日本で最大の歓楽街である新宿歌舞伎町の闇や歴史、現在の様子などが話題です。
この記事では新宿歌舞伎町が闇が深くやばい、危ない怖いなどというイメージがなぜ定着しているのかや昔からの歴史や歓楽街となった由来、現在の様子や治安、安全に楽しむポイントなどをまとめました。
この記事の目次
歌舞伎町は「闇」や「危ない」「怖い」といったイメージがつきまとう歓楽街
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「歌舞伎町」とは、東京都新宿区の中心地である新宿駅の北東部に隣接する一帯に広がる日本最大の歓楽街で、北海道札幌のすすきの、福岡の中洲と共に「日本三大歓楽街」の1つにも数えられています。
風俗店やキャバクラ店やホストクラブなどの飲食店、多様なアミューズメント施設、映画館などが密集するネオン街で、昼夜問わず多くの人で賑わう事から「眠らない街」として知られる新宿歌舞伎町ですが、その華やかなイメージとは裏腹に「闇が深い」、「危ない」、「怖い」といった負のイメージもつきまとっています。
ここでは、新宿歌舞伎町がなぜ「闇が深い」、「危ない」、「怖い」などと負のイメージが定着しているのかについてや、なぜ歓楽街としての歌舞伎町が形成されたのか、その由来について昔からの歴史などについて詳しく紹介していきます。
歌舞伎町がなぜ「闇が深くやばい」「危ない」「怖い」と言われるのか
日本最大の歓楽街であり、表の顔はネオン煌めく華やかな街である新宿歌舞伎町ですが、その裏側については「闇が深くやばい」、「危ない」、「怖い」、「治安が悪い」などの負のイメージが定着しています。
ここではまず、なぜ新宿歌舞伎町が現在、このような闇深く危ない街というイメージを持たれているのかについてその理由をいくつか紹介します。
歌舞伎町のやばい闇や危ない理由① 悪質な客引きと「ぼったくり」
歌舞伎町で多く報告されているトラブルとして、悪質な客引きと悪質飲食店での「ぼったくり」行為です。
歌舞伎町では、違法な客引きやぼったくり行為の注意を促す路上看板やゴジラロードでの「客引きに注意しましょう。ぼったくられます」というアナウンスのリピート放送なども定番の風景と化しています。
歌舞伎町では路上での客引き行為は法令で禁止されていますが、現在でも悪質な客引きがあるようです。
客引きの手口は巧妙で、有名なチェーン店などの前で「安く飲める」、「飲み放題2000円」、「2時間3000円飲み放題です」などとしつこく声をかけ、相手が興味を示すと「今はこちらのお店は満員なので系列店へ案内します」などと言って、実際には全く関係のない悪質飲食店へ誘い込み、法外な値段を請求されるぼったくられるといった手口が多く報告されています。
また、現在では新たに、マッチングアプリで女性が男性を騙して、デートを装って悪質なぼったくり店に誘導するという手口も急増しています。
ぼったくり店では、当初に提示された格安料金に「席料」、「週末料金」、「お通し代」などの名目で聞かされていない高額な料金が次々と追加されて最終的に数万円から10万円超の法外な値段を請求されます。会計時に支払いを拒否すると、威圧的な態度で支払いを強要されます。
悪質な客引きやぼったくり店が多い危ない地域として「さくら通り」や「あずま通り」などが挙げられ、この地域では特に注意するする必要があります。
歌舞伎町のやばい闇や危ない理由② 悪質ホストクラブと「売掛金」問題
ここ数年、歌舞伎町の闇深い社会問題として表面化しているのが、一部のホストクラブによる高額な「売掛金(ツケ払い)」を巡るトラブルです。
歌舞伎町のホストクラブでの売掛け金問題の構図は、ホストが女性客に恋愛感情を抱かせて高額なシャンパンなどを注文させ(色恋営業などと呼ばれる手法)、すぐに支払えない分を一旦ホストが立て替えて「売掛け金」としてツケとして記録し、後日金銭ができた後に返済を迫ります。
