藤田小女姫さんは天才占い師として一世を風靡した女性で、1994年にハワイで養子の息子とともに襲われ死亡しています。藤田小女姫さん殺害事件の真相や犯人・福迫雷太の裁判、北朝鮮真犯人説、死因や検死結果、旦那や結婚、弟、家族などを紹介します。
この記事の目次
- 藤田小女姫さんとは
- 藤田小女姫さんの死因はハワイでの射殺だった
- 藤田小女姫母子殺害事件の詳細① 遺体発見まで
- 藤田小女姫母子殺害事件の詳細② 息子(養子)の遺体発見
- 藤田小女姫母子殺害事件の詳細③ 犯人・福迫雷太が浮上
- 藤田小女姫母子殺害事件の詳細④ 事件前後の福迫雷太の行動
- 藤田小女姫母子殺害事件の詳細⑤n福迫雷太の逮捕
- 藤田小女姫母子殺害事件の裁判
- 藤田小女姫母子殺害事件の真相考察① 死因・検死結果への疑惑
- 藤田小女姫母子殺害事件の真相考察② 真犯人は?北朝鮮が関係している?
- 藤田小女姫母子殺害事件の真相考察③ 消えたブラックブック
- 藤田小女姫さんは結婚していた?旦那は?
- 藤田小女姫さんの弟が『藤田小女姫の真実』で明かした家族関係が壮絶
- 藤田小女姫さんと母子殺害事件についてのまとめ
藤田小女姫さんとは
藤田小女姫(ふじた こととめ)さんは、1950年代からTVや新聞などで取り上げられ、活躍していた占い師、霊能力者です。
初めて占い師として社会に注目されたのは小学6年生の時で、産業経済新聞(現在の産経新聞)の社会面で「天才占い師の少女」「千里眼を持つ少女」として取り上げられたことがきっかけでした。
成人してからも占いの評判は高く、岸信介元首相、福田赳夫元首相、パナソニックホールディング創業者のの松下幸之助氏、国際興業グループ創業者の小佐野賢治氏など、政財界の大御所を顧客に抱えていたといいます。
学生だった頃の王貞治氏に「野球で大物になる」と占った、岸内閣の総辞職を予言した、周恩来中国首相の死期を予知したなど数多くの逸話も持つという稀代の占い師。そんな藤田小女姫のプロフィールは以下のとおりです。
本名:藤田 東亞子(ふじた とあこ)
生年月日:1938年1月4日
死没:1994年2月23日(享年56歳)
出身地:福岡県福岡市
職業:占い師、経営コンサルタント
藤田小女姫さんの死因はハワイでの射殺だった
藤田小女姫さんは1994年2月23日に、ハワイ州ホノルル、カカアコの高級マンションの一室で胸部を撃たれて殺害されています。
さらに同日に小女姫さんの息子も、マンションから約5km離れた駐車場に停められた自動車から手足を縛られた射殺体で発見されており、この事件は日本人親子殺人事件として日本のみならずアメリカでもおおきく報道されました。
母子殺害の犯人として逮捕されたのは、小女姫さんの1人息子・吾郎さん(当時20歳)の友人であった福迫雷太(ふくさくらいた・当時28歳)です。
しかし福迫雷太は逮捕後も無実を訴え、裁判では「この裁判に圧力をくわえている人に伝えたい。私は何も話しません。約束します」と意味深な発言をするなどして、やはり殺害を否認。
最終的に有罪判決が下されて福迫雷太には無期懲役が言い渡されましたが、現在も藤田小女姫親子殺人事件には不審な点が多く、真犯人が別にいるのではないか?共犯者がいたのではないか?と囁かれています。
藤田小女姫母子殺害事件の詳細① 遺体発見まで
藤田小女姫さんは1973年からハワイに移住し、事件現場となった高級マンションに居住していました。
少女占い師として持て囃されるようになってから、小女姫さんは数億円もの財を成し、女性がやっと運転免許を持ち始めた1960年代に5台の高級外車を所有し、軽飛行機の免許も取得。自らの占いの才だけで成功者にのぼりつめていました。
ハワイではこれまで築いた人脈を利用して経営コンサルタント業をメインに活動しており、日本とハワイを往復する暮らしが続いていたといいます。
