アベック失踪事件の犯人は北朝鮮!被害者や拉致の目的・現在も総まとめ

アベック失踪事件とは1978年に発生した複数のカップル(アベック)が行方不明もしくは誘拐未遂にあった事件で、後に北朝鮮の拉致であったことが発覚しています。この記事では本件の被害者や犯人の工作員、北朝鮮の目的、事件の現在について紹介します。

アベック失踪事件の概要

 

出典:https://www.pref.fukui.lg.jp/

 

1978年7月7日、福井県小浜市青井海岸で地村保志さん(当時23歳)と浜本富貴恵さん(当時23歳)の失踪事件が発生しました。

 

2人は婚約しており、失踪当日は「デートに行ってくる」と家族に伝えて出かけたまま、青井海岸の展望台付近に車を残して忽然と姿を消したとされます。

 

そして地村さんと富貴恵さんの行方がわからないまま、7月31日には潟県柏崎市中央海岸で蓮池薫さん(当時20歳)と奥土祐木子(当時22歳)さんの2人が、8月12日には鹿児島県日置郡吹上浜海岸で市川修一さん(当時24歳)と増元るみ子さん(当時24歳)の2人が相次いで失踪。

 

一連の失踪には以下のような共通点が見られたとされます。

 

・全員、20代のカップル

 

・失踪当日はデートに出かけていた

 

・場所は違えど海岸付近で姿を消している

 

・失踪時間は全員、19時から21時の間

 

・どのカップルも家族や周囲公認の関係で、家出や心中の可能性はない

 

・全員、身分証や通帳などは自宅に置いたまま

 

・車など、移動手段を残したまま本人たちだけがいなくなっている

 

警察は水難事故の可能性も考えて大規模な捜索をしましたが、いずれの現場でも遺体はもちろん手がかりも発見されません。

 

そんな折、8月15日に富山県高岡市島尾海岸でカップルの誘拐未遂事件が発生しました。

 

出典:https://twitter.com/

 

被害者は27歳の会社員男性と20歳の家事手伝いの女性で、2人は両家の家族とともに顔合わせのために海岸に近いホテルに来ていました。

 

顔合わせ終了後、お互いの家族が気を利かせて若い2人だけ残して海岸を離れたところを4人組の男に襲われて縛り上げられ、布袋に押し込まれて松林に担ぎ込まれたといいます。

 

しかし遠くまで連れ去られる前に運良く近所の犬が吠え、その声に驚いた犯人グループが逃走して、2人は無事に救助されました。

 

そしてこの後、犯人グループの遺留品などから外国情報機関のスパイによる犯行の疑いが浮上。北朝鮮にも疑惑の目が向けられましたが決定的な証拠もなく、時間が流れました。

 

ところが2002年になって北朝鮮側が初めて拉致の事実を認め、失踪事件の被害者であった地村保志さん、富貴恵さん、蓮池薫さん、祐木子さんが北朝鮮から帰国したことにより、アベック失踪事件は北朝鮮の拉致であったことが確定します。

 

出典:https://www.youtube.com/

 

市川修一さん、増元るみ子さんの2人については北朝鮮の説明では「既に亡くなっている」とされており、帰国は叶っていません。しかし、亡くなったとされる日以降も目撃情報が複数あるため、現在も政府認定拉致被害者として帰国を求める活動が続いています。

 

 

 

アベック失踪事件の被害者① 地村保志さん・富貴恵さん

 

出典:https://ameblo.jp/

 

一連の事件の最初の被害者となったのが、当時、小浜市内で大工見習いをしていた地村保志さんと、ブティックの販売員をしていた濱本富貴恵さんです。

 

2人は拉致被害にあった翌年の1979年に北朝鮮で結婚しており、1984年から1986年の間は平壌郊外の中和郡忠龍里にある日本人居住地で暮らしたとされます。なお、同時期にこの日本人居住地には横田めぐみさんもいたそうです。

 

その後、夫妻の間には3人の子どもが誕生し平壌市内に転居。2002年10月15日に夫妻のみ先に日本への帰国を果たし、2004年には3人の子ども日本に帰国しました。

 

 

 

アベック失踪事件の被害者② 蓮池薫さん・祐木子さん

 

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蓮池薫さんは中央大学法学部3年生の夏休み、実家に帰省していた際にアベック失踪事件の被害者となりました。

 

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ともに拉致された奥土祐木子さんは、カネボウ化粧品の美容部員として働いました。

 

