岡山地底湖行方不明事件の真相と犯人は?名倉祐樹さんの失踪場所・部長や白米美帆さんの噂・その後現在まで総まとめ

岡山地底湖行方不明事件は、岡山県の日咩坂鐘乳穴で大学生・名倉祐樹さんが行方不明になった未解決事件です。この記事では岡山地底湖行方不明事件の詳細や場所、犯人がいるとの噂や真相考察、霊視、部長・白米美帆さんらの現在やその後について紹介します。

この記事の目次

岡山地底湖行方不明事件の概要

 

出典:http://doublerider.seesaa.net/

 

岡山地底湖行方不明事件とは、2008年1月5日に起きた行方不明事件です。当時、高知大学の探検部に所属していた名倉祐樹さん(21歳)が、部活の仲間とともに合宿で訪れた日咩坂鐘乳穴(ひめさかかなちあな)で忽然と姿を消しました。

 

姿を消す直前、名倉祐樹さんはの日咩坂鐘乳穴最奥の地底湖で遊泳をしていたといい、同行していた学生らの証言によると「地底湖で泳いでいたはずが、数十秒間目を離したすきにいなくなっていた」とのこと。

 

その後、合宿参加者が警察に通報したことによって捜索が始まりますが、名倉祐樹さんは発見されることなく、遭難事故ということで結論付けられて現在に至ります。

 

そのため公式には事故なのですが、部活仲間の不自然な行動などから岡山地底湖行方不明事件は事故ではなく、事件であったのではないか?名倉祐樹さんは本当に日咩坂鐘乳穴に行ったのだろうか?など多くの疑惑が浮上し、ネット上では「闇が深い事件」として語り継がれています。

 

 

岡山地底湖行方不明事件が起きた場所

 

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岡山地底湖行方不明事件が起きた日咩坂鐘乳穴は、岡山県新見市豊永赤馬に位置する県の天然記念物です。古くから霊地として信仰の対象となってきた場所で、近くには日咩坂鐘乳穴を御神体とする日咩坂鐘乳穴神社もあります。

 

総延長2128.5 m以上、高低差184 mと日本有数の規模を誇る大洞窟で、かつては第一洞口から700mほど進んだ所にある「神の池」という池が最奥だと考えられていました。

 

ところが冬季に乾燥して「神の池」の水位が下がると、その奥に人が一人通れる程度の小さな穴が現れることが、1971年頃に元日本洞窟協会副会長である柴田晃氏がおこなった調査でわかったのです。

 

出典:https://twitter.com/

 

岡山地底湖行方不明事件の現場となった最奥部は、この小さな穴を進んだところにあります。穴の先は匍匐前進でなければ通れない場所やロープがないと昇降できないような落差のある場所があり、簡単には最奥部に到達できません。

 

また、名倉さんが姿を消したという地底湖は幅30m、奥行25m、水深35mほどとされており、水の透明度は非常に低く、視界も悪いといいます。そのため、なぜ名倉さんはこのような場所で遊泳しようと思ったのか?不自然ではないか?との指摘も多くあります。

 

 

岡山地底湖行方不明事件の詳細① 合同合宿と地底湖横断

 

出典:https://www.youtube.com/

 

岡山地底湖行方不明事件は、複数の大学の探検部の連合団体「中四国ケイバーズ」が開催した合宿中に発生しました。

 

中四国ケイバーズの合宿には名倉さんが所属する高知大学学術探検部や愛媛大学学術探検部などの現役学生のほか、OB、OGも参加しており、2006年から毎年年初に開催されていたといいます。事件が起きた2008年初めの合宿には、合計15名が参加していました。

 

合宿の日程には日咩坂鐘乳穴の探索も組み込まれており、過去に4回入洞していたとされます。2008年の合宿でも1月2日と5日に1回ずつ、合計2回にわけて入洞しています。

 

