土谷正実の最後の言葉!実家の両親・獄中結婚した嫁・経歴と天才の声・オウム真理教事件での死刑執行まとめ

オウム真理教の幹部でサリンなどの生成法を確立して死刑となった土谷正実が話題です。

 

この記事では土谷正実の生い立ちや経歴、実家の両親などの家族、獄中結婚と妻、天才やイケメンと呼ぶ声がある事、オウム真理教事件での死刑執行時の様子や最後の言葉などについてまとめました。

 

土谷正実はオウム真理教の幹部で地下鉄サリン事件に関連した元死刑囚

 

土谷正実のプロフィール

 

生年月日:1965年1月6日

没年月日:2018年7月6日(享年53歳)

出身地 :東京都町田市

 

土谷正実は、坂本堤弁護士一家殺害事件、松本サリン事件、地下鉄サリン事件などを起こしたカルト宗教団体「オウム真理教」の幹部で、地下鉄サリン事件などで使用されたサリンを生成する方法を確立した罪などで死刑判決を受け、2018年に死刑が執行された元死刑囚です。

 

土谷正実のオウム真理教内での宗教名であるホーリーネームは「ボーディサットヴァ・クシティガルヴァ」、オウム真理教内での序列を示す階級であるステージは逮捕当時「正悟師」でした。

 

 

 

土谷正実の生い立ちと経歴① 裕福な家庭で母親に可愛がられて育つ

 

オウム真理教の幹部・土谷正実は、1965年1月6日に東京都町田市で生まれました。

 

土谷正実は両親と妹と弟の5人家族で、父親が大手電機メーカー幹部の裕福な家庭で育っています。

 

幼い頃の土谷正実は、虫など弱い生き物を殺したりできない内向的でおとなしい性格の子供で、母親に非常に可愛がられて成長しています。

 

 

 

土谷正実の生い立ちと経歴② 中学・高校時代は文武両道の優等生だった

 

土谷正実は町田市立南中学校に入学する頃には活発な性格になっており、当時はクラスでも人気者だったようです。

 

勉強もよくできたようで、中学時代の同級生は「とにかく頭が良かった」と話しています。当時は人望もあったらしく、中学の同級生は(死刑による)早逝を惜しむような様子も見せていたようです。

 

地元の中学時代の同級生は、「土谷はとにかく頭がよかったのに、こんな亡くなり方をするなんて」と、早世を惜しんだ。

 

引用:オウム元死刑囚の母「ごめんなさい。ごめんなさい」と繰り返す姿に隣人らの反応は

 

中学卒業後は進学校で知られる「東京都立狛江高等学校」(最新の偏差値61)へと入学し、ラグビー部に所属して中心選手として活躍。高校時代も明るい性格で同級生や後輩から慕われ、「ツッチー」という愛称で呼ばれていました。

 

高校時代は勉強の成績は1年生までは良くなかったものの、2年生の時に化学に興味を抱いて勉強を始めるとすぐに学年トップになっています。ただ、3年生に進んで相性の悪い先生に変わると、すぐにテストの点数が0点近くまで落ちるなど好き嫌いの激しい一面があったようです。

 

その後、高校3年生の終わり頃にテレビで偶然みたヨーガに興味を持ち、高校卒業後はヨーガを極めるためにヒマラヤへ行きたいとも考えています。

 

また、土谷正実は高校時代に彼女ができ、大学進学後も交際を続けていました。

 

 

 

土谷正実の生い立ちと経歴③ 大学時代にラグビーでの挫折と失恋を経験

 

出典:https://birthday-database.com/

 

土谷正実は高校卒業後は、ヒマラヤへ行くのは現実的ではないと諦め、結局1年浪人して19歳だった1984年4月に「筑波大学」の第二学群農林学類へ進学しています。

 

入学当初は荒井由美(ユーミン)や中島みゆきが好きなごく普通の大学生で、高校時代から憧れていたというラグビー部に入部しています。

 

しかし入部してすぐに怪我が原因で退部を余儀なくされ、自暴自棄になって酒浸りの荒れた日々を送るようになりました。

 

生活はルーズになり大学の授業にはほとんど出なくなり、高校時代からの彼女との交際を巡って父親と喧嘩になり、仕送りを止められてしまいます。

 

土谷正実は新聞配達などのアルバイトをしてギリギリの生活をするようになりますが、この頃に彼女の浮気が発覚するなど上手くいかなくなり、精神的に不安定になって夜遅くまで彼女に1時間おきに電話をかけ続けるという異常な行動を取り始めています。

