三菱銀行人質事件の犯人は梅川昭美!女性行員のその後現在・再現ドラマ・映画やアニメも総まとめ

三菱銀行人質事件は1979年に三菱銀行北畠支店で発生した強盗および殺人事件です。犯人の梅川昭美が女性行員を全裸にし、狙撃隊から実を守る盾としたことでも有名です。本件の動機やその後、被害者の現在、事件の再現ドラマや映画、アニメを紹介します。

三菱銀行人質事件の概要

 

出典:https://auctions.yahoo.co.jp/

 

1979年1月26日、閉店間近の三菱銀行北畠支店(現在の三菱UFJ銀行北畠支店)に猟銃を所持した男が銀行強盗目的で押し入るという事件が発生しました。

 

男の名前は梅川昭美(うめかわ あきよし)。事件当時30歳。黒いスーツ姿にサングラス、マスク、ポークパイハットを身に着けて行内に侵入した梅川は、現金5000万円を渡すように求めて行員や客、合計30人を人質にとって北畠支店内に立てこもりました。

 

当初、梅川は3分以内に現金を強奪して逃走する予定でいたとされます。しかし、隙を見て逃げた客がいたことから事件が発覚。警察が駆けつけたために3日もの間、銀行での籠城がおこなわれたのです。

 

立て籠もり中に梅川は威嚇射撃をするなどして人質を恫喝し、女性行員に服を脱ぐように命じる、自分が撃った行員の遺体(本当は生きており、死んだふりをしていただけ)から耳を削ぐように別の男性行員に命じるなど、常軌を逸した振る舞いをします。

 

最終的には特殊部隊が行内に突入して梅川を射殺、人質も開放されましたが、この事件では警官や人質から4名の死者が出るに至りました。

 

人質事件で死者が出るのは日本の犯罪史上、三菱銀行人質事件が初であり、犯人の猟奇的な行動とあわせて稀に見る凶悪犯罪とされています。

 

 

 

三菱銀行人質事件の詳細① 事件の発生と第一の被害者

 

 

1979年1月26日午後2時半過ぎ、大阪府大阪市住吉区万代二丁目にある三菱銀行北畠支店に、ニッサン・ミロク社製の猟銃をゴルフバックに入れて携帯した梅川昭美が強盗目的で押し入りました。

 

この時、梅川が所持していた実弾は猟銃に装填した2発とそれ以外の31発だったといいます。行内に入った梅川は猟銃を天井に向けて2発発砲。

 

「10数えるうちに、このなかに金をいれろ」と行員に言って、銀行のカウンターにリュックサックを投げつけたとされます。

 

当然ながら行内にいた者は恐怖と驚きで凍りつき、反応が遅れたカウンター内の行員に対して梅川は「早くしろ。金を出さんと殺すぞ」と銃口を向けてなおも脅しつけました。

 

この時、カウンターにいた窓口係の男性行員(当時20歳)が非常電話を使って2階の部署に通報を依頼しようとしましたが、彼は梅川によって射殺されてしまいます。

 

梅川はこの時、2発発砲したため1発は男性行員に命中、残りの1発は近くにいた女性行員の後頭部をかすめました。

 

射殺といっても三菱銀行人質事件の第一の死者となる男性行員は即死ではなく、撃たれた後もしばらく意識はあったといいます。しかし、梅川の籠城によって適切な処置を受けられなかったために、そのまま息を引き取ったのでした。

 

同僚の死を目の当たりにした行員らは観念し、梅川のリュックサックに現金を詰め始めました。これを見た梅川は予定通りに警察が到着する前に現金を奪って逃走できると確信。

 

ところが、男性行員射殺のどさくさに紛れて行員2人と客の主婦が銀行から逃げ出しており、14時33分には逃げた主婦が自転車で巡回警ら中の住吉警察署警ら課係長・楠本正巳警部補(52歳)と行き合い、事件を伝えました。

 

 

 

三菱銀行人質事件の詳細② 警官殺害

 

出典:https://www.youtube.com/

 

主婦から強盗事件について聞いた楠本警部補は、すぐさま三菱銀行北畠支店に向かいました。

 

そして午後2時35分頃、同行に到着した楠本警部補は梅川に向かって拳銃をかまえ「銃を捨てろ」と警告して威嚇発砲します。

 

