八戸市女子中学生・若花菜さん刺殺事件は1993年に発生した殺人事件で、犯人不明のまま2008年に時効を迎えています。
この記事では八戸市女子中学生刺殺事件の詳細や場所、被害者、事件のその後や真相考察について紹介していきます。
この記事の目次
八戸市女子中学生刺殺事件の概要
1993年10月27日の18時23分頃、青森県八戸市の民家で女性の刺殺体が発見されました。被害者はこの家に住む14歳の女子中学生の宮古若花菜さんで、遺体の第一発見者は被害者の母親。
物を盗られた形跡がなく室内も荒らされていなかったこと、被害者の体には大小の切り傷があり、致命傷となった刺し傷は心臓を一突きするものであったことから、怨恨による犯行と見られました。
事件が起きた民家は住宅街にあり、細い路地に建っていたとされます。さらに若花菜さんが帰宅してから母親が遺体を発見するまでの時間は、25分もありませんでした。
また、事件時には被害者宅からガラスが割れる音や悲鳴を聞いたという近隣住民や不審車両の目撃情報もあったため、当初はすぐに犯人は見つかるだろうと考えられていました。
しかし、青森県警は延べ12万人もの捜査員を投入し、重要参考人や周辺住民など約600人から事情聴取をしたにもかかわらず犯人の特定は難航。最終的に事件は迷宮入りし、2008年10月27日に公訴時効が成立しています。
八戸市女子中学生刺殺事件が起きた場所
八戸市女子中学生刺殺事件が起きた場所は、青森県八戸市城下4丁目です。
事件が発生してから30年近く経っているため、現在の地図と事件当時の地図では異なる点も少なくないでしょう。しかし公道には大きな変化はないでしょうから、上の地図からも事件現場周辺は細い路地が入り組んだ住宅街であったことがわかります。
このような場所で、しかも夕飯の準備をする家も多いであろう18時から18時半の間に殺人事件が発生し、犯人が見つからなかったというのは不思議な印象を受けます。
八戸女子中学生刺殺事件の詳細① 被害者の登校〜帰宅
事件当日の1993年10月27日の朝7時25分、被害者の宮古若花菜さんは当時通っていた八戸第二中学校に登校するために家を出ました。
その約5分後に若花菜さんの高校生の兄も学校へ行き、当時看護師をしていた母親も乗用車で出勤したとされます。母親が出勤した時点で留守になるため、玄関には鍵をかけたとのことです。
14時25分に学校の授業が終了し、掃除をしてから若花菜さんは所属する陸上部の部活動で河原を走ったとされます。部活動の時間は15時30〜17時30分で、活動時間と内容については顧問の教師が証言しています。
そして17時40分に友人2人とともに下校したのですが、この後、若花菜さんは「今日は18時に帰宅して、20分には家にいないといけないから」と言って部活帰りに立ち寄る食料品店に寄らず、17時53分に友人らと本八戸駅前で別れて1人で帰宅したのです。
若花菜さんは毎週水曜日にバレエを習っており、レッスンのある日は母親に車で送迎してもらうため18時30分前後に帰宅していました。事件が起きた10月27日も水曜日で、レッスンがあったといいます。
しかし、この日は「(18時)20分には家にいないといけない」と友人らに話し、理由を聞かれても曖昧な答えでお茶を濁しただけだったそうです。
そして18時頃、若花菜さんは帰宅したと見られます。なお、若花菜さんの帰宅を目撃した人はいませんが、通行人の証言によると17時58分には家に灯りがついていなかったとのことなので、18時過ぎに家に着いたのではないかと推察されています。
八戸女子中学生刺殺事件の詳細② 事件発生
若花菜さんが帰宅したすぐ後と思われる18時15分〜18時20分頃、宮古さん宅からガラスが割れるような音がしたといいます。この音は周辺住民によって証言されており、なんと16人もの人が聞いていたとのことです。
何事かと思って外まで確認しに行った住民もいましたが、誰もおらず、外からは異変がないように見えたといいます。また、「助けて!」という声を聞いたという住民もいました。
そして18時23分頃に母親が帰宅し、居間の横にある6畳間で若花菜さんが血を流して倒れているのを発見。母親が帰宅した時、玄関の鍵は開いていたといいます。
若花菜さんの遺体発見直後、18時25分には母親から助けを求められた近隣住民により警察に通報が入り、18時27分に119番受理。その後、事件現場に救急隊員と警察が駆けつけ、18時38分に若花菜さんの死亡が確認されました。
つまり、若花菜さんが帰宅したと見られる18時から母親が遺体を発見するまでの時間は、わずか20分程度しかなく、その間に犯人は若花菜さんを殺害して逃亡したということになります。