2人は友人の集まりを通して知り合ったといい、事件当日は柏崎市立図書館で待ち合わせした後に海岸方面に散歩に行ったそうです。

 

待ち合わせをした柏崎市立図書館から柏崎市中央海岸までは250mほどの距離しかなく、2人にとっては歩き慣れた定番のデートコースでした。

 

帰国した蓮池さんの話によると、祐木子さんと海岸を歩いていたところ3、4人ほどの男が近づいてきて「すみません、たばこの火を貸してもらえませんか?」と声を掛けてきたといいます。

 

そして対応しようとしたところ眉間をしたたかに殴られ、袋を被せられてボートに担ぎ込まれたとのことです。

 

その後、工作船に移動させられて薬を打たれ、意識が戻った時には蓮池さんは北朝鮮北東の清津に到着していました。なお、意識が戻った時に祐木子さんの姿はなかったといいます。

 

 

お互いの安否も知らされなかった

 

蓮池さんは清津から平壌郊外の招待所へ移送されましたが、そこにも祐木子さんが見当たらなかったことから「彼女は日本にいるのだろうか、無事なのだろうか」と思ったそうです。

 

そして招待所の係員に「彼女は無事なんだろうな」「日本に帰してくれ」と激しく訴えましたが、次第に係員から高圧的な態度を取られて、身の危険を感じるように。そこで抗議をしても無駄だと考えて朝鮮語を学び、情報収集を試みたといいます。

 

そうして2年が経った頃、唐突に祐木子さんも北朝鮮にいることを知らされ、2人が引き合わされたのです。

 

祐木子さんも蓮池さんは日本にいるものだと思い込んでおり、2年もの間、互いに安否も知らされていませんでした。

 

 

日本には帰れないものと思っていた

 

2人は1980年に北朝鮮で結婚。1982年には長男、1983年には長女が誕生しました。

 

子どもが産まれる頃になると、拉致された当初は「必ず日本から助けが来る、信じて待とう」と思っていた蓮池さんの心境にも変化が生じたといいます。

 

日本からの助けを信じていては発狂して家族共倒れになってしまう、反日思想の強い北朝鮮で「日本人であること」にすがって生きていけば、子どもが被害者になるおそれもあると考え、日本人であることを捨てて、我が子にも「両親は在日朝鮮人だった」と教え込んだそうです。

 

将来的に子どもたちが北朝鮮工作員として使われることを危惧して、日本語はいっさい教えなかったといいます。

 

1987年以降、蓮池さんは翻訳の仕事を命じられて招待所で日本の新聞などを翻訳させられていました。

 

そして2002年6月には、妻子とともに住居を招待所から平壌市内の高層アパートに移されたといいます。

 

これは日本から拉致の実態を追求された北朝鮮側が「北朝鮮にいる日本人は、我が国に漂流したのを助けた者で拉致被害者などではない。北朝鮮で幸せに暮らしている」と虚偽の主張をするための準備でした。

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その後、蓮池さんと祐木子さんは2002年10月15日に地村さんらとともに夫妻のみで日本へ帰国。2004年には2人の子どもも無事に日本への帰国を果たしました。

 

 

 

アベック失踪事件の被害者③ 市川修一さん・増元るみ子さん

 

出典:https://ameblo.jp/

 

アベック失踪事件の最後の被害者である市川修一さんは事件当時、電電公社の職員として勤務していました。また増元るみ子さんは事務員をしていました。

 

事件当日、2人は夕日を見に行くと言って吹上浜に出掛けたまま翌朝になっても帰宅しませんでした。

 

そして失踪から2日が過ぎた14日になって、吹上浜のキャンプ場付近でドアがロックされたままの市川さんの車が発見されたといいます。

 

窓から車内を見ると増元さんのバッグや、デートの様子が撮影されたカメラも置きっぱなしになっていたそうです。

 

2人の失踪後、家族や近所の住民、加世田警察署、消防団などが捜索にあたりましたが、発見されたのは駐車場周辺でひっくり返ったまま放置されていた市川さんのサンダル(片方だけ)のみ。

 

警察犬も投入されましたが、サンダルが落ちていた辺りで立ち止まってしまい、においを追えなかったといいます。

 

 

2人も死亡と発表されているが…

 

その後、2人も北朝鮮の拉致被害にあっていたことが発覚しますが、北朝鮮側は2002年に「2人はもう死んでいる」という以下の衝撃的な発表をします。

 

