平塚5遺体事件とは平塚市内で2006年5月1日から2日にかけて発覚した計5件の遺体遺棄事件です。被害者には新生児も含まれました。
この記事では本件の詳細や大島てるで紹介された現場、犯人・岡本千鶴子と生き残りの孫の飯島くうがの現在を紹介していきます。
この記事の目次
平塚5遺体事件の概要
出典:https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/
2006年5月1日午前11時頃、神奈川県平塚市にあるアパートから、この部屋の借り主である山内峰宏さん(みねひろ・当時35歳)と、岡本利加香さん(りかこ・当時19歳)の遺体が発見されました。
遺体が発見された部屋に住んでいたのは、上記の2人と岡本千鶴子(当時54歳)という人物。
岡本千鶴子は1984年に当時6歳の息子・利英君が行方不明になったことから、当時は「幼い息子を攫われた悲劇の母親」としてTVにも出演していた過去を持ちます。
岡本千鶴子と亡くなった2名の関係は以下のとおりです。
・山内峰宏さん…岡本千鶴子の前夫と前妻の間の子
・岡本利加香さん…岡本千鶴子の前夫の間に生まれた実子
2人の遺体を発見したのは山内峰宏さんの実の母親で、管理会社から息子が家賃を滞納しているとの知らせを受けて、アパートを訪ねたところ遺体を発見したといいます。
当初は遺体のそばに「利加香さんと一緒になりたい」という旨の遺書があったことから、2人の死因は近親相姦の末の心中と見られました。
しかし5月2日にアパートから、段ボール箱に入った2体の乳児の遺体と男の子の遺体が発見されたことで、事件は急展開を迎えます。
しかも発見された3つの遺体もまた、岡本千鶴子が産んだ子どものものであり、男の子の遺体は1984年から行方不明になっていた利英君のものだったのです。
さらに岡本千鶴子が書いたと思われる「娘を殺してしまった」というメモも発見され、5人とも彼女が殺害したのではないかという疑惑が強まりました。
ところが2日に発見された乳幼児の遺体については死後20年以上が経過していることから、公訴時効が成立しており、また山内峰宏さんについては遺書があったことなどから警察は自殺と判断。
結局、岡本千鶴子は利加香さん殺害でのみ起訴され、残り4人の死因、とくに1984年から行方不明になっていた英利君の死因については不審と疑惑を残したままとなっています。
平塚5遺体事件の詳細① 岡本千鶴子という人物
- 平塚5遺体事件という猟奇事件に深く関わっている人物・岡本千鶴子は1951年に青森県北津軽に誕生しました。
幼少期に両親の離婚、自分を引き取った母親の再婚、そしてまた離婚という複雑な経験をしたといい、中学を卒業した後は結婚斡旋業者の仲介で結婚。北海道の奥尻島に住む男性のもとに嫁ぎました。
3人の子どもを授かったものの定職につかない夫との暮らしは貧しく、ほどなくして千鶴子は子どもたちを置いて1人で奥尻を出ていきます。なお、千鶴子の夫は自然災害で亡くなったとされています。
そして神奈川県にやってきた千鶴子は秦野市内のキャバレーで働き始めました。当時20代で、ナンバーワンの人気になるほどの美貌の持ち主であった千鶴子。
そんな彼女に入れ込んで、内縁関係を結んだのが山内峰宏さんの父親である利男さんでした。
利男さんは妻とともに秦野市内で蕎麦屋を営んでおり、仕事一筋の真面目な職人気質の男性だったといいます。
利男さんは妻とは離婚せずに千鶴子との関係を続けました。そして1978年に利男さんと妻の間に三男が誕生。(亡くなった峰宏さんは次男)