しかし梅川は大人しく投降するどころか「撃てるもんなら撃ってみろ」と言って、楠本警部補に向けて発砲。

 

梅川が撃った弾は楠本警部補の胸部に命中し、警部補は「110番…110番…」と呻きながら絶命してしまったのです。

 

一方、主婦とともに脱出に成功していた行員2人はそれぞれ現場近くの公衆電話と喫茶店の電話から110番通報をしていました。

 

さらに梅川の目を盗んで行員の1人が非常ボタンを押しており、事件は警察に把握されることとなります。

 

通報を受け、午後2時38分頃にはパトカーで阿倍野警察署の前畑和明巡査と(29歳)と巡査長がいち早く現場に駆けつけ、行内に突入しました。

 

しかし、梅川はこの2人の巡査長にも発砲。防弾チョッキを着用していた巡査長は無事でしたが、前畑巡査は死亡してしまいます。

 

こうして三菱銀行人質事件発生から約10分の間に、3名もの死者がでてしまったのです。

 

 

 

三菱銀行人質事件の詳細③ 籠城開始

 

前畑和明巡査が梅川の凶弾に倒れた同時刻、大阪府内の警察全署に緊急配備指令が発令されていました。

 

そして午後2時40分頃には大阪府警は三菱銀行北畠支店周辺の道路半径500mを封鎖。捜査員や機動隊など320人を投入して同行を包囲します。

 

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一方で外の動きに気づいた梅川は、行員に命じてシャッターを降ろそうとします。しかし機転を利かせた警官が閉まりかけのシャッターの下に近くに停めてあった自転車を投げ入れたため、シャッターは完全に閉まらず、下40cm程が開いたままの状態となりました。

 

この時点で三菱銀行北畠支店内にいた人質は行員31名、客8名の合計39名だったといいます。さらに三菱銀行人質事件発生時に貸金庫内に隠れるなどして梅川に見つからなかった客が5名、行内にいました。

 

なお、シャッターが降りた直後の14時50分頃には行内にはほかに幼い子どもを連れた主婦と妊婦の客がいました。しかし、梅原は恐怖で泣きじゃくる子どものもとに行くと「ぼく、立てや」と声をかけて、この親子連れと妊婦を解放したとされます。

 

 

 

三菱銀行人質事件の詳細④ 女性行員を全裸にして「肉の壁」

 

出典:https://blog.goo.ne.jp/

 

完全にシャッターが降りず、警察の突入が容易になってしまったことを気にした梅川は、男性行員に命じてロッカーや机などでバリケードをつくらせました。

 

さて、梅原が三菱銀行北畠支店を狙ったのには理由がありました。付近に交番がなく、押し入った直後に通報されても警察が到着するには3分以上の時間がかかるだろう、と予想したためにこの銀行をターゲットにしたのです。

 

しかし早々に警察に包囲されてしまい、3分以内に立ち去れば警察に姿を見られずに済むと考えていた梅川の計画は大失敗となります。

 

計画が大幅に狂った梅川は怒り、バリケード完成後に人質の行員を整列させて「この銀行の責任者はどいつや?」と聞きました。

 

そして名乗り出た支店長に対して「ちゃっちゃと金を出さんからこうなるんや。お前の責任やろ」と言い残して至近距離から発砲。支店長を銃殺しました。

 

その後も梅川は女性行員に命じて亡くなった警官のもとから拳銃を取ってこさせる、気まぐれに威嚇射撃をするなどして人質を恐怖で支配していきます。

 

出典:https://www.adaymag.com/

 

そして狙撃隊から身を守るために、行員たちに自分が座った支店長席の周りを囲ませて「肉の壁」になるように命令。

 

この時、なんと梅川は男性行員には上半身裸になるように命じ、電話係を除く女性行員19名に対しては全裸になるように言いつけたのです。

 

女性行員には服や下着を脱ぐ順番まで指示し、彼女らが服を脱ぐさまをストリップショーを見るかのように眺めて羞恥心を煽ったとされます。さらに全裸の状態で無意味に行内を歩かせたり、排泄はカウンターの中でおこなうように命令しました。

 

梅川は単なるわいせつ目的で、このような異常な命令を女性行員に下したわけではありません。

 