事件が発生した1994年2月23日の16時頃、小女姫さんは取引先のセントラルパシフィックバンクの会長に直接電話をかけ「20,000ドル(当時の日本円に換算すると210万円)を持ってきてほしい」と伝えてきたそうです。
この時、小女姫さんは切羽詰まった様子で声も震えており「命に関わることなんです」と言っていました。また、背後からは片言の日本語で何かを指示する男の声も聞こえたそうです。
どうしたのかと理由を聞く間もなく電話が切れてしまったことから、セントラルパシフィックバンクの会長は不審に思って日本領事館に連絡。
その後、16時51分頃に日本領事館の職員が小女姫さんの住むマンションに向かったところ、彼女の部屋から煙が出ていることを目撃します。
そして駆けつけた消防隊員によって、クローゼットに押し込められていた小女姫さんの射殺遺体が発見されたのです。
藤田小女姫母子殺害事件の詳細② 息子(養子)の遺体発見
小女姫さんの遺体が発見された同日の22時34分頃、今度はマンションから約5km離れたホテルにある駐車場で、赤いスポーツカーが燃えているのが発見されます。
このスポーツカーは、小女姫さんの1人息子であり養子の吾郎さんの所有物でした。そして今度は、この社内から遺体が出てきたのです。
吾郎さんも小女姫さん同様に胸部を撃ち抜かれて殺害されており、両手足を粘着テープで縛られていました。
胸部を撃って殺害してから、遺体を燃やそうとするという手口が共通していたため、ホノルル警察は藤田小女姫親子殺害は同一犯によるものと見て捜査に乗り出します。
藤田小女姫母子殺害事件の詳細③ 犯人・福迫雷太が浮上
セントラルパシフィック銀行の会長から「事件の直前に小女姫さんから現金を持ってくるように頼まれた」という証言を得て、ホノルル警察は母子殺害事件は強盗殺人、もしくは身代金目的の誘拐から殺人事件に発展した可能性があると発表。
周囲への聞き込みにより、息子のトラブルに小女姫さんが巻き込まれた可能性が高いと思われたことから、当初、ホノルル警察は身代金目的で吾郎さんを誘拐した後に殺人が起きたと見ていました。
しかしその後、事件は思いがけない進展を見せます。事件の翌日、事件現場のマンション付近にある質屋に、小女姫さんの所有していた宝飾品数点が持ち込まれたのです。
質屋の店主は小女姫さんと親しかったため、持ち込まれた宝飾品が彼女の物だとすぐに気づき、この件を警察に通報しました。
そして、警察が捜査したところ質屋に宝飾品を売りに来た人物が、吾郎さんの友人であった福迫雷太だと判明したのです。
警察はすぐに福迫の住んでいたマンションに向かいましたが、福迫は事件の2日後に恋人を連れて日本に帰国していました。
藤田小女姫母子殺害事件の詳細④ 事件前後の福迫雷太の行動
出典:https://sumiretanpopoaoibara.hatenablog.com/
福迫雷太には銃器不法所持の前科があり、カリフォルニアで4度の逮捕履歴があることも判明します。銃の密輸にも関わっていた疑いがあり、暴力団関係者との繋がりも浮上しました。
また、福迫が吾郎から数十万円の借金をしていたうえに返済のあてに困っていたことも明らかになり、以降、警察は福迫雷太を容疑者に絞って捜査を進めます。
一方で日本に戻ってきていた福迫は新聞で自分に藤田小女姫母子殺害事件の容疑がかかっていることを知り、3月3日に神奈川県警に出頭します。
出頭は自首のためではなく、事件と自分は関係ない、濡れ衣だと訴える目的で、この時は勾留などはされずにそのまま帰宅したようです。
しかし、ハワイではホノルル警察が福迫雷太を極秘起訴したうえで家宅捜査に踏み切っていました。
そして家主が逃げた後の福迫のマンションから、小女姫さんと吾郎さんの殺害に使われたものと同じ拳銃の弾が発見され、部屋のカーペットの一部が不自然に切り取られており、その付近から吾郎さんの血痕も検出されます。