また、初めて地底湖探索に参加したメンバーは、泳げないなどの事情がなければ泳いで地底湖を横断することが合宿の慣習となっていたとのことです。

 

実際に2008年1月2日の地底湖探索には4名が参加して、リーダーから「誰か泳がんの?」と声がけがあったものの誰も横断には挑戦せず、15時45分頃には全員で出洞していました。

 

危険が伴うために地底湖横断は強制ではなかったといいますが、経験者が武勇伝として地底湖での体験を誇らしげに語ることもあったため、軽い気持ちで挑戦する者もいたのではないか、と指摘されています。

 

なお、合宿参加者のうち2006年は5名、2007年は9名が地底湖横断に挑戦したそうです。

 

事件当日の2008年1月5日は合宿の参加者自体が14名と多かったことから、日咩坂鐘乳穴に入り、地底湖を探索するチームが5名、ゴンボウゾネの穴から本小屋の穴に抜ける通り抜けルートのチームが9名とわかれることになりました。

 

 

岡山地底湖行方不明事件の詳細② 事件前日の変更

 

1月4日の朝まで実家に帰省していたため、名倉さんは4日の17時20分頃に合宿に合流したといいます。他のメンバーがいた井倉温泉に到着した時、名倉さんにはとくに変わった点はみられず、疲れている様子もなかったそうです。

 

4日の夕食後にはミーティングを兼ねた飲み会があったといい、地底湖探索チームと通り抜けルートチームそれぞれの計画の最終確認がおこなわれました。

 

この時、直前まで通り抜けルートチームに参加予定だった名倉さんが地底湖探索チームに変更になったといいます。名倉さんからは地底湖探索への参加希望は出ておらず、以下の理由でチーム変更があったそうです。

 

・4日になって名倉さんから「一度も日咩坂鐘乳穴に入ったことがない」との発言があった

 

・地底湖探索チームの参加者のうち3名が香川大学の生徒であった。他校生との交流を深めるという合宿の目的上、高知大学の名倉さんが入るとバランスが良いと判断した

 

こうして前日になって名倉さんは地底湖探索に参加することになり、22時頃には就寝したといいます。その後、午前0時頃に起きてきて他の参加者と雑談をした後、再度眠って5日の午前8時30分頃に起床してきたとのことです。

 

就寝時間は合計7時間程度だったと思われ、5日の朝も疲れた様子や前日のお酒が残っている様子などはみられなかったとされます。

 

 

岡山地底湖行方不明事件の詳細③ 届け出を出さないまま入洞

 

出典:http://www1.plala.or.jp/

 

日咩坂鐘乳穴周辺一帯に広がる阿哲台の洞窟群に入洞する際には、新見市教育委員会生涯学習課への入洞届が必要となっています。

 

しかし、この合宿では2006年、2007年、2008年に合計6回も日咩坂鐘乳穴に入洞しているにもかかわらず、一度も責任者は入洞届を出していなかったといいます。

 

しかも2006年、2007年については事前に新見市教育委員会生涯学習課へ電話をして入洞日程だけは口頭で伝えていたそうですが、2008年には「年末で役所が休暇に入っていると思った」という理由で電話連絡さえ怠っていました。

 

さらに1月2日に入洞した地底湖探索チームは、日咩坂鐘乳穴神社の宮司に入洞する旨を伝えていたものの、名倉さんが参加した5日のチームは宮司にも何も伝えずに入洞したとされます。

 

 

岡山地底湖行方不明事件の詳細④ 名倉祐樹さんが地底湖に飛び込む

 

出典:https://ameblo.jp/

 

1月5日は以下のようなメンバーで日咩坂鐘乳穴に入洞することとなります。

 

・リーダー…香川大学医学部探検部所属の女子学生・A子(24歳)

・香川大学医学部探検部所属の女子学生・B子(22歳)

・香川大学医学部探検部所属の男子学生・C(19歳)

