中川智正の死刑と最後の言葉!実家の両親など家族・天才の声や大学など経歴・水道橋博士との関係・彼女や結婚・オウム真理教の事件もまとめ

オウム真理教の幹部で2018年に死刑執行された中川智正が注目されています。

 

この記事では中川智正の生い立ちや母親兄弟などの家族、天才との声や大学などの学歴、水道橋博士との関係や彼女や結婚や嫁、なぜオウム真理教に入信して事件に関与したのか死刑前の最後の言葉についてまとめました。

中川智正はオウム真理教の元幹部で教団の多くの事件に関与し死刑に

 

オウム真理教幹部の元死刑囚・中川智正

 

生年月日:1962年10月25日

没年月日:2018年7月6日(死刑により55歳没)

出身地 :岡山県岡山市北区

 

 

中川智正は、「地下鉄サリン事件」、「松本サリン事件」、「坂本弁護士一家殺害事件」などテロを含む数々の凶悪事件を引き起こしたカルト宗教団体「オウム真理教」の元幹部であり、毒ガステロに使用されたサリン製造に中心となって関わり、坂本弁護士一家殺害事件の実行犯でもある凶悪犯罪者です。

 

中川智正はオウム真理教では「ヴァジラ・ティッサ」のホーリーネームで呼ばれ、京都府立医科大学出身の医師である事から、麻原彰晃の主治医を務めて健康管理を任され、麻原彰晃の愛人の石井久子が麻原の子供を出産する際の帝王切開を担当するなど重用されました。

 

オウム真理教には他にも高学歴の幹部が集まり、同教団が事件を起こす前に一部メディア報道ではそれを面白がって天才集団などと持て囃すものもありましたが中川智正もそうしたオウム真理教の天才の1人として名前が挙げられていました。

 

 

中川智正の生い立ち

 

出典:https://stat.ameba.jp/

 

中川智正の生い立ちについては、岡山県岡山市北区の商店街で紳士服店を営む家族に生まれ、幼少期は祖父母、両親、本人を含めた4人兄弟の8人の大家族で育った事などがわかっています。

 

中川智正は4歳の時に岡山大学教育学部附属幼稚園を受験して入園し、同附属小学校、同附属中学校に進学しています。

 

中川智正の生い立ちについては、幼い頃から優しく素直な性格で昆虫や動物が好きな優しいタイプの少年だった事などもわかっています。

 

 

中川智正の家族…紳士服店を営んでいた父親と母親、4人兄弟の長男

 

出典:https://cdn.mainichi.jp/

 

中川智正の家族ですが生い立ちでも触れたように父親に母親、祖父母、本人を含めて4人兄弟で育った事がわかっています。

 

中川智正の家族は岡山市内で紳士服店を営み、父親と母親が支店を経営し、祖父母が本店を経営していたようです。従業員もそれぞれ雇っていて商売は成功していたと思われます。

 

中川智正の死刑が執行される前の2015年3月の朝日新聞の記事では、中川智正の母親はもうすぐ80歳になる事、死刑判決が確定した中川智正の面会にも訪れている事、父親は足が弱り上京は難しい事などが書かれていました。

 

中川智正の家族のうち兄弟については、長男の中川智正の下に妹、弟、妹の順の4人兄弟姉妹で1番下の妹とは9歳離れている事などがわかっています。中川智正は少年時代はこの末の妹の面倒をよく見ていたとの高校時代の同級生の証言もあります。

 

中川智正の家族に関する具体的な情報はほとんど出ていませんが、中川智正がオウム真理教に入信するまではごく一般的なありふれた家族であったようです。母親や家族は中川智正がオウム真理教に入信すると言い出し時に猛反対し、特に母親は「インチキに決まっているじゃない」と必死に止めようとするも、中川智正はそれを振り切ってオウム真理教に入信しています。

 

 

中川智正は天才だったという声も

 

出典:https://img.huffingtonpost.com/

 

中川智正に対しては天才といった声が多くみられるようです。

 

 

製造方法確立の中心となったのは土谷正実(天才と呼ばれるオウム真理教幹部で死刑執行済)だったものの、中川智正もそれに協力し、サリンやVXガスなどの化学兵器や違法薬物、爆薬のRDXなどの生成に成功している事などから天才だったと言われているようです。

