マブチモーター社長宅殺人放火事件の犯人/小田島鐵男と守田克実の現在!生い立ちや家族と結婚・裁判の判決・その後を総まとめ

日本の犯罪史上でもトップクラスに凶悪な犯人が、マブチモーター社長宅殺人放火事件の小田島鐵男と守田克実です。

 

マブチモーター社長宅殺人放火事件の場所や犯人の小田島鐵男・守田克実のそれぞれの家族や生い立ち、結婚、事件の詳細と事件後の逮捕に至るまで、裁判の判決や現在をまとめました。

マブチモーター社長宅殺人放火事件とは

出典:newspicks.com

 

マブチモーター社長宅殺人放火事件とは、2002年8月5日に千葉県松戸市にあるマブチモーター社長宅で起こった殺人放火事件です。この事件でマブチモーター社長の妻と長女が死亡しました。

また、犯人の小田島鐵男と守田克実は同年9月に東京都目黒区歯科医師強盗殺人事件、同年11月に千葉県我孫子市金券ショップ経営者妻殺害事件を起こし、3つの事件で4人を殺害しました。

 

・マブチモーター社長宅殺人放火事件
・東京都目黒区歯科医師強盗殺人事件
・千葉県我孫子市金券ショップ経営者妻殺害事件

この3つの事件は「警察庁広域重要指定124号事件」に指定されていますが、一般的に「マブチモーター社長宅殺人放火事件」と呼ぶことが多いです。

 

この犯人の小田島鐵男と守田克実は刑務所内で出会い、刑務所の中でこの犯行計画を立てて実行を約束をしていて、更生の場所であるべき刑務所が犯罪の温床になっていたことが判明しました。

 

 

マブチモーター社長宅殺人放火事件の場所

 

マブチモーター社長宅殺人放火事件の場所を確認しておきましょう。マブチモーター社長宅殺人放火事件は、マブチモーター社長の自宅で起こりました。当時のマブチモーター社長の自宅は千葉県松戸市常盤平6-5-2にあります。

 

 

事件後に事件現場であるマブチモーター社長の自宅は取り壊され、遺族である馬渕氏は跡地を松戸市に寄贈、さらに工事費1500万円も寄付し、現在は防犯・防災拠点の「安全安心ステーション」となっています。

 

出典:google.com

 

また、東京都目黒区歯科医師強盗殺人事件は東京都目黒区目黒本町五丁目23番先、我孫子市金券ショップ経営者妻殺害事件は我孫子市天王台付近マンションで起こっています。

 

 

マブチモーター社長宅殺人放火事件の犯人の生い立ち・家族・結婚①:小田島鐵男

出典:sankei.com

 

まずはマブチモーター社長宅殺人放火事件の犯人の家族や生い立ち、結婚の有無などを見ていきましょう。まずは小田島鐵男からです。

 

 

小田島鐵男の家族

 

小田島鐵男の家族構成はやや複雑です。

 

・祖父

・祖母
・母親(+母親の交際相手)
・弟や妹(異父兄弟?)

 

父親は小田島鐵男が生まれる前に亡くなっています。そのため、祖父母の子供として出生届が出されました。また、母親は一緒に暮らしていたこともありますが、ずっと一緒に生活していたわけではないので、母子の関係性は一般的な家族よりも薄いと言えるでしょう。

 

 

小田島鐵男の生い立ち

 

小田島鐵男は1943年4月17日に北海道北見市で生まれました。父親は小田島が生まれる前に亡くなったこともあり、母親の祖父母の子として戸籍が作られ、苗字も母親の旧姓である「畠山」で育ちます。

小田島は祖父母の家や母親(+交際相手)、母方の親戚の家を転々として育ちました。経済的にはかなり厳しかったそうです。

 

また、小田島は2回も母親の無理心中に巻き込まれています。1回目は4歳の時。母親は小田島を連れて近くの川で入水自殺を図ろうとしましたが、間一髪で親戚に発見され事なきを得ました。

2回目は小田島が11歳の時です。母親は小田島と妹を連れて橋の上から投身自殺を図ろうとしましたが、この時は小田島鐵男が逃げ出したため、失敗に終わりました。

 

そのような幼少時代を過ごした小田島鐵男は、ごく自然に悪い道に進んでいきました。

 

