碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件は1998年に発生した殺人事件で、後に闇サイト殺人事件を起こす堀慶末による犯行でした。碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件の詳細や動機、被害者と犯人の関係、場所、判決、遺族や子供のその後や現在について紹介します。
この記事の目次
- 碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件の概要
- 碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件が起きた場所
- 碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件の詳細① 堀慶末(金慶末)の人物像
- 碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件の詳細② 犯行動機・犯人と被害者の関係
- 碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件の詳細③ 事件当日
- 碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件の詳細④ 事件の発覚と迷宮入り
- 碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件の詳細⑤ 犯人逮捕
- 碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件犯人の堀慶末(金慶末)の余罪
- 碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件の裁判と死刑判決
- 碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件のその後① 犯人の現在
- 碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件のその後② 被害者遺族・子供の現在
- 碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件についてのまとめ
碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件の概要
1998年7月4日深夜から翌日未明、にある馬氷一男さん(当時45歳)の自宅で、強盗殺人事件が発生しました。
被害者となったのは一家の主でパチンコ運営会社の営業部長であった馬氷一男さんと、妻の里美さん(当時36歳)です。
2人は前月の6月29日に、愛知県碧南市油渕町にある自宅から姿を消していたとされます。
被害者宅には馬氷さん夫婦が犯人に食事を提供していた形跡があったため、当初から警察は知人による犯行とみて捜査を続けていました。
しかし、交際関係をあたっても怪しい人物は浮上せず、碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件は迷宮入りが危ぶまれていました。
そんななか、9年後に別の殺人事件で逮捕された男が犯人だったことが発覚します。
2007年に名古屋市内で発生した「闇サイト殺人事件」の犯人として逮捕された堀慶末(ほり よしとも)が、金欲しさに馬氷さん夫婦も殺害していたのです。
堀慶末は2人の知人とともに馬氷さん宅で夫婦を殺害して金品を奪い、遺体を被害者の車で家から運び出したうえで、車ごと路上に放置して逃げ去っていました。
このことが明らかになったのは闇サイト殺人事件の犯人として堀慶末が逮捕され、裁判で無期懲役の判決を受けた後でした。
しかし、服役中に碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件ともう一件、強盗致傷事件を起こしていたことが明らかになり、堀慶末は再逮捕されて再び裁判にかけられます。
そして下された判決は、死刑。金欲しさに次から次へと何の落ち度もない人たちを手にかけてきたわけですから、当然の判決です。
なお、碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件では、被害者夫婦の子供が両親を奪われてからの壮絶な人生を明かしており、遺族、とくに被害者遺児への救済のあり方についても議論を呼びました。
碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件が起きた場所