市川修一さん

1979年7月に増元るみ子さんと結婚。しかし、その年の9月に海水浴中に心臓麻痺を起こして急死。麟山郡上月里にあった墓は、ダムの崩壊で流出したため遺骨や遺品もない。

 

増元るみ子さん

1978年8月から1981年8月まで招待所で朝鮮語の習得などする。この時いた招待所は市川さんとは違う場所で、1979年に結婚してから同じ招待所に移った。

 

その後は1981年8月、心臓病により死亡。夫と同じ墓に埋葬されたが、同じくダムの崩壊で墓は流出した。

 

しかし、増元るみ子さんについては蓮池祐木子さんが「1978年の秋から1979年10月25日まで、一緒の招待所で暮らしていた」と証言していることから、北朝鮮側の説明には虚偽が混ざっていることが判明しています。

 

また北朝鮮側は「市川さんと増元さんの間には子どもはないなかった」と説明していましたが、祐木子さんは招待所の賄い婦から「あなたの知り合いの日本人女性、子どもが産まれたのよ」と聞かされたといい、「心当たりがあるのは、るみちゃんしかいない」とも話していました。

 

さらに元北朝鮮の工作員で1993年に脱北した安明進氏からも、「1988年から1990年に増元るみ子さんらしき女性を、金正日政治軍事大学でたびたび見かけた。既婚者のように見えた」との証言が出ています。

 

そのため増元るみ子さんはもちろん、一緒に拉致された市川修一さんも存命なのではないかと考えられています。

 

 

 

アベック失踪事件の犯人

 

出典:https://twitter.com/

 

2002年の首脳会談の席で、金正日はアベック失踪事件などの拉致事件について「部下が勝手にやったこと。拉致を指揮した者はすべて処分した」と説明しました。

 

一部の特殊機関の者たちが、対日工作活動の拠点として活動する「土台人」と共謀して勝手に拉致をしたと弁明したのです。

 

しかし、当然ながら拉致を指揮していたのは金正日本人です。1977年に金正日が工作員を集めて、手当たりしだいに日本人を含む外国人を拉致してくるように命じていたことが、脱北者の証言などから明らかになっています。

 

「拉致を指揮した者はすべて処分した」と日本政府に説明していたものの、実際には拉致の実行犯は北朝鮮国内で切手になるなど英雄のように扱われていることからも、拉致は金正日指示のもと、個人ではなく国家規模でおこなっていたのは疑いようがありません。

 

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また、蓮池さんと祐木子さんを拉致した実行犯には、チェ・スンチョル、ハン・クムニョン、キム・ナムジンという3人が、地村さんと富貴恵さんを拉致した実行犯にはシン・グヮンスという北朝鮮工作員がいたことが確認されています。ここではこの4人の実行犯の人物像や、余罪について見ていきましょう

 

 

アベック失踪事件犯人① チェ・スンチョル

 

出典:https://twitter.com/

 

チェ・スンチョルは朝鮮労働党対外情報調査部所属の工作員で、アベック失踪事件のほかに10年以上に及ぶ日本国内外での諜報活動、日本人の身分乗っ取り、パスポート偽造などをした人物です。

 

戦前から愛知県小牧基地周辺に住んでいたといい、流暢に関西弁混じりの日本語を操り、和服を着て外出するなど日本人以上に日本人らしい振る舞いをしていたとされます。

 

その後は北朝鮮に戻ったものの1970年に男鹿半島の海岸から違法に入国。東京都足立区西新井に住んで「松田忠雄」という偽名を名乗り、ゴム靴工場に約1年ほど勤務していました。

 

この間にチェは、大阪で江口智と名乗って働いていた在日朝鮮人のキム・ソクトを自分の土台人(日本で諜報活動する際の拠点)として獲得し、キム一家を西新井に呼び寄せるなどしていたそうです。

 

しばらくは「松田忠雄」として北朝鮮に情報を送っていたチェですが、1972年に東京の山谷で行き倒れていた「小熊和也」さんという男性に近づき、助けるふりをして小熊さんの運転免許証やパスポートを詐取して自分の顔写真に貼り替え、「小熊和也」という身分を獲得。

 

「小熊和也」として渡航して日韓にまたがるスパイ網を構築し、日本国内でも在日米軍の情報などを集めたとされます。

 

なおアベック失踪事件の前にも、完全に戸籍を乗っ取るために本物の小熊和也さんを北朝鮮に拉致する予定であったものの、実行の前に小熊さんが亡くなり断念したとの話もあります。