中学生の頃には買い物に行った店の引き出しから現金を盗んで補導され、中学卒業後は祖母の小切手を持ち出して1万円借りたり、飲食物を盗んだりして、1959年には詐欺・窃盗罪で中等少年院送致の処分を受けています。

 

出所後は、家族と離れて住み込みの仕事をしていましたが、翌年には窃盗・窃盗未遂・住宅侵入未遂の罪で懲役1年以上3年以下の不定期刑に処せられて、函館少年刑務所に服役しています。

 

少年刑務所を出所した後は、バーテンダーやミシンのセールスなどの仕事をして、北海道内を転々としていました。それから窃盗や詐欺、傷害などで逮捕され、札幌刑務所、釧路刑務所、甲府刑務所、府中刑務所、鹿児島刑務所で服役をしています。1988年3月までに6回の懲役刑を処せられています。

 

 

小田島鐵男の結婚歴

 

小田島鐵男には結婚歴があります。

 

結婚歴は3回(2回の情報もあり)です。1回目は39歳の時です。飲み屋の女性と知り合って、結婚しました。その女性の借金の肩代わりまでしたそうです。小田島鐵男は一度は真面目に働こうと決意し、自動車教習所の教官として働きますが、やはり手癖の悪さは直らず、窃盗で逮捕されて刑務所に収監されました。

 

2回目は結婚後に練馬3億円事件を起こして逮捕されます。刑務所に服役中に妻は逃げてしまいます。ただ、この妻の父(義父)を「出所後の連絡先」としていたので、義父との関係性は悪くなかったのかもしれません。

 

そして、出所してからフィリピンパブで知り合った女性と結婚して、その女性との間に息子が1人生まれています。小田島鐵男が逮捕された後は、この妻と息子はフィリピンに帰っているそうです。息子は2015年時点で10歳前後という情報がありますので、2023年には18歳になっていると思われます。

 

後述しますが、この息子さんに自分が死刑囚であることを知られたくないから、小田島鐵男は死刑確定後に「畠山」という旧姓に戻していますので、息子さんのことは溺愛していたと推測することができます。

 

 

マブチモーター社長宅殺人放火事件の犯人の生い立ち・家族・結婚②:守田克実

出典:twitter.com

 

続いて、もう1人の犯人である守田克実を見ていきましょう。

 

 

守田克実の家族・生い立ち

 

 

守田克実は1950年10月17日に鹿児島県伊佐郡で生まれました。子供の頃に両親が離婚し、父親に引き取られて育ちました。父親は鹿児島県内の私立高校の教員を務めていて、守田も中学卒業後はその高校に進学するも、中退しています。

中退後は家を出て、大阪市内の会社に勤務しながら、定時制高校に通って卒業しました。

 

両親は幼い頃に離婚していますが、守田克実は小田島鐵男に比べると、ごく一般的な家庭で育っています。父親は高校教員ですので、経済的にも苦労はしていません。

 

しかし、徐々にギャンブルにのめり込むようになり、1979年には仕事を退職して、借金を重ねていきます。1983年には懲役10ヶ月執行猶予3年の刑を受け、さらに1986年には窃盗罪で懲役1年4ヶ月の実刑判決を受けています。

 

 

守田克実の結婚

 

守田克実は大阪の会社で勤務している時、1976年に勤務先で知り合った女性と結婚して、息子を一人もうけました。

 

しかし、そこからギャンブルにはまっていったため、妻とは離婚しています。結婚して子供が生まれた後に、ギャンブルにのめり込み借金を抱えるなんて、この頃の守田に一体何があったのでしょうか?

 

妻と離婚してから、守田克実は一気に人生を転落していくことにになります。

 

 

マブチモーター社長宅殺人放火事件の詳細①:事件の経緯や計画

マブチモーター社長宅殺人放火事件を詳しく見ていきましょう。

 

 

刑務所内で犯人の小田島鐵男と守田克実が知り合う

 

犯人の小田島鐵男と守田克実は宮城刑務所で同じ房になったことで知り合い、次第に親しくなっていきました。

 

小田島鐵男は1990年6月2日に東京都練馬区にある建設会社の社長宅に押し入り、38時間にわたって社長家族7人を監禁し、現金3億円を奪って逃走(練馬3億円事件)しました。この罪で懲役12年の実刑判決を受けて、1991年11月から宮城刑務所に収監されていました。