このツケの金額は高額になる場合が多く、ホスト側は返済が困難になった女性客に売春や風俗店での勤務を斡旋したり強要したりするケースが多く発生しています。
一部悪質ホストによる売掛け金問題と売春や風俗店への斡旋や強要が社会問題化した事を受けて、歌舞伎町のホストクラブ団体は2024年4月付で自主的に売掛け金を完全に廃止するルールを設けました。
しかし、「立て替え」などと名前を変え、同様の行為が続いているとの指摘もあり、対策の実効性について疑問視する見方も出ています。
2024年後半には歌舞伎町の路上売春(通称・立ちんぼ)をしている女性の警察による一斉検挙が実施されましたが、逮捕者の女性からのヒアリングでは売春で得た金銭の31パーセントがホストクラブでの遊興費に使用されており、ホストの指示で路上売春をやらされているという女性の供述もあって、これがホストクラブの売掛け金問題に警察が介入する理由の1つとなっています。
逮捕された女性からのヒアリングで、売春で得た資金の約31%が、ホストクラブなどでの遊興費に使われていることがわかりました。なかには、ツケがたまった担当ホストの指示で“立たされている”女性もいて、これが悪質ホスト問題として、警察が介入する端緒のひとつとなりました。
歌舞伎町のやばい闇や危ない理由③ 「トー横キッズ」が社会問題化
近年社会問題として大きく取り上げられた歌舞伎町のやばい闇として「トー横キッズ」に関わる問題があります。
「トー横キッズ」とは、新宿歌舞伎町1丁目の新宿東宝ビルの横(東宝ビル東側路地、西側のシネシティ広場などを指す)、通称「トー横」に集まる10代の少女を中心とした若者たちを指す言葉です。
トー横キッズは、家庭内不和やDV、学校などでのいじめ問題などによって家庭や学校などでの居場所を失った10代から20代前半の若者達が、SNSなどでトー横の存在を知って全国から集まってきたもので、同じ境遇の仲間達と出会えるコミュニティのようになっています。
トー横キッズが社会問題化した理由は、単に未成年の少年少女らが深夜に集まっているという問題だけでなく、それによって犯罪に巻き込まれるケースが増えていた事があります。
トー横キッズの問題として、市販の風邪薬や咳止め薬などを大量に摂取して、現実逃避のために多幸感や幻覚効果を得ようとするオーバードーズ(OD)が蔓延している事がまず挙げられます。オーバードーズは場合によっては死亡するケースや深刻な後遺症が残るケースがあり非常に危険です。
トー横に集まる少年少女達の犯罪行為や、大人がトー横キッズ達を犯罪のターゲットにしたり、犯罪に利用する問題も多発しています。
例えば、未成年者の飲酒や喫煙の横行、売春行為、薬物売買(違法合法問わず)、窃盗、暴行事件などがあり、殺人事件にまで発展したケースも存在します。
こうしたトー横キッズ問題への対応として、警視庁による一斉補導なども何度か実施されていますが根本的な解決には至っていません。
トー横キッズの集まる場所だったエリアの一部は、2023年末に一時的に柵に覆われて閉鎖状態とされていましたが、トー横キッズらは別の場所に移動しただけで問題の解決にはつながっておらず、現在は再びトー横エリアにトー横キッズ達が集まっている状況に戻っているようです。
二日前ぐらいのトー横
閉鎖されてるハズの旧トー横エリアにキッズがたむろしてて、セキュリティの人とも普通に談笑してる
もしかして広場エリア復活するのか? pic.twitter.com/QFuM2qeROg— 大佐 (@TA1SA) August 12, 2025
歌舞伎町のやばい闇や危ない理由④ 路上売春(立ちんぼ)の横行
歌舞伎町の中心部に位置する大久保公園の周辺では、売春を目的に路上で客待ちをする通称「立ちんぼ」をする女性がずらりと並び立っている事が知られていて、ある種の名所のようになっていて、これが社会問題化しています。
歌舞伎町の大久保公園周辺で立ちんぼをする女性は、コロナ禍以降に急増したとされ、その多くはホストクラブでの遊興費を稼ぐために売春をしていると言われています。
