若林一行の生い立ちと家族!獄中絵・死刑執行と最後の言葉もまとめ【岩手県洋野町母娘強盗殺人事件の犯人】

2006年に罪のない母娘が殺害された「岩手県洋野町母娘強盗殺人事件」の犯人の若林一行が注目されています。

 

この記事では若林一行の起こした事件の概要、生い立ちや家族、事件の動機や裁判の展開、死刑確定後に残した獄中絵、死刑執行や最後の言葉などについてまとめました。

若林一行は岩手県洋野町母娘強盗殺人事件の犯人

 

出典:https://livedoor.blogimg.jp/

 

若林一行(わかばやし・かずゆき)は、2006年7月19日に岩手県洋野町種市の民家で発生した「岩手県洋野町母娘強盗殺人事件」の犯人です。

 

若林一行は犯行当時29歳の青森県八戸市沢里在住の自営の塗装工で、金品を奪う目的と暴行する目的で会社員・上野紀子さん(当時52歳)と、その次女の会社員・上野友紀さん(当時25歳)の住む、岩手県洋野町の民家に侵入し、居合わせた紀子さんの頭部を鈍器で殴った上、首を絞めて殺害。その後帰宅した友紀さんも同様の方法で殺害しました。

 

それから、若林一行は上野さん宅から現金や金目のものなど合計で約7万円ほどを盗んだ上、2人の遺体を自動車で運んで、民家から南西4km〜5kmほどの山林に遺棄し逃亡。

 

事件発生から6日後の7月25日、若林一行は死体遺棄容疑で逮捕され、その後、死体遺棄、強盗殺人などの罪で起訴されて2012年1月に最高裁判所で死刑が確定、2015年12月に死刑執行となり39歳で死亡しました。

 

ここではこの若林一行についてわかっている内容をまとめていきます。

 

 

 

岩手県母娘強盗殺人事件の経緯① 若林一行は多額の借金を抱え空き巣の常習犯に

 

出典:https://guardians7.com/

 

若林一行の起こした岩手県洋野町母娘強盗殺人事件の経緯を改めてみていきます。

 

若林一行は、事件前からギャンブルや趣味の釣りにのめり込むなどして多額の借金を抱えており、2005年春頃から空き巣を繰り返すようになりました。

 

一方で、勤めていた塗装・建築会社が脱税事件を起こし、その影響で2005年9月に退社する事になり、以前会社にいた元同僚と共に独立し自営で塗装工の仕事を始めています。しかし、新規業者が仕事を得る事は難しく、実質的に無職の状態だったようです。

 

こうした事から若林一行の借金額は、岩手県洋野町母娘強盗殺人事件を起こす直前には借金は400万円にまで膨らんでいました。

 

若林一行は子供の養育費にまで手をつけてパチスロにのめりこみ、家賃も2ヶ月滞納し、大家には事件を起こす翌日にあたる2006年7月20日までには支払うと約束していたという事です。

 

 

 

岩手県母娘強盗殺人事件の経緯② 上野さん宅への強盗と乱暴を企み侵入

 

2006年7月18日、若林一行は空き巣に入る家を探して青森県との県境に近い岩手県洋野町を訪れ、種市(地名)の山間にポツンと孤立して建つ、上野紀子さんと娘の友紀さんの住む一軒家に忍び込みました。若林一行は家の中を物色して女性のみの世帯である事を知り、「ロープで縛って現金の隠し場所を聞き出して乱暴もしてやろう」と画策。

 

翌日の7月19日の15時頃、若林一行は運転してきた軽トラックを茂みに隠すと、覆面と軍手を装着し、前日に開けておいた1階の窓から上野さん宅に再び侵入しました。

 

若林一行は、ゲーム機やCDなどの金目の物を物色した後、上野さん宅にあった「すりこ木」に滑らないように輪ゴムを何重にも巻きつけて凶器として準備し、家の中で息を潜めて住人の帰宅を待ち伏せしました。

 

 