 

その後は1978年にアベック失踪事件を起こし、1980年には長らく行方不明になっている「小住健蔵」さんという男性の身分を乗っ取って引き続き諜報活動を続けていましたが、1982年にCIAから公安に「北朝鮮スパイ・小住健蔵」に関する情報が提供されて公安からマークされることに。

 

1985年にはチェが住んでいた西新井のマンションなど十数カ所に家宅捜索が入りましたが、公安の動きに勘付いたチェは1983年に国外に逃亡しており、逮捕されたのはお抱えの土台人であるキム・ソクトのみでした。

 

現在もチェ・スンチョルは逮捕されておらず、日本国内での指名手配はもちろんのこと、ICPOを通じて国際指名手配もされています。

 

 

アベック失踪事件犯人② ハン・クムニョン

 

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ハン・クムニョンは朝鮮労働党対外情報調査部所属の工作員です。蓮池さんによると拉致後もハンは指導員として一緒に行動した時期があったといい、「逃げても絶対に捕まえる」などと脅してきたそうです。

 

チェ・スンチョルと同じく、現在もICPOを通じて国際指名手配されています。

 

 

アベック失踪事件犯人③  キム・ナムジン

 

キム・ナムジンも朝鮮労働党対外情報調査部所属の工作員です。指名手配の画像も似顔絵しか公開されておらず、3人のなかでもっとも情報が少ない人物といえます。

 

上の2人と同じく、ICPOを通じて国際指名手配されています。

 

 

アベック失踪事件犯人④ シン・グヮンス

 

出典:https://ameblo.jp/

 

シン・グヮンスは在日朝鮮人二世として静岡県内で生まれ、幼少期は「立山 富蔵」という日本人名を名乗っていました。

 

太平洋戦争終結後に日本を離れて韓国に移住しますが、1950年に朝鮮戦争が勃発すると義勇軍として北朝鮮軍に志願入隊し、これをきっかけに朝鮮労働党へ入党。1973年には工作員として、能登半島から不法に日本に入国し諜報活動を開始しました。

 

そして1980年に自分がコックとして働いていた大阪市内の中華料理店「宝海楼」の系列店で働く原敕晁さんに目をつけ、彼を北朝鮮に拉致した挙げ句、戸籍や身分を奪います。

 

その後は原さんになりすまして日本を拠点に韓国などへの渡航を繰り返しましたが、1985年に諜報活動がバレて韓国で逮捕。死刑判決を受けます。

 

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しかし1999年に恩赦によって釈放されて、さらに2000年には北朝鮮に送還され、現在は北朝鮮内で英雄扱いをされているとのことです。

 

韓国で恩赦となっても日本国内での3件の拉致などについては別件扱いとなるため、現在も日本は北朝鮮に向けてシン・グヮンスの身柄引き渡しを要求しています。

 

 

 

アベック失踪事件の真相が北朝鮮の拉致だとわかるまでの経緯

 

アベック失踪事件が北朝鮮の拉致だと発覚したのは、8月15日に富山県で発生した誘拐未遂事件がきっかけでした。

 

この時、被害者の男女を拉致しようとした4人組は、水着や短パンなどではなく、ステテコに白い肌着、ズックという他の客とは全く異なる服装で真夏の海水浴場に訪れており、近隣の民宿経営者らも不審に感じていたといいます。

 

また、4人の男は海に入ろうとせずにずっと座ったまま被害者の男女を眺めていたそうで、悪目立ちしていたとの話も出ていました。

 

これらの周囲に溶け込めていない奇妙な振る舞いから、誘拐未遂事件の犯人は土地勘のない人間によるものではないかと推測されます。

 

そして、この事件も一連のアベック失踪事件も北朝鮮による拉致ではないのかと考えたのが、当時、産経新聞社会部で警視庁担当の事件記者をしていた阿部雅美記者でした。

 

出典:https://twitter.com/

 

事件が起きた翌年の1979年、「日本海側で奇妙な出来事が頻発している」という話を聞きつけた阿部記者は、日本海沿岸の各府県の地方新聞を徹底的に読み漁り、1978年8月16日付けの北日本新聞で富山県高岡市の雨晴海岸でカップルの誘拐未遂事件があったことを知ります。

 

そしてこの犯人グループの「生きた人間に手錠をかけて縛りあげ、上から袋を被せてどこかに運ぼうとする」という手口が、これまで見てきたどの事件とも異なることに興味を持ったそうです。

 

 

 