常軌を逸した命令に従わせることで人質たちとの間に完全な主従関係をつくり、逃げる・抵抗するといった意思を人質たちから奪うことが目的だったのです。

 

なお、ここでも梅川は全裸にさせた女性行員のうち1人が片親であることを知ると、彼女にだけは服を着せるという奇妙な情のかけ方をしていました。

 

 

 

三菱銀行人質事件の詳細⑤ 「耳を削いでこい」

 

出典:https://www.adaymag.com/

 

16時50分頃、梅川はこのような状況下にあっても冷静沈着であった最年長の男性行員に目をつけると、「生意気なやつや」などと因縁をつけて銃撃します。

 

なお、この男性行員は人質にとられてからたびたび周囲を励ましており、その様子から「こいつはいつまでも抵抗してくるかもしれないし、触発されたほかの人質も歯向かってくるかもしれない」と梅川に警戒されていたのではないか、とも考えられています。

 

発砲を受けた男性行員はとっさに体を捻って、胸部ではなく右肩に被弾。重傷を負いましたが一命をとりとめており、死んだふりをしてその場を逃れようとしました。

 

しかし、疑り深い梅川は男性行員が本当に死んだのか訝しんで、ほかの男性行員に「ナイフを使って、心臓をえぐり取ってこい」とおぞましい命令を出したのです。

 

男性行員は撃たれた行員の近くまで行き、「もう死んでいます、確かです」と嘘をついて先輩を守ろうとしました。

 

が、猜疑心の強い梅川は「死んでるんやったら、そいつの耳を切り取ってこいや。死んでるんやったら簡単やろ」と更に命じてきたといいます。

 

男性行員は抵抗しますが、死んだふりをしていた先輩行員が小声で「構わん、やりなさい」と呟いたために、震える手でナイフを同僚に向けます。

 

先輩行員にとっては、ここで命令に従わなければ自分はおろか後輩の命も危ういと考えての決断でした。

 

それに気づいた男性行員は泣きながら「すみません…」と小声で何度も謝り続け、先輩行員の左耳を半分切り取り、梅川に渡しました。

 

耳を受け取った梅川は、なんとこれを食べようと口に含み、その直後に吐き出して「不味いな」と言ったとのことです。

 

これも人質たちに恐怖を与え、徹底的に服従させるためのパフォーマンスだったのでしょう。

 

なお、死んだふりをしていた先輩行員は耳を切除された後に失神。夜遅くに激痛から意識を取り戻しますが、死を覚悟して自分の血液で妻子に向けての遺言を書きました。

 

しかしこの遺言は、彼の体から流れ出る血液で消えてしまったとされます。

 

 

 

残虐行為を命じる前に梅川昭美が口にした映画『ソドムの市』とは

 

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梅川は男性行員に先輩行員の耳を切り取るように命じた際、映画『ソドムの市』での儀式のシーンの話をしたといいます。

 

『ソドムの市』はマルキ・ド・サドの『ソドム百二十日あるいは淫蕩学校』を原作とした作品で、えげつない性描写やスカトロ描写、残酷描写の数々から多くの国で上映禁止となっています。

 

本作のラストにある拷問シーンで耳を切り取る描写があるため、梅川はおそらくそのシーンの話をしたのではないかと思われます。

 

 

 

三菱銀行人質事件の詳細⑥ 事件がTVで中継される

 

出典:https://www.youtube.com/

 

18時40分頃、三菱銀行北畠支店に狙撃犯が到着。そして18時45分に梅川が銀行の2階にいる支店次長に命じて警察に電話を入れさせ、夕飯の差し入れを要求してきました。

 

当初、警察は差し入れの食事に液体睡眠薬を混入させようと計画しましたが、味見をしたところ刺激や味に違和感を感じたため、断念したといいます。

 

そして19時頃、梅川が夕食として要求したサーロインステーキ400gとワインが差し入れられ、これを人質に毒味させてから1人豪華な食事をはじめます。

 

その後、20時に施錠されていない通用口を見つけた捜査員がそこから行内に侵入しましたが、梅川が見張り役を命じた行員に気づかれてしまい、「帰ってください、警察を入れたなんてバレたら私達が殺されます」と懇願されて引き返すこととなりました。

 

実は人質となった人々は梅川から「建物内に警察が入ってきたら、お前らを1人ずつ殺す」と脅されていたのです。

 