2024年1月より、歌舞伎町の立ちんぼの取り締まりを警視庁が強化しており、ガードレールの撤去や一斉検挙(売春防止法違反容疑での逮捕)が実施されました。2024年1月から12月までに、大久保公園周辺で売春防止法違反容疑で逮捕された女性は88人にのぼりました。
しかし、現行の法制では逮捕されたとしても罰金刑程度しか科されないため、現在も歌舞伎町の路上で立ちんぼをする女性が増えている現状に変化はなく、警察官を見るとすぐに場所を移動するなどして、いたちごっこのような状況が続いています。
歌舞伎町のやばい闇や危ない理由⑤ 薬物犯罪と反社会的勢力の暗躍
歌舞伎町の裏側では違法薬物の売買が盛んに行われ、大人だけでなくトー横キッズをはじめとする未成年者にもそれが蔓延しているとされ社会問題化しています。
2025年7月に配信されたフジテレビ社会部警視庁担当記者の北山茉由さんのトー横キッズの取材記事では、10代の未成年少女2人の違法薬物使用の実体験が紹介されています。
コカインの所持などの疑いで逮捕された10代の女性は、進学した高校でスポーツに打ち込んでいた。しかし高校生活を続けていくうち、友人関係で悩み途中で退学。家庭や地元に居場所がなく3年前から歌舞伎町の“トー横”エリアに入り浸るようになった。
トー横に行くうちにできた同年代の友達から、袋に入ったコカインを渡され、「鼻(コカインの隠語)やらない?」と言われたことなどをきっかけに、薬物に手を染めた。
14歳の中学生という若さで、覚せい剤の使用容疑で逮捕された少女もいる。
少女は中学で“悪い先輩”とつるむようになり、徐々に不登校になってトー横に出入りするようになった。家にも帰らず、ラブホテルを転々とする日々。そこで出会った男に、違法薬物を勧められた。これまでに使ったことのある薬物は大麻、MDMA、コカインと、ありとあらゆる種類の薬物を使用するようになった。
こうした歌舞伎町での違法薬物蔓延の裏には、暴力団組織やその他の反社会勢力の暗躍があると見られています。
昔の歌舞伎町は暴力団同士の縄張り争いが激しい地域として知られていましたが、暴力団対策法(暴対法)の強化などにより表立った活動は減少しているものの、実際には現在もフロント企業やトクリュウ(SNSなどを通じて離合集散を繰り返す匿名・流動型犯罪グループ)などを間に挟む形で、いわゆる「みかじめ料」の徴収やキャバクラ店、ホストクラブなどを含む飲食店や風俗店などを実質的に経営しており暴力団やその他反社会勢力の資金源になっていると指摘されています。
事実、近年も歌舞伎町での暴力団が絡んだ事件や暴力団組員の逮捕などがしばしば報じられています。
歌舞伎町はなぜ出来たのか由来や昔からの歴史
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光と闇の両面が存在する歓楽街「新宿歌舞伎町」がなぜ現在のような姿になったのか、これまでの歴史や背景にも関心がある方が多いようです。
続けて、なぜ現在のような歓楽街としての新宿歌舞伎町が形成されたのか昔からの歴史を紹介して行きます。
歌舞伎町の由来や昔からの歴史① 江戸時代は旗本の屋敷と鉄砲隊の屋敷があった
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歌舞伎町のある新宿エリアは江戸時代には市中の西の端に位置し「内藤新宿」と呼ばれる宿場町でした。これが現在の「新宿」という地名の由来となっています。
内藤新宿は、1698年(元禄11年)に設置された宿場町で当時もかなりの賑わいを見せていたようです。宿場町は江戸の時代には「遊興の街」という側面がありこれは現在の歓楽街として歌舞伎町の姿に通じるものがあります。ただ、この「内藤新宿」が直接的に現在の新宿歌舞伎町の原型となった歴史を持つわけではありません。