岩手県母娘強盗殺人事件の経緯③ 帰宅した上野紀子さんと娘の友紀さんを殺害

 

17時10分頃、この家に住む上野紀子さん(当時52歳)が仕事から帰宅しました。若林一行は、紀子さんが玄関で飼い猫を呼んでいるところを背後から忍び寄り、すりこ木で頭部を殴打しました。

 

これに、上野紀子さんは激しく抵抗して揉み合いになり、この時に若林一行の覆面が取れます。これに若林一行は逆上し、紀子さんの頭部を何度も殴りつけた上、馬乗りになって首を絞めて殺害しました。

 

18時頃、紀子さんの娘の友紀さん(当時24歳)が勤務先から帰宅。若林一行は待ち伏せをして和室前の廊下で友紀さんの頭部を殴り、その後両手で首を絞めて殺害しました。

 

若林一行は、紀子さんを殺害した直後だった事から「どうせなら徹底的にやってやる」という気持ちになっており、友紀さんに対してははじめから殺意を持って襲っています。

 

 

岩手県母娘強盗殺人事件の経緯④ 紀子さんと友紀さんの遺体を遺棄し盗品を売却

 

若林一行は、上野紀子さんと上野友紀さんの遺体を上野さん宅にあった毛布で包み、紀子さんの自動車で上野さん宅から4km〜5km離れた岩手県洋野町内の山林に運んで遺棄しています。

 

若林一行は2人の遺体を遺棄した帰り道、パチンコ店に立ち寄ってパチスロに興じています。さらにその日の23時頃、中古買取店で上野さん宅から盗み出したゲーム機を売却しています。

 

7月21日、若林一行は同じ中古買取店で上野さん宅から盗んだ音楽CDを売却しています。

 

そして、犯行4日後の7月23日、若林一行は遺棄現場に戻って遺体にトタンを被せる隠蔽工作も行っています。

 

 

岩手県母娘強盗殺人事件の経緯⑤ 親族が警察に相談し事件が発覚

 

事件発生から3日後の7月22日の昼過ぎに上野紀子さんと友紀さんの親族が、上野さん母娘と連絡が取れない事や、友紀さんの車がいつもとは違う場所に駐車されている事などを不審に思い、岩手県警察久慈警察署に通報し相談しました。

 

通報を受けた警察官が、同日14時頃に上野さん宅を確認に訪れたところ、1階の和室に約1.5メートル四方に血痕を拭き取った痕跡を確認。また、1階の玄関や窓は全て施錠されており、台所と和室の電気は点いたままでした。

 

そして、裏庭には女性用の下着が散乱していたという事です。

 

また、母親の上野紀子さんの自動車は自宅前に駐車されていましたが、娘の友紀さんの自動車はいつもの駐車場所とは違う自宅から東へ約200メートル離れた空き地に停められており、どちらも施錠されていました。

 

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岩手県警察はこうした現場の状況から、上野紀子さんと友紀さん母娘が事件に巻き込まれて何者かに連れ去られた可能性が高いと見て捜査を開始しました。

 

 

岩手県母娘強盗殺人事件の経緯⑥ 容疑者として若林一行が浮上し緊急逮捕へ

 

事件のあった一軒家近くの住民から、7月19日に不審な白い軽トラックの目撃情報が岩手県警察に寄せられました(この軽トラックは19日の午前5~6時と16時~17時頃の2度目撃されており、この地域ではあまり無い事だったため目撃者が不審に思った)。しかもこの住民はこの車のナンバーをメモしており、ナンバーの照会によって若林一行が容疑者として浮上しました。

 

7月24日、捜査員が青森県八戸市内で若林一行を発見し任意同行を求めました。

 

任意同行に応じた若林一行は当初は事件との関係を否定していましたが、夜になって上野さん母娘の殺害をほのめかす供述を始め、若林の供述通りの場所から上野紀子さんの遺体が見つかりました。(その後に友紀さんの遺体も少し離れた斜面で発見)

 