奇妙な遺留品

 

出典:https://twitter.com/

 

阿部記者は富山県警察本部に足を運んで、サンバイザーや手錠、布袋、猿轡などの遺留品を確認。北日本新聞 でおもちゃと書かれていた手錠は本物でした。

 

この頃は富山県警の捜査員らも事件の背後に北朝鮮がいるとは夢にも思っていなかったようで、阿部記者に対して「わざわざ、東京から取材に来てもらうような大事件じゃないよ」と話していたといいます。

 

しかし阿部記者は遺留品の数々を見て、ますます事件に興味を持ちました。タオル以外は日本国内で製造も輸入もされておらず、日本よりも工業が遅れた国で生産されたと思われる粗悪品ばかりだったからです。

 

気になった阿部記者は捜査員に「外事(外国人による事件)でしょうか?」と訪ねましたが、捜査員からは「犯人を目撃した人からは日本語を話してたと聞くし、外事にしては動機がまったくわからない」と言われたそうです。

 

 

 

誘拐未遂事件被害者の証言

 

出典:https://ja.wikipedia.org/

 

さらに事件当日、被害者を助けたという人に話を聞きに行ったところ、「袋をかぶった男性がうさぎ跳びで家の前までやってきて、『助けてくれ!』と叫びながら体当りしてきた。袋をとってみると、中にいた男性は猿轡を噛まされたうえに手錠もしていた」という情報を得ます。

 

また晴雨海岸近くで「うちの妻が、事件があった日に犯人らしい男を見た」という男性から話を聞くことに成功。この男性は「妻の話では、なんとなく日本人じゃない感じだったそうですよ。何がというわけではないようですが、大柄で赤銅色の肌で、おまけに変な服装をしていて日本人には見えなかったらしいんです」と語りました。

 

そして事件の後に入籍して夫婦として暮らしている被害者にも会いにいきましたが、被害者夫婦からも「犯人は日本人じゃないと思う」という証言が飛び出したのです。

 

やはり目撃者の女性と同様に、被害者夫婦も「雰囲気からなんとなくだが、日本人じゃないという確信がある」と話し、さらに自分たちを襲う際の手際が妙によく、何度も訓練してきたのではないかと感じたという証言も得ました。

 

また被害者夫婦は「松林に自分たちを運んだ後、犯人らは何かが来るのを待っていたようだった」とも話したそうで、阿部記者は車ではない別の移動手段で被害者を運ぼうとしていたのではないか、海が近いのだから船に乗せるつもりだったのではないか、との仮説を立てます。

 

続いて阿部記者はなぜ、この夫婦が奇妙な事件に巻き込まれかけたのかを探るために、2人に特殊な技能や変わった主義思想、交友関係などはないか調べました。

 

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しかし被害者夫婦には特段変わったところは見られず、「どうしてもこの男女でなければいけなかったわけではなく、たまたま犯人に遭遇してターゲットになったのではないか」との考えに至ります。

 

そして誘拐する相手に強いこだわりがないのであれば、似たようなケースで誘拐された人も実はいるのではないか思い、日本海側の警察署に一箇所ずつ電話をかけて「おたくの所轄内で、若いアベックが失踪した事件は起きていませんか?」と聞いて回ったそうです。

 

この問い合わせに「ない」と答える警察が続くなか、新潟の柏崎警察署だけは「答えられない」という返答でした。

 

ピンときた阿部記者はすぐさま柏崎警察署に足を運んで事情を話しますが、警察側は「被害者の家族が情報を公開しないでくれと言っている。そのため、何も話せない」の一点張り。これは事実で、当時アベック失踪事件は新聞やTVでも報じられていませんでした。

 

しかし阿部さんは諦めずに柏崎で聞き込みを続け、ついに蓮池薫さんの実家を訪ねることに成功します。

 

こうして蓮池さんの両親から事件についての話を聞いた結果、「一連の失踪事件も誘拐未遂も、外国が関与した拉致事件のおそれがある」との結論にたどり着いたのでした。

 

 

 

拉致疑惑を報道

 

出典:https://twitter.com/

 

1980年1月7日、サンケイ新聞は「アベック3組ナゾの蒸発」という見出しで、これまで報じられなかったアベック失踪事件と外国の諜報機関が事件に関与した可能性を示唆する記事を掲載しました。

 

しかし当時は他紙からは「誤報」として黙殺され、どの新聞社も事件について調べようとしなかったといいます。これは政府や警察が失踪事件に対して何の対応もとっていなかったためです。