 

また、生物兵器、化学兵器の専門家でコロラド州立大学名誉教授、元千葉科学大学教授でありアメリカの科学者で松本サリン事件解明のきっかけを作った、アンソニー・トゥーこと杜祖健氏は著作「サリン事件死刑囚 中川智正との対話」の中で中川智正について「もし彼がオウムと出会わなければ天才的な医師であり化学者でもあった」と評しています。一流の科学者も中川智正が天才であったと見做していたという事になります。

 

 

中川智正の学歴① 岡山大学教育学部附属中学で水道橋博士や甲本ヒロトと同級生

 

出典:https://former-cdn.cinra.net/

 

生い立ちのところでも触れているように、中川智正は4歳の時に岡山大学教育学部附属幼稚園に入園しそのままエスカレーター式に岡山大学教育学部附属小学校、岡山大学教育学部附属中学校と進んでいます。

 

岡山大学教育学部附属中学校時代の同級生には、お笑いタレントの水道橋博士やロックシンガーの甲本ヒロトさんがいました。

 

水道橋博士は中川智正と中学時代の同級生だった事をメディア出演時にも話しており、地下鉄サリン事件が発生したときに、別の中学の同級生から急に電話がかかってきて、「お前は芸能人だから何とか中川智正をかばって欲しい」とお願いされた事があったそうです。実はこの同級生もオウム真理教に入信しており、それを知って水道橋博士は「同級生に2人もオウム信者がいたのか!」と戦慄を覚えたと話されていました。

 

 

中川智正の学歴② 岡山県立岡山朝日高校

 

出典:https://upload.wikimedia.org/

 

中川智正は高校は「岡山県立岡山朝日高校」へと進学しています。

 

岡山朝日高校は県内でも有数の進学校で、現在も偏差値は「67」と高い学力レベルを誇ります。

 

高校時代の中川智正は「嫌いな人間はいない」と言い周囲と仲良くするタイプであり、手塚治虫の漫画「ブッダ」の影響で医師を目指すようにな離ました。

 

 

中川智正の学歴③ 京都府立医科大学医学部医学科

 

出典:https://medical.jiji.com/

 

中川智正は1981年3月に高校卒業後は1浪して、1982年4月に「京都府立医科大学医学部医学科」へ進学しています。

 

京都府立医科大学医学部医学科の最新の偏差値は「67.5」です。

 

大学時代の中川智正については、柔道部に所属して活躍し、正義感が強く心優しい、明るく温厚で実直などと評価されて友人も多かったという事です。大学6年間ボランティアの障害者のボランティアをし、5年生(医学部は6年制)の時に学園祭の実行委員長を務め車椅子を押して会場を回るなどしています。

 

また、ハーモニカを嗜んでおり、1986年10月25日に京都教育文化センターで開催された「プレフェスティバル86」でハーモニカの独奏をしたエピソードなどが伝わっています。

 

 

中川智正は大学在学中に麻原彰晃を知り医師になる直前にオウム真理教入信

 

出典:https://cdn.mainichi.jp/

 

中川智正は京都府立医科大学医学部医学科に在籍していた1986年11月にオウム真理教教祖の麻原彰晃の著作「超能力秘密の開発法」を読んで、麻原彰晃やオウム真理教の存在を知ったとされています。

 

この時には、中川智正はさして興味を抱くこともなく本も途中までしか読まずに放置していたようです。

 

しかしそれからしばらくして中川智正は空いた時間を利用して冷やかしのつもりで麻原彰晃のヨガ道場を訪れており、これがその後オウム真理教に入信する発端となりました。

 

1988年1月、早川紀代秀らが企画したオウム真理教の音楽コンサート「龍宮の宴」を観に行ったところ、後ろから突然「中川」と声をかけられ振り返ったところ麻原彰晃がおり、中川智正は「初めて会ったのになぜ自分の名前を知っているのか」と驚き、麻原彰晃には不思議な力があると認識するようになったようです。

 