 

そして、土谷正実は好きだった漫画「ゴルゴ13」の「身体を傷つければ心の痛みを忘れられる」というエピソードを思い出し、刃物で自らの胸を40cmも傷つけるなどし、この頃に宗教世界に興味を抱くようになり、「新たな価値観を掲げる宗教団体が現れたら参加しよう」と心に決めるなどしています。

 

1986年夏、21歳の時に土谷正実は恋人と破局した事を父親に伝えて和解し仕送りを再開してもらい、改めて化学の勉強に打ち込むようになります。

 

 

 

土谷正実の生い立ちと経歴④ 大学院に進み研究者として高い評価を得る

 

出典:https://hzrd97.info/

 

土谷正実はその後、無事に筑波大学を卒業し、同大学院の博士前期課程化学研究科へと進み、「有機物理化学研究室」にて化学の研究を続ける事を選択しています。

 

当時の土谷正実は研究者として高い評価を得ており、指導した教授も「発想力豊かで、将来国際的な研究者になる」と期待を寄せていました。

 

しかし、大学院生2年目の1989年2月に、知人の運転する自動車に同乗していたところ事故に遭って鞭打ち症になり、知人に誘われて(医師の勧めとも)茨城県水戸市内のヨーガ教室に通うようになります。

 

実はこのヨーガ教室はオウム真理教が運営しており、これが土谷正実がオウム真理教にのめり込んでいく最初のきっかけとなりました。

 

 

 

土谷正実の生い立ちと経歴⑤ オウム真理教にのめり込み大学院を中退

 

ヨーガ教室に通い始めて2ヶ月後の1989年4月22日、土谷正実は教室でできた友人に麻原彰晃の説法会に誘われます。

 

土谷正実は遅刻したため麻原彰晃本人の説法は聴きそびれますが、会場で知り合ったオウム真理教幹部の村井秀夫が科学に詳しい事に興味を抱き、村井に誘われる形でその日のうちにオウム真理教の世田谷道場を訪れています。

 

土谷正実は宗教団体だとは気づかないまま、本格的なヨーガの修行をしたいという目的でオウム真理教に入信します。そして教え通りにヨーガの修行を積んだところ、中学時代からの持病だった椎間板ヘルニアが治った上に様々な神秘体験をするようになり、次第にオウム真理教にのめり込んで行きました。

 

土谷正実はこの頃からオウム真理教に教材購入やセミナー参加などの名目で多額の献金をするようになり借金を重ね、「1日睡眠3時間で食事は1度」という教えを忠実に守りながら修行を続けたために肉体的にも精神的にも正常ではなくなり、次第に深い洗脳状態に置かれるようになりました。

 

そして、土谷正実は1991年頃から、オウム真理教への献金のために周囲から借金を繰り返したり、塾講師のアルバイトを通じて生徒をオウム真理教に入信させたりしたため問題になり、両親が茨城県の更生施設「仏祥院」に入れて監禁状態において脱会させようとしました。

 

しかし、オウム真理教による激しい妨害活動(奪還作戦)が行われ、直接更生施設に信者が押しかけたのをはじめ、実家の周辺の住宅など300軒以上に「土谷正実くん不法監禁される!」などの中傷ビラが撒かれ、父親の勤務先や更生施設周辺にまで「緊急告発 ○○社勤務の土谷○○(父親名)が息子を監禁している」などのビラがばら撒かれました。

 

そして、オウム真理教側が人身保護請求を申し立てを行うなどして争いになったどさくさに紛れて、土谷正実は両親や家族らの目を盗んで逃亡し、母親から盗んだ現金でタクシーを使ってオウム真理教の施設へと逃げ込み、そのまま1991年9月5日に出家してしまいました。

 

 

 

土谷正実の生い立ちと経歴⑥ オウム真理教で出家しサリンなど化学兵器を製造

 

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出家後の土谷正実は、その化学の知識を買われ、自らのホーリーネームを冠した専用の研究施設「クシティガルバ棟」を与えられ、オウム真理教のための化学兵器の開発・製造に邁進するようになります。

 

1994年6月にオウム真理教が省庁制を敷いた後は、細菌兵器や違法薬物の製造開発を担当する「厚生省」のナンバー2である次官となりました。

 

しかし、厚生省大臣の遠藤誠一と対立するようになり、厚生省が2つに分けられ、土谷正実は「第二厚生省」の大臣に就任しました。

 

