男性から女性に性別転換した殺人犯・菊池あずはが注目されています。
この記事では菊池あずはの本名や現在の年齢、生い立ちや実家の家族や結婚、経歴、知的障害やIQ、平田勇二さん殺害事件の経緯と動機、裁判での判決と刑務所での現在の様子などについてまとめました。
この記事の目次
- 菊池あずは交際相手殺害事件の犯人で男性から女性の性別転換でも注目
- 菊池あずはの性別への違和感を抱き苦しんだ生い立ちと出生時の本名と年齢
- 菊池あずはの経歴① タイで男性から女性への性別適合手術
- 菊池あずはの経歴② 銀座の高級ホステス店を転々としていた
- 菊池あずはの経歴③ 「峰あずは」の名義でモデルやタレント活動も
- 菊池あずはの実家や家族や結婚について
- 菊池あずはと事件の被害者の平田勇二さんとの交際関係と殺害の動機
- 菊池あずはによる平田勇二さん殺害事件の概要
- 菊池あずはの知的障害とIQ58が裁判で明らかに
- 菊池あずはの裁判ではホルモン剤投与停止による変わり果てた姿も話題に
- 菊池あずはの裁判の経過と判決
- 菊池あずはは判決確定後に刑務所内で不安定になり国を相手取って訴訟も
- 菊池あずはの現在
- まとめ
菊池あずは交際相手殺害事件の犯人で男性から女性の性別転換でも注目

菊池あずは(逮捕当時28歳)とは、2015年2月に交際相手の平田勇二さん(事件当時48歳)を、牛刀で滅多刺しにし、金属バットで頭部を殴るなどして殺害したとして逮捕起訴され、裁判で有罪判決を受けた女性(性別転換しており出生時は男性。これについては後述)です。
事件が報じらた当時、菊池あずはが東京・銀座の元ホステスであった事やその美貌でも話題を集めましたが、何よりも性同一性障害を抱え、性転換手術を経て女性として生きてきた生い立ちや経歴が注目されました。
ここでは、菊池あずはの生い立ちと実家の家族、男性から女性への性別転換、銀座ホステスとしての経歴、裁判での争点の1つとなった知的障害とIQ、事件の被害者の平田勇二さんとの関係と犯行動機、裁判での判決と刑務所内での奇行や現在の様子などを詳しくまとめていきます。
菊池あずはの性別への違和感を抱き苦しんだ生い立ちと出生時の本名と年齢

出典:https://tokyo-sports.ismcdn.jp/
菊池あずはは、1987年に福岡県で男性として生まれました。当時の一部報道では、出生時の本名は「まさと」(漢字は不明)だったとされています。
菊池あずは、幼少期から自身の性別に強い違和感を抱いており、心と体の不一致に苦しんでいたとされています。 特に、男子生徒用の学生服を着ることには強い苦痛を感じ、それが原因で高校を中退するに至ったとの報道も出ていました。
菊池あずはの2025年12月現在の年齢は、1987年生まれという事から「38歳」になっているはずです。
菊池あずはの経歴① タイで男性から女性への性別適合手術

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菊池あずは高校を中退した後、自身の性別の認識に従って生きる事を決意したようです。
2004年(年齢は17歳頃)に医師から性同一性障害の診断を受け、当時の成人年齢である20歳を迎えたタイミングでタイへ渡航して性別適合手術を受けています。
手術後、2006年には戸籍上の性別も女性へと変更し、名前も「あずは」に改名しています。
したがって、「菊池あずは」というのは芸名や源氏名ではなく、戸籍上に記載されている本名です。また、性別も戸籍上「女性」です。
菊池あずはの経歴② 銀座の高級ホステス店を転々としていた

性別転換手術を終え、戸籍上の性別も変更して女性としての人生を歩み始めた菊池あずはは、地元福岡の繁華街・中洲のクラブで勤務した後、2010年頃に上京して東京・銀座の高級クラブでホステスとして働きはじめています。
福岡県出身の菊池容疑者は中洲のクラブで働いた後、上京。2010年ごろに銀座のホステスとなり、それから何軒もクラブを転々とした。
菊池あずははモデル級のスタイルの良さと整った顔立ちでホステスとしても目立っていたようです。しかし銀座という華やかな世界で活動する裏側で常に精神的な不安定さを抱えていたようです。
当時を知る関係者によれば、菊池あずはには気性が激しい一面があり、勤めていたクラブでは人間関係のトラブルが絶えず、数ヶ月で店を変わることを繰り返していたとされます。
彼女は2年ほど前から、ボトルを入れると7、8万円はする高級店を転々としていましたね。でも、試用期間の1、2カ月で辞めさせられちゃうんです。指名も取れないし、お客さん扱いがうまいタイプでもない。