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事件直後に『中日新聞』などで報道されていた情報によると、碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件の現場となった場所は碧南市油渕町4丁目28ー1とのことです。
被害者となった馬氷さんは、1998年頃にこの土地に家を買って一家で引っ越してきたといいます。
事件後、遺された子供たちは親戚に引き取られていき、家は空き家のまましばらく放置されていたそうです。しかし、2011年になって取り壊され、現在は別の建物が建っています。
なお、この「碧南市油渕町4丁目28ー1」の住所は事故物件公示サイト「大島てる」にも登録されています。
碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件の詳細① 堀慶末(金慶末)の人物像
碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件を起こした堀慶末は、1975年4月29日に岐阜県で誕生しました。
父親は在日朝鮮人で母親は日本人という家庭環境で、堀慶末の本名は「金慶末」といいます。在日韓国人であることと本名については、堀慶末自身が手記『鎮魂歌』のなかで明かしていました。
堀慶末の幼少期は恵まれていたとはとても言い難いもので、父親の浮気が原因で両親は喧嘩が絶えなかったうえ、家庭内暴力も横行していたといいます。
幼い堀慶末も父親に殴る蹴るの暴行を受けており、堀が小学校に上がる頃には父親が浮気相手を選んで家を出たために両親は離婚。4人の兄とともに母親に引き取られ、兄弟は帰化しました。
その後、小学校4年生になる頃に父親が堀慶末らが住んでいた家(父親の実家)や仕事道具であったダンプカーなどを勝手に売却し、暴力団組員になったため、母子は愛知県名古屋市内に引っ越します。
引っ越した先の小学校ではサッカーに打ち込み、中学では硬式テニス部に所属するなどして、一見普通の生活を送っていたような堀慶末。
しかし、中学時に実の兄の誘いでアルバイトをして大金を稼いでから、徐々におかしくなっていったといいます。
兄が誘ったのは外壁工事のアルバイトだったのですが、最初こそ「部活で使うラケットが欲しい」という理由で働きだしたものの、予想外の収入を得たことで金遣いが荒くなってしまったのです。
中学卒業後は定時制高校に進学しますが、学校が楽しくないという理由ですぐに自主退学。兄の仕事を手伝い、未成年でありながらスナックに入り浸るという生活を始めたといいます。
17歳で結婚
高校を中退した堀慶末は、17歳で地元のスナックのホステスと結婚しました。結婚の理由は相手の女性が妊娠したからというもので、堀と妻の間には息子が誕生します。
しかし、結婚して子供が生まれても堀慶末は飲み歩くことをやめず、父親と同じく不倫をするように。
子供が生まれた翌年の1994年、兄たちの会社を辞めて「ヨシトモハウス」という自分の会社を設立します。主な仕事は兄たちの仕事の下請けだったそうです。
一方、私生活では妻との間に2人目の子供が誕生。堀慶末の浮気癖が直って夫婦仲も良くなったのかと思いきや、この頃には堀は以前に不倫相手とは別れて他の女性と付き合っていました。
しかも、このことが妻にバレてしまい堀は家を追い出されます。これが1996年頃の出来事で、兄の会社に転がり込んで寝泊まりするようになりますが、仕事はせずに借金をして遊び歩くようになっていきました。
不倫相手の金を盗むなどもしていたといい、この頃には窃盗への罪悪感が薄くなっていたことが窺えます。
碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件の詳細② 犯行動機・犯人と被害者の関係
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働かず、借金を繰り返していた堀慶末。碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件も金目当ての犯行でした。
家を追い出された後、1~2年は借金をして生活していた堀でしたが、1998年5月頃になると自転車操業で借金を返すのも苦しくなっていました。
くわえて仕事に使うという名目で、兄たちの会社からお金を借りて車を購入していたのですが、このローンの返済にも窮するようになっていたといいます。
比較的温和な性格だという次兄から「来月までに残っているローンの残金・約100万円を全部返せ」と言われた堀慶末は、兄のあまりの剣幕に恐ろしくなってなんとか金を用意しなくてはと焦るようになりました。