さらに部屋に備え付けてあったソファがなくなっていることも明らかになり、福迫のマンションの防犯カメラを調べたところ、以下のような動きがあったことも判明しました。
2月23日9時27分…福迫が吾郎を伴ってエントランスから上りエレベーターに乗る
2月23日12時55分…福迫が1人で下りエレベーターに乗り、出かける
2月23日15時54分…福迫がマンションに戻ってくる
2月23日17時35分…福迫が大型カートを持ってエントランスから上りエレベーターに乗る
2月23日21時15分…福迫が部屋から大きな荷物(人間が入るくらいの包み)をカートに乗せてエレベーターに乗り、出かける
2月23日21時40分…吾郎さんのスポーツカーが福迫のマンションの駐車場を出ていく。後部座席には福迫が運び出した大きな荷物が積まれていた
2月24日8時21分…福迫が備え付けのソファをマンションから運び出す
福迫が大きな荷物を運び出すのに使用していたカートを調べたところ、吾郎さんの血痕が発見されたことから、24日の午前中から昼の間に福迫が吾郎さんを自分の部屋で殺害し、25日の夜に遺体を部屋から運び出したものと推測。
ホノルル警察は、藤田小女姫母子殺害事件の犯人を福迫雷太と断定します。
藤田小女姫母子殺害事件の詳細⑤n福迫雷太の逮捕
こうして本人は日本にいたものの、ホノルル大陪審は福迫雷太を3月30日付で第一級殺人と第二級殺人の罪状で起訴。
これを受けて日本でも4月1日に東京高裁から仮拘禁上が出されて福迫は勾留されることとなり、事件から半年近くが経った8月16日には日米犯罪人引渡条約に基づいて福迫の身柄はホノルル警察に引き渡されました。
藤田小女姫母子殺害事件の裁判
ホノルル警察に移送された後も福迫は藤田小女姫親子の殺害を否認し続け、1995年2月から裁判が開始します。裁判では検察、弁護士からそれぞれ以下のような主張がされました。
検察側の主張
・福迫は家賃も3ヶ月滞納し、光熱費の支払いにさえ困っており、吾郎さんからも金を返すようにせっつかれていた=吾郎さん殺害動機がある
・小女姫さんの隣人が、事件当日にマンション内で福迫と思われる黒髪の若い男を見かけたと証言している
・部屋に残った血痕、銃弾、防犯カメラの映像など犯行を裏付ける物証も多い
・最初は吾郎さんを誘拐して小女姫さんから身代金20,000ドルをとろうと計画したが、失敗して小女姫さんを殺害。さらに自宅に監禁した吾郎さんも殺害したものと見られる
弁護側の主張
・吾郎さんのスポーツカーから出火が確認され、消防隊が現場に出向いた2月23日の22時34分頃、福迫は事件現場から3kmも離れたワイキキのスーパーで買い物をしていた
・スーパーの防犯カメラにも福迫の姿が映っており、距離から考えて福迫が吾郎さんの遺体を駐車場に運び、車に火をつけるのは不可能だ
・福迫のマンションの防犯カメラで、車の後部座席に吾郎さんの遺体と思われる荷物が積まれているのが確認できるものの、運転手の顔は影になっていて特定できない
・身長180cm、体重90kgという大柄な吾郎さんを福迫が1人で粘着テープを使い、拘束できるとは思えない
・小女姫さんの部屋からは福迫の指紋や頭髪などが検出されていない
・福迫が犯行に関与したのは確かだが、共犯者がいると思われる
弁護士は福迫が訴えるように無罪ではないことは認めつつ、脅されて犯行に加担させられていた可能性を指摘。
さらに小女姫さんは占いの顧客であった小佐田賢治氏を通じてヤクザとも親交があったことを指摘し、証人を用意しましたがなぜか出廷は認められませんでした。
弁護側が用意した証拠を見る限り、福迫には共犯がいる可能性が高いと思われました。
しかし、陪審員たちが福迫の単独犯行だという検察の主張を支持したため、1995年5月23日に福迫は第一級殺人、第二級殺人の罪で無期懲役を言い渡されます。なお、極刑にならなかったのはハワイでは死刑が廃止されているためです。