また、菊池あずはは元男性である事を隠してホステスをしていたようですが、高身長や男性的な骨格もあって、お客から「男性では?」と疑われる事もあり、それがホステスとして成功できなかった理由の1つでもあったとされています。
身長が180センチ近くあるし、ごつい。喉仏も出ているから、“男なんじゃないか”と思われちゃう。
菊池あずはが精神的に不安定だったのは、性転換手術後、心身のバランスを保つために女性ホルモン剤の服用を毎日欠かさず行っていたためと言われていますが、性別転換をする以前から元々精神的に不安定だったという情報もあり、本当にそれが関連していたのかははっきりしていません。
しかし、このホルモン治療が、後の裁判で菊池あずはの運命を大きく左右することになった事は確かです。
いずれにせよ、菊池あずはは最終的には銀座のクラブは辞めており、その後は2014年夏頃にごく短期間有名な洋菓子店で勤務した経歴もあったようですが、それも退職し、事件当時は「無職」と報じられています。
昨夏から銀座の有名ケーキ店に勤務していたという。
「確かに働いていましたが……。数回、来ただけです」(ケーキ店)と言葉少な。
菊池あずはの経歴③ 「峰あずは」の名義でモデルやタレント活動も

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菊池あずはは銀座のホステスとして働く一方で、一時は芸能事務所に所属して「峰あずは」という芸名でモデルやタレントとして活動していた事がわかっています。
元銀座のホステスだったという彼女だが、実は「峰あずは」という名前でモデル活動もしている。彼女をよく知る芸能事務所、Zプロモーションの宮西渡社長は言う。
「20、21歳の時に福岡から上京してきて、23歳の時に知り合いました。彼女は『自分の夢は、半分は銀座でお店をやって、半分はモデルをやること』って。
当時の活動を知る関係者によれば、菊池あずははそのスタイルの良さを活かして、美脚マニア向けのレーベルからイメージDVDに出演していたようです。
別の事務所に移籍した彼女は、2013年にイメージDVD『月刊隆行通信LQ 13』に出演。隆行通信というのは、知る人ぞ知る美脚専門レーベルで、際どい衣装とポーズで人気を博し“美脚界の篠山紀信”と呼ばれる中村隆行氏が撮影している。
DVD制作関係者は言う。「身長179㎝の彼女がヒールを履くと軽く190㎝を超えて、ものすごい迫力がありました。脚もスラリと長く、レオタードやガーターベルトが抜群に似合ってましたね。
こうした芸能活動に伴って菊池あずはは詳しいプロポーションも公開しています。
それによると身長は「179cm」、スリーサイズは「B 88・W 55・ H 88」だとされます。
ホステスとしては男性なのではと疑われる事もあったという菊池あずはですが、芸能活動においては「女性にしか見えなかった」という証言が複数出ていました。
「彼女のヘアヌードを何枚も見ましたが、Fカップといわれるバストは不自然さが感じられず、お尻も実に女性らしい丸みを帯びていました。あの美脚も見ほれるほど色っぽかった。どう見ても女性にしか思えませんでしたよ」
菊池あずはは芸能活動ではまた違った顔を見せていたという事なのかも知れません。
菊池あずはの実家や家族や結婚について
事件が報じられた当時、菊池あずはの実家や家族、結婚についても関心が集まりました。
菊池あずはの家族構成や実家に関しては詳細には報じられておらず、情報は限られています。
ただ、菊池あずはの実家が福岡市内のマンションである事や、その実家近隣住民から家族構成は両親と息子と娘の4人家族だと思っていたとの証言が当時の「FLASH」の記事に掲載されています。
福岡市内の実家マンションを訪ねた。インタホンを鳴らすが、応答はない。同じマンションの住人は次のように話す。「あのお宅は、背の高い息子さんと同じくらい背の高い娘さんの4人家族だと思っていました。ただ、お子さん2人が一緒のところを見たことはありません。息子さんはエレベーターには絶対一緒には乗りませんでした。自分でボタンを押しておきながら、同乗者が来ると家の中に引っ込んでしまう。そういうことが何度もありました。それは、美人の娘さんも同じでした」
ただ、この実家の近隣住民は、息子と娘は同じくらいの身長としていて、2人が一緒にいるところは見た事がないとも証言しています。この事から、実際には当時の菊池あずはが、男性の姿と女性の姿を使い分けて生活していた可能性が示唆されています。
こうした事から、菊池あずはの実家の家族構成は、両親と本人の3人であった可能性も考えられます。
また、両親については裁判の判決理由の中で、父親が更生後のサポートを期待されている旨の言及があったことから、父親との関係は存在していたことがうかがえます。ただ、母親については情報が全く出ておらず不明です。
