1969年に発生した庄山仁くん失踪事件は、その不可解さから現在もなんJなどのネット上で話題になっています。
この記事では庄山仁くん失踪事件の概要、行方不明になるまでの経緯、不可解な手紙、なんJなどで行われている真相の考察、隠蔽された内容などについてまとめました。
この記事の目次
- 庄山仁くん失踪事件の概要
- 庄山仁くん失踪事件の経緯① 14時頃に庄山仁くんが町へ出かける
- 庄山仁くん失踪事件の経緯② 18時半頃見知らぬ男が家族の前に現れ庄山仁くんに現金46万円を奪われたと主張
- 庄山仁くん失踪事件の経緯③ 翌日に庄山仁くんからの手紙が父親宛に届く
- 庄山仁くん失踪事件の経緯④ 庄山仁くんはそのまま行方不明になり警察が捜索するも見つからず
- 庄山仁くん失踪事件の真相のなんJ板などでの考察① 庄山仁くんが金銭を奪ったとは考えづらい
- 庄山仁くん失踪事件の真相のなんJ板などでの考察② バイクが側溝に落ちた形跡はなく目撃者もいない
- 庄山仁くん失踪事件の真相のなんJ板などでの考察③ 手紙は無理矢理書かされた可能性が高い
- 庄山仁くん失踪事件の真相のなんJ板などでの考察④ 男が46万円もの現金を持っていた事に説明がつかない
- 庄山仁くん失踪事件で金を盗まれたと主張した男は何かを隠蔽している様子だった
- まとめ
庄山仁くん失踪事件の概要
「庄山仁失踪事件」とは、1969年2月23日に長崎県佐世保市で発生した行方不明事件で、現在も未解決となっています。
行方不明となっているのは当時14歳の長崎市立花園中学校(現在は祇園中学校)の2年生だった庄山仁くんで、当時の新聞報道によれば、成績は普通だったが真面目な性格で学校では風紀委員を務め、級友の信頼も厚い人物だったようです。
庄山仁くんはその日の14時頃に、家族に「玉屋デパートに工作の材料を買いに行く」とだけ言い残して出かけました。その日の夜18時半頃、見知らぬ男が家族の元に訪ねてきて、庄山仁くんに現金46万円を奪われたと主張。
その翌日には、庄山仁くんを差出人とする、人の金を盗んでしてしまった事を詫びる手紙が父親宛に届きました。
家族は警察に相談し、大規模な捜索が行われましたが、庄山仁くんの消息はつかめず、そのまま行方不明となりました。
この事件は多くの謎が残されており、現在もインターネット上で話題になっています。
今回はこの庄山仁失踪事件についてまとめていきます。
庄山仁くん失踪事件の経緯① 14時頃に庄山仁くんが町へ出かける
まずは、庄山仁くん失踪事件の詳細な経緯を見ていきます。
1969年2月23日の日曜日、長崎県佐世保市に住む、当時14歳の中学2年生の庄山仁くんは、家族に「玉屋デパートに工作の材料を買いに行く」と告げて外出しました。この時、自宅の縁側には庄山仁くんのやりかけの工作の道具が置かれたままになっており、すぐに帰ってくるつもりで外出したように見て取れました。
また、庄山仁くんはこの外出時、制服に制帽姿だったという事です。
庄山仁くん失踪事件の経緯② 18時半頃見知らぬ男が家族の前に現れ庄山仁くんに現金46万円を奪われたと主張
出典:https://matome.eternalcollegest.com/
庄山仁くんが出かけた日の18時半頃、庄山仁くんの家族とは面識のなかった当時24歳のクリーニング店店員の男が庄山仁くんの制帽を持って現れ、庄山仁くんの母親に驚くべき内容を語りました。
この男が言うには、その日の15時半頃、佐世保市内の道路の側溝にバイクの車輪を落とし込みそれを引き上げようとしている少年2人を見た。
男はそれを手伝おうと、着ていたジャンパーを脱ぎ、道路脇に置いたところ、突然少年の1人がそのジャンパーを奪って走って逃げた。
ジャンパーの内ポケットには46万円もの現金が入っていたため、男は遅れていた少年の1人を追いかけ、そのズボンのポケットに入っていた制帽を奪った。
そして、男はその制帽に書かれていた名前を頼りに庄山ひろしくんの家を訪ねてきたという事でした。そして、この制帽は庄山仁くんのもので間違いありませんでした。
