古谷惣吉の生い立ちから最期!家族や結婚・連続殺人事件・死刑執行と最期の言葉まとめ

古谷惣吉は1965年の秋から冬にかけて、関西地方を中心に8人の独居老人を殺害した強盗殺人犯です。この記事では古谷惣吉が起こした連続殺人事件の詳細や生い立ち、経歴、結婚や実家などの家族関係、判決、死刑執行前の最期の言葉を紹介します。

古谷惣吉が起こした通称・古谷惣吉連続殺人事件の概要

 

出典:https://twitter.com/

 

1965年の10月から12月にかけて、兵庫、大阪、京都、滋賀、福岡の5県で合計8人が殺害されるという事件が発生しました。

 

狙われたのは1人暮らしの高齢者ばかりで、犯人は古谷惣吉(ふるたにそうきち・当時51歳)という男でした。

 

古谷は金銭目的で目をつけた高齢者を襲っては殺傷し、所持金や腕時計などを盗んでいたのです。

 

犯人の名前から古谷惣吉連続殺人事件と呼ばれるこの事件は、警察庁広域重要指定105号事件に指定され、警視庁の広域重要指定事件としては初めての殺人事件となりました。

 

 

古谷惣吉という人物

 

2ヶ月の間に起こした強盗殺人事件だけ凶悪なのですが、古谷には前科までありました。

 

16歳の頃から繰り返し窃盗や詐欺などで逮捕されては刑務所に入れられており、37歳の時には強盗殺人事件を起こして2人を殺害し、懲役10年の有罪判決を受けていたのです。

 

この事件では古谷は従犯と見られていたため有期刑で済んだのですが、主犯の男には死刑が言い渡されていました。

 

しかし、1965年に起こした連続強盗殺人事件と手口が近いことから、後にこの事件も実は従犯ではなかったのではないかという疑惑が浮上。

 

つまり最初の強盗殺人事件の際に古谷を厳罰に処していれば、後の被害者は出なかった可能性が示唆されたのです。

 

さらに上記の事件のほかにも未解決の殺人事件で、犯人は古谷ではないかと疑われるものもありました。

 

これらは古谷本人から具体的な供述を引き出せなかったため、迷宮入りとなりました。

 

しかし、明らかになっている犯行から見ただけでも、金欲しさのために目についた人を躊躇いなく殺害していた古谷と言う男の恐ろしさは推して知れます。

 

 

古谷惣吉の生い立ち・経歴① 家族と実家

 

出典:https://www.youtube.com/

 

古谷惣吉は1914年2月16日に現在の長崎県対馬市に誕生しました。家族は両親と4人の弟妹で、古谷は5人兄弟の長男だったといいます。

 

父親は農業と旅館業を兼業しており、幼い頃の古谷の実家は比較的裕福でした。

 

しかし、古谷が4歳の頃に母親が病死したことから生活は一変します。父親は博打にのめり込むようになり、再婚したものの継母は継子の古谷らに冷たく、子供たちは愛情のない家庭で育っていきました。

 

さらに古谷が5歳になると、父親は妻子を残して材木商として1人で朝鮮半島に渡り、1年の間帰ってこなかったといいます。

 

この間に継母は子どもたちを残して家を出て行き、まだ幼かった古谷たちは親戚中をたらいまわしにされることとなりました。

 

古谷は伯父のもとに引き取られたのですが、伯父の家族にもなじめずに衝突を起こし、叱責されては家出を繰り返すなど素行の悪さが目立つようになっていきます。

 

そのため周囲からも疎まれ、伯父の家に寄り付かずに小学生の身の上でありながら野宿する様子も頻繁に見られたそうです。

 

学校でも人のものを盗む、いじめをするなどの問題行動を起こしていたとされ、同世代の少年少女からも距離を置かれていました。

 

こうして10歳になった古谷は、父親会いたさに1人で朝鮮半島に渡り、親子での暮らしを始めます。

 

前の妻と離婚した父親は朝鮮で再婚していたのですが、古谷は2番目の継母とも折り合いが悪く、このことが原因で12歳の頃に父親に黙って帰国。日本に戻った後は、祖母のもとに身を寄せました。

 

そうして祖母のもとで1年ほど暮らした後、今度は広島に住む叔母の家に引き取られ、そこから中学校に進学します。

 

しかし、中学生になっても幼い頃に身に着いた粗暴さ、善悪の判断の曖昧さは正されていなかったため、教師を殴りつけてしまい2年で中学を退学することに。

 