このコンサートのすぐ後、中川智正はオウム真理教の大阪市武道場へ赴いて早川紀代秀と話していますが、この時にもまだ入信しようとは思わなかったようです。しかし、コンサートから数日後に突如「お前はこの瞬間のために生まれてきたんだ」と幻聴が聞こえるなどの神秘体験(解離性障害の症状だったと言われている)が起こるようになり、オウム真理教の道場に通い詰めるようになります。

 

中川智正は早川紀代秀らに瞑想を勧められて教えられた通りになってみたところ、光が身体を通り抜けて辺りが真っ白になるような神秘体験をし、別の世界があると確信してこの世では生きていかないという気持ちになったとして、1988年2月24日にオウム真理教大阪支部を訪れて、平田信(オウム真理教幹部、懲役9年の刑を受けて現在は既に出所)、新実智光(オウム真理教幹部、現在は死刑執行)、井上嘉浩(オウム真理教幹部、現在は死刑執行)らと話をしてオウム真理教への入信しています。

 

中川智正は医師国家試験に合格し、オウム真理教に入信後の1988年5月に医師免許を取得して、研修医として大阪鉄道病院で1年ほど勤務していますが、同年6月に身体から意識が抜け出すような感覚に陥って手術室で失神しています。精神科を受診するなどしていますが通院をやめてしまい、1989年8月31日に「人を救いたい。(麻原彰晃を)一生の師と慕っていく」などと宣言して病院を退職。

 

中川智正は、半泣きになりながら蓮華座を組んでジャンプしたり、エネルギーが抜けるなどと言って頭に触れらる事を異様に嫌がるなど精神的に不安定な状態になり、程なくして家族の反対を押し切って当時の彼女(病院の看護師、当時は看護婦と呼称)と共に出家(オウム真理教の手法で家族との縁を切らせるという意味があった)してしまいました。

 

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中川智正は出家後すぐに坂本弁護士一家殺害事件の実行役に

 

出典:https://newsdig.ismcdn.jp/

 

中川智正は、1989年11月4日に起きたオウム真理教による「坂本弁護士一家殺害事件」に実行役として関わっています。

 

坂本弁護士一家殺害事件は、当時オウム真理教問題に取り組んで教団を糾弾していた坂本堤弁護士を麻原彰晃が「話しても無駄だからポア(抹殺する事)する」などと言い出し、教団幹部らに妻と当時1歳の子供もろとも殺害させた事件です。

 

中川智正は、出家して家族との関わりを絶ってからわずか2ヶ月後の1989年11月はじめに麻原彰晃にサティアンビルに呼び出されました。この時には他にオウム真理教幹部の村井秀夫、早川紀代秀、岡﨑一明、新実智光らも集められました。

 

麻原彰晃は中川智正ら5人に「もうヴァジラヤーナ(殺人を肯定する麻原独自の教義)を取り入れていくしかないんだからお前らも覚悟しろよ」などと言い、「坂本弁護士をポアするんだよ」、「ポアするんだよポア」、「話しても無駄だから、ポアするんだ」などと言って、坂本堤弁護士を塩化カリウムで殺害するように命じました。

 

犯行に使うための塩化カリウムは中川智正が研修医として勤務していた大阪鉄道病院から盗み出され、この5人に加えて空手経験者の信者・端本悟(後に死刑執行)を加えて6人により坂本弁護士一家殺害事件が実行に移されました。

 

そして中川智正らは1989年11月4日の午前3時頃に坂本弁護士の自宅に侵入し犯行に及びました。中川智正は塩化カリウムを坂本堤弁護士や妻の都子さんに注射する役割でしたが、うまく打てずに最終的に一家3人を窒息死させました。

 

中川智正は坂本堤弁護士の妻の都子さんの首を絞め殺害しようとしている際に、当時1歳の坂本弁護士の息子の龍彦さんが泣き出したため、タオルケットで子供の鼻と口を塞いで窒息死させています。

 

坂本弁護士家族3人を殺害した後、中川智正は虚な目で「ははは…。子供を殺してしまいましたよ。ははは…。」と話していたとされています。その一方で、「息が聞こえるくらいの近さに麻原氏がいるという一体感を感じて嬉しかった」などとも発言したという事です。

 

 

中川智正のオウム真理教幹部としての活動や事件に使用されたサリンの製造

 

出典:https://soon.ismcdn.jp/

 

