1923年に起こった石狩沼田幌新事件は日本史上二番目のヒグマ熊害事件です。
現場は北海道幌新地区、場所は祭事会場の真っ只中。被害者は8名にも上り、遺体の凄惨さや加害熊の毛皮・剥製の写真が現存する事から、旧2ちゃんのなんJ板やゴールデンカムイでも触れられています。
この記事の目次
石狩沼田幌新事件とは
日本最大の熊害事件『三毛別羆事件』から8年が経過し、本事件も風化し始めた約8年後。北海道民の緊張を再び呼び戻すヒグマ獣害事件が起こってしまいます。
その事件こそ、今回ご紹介する『石狩沼田幌新事件』です。
発生日時は1923年(大正12年)8月21日深夜から同年24日の3日間で終息します。この短期間にも関わらず“総被害者8名(死者4名・重傷者4名)”という多大な被害をもたらしました。
生還者の伝聞やその後のヒグマ討伐・解剖記録から『ヒグマにより食害された人々の生々しい様子』『食害された遺体の余りに凄惨な状態』が浮き彫りになり、本事件は様々なメディアで取り上げられることとなります。
いったい『石狩沼田幌新事件』は何がきっかけで、どのような経緯で起こってしまったのでしょうか?
時系列を辿り…まずは事件そのものを追って見て行きましょう。
石狩沼田幌新事件・第一の襲撃
石狩沼田幌新事件の発生場所は『北海道雨竜郡沼田町の幌新地区』が中心となります。事件自体の発端は同町の恵比寿地区で開催された“太子講の祭り”という「聖徳太子を讃える祭儀」から始まりました。
当時、極端に娯楽の少ない開拓民に取り“祭事”は一大イベントです。余興で行われる浪花節や人情芝居・そして祭りに付き物の「酒宴」を楽しみに、近隣村落から多数の開拓民たちがこぞって本祭に駆けつけていました。
夜も更けた23時半ごろ祭りはお開きになり、開拓民たちは帰宅の途につきます。不幸にも最初の事件はお祭りの熱も冷めやらぬ中、夜の山道を歩き続け幌新地区へ帰宅している開拓者たちに降りかかるのです。
最初の襲撃を受けたのは道中小用を足すために一団を離れた、当時19歳の「林謙三郎」でした。
50mほど離れた集団に追いつくため駆け出した健三郎。その直後、突如として現れたヒグマが彼の背後にその爪・牙を突き立てます。林謙三郎は上手く着物を脱ぐことで、幸運にもヒグマの手から逃げ出すことができました。
急いで仲間たちにヒグマの襲撃を伝えたようとしたその矢先、ヒグマは既に先頭にまで先回りしており「村田幸次郎(当時15歳)」を瞬時に撲殺します。更にその兄「村田与四郎(当時18歳)」を気絶させ、他の少年らにも重傷を負わせるのです。
そして、仕留めた獲物「村田幸次郎」の身体を、事もあろうか皆の目の前で腹部からバリバリと食べ始めます……
更に一通り腹を満たしたヒグマは、重傷を負い気絶していた兄・与四郎を何と『保存食』として土に埋めてしまいます。
襲われた集団は「このままでは自分らも殺されてしまう!」とパニックに陥り、近隣の農家宅に我先にと逃げ込むのです。動物が嫌う火を必死に囲炉裏にくべ続け、押し入れや屋根裏に隠れる…本来ならこれでやり過ごせるという思惑も大きく、安堵が一同を包みます。
しかし『石狩沼田幌新事件』における幌新地区住民たちの最大の誤算は「余りにも執念深い加害ヒグマの性格」でした…
石狩沼田幌新事件・第二の襲撃
近隣農家宅に逃げ込み、ヒグマに対する万全策を行った幌新地区の住民たち。
30分ほど経ち「ホッ」としたのも束の間でした。事もあろうに村田幸次郎の遺体をその口に咥えた加害ヒグマが、彼らを執拗に追いかけてきたのです。
ガラス戸から屋内の様子をじっと伺っていたヒグマは玄関の方向に踵を返し、扉を抑えていた幸次郎・与四郎の父『村田三太郎』ごと玄関を吹き飛ばします。2人の大切な息子を襲われた三太郎は近くにあったスコップを手に取り飛び掛かります。が…返り討ちに会い重傷を負います。
このヒグマは囲炉裏の火に全く臆しませんでした。