また、後述しますが警察の捜査の結果、18時15分から20分の間に周辺の住民が聞いたと証言している「ガラスが割れる音」は、犯人ではなく若花菜さんが玄関のガラス戸を割ったときに発生した音と推察されています。
そのため若花菜さんの殺害は、ガラスが割れる音がしてから母親が帰宅するまでの5分前後の間におこなわれた可能性が高いとされました。
八戸女子中学生刺殺事件の詳細③ 被害者の遺体と事故現場
母親が発見した若花菜さんの遺体は、極めて悲惨な状態でした。若花菜さんの遺体と事故現場は以下のような状態だったといいます。
・若花菜さんは手足を粘着テープで縛られ、口にも粘着テープが貼られていた
・若花菜さんは上半身に中学校のジャージとパーカーを着ていたが、下半身は裸で座布団を被せられていた
・犯人が脱がせたものと思われる下着やズボンは、若花菜さんの遺体の横に置かれていた
・性的暴行の形跡はなかった
・若花菜さんの遺体には左首など全身の数カ所に刺し傷や切り傷が見られた。致命傷は心臓を貫通するほど深い刺し傷と見られ、死因は失血死
・玄関のガラス戸が割られていた。ガラス片が外に向かって散っていることから、家の内側から割られたものと思われる
・若花菜さんの膝には浅い切り傷があり、これは犯人から逃げようとして膝で玄関のガラス戸を蹴って割った際に負ったと見られる
・遺体が発見された6畳間以外で血痕があったのは玄関近くの廊下だけだった
・遺体発見時、玄関ドアのほか居間、風呂場の脱衣所、玄関近くの3箇所の窓が施錠されていなかった
出典:http://hachinohe-konjaku.blogspot.com/
上は事故現場となった宮古さん宅の見取り図です。宮古さん宅は平屋で、若花菜さんの遺体が発見された6畳間から玄関に行くには、居間と廊下を必ず通る必要があります。
廊下に残された血痕と割れた玄関のガラス戸から、若花菜さんは玄関まで逃げてガラス戸を割ったところで犯人に捕まり、6畳間に引き戻される間に心臓を刺されたと推察されました。
またガラスが割れるとともに「助けて!」という声を聞いたという住民の証言もあるため、若花菜さんはガラス戸を割って逃げようとした直後(18時15分から20分以降)に粘着テープで拘束されたものと見られます。
八戸女子中学生刺殺事件の詳細④ 遺留品
事件現場には犯人の遺留品と思われる以下のものが残されていました。
・粘着テープ
・煙草の吸殻2本(マイルドセブン)
・灰皿代わりの缶コーヒーの缶
粘着テープは布製のもので、若花菜さんの拘束に使ったものの残りが6畳間の隣にある居間のコタツの上に置かれていました。
なお、宮古さん宅の周辺で事件当時に布製の粘着テープを販売していたのは、本八戸駅前のスーパーだけだったといいます。
スーパーの販売記録から、事件当日の午前中に布製の粘着テープを買いに来た中年男性がいることが明らかになったとの報道がありましたが、続報がないことからこの男性は事件とは無関係であったと思われます。
また事件時、宮古さん一家は父親が単身赴任中で長男はすでに独立しており、母親と高校生の次男、若花菜さんの3人暮らしでした。そのため家にタバコを吸う者はおらず、吸い殻は犯人のものとされています。
タバコの吸殻には唾液も付着しているため重要な物証になるのでは?と思われますが、当時の青森県警では唾液によるDNA鑑定はおこなっていなかったため、有力な証拠にはならなかったとのことです。
2本のタバコについた唾液からは同じ血液型が検出されたため、同一人物が吸った可能性が高いと発表されましたが、何型の血液型が検出されたのかは報じられませんでした。
なお、遺留品から犯人の指紋が検出されず、指紋を拭き取って立ち去った、もしくは手袋をして犯行に及んだものと思われます。犯行時間の短さから考えて、手袋をしていた可能性が高いと考えられるでしょう。
八戸女子中学生刺殺事件の詳細⑤ 不審者の目撃情報
事件当日の18時30分頃、宮古さん宅の斜め後ろにある駐車場から見かけない車が立ち去るのを目撃したという周辺住民がいました。
住民によると不審車両は黄色の三菱ミニカトッポで、珍しい色であったため若花菜さんの母親も「事件が起こる前から駐車場に停めっぱなしになっていた」と証言しています。
この車両は事件前の8月から無断駐車されていたそうですが、事件直後に急に駐車場を出て走り去っていったことから、警察はこの車の持ち主が事件に関与している可能性が高いと見て捜査を開始しました。
しかしその後、同型・同色の車およそ680台を捜査したとされますが、事件後に走り去った車両は見つかりませんでした。
また運転手や持ち主についても、近隣住民の証言からミニカトッポを運転していたのは白いシャツを着た若い男だったことがわかっただけだといいます。
八戸女子中学生刺殺事件の真相の考察① 犯人とは顔見知りだった?