土谷正実は遠藤誠一と張り合う形で化学兵器製造に打ち込むようになり、麻原彰晃に「サリンというものがあります。作ってみませんか」と提案して了承を得て、専門書を読み漁って独学でサリンの生成に成功します。

 

土谷正実はサリンの他にも猛毒であるVXガスの生成方法も確立しています。

 

こうした経緯により、土谷正実は「地下鉄サリン事件」後に逮捕され、地下鉄サリン事件など7つの事件への殺人罪などで起訴されました。

 

2011年2月15日に死刑判決が確定し、オウム真理教教祖の麻原彰晃の死刑執行と同日の2018年7月6日に死刑が執行されています。

 

 

 

土谷正実の実家は東京都町田市の郊外

 

土谷正実の実家は東京都町田市の郊外です。

 

土谷正実の両親は2018年からみて約50年前にこの実家の一軒家を購入し、土谷正実は幼少期からこの実家で育っています。

 

実家は東京都町田市の郊外にある。約50年前に一戸建てを購入した両親と3人の子どもで暮らしていた。

 

引用:オウム元死刑囚の母「ごめんなさい。ごめんなさい」と繰り返す姿に隣人らの反応は

 

土谷正実の実家は現在も東京都町田市の同じ場所にあり、今は母親が1人で暮らしているという事です。

 

土谷正実の実家の正確な場所は明らかにされていませんが、土谷正実の出身中学校は「町田市立南中学校」である事がわかっているため、実家はこの学区内にあると思われます。

 

 

 

土谷正実の家族① 両親

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出典:https://dot.asahi.com/

 

土谷正実は両親と妹と弟が1人ずつの5人家族の長男です。

 

土谷正実の両親は、父親が大手電機メーカーの幹部、母親が専業主婦でした。

 

土谷正実の両親は、土谷正実がオウム真理教にのめり込んで周囲に借金や勧誘をするなど迷惑をかけ始めた時には、息子をオウムから脱会させようと更生施設に依頼し、実際に監禁して説得にあたるなどしています。

 

土谷はオウムに傾倒していた91年7月、両親に連れられ、強制的に茨城県出島村(現かすみがうら市)の「佛祥院」に預けられた。両親はこの施設で必死になって息子を説得したが、その途中でオウムの街宣車が施設を取り囲み、「尊師が呼んでるぞ」「監禁するな」などと呼びかけた。すると、土谷は両親の元から逃げ出し、出家し、化学兵器製造にのめり込んでいった

 

引用:元警視庁捜査一課理事官が明かすオウム秘話「愛人知らなかった麻原妻と土谷死刑囚が落ちた瞬間」

 

この更生施設「佛祥院」での説得の際に、土谷正実は施設の主宰者である合田正に「オウムをやめると言わなければ殺すど」などと脅迫され、それを聞いた母親も「殺すのならば私が殺す」と応じたため、土谷正実はショックを受け「もう帰る場所はない、オウムで生きていくしかない」と思うの至り、その後の脱走とオウム真理教への出家へとつながったとも言われています。

 

それ以来、家族から捨てられたという思いはずっと持っていたようですね。息子がおかしな宗教に没頭していれば、連れ戻そうとするのは当然だと思うのですが……。寺のお坊さんが“出て行こうとするならこの子を殺すしかない”と言った際、お母さんは“殺すなら私が殺す”と言った。そのことをいつまでも恨んでいました。

 

引用:私は人殺しですか――オウムでサリン製造「土谷正実」未亡人が明かした最期の肉声

 

また、両親のうち父親も、土谷正実が大学生の時、彼女との交際に反対して仕送りを止めるなどし、土谷正実を精神的にも経済的にも追い詰める事をしており、これも土谷正実がオウム真理教に傾倒していくきっかけの1つになったのではと指摘する声もあります。

 

そして、両親は土谷正実の逮捕後も死刑確定後も1度も面会には訪れず、会う事を頑なに拒否していたといいます。

 

そんな土谷正実の両親のうち父親は地下鉄サリン事件の直後に体調を崩して、その後も回復せず60歳くらいで死去したとの情報が明らかになっています。

 

地下鉄サリン事件の直後に父親は体調を崩して60歳ぐらいで亡くなり、弟や妹も幸せになったとは聞いていない。

 

引用:オウム元死刑囚の母「ごめんなさい。ごめんなさい」と繰り返す姿に隣人らの反応は

 