・浜松ケイビングクラブのOB・D(29歳)

・高知大学探検部所属の名倉祐樹さん(21歳)

 

このなかで地底湖の横断経験があったのは最年少のCだけで、リーダーのA子も入洞経験はあったものの地底湖を横断したことはありませんでした。

 

A子は5日の午前11時30分に日咩坂鐘乳穴に入洞したことを緊急連絡受信係に報告しており、その後、12時10分、12時40分、13時に神の池の先に進み、洞窟内を降下している旨を連絡しています。

 

そして昼食休憩や写真撮影を終えた後、一行は14時17分に洞窟最奥部の地底湖に到着。そこで名倉さんと社会人のDが地底湖横断に挑戦したいと言い出したそうです。

 

まず社会人のDが横断にチャレンジしたのですが、左壁面に沿って岩肌を掴みながら2〜3m進んだところで足場が危うくなって断念。この様子を見て他のメンバーの間にも「横断は難しそうだね」という雰囲気が漂い、Dから「そろそろ洞窟から出ようか」という提案があったといいます。

 

しかし名倉さんは「やっぱり難しいですかね」と言いつつも、名残惜しそうな様子であったそうです。他のメンバーが帰る準備をしている間も湖面を見つめ、誰か一緒に横断に挑戦しないか?と声がけをしていました。

 

そして誰も横断に挑戦しないことを再確認した名倉さんは、無言のまま地底湖に入り、そのまま対岸に向かって泳ぎだしたのだといいます。

 

 

岡山地底湖行方不明事件の詳細⑤ 名倉祐樹さんが行方不明になる

 

出典:https://ameblo.jp/

 

リーダーのA子は照射距離の長いライトを使って名倉さんの位置を確認し、他のメンバーも彼の様子を見守っていました。

 

名倉さんはとくに苦しそうな様子もなく地底湖を遊泳して対岸にたどり着き、片手をあげるような仕草を見せたといいます。

 

しかし声は聞こえていないようで、メンバーから「大丈夫?」という声がけをされても名倉さんの返答はなく、対岸の岩に腰掛けて足をバタバタさせているような様子が見られるのみだったそうです。

 

その後、名倉さんが完全に水からあがって周囲を散策し始めたのを確認し、安心したメンバーは対岸から目を離して出洞について話し合いをしました。

 

このわずか数十秒の間に対岸にいたはずの名倉さんは姿を消したのです。

 

リーダーのA子は、名倉さんが死角になっている壁面をつたって戻ってきているのではないかと考え、すぐに左壁に向かって呼びかけました。しかし、返事はありませんでした。

 

ただ右壁の天井あたりに名倉さんのライトと思しき光がちらついたことから、やはり左壁にいるのだと思い、メンバーは「おーい!」「大丈夫?」「返事してくれー!」となおも大声で呼び続けたそうです。

 

すると、姿は見えないものの「おーい」という名倉さんからの返事があり、その後も10秒から15秒の間隔を空けて「おーい!」というメンバーからの呼びかけに対して、2回、名倉さんの返答があったといいます。

 

3回目の応答は不明瞭なものだったそうですが、返答があったことにメンバーは安堵し、そのまま呼びかけを続けながら名倉さんを待とうという気持ちを固めました。

 

ところがその直後、4回目の呼びかけからは名倉さんの「おーい」という返答が途絶えたのです。不測の事態が起きたのではないかと思ったリーダーのA子は自分も地底湖に入り、左壁沿いに泳いで湖の周りを見渡したといいます。

 

しかし、名倉さんの姿はおろか彼のライトの反射すら見えませんでした。

 

続いて唯一、地底湖横断経験のあるCも湖に入り、周囲を泳いで名倉さんの姿を探しましたが見つからず、ホイッスルでのコールをしても返答はなく、他のメンバーも地上から湖面の様子を観察しましたが、やはり何も発見できません。そして一行は「名倉くんは溺れたのではないか」との結論に至りました。