同じ年に利男さんと千鶴子の間にも男の子が誕生します。後に行方不明になる利英くんです。
そして同時期に双方で子どもが産まれたことがきっかけだったのか、ついに利男さんと妻が離婚。
千鶴子は前妻の代わりに利男さんの蕎麦屋で働くようになりますが、働き者で勤勉な性格であった前妻とは異なり、口先だけが達者な千鶴子には店の切り盛りは厳しかったそうです。市内で1,2を争う人気店だった利男さんの蕎麦屋は徐々に経営が傾いていきました。
そんな折に、利英君の行方不明事件が発生します。
平塚5遺体事件の詳細② 英利君の失踪
1984年12月28日、自宅付近で遊んでたという利英くんが行方不明になりました。この時、利英君は6歳で、利男さんが何をしていたのかは不明ですが千鶴子は買い物に行っていたといいます。
千鶴子は「家の裏にある車庫でボール遊びをしていたはずの息子がいなくなった」と訴え、警察も捜査に乗りだしました。
利英君が行方不明になった当時、世間では同じく1984年に札幌市内で起きた9歳男児の行方不明事件・城丸君事件が大きな注目を集めていました。
そのため利英君の行方不明事件も話題となり、千鶴子のもとにはマスコミが駆けつけたといいます。千鶴子はTV番組にも出演して「息子を探してください」と涙ながらに訴えるなどしていました。
平塚5遺体事件の詳細③ 被害者・利加香さんの誕生と峰宏さん
利英君がいなくなった翌年の1985年、利加香さんが誕生。峰宏さんは家を出た後も、父親の様子を見に遊びに来ることがあったそうです。
歳の離れた異母兄弟である利加香さんの面倒もよく見ていたそうで、幼い頃は遊び相手になり、利加香さんが成長してからは勉強や進路の悩みも聞いていたといいます。
一方、前妻が出ていってから客足が遠のいていた蕎麦屋はついに倒産。家も店も売却することになりました。そして利男さんは酒浸りになった挙げ句、1997年に喘息の悪化から他界してしまいます。
夫がいなくなって生活費にも窮したのか、2002年に日朝首脳会談で北朝鮮が日本人拉致を認めた頃から千鶴子は「利英も北朝鮮に拉致された。お金がないから探すこともできない」などと周囲や市の社会福祉協議会に訴え、金の無心をしていたとの話もあります。
蕎麦店が閉店してから、千鶴子は利加香さんとともに平塚市内のマンションに移り住んでいたとのことです。しかし、2005年2月には家賃滞納が原因で強制退去を命じられてしまい、「ここで死んでやる」などと包丁を手に泣き叫び、心配して駆けつけた峰宏さんに説得されて彼のアパートに同居することになりました。
平塚5遺体事件の詳細④ 利加香さんの死
しかし、3人での生活がはじまった8ヶ月後の10月12日未明。千鶴子は実の娘である利加香さんの首を絞めて殺害してしまいます。この時、警備員の仕事をしていた峰宏さんは出勤中で不在でした。
利加香さんを殺害した当日、千鶴子は不気味な行動を見せています。峰宏さんを伴ってタクシーで市内のステーキハウスに向かい、上機嫌でサーロインステーキと生ビールなどを夕食にとったうえ、タクシーの運転手にまで食事をご馳走していたのです。
19時から2時間ほど店に滞在したという千鶴子は、峰宏さんとタクシー運転手の食事代を含む2〜3万円の会計を現金で済ませ、そのうえステーキハウスの店長にも1万円のチップを渡していたといいます。
自分の娘を殺害しておきながら、宝くじでも当たったかのようなお祝いムードでその日の晩を過ごすというのは、一体どういう心理状態なのでしょうか?