 

守田克実は交際中のタイ人女性に売春を辞めさせようとして、その雇い主であるタイ人女性と交渉していた時にカッとなり、そのタイ人女性を絞殺しました。殺人・窃盗罪で逮捕されて懲役12年の実刑判決を受け、1989年10月から宮城刑務所に収監されています。

 

そして、1995年12月14日に小田島鐵男と守田克実は同房になり知り合って、仲良くなっていくのです。

 

 

小田島鐵男が守田克実を誘う

 

刑務所の中で小田島鐵男は周りの受刑者に対し、「前は会社社長宅に押し入って3億円を奪って、海外で豪遊した」などと自慢し、「次は資産家の家を狙って10億円くらいの大金を手に入れる。今度は証拠隠滅のために、家族をみんな殺して火をつける。その後は偽名パスポートを使って海外に行って、遊んで生活する」などと周りに話していました。

小田島鐵男は、次は会社として利益があり、ワンマン経営で経営者がある程度大金を自由に動かせるオーナー社長を狙おうと考え、いろいろと情報収集を行い、分析していました。

 

小田島鐵男は親しくなった守田克実に、犯行計画を話して情報分析のノートを見せながら、犯行を一緒に行おうと誘うようになりました。最初は、守田は話を聞き流していましたが、何度も小田島鐵男が誘ってきたことで本気になり、1996年の終わりごろには小田島鐵男に「一緒にやる」と伝えるようになりました。

 

 

出所後に連絡を取り合う

 

 

小田島鐵男と守田克実は何度も犯行計画について話し合い打ち合わせをしています。そして、守田の方が早く出所する見込みだったため、犯行計画を立てるためのアパートや犯行に使う車、資金100万円などを準備するように伝えています。

 

1997年12月には小田島と守田は別の房に移ることになり、2人は連絡先を交換しています。その後は小田島が出所する2002年6月まで2人は会うことはなく、連絡を取り合うこともありませんでした。

 

守田克実は2000年5月23日に仮釈放されました。その後はホームレスの名義を使って携帯電話を購入して外国人らに転売して収入を得ていて、ホームレスの名義を使って消費者金融からお金を借りて、パチンコをしたり、フィリピンに旅行に行ったりしました。

 

そして、2002年6月25日に小田島鐵男が仮出所したことを知り、守田克実は小田島の義父を通じて小田島に連絡を取ります。

 

出所した翌日の6月26日には小田島と守田は再会し、お互いに刑務所内で話し合った犯行計画を実行する意志があることを確認します。その後、犯行後に海外に行くために、偽造パスポートを作り、準備を着々と2人で進めていました。

 

 

マブチモーター社長宅殺人放火事件の詳細②:3つの事件

マブチモーター社長宅殺人放火事件の詳細、次は3つの事件についてです。

 

 

マブチモーター社長宅殺人放火事件

 

刑務所にいる時から、マブチモーター社長宅を犯行の候補に挙げていた小田島鐵男と守田克実は、2002年7月下旬(小田島が出所して約1ヶ月後)には、2002年8月5日にマブチモーター社長宅を襲うことを決めました。

 

小田島はマブチモーター社長である馬渕隆一の自宅を数回にわたり下見をして、自宅に電話をかけて在宅状況を調べ、次のような計画を立てました。

 

1.マブチモーター社長宅に侵入したら、在宅の女性を人質にとる
2.馬渕社長が帰宅したら刃物などで制圧して、銀行から現金を持参させる
3.家族を皆殺しにして家に火をつけて逃亡する

 

そして、2002年8月5日午後3時ごろ、小田島鐵男と守田克実は宅配業者を装い馬渕社長宅を訪問し、家の中に押し入ります。

 

この時、馬渕社長宅には馬渕社長の妻(当時66歳)と馬渕社長の長女(当時40歳)がいました。小田島と守田は2人に刃物を突き付け、手首を縛りあげ、口や目に粘着テープを貼り、現金数十万円や高級腕時計、貴金属類など時価総額966万円相当を強奪しました。

 

犯人の2人は計画とは異なり、馬渕社長の帰宅を待たずに長女を2階の寝室で、妻を1階のリビングで絞殺しました。ここまでで侵入から約30分しか経っていません。犯人2人は被害者の遺体がある寝室とリビングに混合ガソリンをまき、ライターで火をつけて逃走しました。