一方、菊池あずはの結婚歴については公に報じられていません。事件の被害者であうる平田勇二さんとは同棲関係にありましたが、法的に結婚しているわけではありませんでした。
菊池あずはと親しいかったというホステスは、菊池あずはが「結婚するのが夢」と語っていたと証言しています。
彼女と親しかったホステスは、その知られざる“過去”をこう明かす。
「彼女は福岡県出身で、博多の中洲の老舗クラブで働いていて、8年前くらいに上京し、銀座で働くようになった。友達がいないと言ってました。いつも一人で寂しそうだった。結婚するのが夢と語っていた」
また、事件から見て4年前(2011年頃か)、大手上場企業に勤める結婚している男性と不倫関係になり、トラブルになったとの情報も明らかにされています。菊池あずははこの男性に性病をうつされて手術や入院もし、男性の自宅や会社に押しかけて費用請求をしたと、菊池あずはと親しかったというホステスが証言しています。
菊池あずはと事件の被害者の平田勇二さんとの交際関係と殺害の動機
菊池あずはは、交際相手だった平田勇二さんを牛刀で滅多刺しにし、金属バットで頭部などを何度も殴って殺害しました。菊池あずはと平田勇二さんの関係についても詳しく見ていきます。
菊池あずはと平田勇二さんの出会いと交際
菊池あずはが、平田勇二さんと出会ったのは銀座のクラブだった事が明らかにされています。しかし、ホステスと客の関係ではなく、菊池あずはが働いていたクラブの幹部社員だったのが平田勇二さんでした。
経歴のところでも触れたように菊池あずはは銀座のクラブに勤務するも、人間関係のトラブルなどですぐに解雇される事を繰り返していましたが、最後に務めたクラブには1年ほど勤務しています。平田勇二さんはこの店の幹部社員で、面倒見がよく温厚で真面目性格だったとされます。
菊池あずは、温厚な平田勇二さんを頼っていたとされ、交際に発展して2014年頃より東京都内のマンションで同棲生活を始めています。
平田勇二さんは菊池あずはが元男性である事も含めて、その境遇を理解して支えていたのかも知れません。当時の2人を知る関係者は、菊池あずははホステスの仕事も辞め、福岡の実家の家族とも疎遠で、頼れる人間が平田勇二さんしかいなかったのではないかと推測してました。
関係の悪化と事件の動機
しかし、2人の関係は次第に悪化していったようです。菊池あずははホステスとして、なかなか指名が取れず、精神的に不安定な状態が続いていたとされます。一方、平田勇二さんは菊池あずはのそうした面や激しい気性に疲れ、周囲に「一緒に住んだらすぐに別れたくなった」、「別れたいんだけど、どうしたらいい?」などと漏らすようになっていたようです。
事件の引き金となったのは、平田勇二さんからの決定的な別れの言葉でした。彼は菊池あずはに対し、「もう愛情がなくなった」といった趣旨の言葉を告げたとされています。 唯一の心の支えであった平田勇二さんを失うことへの恐怖と執着心が、菊池あずはの中で殺意へと変わり、それが動機となったと考えられています。
事実として、警察の取り調べに対し、菊池あずはは「別れ話をされて、殺そうと思った」と供述しています。
菊池あずはによる平田勇二さん殺害事件の概要
菊池あずはが起こした平田勇二さん殺害事件の概要についても改めて見ていきます。
事件が発生したのは、2015年2月2日、菊池あずはは同棲していたマンションで、寝ていた平田勇二さんに対して凶行に及びました。その手口は極めて残虐なものでした。
まず、牛刀で平田勇二さんの首や胸など数十カ所を執拗に突き刺しました。さらに、事前に購入していた金属バットで頭部を何度も殴りつけました。平田勇二さんの死因は、失血死でした。
事件後、菊池あずはは自ら元同僚に連絡を取り、連絡を受けた元同僚が警察に通報したことで事件が発覚しました。救急隊が駆けつけた際、菊池あずは錯乱状態だったようで、「勇二さんにお水を飲ませなきゃ」、「私は勇二さんのお嫁さんなんだから連れてかないで」などと泣き叫びながら暴れ、意味不明な言動を繰り返していたとされています。
警視庁は同日、菊池あずはを殺人容疑で逮捕しました。逮捕当初、彼女のFacebookの写真などがインターネット上で拡散され、その美貌から「美しすぎる殺人者」として大きな注目を集めました。
菊池あずはの知的障害とIQ58が裁判で明らかに
逮捕され、起訴された菊池あずはの裁判は、東京地裁で裁判員裁判として行われました。裁判で争点の1つとなったのが、彼女の責任能力の有無でした。
弁護側は、菊池が抱える軽度の知的障害、広汎性発達障害、そして性同一性障害が犯行に影響を与えたと主張しました。
そして、精神鑑定の結果、菊池あずはのIQは58程度と、知的障害の範囲に含まれる低い数値であることが明らかになりました。IQ70を下回ると知的障害と診断されることが一般的であり、この結果は法廷に衝撃を与えました。