そして部屋の隅で震え縮こまっていた村田家母「ウメ」を咥え上げ、そのまま外へ出て行こうとします。「助けて、おっとさん!」「やめろ!おっかあを返せ!」「グロォォォ!!」2人と一匹の怒号と咆哮が混じり合い、三太郎は重傷の身でありながらヒグマの身体を何回・何十回と殴打します。
しかし残念ながらヒグマは微動だにしませんでした…
三太郎の攻撃をも意に介さなず、ヒグマはウメを咥えたまま闇の中にひっそりと消えてしまったのです。
暗闇からはしばらくウメの「助けて!」という悲痛な叫び声が周囲に響き渡ります。それもしばらく経つと「南無阿弥陀仏…南無阿弥陀仏…」という念仏に変わり、ウメとヒグマの声は遂には聞こえなくなりました。
翌22日たまたま現場農家宅前を通りかかった別農家に助けを求め、すぐさまウメを捜索します。すると衝撃的なことに…『下半身が全て消失』し、変わり果てた姿のウメが見つかるのでした。
ウメの死体の近くには「生きたまま土に埋められている」与四郎の姿も発見されます。この時点ではまだ息がありましたが残念ながら後日、搬送先の病院で体調が悪化し亡くなってしまいます。
この時点で重傷者3名(内与四郎は後に死亡)・死者2名という大惨事になり、事件解決は一刻を争う事態となります。22日中には“沼田町”全住人に本事件が知れ渡る事になり。狭い集落は大パニックに陥ります。
石狩沼田幌新事件・第三の襲撃
第三の事件の被害者は全てヒグマ討伐隊から犠牲者が出てしまいます。つまりヒグマに返り討ちにあったのです。
事件発生から2日後の23日には「アイヌ出身」の3名のマタギが急遽ヒグマ討伐のため駆けつけます。最初の犠牲者は3名の内の1人のマタギ…アイヌ出身の「長江政太郎」でした。
彼は昨晩の話を聞くや否や「そんな悪魔のようなヒグマはすぐに殺さなきゃならん」「マタギは勝手を知っているから大丈夫だ」と単独行動を起こします。しかし数発の銃声を最後に、遂には山を下りて来ることはありませんでした…
石狩沼田幌新事件の終息
翌24日には消防団・青年団・在郷軍人を筆頭に約300人が幌新地区に駆け付けます。また幌新地区を中心に近隣部落からも60歳未満の男性全てが参加した一大討伐隊が結成されます。
皆、人の味を覚えたヒグマの恐怖と厄介さを熟知しており、死に物狂いの討伐戦が繰り広げられます。
ただ当のヒグマは完全にこの討伐隊の動きを把握していました…
討伐隊一行が山中に分け入ると、突然討伐隊最後尾からヒグマが表れ、隊に参加していた『上野由松(57歳)』を奇襲し呆気なく撲殺します。続けざまに隊列を組んでいた『折笠徳治』にも襲いかかりますが、不幸中の幸いで命は落とさず辛うじての所で重傷に済んでいます。
討伐隊は騒然となり大パニックに陥ります。老獪で恍惚、そして賢さを合わせ持つ加害ヒグマに恐れ慄いてしまったのです。
しかし討伐隊内には戦火を駆け抜け、除隊直後だった元軍人がいた事が救いでした。元軍人は突然の奇襲に動じる事もなく、咄嗟に一発の銃声を放ちます。
これが契機とり、何とか士気を立て直した討伐隊はヒグマに向けて一斉射撃を行ったのです。いくら老獪なヒグマであろうとも、複数の射撃を受けては堪りません。蜂の巣になり遂に撃ち殺されてしまうのです。
その後の捜索で、射殺されたヒグマのすぐ傍に“頭部のみ”と変わり果てた『長江政太郎』の死体が発見されました。
こうして計4名もの開拓民たちを殺害したヒグマ襲撃事件は、その幕を閉じるのです。
その後の年密な調査で事件の発端は、ヒグマが仕留めた獲物である「馬」を埋めた場所に幌新地区の人々が運悪く通りがかった事が発端という事が明らかになります。
獲物に近づかれたヒグマは人間に横取りされると勘違いし襲撃をしました。その時人間の血肉を口にし、人の味を覚えてしまったことが多数の犠牲者を出した本事件に繋がってしまったのです。
石狩沼田幌新事件の発生場所と現場
ここはちゃんとしたキャンプ場らしいよ!
