カエル少年失踪事件の犯人と真相は?被害者と死因・映画化・その後現在までまとめ

カエル少年失踪事件は、1991年に韓国で発生した少年5人が失踪後に白骨死体で発見されるという未解決事件です。2011年には映画化もされました。この記事ではカエル少年失踪事件の被害者や写真、死因などの真相考察、その後、現在について紹介します。

カエル少年失踪事件の概要

 

出典:https://imnews.imbc.com/

 

1991年3月26日、韓国の大邱(テグ)の城西(ソンソ)小学校に通う9歳から13歳までの少年5人が行方不明になるという事件が発生しました。

 

少年たちは「オオサンショウウオを捕まえる」と言って近所にある臥龍(ワリョン)山に向かったといい、山で目撃されたのを最後に姿を消します。

 

5人もの子どもが白昼に同時に行方不明になるという前代未聞の事件は韓国社会でも大きな注目を集め、警察と軍は延べ50万人もの人員を導入して捜索にあたりました。

 

しかし、少年たちの行方はまったくわからず、そのうち「人売りに捕まった」「何者かに誘拐されて物売りの仕事をさせられている」といった噂が流れるようになります。

 

そのような真偽不明な噂にも縋りたかった少年らの両親は、仕事を辞めて我が子の消息を追い、彼らの様子はマスコミによって大きく報道されました。

 

そして少年たちは、当時韓国で流行っていたカエルが主人公のアニメと、当初の報道で「カエルの卵を採りに行って行方不明になった」と報道されたことになぞらえて、「カエル少年」と呼ばれるようになっていったそうです。

 

関心の高さから、少年らの目撃情報なども多く集まりました。が、解決に結びつくものはなく、時間が経過。

 

事件が急展開を見せたのは、発生から11年が経った2002年のことでした。2002年9月26日、警察や軍が何度も探した臥龍山から、少年らの遺骨と遺留品が発見されたのです。

 

警察は少年たちは事故死したとの見解を示しましたが、その後の検死で遺体の頭蓋骨に外傷があり、これが原因で死亡した可能性が高いことが発覚します。少年たちは事故死したのではなく、殺されたのです。

 

しかし結局、カエル少年失踪事件の犯人や真相は明らかにならずに2006年3月に事件は時効を迎えます。

 

未解決のままとなったカエル少年失踪事件は、現在でも真犯人は軍なのではないかといった考察が盛んにされており、複数回にわたって事件をモチーフにした映画も制作されています。

 

 

カエル少年失踪事件の被害者と写真

 

出典:http://yonechie.cocolog-nifty.com/

 

上の画像は、カエル少年失踪事件の解決を求めて韓国内で配られていたビラです。

 

被害者の顔写真と氏名、年齢、簡単な特徴などが書かれています。

 

このビラによると、失踪したのは左上から、パク・チャンインくん(当時10歳)、チョ・ホヨンくん(当時12歳)、キム・ヨンギュくん(当時11歳)、下段の左からキム・ジョンシクくん(当時9歳)、ウ・チョルウォンくん(当時13歳)とのこと。

全員が城西小学校に通っていたことから、韓国では「城西小学生失踪事件」と報じられることもありました。

 

 

カエル少年失踪事件の詳細① 5人の少年が行方不明になる

 

出典:https://www.facebook.com/

 

1991年3月26日の午前8時頃、大邱市に住む6人の小学生が、臥龍山にオオサンショウウオの卵を探しに出かけました。

 

臥龍山は山といって標高300m程度で、周辺住民の間では子どもだけで遊びに行っても危険のない場所と認識されていたそうです。

 

道中で6人のうち1人が足を怪我してしまい、山に入る前に帰宅。ほかの5人はそのまま臥龍山を登っていきました。

 

しかし、その後5人の少年は家に戻ることなく夜を迎えます。日が暮れても家に戻らない子どもを心配した親たちは、19時半頃に警察に捜索願いを出しに行きました。

 