なお、この男は庄山仁くん失踪事件からみて、わずか4ヶ月前に2年間の少年刑務所服役から出てきたばかりでした。
庄山仁くん失踪事件の経緯③ 翌日に庄山仁くんからの手紙が父親宛に届く
庄山仁くん失踪事件の翌日の2月24日の昼頃、庄山仁くんの父親宛に奇妙な手紙が届きました。
手紙の差出人は庄山仁くんで、自分が昨日に友人に誘われて人の金を盗んだ事を告白し、反省しているという内容でした。
庄山仁くんの家族宛に届いた手紙の文面
前略
心配かけてすみません。悪い友達にさそわれて、人のお金をとりました。
中には四十万以上も入っていましたが、僕は少ししかもらっていません。
学校の方は、僕の気持ちがおさまるまで、病欠にしていてください。
すぐに帰っておわびいたします。
どうかさがさないで下さい。 ひとし
この手紙を警察が筆跡鑑定したところ、庄山仁くんの筆跡で間違いないという結果が出ました。
庄山仁くん失踪事件の経緯④ 庄山仁くんはそのまま行方不明になり警察が捜索するも見つからず
庄山仁くんは父親宛の手紙を最後に行方不明となりました。
警察は、失踪直後に不審な男が家族の元を訪れて46万円もの大金を奪われたと主張した事や、失踪翌日に届いた奇妙な手紙の内容などから、庄山仁くんが何らかの事件に巻き込まれたのは間違いないと見て捜査を開始しました。
警察は50人を動員しての付近の山狩りも含めて、ある程度大規模な捜査を行っていますが、結局何の手がかりも見つからず、庄山仁くんはそのまま行方不明となりました。
庄山仁くん失踪事件の真相のなんJ板などでの考察① 庄山仁くんが金銭を奪ったとは考えづらい
庄山仁くん失踪事件は、現在も5ちゃんねるのなんJ板などでよく取り上げられ、真相の考察なども行われています。
まず、第一に言われているのは、失踪翌日に現れた男が庄山仁くんに金を奪われたのは嘘である可能性が高いということです。
庄山仁くんは真面目で大人しい性格で、学校では風紀委員も務めていたとのことで、仮に友人に誘われたとしてもそのような犯罪行為に手を染めることは考えづらいです。
また、当時の報道では、庄山仁くんが行方不明になる少し前に、不審な男3人組が近所に庄山仁くんの家族について聞いて回っていたとの情報も出ていました。
こうした事を根拠に、なんJなどの匿名掲示板では、庄山仁くん失踪事件は、金を奪われたと主張する男を含む、複数人の犯罪グループによる誘拐殺人が真相とする説が有力とされています。
41: 2018/10/09(火) 22:07:41.44 ID:???Aはただの使いっぱしりで庄山くんを連れて行ったのが三人組なんだろう
町中で何らかのトラブルに巻き込まれた
三人組は庄山くんの家に訪問したようだから、その時に何かあったはず
可哀想な展開になってるのはわかる
庄山仁くん失踪事件の真相のなんJ板などでの考察② バイクが側溝に落ちた形跡はなく目撃者もいない
また、庄山仁くんが失踪した日に突然現れて金を奪われたと主張した男は、庄山仁くんともう1人の少年が側溝に落ちたバイクを引き上げようとしていたと話しました。
しかし、警察が捜査したところ、そうした形跡は一切見つかりませんでした。
また、男は金を奪われたのは昼間の時間帯だったと主張していますが、にも関わらず一切目撃者は見つかりませんでした。
つまり、男の証言以外には庄山仁くんが現金を奪ったとする証拠は何一つなく、男が金を騙し取ろうとして一連の話を捏造した可能性が高いと見られています。
5: 2018/09/06(木) 12:03:02.39Aさんが刑務所仲間とゆすり目的で庄山くんを拉致し、家族を脅迫したけど、家族は金を払わず警察に届けたから、殺して埋めたんやろ。
そのあとも家族に接触してたかろうとしたから、家族は引っ越したんやろ。これくらい誰にでもわかるわ。
庄山仁くん失踪事件の真相のなんJ板などでの考察③ 手紙は無理矢理書かされた可能性が高い
失踪の翌日に庄山仁くんの直筆の手紙が父親宛に届き、金を盗んだことを告白していますが、この手紙は何者かに無理矢理書かされた可能性が高いと見られています。