中川智正は、1990年7月に開設された「オウム真理教附属医院」の医師となっていますが、同病院での診察は行わずに麻原彰晃の主治医として健康管理などに従事しています。また、麻原彰晃の愛人だった石井久子の麻原彰晃の子供出産の帝王切開なども担当しましたが、帝王切開の経験がなかったために薬の投与を間違えて石井久子を殺害しかけた事もあったという事です。

 

中川智正は医師とはいえ、まともに医師として病院で勤務する前にオウム真理教に入信しており経験が全くなく、教団幹部の早川紀代秀に生物兵器対策のワクチンを注射した際に量を誤り殺害しかけています。

 

1990年、オウム真理教は国政進出を目論んで第39回衆議院議員総選挙に教祖麻原彰晃を始めとして信者から候補者を立てて立候補させましたが、中川智正も旧神奈川3区から出馬しています。結果としてはわずか1445票を得たのみで最下位落選となりました。

 

1993年頃より、中川智正はオウム真理教の武装化路線の本格化に伴い、土谷正実と共に化学兵器、生物兵器の製造及び、薬物の人体実験に従事するようになり、サリンVXガスの製造管理も担当しました。この頃より、池田大作サリン襲撃未遂事件、滝本弁護士サリン襲撃事件、松本サリン事件、VX事件などオウム真理教が起こした数々の凶悪事件に関与しています。

 

1994年にオウム真理教は省庁制を導入し、中川智正は法皇内庁長官に任命されました。法皇内庁は、神聖法皇たる麻原彰晃の身の回りの世話を担当するとされ7名の構成員がおり、中川智正はその長として麻原彰晃の側近として活動するようになりました。

 

1995年1月、読売新聞がオウム真理教が拠点を置いていた山梨県の上九一色村のオウム真理教の施設からサリンの残留物が検出されたとのスクープ記事を掲載し、中川智正は土谷正実らと施設に保管していたサリンやVXガス、ソマンやこれらの前駆体を加水分解して廃棄する作業を行なっています。

 

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そして、中川智正はそのすぐ後、廃棄せずに隠し持っていたサリンの中間生成物「メチルホスホン酸ジフロライド」を原料として、土谷正実のアドバイスのもとで遠藤誠一とともにサリンの生成に成功しこれを袋詰めにし、サリン中毒の予防薬「メスチノン錠剤」も準備して「地下鉄サリン事件」の実行犯らに引き渡しました。

 

そして、1995年3月20日に国内のみならず世界をも震撼させた「地下鉄サリン事件」が引き起こされました。

 

その後、地下鉄サリン事件はオウム真理教が引き起こしたものである事が判明し、1995年5月17日に中川智正も逮捕され、11件の事件で起訴されました。中川智正が関わった事件での死者の累計は26名にものぼりました。

 

 

中川智正とオウム真理教に入信した彼女はその後殺人予備罪で実刑判決

 

中川智正は、京都府立医科大学医学部医学科在学中に麻原彰晃を知りオウム真理教に入信していますが、当時は彼女おりこの女性も一緒にオウム真理教に入信しています。

 

この中川智正の彼女ですが看護師で、オウム真理教の医療施設で勤務した他、「秘密のワーク」などと称された麻原彰晃の愛人との子供の世話やサリン製造にも関わっていた事がわかっています。

 

この中川智正の彼女ですが、地下鉄サリン事件後の強制捜査の際に逮捕されており、サリン製造に関わったとして殺人予備罪で起訴されて懲役1年6ヶ月の実刑判決を受けています。

 

服役後、中川智正の彼女はオウム真理教を脱会しており、一般の社会に復帰しているという事です。

 

オウムに関わる前、彼女は看護師で、中川智正死刑囚の恋人だった。「出家」すると言ってきかない中川について、彼女もオウムの中に飛び込んだ。教団の医療施設で働いたほか、「秘密のワーク」と称する仕事もさせられた。その一つは、信者には秘密とされていた教祖の愛人たちの子供の世話であり、もう一つはサリンの製造だった。強制捜査が始まって、彼女は逮捕され、サリン製造の殺人予備罪で1年6月の実刑判決を受けた。証言によれば、彼女は脱会し、知人のサポートもあって、あるところで正規の従業員として働いている、という。

 