 

徒歩で松戸駅に戻り、車で逃走しています。そして、事件から約2週間後の8月20日に、偽造パスポートを使ってフィリピンに出国しています。

 

 

東京都目黒区歯科医師強盗殺人事件

 

マブチモーター社長宅殺人放火事件では10億円を奪う予定だったのに、約1000万円しか手に入れることはできませんでした。

 

犯人2人は旅行代やパチンコ代などですぐにお金を使い果たしました。マブチモーター社長宅殺人放火事件から約1ヶ月後の2002年9月には、守田克実は小田島鐵男に「また資産家を狙おう」と提案します。しかし、小田島はすぐには計画は立てられないと言い、2人は空き巣などを繰り返していました。

 

しかし、「どうせ逮捕されるリスクを冒すなら、空き巣ではなく、大金を奪いたい」と考え、再び小田島に資産家を狙うことを提案します。

 

小田島はゲームソフト会社社長宅に目星をつけていましたが、下見に行くとセキュリティーがしっかりしていたため断念し、歯科医ならお金を持っているだろうと、歯科医院を開業している歯科医の自宅を襲うことに決め、守田克実も同意します。今回もお金を奪った後は、皆殺しにする計画を立てました。

 

実行は2002年9月24日です。マブチモーター社長宅殺人放火事件から1ヶ月半後のことでした。

 

犯人の2人は歯科医院から帰宅する歯科医の後をつけ、そのまま家に押し入る予定でしたが、閉院時間を過ぎても歯科医が出てきませんでした。

 

すでに自宅に帰っているのかもしれないと思った犯人2人は、小田島が歯科医宅に向かい、守田は歯科医院前に残ることにしました。実はこの時、司会はすでに帰宅していたのです。

 

歯科医宅前に到着した小田島は、勝手口から家の中に侵入し、歯科医の左側胸部を刃物で突き刺し、肺損傷を負わせます。そして、現金35万円や時価3万円相当のカレッジリングを強奪すると、守田を電話で呼び出します。

 

現場に到着した守田に、歯科医の首を絞めるように指示し、守田はその指示に従いタオルで絞殺した後、犯人2人は逃走しました。

 

 

我孫子市金券ショップ経営者妻殺害事件

 

またしても、思ったより強奪した金額が少なく、犯人2人は1ヶ月程度でお金を使い切ってしまいました。

 

その後、空き巣を繰り返して生活するようになりました。

 

2002年10月上旬ごろには、守田は小田島に「また資産家を狙おう」と誘うようになり、小田島も同じことを考えていました。

 

小田島は以前に東京の神田にある老舗金券ショップに行った時、羽振りが良さそうな印象を思い出し、その金券ショップを狙うことをしましたが、店は防犯設備がしっかりしていて、そのまま押し入るのは難しいと判断し、経営者の男性を拉致して、経営者の男性に鍵を開けさせて犯行を行うことを思いつきます。

 

経営者の男性を拉致する方法は、帰宅途中、もしくは自宅に押し入り家族を人質にとって帰ってきたところを拉致しようと考え、尾行して経営者男性の自宅が我孫子市天王台のマンションであることを突きとめます。

 

2人は経営者男性を帰宅途中に拉致することを決め、手錠や催涙スプレーを用意し、自宅に侵入する時には警察官を装って油断させることを決めました。そして、実行は2002年11月20日。

 

最寄り駅で待ち伏せていましたが、いつもは午後7時~午後8時には帰宅して駅に現れるのに、この日は午後11時を過ぎても経営者男性は現れませんでした。小田島鐵男と守田克実は、この日の犯行を諦めます。

 

そして、翌日の2002年11月21日、犯人の2人はもう一度経営者男性の自宅周辺を下見し、午後6時10分ごろに警察官を装って経営者男性宅を訪問し、室内に押し入り、自宅にいた妻を拘束して暴行を加え、金品のありかを聞きだし、現金百数万円と財布を奪った後、守田が経営者の妻を絞殺して殺害しました。

 

 

マブチモーター社長宅殺人放火事件の詳細③:事件後~逮捕まで

マブチモーター社長宅殺人事件の詳細、最後は事件後から犯人2人を逮捕するまでの経過を見ていきましょう。

 

 

捜査は難航

 