 

 

岡山地底湖行方不明事件の詳細⑥ 通報までの時間

 

ライフジャケットなどの装備を持ってきていないため、自分たちで名倉さんを救助するのは無理だと考えた4人は、出洞して警察に通報することにします。

 

そこで、この場にも誰かが残ったほうが良いのではないか、2名が残り、2名が先に出洞するべきだと議論になりますが、この時点で3人が地底湖に入ってずぶ濡れ、残りの1名も地底湖に到着する前に水流部にぶつかって全身濡れていました。

 

そのため誰を置いていっても二次被害を起こすおそれがあるとして、最終的に全員での出洞を決めたといいます。

 

メンバーは地底湖を離れる際に、誰もいない間に名倉さんが自力で戻ってくるケースを想定して「助けを呼んできます。待っていてください」という置き手紙と、低体温症を防ぐためのサバイバルシートを置いていきました。

 

こうして14時50分に一行は出洞を開始。16時に出洞を完了して、その15分後には日咩坂鐘乳穴神社に到着し、リーダーのA子らが警察と消防に通報を試みます。

 

しかしここで、Dが今回の中四国ケイバーズの合宿のチーフリーダー(愛媛大学のOB)に先に連絡したほうが良いのではないかという提案が出ます。

 

Dがこのような提案をした理由は、警察や消防よりもチーフリーダーのほうがケイビング経験が豊富で頼りになると考えたこと、そして警察に捜索依頼をすれば即時に入洞禁止措置が取られ、自分たちは仲間の捜索に関われなくなると思ったためだそうです。

 

この提案に他のメンバーも賛成し、16時17分にチーフリーダーに連絡しましたが電話は繋がりませんでした。

 

そして、その8分後に緊急連絡受信係へ名倉さんの遭難について報告し、同時に通報についても相談したところ「警察に通報する前に合宿参加者全員で地底湖を探したほうが良いのではないか」とD同様の返答があったそうです。

 

そこからA子とDが別行動をしているチームに名倉さんの遭難を知らせようと移動するなどしていたために、事件発生から通報までに空白が生じてしまいました。

 

結局、通り抜けルートの一班を率いて道に迷っていたチーフリーダーの耳に、名倉さん遭難の知らせが入ったのは18時11分になってのことでした。

 

遭難の報告を受けたチーフリーダーはすぐさま警察への通報を指示し、警察から消防へも連絡が入ったといいます。

 

最終的に警察に通報があった時刻は18時12分。地底湖探索チームが出洞してから2時間近くが経過していました。

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岡山地底湖行方不明事件の詳細⑦ 機動隊員ら延べ200人での捜索

 

出典:https://www.youtube.com/

 

通報を受け、救難用具を抱えた岡山県警機動隊員、新見署員、消防署員、そして応援要請を受けた岡山ケイビングクラブ部員ら合計35名が、5日の23時頃に日咩坂鐘乳穴に到着します。

 

しかし洞口から最奥部の地底湖までは1600mの距離があるうえ、洞内が狭いことから重機はもちろん酸素ボンベすら搬入できないために、潜水作業は被害拡大に繋がるとして断念されます。

 

そのため、この日の捜索は湖面にゴムボートを浮かべてそこから水中カメラを下ろし、水中に怪しい影が写り込んだら捜索を開始するというものになりました。

 

しかし、地底湖の水は極めて透明度が低く、1m先のものさえ見えないほど濁っていたといいます。真っ暗な洞窟のなかで一晩中捜索を続けたものの何も手がかりは得られず、6日の午前8時に捜査はいったん終了となりました。

 

なお6日の朝、機動隊らから捜索状況を聞いた中四国ケイバーズのチーフリーダーら3人は、警察の許可を得て午前11時に入洞し、さらに18時20分にも高知大学学術探検部OBの1名をくわえた4名で入洞して名倉さんの捜索をしたといいますが、やはり手がかりも見つからなかったそうです。

 

7日午前9時から再び機動隊らによる捜査が開始され、約50人が動員されましたが依然として名倉さんは見つかりませんでした。

 

最終的に捜索は6日間続き、延べ200名の人員が投じられました。しかし、本人はおろか所持品さえ発見できず、二次被害のおそれから1月10日をもって捜索は終了となりました。

 

 

岡山地底湖行方不明事件の疑惑① 名倉祐樹さんは洞窟に行っていない?