藤田小女姫母子殺害事件の真相考察① 死因・検死結果への疑惑
小女姫さんの死因は左胸を銃で撃たれことと発表されましたが、検死結果によると首にも絞められた痕が残っており、遺体は猿轡を噛まされていました。
死体検案書にも「被害者には暴行で負ったと思われる裂傷など9箇所の傷があり、1人が身体を押さえている間にもう1人が猿轡を噛ませ、射殺される前に暴行を受けた可能性がある」と記載されていたといいます。
また、吾郎さんの顔にはライフルで殴打されて負ったと思われる黄色い痣があったそうで、これも死体検案書に書かれていました。
法医学者の佐藤喜宣氏によると、この傷は吾郎さんと同じくらいの身長の人物が負わせたものとのことです。しかし、吾郎さんの身長が180cmなのに対して福迫の身長は160cmであるため、佐藤氏の論に従うならば他にもう1人、長身の男が事件現場にいたことになります。
さらに検察の主張では犯行に使われたのは福迫の所持していた357口径の拳銃とされていましたが、2人の遺体の背後には点状の傷が残っており、これは散弾銃を接射したことで体内で散弾が弾けて負ったものではないか?凶器は357口径の拳銃ではないのでは?とも指摘されています。
藤田小女姫母子殺害事件の真相考察② 真犯人は?北朝鮮が関係している?
裁判で福迫は、「私は友人も、彼の母親も誓って殺害していません。この裁判に圧力をくわえている人に伝えたい。私は何も話しません。約束します。だから、私の家族や恋人には手を出さないでください」といった意味深な発言をしています。
このことから弁護士は、福迫は親しい人物を人質に取られて、無理やり犯行に加担させられたと主張していました。
弁護側の主張は結局認められなかったのですが、福迫雷太を脅していた人物や団体がいるとしたら、それは何者なのでしょうか。
獄中の福迫の証言によると、小女姫さんはハワイ在住の知人から恐喝されていたといい、殺害される前に投資関係の仕事をしていた福迫に、生命保険を担保に借金の相談をしてきたのだそうです。
そこで福迫は新宿で金融業を営んでいた在日北朝鮮人を紹介。小女姫さんはこの男から2億円を借り入れたといいます。
福迫によると、このお金はなんと北朝鮮で作られた偽札であり、小女姫さんは借入時に「2億円を使うのは夏以降でなければいけない」と約束させられていたとのことです。
しかし貸付後に小女姫さんがハワイに戻ったことで、息子の吾郎さんが勝手に偽札を使う危険があることに気づいた金融業の男は、福迫に偽札の回収を依頼してきたといいます。
そして親子が殺害される2日前の2月21日、小女姫さんから偽札を受け取ったとされる男3人を福迫のマンションに監禁し、小女姫さんのボディガードらが殺害したというのです。
福迫は防犯カメラに映っていた自分が運んでいた「巨大ななにか」は、この時に殺害された男のうちの1人のものであり、小女姫さん殺害の背後には北朝鮮の犯罪組織が絡んでいることをほのめかしていました。
なお、小女姫さんに偽札を渡した在日北朝鮮人の男も、1994年4月に殺害されたといいます。
藤田小女姫母子殺害事件の真相考察③ 消えたブラックブック
福迫によると小女姫さんは2億円を借り入れる際に、担保として生命保険ではなく、占いの顧客たちの個人情報を書き留めた手帳である通称「ブラックブック」を金融業者に渡していたといいます。
小女姫さんの顧客には政財界の大物が多数いましたから、ブラックブックを欲しがる人物は少なくなかったと思われます。
この手帳は在日北朝鮮人の男が殺害された後も発見されていないため、一連の事件の犯人は現金や偽札ではなく、ブラックブックが目的だったのではないかとも考えられているようです。
藤田小女姫さんは結婚していた?旦那は?