これを受けて、7月25日未明に、岩手県警察は若林一行を死体遺棄容疑で緊急逮捕しました。

 

その後、若林一行は強盗殺人、住居侵入、強盗強姦未遂、窃盗、住居侵入などでも逮捕され、その後起訴されています。

 

 

被害者の上野紀子さんと上野友紀さんについて

 

出典:https://guardians7.com/

 

「岩手県洋野町母娘強盗殺人事件」で、若林一行に殺害された被害者である上野紀子さんと上野友紀さんについても見ていきます。

 

母親の上野紀子さんは、「優しくて人当たりの良い人」として周囲の人々から慕われていました。紀子さんは事件から見て約7年前に病気で夫を亡くし、長男と長女は独立して実家を離れ、当時は次女の友紀さんと二人暮らしでした。

 

紀子さんは、洋野町の自動車部品工場で20年以上働いており、仕事の帰りに温泉に入る事を楽しみにされていたそうです。

 

そして、紀子さんの娘の上野友紀さんは、地元の県立高校を卒業後、盛岡市に出て運送会社で働いていたそうです。本当は大学進学を希望していたそうなのですが、父親が高校3年生の時に亡くなったため、叶わずに就職されたという事です。その後は運送会社を辞めコンビニの夜間のアルバイトなどをして生活されていたという事でした。

 

その盛岡市で出会った2歳年下の男性と婚約し、2006年8月に結婚を予定して、事件から見て約1ヶ月前に洋野町の実家へと戻っていたという事です。

 

実家に戻ってからは派遣会社に登録して、短期の契約で隣町の缶詰工場に勤務されていたそうです。

 

 

 

若林一行の生い立ち

 

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「岩手県洋野町母娘強盗殺人事件」の犯人の若林一行の生い立ちについてもわかっている内容をまとめていきます。

 

若林一行は、1976年12月17日の生まれで青森県三戸郡の出身です。地元の公立小学校・中学校を経て、1995年3月に地元の県立高校を卒業しています。

 

卒業後は、青森県内の電気機器製造会社に就職していますが1999年5月に退職。その後は五所川原市内の自動車販売店を2店を半年毎に転職し、2000年7月からは塗装・建築関連の会社に塗装工の見習いとして就職しています。

 

当時の同僚の証言によると、若林一行の仕事場での評価は悪くなく「大人しい性格だったが真面目で無断欠勤は1度も無かった」、「温厚な性格で、下ネタや女性がらみの話題には乗ってこない、職場の付き合いよりも家族を優先しており、飲み会の誘いにも『家で子供が待ってるから』と言って帰ってしまう」といった証言が出ています。

 

その後、若林一行は既に触れているように2005年9月にこの会社を退職して塗装工として独立していますが、上手くいかずに多額の借金を抱えた上、岩手県洋野町母娘強盗殺人事件を起こす事になります。

 

 

 

若林一行の家族は妻と2人の幼い子供

 

若林一行の家族についても見てきます。

 

若林一行は時期は不明ですが結婚しており、岩手県洋野町母娘強盗殺人事件当時は青森県八戸市沢里沢里山の一軒家に妻と、3歳ぐらいの長男、春に生まれたばかりの乳児(性別は不明)の2人の子供の4人家族で暮らしていたようです。

 

若林一行は家族と暮らしていた一軒家に事件から見て1年半くらい前に引っ越してきたという事ですが、近隣住民の評判は犯行内容からは想像できないほど良かったようです。

 

若林一行の印象についての近隣住民の証言として「雪が降ると率先して坂道の雪かきをしてくれた」、「いつも笑顔で挨拶をしてくれた」、「子供の手をつないで散歩をする姿がよく見られ、家族想いの父親という印象だった」、「自宅裏庭の家庭菜園造りに精を出していて、身重の妻が3歳の息子と手を繋いで見守る横で、土を掘ったり、種を蒔いたり、苗を植えたりしていた」といったものが出ています。

 