土谷正実はオウム事件で逮捕後、死刑が確定する前の2008年に獄中結婚した妻がいたのですが、この妻が、土谷正実の母親は、父親が早くに亡くなったのも妹が結婚できないのも土谷正実が事件を起こしたせいだと感じており、それに対する怒りから面会を拒否していた事を明かしています。

 

お母様はそれを事件のせいだと思っていて“お父さんを殺したのはあの子なんだから”“娘が結婚できないのもあの子のせい”“息子とは思っていない”と。諦めました。別の知人も何度もお母様に頼んでみたのですが、やっぱりダメでした。結局、生前も執行後も一度も連絡はないままです

 

引用:私は人殺しですか――オウムでサリン製造「土谷正実」未亡人が明かした最期の肉声

 

土谷正実の母親は現在も存命で、東京都町田市にある自宅(土谷正実の実家)で今も1人で暮らしている事が明かされています。

 

オウム事件の死刑囚の母親という負目からか、母親は実家からはほとんど外出せずにひっそりと暮らしているという事です。

 

現在は母親ひとりでほとんど外出せず、買い物も配達してもらうなどして、ひっそりと暮らしているようだ。

 

引用:オウム元死刑囚の母「ごめんなさい。ごめんなさい」と繰り返す姿に隣人らの反応は

 

 

 

土谷正実の家族② 兄弟は5歳下の妹と7歳下の弟の2人

 

出典:https://fnn.ismcdn.jp/

 

土谷正実は5人家族の長男として生まれ、兄弟は5歳下の妹と7歳下の弟の2人です。

 

土谷正実の弟についての情報は特にありませんが、妹についてはオウム事件の影響もあってか結婚できていない事がわかっています。

 

妹さんも結婚されなかった。お母様はそれを事件のせいだと思っていて“お父さんを殺したのはあの子なんだから”“娘が結婚できないのもあの子のせい”“息子とは思っていない”と。

 

引用:私は人殺しですか――オウムでサリン製造「土谷正実」未亡人が明かした最期の肉声

 

また、土谷正実の実家の近所に住む主婦によれば、妹は、兄がオウム事件の死刑囚である事実から逃れる目的もあってか一時期海外で暮らしていた事もあったそうです。

 

妹は一時、海外へ渡っていたけどね。

 

引用:オウム元死刑囚の母「ごめんなさい。ごめんなさい」と繰り返す姿に隣人らの反応は

 

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土谷正実の家族③ 獄中結婚した妻

 

土谷正実には2008年に獄中結婚した妻がいました。

 

土谷正実はこの妻となる女性とはオウム事件以前の筑波大学の学生時代、塾の講師のアルバイトしている時に知り合っています。女性の友人がこの塾に通っており、何度か塾に足を運んだ事があり、その時に偶然知り合ったそうです。

 

最初に夫と会ったのは私が10代の時でした。その頃、夫は筑波大学の学生で塾の講師をしており、そこの塾生だった友人と待ち合わせるため、私がその塾に何度か足を運んだことがあり、その時偶然知り合いました。

 

引用:元オウム死刑囚の妻たちが手記につづった死刑執行からこの1年

 

土谷正実とこの女性とは偶然実家の場所が近かったため、友人として遊ぶようになったそうですが、女性が受験生になって忙しくなってから次第に連絡が途絶えていったという事です。ちなみに、女性はその後土谷正実がオウム真理教と関わるようになった事も知らなかったそうです。

 

そして、オウム事件での逮捕後の2006年、土谷正実の方からこの女性に突然「会いたい」と手紙が届き、女性は悩みつつも1ヶ月ほど手紙でやり取りをした後、2006年4月に初めて面会に行っています。

 

それからもこの女性は手紙のやり取りをしながら何度か土谷正実に面会に行き、7月頃になると土谷正実から毎日手紙が届くようになります。

 

面会も週に3回から4回と増えていき、それを約2年ほど続けた後の2008年に土谷正実の方から女性に「結婚してください」と伝えています。

 

女性は「少し考えさせて欲しい」と伝えましたが、最終的には女性自身の判断で結婚を決められたそうです。

 

夫人と土谷とは、事件以前からの知人。高裁判決後、獄中の土谷から手紙が来たことをきっかけに交流が始まり、2008年に籍を入れた。

 

引用:私は人殺しですか――オウムでサリン製造「土谷正実」未亡人が明かした最期の肉声

 