この内藤新宿のうち、現在の歌舞伎町1丁目にあたる地域は「角筈(つのはず)」と呼ばれ、寺領や江戸幕府の旗本の屋敷がありました。
現在の歌舞伎町のある地域は、江戸時代には角筈村などと呼ばれる地域で、現在の歌舞伎町1丁目には江戸幕府の旗本(上級武士)の屋敷がありました。
現在の歌舞伎町2丁目には、鉄砲隊百人隊の拠点が置かれており、甲州街道の防衛を担っていました。現在の新大久保周辺に残る「百人町」という地名の由来がこの鉄砲隊百人隊だとされています。
歌舞伎町の由来や昔からの歴史② 明治時代に自然に囲まれた閑静な住宅地に
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現在の新宿歌舞伎町を含む地域一帯は、森に囲まれた湿地帯で窪地であった事から「大窪」と呼ばれておりこれが「大久保」に変化し、これが明治時代からの大久保の地名の由来になったとされており、明治期は現在の新宿歌舞伎町地域も大久保の地名で呼ばれていました。
また、現在の新宿東宝ビル周辺に「大村の森」があり、これは肥前国の大村藩の別荘地があった事からそう呼ばれました。この大村の森の中には鴨猟をする鴨池があり、ここには弁天様が祀られていたとされています。現在の歌舞伎町公園(歌舞伎町1丁目)に隣接する「歌舞伎町弁財天」は、この大村の森の弁天様を勧請(かんじょう。神仏の霊を他の場所に移して祀る事)したのが由来だとされています。
そして、歌舞伎町公園の中には「尾張屋銀行」と刻まれた石碑が残っています。この「尾張屋」とは現在から見て約260年前に創業した質屋で、その5代目当主である峯島喜代という女性が1900年(明治33年)に尾張屋銀行を設立。1911年(明治44年)に大村家(大村の森の別荘地を保有)より、現在の歌舞伎町の一部にあたる土地を購入し、その土地を住宅地として開発し分譲を進めました。
これがきっかけになって、現在の歌舞伎町にあたる地域は自然環境に恵まれた閑静な住宅地として人気を集めるようになりました。明治時代当時の現在の歌舞伎町にあたる地域は現在のイメージとはかけ離れた閑静な住宅地でした。
また、峯島喜代は先進的な女性で女子教育を推進したいとの思いから東京府(現在の東京都)に寄付を行って女学校の設立を働きかけ、所有していた大村の森都周辺の土地を無償で府に貸与し、1920年にこの土地に東京府立第五高等女学校(現在の東京都立富士高等学校・附属中学校、戦災で中野区に移転)が設立されています。
この東京府立第五高等女学校が設立された後、その周辺の高台が山の手の閑静な住宅街として発展し政治家や軍人など上流階級も邸宅を構えました。
歌舞伎町の由来や昔からの歴史③ 昭和初期(戦前)は高級住宅地に
昭和初期、太平洋戦争以前の現在の歌舞伎町にあたる地域は瀟洒な高級住宅地とみなされるようになり、現在でいうところの渋谷区松濤地区のような東京の人々にとっても憧れの地域だったという事です。
戦前の時代には、第31代総理大臣の岡田啓介、第35代内閣総理大臣の平沼騏一郎、第36代総理大臣の阿部信行の3人の総理大臣経験者が現在の新宿歌舞伎町にあたる地域に邸宅を構えたほどでした。
歌舞伎町の由来や昔からの歴史④ 戦後の復興計画で歓楽街として発展
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1945年の東京大空襲により、現在の新宿歌舞伎町にあたる地域も焼け野原となりました。
終戦後、この地域の立て直しのためにこの地域の町長だった鈴木喜兵衛と東京の戦災復興計画を担当した都市計画家の石川栄耀により、歌舞伎の演舞場を建設し、それを中核として芸能施設を招致して、「道義的繁華街」に作り替えるという計画が立案されました。
これは敗戦国である日本が国家として生き残るためにアメリカをはじめとする戦勝国に好意的に思われなくてはならないという考えにより、海外から多くの人々を呼び込み日本の文化の魅力を感じてもらう必要があるとの考えから計画されたものでした。