この件で叔母のもとにも居づらくなったのか、古谷は再び対馬に戻り、朝鮮から戻って来た父親と暮らすことになりました。

 

 

古谷惣吉の生い立ち・経歴② 逮捕・服役を繰り返す

 

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3度目の父親との暮らしもうまくはいきませんでした。対馬に戻った父親はまたぞろ再婚したのですが、この継母とも古谷は折り合いが悪く、15歳の時に家を出てしまいます。

 

本格的に家を捨てた古谷は博多駅周辺を徘徊するようになり、不良仲間を作っていきました。

 

そして1930年、16歳で最初の窃盗事件を起こすのです。広島市内で事件を起こした古谷はほどなくして逮捕、起訴されて懲役1年以上3年以下の実刑判決を言い渡されます。

 

こうして岩国少年刑務所に3年服役し、1933年4月1日に出所するのですが、この後も反省することなく立て続けに以下の事件を起こしていきました。

 

太平洋戦争時にも窃盗で服役していたため、徴兵されることもなく終戦前刑務所で過ごしていたほどです。

 

・1933年4月に窃盗をして逮捕。懲役8ヶ月の刑に処される。1934年3月5日に厳原刑務支所を満期で出所。

 

・1935年5月に窃盗をして逮捕。懲役2年の刑に処される。1937年5月13日に福岡刑務所を満期で出所。

 

・1937年に窃盗と詐欺をして逮捕。懲役3年の刑に処される。1940年8月16日に厳原刑務支所を満期で出所。

 

・1941年4月に窃盗をして逮捕。懲役6年の刑に処される。1945年9月22日に若松刑務所を仮釈放で出所。

 

・1951年12月に恐喝で検挙。

 

5番目の恐喝事件で検挙された際、古谷は「清水正雄」という偽名を使用していました。

 

偽名を使ったのには理由があります、この頃、古谷は福岡連続強盗殺人事件という事件の容疑者として警察から追われる身だったのです。

 

 

古谷惣吉が起こした福岡連続強盗殺人事件の詳細

 

1951年、37歳になっていた古谷惣吉は福岡市内で知り合った坂本登(当時19歳)という人物と共謀して、2件の強盗殺人事件を起こしました。

 

ここでは古谷が起こした最初の殺人事件である、福岡連続強盗殺人事件について見ていきましょう。

 

 

1件目の強盗殺人

 

出典:https://www.pakutaso.com/

 

1951年5月15日(裁判記録によると事件があったのは15日となっているが、起訴状には5月23日とある)、古谷は坂本登とともに福岡市東中洲南新橋下に居住していた40歳の浮浪者の男性を殺害しました。

 

金目当ての犯行で、男性が小金を貯めていると聞いた古谷と坂本は、所持金を奪う計画を立てたとされます。

 

犯行当日、男性のもとを訪れた古谷らは警察のふりをして「荷物を改める」として、彼を麦畑に誘い出して所持金を脅し取ろうとしました。

 

しかし、男性が抵抗して逃げたことから殺して奪い取ろうと考えを変えた2人は、マフラーと腰紐を使って男性を絞殺。現金8,600円の入った財布を盗んで逃走しました。

 

 

2件目の強盗事件

 

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1951年6月3日、先の事件での逃走資金を欲しがっていた坂本に誘われ、古谷は福岡県八幡市(現在の北九州市八幡西区)の民家に窃盗に入りました。

 

この家の家主は70歳の1人暮らしの男性で、2人は彼の留守を狙って家にあがり込み、金目のものを漁ったされます。

 

しかし、その最中に男性が戻ってきてしまったため2人がかりで首を絞めて絞殺。現金250円や米などを盗んで逃走しました。

 

 

坂本登の逮捕

 

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2件の事件は人通りのない場所で起きたことから目撃者もおらず、殺人現場に遺留品もない状況でした。

 

が、7月27日に逃亡していた坂本が1件目の強盗殺人事件の被疑者として逮捕され、その後、2件目の事件についても自供をしたことから起訴されることとなります。

 

逮捕後に「ソウさん」という共犯者がいたことも自供しており、福岡県警の捜査員が窃盗の前科がある古谷の写真を見せたところ、坂本は「彼がソウさんだ」と認めたといいます。

 

こうして古谷が指名手配されるとともに、坂本の裁判も開始。1951年11月7日に坂本に死刑が言い渡されました。

 