小女姫さんは1961年、23歳の時に不動産関係の仕事をしている男性と結婚していますが、3年で結婚生活は破綻し、離婚しています。
この男性との間には子どもはおらず、事件で亡くなった吾郎さんの父親というわけではありません。
藤田小女姫さんの弟が『藤田小女姫の真実』で明かした家族関係が壮絶
小女姫さんの弟である藤田洋三さんは、事件から10年が過ぎた2004年に『東亜子と洋三 藤田小女姫の真実』という書籍を出しています。
これまで小女姫さんの生い立ちについては、両親は幼い頃に離婚しており、父親に引き取られた後に空襲にあって各地を転々としていたと紹介されてきました。しかし、洋三さんによると藤田一家の家庭環境はもっと複雑であり、「一応は」両親が揃っていたとのことです。
この本によると小女姫さんと洋三さんは、怪物と呼ばれた労働運動家・矢次一男と芸者の間に生まれた私生児で、幼い頃に誘拐されて現在の父親の戸籍に入れられたというのです。
小女姫さんの戸籍上の親(育ての親)にあたる夫婦は、乳幼児を誘拐してきては養子斡旋をして報酬を得て暮らしていたといい、攫われてきた子のなかには小女姫さん姉弟のように、自分たちの戸籍に入れる子もいたとされます。
そのため、小女姫さん姉弟は血の繋がらない兄弟姉妹と一緒に育ったそうです。
自分たちの戸籍に入れると言っても、愛情を持って育てることが目的だったわけではなく、戸籍上の父母の狙いは子どもが成長したら売春や肉体労働で稼がせることでした。
このような両親であったため、小女姫さんの才覚が花開くと自分の娘達を集めて占い師集団をつくり、昼は占い、夜は売春をして稼がせながら、米軍基地や炭鉱を渡り歩いていたといいます。
そして小女姫さんがマスコミから注目を集めるようになると、生活のすべてを彼女に集って引っ張り出したお金で賄うようになり、これが原因で小女姫さんは富を築いていたにもかかわらず、怪しい金融業者に借金を申し込むまでに追い詰められてしまったと、洋三さんは指摘しています。
出典:https://matsuzakiakemi.seesaa.net/
洋三さんは大学入学を機にアメリカに留学し、以降は両親となかば絶縁状態で新しい生活に踏み出したため、戸籍上の父母から搾取されずに済んだそうです。しかし、「姉はおそらく、生涯に渡って搾取され続けていた」といいます。
また、謎が多い吾郎さんの実の両親や小女姫さんと養子縁組をした理由についても、洋三さんは「吾郎さんは戸籍上の父の子どもで、父が姉の養子にしたのではないか」という考察をしています。
洋三さんは自分がアメリカに逃げたことで、国外に逃げられたら搾取できなくなるということに気づいた父が、人質として吾郎さんを小女姫さんの養子にしたのではないかと考えているそうです。
そして、吾郎さんを通して小女姫さんは血の繋がらない家族にせっせと送金をしていて、そのせいで犯罪に巻き込まれた可能性があると指摘しています。
あまり本当だとは思いたくないような残酷すぎる話ですが、小女姫さんが生まれた時代を考えるとないとは言い切れません。
藤田小女姫さんと母子殺害事件についてのまとめ
今回は1994年にハワイで殺害された有名占い師、藤田小女姫さんについて、事件の詳細や死因、検死結果、犯人とされる福迫雷太と不自然な裁判をふくめて紹介しました。
これまで、福迫雷太はテレビ朝日やAbemaTV、雑誌などの取材に獄中から応じており、一貫して無罪を主張しています。
終身刑と言っても30年を過ぎれば出所できるのではないか、福迫雷太が出所したら事件の真相がわかるのではないかと期待されてきましたが、現在、彼の身体は癌におかされているうえ、長らく冤罪を訴えてきた弁護士も調査を打ち切っています。
はたして小女姫さんと吾郎さん殺害の真相がわかる日は来るのでしょうか。