こうして26日の間、警察は三菱銀行北畠支店を包囲して行内に突入する機会を伺っていましたが、人質の安全を考えて手を出しあぐねていました。

 

警察は行内の様子を覗うために、手動ドリルでシャッターに7個の覗き穴をあけたといいます。

 

その覗き穴から中を見たところ、床に遺体が転がり、裸の行員が犯人の周りを守るように囲んでいるという異常な光景が確認できたため、正面からの突入は不可能だと判断したのです。

 

事件の様子や警察の動向はTV局によって中継され、21時になると大阪府警には「カレーに睡眠薬を混ぜればいいのに!カレーならバレない」「自分は暴走族だ。防弾チョッキを貸してくれたら仲間と乗り込んで犯人をしばき倒して捕まえてきてやる!」といった電話が殺到したそうです。

 

 

 

三菱銀行人質事件の詳細⑦ 犯人の身元が割れる

 

出典:https://usedcarnews.jp/

 

現場が膠着状態を続ける一方、警察の捜査によって三菱銀行人質事件は梅川昭美の犯行であることが明かされていました。

 

梅原は白いバンに乗って三菱銀行北畠支店に来ていたのですが、この車は盗難者であり、岐阜県多治見市で警察官が職務質問をした男が「自分が車を盗んだ犯人だ」と自供したのです。

 

さらにこの男は梅川昭美の小学生時代の同級生であり、車は梅川に頼まれて盗んだこと、一緒に銀行強盗をしないかと誘われたが断ったことまで供述しました。

 

この供述を得た警察は1月27日の午前0時45分に、梅川が住んでいたという大阪市住吉区のマンション「長居パーク」を訪れたのですが、深夜にもかかわらず家主が不在でした。これらのことから、犯人は梅川で間違いないと判断したのです。

 

 

三菱銀行人質事件の詳細⑧ 梅川昭美からの要求

 

出典:https://www.pakutaso.com/

 

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立て籠もり2日目となる27日、梅川は日付が変わった頃からさまざまな物を持ってくるように警察へ要求し始めました。

 

午前1時には人質の食事としてカップラーメンが届けられましたが、梅川はこれを見て行員らに「警察はお前らなんてどうなってもいいと思っとるから、こんな粗末なもんをよこすんや」と笑い、さらに人質用のカップラーメンを食べてしまったといいます。

 

裸でいることを共用されて寒さに震える人質に対しては「そのへんの死体に灯油かけて燃やしたらどうや」と言い放ち、今後は1人20秒以内に戻ってくるのであればトイレの使用を許可しました。

 

午前2時になると「もっと栄養のあるものを持ってこい」と梅川から要求された警察が、人質のためにサンドイッチを届けました。そしてさらに胃腸薬とアリナミンが差し入れられると、先は長いから飲むようにと人質に服薬を勧めたとのことです。

 

さらに梅川は午前3時25分、10分以内にラジオを持ってくるように要求しました。これは外の様子や、事件がどのように報道されているのかを知るためです。

 

三菱銀行北畠支店は1階のロビーにTVがなかったので、梅川には外の様子を知る手段がありませんでした。

 

しかし警察はラジオの差し入れを躊躇します。三菱銀行人質事件はラジオ、TVで24時間中継されており、犯人は梅川昭美だということも報じられていたからです。

 

なるべく自分たちの操作状況を明かしたくなかった警察はラジオの差し入れを引き延ばそうとしましたが、その間に苛立った梅川が発砲。これにより庶務係の行員が顔を負傷します。

 

この行員がそのまま死んだふりをして倒れ込んだのを見て、梅川は警察に「お前らが遅いから1人死んだ。早うせんと、もう1人殺す」と連絡をいれて、ラジオを届けるようにせっつきました。

 

そうして仕方なく警察がラジオを差し入れたのは、午前6時15分。ラジオで自分のことを「ウメカワテルミ」と報道しているのを知った梅川は激怒し、わざわざ捜査本部に電話をかけて「オレの名前は『アキヨシ』いうんじゃ。今度間違えたら、人質を殺す」と告げました。

 

なお、またしても行員に向けて発砲し怪我を負わせている一方で、梅川はこの夜のうちに「高齢だから」という理由で男性客1人、「警察にビールを届けさせたから」という理由で女性行員1人を解放しています。