そこでまず思いついたのが、パチンコ店への強盗でした。堀は実際にいくつかのパチンコ店へ下見に行きましたが、どこも警備が厳重でとても1人で強盗に入れる様子ではありません。
そのため堀慶末は、仕事を通して知り合った佐藤浩という男に一緒に強盗をしないかと持ち掛けます。
佐藤浩は薬物犯罪で逮捕された前科持ちであり、強盗の誘いにも応じるだろうと考えたのです。
案の定、佐藤は誘いに乗ってきたため、2人は数件のパチンコ店に下見に行き、尾張旭市にあったパチンコ店に目をつけました。
この店の店長こそ、碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件の被害者である馬氷さんだったのです。
閉店後に軍手やビニール紐などの道具を用意して、再び尾張旭市のパチンコ店にやって来た2人でしたが、この日は従業員が遅くまで残っていたために強盗を断念。
後日、葉山輝雄という佐藤の仕事仲間も強盗に誘ってパチンコ店を観察し、店が月曜定休であることと、普段は住み込みで働いている店長の馬氷さんが、日曜の営業終了後には必ず帰宅することを突き止めます。
これを知った堀慶末は、セキュリティが厳重なパチンコ店よりも店長の自宅に強盗に入ったほうが効率が良いと考えました。
実際に馬氷さんは当時、所有している人が少なかった高級車・レクサスに乗っていたうえ、近所でも裕福な一家として有名だったそうです。
つまり、堀慶末と被害者一家には何の接点もなく、たまたま目をつけられたパチンコ店の店長だったというだけで馬氷さん夫婦は殺害されてしまったのです。
碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件の詳細③ 事件当日
帰宅する馬氷さんの跡をつけた堀らは自宅の場所を突き止め、電話帳で電話番号を調べてアンケート調査を装って電話をかけて家族構成などを調べました。
当時は公衆電話などに備え付けられている電話帳に、一般家庭の家の電話番号も掲載されていましたから、住所と世帯主の名前さえわかれば簡単に電話番号を調べることができたのです。
馬氷さんには妻と8歳と6歳の2人の子供がいることを知った堀らは、1998年6月28日の正午頃に名古屋を出て碧南市油渕町へ向かいます。
この日の日中は馬氷さんは仕事で在宅しておらず、妻と子どもしか家にいないであろうことを知っていた3人は、馬氷さんの知人だと偽って家にあげてもらおうと計画していました。
車を降りた3人は、トランクから包丁や粘着テープ、軍手などを取り出して馬氷さん宅に向かい、17時頃にインターフォンを押したとされます。
しかし、誰も応答しなかったため玄関ドアに手をかけてみたところ、鍵はかかっておらず、簡単に家に侵入した3人は、2階にあがっていきました。
この時、馬氷さんの妻の里美さんは、2階で洗濯物を干していました。見知らぬ男が家に入ってきたことに驚いた里美さんは悲鳴を上げようとしますが、堀慶末がすかさず里美さんの口を抑えてそれを阻止。
そして、怯える里美さんに「私たちは馬氷さんの知り合いです。ヤクザと揉めて追われていて、馬氷さんに助けてもらいたくて来たんです。匿ってもらえませんか?」と言ったそうです。
明らかにおかしな言い分でしたが、この時、家には里美さんのほかに小学生の子供たちもいました。
そのため下手に刺激して子供に手を出されるようなことがあったら、と危惧した里美さんは堀慶末の作り話を信じたふりをして、「そういうことなら」と3人を1階の和室に通して酒や食事を提供したとされます。
馬氷里美さん殺害
堀たちが飲食をしている様子をしばらく見ていた里美さんは、「ヤクザに追われているのなら、私の親戚の警察官に相談してみましょうか」「家にいるよりも、近くの交番に行った方が安全ですよ」と声をかけ、なんとか3人に家から出て行ってもらおうと試みたそうです。
やんわりと「家の近くには交番がある」ということを示唆して、いかにも怪しい3人を出て行かせようという思惑もあったのかもしれません。
交番が近いという里美さんの言葉が気になった堀慶末は、1人で家を出て近所にある碧南警察署の西端駐在所の場所を確認しに行きました。
そして堀が交番から見えない場所に自分たちの車を移動して馬氷さんの家に戻ると、なんと佐藤と葉山が里美さんを絞殺していたのです。これが28日の20時過ぎ頃の出来事と見られています。
里美さんの遺体を見た堀慶末は、共犯の2人に家のなかを物色して金目の物を集めるように指示。
そして里美さんの財布から現金約60,000円を抜き取り、押し入れにあった金庫も回収しました。
帰宅した馬氷一男さんも殺害