その他、若林一行が逮捕された後、妻は青森県三戸郡の若林一行の実家の義母のもとに身を寄せていたとの情報も「週刊現代」などの一部週刊誌が報じています。

 

 

 

若林一行の動機については不可解な点も多い

 

若林一行の犯行の動機は「金を盗もうとした事と、女性ばかりの世帯で乱暴をしようとした事」と裁判では結論づけられていますが、不可解な点がいくつか残されています。

 

まず、若林一行は逮捕直後の警察の取り調べに対しては、動機について「下着を盗むことを目的としてやった」と供述しています。事実として、上野さん宅の裏庭には上野さん母娘の下着が散乱していました。

 

 

また、事件のすぐ後に発売の「週刊新潮」(2006年8月3日号)の記事などによれば、2005年夏頃に上野さん宅に何者かが侵入しており、紀子さんが下着などが盗まれた事を知人に打ち明けていたそうです。さらに、「週刊現代」の記事には、紀子さんが「若い男が車を家の前に停めて娘を待っている」と周囲に相談したり、友紀さんが「窓が破られて何者かが土足で侵入した形跡がある」と周囲に打ち明けていたといった内容が書かれています。

 

また、テレビニュースの取材に対して、地元住民が友紀さんの最近の様子について、「何か怯えた様子で、目がきょろまか、きょろまかしていた。」と話していました。

 

こうした内容を総合すると、若林一行は犯行の前日に偶然上野さん宅を見つけて犯行を思い立ったという動機の供述は虚偽で、真相は遅くとも昨年の夏頃から、若林一行は友紀さんをストーキングして下着を盗んだりしており、友紀さんが結婚を決めた事を知り逆上し犯行に及んだのが本当の動機ではないかとする説も浮上しています。

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若林一行の裁判

 

若林一行の裁判は、2007年3月5日に森岡地方裁判所で初公判が開かれ、若林一行は起訴事実を全面的に認めました。

 

3月22日の論告求刑では、検察側は「動機は身勝手極まりない、落ち度のない命を一方的に奪っており、極刑に処するしかない」などとして死刑を求刑しました。

 

弁護側は起訴事実を認めた上で「殺意はなかった」と主張し、強盗の動機となった借金のきっかけは勤めていた会社が脱税事件を起こして退職を余儀なくされた事で同情の余地がある事、殺害の動機は覆面が取れて顔が見られて焦ったためで、殺害は計画的ではないなどと述べて、無期懲役の判決を求めました。

 

しかし、盛岡地裁は弁護側の主張を退け、2007年4月24日の判決公判で、若林一行に死刑判決が言い渡されました。裁判長は若林一行の計画性を指摘し、身勝手な動機についても情状酌量の余地はないとして断罪しています。

 

これに対して弁護人は量刑不当と事実誤認を主張して控訴しています。

控訴審は、2008年3月17日に仙台高裁で初公判が開かれました。若林一行の弁護側は一審で起訴事実を認めた内容を覆して、犯行は別の犯人グループによるものだと主張し始めました。

 

弁護側の主張は、上野さん母娘殺害と死体遺棄の実行犯は、若林一行が当時仕事を手伝っていた産業廃棄物の不法投棄グループだというもので、「事件発生当時は産廃を捨てに山中にいて現場にいなかった事」、「ハメられたが真実を話せば家族に危害が及ぶと思い言えなかった事」、「これまでにした自白は全て想像による作り話である事」、「上野さん宅に入ったことは事実だが、キヨカワという犯人グループの1人に『ここは自分の家』と騙されて入った事」などを無実である理由として説明しました。

 

また、事件から4ヶ月後の2006年11月5日に、事件現場となった上野さん宅で火災が発生していますが、これは真犯人の犯行グループが証拠隠滅のために行った放火の可能性が高いとも主張しました。

 

若林一行は、5月13日の第2回公判で、上野さん母娘の遺体を遺棄した場所を知っていた事については、違法投棄グループの1人から「捨てたい物がある」と言われて、自身がこの場所へと案内したためで、逮捕のきっかけとなった軽トラックも事件当日にこの男に預けていたと供述しました。