この時に、新たに「歌舞伎町」という町の名前が石川栄耀により決定しています。これが現在の「歌舞伎町」の名前の由来です。
ただ、敗戦で物資が困窮している状況下では財政の面などからこの構想は実現できませんでしたが、1950年に東京文化産業博覧会が開催され、そのアトラクションだった「児童館」、「野外劇場」の一部が改装されて1956年2月に「コマ・スタジアム」(後の新宿コマ劇場)が開設されました。
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これは「新しい国民演劇(新歌舞伎)の殿堂を作る」という理念に基づいて創設されたもので、客席数2088席の大型劇場であり、当時の首都圏で最大級のものでした。
この年には東急文化会館が完成し、日本最大の映画館「ミラノ座」やアイススケート場「東京スケートリンク」がこれに併設され、新宿歌舞伎町は当時の国内最大級のエンターテイメント街として再スタートを切ります。これが現在の歌舞伎町の原型となりました。
1960年代に入り、バーやキャバレーなどの飲食店や映画館、ボウリング場、サウナ、バッティングセンター、ラブホテル、トルコ風呂(現在のソープランド)などの遊興施設が次々と作られ歓楽街として大きく発展していきました。
歌舞伎町の由来や昔からの歴史⑤ バブル期にかけて「東洋一の歓楽街」に
高度成長期からバブル期にかけて、歌舞伎町はさらなる発展を遂げ、「東洋一の歓楽街」と称されるほどになりました。
その繁栄の一方で、暴力団の影が濃くなり歌舞伎町の利権をめぐって凄惨な争いも起こりました。この頃に歌舞伎町の「闇が深い」、「危ない」、「怖い」といった負のイメージが定着しました。
この昭和から平成の時代にかけて歌舞伎町の治安は悪化の一途をたどり、1981年に「新宿歌舞伎町ラブホテル連続殺人事件」、1982年に「新宿歌舞伎町ディスコナンパ殺傷事件」など凶悪事件も相次いで発生しました。
歌舞伎町の由来や昔からの歴史⑥ 「歌舞伎町浄化作戦」を経て現在へ
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こうした治安が最悪の怖い危ない街という歌舞伎町の負のイメージを払拭するため、2000年代初頭、当時の石原慎太郎都知事主導のもと、行政と警察が一体となった「歌舞伎町浄化作戦」が開始されました。
大量の防犯カメラの設置が押し進められ、1000人超の警察官を動員しての暴力団や違法な風俗店や案内所の一斉摘発も実施されました。
結果として、2005年までに200店舗近い風俗店が廃業になり、1000人以上の不法外国人が検挙されるなどし、客引きなどを禁じる東京都迷惑防止条例とぼったくり防止条例が改正などもあって、悪質な店舗が大幅に減少。
それまで歌舞伎町を闊歩していた暴力団組員も表からは姿を消す事となり、歌舞伎町の雰囲気は大きく変化し、その後大規模な再開発の時代を経て現在の歌舞伎町の姿へと至っています。
歌舞伎町の現在① 東急歌舞伎町タワーの開業で光と闇の二面性が際立つ
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最後に、新宿歌舞伎町の現在について見ていきます。
歌舞伎町は現在、2023年に新宿TOKYU MILANO跡地に、超高層複合施設「東急歌舞伎町タワー」が開業するなど大規模な再開発が進められています。
新たな新宿歌舞伎町のランドマークとなった「東急歌舞伎町タワー」はレストラン、バー、映画館、劇場、ライブホール、ラグジュアリーホテルなどが一体となった総合エンターテイメント施設で、これまで歌舞伎町に縁のなかった家族連れや海外からの観光客など、幅広い層を引き入れる事に成功しています。
東急歌舞伎町タワーの開業により、歌舞伎町が「治安が悪く怖い危ない街」から、「誰もが安心して遊べるエンターテイメントシティ」への変化しようとしていると見る向きもあります。