堀ら3人は里美さんの遺体を放置して、家のなかを物色していました。そんななか、日付が変わり、29日の午前1時頃に馬氷さんが帰宅します。
帰宅早々に1階で里美さんの遺体を発見した馬氷さんはすぐに2階にあがり、子どもたちが無事なのを確認。
この時、8歳の長男は寝室で寝ており、6歳の次男は同じく寝室のクローゼットに隠れていたそうです。
馬氷さんは長男を起こして、家で何が起きたのかを簡単に聞いた後「お父さんは警察に連絡してくる」と言い残し、再び1階に降りました。
しかし、リビングに向かう途中に風呂場に隠れていた3人に襲われて、馬氷さんも絞殺されてしまいます。
馬氷さんの遺体を遺棄
馬氷さんの遺体からパチンコ店の鍵束やアクセサリーなどを奪い取った3人は、先ほど物色して見つけた金庫と現金60,000円、馬氷さん夫婦の遺体、馬氷さん宅で使った食器や煙草の吸殻などをすべて外に運び出しました。
そして馬氷さんのレクサスのトランクに夫婦の遺体を入れて4㎞ほど離れた路上に車ごと放置して、遺棄したとされます。
その後、3人は自分たちが名古屋から乗って来た車で現場から立ち去り、尾張旭市にある馬氷さんが店長を務めていたパチンコ店に向かいました。
パチンコ店に着くと馬氷さんから奪った鍵束を使って店に侵入しようとしましたが、店の入り口にある防犯装置に気づいて断念。
結局、目的だったパチンコ店に強盗に入ることはできず、そのまま帰宅することにしたといいます。
名古屋に戻った堀慶末らは、馬氷さん宅から盗んできた金庫をバールでこじ開けましたが、中に入っていたのは預金通帳1通のみだったそうです。
つまり、この事件で堀ら3人が手にしたものは現金合計60,000円ほどと、アクセサリーだけでした。
それだけのために何の罪もない馬氷さん夫婦を殺害し、まだ幼い2人の子供から両親を奪ったのです。
碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件の詳細④ 事件の発覚と迷宮入り
馬氷さん夫婦が殺害された翌朝の6月29日、8歳の長男が「お父さんとお母さんがいなくなってしまった」と親戚に連絡したことで、事件が発覚します。
親戚が碧南警察署に捜索願を出したところ、子供を置いて深夜に夫婦が家を出て行く動機がないと判断した愛知県警は、事件性を疑いただちに捜査を開始しました。
そして事件の翌月の7月4日、碧南市から車で15分ほどの場所に位置する高浜市内の路上に違法駐車されていたレクサスのトランクから、男女の腐乱死体が発見されたのです。
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その後の調べで5日には男性の遺体が馬氷一男さんであること、6日には女性の遺体が馬氷里美さんであることが判明し、愛知県警は特別捜査本部を設置して夫婦を殺害した犯人を捜しました。
遺体が見つかっても犯人は見つからず
愛知県警は当初、碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件は顔見知りによる犯行だと見て捜査をしていました。
というのも、堀慶末らは馬氷さん宅から自分たちが使った箸や煙草の吸殻などを持ち去っていたのですが、食べた枝豆の皮や食事の皿などはそのまま残してきたため、犯人は馬氷さんの家に押し入ったのではなく、家主の了承を得て家にあがったと考えられたからです。
しかし、どれだけ調べても馬氷さん夫婦の周囲に怪しい人物はおらず、現場に残った食器からも犯人の指紋は検出されませんでした。
枝豆の皮には犯人のものと思しき唾液がついていましたが、当時の技術では唾液からのDNA型鑑定は難しく、捜査は難航したといいます。
ただ、捜査員らは「今の時点では不可能でも、将来的にDNA鑑定が可能になるかもしれない」という希望から、現場に残された枝豆の皮や食器を冷凍保存することにしました。これが後に事件を解決する糸口となったのです。
碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件の詳細⑤ 犯人逮捕
このまま時効が成立してしまうのかと思われた2011年、愛知県警は再び特別捜査本部を設置して、碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件の本格的な再捜査に乗り出します。
これは2010年に殺人事件の時効が撤廃されたことを受けての判断で、この頃には唾液からのDNA鑑定も可能になっていました。
こうして捜査本部が証拠として保存しておいた枝豆の皮を詳しく鑑定したところ、ある人物と一致するDNAが検出されます。
その人物こそ、2007年に名古屋で発生した闇サイト殺人事件で無期懲役の判決を受け、すでに服役中であった堀慶末だったのです。