裁判で有罪判決が下ったものの千鶴子自身が犯行を認めていないために、なぜ利加香さんを殺害したのか犯行の動機は明らかになっていません。
そのため千鶴子が利加香さんにどのような感情を持っていたのかは不明ですが、利加香さんが母・千鶴子のことをよく思っていなかったことは判明しています。
利加香さんのmixi
出典:http://iori3.cocolog-nifty.com/
事件が起きた当時、利加香さんは予備校に通いながら明治大学の演劇サークルにも所属していました。また、利加香さんはmixiで日記をつけており、プロフィール欄に「ただいま受験勉強中」と書かれていました。
このmixiの書き込みが殺害される前月の9月10日から不穏であったことが報じられています。
9月10日には「家でごたごたがあって一日中泣いていた」、9月28日には「自由がほしい。監禁生活」、10月6日には「親がうざい。自分もうざい」と意味深な内容が綴られていました。
そして事件当日の10月12日付けで「今年に入ってなんかおかしいよ…」といった書き込みが残されています。
これらの書き込みから、利加香さんは複雑な家庭環境に嫌気が差していたのではないかと予想されます。
殺害を隠蔽するため友人にメールを出していた
利加香さんの友人によると、彼女が殺害された10月12日以降も利加香さんのアドレスからメールが届いていたそうです。
その内容は「母が亡くなったため、忙しい」「受験勉強もあるから連絡が遅れる」といった内容で、友人らも「今から思えば絵文字の使い方など、利加香さんのメールとしては不自然な点もあった。しかし、当時は『お母さんが亡くなったなんて大変だな』『受験生だもんな』としか思わなかった」と語っています。
そして12月上旬に「受験勉強に打ち込みたいのでしばらく連絡できません。携帯も変える予定なので、新しい番号が決まったら連絡します」というメールが届いて以降、音信不通になったそうです。
これらのメールは千鶴子が利加香さんの死を隠蔽するために、友人らに送っていたものと見られます。
平塚5遺体事件の詳細⑤ 峰宏さんの死
出典:https://www.tv-asahi.co.jp/
峰宏さんが首を吊って亡くなったのは、2006年3月と見られています。なお、2005年の秋ころから市内のドライアイスを販売する店に峰宏さんが毎週のように訪れては、2kg入のドライアイスを2~3個まとめ買いする様子が目撃されていたそうです。
発見時、布団の下にあった利加香さんの遺体には腐敗を遅らせるためかドライアイスが付着していたため、峰宏さんは千鶴子に頼まれて店を訪れていたものと思われます。
また、峰宏さんの遺体の近くには利加香さんに想いを寄せていたこと、千鶴子と利加香さんと三角関係に陥ってしまい苦しんでいたこと、利加香さんの後追いをしたいことなどをにおわせる遺書が置かれていたそうです。
そのため峰宏さんは自殺として結論付けられましたが、利加香さんの異父姉からは「2人はすごく仲が良かったけれど、峰宏君が利加香に恋愛感情を持ってるようにはとても見えなかった」との証言も出ています。
さらに、利加香さんには事件当時、交際している男性がいたことも明らかになっています。生前、利加香さんは「西原瑠璃亞」という名前でコスプレイヤーとして活動しており、この名義でブログをやっていました。
このブログ上で2005年8月23日に「この前、彼氏ができました!」と報告しています。これらのことから考えて、峰宏さんと利加香さんが近親相姦の関係にあったというのは果たして本当なのか、峰宏さんは本当に自殺だったのか不思議な印象を受けます。
平塚5遺体事件の詳細⑤ 発見された3児の遺体
2006年5月1日の午前11時、峰宏さんが亡くなって家賃の滞納が続いていたことから、賃貸契約の保証人になっていたのであろう峰宏さんの実母がアパートを訪れ、事件が発覚します。
峰宏さんと利加香さん以外の3つの遺体については、一体ずつ黒いポリ袋に入れられてまとめてダンボールに収められていました。