なお、坂本は「2件目の事件で被害者を殺害したのは古谷だ」と主張していたといいます。

 

しかし、その前に「1件目の事件の後、取り分をめぐって言い争いになった。古谷は犯行中に一回逃げ出したのに、分け前を多く要求してきた」と供述していたことから、福岡地裁は主犯は坂本だったと断定。

 

1953年には、藤崎拘置区で坂本登の死刑が執行されました。

 

なお、坂本の死刑執行時にも共犯の古谷が捕まっていない状況でした。当時の法律では共犯者がいた場合でも判決から一定期間内に死刑を執行する旨が定められていたため、古谷逮捕前に坂本は刑を受けることとなったのです。

 

やむを得ないことですが、事件の共犯者でもあり唯一の証人でもあった坂本が先に死刑になったことで、古谷が坂本に罪を擦り付け、都合よく裁判を勧めたことは否定できません。

 

 

古谷惣吉の逮捕

 

古谷が逮捕されたきっかけは、上でも触れた1951年12月の恐喝事件でした。

 

12月19日、古谷は「明日までに現金50,000円を用意しろ」という脅迫状を、西宮市の民家の郵便受けに投函します。

 

そして、翌日の20日にこの家を訪れたところを見張っていた警察官らに取り押さえられて、検挙されてしまいます。

 

警察署に連れていかれた古谷は「清水正雄」という偽名を使い、山口という男に脅迫状を入れるように指示されただけだと作り話をでっち上げました。

 

当然その嘘はすぐにバレて指紋照合の結果、清水正雄の正体も古谷だとバレて1952年2月1日に脅迫未遂で懲役3年を言い渡され、神戸刑務所に服役することとなります。

 

この後、1954年になって福岡連続強盗殺人事件の犯人として、先の事件で服役中だった古谷は逮捕されるのですが、逮捕された時に古谷は共犯の坂本がすでに死刑になったことを知っていたそうです。

 

そのため取り調べに対して古谷は「自分は手を下していない」「途中で怖くなって逃げ出して、戻ってみたら坂本が人を殺していた」などと主張。

 

すでに坂本が死んでいたことから警察も古谷の供述をひっくり返す証言や証拠を探すことができず、そのまま裁判が開始されました。

 

前科を考えると古谷が従犯だったのか、主犯だったのかは意見がわかれましたが、結果として古谷に言い渡された刑は懲役10年の有期刑でした。

 

1件目の事件については強盗殺人罪が適用されたものの、2件目の事件については古谷が男性殺害に加担した証拠がなく、窃盗罪のみが科されたためです。

 

こうして1956年3月4日に刑が確定した古谷は、福岡刑務所を経て熊本刑務所に服役することとなります。

 

 

古谷惣吉連続殺人事件の詳細

 

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熊本刑務所に移管された古谷惣吉は、服役中に他の囚人を殴るなどして拘禁されるなどしましたが、それ以外に目立った違反はなく1964年11月9日に約1年の刑期を残して仮出所します。

 

出所時の年齢は50歳にもなっており、1965年6月10日まで保護観察期間が設けられていたといいます。

 

出所した後の古谷は「熊本自営会」という更生保護施設で土木作業に従事し、あたかも更生したように見られたそうです。

 

50歳になっても古谷は父親や親族らとの関係が良くなく、出所後の身元引受人も現れなかったため、熊本自営会が古谷の身元引受人となりました。

 

熊本自営会に身を寄せて働いていた頃の古谷は、きちんと働いて生活を立て直したいという意欲を見せ、余暇には新聞を読むなどして真面目に暮らしていたとされます。

 

しかし、そうした生活も束の間のことで、仮釈放された約10ヶ月後には古谷惣吉連続殺人事件を起こすことに。

 

ここでは当時、戦後最大の被害者を出した連続殺人事件として世間を震撼させた、古谷惣吉連続殺人事件について詳細を見ていきます。

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古谷惣吉が行方不明になる

 

1965年5月3日、保護司に「神戸に行きたい」と申し出た古谷は、2000円を借りて外出したきり4日間も無断で外泊し、戻って来たと思ったらまた熊本自営会を出て行ってしまいました。

 

それきり行方不明になったため、保護司らも古谷の所在調査を行ったのですが、居所は発見できず、半年以上が過ぎていきます。

 

行方不明になっていたこの間に、古谷は連続強盗殺人事件を起こしていたのです。

 

 

1件目の事件

 

出典:https://www.photo-ac.com/

 