まず、手紙の冒頭に書かれていた「前略」を、庄山仁くんが使うとは考えづらい事。また、最後の自分の名前をひらがなで「ひとし」と書いていますが、普段庄山仁くんは自分の名前は漢字で書いていたそうです。
庄山仁くんの父親はメディアの取材に対して、「手紙の書き方におどおどした印象を受けた」と語っています。また、母親も「手紙の文字が怯えたような感じ、漢字で書くところをひらがなになっているなど、誰かに脅されているような気がする」と話しています。
庄山仁くん失踪事件の真相のなんJ板などでの考察④ 男が46万円もの現金を持っていた事に説明がつかない
出典:https://public.potaufeu.asahi.com/
庄山仁くんに46万円もの現金を盗まれたと男は主張していますが、この男は事件の4ヶ月前に少年刑務所から出たばかりで、働き先もごく普通のクリーニング店だったため、この男が当時の価値でかなりの大金である46万円もの現金を持ち歩いていたというのは明らかにおかしいです。
この男は警察の取り調べを受けて、少年刑務所に入る前に自宅の床下に埋めておいた金と説明しましたが、この男の家族は誰もその事を知りませんでした。
庄山仁くん失踪事件で金を盗まれたと主張した男は何かを隠蔽している様子だった
朝日新聞の昭和48年11月16日の夕刊の10ページに「人間蒸発」と題された庄山仁くん失踪事件に関する取材記事が掲載されています。
朝日新聞の記者は庄山仁くんに現金を盗まれたと話した男への直接取材も行っています。
記事によると男は、庄山仁くんの行方不明事件の直後に佐世保を出て、各地を転々とした後に奈良県に落ち着き、取材に訪れた当時はダンプの運転手として生計を立てていたという事です。また、結婚していて子供も2人いる事なども明かされていました。
記者は男に質問を重ねましたが、肝心なところは全てはぐらかすような話し方をし、何か重要な事を隠蔽している様子だったようです。
男は46万円もの現金を持っていたことについて質問されると「金の出所か。とくに言えん金、というわけじゃない。言うと不利になるということはちょっとはあるがな。いつかは言わんならん思うけどな。」などと曖昧な答えをしています。
記者がそれならば今言ってくれというと、男は「わしは情にもろいからな。そういわれると言いたくなるんや。けど、警察のメンツがたたんものな」などと言って警察に供述する前に新聞記者に言うのは筋が通らないといった理屈をつけて誤魔化しています。
記者がさらに、ジャンパーの中に大金が入っているのを少年らが気づいたのも不自然だと質問を重ねると、男は「そやな。外から見えんしな。そう言われれば不思議やな。」などと答えています。
さらに、記者は「逃げた庄山仁くんの身長はどれくらいだった?」と尋ねると、男は「わしと同じか、ちょっと大きいくらい。」と答えたそうです。庄山仁くんは身長が168cmあったそうで、かなり小柄なこの男に対してちょっと大きいくらいというのは不自然だとこの朝日新聞の記者は指摘しています。
こうしたやり取りからも、男は庄山仁くん失踪事件について何か重要な真相を隠蔽しているのは間違いないと見られています。
まとめ
今回は、1969年2月23日に発生した庄山仁くん失踪事件についてまとめてみました。
庄山仁くんは当時中学2年生で、その日、工作の材料を町に買いに行くと言って家を出たまま行方不明になりました。庄山仁くんが家を出た数時間後に見知らぬ男が庄山仁くんの制帽を持って訪ねてきて、庄山仁くんに46万円もの現金を盗まれたと主張しました。
さらにその翌日には庄山仁くんの筆跡で描かれた金を盗んだことを詫びる内容の手紙が届き、これを最後に庄山仁くんは連絡を断ち、現在まで行方不明のままです。
現在もこの不可解な事件の真相について、なんJなどのネット掲示板でよく考察がされています。そうした考察では、庄山仁くんは真面目な少年だったため金を盗んだとは考えられず、男が金を騙し取るために庄山仁くんを誘拐し、作り話をして家族を脅したのだろうと言う説が有力となっています。
当時のメディアもこの男が犯人だと疑っており、朝日新聞が直接取材を行っていますが、この男は何かを隠蔽している様子で真相について語る事はなかったようです。