 

なお、阿部記者は他者がアベック失踪事件について全く触れなかった件について「当時、日本では北朝鮮を『地上の楽園』として持ち上げ、在日朝鮮人やその家族に北朝鮮へ帰るように促す『北朝鮮帰国事業』がすすめられていた。マスコミも宣伝していたため、拉致をにおわせる報道はできなかったのだろう」と考察していました。

 

阿部記者の記事が注目を集めたのは、掲載から8年が経った1988年のことでした。この年の3月26日に開かれた参議院予算委員会で、当時の国家公安委員長だった梶山静六氏が「誘拐未遂事件および一連のアベック失踪事件は、北朝鮮による拉致の疑いがある」とはっきり認めたのです。

 

国家公安委員長が上のような発言をしたのは、1985年のシン・グァンス逮捕と1987年の大韓航空機爆破事件で、金賢姫に日本語を教えた拉致被害者の女性(後に田口八重子さんと断定)がいることが明らかになったためでしょう。

 

ところが、この衝撃的な証言もサンケイ新聞と日本経済新聞など一部の新聞を除いて報道されることはなく、国民が拉致問題に興味を持ったのはさらに10年近く経った1997年になってからでした。

 

政治評論家の兵本達吉氏とジャーナリストの石高健次氏、そして阿部記者らが、1977年に失踪した横田めぐみさんが北朝鮮の拉致被害者の可能性があるとの調査結果を発表。これが報じられたことによって、アベック失踪事件もようやく拉致の疑いがあるとマスコミ各社が報道するようになりました。

 

 

 

アベック失踪事件の目的

 

出典:https://twitter.com/

 

アベック失踪事件を含む北朝鮮による日本人拉致の目的は、工作員養成のためと考えられています。

 

日本の公安や韓国の情報当局による捜査によると、北朝鮮は韓国を自国の支配下に置いて朝鮮半島の南北統一を目論んでおり、そのために韓国に送り込む工作員(諜報員、スパイ)を育てているといいます。

 

拉致された日本人は、日本語や日本の文化、仕草などを朝鮮労働党の工作員に教える講師役をするほか、上述の原さんのように身分を乗っ取るために拉致を行なっていると見られているのです。

 

 

 

アベック失踪事件の現在

 

 

2004年に地村夫妻と蓮池夫妻の子どもたちが帰国して以降、北朝鮮側は拉致問題は解決したという態度を貫いています。

 

2016年には北朝鮮内に設置された「日本人拉致問題を再調査する特別調査委員会」が、役目を終えたとして解体されたことも報じられました。

 

しかし、実際にはアベック失踪事件の被害者で日本に戻ってきていない市川修一さんと増元るみ子さんを含め、現在でも少なくとも12人の拉致被害者が北朝鮮に残されていると考えられています。

 

このうち市川修一さん、増元るみ子さん、横田めぐみさん、松木薫さんら8人は「死亡した」と発表していますが、上述のように死亡日より後に目撃されていたり、北朝鮮が提出した遺骨が他人のものであったりと、北朝鮮側の死亡報告の信憑性は疑わしいです。

 

そのためアベック失踪事件の被害者たちは現在も、同じく拉致被害者である曽我ひとみさんらとともに、被害者の救助を求めて講演活動や署名活動を続けています。

 

また、市川修一さんや増元るみ子さんの家族も各地で講演を行なっており、市川さんの兄の健二さんは2022年11月に鹿屋市の高校で講演をした際に「もっとも怖いのは、拉致事件が風化することです。どうか皆さんに関心を持って、語り継いでほしい」と高校生たちに訴えていました。

 

 

 

アベック失踪事件についてのまとめ

 

今回は1978年の7月から8月中旬の40日あまりの間に起きた北朝鮮の連続拉致および拉致未遂事件である、アベック失踪事件について紹介しました。

 

事件の異質さにいち早く気づいて調査を進めていた阿部記者により、早い段階から拉致疑惑が浮上していたというアベック失踪事件。もしも1980年の段階で国が積極的に動いていれば、被害者も早い段階での帰国が叶っていたのかもしれません。

 

拉致問題の報道がされるたびに取り沙汰されるのが、被害者家族の高齢化です。増元るみ子さんの父・正一さんと、市川修一さんの父・平さんは我が子の無事を確認する前に逝去されました。

 

拉致された本人はもちろん、待ち続けている家族にためにも一日も早い拉致問題の解決を願います。

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