朝に家を出た子どもが昼ごはんも食べずに夜まで帰ってこないというのは、誰もが事件や事故に巻き込まれたことを心配する状況です。

 

ところが、この日は韓国で地方選挙が行われていたため、選挙に多くの人員を割いていたために捜索願への対応がおざなりになってしまったのです。

 

しかも警察は、5人の少年らが示し合わせて家出したものと勝手に判断して、初動捜査もまともに行いませんでした。

 

そのため3月26日当日は、少年の両親らと警察官数名による捜索活動のみがされました。

 

この日は日付が変わって27日の午前3時頃まで、臥龍山を中心に捜索が行われましたが、持ち物の1つも見つからなかったといいます。

 

 

カエル少年失踪事件の詳細② マスコミに取り上げられる

 

その後も少年らは家に戻らず、行方も杳として知れないまま数日が経過します。それでも警察は、相変わらず事件性のない家出と決めつけて動きませんでした。

 

しかし、じきにマスコミがこの事件のことを知り、「小学生5人が同時に行方不明になる怪事件」として大々的に報じるようになります。

 

そして初期の報道で、行方不明になった少年はオオサンショウウオの卵を探して臥龍山に無かったのですが、「カエル採りに出かけた」と誤報道されたことが原因となって、事件は「カエル少年失踪事件」と呼ばれるようになりました。

 

この頃、韓国では日本のアニメ『けろっこデメタン』が大流行しており、韓国版の主題歌になかにあった「ケグリ ソニョン」(カエル少年)という言葉も流行語になっていたそうです。

 

出典:https://tatsunoko.co.jp/

 

そのため、行方不明になった少年たちも「ケグリ ソニョン」という呼び名で報じられたといいます。

 

流行っていたアニメキャラクターを彷彿とさせる呼び名をつけたこともあり、事件はあっという間に世間の注目を集め、ついに当時の韓国大統領・金泳三(キムヨンサム)が、少年らを見つけ出すようにと警察に命令を出す事態に発展。

 

これを受けてついに警察も本格的に捜索を開始します。しかし、やはり少年たちの行方はわからないままでした。

 

 

出典:https://namu.wiki/

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一方で世間の関心はどんどん高まっていき、1992年にはカエル少年失踪事件をモチーフにした映画『帰ってこいカエル少年』も公開されました。

 

そして警察や軍だけではなく、民間企業やボランティア団体も、少年たちの捜索に乗り出します。

 

なかには自社製品のラベルに行方不明になった少年らの顔写真を印刷する、店の広告に少年の顔写真を掲載するなどして、情報を求める企業も出てきました。

 

韓国最大の通信社であるKTも、「カエル少年を探してください」と印刷されたテレフォンカードを配り、情報提供を呼びかけました。

 

警察も700万枚ものビラを配り、4200万ウォン(日本円で約480万円)の懸賞金をかけ、軍と協力して臥龍山のみならず公共施設や空き家など約1万2000ヶ所以上の場所を捜索したとされます。

 

 

カエル少年失踪事件の詳細③ 錯綜する情報

 

こうしてカエル少年失踪事件は、事件そのものには何の進展もないにもかかわらず、世間からの注目と報道だけが加熱していくという事態になってしまいます。

 

マスコミは世間の好奇心を煽るように、出どころが不明な情報を流すようになりました。

 

少年たちはハンセン病患者が治療薬を作るために誘拐して、すでに殺害されている、ハンセン病患者の家から少年の皮膚の一部が発見されたなどという、とんでもない誤情報まで報じられたそうです。

 

さらに、この根も葉もない差別的な噂に振り回された警察が、ハンセン病患者が在住している町に向かい、弾圧的な取り調べをして社会問題になる事態まで起きたといいます。

 

そして警察以外の人々による犯人探しや事件考察が続くなか、1996年に1人の大学教授によって悪質な噂が流布します。

 