1965年8月19日の23時ごろ、福岡県福岡市の宇佐美川堤防上に現れた古谷は、警察を装って付近のバラック小屋を訪問しました。

 

そして出てきた69歳・廃品回収業の男性の首をタオルで絞めて失神させた後に、現金約20,000円、定期預金100,000円などを奪って逃走。

 

翌20日には奪った印鑑を使って預金を引き出して現金580,000円を得ると、22日から26日までの間は対馬に滞在し、その後は日本を縦断する観光旅行をしました。

 

 

2件目の事件

 

1965年10月30日、遊び歩いて所持金がつきかけていた古谷は、神戸市垂水区海岸通に住んでいた57歳の廃品回収業の男性・Aの家を訪れます。

 

古谷は初対面の男性に「泊めてくれ」と頼みましたが、男性が「警察に相談しろ」と言って追い返そうとしたために憤慨。

 

近くに落ちていたロープで男性の首を絞めて殺害した後に、発見を遅らせるために遺体に布団をかけて隠し、現金約500円と腕時計などを奪って逃走しました。

 

また、この時古谷は男性の家からズボンを盗んで、自分のズボンと履き替えています。

 

 

3件目の事件

 

出典:https://www.photo-ac.com/

 

1965年11月1日21時頃、滋賀県大津市錦織町の柳が崎水泳場に現れた古谷は、水泳場に併設されている掘っ建て小屋にいた管理人の59歳の男性を絞殺します。

 

この事件では小屋の中に金目のものが見当たらず、あちこち探しまわったせいで古谷は現場に6個の指紋を残していました。

 

このうちの砂糖壺に残っていたものが、指紋持ち主の身柄特定の決定打となりました。

 

 

4件目の事件

 

1965年11月17日18時30分頃、福岡県福岡市箱崎原田町にある原田橋の下に現れた古谷は、橋の下の掘っ建て小屋に侵入しました。

 

そして包丁を持ち出して、この小屋に住む39歳の廃品回収業の男性を脅して縛り上げ、金品を物色しましたが、その最中に男性を訪ねて来た知人2人と遭遇。

 

さすがに分が悪いと思ったのか、古谷は何も盗らずに逃走したとされます。

 

 

5件目の事件

 

1965年11月22日の昼、福岡県糟屋郡新宮町に住む54歳の英語塾講師の男性宅を訪れた古谷は、刺身包丁で男性の胸などを刺して殺害しました。

 

男性を殺害した古谷は現金5,000円や腕時計、トランジスタラジオなどを盗んだうえ、男性の遺体からズボンを剥ぎ取って、ほつれのあった自分のズボンと交換。この時、履いていたズボンは10月30日の事件で被害者から奪ったものでした。

 

英語塾講師の男性は連続強盗殺人事件で唯一の妻帯者であり、事件時に留守にしていた妻が帰宅したことで事件が発覚します。

 

そして通報を受けた警察が男性宅を捜査したところ、履いていたズボンから垂水市内のスーパーのレシートと、タグに書かれたAの指名が発見されます。

 

Aにも前科があったために筆跡や指紋の照合を行った警察は、英語塾講師の男性を殺害したのはAだと見て彼の家に向かいました。そこでやっと、Aの遺体も発見されたのです。

 

 

6件目の事件

 

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出典:https://www.pakutaso.com/

 

1965年12月3日21時頃、京都府京都市伏見区中島河原田町の京川橋の下のバラック小屋に住む67歳の廃品回収業の男性のもとに古谷が現れました。

 

バラック小屋に侵入した古谷は電気コードで男性の首を締めあげて殺害。

 

ジャンパーや腕時計を奪って逃走した後、これまでの犯行で入手したトランジスタラジオなどとともに換金したとされます。

 

 

7件目の事件

 

1965年12月5日21時頃、京都府京都市伏見区中島流作町の鴨川橋の下のバラック小屋に侵入した古谷は、この小屋に住む廃品回収業の60歳の男性に襲い掛かりました。

 

あたりに落ちていたマフラーで男性を絞殺した後、金目のものを物色して家探しをしていた古谷でしたが、大嫌いな生物である蛇の抜け殻を見つけたため、気分が悪くなって何も盗らずに家を出たといいます。

 

 

8件目の事件

 

1965年12月7日、大阪府高槻市南芥川町の高槻橋の下のバラック小屋に現れた古谷は、この小屋に住む土建手伝いの53歳の男性をシャツで首を絞めて殺害します。

 