マブチモーター社長宅殺人放火事件はすぐに捜査が開始されましたが、放火のための燃料を用意しているのに、絞殺には現場にあったネクタイを使うなど、計画性があるのかないのかわからないような犯行であり、しかも現金130万円やそのほかの貴金属が残されているなど、物盗りか怨恨かは絞り込めない状態が続き、捜査は難航しました。

 

・計画的犯行かどうか
・物盗りか怨恨か

 

さらに、過去に同じような手口の犯罪もなく、特異的なもので、犯人像が全くつかめませんでした。

 

 

お悔やみ泥棒で逮捕

 

また、マブチモーター社長宅殺人放火事件と東京都目黒区歯科医師強盗殺人事件、我孫子市金券ショップ経営者妻殺害事件が同一犯による犯行であるとも警察は考えておらず、この3つの事件が結び付けられることはなかったのです。

 

しかし、事件から2年以上経った2005年1月20日、事態は大きく動きます。

 

小田島鐵男と守田克実は、2004年3月ごろから北関東で「お悔み泥棒」をするようになりました。新聞のお悔み記事を見て、その遺族は通夜や葬式を行っている時間は家を空けるから、その隙に空き巣に入るという犯行です。犯人2人は今までに数百件のお悔み泥棒をして、数千万円を強奪していました。

 

群馬県警はお悔み泥棒の被害が多発していることから、お通夜の家を重点的に警備するようになります。2005年1月20日、小田島鐵男と守田克実は群馬県前橋市でお悔み泥棒をし、現金7300万円を盗もうとしたところ、警察官に現行犯逮捕されました。

 

 

密告でマブチモーター社長宅殺人放火事件との関与が浮上

 

小田島鐵男と守田克実がお悔み泥棒で逮捕される少し前の2004年11月、小田島と守田2人と同じ宮城刑務所にいたという人物から、「同じような計画を話していた人間を知っている。情報を買ってくれないか」とマブチモーター本社に連絡が入ります。

 

また、2004年12月に小田島と守田の2人を知る人物から、松戸東署捜査本部に「小田島と守田の2人が事件に詳しい。自分は犯行に誘われたが断った。事件後に小田島から『俺たちがやった』と聞かされた」という密告が入りました。

 

この密告・情報提供はかなり詳しく、警察が捜査すると、小田島が起こした練馬3億円事件とマブチモーター社長宅殺人放火事件に類似点があることが判明しました。

 

 

逮捕

 

お悔み泥棒での公判中に、マスコミも小田島と守田がマブチモーター社長宅殺人放火事件の容疑者であると報じ始め、お悔み泥棒の裁判にマスコミが殺到するなどの騒ぎになりました。

 

2005年6月30日に守田に懲役2年8ヶ月の実刑判決、2005年7月13日に小田島鐵男は懲役4年実刑判決が言い渡されました。その後、千葉県警が字密告情報の裏付け捜査を行い、2005年10月には守田が小田島とマブチモーター社長宅殺人放火事件を起こしたことを認める供述をしました。

 

そして、2005年10月21日に小田島鐡男と守田克実をマブチモーター社長宅殺人放火事件の犯人として、強盗殺人・現住建造物放火等の容疑で逮捕しました。

取り調べに対し、守田は犯行を認めていますが、小田島は「関係ない」と事件への関与を完全に否認しています。

 

さらに2005年12月1日までに、守田は「小田島と共謀し、東京と千葉で合計2名を殺害した」と東京都目黒区歯科医師強盗殺人事件と我孫子市金券ショップ経営者妻殺害事件への関与を供述し、2つの事件で小田島鐵男と守田克実は再逮捕・起訴されました。

 

この2つの事件への関与がわかった時点で、小田島鐵男も事件への関与を認める供述をするようになりました。

 

 

マブチモーター社長宅殺人放火事件の裁判の判決

 

マブチモーター社長宅殺人放火事件の裁判は、2006年2月23日から守田克実の裁判が開かれました。小田島鐵男の裁判は公判前整理手続きが行われたため、守田克実よりも半年以上遅れて2006年9月12日に初公判が開かれています。

 

 

小田島鐵男は死刑

小田島鐵男は警察での取り調べ時とは一転して、初公判の罪状認否で「間違いありません」と起訴事実を認める供述をしています。検察は死刑を求刑し、2007年3月22日に千葉地裁で死刑判決が言い渡されました。