ホタル見れる時期は混むんだって!
このダム湖に石狩沼田幌新事件現場が沈んでるらしい。
恵比島から徒歩だったから手前のほろしん温泉までしか行けなかった(´-`) pic.twitter.com/YT6ZBlTpFI— キヨシ@shuffle tour多分全通 (@kiyoekotsu) October 29, 2020
https://platform.twitter.com/widgets.js
事件の発生場所と現場の住所は令和4年現在も、事件発生時と全く変化がありません。
ただ炭鉱産業の衰退と共に幌新地区は徐々に過疎化が進み、本事件の主要な現場「幌新地区」は全てダムの底に沈んでいます。月日の移り変わりを感じますね…
出典:https://www.town.numata.hokkaido.jp/
このダム湖『ホロピリ湖』(ホロピリはアイヌ語で「広い」「美しい」という形容詞を意味します)は平成4年(1992年)に増設された『沼田ダム』によって川が堰き止められた人造湖であり、周囲17キロメートル、面積2.77平方キロメートル、水深45.75メートルにも達します。
残念ながら「石狩沼田幌新事件」の現場全てが、このホロピリ湖の湖底に沈んでいます。
当時の資料や貴重な加害ヒグマの毛皮は長らく雨竜郡沼田町の「沼田町ふるさと資料館」に展示されていましたが、同館の休館・閉館に伴い『ふるさと資料館分館(炭鉱資料館)』に現在は保管されています。
北海道でもかなり辺鄙な地域ですが、興味のある方は足を運んでみてはいかがでしょう?
石狩沼田幌新事件の写真は現存する?
約100年前の事件という事もあり、現存する写真は「炭鉱資料館」に展示されている上記画像のみです。
この画像は最初のヒグマ襲撃現場となった「持地さん宅」をそっくりそのまま撮影した貴重な資料となります。後述しますが、事件の発端となった加害ヒグマは「毛皮」にされ、写真と共に実物そのものが展示されています。
大正時代、しかも現在と異なり総人口10000人にも満たなかった北海道…その点を考慮すると写真が極めて少ないことも納得できるのではないでしょうか?
石狩沼田幌新事件の被害者と遺体のその後
Youtube上で本事件を解説しているこの方は、最初の被害者「村田幸次郎」を大叔父に持つ方です。紹介されることの少ない「石狩沼田幌新事件」の生々しさを詳細に解説されています。
一般的に本事件の被害者は「村田幸次郎」「村田ウメ」「長江政太郎」「上野由松」の4名とされていますが、村田幸次郎の襲撃時に重傷を負った「村田与四郎」も予後が悪く死に至った事から、死者5名とされるケースもあります。
ただヒグマにより即死に近い形での犠牲者を取り上げる形が多く、この点は実に曖昧です。
討伐隊により仕留められたヒグマは、体長約2m・体重200kg越えの大柄なオスでした。解剖の結果、驚くことにその胃からは大ザル1杯分の多量の人骨と未消化の人間の指が多数発見されたことが、当時の記録に記されています。
村田幸次郎の詳細な被害状況は記されていませんが、討伐隊に加わった上野由松以外は全てヒグマの食害に会いました。
村田ウメはその下半身全てを…そして長江松太郎は頭部を残すのみの遺体であり、発見された人骨と指は全てこの3名のものでしょう。
石狩沼田幌新事件の加害ヒグマ ‐その毛皮や剥製の現在は‐
加害ヒグマであるオスの成獣は、現在閉館した「沼田町ふるさと資料館」から北海道雨竜郡沼田町字幌新にある『ふるさと資料館分館(炭鉱資料館)』に毛皮として展示されています。
残念ながら剥製は一切なく、レプリカ再現の物しか目にすることができません。
世界的に広く生息するヒグマの体長は平均 1.3 〜2.5mほどで、体重は個体差が大きく約70〜500kgの間です。 ヒグマは国内に生息する陸棲哺乳類中最大級の大きさを誇ります。世界的に見てもホッキョクグマ以外ヒグマを超す巨大なクマは生息しません。
北海道のヒグマは国内固有亜種のエゾヒグマです。エゾヒグマの平均体重は約100〜200kgとなるので、数値上から見ても本事件の加害ヒグマはかなりの巨体だったことが伺えます。
上記の写真が実際の加害ヒグマの毛皮・レプリカ剥製と成人男性の比較です。本件の数年前に起こった、三毛別羆事件の加害ヒグマの体重340kg・体長2.7mにはやや劣りますが、エゾヒグマの中では大柄な個体と言えるでしょう。
石狩沼田幌新事件は「なんJ」で度々話題に挙がる?