この時も古谷は物取り目的で男性を殺害したのですが、小屋の中にめぼしいものがなかったため、何も盗らずに立ち去りました。

 

 

警察庁広域重要指定105号事件として捜査開始

 

1965年12月9日、一連の強盗殺人は手口や狙われた被害者の特徴、地理条件などから同一犯によるものではないかと警察は判断します。

 

そして、これら8件の事件を警察庁広域重要指定105号事件として捜査を開始しました。

 

広域重要指定事件とは

 

広域指定重要事件とは、管轄の県警だけはなく日本国内すべての警察機関が協力して捜査にあたることが決められた事件のことです。

 

同一犯によって都道府県をまたいで複数の犯行が行われた場合や、犯行件数がたとえ1件であっても、何らかの理由で県警が他の都道府県警に協力を依頼した場合などに、警察庁によって指定されます。

 

なお、連続殺人で広域指定重要事件に指定されたのは、古谷惣吉連続殺人事件が初だったとされます。

 

警察は12月7日のうちに犯人のモンタージュ写真を作成し、これを公開しようと準備を進めていました。

 

そんななか、できあがったモンタージュ写真を見て反応した人物がいたといいます。福岡県警捜査二課の鹿子生寛治刑事です。

 

鹿子生刑事はモンタージュ写真の男が、自分がかつて福岡連続強盗殺人事件で取り調べをした古谷惣吉とそっくりであることに気づきます。

 

さらに古谷と同時期に福岡刑務所に服役していた男からも「モンタージュ写真の男は古谷にそっくりだ」という証言が出ました。

 

鹿子生刑事らの話に信憑性を感じた捜査員らは、11月17日の事件で犯行中に被害者の家を訪れた2人の男性に古谷の写真を見せたとされます。

 

すると2人とも「自分たちが見たのはこの男で間違いない」と証言したのです。

 

さらに11月1日の事件で犯行現場に残された指紋を照合した結果、古谷のものと一致。

 

そのため警察は連続強盗殺人事件の犯人は古谷惣吉だと断定し、12月12日から古谷を全国で指名手配にかけました。

 

 

9件目の事件と古谷惣吉の逮捕

 

出典:https://gahag.net/

 

1965年12月12日23時40分頃、兵庫県西宮市大浜町の海岸防潮堤外側の小屋に侵入した古谷は、小屋内で寝ていた廃品回収業の51歳と69歳の男性2人をハンマーで殴打して撲殺。

 

連続強盗殺人の犯人が古谷だと断定した後、警察は古谷が現れそうな場所に潜伏して捜査を続けていました。

 

そのため2人を殺害した直後の23時47分頃に、古谷は巡回していた芦屋警察署の警官3人に見つかってしまい、すぐに取り押さえられたのです。

 

観念したのか、取り押さえられた古谷は先ほど2人の男性を殺害したことを自供。

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警官らが供述に従って防潮堤の小屋を見に行ったところ、撲殺された男性2人の遺体が発見されたため、古谷は現行犯逮捕されて芦屋署に連行されました。

 

 

逮捕後

 

逮捕後、古谷は署内で指紋照合を受けて一連の強盗殺人事件および8月の強盗事件は自分の犯行だと自供しました。なお、12月7日に起きた事件は古谷の自供で発覚したとされます。

 

兵庫地検は14日には強盗殺人罪で古谷を送検。取り調べの中で古谷は、短期間で次々と事件を起こした理由について以下のように話したといいます。

 

姓名判断で自分は50歳程度までしか生きられないと出た。どうせ先が短いのなら、殺人で後世に名を残してやろうと思った。

 

このようなことを話していた古谷でしたが、送検されてからは事件の詳細については「喋りすぎると裁判で不利になる」と言って、黙秘を貫いていました。

 

そのため、慎重な対応で自供を引き出す必要があると考えた兵庫県警は、関西学院大学心理学教室に古谷の分析を依頼。

 

「極めて動物的な性格で感情面で成長が見られない。罪悪感というものも存在しないため、良心に訴える交渉は無意味」という結果が戻ってきたことから、情に訴えるのは止めて、高圧的な

取り調べに変更したといいます。

 

これが功を奏して古谷が素直に事件の話をするようになり、1966年の1月末には調書が完成。

 

さらに1951年7月5日に京都府京都市左京区下鴨上川原町の北大路橋の下で、廃品回収業の男性を絞殺して現金1000円を奪ったという新たな供述もしたとされます。

 