 

裁判長は死刑判決の理由を次のように述べています。

 

これらの点からすると,被告人の大金を手にするためなら殺人をも厭わない反社会的で冷酷非情な犯罪性向は極めて根深いといわざるを得ず,その改善更生余地を見出すのは困難である。

 

引用:平成19年3月22日宣告

 

その後、小田島の弁護人は控訴しましたが、2007年11月11日付で小田島鐵男本人が控訴を取り下げたため、死刑が確定しました。

 

 

守田克実は死刑

守田克実は2006年12月19日に千葉地裁で死刑判決が言い渡されています。

 

平然とその犯行を敢行し,その後は人を殺害することに対する抵抗感も鈍麻し,自ら進んで丙に対し次の犯行を働きかけ,何ら臆することなく同様の手口を用いて2件の強盗殺人事件を敢行し,その後も空き巣狙いの現行犯人として逮捕されるまでの間,丙と共に空き巣狙いを繰り返していたものである。これらの点からすると,被告人の冷酷非情な犯罪性向は極めて根深いといわざるを得ず,その改善更生の余地を見出すのは困難である。

 

引用:平成18年12月19日宣告

 

守田の弁護人は3つの事件は小田島が主導していて、守田の関与の程度は低いと主張していましたが、裁判では「その役割に格段の差異はない」と弁護側の主張は退けられました。

 

その後、守田は控訴しますが、二審でも死刑判決となり、最高裁に上告します。2011年11月22日に最高裁では「大金を得て遊んで暮らすため、落ち度のない4人の命を奪った結果は重大で、死刑はやむを得ない」という上告を棄却する判決が出て、死刑が確定しました。

 

 

マブチモーター社長宅殺人放火事件の犯人の現在

出典:chibanippo.co.jp

小田島鐵男は病死

マブチモーター社長宅殺人放火事件の犯人の小田島鐵男は、2007年11月11日に死刑が確定しています。

 

その後、死刑囚として東京拘置所に収監されましたが、拘置所の中で日記を執筆し、ノンフィクション作家の斎藤充功に手紙で送って、斉藤氏がそれを「死刑囚獄中ブログ」として公表していました。このブログは、「死刑囚獄中ブログ」は『最期の夏 「マブチモーター事件」強盗放火殺人犯 死刑囚獄中ブログ』として2009年に出版されてました。

 

小田島鐵男は控訴を取り下げた理由を「これ以上私のことで負担をかけるわけにはいかない」としていて、拘置所内で自分の境遇と酷似する小説を読んで、「自分は妻子に出会うために生まれてきた」と悟り、慟哭したそうです。

 

また、フィリピン在住の息子が死刑執行を知られないように、「畠山」姓に改名しています。

 

2017年1月下旬には食道がんであることが判明し、自分の意思で積極的な治療をすることを拒否し、痛み止めなどの緩和ケアの治療を受けていました。そして、2017年9月16日に東京拘置所内で亡くなっています

 

 

守田克実は再審請求

守田克実は2011年11月に上告を棄却され、死刑が確定していますが、現在は再審請求を行っています。

 

現在2人には死刑が確定しているが守田は現在も再審請求をしているという。
金のために人間の心を失い尊い命を奪った男たちの結末。

 

引用:一流企業を狙った連続強盗殺人犯|ザ!世界仰天ニュース|日本テレビ

 

2022年7月時点でも再審請求中ですので、今後どうなっていくのか不透明な状況です。しかし、小田島鐵男が控訴を取り下げて早々と死刑を確定させたことと比べると、どうしても「潔さがない」と思ってします。本人が犯行を認めていますので、冤罪の可能性は限りなく低いですし、4人を殺害しているとなると、過去の判例を見ても死刑は回避できないように思います。

 

 

マブチモーター社長宅殺人放火事件のまとめ

マブチモーター社長宅殺人放火事件の場所や犯人の小田島鐵男や守田克実の生い立ちや家族・結婚について、事件の詳細や裁判の判決と現在をまとめました。

 

マブチモーター社長宅殺人放火事件の計画が刑務所で練られていたと思うとぞっとします。しかも、5年くらいは犯人の2人は会っていなかったのに、再開直後に犯行を決意するなんて、犯罪へのハードルの低さを感じずにはいられません。

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