宮古さん宅に犯人が入ったときに大きな物音や叫び声などがしなかったことから、犯人は玄関から招かれる形で家にあがったものと思われます。
また若花菜さんが事件当日に友人に対して「用事があるから、18時20分には家にいないといけない」と言っていたことから、事前に犯人と自宅で会う約束をしていた可能性も考えられます。
このことから犯人は若花菜さんの顔見知りだったのではないかと考えられますが、一体どのような人物だったのでしょうか。犯人の考察としてあげられるのが、次のような人物です。
・未成年者の知人
・援助交際の相手
・母親の不倫相手
警察は若花菜さんの友人や同級生らにも聞き込みをおこなっていますが、協力的な家庭ばかりではなかったようです。なかには「うちの子が犯人だとでも言うのか!」などと激高して話をしてくれない親もいたといいます。
また八戸女子中学生刺殺事件の時効が成立したことについて、警察関係者からは「事件の捜査の基礎段階ですべり(捜査上の見落とし、ミス)があったのではないか」とも指摘されています。
この「すべり」が、「被害者の同級生や未成年の知人が、たいした恨みもなく、このような凄惨な事件を起こすはずがない」という警察の思い込みだった場合、同級生らへの聞き込みが簡易なものになってしまい、事件の真相にたどり着けなかったのでは?とも考察されているのです。
ほかに、犯人が若花菜さんの援助交際の相手や母親の不倫相手など、公には関係が出てきづらい人物だったのではないか?という説もあります。
たしかに援助交際の相手や母親の不倫相手と会う約束をしていたとしたら、用事の詳細を友人に明かしたがらなかったという点も納得いきます。
しかし、宮古さん宅がある場所は住宅密集地のため、父親や兄以外の男性が家に出入りしていたとしたら、近所の誰かが目撃していそうなものです。
また不倫や援助交際の有無などは警察が入念に調べているでしょうから、中学生の若花菜さんに警察の捜査線上には出てこない秘密の交友関係があったとは考えにくい気がします。
八戸女子中学生刺殺事件の真相の考察② 犯人は知り合いを装った不審者
犯人は若花菜さんの家族の知り合いを名乗る不審者だったのではないか?との考察もあります。
とくに単身赴任中の父親や独立している長男の知り合いだと名乗れば、会ったことがなくても若花菜さんを信用させることができたはずです。
最初は強姦目的で家に上がり込み、タバコを吸って話をしながら安心させたところで拉致をしようと襲いかかり、抵抗されたために殺害した、というのが知り合いを名乗る不審者が犯人であった場合に考えられる犯行動機です。
家族の知り合いと家で会う約束をしていたのなら、少なくとも母親にはその旨を伝えているのではないか?という点が気になりますが、事件当日、若花菜さんの家にはバレエの発表会の衣装が届く予定だったため、友人に言った「用事」とは発表会の衣装に関係することだった可能性も考えられます。
そのため若花菜さんの用事は事件とは無関係で、前々から若花菜さんに目をつけていた不審者が母親の帰宅時間などを推測し、彼女が1人でいるうちに拉致をしようとして殺害してしまったのではないか、と考えられます。
八戸女子中学生刺殺事件の時効とその後
2008年10月27日、八戸女子中学生刺殺事件は犯人不明のまま殺人罪での公訴時効を迎えることとなりました。翌11月の5日には容疑者不詳のまま書類送検となり、17日に時効完成により不起訴処分の決定がされ、捜査は完全に終了しています。
また、時効が成立した後、若花菜さんの兄は「この15年間、捜査を続けてくれた警察の方、若花菜を忘れずにいてくださった方、私達を育ててくださった城下4丁目の皆さんに感謝しています」という旨のコメントを発表しました。
八戸女子中学生刺殺事件についてのまとめ
今回は1993年10月27日に発生し、犯人不明のまま時効を迎えた八戸女子中学生刺殺事件の詳細や真相考察について紹介しました。
若花菜さんの兄のコメントからも窺えるように、宮古さん宅がある住宅街は比較的、住民同士の関係が密な地域だったのではないかと思われます。そのような場所で短時間に犯行がおこなわれていながら、犯人の手がかりさえ見つからずに事件は時効を迎えることとなりました。
遺族の方や中学生にして命を奪われてしまった若花菜さんの無念を思うと、遣り切れません。若花菜さんのご冥福をお祈りします。