 

 

三菱銀行人質事件の詳細⑨ 母親による説得

 

出典:https://www.youtube.com/

 

名前の読み間違えについて怒り警察には隙を見せなかった梅川ですが、早くも身元が明かされたことに危機感を覚え、行内にある自分の指紋を拭き取るなどして落ち着かない様子だったといいます。

 

この後、梅川は立て続けに人質を解放。知人に電話をして遺言めいたことを伝え、続いて借金をしている相手にも電話をかけて「借金は返す」と話したそうです。

 

そして午前10時29分、香川県に住んでいた梅川の母親の静子さん(当時73歳)が大阪府警の要請を受けて三菱銀行北畠支店に到着。

 

母親は「説得してもらえますか?」という捜査員の問いかけに、「やります。撃たれても構いません」と毅然と応えました。

 

しかし、梅川に電話して「おふくろさんが来てるぞ」と警察が伝えたところ、「来たらおふくろにもオレと一緒に死んでもらう」と告げられたため、母親の身を案じた警察は説得を断念します。

 

そして母親に電話で梅川を説得してもらうよう頼むのですが、受話器越しに母親の声を聞いた梅川は何も言わずに電話を切ってしまいました。

 

14時58分、警察は母親が書いた手紙を銀行の1階に差し入れます。

 

手紙には震える文字で「母のたのみですから(人質の人達を)出してください」と、このような事件を起こした息子を責めるでもなく、ただ人質を傷つけず、解放して願う文章が綴られていました。

 

梅川は女性行員の1人に手紙を音読するように命じたとされますが、あまりに文字が読みづらかったために女性行員は何と書いているのか読めずに、首をかしげる場面もあったそうです。

 

この様子を見た梅川はまるで自嘲するかのように皮肉な笑みを浮かべ、「おふくろはな、そないな字しか書けへん。でも俺にはおふくろしかおらん」「一緒に苦労してきた、大好きなおふくろや。いつかは一緒に暮らしたかった」と胸の内を話したうえ、金を奪ってさっさと逃げる予定だった、と事件の計画についても口にしました。

 

 

 

三菱銀行人質事件の詳細⑩ 負傷した行員の解放

 

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15時15分、行員に懇願された梅川は、押し入った直後に流れ弾で後頭部を負傷した行員、耳を切り取られた行員、顔を撃たれた行員の3人を解放。

 

最初は死んだとばかり思っていた耳を切られた行員が生きていたことに「生きとったんか、殺したる」と激昂した梅川ですが、ほかの行員から「助けてやってください」と頭を下げられて、あっさり「行っていいで」と外に出ることを認めたといいます。

 

こうして重傷を負った3人は無事に病院に搬送され、一命をとりとめました。

 

その後も数時間おきに人質は開放されていき、この日の終わりには現場にいるのは男子行員7人、女子行員18人の合計25人になっていました。

 

そして28日の未明には男性行員に命じて腐臭を放ち始めた被害者4人の遺体を外に運び出し、遺体は救急車で住吉署に搬送されて安置されたとのことです。

 

 

 

三菱銀行人質事件の詳細⑪ 突入と梅川昭美の射殺

 

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出典:https://hobby.red-cm.com/

 

立て籠もり3日めの28日になると、梅川にも疲れが見えるようになっていました。突入の機会を伺い、覗き穴から中の様子をチェックしていた警察も今日こそは梅川を逮捕できるかもしれないと意気込んでいました。

 

そして梅川の様子を入念に観察し、狙撃を成功させるための1〜2秒の隙が生じるのはどのような時なのか、その行動パターンを解析します。監視班が確認した梅川の行動には以下のような特徴が見られたとのことです。

 

・差し入れられた味噌汁を飲む時は左手で椀を取り、口に椀を近づけてから右手で箸を取る。この間が1.5秒

 

・飲み物を飲む時はコップに口をつけながらも視線を左右にやり、周囲を警戒している。ラーメンなどを食べる時も、一口食べては左右を警戒するの繰り返しで隙がない。

 

・新聞は行員に音読させている。自分で読むこともあるが、常に拳銃を片手に持っており、頻繁に顔をあげて周囲を警戒している。隙なし。

 