 

入洞届を出していないことから、名倉さんは本当は1月5日に日咩坂鐘乳穴に行っていないのではないか?との疑惑もあります。

 

この説では名倉さんはどこか別の場所で殺害されており、遺体を遺棄してから警察に捜索願を出したため、地底湖を探しても所持品ひとつ出てこなかったのではないのか?と指摘されているようです。

 

義務である入洞届の提出を怠るというのは、危険な場所に立ち入るのに際して杜撰と言わざるを得ません。

 

ただ2008年だけではなく、2006年も2007年も中四国ケイバーズは入洞届を出していないので、「届け出をしていない=洞窟に行っていない」と結論づけるのは強引な印象を受けます。

 

また中四国ケイバーズのメンバーは大学も異なり、なかには歳の離れた社会人もいたことから、14名全員で口裏をあわせて誰かを殺害するというのはかなり難しいのではないでしょうか。

 

そもそも別の場所で殺害するのなら、アリバイ工作として入洞届は出すのではないかという気がします。

 

 

岡山地底湖行方不明事件の疑惑② 名倉祐樹さんは地底湖に落とされた?

 

出典:https://www.youtube.com/

 

湖岸から地底湖の水面までは5mの落差があるとのことです。そのためネット上では、そんなに高い場所から急に飛び込もうと思えるものなのか、名倉さんは後ろから誰かに押されたのではないか?との声もあがりました。

 

ただ、名倉さんは地底湖に飛び込んだのではなく、壁面を登攀して湖に降りた可能性も否定できません。名倉さんは2007年に四国山岳連盟が主催するフリークライミングの大会にも出場したという記録も残っているため、5m程度の壁であれば楽に降りられたと考えられます。

 

他にも服を着たまま冬の気温が低い時期に湖に入るものなのか、不自然すぎる、何者かに落とされたのではないかとの指摘も多く見られました。

 

たしかに着衣水泳の危険さは広く知られており、足もつかないような湖に服を着たまま入るというのはあまりにも不可解な行為です。

 

ただ中四国ケイバーズのメンバー間では着衣で地底湖に入ることは珍しくなかったようで、前述のように地底湖横断が慣例になっているうえ、事件当日に現場にいたメンバーも湖に入ったと証言しています。

 

調べてみたところ、岡山地底湖行方不明事件での捜索費用を募るmixiの掲示板にも下記のような書き込みがありました。

 

現役部員の方々は日メ坂は入ったことがあるでしょうか。
洞口は渇水期にしか開かないため神秘性があり、最奥には地底湖があります。
僕自身何度も泳いだことがありますが、水温が低く、体が動かなくなっていったことを経験したことがあります。

 

引用:大阪市立大学学術探検部コミュの高知大学探検部で事故発生

 

地底湖を泳いで渡るという慣習そのものが自然を甘く見ているという印象は拭えませんが、着衣のまま泳いでいたという点のみで「名倉さんは同行したメンバーに殺された」と言い切るのは無理があるかもしれません。

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またネット上では、「同行していたメンバーは名倉さんを残してさっさと出洞し、さらに洞窟内に設置した登攀用のロープも撤去していた。名倉さんが戻ってこられないようにするためとしか思えない」との情報が見られましたが、前述のように他のメンバーが全員で出洞したのは低体温症を心配したためです。

 