その噂とは、行方不明になっている少年のうち1人であるキム・ジョンシクくんの父親が、5人全員を殺害して自宅の庭に埋めたというものでした。

 

事件発生から1993年頃までの間、少年たちの両親は仕事を辞めて子どもの捜索にすべての時間を費やしており、その様子は連日報道されていたといいます。

 

そのため両親らの挙動にも世間の注目が注がれており、そこへ心理学の大家と言われていた大学教授が出てきて「事件の真相は、ジョンシクくんの父親の狂言誘拐だ」と言い切ったのです。

 

教授の主張には物的証拠があるわけではなく、前述の犯人はハンセン病患者だという噂と同レベルのものでした。

 

しかし、1990年代という時代も手伝って「心理学者がプロファイリングで割り出した犯人」というでけで信じてしまう人が大勢出てしまいます。

 

こうして警察も、この教授の主張を信じてジョンシクくんの家の敷地を掘り返しましたが、当然ながら何もでてくるはずがなく、濡れ衣であったことが判明。

 

冤罪を証明できたもののジョンシクくんの父親はこの時のストレスが相当なものだったのか、後年に若くして亡くなっています。

 

ジョンシクくんの父親は怒って遺族を訴え、教授側が敗訴して賠償金を支払うこととなりました。

 

しかし、裁判で敗訴した後もこの教授はネットや書籍などで犯人は少年の身内だという主張を訴え続けており、反省した様子は見られません。

 

なお、この教授は後に紹介する事件をモチーフにした映画『カエル少年失踪事件』でも登場します。

 

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カエル少年失踪事件の詳細④ 2022年になって遺骨発見

 

出典:https://imnews.imbc.com/

 

失踪から11年以上が経過した2002年9月26日、事件は急展開を見せます。

 

臥龍山を訪れた登山客が、中腹でどんぐりを拾っている最中に子どもの白骨死体を発見したのです。

 

警察はこの白骨死体が、カエル少年失踪事件の少年たちのものであると発表。すると世間からは警察への非難の声が噴出します。

 

警察は軍と協力して延べ50万人もの人員を投入して大規模捜索を行なったとしていながら、臥龍山の山中で登山客が立ち入れる場所から遺体が出てきたわけですから、「どこを探していたのか?」「真面目に捜索していたのか」と批判されるのは当然です。

 

国民日報も「警察は、遺体発見現場の地点をちょうど捜索していなかったと説明した」「横一列にきっちり並んで捜索をする、という警察の行動に問題がある」と批判寄りの報道をしていました。

 

 

カエル少年失踪事件の被害者の死因・検死結果

 

出典:https://imnews.imbc.com/

 

警察は遺体発見後に「少年らは山中で道に迷って寒さに耐えきれず、凍死した」と、発表しました。

 

しかし、ほどなくして行われた慶北大学医学部の検死結果では、「少年たちの頭蓋骨には殴られたような痕跡が見られ、これは転落や遭難でできるものではない。誰かに殴打されたものだ」とされます。

 

とくに、ウ・チョルウォンくんの頭蓋骨からは、陥没や鋭利な凶器によって刺されたと見られる痕など、10ヶ所にもおよぶ外傷が見られたといいます。

 

また、キム・ジョンシクくんの遺体の腕にも、誰かに襲われそうになった際に咄嗟に頭部を守ってできたと思われる骨折の痕がありました。

 

こうしたことから、慶北大学医学部の蔡鍾敏(チェ・ゾンミン)教授は、外部の専門家の諮問も受けた結果「少年たちは誰かに殺害された可能性が高い」「死因は頭蓋骨内部の出血」と指摘したのです。

 

検死結果を受けた警察は他殺の線で再捜査を進めることを決め、2002年11月にその旨を発表します。

 