・排泄は人質に銃口を向けながら床に敷いた新聞紙の上で済ませる。まったく隙なし。

 

このように梅川は飲食や排泄の間にも警戒を怠らず、監視していたベテラン捜査員も「大した男だ。ここまで暴発性と慎重さを兼ねそなえた容疑者はそういない。生きたまま捕らえて、しっかり取り調べないと」と口にしていたそうです。

 

しかし、ついに梅川にも決定的な隙ができます。午前8時30分頃、女子行員に新聞を音読させていた梅川が眠気に襲われてウトウトし始めたのを見て、男性行員が狙撃隊に「突入のチャンスです!」とこっそり合図を送りました。

 

人間が不眠不休の状態に耐えられる限界は40時間程度とされていますから、さすがに梅川の体にも限界が来ていたのでしょう。

 

行員の合図を確認した特殊部隊(SATの前身。大阪府警本部警備部第2機動隊・零中隊)は匍匐前進で行内に侵入し、狙撃の機会を伺います。

 

梅川本人に隙があっても、彼の周囲には依然として壁役の女子行員が配置されているため迂闊に発砲できなかったのです。

 

午前8時40分、梅川は机の上に正座させていた壁役の女子行員にお茶を入れてくるように命じます。

 

そして午前8時41分、ついに特殊部隊5人が突入し、1階のカウンター越しに梅川に向けて8発の銃弾を発射。そのうちの3発が梅川の頭と首に命中し、「殺すぞ…」と呟いたきり梅川は動かなくなりました。

 

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その後、外で待機していた捜査員も一気に行内に突入し、残っていた25人の人質も無事に救出されて病院に搬送されました。

 

梅川も大阪警察病院に搬送されて緊急手術を受けましたが、狙撃されてから9時間後の17時43分に死亡が確認されます。

 

 

 

三菱銀行人質事件の犯人・梅川昭美の生い立ちと人物像

 

出典:https://hobby.red-cm.com/

 

梅川昭美は1948年3月1日、広島県大竹市で三菱レイヨンの工員の父と母の間に産まれました。

 

両親が40歳を過ぎてから産まれた子であったため、母親は梅川のことを非常に可愛がっていたそうです。小学校時代までの梅川は喧嘩っ早いところはあるものの、成績も中の中といったところで決して目立つ児童ではなかったといいます。

 

一方で梅川の父親は女癖が悪く、頼母子講(たのもしこう)に傾倒して闇金融からお金を借りるなどしてあまり評判の良くない人物でした。そのため1958年、梅川が10歳の時に両親は離婚。

 

この時には父親は仕事を辞めていたために生まれ育った内の大竹市社宅を出ており、父親と暮らすことになった梅川は引田町に引っ越していきました。

 

しかし、その年の12月には父親との暮らしを嫌がって大竹市で暮らす母親のもとに戻り、そこから母子家庭としての生活が始まります。

 

母親は苦しい生活ながらも息子の欲しがるものは買い与えていたといいますが、これが裏目に出てしまい、梅川は自分の願いが聞き入れられないと母親に暴力を振るうようになってしまったそうです。

 

高校は広島工業大学附属工業高等学校に進学しましたが、1年生の2学期以降は出席せず、12月には大竹市栄町に住む土建業者の妻(23歳)を滅多刺しにして殺害。現金や株券等を奪うという「大竹市強盗殺人事件」を起こして逮捕されます。

 

まだ15歳であった梅川は少年院送致となったものの、収監先の少年院では「矯正は困難。些細なことで犯罪に傾倒するおそれがあり、累犯の危険性が極めて高い」との鑑定結果が出ていたとのことです。

 

1965年に出所してからは大阪に移り住み、バーテンなどをしながら知人や町金融から多額の借金をしていたといいます。

 

なお三菱銀行人質事件で使用した猟銃は、1973年に大阪市内で購入したものであることが明らかになっています。

 

 

 

三菱銀行人質事件の動機

 

出典:https://www.youtube.com/

 

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裁判の前に犯人が死亡しており、供述も得られていないため梅川が三菱銀行人質事件を起こした動機は不明です。

 

しかし、もともとは借金返済のために現金が必要だったことから、強盗に入ったのではないかと見られています。

 