【ヒグマ関連の事件wwwwwww】
1: 名無しさん@おーぷん 2017/02/07(火)10:05:52 ID:iTE
怖杉内
三毛別は勿論やし福岡大学のワンダーフォーゲル部のやつとか
8: 名無しさん@おーぷん 2017/02/07(火)10:11:40 ID:MUnあと祭りからの帰りに子供が襲撃されるやつとか
13: 名無しさん@おーぷん 2017/02/07(火)10:15:19 ID:H5m>>8
それ知らんな
14: 名無しさん@おーぷん 2017/02/07(火)10:16:56 ID:MUn>>13
これだわ石狩沼田幌新事件
ヒグマ関連の熊害事件は2ちゃんねる(現5ちゃんねる)の【なんJ】板に度々書き込まれています。
※注【なんJ】とは巨大掲示板「2ちゃんねる」に2004年に作られた“なんでも実況(ジュピター)”板の略称で、実況以外の書き込みも元々多かったのですが、2009年頃からプロ野球の実況や様々な話題の発足板となった経緯があります。「5ちゃんねる」以降後の2022年に一時的になんJが消えた事から(後に復活)【なんG】にユーザーが大量移動した経緯を持ちます。
そんな掲示板の性質上…やや茶化したり誇張する表現も多く見受けられますが、時折事実に合致した情報が書き込まれることも多く、意外な情報源となり得ることもあるサイトです。
35: 2021/07/17(土) 04:54:21.96 ID:2EN6vAxC0このヒグマってツキノワグマ程の大きさなのにこんな殺してるんだよな・三毛別羆事件
ヒグマの体重340kg、死亡者7名、負傷者3名・石狩沼田幌新事件
ヒグマの体重200kg、死亡者5名、負傷者3名・福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件
ヒグマの体重約130kg、死亡者3名78: 2021/07/17(土) 05:06:19.24 ID:2EN6vAxC0こないだの札幌市で自衛隊員を含む4人に重軽傷を負わせた大暴れのヒグマ、たった158kgの糞雑魚だった・・・
(大型のツキノワグマは200kg超え、ヒグマは500kg超えの個体も)
引用:【悲報】ヒグマが現れました。距離を取りますか?→いいえ
なんJ板の2021年の投稿ですが令和3年に起こったヒグマ熊害事件と日本三大ヒグマ熊害事件の個体差を比較してくれています。写真のヒグマは石狩沼田幌新事件のヒグマよりやや小柄ですが、投稿通り実際に屈強な自衛官を始め4名の方に重軽傷を負わせています。
ちなみに“ツキノワグマ程の大きさ”とありますが、これはあくまでツキノワグマの確認された最大値を基準にしていると思われます。
こんな書き込みも見つけました。
25: 2021/07/17(土) 04:49:43.50 ID:Dmw9KpnOH野生動物研究家の木村盛武は次の指摘をしている。ヒグマがあさった荷物を取り返してはいけない。
→彼らは最初にヒグマに遭遇した際、ヒグマにあさられた荷物を取り返したため、ヒグマから敵と看做された。
ヒグマは非常に執着心が強い動物であるため、一度ヒグマの所有物になったものを取り返すのは無謀な行為である。
石狩幌新事件のきっかけはヒグマが仕留めた所有物(獲物)である“馬”を人間が横取りするのでは?と勘違いしたことから始まりました。この解説は『福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件』についてですが、甚大な被害を起こした熊害事件に多く見られる共通項です。