事実として現在の歌舞伎町一番街のようなメインストリートは日中は多くの観光客で賑わいを見せており、昔よりも安全で健全な雰囲気へと変化している事が、実際に日中に訪れてみると実感できます。
その一方で、この記事でも紹介したように「悪質ホストクラブ問題」、「トー横キッズ問題」、「路上売春」、「違法薬物の蔓延」など複雑で根深い社会問題が依然として存在し続けており、歌舞伎町の「光」と「闇」を一層際立せているようにも感じられます。
歌舞伎町の現在② 最新の治安状況と安全に訪れるための注意点
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再開発が進んで日中の治安状況が改善している新宿歌舞伎町ですが、現在も依然として「犯罪発生率が都内でも突出して高い」治安の極めて悪い地域である事実は変わっていません。
警視庁の統計では、現在も特に歌舞伎町一丁目は東京23区内の町丁目別犯罪発生件数で常にワースト上位に位置しており、ぼったくり、傷害、窃盗などの事件では他の地域に比べて突出して高い件数となっています。
歌舞伎町を安全に楽しむための注意点ですが、まず基本的な事として「客引きには絶対についていかない」、「飲食店のリサーチを行い口コミなどを確認してから入店する」、「危険なエリアを避ける」、「夜間に1人で行動しない」、「貴重品をしっかり管理する」といった事が挙げられます。
そして、歌舞伎町の安全なエリアと危険なエリアの見分け方ですが、歌舞伎町では基本的に大通りに近いほど治安が良い傾向があります。
まず、新宿駅寄りのセントラルロードや歌舞伎町一番街などは歌舞伎町のメインストリートにあたり、いつも観光客で賑わっていて女性や子供だけで歩いても比較的安全エリアです。また、区役所通り沿いも南側は観光地化が進んでいて、ゴールデン街を中心とした安全に楽しめるエリアとなっています。
一方、歌舞伎町の危険なエリアとしては歌舞伎町の中心に位置する「花道通り」の周辺は治安が悪いエリアとなっています。この通りに面する風林会館は昔、暴力団の抗争事件があった事が知られていて現在もあまり雰囲気の良いエリアとはいえません。
また、新宿区役所の脇にある「あずま通り」は風俗店や案内所、外国人バーなどが多く、花道通りから南へ伸びる「さくら通り」も客引きや外国人の露店や違法DVD販売人などが多く出演するエリアとなっていて治安的にはあまりよろしくありません。
基本的には東宝ビルより奥に行くと治安が悪く危ないエリアと考えておくとわかりやすいです。東宝ビルのゴジラヘッドを目印にしておくと良いでしょう。
まとめ
今回は、日本最大の歓楽街である「新宿歌舞伎町」についてまとめてみました。
新宿歌舞伎町は煌びやかなネオン街、華やかな歓楽街のイメージの一方で、「闇が深い」、「やばい」、「治安が悪く危ない」、「怖い」などの負のイメージが定着しています。
なぜこのような負のイメージが定着したのかには、悪質なぼったくり店やその客引き、ホストクラブでの売掛金問題やそれ関連した路上売春の増加、反社会勢力の暗躍、トー横キッズの薬物の蔓延や事件などの社会問題が根深く存在している事が関連しています。
新宿歌舞伎町は昔は宿場町や旗本の屋敷があった地域で、明治期には閑静な住宅街、戦前の時代は高級住宅街となり、戦後の復興期から高度成長期にかけて歓楽街へと姿を変えた歴史を持ちます。
新宿歌舞伎町は現在、大規模な再開発が進んでおり、2023年に超高層複合施設「東急歌舞伎町タワー」が開業した事により、それまで歌舞伎町を訪れなかった家族づれや外国人観光客も多く訪れるようになっています。
新宿歌舞伎町は現在も治安の悪い危ないエリアである事に変わりはありませんが、昔よりは治安が改善しており、昼間の時間帯の大通り付近であれば女性や子供だけで行動しても問題のない状況へと改善しています。ただ、それでも夜間や奥へと入ると治安が悪く危ないエリアも多いため、安全には十分に注意して訪れるようにしましょう。