しかし、失踪から11年6ヶ月が経ってやっと少年らの遺体が発見されたこともあり、また事件発生直後にさえ有力な情報が提供されなかったことから当然のように捜査は難航。

 

結局、犯人は見つからず、本当に少年たちは殺害されたのか、事故だったのかさえわからずに、2006年3月25日24時にカエル少年失踪事件の時効が成立してしまいました。

 

 

カエル少年失踪事件の真相考察① 犯人は陸軍説

 

出典:https://ja.wikipedia.org/

 

2002年8月28日、大邱市内で靴磨きの仕事をしていた43歳の男性が地元の警察署を訪れ、「カエル少年失踪事件の犯人かもしれない男を知っている」と申し出ました。

 

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このことは東亜日報でも、以下のように報じられています。

 

警察は、住民の韓(ハン)某氏(43、無職、 大邱達西区月岩洞)が、先月28日に捜査本部を訪ね「もとの大邱達西区役所付近で靴みがきをしていた7月中旬、30歳くらいのお客さんが軍に服役していたとき、少年らを殺害したという話をしたことがある」と話している。

 

引用:「大邱カエル少年」らは軍に射殺されたとの情報も

 

男性は7月に知り合った靴磨きの客から、「臥龍山で見つかった子どもは自分が殺した。自分は当時、兵役中の身で、子どもたちに向けて誤射してしまった」と告白されたといいます。

 

事件当時、臥龍山近くには韓国陸軍第50師団の射撃場があり、韓国軍だけではなく在韓米軍もこの射撃場を使っていました。

 

犯人だと自供した男性の話によると、子どもたちが誤って射撃場に近づいてしまい、流れ弾が当たって1人が死亡、1人が重傷を負ってしまったとのこと。

 

そのことを隠蔽するために、生存していた少年4人を全員射撃場の外に連れていき、首を絞めたうえで射殺したと言ったのです。

 

1人の少年の遺体が身につけていた衣類が、軍独特の十字縛りにされていたことも、この男性の話の信憑性を高めました。

 

そのため警察が捜査を進めたところ、周辺住民から「亡くなった少年たちは、よく臥龍山に薬莢を拾いに行っていた」「射撃場にも立ち入っていた」という証言が出てきました。

 

さらに、失踪当日に5人とともに山に向かいながらも、足を痛めて途中で帰ったという男性も「5人とはよく射撃場に忍び込んで薬莢を拾った」と証言。

 

しかし、韓国軍によると失踪当日は地方選挙があったため、射撃場は休みで訓練は行われていなかったといい、この男性が犯人なのか否かは不明です。

 

 

 

カエル少年失踪事件の真相考察② 不良高校生グループが犯人説

 

陸軍犯人説に次いで有名な説が、近隣の工業高校に通う不良高校生グループが犯人だという説です。

 

これはネットの書き込み発祥の説なのですが、京畿大学犯罪心理学科の教授が韓国放送公社の『クリスタルマインド』という番組に出演した際に、「あり得る説だ」と発言したために有名になりました。

 

出典:https://www.amazon.co.jp/

 

この説では凶器となったのはノギス(バーニアキャリパー)と呼ばれる測定器であり、工業高校の授業にも使われるものです。

 

このノギスを使えばチョルウォンくんの頭蓋骨に見られらた刺傷も、他の陥没痕も同時につけられるといいます。

 

さらに高校生が複数人いれば小学生5人を取り押さえて暴行することは可能であり、この時代には非行少年の間で禁止薬物の代わりにボンドを吸右ことが流行していたそうです。

 

不良グループが大人や警察に隠れてボンドを吸うために臥龍山に入っていくこともあったといい、そのようなグループが幻覚を見て酩酊状態で子どもたちを殺害したというのです。

 

ただ、突発的に高校生が少年らを殺害したとして、どうやって埋めたのかまでは説明できません。

 

ボンドを吸ってトリップしようと思って山に入った工業高校の生徒がノギスを持っていた、という説明はついても、偶然スコップまで持っていたというのはさすがに無理があります。