土谷正実の死刑執行後も、この獄中結婚した妻はメディアの取材に土谷正実の妻の立場で応じていますが、「オウム真理教家族の会」の永岡弘行会長が明かしたところによれば、結婚生活は3年〜4年ほどで離婚しているという事です。

 

その後、土谷には彼女ができて、獄中結婚しました。戸籍上結婚していないと、会うこともできないんですね。彼女とも私は長時間話をしたことがあります。結婚生活は3~4年は続いたが、彼女からある日、「アメリカへ行きます」と電話がかかってきた。数年前に離婚したようです。

 

引用:オウム死刑囚6人も執行 「喋らない林、死にたいと漏らした端本」被害者、脱洗脳カウンセラーらが語る真実

 

土谷正実が獄中結婚をしたのは2008年で死刑確定が2011年なので、3年〜4年で離婚という事は死刑確定を機に離婚をした可能性も考えられます。

 

死刑が執行されてしまうと離婚する事ができなくなるため、その前に手続き上離婚しておいたという事かも知れません。

 

そして、土谷正実と結婚していた女性は、海外で暮らしていた時期もあるが、死刑執行までずっと夫婦だったと手記に書いています。

 

結婚してからは、私が仕事の都合で数年間海外で暮らしていた時期もあり、ずっと一緒ではなかったのですが、昨年、死刑執行がなされるまで、土谷とは夫婦でした。

 

引用:元オウム死刑囚の妻たちが手記につづった死刑執行からこの1年

 

なので、離婚したという事自体が誤情報か、あるいは書類上離婚したものの実質結婚していたという事だったのかも知れません。

 

いずれにしても、土谷正実とこの女性との手紙や面会などでのやり取りは、その後の死刑執行までずっと続いており、死刑執行後にはこの女性に拘置所から連絡が行っています。

 

そして、土谷正実の遺体の引き取りについても確認を受けたようです。こうした事から、やはり土谷正実と女性は離婚はしておらず、最後まで夫婦の関係だった可能性が高いようです。

 

女性は拘置所に土谷正実の引き取りの確認をされた際、夏場だった事もあり拘置所で荼毘に附してもらい後日遺骨を引きとられています。

 

この時、女性は長年土谷正実との接見に立ち会ってくれたという刑務官とも偶然会い「やっと連れて帰れます。長い間お世話になりました」と挨拶した事なども手記で明かしています。

 

 

 

土谷正実は天才だったと言われている

 

土谷正実は図書館に通って専門書を読み漁り、独学でサリンやVXガスなどの生成に成功している事などから天才だったと言われています。

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土谷は頭脳的にはすばらしい科学者だった。サリンの化学式を自分で分解して、薬品会社から成分を取り寄せ、独力で作った。薬品会社もまさかサリンを作るとは思わなかったんだろう。サリンのノウハウ本など売ってないから、土谷は国会図書館、大学の図書館に通い、専門書をいろいろ読みあさったようだ。同じやり方でVX、ソマン、ニトログリセリン、イペリットガスなど他の化学兵器も作っていた。

 

引用:元警視庁捜査一課理事官が明かすオウム秘話「愛人知らなかった麻原妻と土谷死刑囚が落ちた瞬間」

 

大学院時代にも指導した教授に将来を期待されていた事などもあり、仮にオウム真理教に入信していなければ、土谷正実は化学の天才として何らかの功績を残したのではないかという声すら上がっているようです。

 

 

 

土谷正実の死刑が執行された2018年には、バラエティ番組「直撃!シンソウ坂上 」で、「独占スクープ!サリン事件極秘資料 ―オウム“天才”信者VS伝説の刑事―」という特集が放送されたり、「世界仰天ニュース」でも土谷正実が「サリンを作った男」として再現VTRで天才として描かれたりしていました。

 

こうした放送に対しては、無差別大量殺人事件に関与した死刑囚を天才などと持ち上げるのは倫理的にどうなのかなどと批判する声も多く上がっていました。

 

 

 

 

土谷正実がイケメンだという声も

 

出典:https://pbs.twimg.com/

 

土谷正実がイケメンという声もネット上にあるようです。

 

 

土谷正実がイケメンと感じるかどうかはそれぞれの主観の問題ですが、高校時代から彼女がいた事や、大学時代の塾講師時代に10代の女友達がいた事、オウム事件で逮捕された後にこの女友達に手紙攻勢をかけてプロポーズして獄中結婚に成功している事などからイケメンといった声が出たようです。