引用:【オウム裁判】19年の歳月を経て

 

 

中川智正は結婚はしておらず嫁はおらず獄中結婚などもしていない

 

出典:https://times-abema.ismcdn.jp/

 

中川智正にはオウム真理教に一緒に入信した彼女がいた事がわかっていますが、中川智正はこの女性と結婚したという事はなく、その後に獄中結婚をしたという事実もないため生涯読めはいませんでした。

 

ネット上では中川智正と「結婚」や「嫁」といったワードが関連づけられていますが、これは同じようにオウム真理教の幹部で死刑判決を受けた新美智光と土谷正実が獄中結婚をしていて嫁がいた事から、中川智正の結婚や嫁についても検索されたためだと思われます。

 

 

中川智正がなぜオウム真理教に入信し事件に関わったか

 

出典:https://www.shunjusha.co.jp/

 

中川智正は子供時代や高校時代、大学時代の関係者や同級生などの証言によれば、優しく正義感が強く、周囲から好かれるタイプだったとされ、オウム真理教に入信する以前の中川智正に対しては好青年という印象を持っている方が非常に多くいました。

 

好青年だと見られていた中川智正がなぜ、数々の凶悪事件を引き起こしたカルト団体であるオウム真理教に入信し、実際にそれらの事件に関わったのかという点にも関心が集まっているようです。

 

なぜ中川智正がオウム真理教に入信し事件に関わったのかについては、純粋で素直な性格であったために麻原彰晃に洗脳されたという見方もありました。

 

2024年9月には、中川智正の中学時代の同級生であり東京大学法学部、東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了を経て、現在は特定非営利活動法人城塞史跡協会理事長を務める久保田正志氏が中川智正と数百回にわたって面会した記録と裁判記録などからまとめ上げた「オウム真理教事件と解離性障害 中川智正伝」が出版されました。

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この書籍はこれまでにないほどに中川智正の人生とオウム真理教での活動について詳細にまとめられており、なぜ中川智正がオウム真理教に入信して凶悪事件に関与したのかについても説得力のある内容が書かれています。

 

この「オウム真理教事件と解離性障害 中川智正伝」では、中川智正が解離性障害を発症しており、それがオウム真理教に入信した原因となった可能性が高いと結論づけています。

 

中川は極度のストレスから解離性障害を発症し、医者であるにもかかわらず現代医学から見放されて、しかたなくオウム真理教に入信したのである。さらに悪いことに、そこには同じ解離性障害を経験済みの麻原がおり、彼に都合よくコントロールされてしまったのである。

 

引用:中川智正に見るオウム真理教事件と解離性障害の複雑な関係

 

なぜ中川智正がオウム真理教に入信し事件に関与したのかはこの本の革新部分になるためネタバレは避けますが、ノンフィクションとしても非常に面白い作品なのでオウム真理教事件に興味がある方にはおすすめです。

 

 

中川智正の死刑執行とそれまでの経緯

 

出典:https://i.ytimg.com/

 

中川智正は一連のオウム真理教事件のうち11件の事件、累計で25人の殺人に関与したとする殺人罪などで起訴されて裁判を受けました。

 

中川智正は裁判では当初は麻原彰晃のことを「尊師」と呼んでいましたが途中から「麻原氏」と呼ぶようになり、面会に来た母親に対しては麻原彰晃を「アレ」と呼ぶなど次第に洗脳が解けていったようです。

 

また、中川智正は麻原彰晃の裁判に証人として出廷した際に「尊師がどう考えているか弟子達に何らかの形で示してもらいたい。私達はサリンを作ったり、ばらまいたり、人の首を絞めて殺すために出家したんじゃない」と麻原彰晃に対して叫んで泣き崩れています。

 

一方で、中川智正は麻原彰晃のせいという気持ちはないとも供述し、最終意見陳述において「1人の人間として、医師として、宗教者として失格だった」と謝罪。

 

東京地裁での一審は2003年10月に死刑判決が言い渡されて結審。中川智正側はこれを不服として控訴しています。

 

控訴審では3名の医師が意見書を提出し、中川智正がオウム真理教に入信する前から乖離制精神障害、もしくは祈祷性精神病を発症していたとし、弁護側はこれを根拠として減刑を求めました。しかし、2007年7月13日に東京高裁は一審判決を支持し死刑判決を言い渡しました。