 

酩酊状態で人殺しをした高校生たちが、殺害後に急に我にかえって家にスコップを取りに行ったというのも筋が通りませんし、この説の真偽も不明です。

 

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カエル少年失踪事件の被害者のその後① 遺族の現在

 

韓国で殺人罪の時効が撤廃されたのは2015年です。そのため、カエル少年失踪事件の捜査は事件未解決のまま打ち切りとなりました。

 

徹底的に捜査をしたうえで犯人が見つからなかったのであれば、遺族もまだ納得できたかもしれません。

 

しかし、カエル少年失踪事件では初動のいい加減さに続き、遺体発見現場を荒らすような真似をしたりと、警察はまともな捜査をしたとは言えない状況でした。

 

そのため遺族は2005年に国を相手取り、日本円にして4500万円を求める損害賠償請求訴訟を起こしています。が、これは認められず2006年に棄却されました。

 

 

カエル少年失踪事件の被害者のその後② 警察が事故だったと断定

 

出典:https://imnews.imbc.com/

 

2022年、カエル少年失踪事件の捜査にあたった元大邱警察署課長が「カエル少年失踪事件の犯人はいない。あれはやはり事故だった」という発表をしました。

 

元大邱警察署課長は「頭蓋骨の損傷は凍死した後に、落石などが原因でついたもの」と主張。

 

固く結ばれていた衣類についても「子どもたちが寒さを凌ぐために、自分で結んだ」と結論づけました。

 

釈然としない説明ですが、時効も成立していますし、これ以上事件について蒸し返されたくないのでしょう。

 

出典:https://www.hani.co.kr/

 

2021年には被害者の少年らの追悼碑が遺体発見現場近くに建立されたのですが、この慰霊碑にも「子どもたちの安全と事故予防を祈願」と刻まれています。

 

大邱市は遺族の要望を取り入れた追悼碑を建てたと説明しているものの、カエル少年失踪事件は事故という結論で終わりという意図も見え、遺族感情を思うと悲しくなります。

 

 

カエル少年失踪事件の被害者のその後③ 映画が話題になる

 

 

カエル少年失踪事件は2011年に、『カエル少年失踪殺人事件』というタイトルで映画化されています。

 

監督は、2007年に『リターン』で長編作品デビューをしたイ・ギュマン監督です。

 

主人公は過去にやらせ番組で左遷されたTVのディレクターで、表舞台に返り咲くために世間を騒がせているカエル少年失踪事件に興味を持つようになり、事件を追う捜査員と組むという設定。

 

少年の親を犯人だと名指しして、引っ掻き回した大学教授をモデルにした人物などが登場し、事件の内容が内容だけに仕方ないのですが犯人が捕まることもないため、全編通してあまり気分の良いシーンはありません。

 

また、作中では少年たちのうち3人はショットガンで頭を撃たれたことが死因となっており、容疑者と思しき男が出てきますが、いずれも実際の事件にはない映画オリジナルの要素です。

 

映画に出てくる怪しい男と同じ職業、経歴の人物が捜査対象になったことはないとされます。

 

 

カエル少年失踪事件のまとめ

 

今回は1991年に韓国で発生した未解決事件、カエル少年失踪事件について、事件の被害者や詳細、死因、真相考察を中心に紹介しました。

 

この事件は、被害者の両親らの中にもまだ若くして他界している方が何名かいるといいます。おそらく心労や悲しみが病気の引き金になった方もいたのでしょう。

 

子どもが行方不明になってもろくに探してもらえず、自分たちが犯人扱いされ、賠償金も支払われず、遺体が見つかってもやはりまともな捜査はしてもらえなかったという流れはあまりにも酷いです。

 

亡くなった少年たちのご冥福と、難しいのでしょうが事件の真相が明らかになる日が来ることを願います。

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