませんでした。もちろん、当初は謹慎してほとぼりが冷めたころに芸能活動再開という予定だったのですが、元カレの18歳の少年が自殺してしまったのです。
贖罪の気持ちが強かった
ニャンニャン事件の写真がFOCUSに掲載されてからは、この18歳の少年はほかの写真週刊誌などのマスコミに追い回されるようになりました。そして、女性週刊誌は高部知子さんの手紙や会話の録音テープを入手して掲載したのです。
おそらく、ニャンニャン事件は元カレの想像以上に大きなスキャンダルとなってしまったのでしょう。それで、思い悩んでストレス性胃潰瘍になり入院までしています。
元カレは高部知子さんの写真を暴露してタレント生命の危機に追い込んでしまったことをとても悔やんでいて、せめてその気持ちは伝えたいと思っていました。そこでリポーターが元カレに数分のインタビューをして、元カレは涙ながらに思いを語ったそうですが、それはテレビ局の圧力でお蔵入りになってしまいました。
林道で自殺
元カレとしては軽い気持ちで高部知子さんのニャンニャン写真を流出させたのかもしれません。でも、それは清純派アイドルの高部知子さんにとっては取り返しがつかないくらいの大スキャンダルになってしまいました。
そして、体調を崩しただけでなく、暴走族や暴力団から嫌がらせを受けるようになって身の危険を感じるようになったため、一時的に福島県に身を隠すことになりました。
I少年は、親族が経営するガソリンスタンドでアルバイトをしながら、世間が“ニャンニャン事件”を忘れるのを待った。筆者のもとには時々「元気でやってます」との連絡が入っていた。
しかし、ニャンニャン事件から約3ヶ月後の1983年9月に茨城県東茨城郡桂村の林道で遺体となって発見されました。自動車の排気ガスを使った自殺だったようです。
ニャンニャン事件の直後だったために、他殺説も出ましたが、「マスコミに利用されて、裏切られた」という遺書がありました。
すると、父親から「実は、遺書があるんだ」と打ち明けられた。見せられたそれには「マスコミに利用されて、裏切られた」と書かれていた。
遺書の中に高部知子さんへの謝罪の言葉があったかどうかは不明です。
高部知子はニャンニャン事件&自殺スキャンダルで破門
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高部知子さんはニャンニャン事件の写真がFOCUSに掲載された当初は、「謹慎」という扱いでした。そのため「欽ちゃんのどこまでやるの!?」も完全な降板というわけではなく、あくまで謹慎だったんです。
しかし、元カレの18歳の少年が自殺してしまったことで、高部知子さんは追い込まれます。
あくまで謹慎でしたので、「遺族への配慮」という意味もあり、高部知子さんは「欽ちゃんのどこまでやるの!?」を完全に降板し、わらべも脱退することになりました。そして、欽ちゃんファミリーから破門されてしまいました。
ニャンニャン事件で高部知子はタバコを吸った?吸ってない?
ニャンニャン事件では、高部知子さんは15歳にしてタバコを吸い、セックスをしていたことが暴露されました。
ニャンニャン事件の翌年である1984年には、『告白ハンパしちゃってごめん』という告白本を出しています。
この告白本の中では、喫煙や性行為の事実は認めていました。その他、次のような衝撃的な内容が書かれていました。
・中2で処女喪失
・中3の時マンションで元カレ(自殺した少年)と同棲
この告白本を出したことで、高部知子さんはニャンニャン事件のことをほぼ認めたと思われていたのですが、1999年になって新たな告白をします。1999年の婦人公論の中で、次のような告白をしています。
・不良の役作りのために暴走族役のエキストラの人に取材をした中で撮った写真
・タバコは吸っていない。ふざけてくわえただけ
・男性は恋人ではない
・セックスもしていない
・「ハンパしちゃってごめん」はゴーストライターがかってに書いたもの
・「中2の時に初体験」は事実ではない
この告白はニャンニャン事件を全否定する内容です。
「役作りで取材をした中で撮った写真」というのは、さすがに無理があるように思いますが、どうなのでしょうか?