3児の遺体のうち一体は服を着たままの状態で完全に白骨化しており、身長は120cmほど。司法解剖の結果、この男児は1984年に行方不明になった利英君であることが判明しました。
また、ほかの2遺体は生まれたばかりの乳児のものでドロドロに腐乱した状態で発見されています。千鶴子本人の供述によると、「2遺体は山内利男さんとの間に生まれた子どものもので、二十年ほど前に出産したが、死産であったために自宅に置いていた」とのことです。
平塚5遺体事件の現場は大島てるにも掲載されている
平塚5遺体事件の現場となったのは、神奈川県平塚市西真土1-7-14にある「レオパレスクレール平塚」というアパートの102号室とされています。
この物件は事故物件サイト・大島てるにも掲載されており、「平塚5遺体事件が起きた場所」と紹介されています。
調べてみると洋室6帖、キッチン1.5帖とロフトがついた1Kという間取りで、どう見ても単身者用の住居です。また、このような集合住宅に遺体が5つもあって近隣の人は異臭などに気づかなかったのでしょうか。
当時の2ちゃんねるには、以下のような書き込みもされていました。
元住人です。
アパート内のにおいと外の便所のようなにおい(近所で牛が飼われている?)は違うものでした。アパートの住人は多分外もくさかった(牛?)のでそのせいで異臭について苦情がなかったんだと思います。
しかし今思い出すとまったく違う匂いでした。
匿名の書き込みですから真偽は不明ですが、異臭が酷くなったのは事件が発覚する1〜2ヶ月前からで、上の書き込みをした方は消臭元を部屋に2個置くなどの対策をとりながら「一体、なんの臭いなんだろう」と不思議に思っていたそうです。
この書き込みが本当ならば、峰宏さんが死亡してからドライアイスを調達するお金がなくなったため、一気に異臭が防ぎきれなくなった可能性も考えられます。
平塚5遺体事件の裁判と判決
5月3日に逮捕された岡本千鶴子は、同月23日に利加香さん殺害容疑で起訴されることになります。
利英君については遺体の前歯2本が欠けているなど不自然な点も見られたとのことですが、公訴時効(殺人15年、遺体遺棄3年)が成立してしまったため、死因がなんであったのか不明のまま起訴もできませんでした。
8月21日に横浜地裁でひらかれた初公判では、千鶴子は開廷早々に「私は誰も殺していません」と無罪を訴え、都合の悪い尋問には「今は答えたくありません」と口をつぐみ、波乱含みの展開を見せます。
また検察側の主張も「娘が予備校やサークル活動に勤しむようになり、外出時間が増えたことから殺害した」という筋の通らないもので、検察も確固たる証拠を掴めていないことが窺えました。
利加香さんは峰宏さんが殺したと主張
千鶴子は弁護人の質問に対してだけは饒舌に答えており、利加香さんの死については以下のように訴えていました。
利加香を殺したのは峰(峰宏さんのこと)。私が買い物に出かけている間に、峰が利加香をレイプして殺した。峰本人から「自分が殺した」と聞いた。
その後、峰が利加香の後を追って死にたがるので「利加香の死体が近くにあったほうが、決心がつきやすいだろう」と考えて利加香の死体を家に置いておいた。
しかし、利加香さんの死亡推定時刻には峰宏さんは出勤していたことが判明しており、アリバイが成立しています。したがって、この供述は嘘です。
そこを指摘されて立場が悪くなると「息子がいなくなった時、キャバレーで働いていた女だからと差別されて警察は真面目に捜索してくれなかった。警察を憎んでいる。警察は信用できないので、罪を償うつもりもありません」などと意味不明な持論を展開。
最終的に峰宏さんや利英君の死の真相はおろか、利加香さんの殺害動機さえわからないまま、裁判は判決公判の日を迎えます。
判決
検察側は2007年5月21日の論告求刑で千鶴子に懲役17年を求めます。本人の口からは事件の詳細は語られなかったものの、アパートの部屋に残された「娘を殺した」というメモ、そして遺体を隠していたことなどから利加香さん殺害は千鶴子によるものだと訴えました。