この事件は手口が似ていたことから古谷の犯行と見られていたのですが、証拠がないため未解決となっていました。

 

しかし、自供が得られたことから一連の連続強盗殺人事件にくわえて起訴しようとしたところ、突如古谷が証言を撤回し、「警察に脅されて無理やり自供した」と言い出したために神戸地検は起訴を断念することに。

 

そのため、、北大路橋の事件については未解決のままとなり、そのほか古谷の犯行と疑われる類似の事件も犯人不明のまま時効を迎えています。

 

 

古谷惣吉の裁判と判決

 

出典:https://www.pakutaso.com/

 

古谷惣吉の初公判は、1966年6月29日に神戸地方裁判所で開かれました。

 

逮捕後の取り調べでは犯行を自供した古谷でしたが、裁判では態度を一転させて一部を除いた容疑を否認し始めました。

 

さらに裁判官や検察が自分の主張を認めないのは弁護士が無能だからだと騒ぎ立てて、一審の間に弁護士を2度も解雇したとされます。

 

こうして波乱含みで進んだ公判でしたが、一部事件では指紋などの状況証拠も残っていたことから裁判官は古谷の主張を聞き入れず、1971年4月1日には古谷惣吉に死刑が言い渡されました。

 

死刑を不服とした古谷は4月12日付で控訴。控訴理由について、弁護士は「犯行時、被告は心神耗弱状態にあり、犯行は『岡』という人物に指示されて行っただけだ」と説明します。

 

しかし、明らかに犯行が露見しづらく、狙いやすい独居の高齢男性ばかりを狙っているのに、心神耗弱状態だったとは思えません。

 

当然ながら古谷側の主張が認められるはずもなく、同年12月13日に大阪高裁は公訴棄却の言い渡しました。

 

その後も古谷は減刑を訴えて最高裁に上告しましたが、1978年11月28日に最高裁も上告を棄却。

 

これをもって古谷惣吉の死刑が確定します。

 

 

古谷惣吉の死刑執行と最期の言葉

 

出典:https://www.moj.go.jp/

 

死刑確定後、古谷の身柄は大阪拘置所に移されました。しかし、拘置所内でも大人しくしていたわけではなく、1982年には確執のあった39歳の死刑囚にハサミで襲い掛かり、首を切りつけるという殺人未遂事件を起こしています。

 

新聞を読む、野鳥に餌を与えるなどして穏やかに過ごしていた日もあったものの、「どうせ死刑なのだから、あと2、3人殺しても同じだ」と暴れる日もあるなど、拘置所内での古谷は情緒が安定しなかったそうです。

 

古谷の死刑は、死刑確定から6年が経った1985年5月31日に、収監先の大阪拘置所で行われました。享年71歳。

 

死刑直前に古谷がどのような言葉を残したのかは伝わっていません。しかし、ずっと交流があり、収監後も差し入れを送ってくれた兵庫県警の刑事に向けて、死刑執行前に以下の短歌を送っていたといいます。

 

厚恩を背負いて登る老いの坂 重きにたえず 涙こぼるる
 
 

古谷惣吉は結婚していた?

 

古谷惣吉が結婚をして家庭を持ったという話は裁判記録にもなく、生涯未婚だったのではないかと思われます。

 

死刑が確定した後も、手紙のやり取りをしていた相手は前述の兵庫県警の刑事だけだったとのことですから、彼以外に心を開ける相手もいなかったのでしょう。

 

また、死刑執行後の古谷の遺体ですが、少なくとも対馬にいる親族ら引き取りを拒んだとされます。墓もどこにあるのか不明です。

 

親族からしてみれば行きずりの人を欲望のままに殺害した男など、縁を切りたいし、血がつながっていると思いたくもないという心境だったのかもしれません。

 

 

古谷惣吉と古谷惣吉連続殺人事件についてのまとめ

 

今回は日本で初めて殺人で広域重要指定事件となった古谷惣吉連続殺人事件と、その事件を引き起こした古谷惣吉の生い立ちや経歴、前科、判決などについて紹介しました。

 

たしかに古谷の生育歴は幸せとは言い難く、もっと考えが柔軟な頃に辞世の句を送った刑事のような人物に会えていたら、違う人生を送っていた可能性もあります。

 

しかし、その日その日を懸命に生きていた人々をはした金目当てで殺害したという事実は許しがたく、福岡連続強盗殺人事件で裁判官が厳罰に処さなかったことに対しても、憤りを感じざるを得ません。

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