 

弁護側はこの判決を不服として上告しましたが、2011年11月18日に最高裁判所が上告を棄却する決定を下し、中川智正の死刑判決が確定しました。

 

中川智正は東京拘置所に収監され、2017年3月9日付で東京地裁に第一次再審請求を申し立てていましたが、2018年5月30日付で東京地裁への第一次再審請求が棄却。中川智正はこの決定を不服として2018年6月4日付で東京高裁に即時抗告しています。

 

しかし、2018年7月6日、麻原彰晃や他の死刑確定のオウム真理教幹部らと同日、広島拘置所で死刑が執行されました。中川智正の遺体は執行翌日に家族によって引き取られています。

 

 

中川智正の最後の言葉

 

中川智正の死刑執行前の最後の言葉は公開されています。

 

刑務官から最後の言葉を促されると、達観したかのように語った。

「自分のことについては誰も恨まず、自分のしたことの結果だと考えています。被害者の方々に心よりおわび申し上げます。施設の方にも、お世話になりました」。中川元死刑囚の遺体は翌日、遺族に引き取られた。

 

引用:麻原元死刑囚、最期の言葉は「ぐふっ」 井上元死刑囚「まずは、よし」 中川元死刑囚「誰も恨まず…」

 

2025年3月、中川智正が最後の言葉として独房に残したメモが残された事を共同通信がスクープし、関係者から提供されたというそのメモのコピーを公開しています。

 

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出典:https://hokkoku.ismcdn.jp/

 

中川智正はこのメモに関係者への「ありがとう」という感謝の言葉を書き残していました。

 

オウム真理教幹部として地下鉄サリンなど主要事件に関与した中川智正元死刑囚=執行時(55)=が2018年7月の執行直前に書き残した遺書や手紙が見つかった。共同通信が22日までに、中川元死刑囚に近い関係者からコピーの提供を受けた。執行日朝の遺書には「みなありがとう」「お別れです」と走り書きしていた。

 

引用:【独自】刑の執行直前「お別れです」 オウム中川元死刑囚が遺書

 

このメモを提供した関係者は「家族や支援者、弁護士らに謝意を伝えたかったのだろう」と中川智正の最後の言葉としてこのメモを残した事について推察しています。

 

 

まとめ

 

今回は、「地下鉄サリン事件」、「坂本弁護士一家殺害事件」などに関わったオウム真理教の幹部で、2018年に死刑執行された中川智正についてまとめてみました。

 

中川智正の生い立ちについては、岡山県岡山市の紳士服店を経営する家族に生まれ、家族は両親と祖父母、下に兄弟が3人いる8人家族で育った事などがわかっています。

 

中川智正は地元進学校である「岡山県立岡山朝日高校」を経て「京都府立医科大学医学部」を卒業した学歴を持ち、医師免許を取得していたためオウム真理教に集まった天才の1人として挙げられる事があります。実際に中川智正は医学の知識を利用してサリンやVXガスの製造管理に関わりました。

 

中川智正は中学時代、お笑いタレントの水道橋博士と同級生で、水道橋博士はこの事についてメディアなどで話した事もあります。

 

中川智正にはオウム真理教に入信した当時、看護師の彼女がおり、この女性は一緒にオウム真理教へと入信してサリン製造にも関与したとして殺人予備罪で懲役1年6ヶ月の実刑判決を受けて服役しています。

 

中川智正はこの彼女と結婚したという事実はなく、獄中結婚などもしておらず、生涯嫁はいませんでした。

 

中川智正は学生時代は好青年という印象を持っている関係者が非常に多かったため、なぜオウム真理教に入信し凶悪事件に関わったのかという疑問も数多くでました。これについては2024年に刊行された「オウム真理教事件と解離性障害 中川智正伝」で詳しく分析されておりおすすめです。

 

中川智正は2018年7月6日に死刑執行され55歳で死亡しました。

 

中川智正の最後の言葉は「自分のことについては誰も恨まず、自分のしたことの結果だと考えています。被害者の方々に心よりおわび申し上げます。」というもので、独房には「ありがとう」と関係者にあてたメモが最後の言葉として残されていました。

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