実際に梅川は立て籠もり中の1月27日の昼に男性行員を集めて「ここから強奪した金のうち、500万円で借金を返したい。が、後で警察にとられてしまったら仕方ない」として、どうすれば首尾よく借金返済ができるか相談していたといいます。

 

そして男性行員の1人から「三菱銀行側が、人質解放のお礼に自由意志で融資をしたという形式をとったらどうだろうか」と提案したことに賛成し、支店次長の決済を受けることとなりました。

 

その後、梅川は業務係長の男性行員に現金を渡して指定した人物に金を返してくるように「お使い」を命じています。業務係長も指示に従って27日中に梅川の借り入れ先を周り、5件の借金を返しました。

 

これらの行動から考えても、梅川の犯行動機の一つに借金返済があったというのは間違いないと思われます。

 

人を殺して得た金で借金を律儀に返す、という梅川の行動のアンバランスさを不気味に感じる方もいるでしょう。

 

この点には貧しかったという梅川の育ちが関わっているのではないかと思われます。

 

大竹市強盗殺人事件で逮捕された際、梅川は「俺は極貧生活を送っているのに、ぬくぬく暮らしてる奴らがいる。不公平だ」「金があるところから盗ってやろうと思ったら、そこに女がいて邪魔だった。だから殺した」と供述していたそうです。

 

少年時代の自分や母親のようにつましい暮らしをしている庶民からお金を盗むのは悪いことだが、金がたんまりある銀行に強盗に入って何が悪い、邪魔になる人間を殺して何が悪い、このような独自の思考が梅川にはあったのだと考えられます。

 

それゆえに立て籠もり中も、自分の幼年期を想起させる母子を開放したり、片親育ちの女性行員に情をかけたりしたのかもしれません。

 

なお、梅川はたいへんな読書家で自宅からは六法全書や医学書などのほか、ドストエフスキーや大藪春彦氏の小説、ヒトラーやスターリン、ムッソリーニの伝記など600冊あまりの書籍が押収されたそうです。

 

読書傾向に偏りは見られるものの、それだけ本を読んでいたのならば自分の考えを正す一冊との出会いはなかったのかと不思議でなりません。

 

 

 

三菱銀行人質事件の被害者のその後・現在

 

出典:https://plaza.rakuten.co.jp/

 

被害者の方々のその後についてですが、2014年12月13日にフジテレビ系列で放送された『報道スクープSP 激動!世紀の大事件Ⅱ~目撃者が明かす新証言と封印された極秘資料~』に、三菱銀行人質事件の被害者の方が出演されていました。

 

番組内でインタビューに応じたのは、右肩を撃たれたうえに耳を切られて重傷を負い、そのまま翌日まで耐え続けた竹内貞夫さんです。

 

事件でもっとも過酷な目に遭った人物である竹内さん。あえて番組出演に応じたのは「事件については忘れたい気持ちもあります。しかし、無軌道な若者が凶悪犯罪を起こしている現在、事件について話すことは意義のあることなのではないか」と考えた結果だといいます。

 

耳を切られるという壮絶な経験については「(耳を切った後輩の行員に対しては)よく思い切ってくれた。おかげで助かった」「声をあげたら後輩も殺されると思って、必死に堪えて死んだふりを続けた」と振り返っていました。

 

また、梅川の最期については「犯人にとってはあれで良かったのかもしれません。でも、私達からしたら納得できませんよ。きちんと法で裁かれて、死刑になってほしかった」と事件から30年が経っても遣り切れない胸の内を明かしていました。

 

 

 

三菱銀行人質事件の被害者の女性行員はストックホルム症候群だった?

 

出典:https://www.youtube.com/

 

梅川の籠城中、人質との接触を図ろうとしたり、銀行内への侵入に成功した警察官に対して「今すぐ帰って!」「来ないで!」と言っていたことから、三菱銀行人質事件の人質にされた女性行員はストックホルム症候群だったのでは?とも指摘されました。

 

ストックホルム症候群とは、拘束された犯罪被害者が長く時間や空間を加害者と共有することで、憎むべき加害者に好意や信頼の感情を抱いてしまうことです。

 

ただ三菱銀行人質事件の被害者については、床に警官や同僚行員の遺体が転がり、少しでも梅川の機嫌を損ねると自分も撃たれるという極限状態であったため、恐怖による支配に従う以外なかっただけではないのか、という見方が有力です。