また事故報告書には「ロープは残したままにした」とあり、6日に捜索に入ったチーフリーダーたちも残されたロープを使って地底湖に向かっています。

 

 

岡山地底湖行方不明事件の疑惑③ 消えた部長と副部長

 

岡山地底湖行方不明事件が起きた後、おそらく1月9日前後に名倉さんが所属していた高知大学の学術探検学部のHPから、部長と副部長の名前が削除されました。

 

このことは2ちゃんねるを中心に盛んに怪しいと指摘され、「タイミング的に部長と副部長の名前が学術探検学部のHPから消えるのはきな臭い」「何か事情を知っていて姿を隠したのではないか」などと話題になりました。

 

また、それにあわせて「被害者が所属していた部の部長と副部長は、事件についての説明責任があるのに逃げている」「高知大学も記者会見をするべきだ」等、批判の声があがったのです。

 

ただ後述しますが、事件について説明する責任は高知大学にも学術探検部にもないため、これらの批判はやや的はずれな印象があります。

 

 

岡山地底湖行方不明事件の疑惑④ 名倉祐樹さんのmixiが改ざんされていた?

 

出典:https://buenavistacity.com/

 

事件後の1月7日、名倉さんのmixiアカウントが2ちゃんねるユーザーによって特定され、そこから前述した高知大学探検学部の部長・白米美帆さんのmixiアカウントも特定されることとなりました。

 

特定当時、白米さんは「はくさん」というハンドルネームでmixiに登録しており、名倉さんは「クラさん」というハンドルネームで登録していました。

 

しかし「はくさん」というハンドルネームが2ちゃんねる内で知られ、「この『はくさん』っていうのが高知大学の探検部部長らしい」「本名は白米美帆」と過去の日記まで不特定多数の人に見られるようになってしまったことからか、白米さんは1月10日にアカウント名を「うすた」に変更しています。

 

また名倉さんのmixiに数回に渡って白米さんがログインし、ハンドルネーム(「クラさん」→「ホワイト」)や自己紹介文の変更、日記を非公開にするなどしていたことも確認されました。

 

出典:https://twitter.com/

 

そして1月10日のうちに、白米さんは名倉さんのアカウントのマイミク登録を解除していました。

 

この一連の動きがあった後に高知大学探検学部のHPから白米さんと副部長の名前が消えたため、ネットでは「やましいことがあってmixiを改竄したに違いない」「もしかしたら名倉さん行方不明事件の犯人なのでは?」などと炎上騒ぎになったといいます。

 

 

岡山地底湖行方不明事件の疑惑⑤ 洞窟内で飲酒をしていた?

 

出典:https://twitter.com/

 

事件後に上のmixiのスクリーンショットが出回ったことから、「高知大学の学術探検部は洞窟でケーキを食べるなどして、自然環境を汚している」「不謹慎な活動をしている」といった批判の声があがりました。

 

この投稿をしている「穴山さん」という人物は高知大学学術探検部のOBで、現役の学生ではありません。

 

しかし「頻繁に高知大学学術探検部に出入りしている」とプロフィールに書いているOBが、面白半分にこのような日記を公開しているとなると、「不真面目な部活」と見られてしまっても仕方ないのかもしれません。

 

さらに白米美帆さんらのmixiのプロフィールには「飲み会」「酒」という文字が目立つことから、洞窟内でも飲酒をしていたのではないか?との疑惑が浮上した様子です。

 

また学術探検部の男女比が3対2だったことから「色恋沙汰で揉めていた」「女子部員が多いお遊びのサークル(正式にはサークルではなく大学から認可された部活)だった」との話も当時の2ちゃんねるが発生源となって拡散されたようです。

 

同じく事件直後の2ちゃんねるのログを確認したところ「高知大学学術探検部では、いじめといってもいい悪ノリがあった」という書き込みも見られました。

 

これらの情報の真偽は不明ですが、高知大学学術探検部が「学術探検」という硬派な言葉から連想されるような活動とは少し異なる、浮ついた活動をしていた可能性は否定できません。

 

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岡山地底湖行方不明事件の真相① 白米美帆さんは部長ではなかった?