 

しかし、若林一行と弁護人のこうした主張はあまりにも不自然な点が多い事(主張を裏付ける客観的な証拠は1つもない)や、真犯人と主張するグループの特定もされておらず具体性もないとして、検察側は控訴棄却を求めました。

 

2009年2月3日、仙台高裁は、一審の死刑判決を支持し若林一行の控訴を棄却しました。

 

被告側は上告しましたが、2016年1月16日の上告審判決で、最高裁第1小法廷は一審、二審の死刑判決を支持し被告側上告を棄却。若林一行の死刑が確定しました。

 

岩手県洋野町で2006年、侵入した家の母娘を殺害したとして、強盗殺人罪などに問われた若林一行被告(35)の上告審判決で、最高裁第1小法廷(宮川光治裁判長)は16日、一、二審の死刑判決を支持し、被告側上告を棄却した。死刑が確定する。

 

引用:岩手の母娘殺害被告、死刑確定へ 最高裁が上告棄却

 

 

 

若林一行は獄中絵を多く残している

 

若林一行は、死刑囚となってから仙台拘置支所で獄中絵を多数残しています。

 

この獄中絵のクオリティが高かったため、ネット上では「事件を起こさなければ絵師として人気が出たのではないか」といった声も見られました。

 

以下、若林一行が残した獄中絵です。

 

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若林一行の描いた獄中絵の中にはギャグ漫画まであります。死刑囚の権利という事なのかもしれませんが、遺族の感情を逆撫でするような内容である事に変わりはありません。

 

 

 

若林一行の死刑執行

 

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若林一行は既に死刑執行されておりこの世にいません。

 

若林一行の死刑執行は2015年12月18日で、死刑確定から約4年ほどの比較的早い執行でした。若林一行の享年は39歳でした。

 

津田寿美年死刑囚(63)ら2人の死刑が18日に執行されたことが、関係者の話でわかった。死刑執行は今年6月以来6カ月ぶりで、岩城光英法相になってからは初めて。津田死刑囚は裁判員裁判で死刑判決を受けた死刑囚として初の執行。

関係者によると、ほかに執行されたのは、岩手県洋野町で2006年、2人を殺害し強盗殺人罪などに問われた若林一行死刑囚(39)。

 

引用:2人の死刑執行 裁判員裁判の死刑囚で初

 

 

 

若林一行の最後の言葉

 

若林一行の最後の言葉についてもネットで検索されていますが、若林一行の最後の言葉や死刑執行前の様子は特に伝わっておらず不明です。

 

 

 

まとめ

 

今回は、2006年7月19日に岩手県洋野町で発生した「岩手県洋野町母娘強盗殺人事件」の犯人の若林一行についてまとめてみました。

 

若林一行は、岩手県洋野町種市の上野紀子さんと娘の友紀さん宅に侵入し、2人を殺害した上、現金や金目のものなど合計で7万円相当を盗み、遺体を同町内の山林に遺棄して逃走しました。

 

若林一行はその後逮捕され、裁判で死刑判決受け確定しています。

 

若林一行の生い立ちについては、青森県の生まれで、地元の高校を卒業後に職を転々とした後に独立して塗装工になりますが、ギャンブルや仕事がうまくいかずに多額の借金を抱えました。

 

空き巣を繰り返していたところ、女性のみの上野さん母娘の宅を見つけ、強盗と乱暴を目的に侵入して犯行に及びました。しかし、動機については不可解な点も多く、下着泥棒やストーカー説なども存在します。

 

若林一行は裁判で死刑が確定し死刑囚となった後は、収監されていた仙台拘置支所の中で多くの獄中絵を残しました。この獄中絵のクオリティが高かった事もネット上では話題になりました。

 

若林一行の死刑執行は2015年12月18日で、享年は39歳。最後の言葉などは特に伝わっていません。

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