 

事件解決後にインタビューを受けた女性行員も「人質同士には友情のような連帯意識があった」とは語っていましたが、梅川に対しては恐怖や憎しみ以外の感情を持っているようには見受けられませんでした。

 

 

 

三菱銀行人質事件をモデルにした映画『TATTOO<刺青>あり』

 

出典:https://www.amazon.co.jp/

 

1982年に公開された映画『TATTOO<刺青>あり』は、三菱銀行人質事件の犯人・梅川昭美の人生を描いた作品です。梅川役は宇崎竜童さんが演じています。

 

梅川の生い立ちから凄惨な事件を起こすまでの軌跡を取り上げているため、三菱銀行人質事件そのものの描写はありません。

 

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少年刑務所を出てから「30歳までになにかデカいことをしたる」と意気込み、けれど高校も中退した自分ができることは限られており、そんななかで惚れ込んだ恋人にも愛想を尽かされてしまう。

 

理想と情けない現実のギャップを埋めるために、劇中の梅川は三菱銀行人質事件に向けて破滅の道を転がり落ちていきます。

 

なお、黒スーツにハット、パーマヘアという三菱銀行人質事件での梅川の出で立ちを見て、松田優作さんを意識しているのでは?と感じた方もいるかと思います。

 

梅川は大藪春彦氏の小説を好んでいたといいますが、大藪春彦氏の代表作の一つに松田優作さん主演で映画化された『野獣死すべし』があります。

 

このあたりについても触れているシーンがあるので、梅川のファッションについて気になる方にも映画の視聴をおすすめしたいです。

 

 

 

三菱銀行人質事件の再現ドラマが放送される

 

出典:https://twitter.com/

 

2018年3月23日にTBS系で放送された「爆報!THE フライデー」では三菱銀行人質事件が取り上げられ、石垣佑磨さんが梅川役を演じる再現ドラマも放送されました。

 

再現ドラマでは三菱銀行人質事件を起こす前に梅川の恋人だった女性の1人が、実はベラミ事件で知られる鳴海清の元愛人だったとして、この女性にフォーカスした内容になっていました。

 

番組内では「新事実!」として紹介していましたが、梅川がのめり込んだ恋人は鳴海清の愛人と同一人物だったという話は事件解決後にも流れていたものらしく、毎日新聞の記者も情報を掴んでいたそうです。

 

上で紹介した『TATTOO<刺青>あり』も、恋人の影に鳴海清の存在を示唆する内容となっています。

 

また、番組では梅川と鳴海清と三角関係にあったという女性(三菱銀行人質事件当時、まだ15歳だったという)の加工された肉声が流されましたが、ネット上では「やらせではないのか?」と指摘する声が多くあがりました。

 

女性は大阪西成で生まれ育ち、現在も大阪府内でスナックを経営しているというのですが、その割にイントネーションが標準語で、30年もスナックのママをしている割には話し方も棒読みで客商売に慣れた人間とはとても思えない、というのがヤラセ疑惑が浮上した理由のようです。

 

 

 

三菱銀行人質事件をモデルにした漫画やアニメはある?

 

三菱銀行人質事件をモデルにした自作アニメや漫画調の解説動画はYouTubeにいくつかアップされていますが、アニメ制作会社が公式に事件をモチーフに作成したものなどはありません。

 

出典:https://www.shueisha.co.jp/

 

漫画については1981年に週刊少年ジャンプで連載されていた『ブラック・エンジェルズ』の第4話「黒いろう城の巻」に登場する男が、三菱銀行人質事件の犯人・梅川昭美をモデルにしているのではないかと言われています。

 

 

 

三菱銀行人質事件についてのまとめ

 

今回は1979年1月26日から28日にかけて発生した三菱銀行人質事件について、犯人の梅川昭美の人物像や生い立ち、被害者の現在を含めて紹介しました。

 

いつもと同じように出勤して働いていた行員の方々や、たまたまこの日に用事を済ませようと銀行に立ち寄った方々が想像を絶するような酷い事件の被害者となってしまった三菱銀行人質事件。

 

もっとも悔やまれるのは、なぜ少年院で「矯正不可能。累犯の危険性が極めて高い」との鑑定が出ていながら、収監から2年も経たずに梅川を社会に出してしまったのかという点です。

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