 

部長なのに表に出てこない、とネット上では散々批判されていましたが、そもそも岡山地底湖行方不明事件があった時、高知大学学術探検学部の部長は白米美帆さんではなかった可能性が高いのです。

 

当時の高知大学の部活は、毎年11月の学園祭が終わった後に下級生に部長の座がバトンタッチとなり、11月に新しく部長になるのは1年生という決まりになっていたといいます。

 

mixiの情報によると岡山地底湖行方不明事件が起きた時、白米さんは2年生だったようです。

 

したがって11月の学園祭が終わった時点で白米さんから1年生に部長が交代していたものの、HPの記載だけ変えていなかったのではないかと思われます。

 

事件の影響でアクセスが増えたことでほったらかしていたHPの部長、副部長の記載が昨年度のままであったことに気づき、名前を削除したところ「こんな時に部長が名前を消すなんて裏があるに違いない!」と要らぬ憶測を呼んだのではないでしょうか。

 

 

岡山地底湖行方不明事件の真相② 記者会見が開かれなかった理由

 

もし白米美帆さんが事件時にまだ高知大学学術探検部の部長だったとしても、岡山地底湖行方不明事件について説明する責任も義務も彼女にはありません。

 

なぜなら事件が起きた合宿を主催していたのは「中四国ケイバーズ」であって、高知大学学術探検部ではないのです。

 

高知大学学術探検部の活動中に起きた事故ではないうえ、事故調査報告を見る限り行方不明時に名倉さんと同行していたメンバーは他の大学の学生と社会人で、白米さんと思しき人物はいません。

 

そもそも白米さんは合宿に参加していたかさえ不明で、事件について何も知らない可能性さえあります。(当時の学術探検部の掲示板より高知大学の学生はこの合宿に4名参加していたことが判明しているものの、参加者の名前などは非公開)。

 

同様に高知大学も学校公認の活動のなかで起きた事件ではないため、表立ってコメントをする立場にはありません。むしろ名倉さんが見つかってもいないのに、余計なことを話すのは無責任ともいえます。

 

そのため高知大学も学術探検部も岡山地底湖行方不明事件の記者会見などを開かず、取材にも応じなかったのでしょう。

 

 

岡山地底湖行方不明事件の真相③ なぜmixiを改竄した?

 

白米美帆さんと名倉祐樹さんはとても親しかった、付き合っていたという話もあります。そうなると普通に他人に見られたら恥ずかしいようなやり取りがあったことから、mixiの日記の一部分を消したり編集したりした可能性が考えられます。

 

白米さんは2ちゃんねるで自分のmixiが晒されていることを知っていたようで、名倉さんのマイミク登録を解除したものの、2ちゃんねるでそのことが「証拠隠滅」と批判されるやいなや再度マイミク登録をしていました。

 

おそらく自分が掲示板で叩かれていることを知って怖くなり、あれこれ対策をしたものの、それが裏目に出て余計に怪しまれてしまったのでしょう。

 

2008年というと、まだ自分の誕生日やあだ名などをIDやパスワードをにしている人もいた頃です。付き合っていたと仮定すると、白米さんは簡単に名倉さんのmixiのパスワードを予測できた、もしくは知っていた可能性も考えられますよね。

 

 

岡山地底湖行方不明事件の真相④ 名倉祐樹さんは支流に流された?