ニャンニャン事件は本当なのか?それともでっちあげだったのか?元カレの少年が自殺している以上、真相を知るのは高部知子さんしかいません。
ニャンニャン事件の高部知子のその後①:結婚で芸能界引退
ニャンニャン事件後、高部知子さんは1年3か月ぶりに芸能活動を再開しています。しかし、清純派としてのイメージが崩壊した後は、以前のような輝きが戻ることはありませんでした。
復帰作はTBSドラマの『転校少女Y』の主役でしたし、歌手としてソロデビューもしましたので、芸能活動を再開する時には期待されていたことがわかります。しかし、復帰してもあまり人気が出ることはありませんでした。
そのような事情もあり、高部知子さんはメンタルを病んでいたようです。19歳から22歳ごろまでリストカットをして5回の自殺未遂をしたそうです。
そして、5回目の自殺未遂の時に助けに来てくれた幼馴染の男性と1990年に結婚します。この男性とはコンビニを経営して、2人の子供をもうけました。
1991年に長女、1993年に次女を出産していますが、どちらも先天性心臓病を持っていて、治療をすることになります。
子供のための転地療養中に夫が浮気をして離婚することになりました。
ニャンニャン事件の高部知子のその後②:局部ピアスでヌード写真集
離婚後に再婚しますが、1999年には離婚しました。この時の離婚原因も夫の浮気だったようです。夫の浮気をきっかけに、高部知子さんはセックスの歴史や文化を研究するようになり、その過程で中世インドの性器ピアスに挑戦しました。
そして、その性器ピアスを1999年に出版したヌード写真集『Objet D’amour』で披露したのです。また、2001年には官能ビデオにも出演しています。セックスの奥深さを知ったのは30歳過ぎてからとのことですので、この頃の高部知子さんはエロス全開という感じだったのでしょう。
ニャンニャン事件から芸能界引退、それから芸能界復帰して性器ピアス&官能ビデオという流れを見ると、このまま「AV堕ち」の流れ化と思うかもしれませんが、高部知子さんはここから思わぬ方向に進んでいきます。
ニャンニャン事件の高部知子の現在:精神保健福祉士として活動
出典:mainichi.jp
エロス全開だった高部知子さんでしたが、2000年には慶應義塾大学文学部哲学科の通信教育課程に入学します。ここではギリシャ哲学や仏教哲学を学んでいます。
古いギリシャ哲学や仏教哲学を学びましたが、何かわかりそうな気がするけど、わかったところで何になるんだろうという思いがずっとあって……。悩んでいたときに、精神保健福祉法が制定されたんです。私の目指していたものはこれかなって思いました。
2005年に慶應義塾大学を卒業後、2007年には東京福祉大学精神保健福祉士養成コースを終了して、2009年1月に国家試験に合格して精神保健福祉士の資格を取得しました。
その後は、全国各地の精神医療・福祉関連施設で各種依存症や認知症の患者さんの心のケアに取り組んでいます。
その他、次のような資格や認定を受けています。
・浄土宗教師
・東京都認定薬物専任講師取得
・国立精神・神経医療研究センター精神保健研究所薬物依存薬物専門課程修了
・大野研究所認定・CBTストレスカウンセラー
また、心の専門家を育てる「悠學塾」を主催したり、医療法人「京都十全会グループ」の顧問を務めています。
ニャンニャン事件で地獄を見ることになった高部知子さんですが、その後はここまでやりたいことを見つけて専門性を高められるなんて、本当にすごいですね。
ニャンニャン事件と高部知子のまとめ
高部知子さんの大スキャンダルであるニャンニャン事件の詳細やタバコの真偽、その後の芸能界引退や性器ピアス、現在などをまとめました。
元祖リベンジポルノであるニャンニャン事件。誰も得をしない悲劇的な結末でした。高部知子さんが精神ケアの分野で頑張っておられることだけが、唯一の救いでしょうか。