【閲覧注意】ヒグマの怖さを淡々と貼っていく
2: 2016/07/09(土)04:02:20 ID:QZq石狩沼田幌新事件
石狩沼田幌新事件とは、大正12年(1923年)8月21日の深夜から8月24日にかけて、北海道雨竜郡沼田町の幌新地区で発生した、記録されたものとしては日本史上2番目に大きな被害を出した獣害事件。
ヒグマが開拓民の一家や駆除に出向いた猟師を襲い、4名が4亡、3名の重傷者を出した。……中略……
119: 2016/07/09(土)19:40:39
何故森のくまさんという可愛らしい歌ができたのか
2ちゃんねる過去ログまとめからの引用ですが、淡々と『石狩沼田幌新事件』について説明していますが見事なオチがついていますね。
2ちゃんねる・5ちゃんねるは「過去ログ保管庫」というアーカイブが残っていますが、国内史上最大の熊害事件「三毛別羆事件」が引き合いに出されることが多く「石狩沼田幌新事件」は痒いところに手が届く当掲示板でも、残念ながらイマイチマイナーな話題のようです…
石狩沼田幌新事件は「ゴールデンカムイ」でも触れられていた
『ゴールデンカムイ』はテレビアニメ化もされた野田サトルによる人気漫画です。『週刊ヤングジャンプ』上で2014から2022年まで連載されました。明治末期の北海道・樺太が舞台で、金塊を巡ったサバイバルバトル漫画です。
先日最終回を迎え一躍話題に挙がったので、記憶に新しい方も多いのではないでしょうか?
ゴールデンは物語の主である“金塊”の比喩、カムイはアイヌ語で“自然界に宿る八百万の神(一般的な紙の意味とは異なります)”という意味を持ち、英語+アイヌ語の造語がタイトルとなっています。
この人気漫画の中での主要舞台が北海道という事もあり、度々ヒグマとの戦闘シーンや過去の事件の解説などが織り交ぜられており、時代背景を色濃く描写している漫画です。
出典:https://manga-comic-netabare.com/
220話の描写では石狩沼田幌新事件と見まがうほど酷似したヒグマの犠牲者・埋めた獲物(人間)の保存(※土饅頭と呼ばれます)が描かれています。
単行本19巻に収録されている「モンスター編」は石狩沼田幌新事件を模倣していると明言されており、その凄惨な内容から地上波では放映できませんでした。初回特典として19巻に特典映像が付録として付きましたが、現在の入手はやや難しいでしょう。
物語は主人公の元陸軍兵杉元佐一が幼なじみの梅子の病気治療のため金塊を探すシーンで、件のヒグマに襲撃されるという話になります。
この「モンスター編」だけでなく『ゴールデンカムイ』には、ヒグマとの邂逅や熊害についての描写が少なくありません。
まとめ
今回は日本の歴史上2番目の人的被害を起こした『石狩沼田幌新事件』を取り上げました。
国内のエゾヒグマによる獣害事件には、必ず人間側の不用意な行動が引き金になっています。
本事件ではせっかく仕留めたエゾシカの土饅頭近くを、不幸にも幌新地区の方々が通りかかってしまったことがトリガーとなりました。
また一度人肉の味を覚えたエゾヒグマは、人を殺すことに躊躇いがなくなります。
近年、北海道では市街地付近までエゾヒグマが出没し、不用意な行動を起こせば第二・第三の「石狩沼田幌新事件」が起こらないとは断言できません。
元々エゾヒグマの生息地に土足で乗り込んだのは人間です。
正しい知識を持ちながら、野生動物との共生を築きあげて行きたいものです。