 

出典:https://twitter.com/

 

名倉祐樹さん捜索の指揮をとった岡山県警機動隊の田村警部補は、1月10日に捜索打ち切りが決まった際に「隊員歴16年の中でも3本の指に入る大変さだった」と語っています。

 

そのような過酷な環境のなか6日間に渡って捜索をした後、警察が出した結論は「地底湖の水はどこかに流れていて、名倉さんは対岸から戻る途中で溺れ、そのまま支流に流されたのかもしれない」というものでした。

 

警察によると、捜索中に地底湖に浮かべたゴムボートが自然に流されていったそうです。そこから地底湖の水中には横穴があり、そこに名倉さんが吸い込まれていってしまったのではないかと予想したとされます。

 

支流があった場合、それがどこに繋がっているのかは不明ですし、捜索を続けても手がかりを見つけるのはほぼ不可能でしょう。

 

遺留品すら見つからないという点から考えても、事件の真相はおそらく警察の見解通りなのではないかと思われます。

 

洞窟内で飲酒をしていて酩酊状態で溺れた、仲間内で盛り上がってふざけて溺れたという可能性は否定できませんが、岡山地底湖行方不明事件は殺人事件ではなく、自然を甘く見てしまったがために起きた事故なのではないでしょうか。

 

 

岡山地底湖行方不明事件のその後① 事件の現在

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現在も、名倉祐樹さんの遺体や遺留品は発見されていません。

 

なお、1986年に奥多摩の地底湖で同じく大学生が遊泳中に行方不明になる事件が起きており、この時の学生の遺体は2011年になってからたまたま、事故現場を訪れたダイバーによって発見されています。

 

そのため名倉さんについても今後、偶然に遺体が見つかる可能性はあると思われますが、現在では日咩坂鐘乳穴そのものが立ち入り禁止となっているので、入洞禁止が解かれない限りは偶然の発見も期待できないかもしれません。

 

また岡山地底湖行方不明事件の影響なのか、高知大学学術探検部は2009年に廃部となっています。

 

 

岡山地底湖行方不明事件のその後② 犯人と騒がれた白米美帆さんの現在

 

「怪しい」「事件の真相を知る犯人なのでは?」と散々ネットで批判を受けた白米美帆さん。

 

京都府に拠点を置く「人形劇団京芸 」の劇団員に、同姓同名の白米美帆さんという方がいらっしゃいます。現在も同劇団に所属されている方です。

 

過去、人形劇団京芸に2ちゃんねるユーザーが「白米美帆さんとは高知大学学術探検部にいた人物か?」等の問い合わせをしたところ劇団員紹介のページが消えたことから、「白米美帆は人形劇の劇団員だった!」と話題になってことがあります。

 

もしかしたら人形劇団京芸に所属されている白米美帆さんは、高知大学学術探検部・元部長の白米美帆さんと同一人物なのかもしれません。

 

しかし仮に同一人物だったとしても、白米さんは岡山地底湖行方不明事件には関与していないわけですから、騒ぎ立てたり、劇団に突撃したりするのはやめるべきでしょう。

 

 

岡山地底湖行方不明事件は霊視されたことがある?

 

岡山地底湖行方不明事件は、TV番組の企画などで霊能者に霊視をされたことがありません。そもそもこの事件はTVでの報道自体が少なく、捜索打ち切りが発表されてからは取り上げられることもほぼありません。

 

これはおそらく現場に撮影隊が入るのが厳しく、安全上の理由から撮影の許可が下りないためではないかと予想されます。

 

 

 

岡山地底湖行方不明事件についてのまとめ

 

今回は2008年に発生した岡山地底湖行方不明事件について紹介しました。

 

この事件は発生から捜索打ち切りまでの時間が短く、簡単に入れない場所で起きてしまったことから、憶測が憶測を呼んで「闇が深い事件」になってしまったのではないかと思われます。

 

高知大学や学術探検部が会見をする必要はありませんでしたが、中四国ケイバーズの代表者や一緒に地底湖に行った4人のメンバーは何らかのコメントを出すべきだったのではないかと今更ながら感じます。

 

亡くなる前に何があったにせよ、名倉祐樹さんがご家族のもとに戻れる日が来ることを願います。

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