菊池あずはの裁判ではホルモン剤投与停止による変わり果てた姿も話題に

公判に現れた菊池あずはの姿は、逮捕前に「美しすぎる」と評された面影がないほど変わり果てていました。
菊池あずはの裁判での様子は「目はうつろで、口をぽかんと開けたまま宙を見つめる。」、「発言のたびによだれが垂れ、手で拭う。」、「体が小刻みに痙攣し、言動も不明瞭で、裁判長の問いかけにもまともに答えられない。」などと報じられています。
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また、顔はパンパンに腫れ、鼻と口の間には青く髭を剃った跡が見られたとも報じられています。
この急激な変貌の大きな原因とされたのが、勾留中に女性ホルモン剤の投与を停止されたことでした。
性同一性障害の治療として10年以上にわたりホルモン剤を服用してきた菊池あずはにとって、その中断は心身に深刻な影響を及ぼしました。
精神鑑定を行った医師も「女性ホルモン欠乏症で精神状態が不安定になる可能性がある」と指摘していました。しかし、東京拘置所は「病気ではない」との理由からホルモン剤の処方を認めませんでした。
菊池あずはの裁判の経過と判決
菊池あずはの裁判では、犯行の計画性も指摘されました。事件前に金属バットを購入していたことなどから、突発的な犯行ではないと見なされました。
2015年12月4日、東京地裁は菊池あずはに対し、懲役16年(求刑懲役18年)の判決を言い渡しました。判決理由の中で裁判長は、菊池が抱える広汎性発達障害や軽度の知的障害の影響は「ごく限定的で、刑を減じる事情として考慮できない」と指摘しました。一方で、前科がないことや罪を認めていること、父親のサポートが期待できることなどが考慮されました。
最終的に、この「懲役16年」の判決が確定しています。
菊池あずはは判決確定後に刑務所内で不安定になり国を相手取って訴訟も
懲役16年の判決が確定し、菊池あずはは刑務所に収監されました。しかし、服役中も彼女の苦しみは続きました。刑務所においても女性ホルモン剤の投与は認められず、精神的に不安定な状態が続き、自傷行為に及ぶこともあったと報じられています。
この状況に対し、菊池あずはは2016年6月、獄中から国を相手取り、1000万円の損害賠償を求める民事裁判を起こしました。性同一性障害の治療として不可欠なホルモン剤の投与を停止した国の対応は、治療を受ける権利を侵害し、精神的苦痛を与えた違法なものであるというのが訴えの趣旨でした。
この裁判は、性同一性障害を持つ受刑者の医療を受ける権利という、前例の少ない問題を司法の場で問うものとして注目されました。
しかし、2019年4月、東京地裁は「精神状態は安定しており、ホルモン治療がなくても重大な健康被害は生じない」として、菊池あずはの請求を棄却しました。この判決を不服として控訴しましたが、手続きに必要な手数料を納付しなかったため、控訴は棄却されたと報じられています。
これにより、服役中のホルモン剤投与が認められる道は閉ざされた形となります。
菊池あずはの現在
2023年時点での報道によると、菊池あずは引き続き服役中とされています。そして、刑務所では独居房で生活していると伝えられています。
懲役16年の刑期を考えると、満期出所は2031年頃となりますが、模範囚であれば仮釈放の可能性も考えられます。
しかし、菊池あずはの現在の具体的な様子についてはその後特に報じられてはいません。
まとめ
今回は、2015年2月に交際相手の平田勇二さんを殺害した罪で服役している菊池あずは容疑者についてまとめてみました。
菊池あずはが引き起こした事件は、交際相手を殺害するという凶悪な犯罪であると同時に、現代社会が抱える複雑な問題を浮き彫りにしました。性同一性障害という当事者でなければ計り知れない苦悩、軽度の知的障害というハンディキャップ、そして夜の世界で深めていったであろう孤独感。これらが絡み合い、歪んだ執着心を生み、取り返しのつかない悲劇へと至りました。
裁判の過程で明らかになった、ホルモン治療の中断による心身の変調や、性同一性障害を持つ受刑者への処遇の問題は、司法や医療、そして社会全体に重い課題を突きつけました。
菊池あずは個人の責任を問うだけでなく、社会の側に、彼女のような困難を抱える人々を支え、孤立させないための仕組みはあったのかという問いも浮き上がります。
しかし、どのような背景や同情すべき事情があったとしても、1人の人間のかけがえのない命が奪われたという事実が正当化されることは決してありません。
現在、菊池あずはは懲役16年の判決を受けて服役しており、満期出所は2031年頃となります。

