そして7月23日の判決公判で、横浜地裁は千鶴子に対して「懲役12年」を言い渡します。千鶴子と弁護士は控訴しましたが、東京高裁が2008年10月23日に控訴を棄却したため、この日をもって刑が確定しました。
平塚5遺体事件の生き残り・飯島くうがさん
エクステつけにいってくるぅ pic.twitter.com/KNAB9ZwMAq
— 元AV女優/飯島くうが/専業主婦 (@8008Cuga) November 4, 2022
2015年に「CRAZY TATTOOの女」という作品でデビューした、セクシー女優の飯島くうがさん。2020年にYouTubeで「平塚5遺体事件の犯人、岡本千鶴子の孫」であることを公表しています。
くうがさんは千鶴子と最初の夫の間に生まれた女性の子どもで、幼い頃はおばあちゃん子だったそうです。
また利加香さんも実の姉のように優しく、母親が自分を置いて家をでてしまったこともあり、一時期は千鶴子、利加香さん、くうがさんの3人で暮らしていたこともあったといいます。
くうがさんは祖母・千鶴子について「おばあちゃんは優しかったけれど、『私にはいたこの血が流れている』と言って、よくわからない行動に出ることがあった。急に利加香を叩いたり…飼っていた犬が学校から帰ってきたら死んでいたことがあったのだけど、あれもおばあちゃんが殺したのかも」と話しています。
しかも千鶴子が逮捕された時、くうがさんは逮捕現場に居合わせていたそうです。事件当時、母親と暮らせなくなったくうがさんは児童養護施設で暮らしていたといいます。
ゴールデンウィークを利用して自宅に帰っていたくうがさんが、母親に送られて施設に戻ろうと電車に乗っていた時、いきなり千鶴子が現れて、「利加香を殺した」とくうがさんの母親に告げてきたそうです。
そこから、くうがさんの母親が隠れて警察に通報して逮捕になったとのことです。
くうがさんは「自分が生まれたときには利英さんが死んでいたから、私は生まれながらの犯罪者の孫ということになる」と話しています。事件前から複雑な家庭環境だったといいますが、平塚5遺体事件の後は「人殺しの孫」としていじめられることもあり、あまりの辛さに自殺未遂もしたそうです。
なお、現在は結婚もされて平穏に暮らしているとのお話ですから、くうがさんには「平塚5遺体事件の生き残り」としてではなく、普通に幸せになってほしいですね。
平塚5遺体事件の犯人・岡本千鶴子の現在
岡本千鶴子は2020年に刑期を終えており、現在は出所しています。飯島くうがさんによると「出所した後は、生活保護を受けていると聞いた」とのことです。
事件発覚時に報道された千鶴子の写真は普通の中年女性といった印象だったため、「若い頃は美人だったと報道されているけど、普通じゃない?」「この人が魔性の美女なの?」とネット上では不思議がる声もあがっていました。
しかし彼女の魔性の女ぶりは事件当時も健在だったようで、以下のような情報も出ています。
また事件当時千鶴子は、コンビニ店長と不倫していたが『妊娠したので中絶した』などと言い(真偽は不明)金を引っ張っている。さらに、娘が留学するなどの細かい理由を告げては不倫相手から金を借り、最終的に自己破産に追い込んだ。
公判時、千鶴子は見違えるほど痩せて、ハッとするような美しい風貌に変化していたとの話もあります。そうなると出所後の彼女に、お金を渡し続けている男性がいても不思議ではありません。
平塚5遺体事件についてのまとめ
今回は2006年に発覚した、平塚5遺体事件について紹介しました。5つもの遺体が同じ部屋から発見されたうえ、とくに利英君に関してはなぜ死んだのか、どうして死体を隠したまま岡本千鶴子が「北朝鮮に拉致された」と大騒ぎしていたのかなど、謎が多いこの事件。
時効が成立してしまったとはいえ、利加香さんが殺害された理由さえ不明のままというのは釈然としません。しかし刑期も終えてしまっている以上、平塚5遺体事件の全貌が明かされる日はこないのでしょう。
亡くなった5名のご冥福をお祈りするとともに、せめて現在、利加香さんの異父兄弟、姉妹の方々や飯島くうがさんら血縁者の方々が穏やかな生活を送られていることを願うばかりです。