 

ただ、地下鉄サリン事件や松本サリン事件で、土谷正実が中心となって生成したサリンによって命を落とした人の遺族や後遺症を患って今も苦しんでいる被害者が存在するいる以上、この男をイケメンなどと褒める事は、例え内心でそう思っていたとしても口に出す事は避けた方が良さそうです。

 

 

 

土谷正実の死刑執行時の様子

 

出典:https://pbs.twimg.com/

 

2018年7月6日に土谷正実の死刑は執行されています。

 

死刑執行事の様子については、法務省関係者からの情報として、死刑執行の数日前から精神的に不安定になっており、執行を告げられた時はかなり驚いた様子だった事が明かされています。

 

土谷元死刑囚は、執行前から精神的に安定しない日々で、執行を告げられてかなり驚いていたそうです」(前出・法務省関係者)

 

引用:オウムの麻原、井上、土谷、新実ら死刑囚の最期の瞬間「その後、仕事できず」と検察幹部

 

一方、獄中結婚をした妻は、死刑執行後に拘置所を訪れた際に、刑務官から土谷正実の死刑執行事の様子について「数日前に問題行動があり、保護房に入っているタイミングで死刑執行になった事」、「最期は穏やかに逝った事」などを聞かされた事を手記の中で明かしています。

 

通して下さった刑務官の方から、数日前に問題行動があり保護房からの執行となったが穏やかに逝きましたと聞かされ、もう本人も拘置所での生活に限界を感じていたのだと悟りました。

 

引用:元オウム死刑囚の妻たちが手記につづった死刑執行からこの1年

 

 

 

土谷正実の最後の言葉…獄中結婚した妻の名前を呼びながら死刑執行

 

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出典:https://pbs.twimg.com/

 

土谷正実の死刑執行時の最後の言葉は、獄中結婚をした妻の名前だったという事です。

 

この土谷正実の最後の言葉は、獄中結婚をした土谷正実の妻本人が明かしています。

 

最期は、私の名を呼びながら刑に臨んだそうです

 

引用:私は人殺しですか――オウムでサリン製造「土谷正実」未亡人が明かした最期の肉声

 

土谷正実が獄中結婚をした妻は、最後の言葉が自分の名前だったと刑務官から聞き、「夫は最期まで私だけを思っていたんだ」と思い、なんとも言えない複雑な心境になったそうです。

 

最期は私の名を呼んでいたと聞き、ようやく楽になれたんだという思いと、夫は最期まで私だけを想っていたんだという思いと、とにかく何とも言えない複雑な心境でした。

 

引用:元オウム死刑囚の妻たちが手記につづった死刑執行からこの1年

 

 

 

まとめ

 

今回は、オウム真理教の幹部で、教団内でサリンの生成方法を確立した土谷正実についてまとめてみました。

 

土谷正実は東京都町田市の郊外の生まれで、両親と妹と弟が1人ずつの5人家族の裕福な家庭で育った生い立ちを持ちます。

 

経歴については、中学・高校時代は明るい性格で人気者で、高校からはラグビー部に所属して中心選手として活躍しています。筑波大学へ進学後もラグビーを続けましたが、入学してすぐに怪我をして退部する事になり、彼女との関係も上手くいかなくなった事で生活を乱しています。

 

その後は化学の勉強に励むようになり、同大学院へと進学し、研究者として高い評価を得ますが、この頃にオウム真理教にハマっていき、大学院を中退して出家信者となっています。

 

オウム真理教入信後は麻原彰晃らの指示を受けるままに化学兵器の製造に邁進し、サリンをはじめとする化学兵器の製造法を確立しました。結果としてこれが「松本サリン事件」、「地下鉄サリン事件」へとつながり、土谷正実はその死刑判決を受け、2018年に死刑が執行されました。

 

土谷正実の家族のうち、妹と弟の現在は不明ですが、父親は60歳くらいで死去、母親は現在も東京都町田市の実家に1人で暮らしているようです。家族はオウム事件での逮捕から死刑執行まで、1度も土谷正実に面会には訪れなかったようです。

 

土谷正実は逮捕後の2008年にオウム事件前からの知り合いだった女性と獄中結婚をしています。

 

この女性は土谷正実との結婚についての手記をメディアに寄せており、死刑執行まで土谷正実と夫婦関係だった事を明かしています。

 

土谷正実の死刑執行時の最後の言葉はこの妻の名前だったそうです。

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