堀が事件に関与していることを突き止めた捜査員らは、堀の交友関係を徹底的に洗い出して共犯者を探しました。
そうしてまず、佐藤浩の存在が浮上。この時、佐藤も薬物犯罪で服役中であったため警察はすでに彼のDNAを入手していました。
佐藤のDNAも枝豆の皮から検出されたものと一致したことから、捜査員は取り調べを行い、佐藤から3人目の共犯者である葉山輝雄の情報を得ます。
こうして2012年8月3日の未明、碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件の犯人3人が全員逮捕されるに至ったのです。
碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件犯人の堀慶末(金慶末)の余罪
逮捕された2日後の8月5日には、堀、佐藤、葉山の3人は強盗殺人で起訴されることとなりました。
こうして裁判が始まるのですが、碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件の主犯である堀慶末は闇サイト殺人事件、森山事件という2つの事件にも関与しており、それが本件の判決にも影響を及ぼしています。
ここでは碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件の裁判にも大きく関係した、2つの事件について簡単に紹介していきます。
守山事件
碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件を起こした後も堀慶末は真面目に働かず、妻からも三下り半を突き付けられて離婚されており、仕事を斡旋してくれていた兄たちとの仲も悪化していたといいます。
そんな堀が遊ぶ金欲しさに目をつけたのが、過去に外壁工事の仕事で家を訪れたことがある高齢女性でした。
女性は名古屋市守山区脇田町で暮らしており、1人暮らしで経済的にも余裕があるように見えたといいます。
彼女の家なら簡単に押し入ることができると考えた堀慶末は、碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件の共犯者である佐藤浩を誘い、2006年7月20日に犯行に及びます。
外壁工事で家を訪問したことがあった堀は、定期点検に来たと偽って難なく女性の信用を得て、招かれる形で家にあがり込みました。
そして玄関のドアを閉めるやいなや佐藤と2人で女性を脅してガムテープで拘束し、家のなかを物色して現金や金庫など総額400,000円相当を盗んで逃走したのです。
被害者の女性はその後、なんとか隣人に助けを求めて警察に通報してもらい、命に別条なく保護されました。
この事件も碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件の犯人が堀ら3人だと確定した後に、堀と佐藤の犯行であったと判明しました。
闇サイト殺人事件
碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件、守山事件と2件の事件を起こした後も、堀慶末は複数の女性と関係を持ち続け、だらしない生活を続けていました。
この頃の堀は趣味のダーツでプロを目指していたとのことですが、まともに働いていなかったために借金は膨れ上がり、返済不能に陥っていたといいます。
そんな堀が目をつけたのが、「闇の職業安定所」というサイトを通じて違法行為をして金を稼ぐという行為でした。
このサイトで神田司、川岸健治という人物と知り合った堀は、2007年8月24日深夜に、名古屋市千種区内の路上で帰宅途中であった会社員の磯谷利恵さんを拉致して殺害。
奪ったキャッシュカードで現金の引き出しを試みましたが、殺害する前に磯谷さんから聞き出した暗証番号が虚偽のものだったため、1円も引き出せずに終わりました。
この事件では共犯者の1人であった川岸が自首したことから、すぐに堀も逮捕・起訴されています。
裁判で堀は涙を流して反省していると訴え、また被害者の遺族に手紙を出そうとするなどしていました。
そのため一審では死刑判決が言い渡されたものの、被害者が1人でかつ反省が見られるという点から控訴審では無期懲役に減刑されたのです。
なお、堀慶末は無期懲役の判決が出た後はいっさい被害者遺族に連絡を取らなくなり、以降は謝罪もせず、自分の口からは守山事件のことも、碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件のことも話しませんでした。
碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件の裁判と死刑判決
碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件の主犯である堀慶末の初公判は、2015年10月29日に名古屋地裁で開かれました。
逮捕後の取り調べでは馬氷さん殺害を認めていた堀でしたが、裁判になると一転して殺意はなかったと訴え始めました。
取り調べでは「紐で絞殺した」と供述していたにもかかわらず、「叫ぼうとした馬氷さんの頭にバスタオルを被せて争っているうちに、窒息させてしまった」と言い出したのです。
また、里美さん殺害についてはいっさい関与していない、戻ったら佐藤と葉山が勝手に殺害していたと訴え、自分は積極的に殺人には関わっていない、強盗殺人ではなく強盗致死だと主張。
しかし、公判には共犯者の佐藤も証人として出廷し、「事件当夜、堀から『自分が戻るまでに里美さんを殺しておけ』と命令された」と証言して意見が対立しました。
この裁判では守山事件に関する審理も行われたのですが、犯人が2件の強盗殺人を犯している堀であることが発覚したことから、守山事件は強盗致傷ではなく、強盗殺人未遂として扱われていました。
ところが守山事件についても、堀は「佐藤が女性の首を絞めようとしたため、止めに入った」と自分には殺意はなかったと言い張ったとされます。
こうして検察側と堀慶末の主張が対立するかたちで公判は15回も重ねられましたが、2015年12月15日に名古屋地裁が掘に下した判決は死刑でした。
裁判長は堀の主張を退け「犯行は常に堀の主導で行われており、堀の指示なく佐藤と葉山が里美さんを殺害したとは考えにくい」と断定。
さらに「2人の子供の身を案じながら息絶えた被害者夫婦の無念は察するに余りある」「金銭目的にこれだけ残酷なことをしておきながら、反省も見られない」と、更生の余地がないことを指摘しました。
この判決に納得がいかなかった堀は減刑を求めて控訴しましたが、2016年11月8日に名古屋高裁は控訴を棄却。
さらに最高裁に上告したものの最高裁も2019年7月19日に上告を棄却し、堀慶末の死刑が確定しました。
共犯者たちへの判決
碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件の共犯者である佐藤浩と葉山輝雄に対しては、それぞれ無期懲役の判決が言い渡されています。
佐藤と葉山も馬氷さん夫婦殺害と強盗に積極的に加担したのだから、同じく死刑でも良いのではないかと憤ってしまいますが、佐藤と葉山はあくまでも堀の指示に従った従犯だったと判断されました。
従犯者に対しては裁判で主犯(正犯)より減刑されることが多く、堀の誘いや計画がなければ2人は事件を起こさなかった可能性が高かったという点から、無期懲役となっています。
碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件のその後① 犯人の現在
堀慶末は2024年2月現在も名古屋拘置所に収監されており、まだ死刑は執行されていません。
闇サイト殺人事件で無期懲役判決を受けてからは死刑囚表現展に出展を続け、2019年には手記『鎮魂歌』を出版するなどしていますが、自分の行いを反省している様子は見受けられません。
また、2019年から2021年にかけて収監後からやり取りをしていたシスターとの手紙のやり取りを禁止されたことを不服として、国家賠償請求訴訟を起こしています。
2023年には堀の訴えが認められて330,000円の支払いが命じられましたが、ことの是非はさておき、堀が金目的で3人もの人を殺めていることを考えると、死刑判決を受けてもまだ金かと苦々しい気持ちにさせられます。
碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件のその後② 被害者遺族・子供の現在
碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件の被害者となった馬氷さん夫婦には、8歳と6歳の子供がおり、彼らは両親が殺害された時に現場となった自宅にいたとされます。
遺された子供たちの生活については、次男の貴成さん(JINさん)は、2023年にYouTubeチャンネルの『街録ch ~あなたの人生、教えて下さい~』に出演して明かしているのですが、その内容があまりにも悲惨すぎて話題を呼びました。(現在、動画は非公開)
JINさんは母親の里美さんが殺害される瞬間を目撃してしまったといい、その後は犯人らに寝室のクローゼットに押し込められてから記憶が途絶えているのだと語っています。
両親の死が判明してからは親戚の家を転々とし、世話を申し出た親戚は両親の遺産目当てであったり、まったく自分たち兄弟に無関心であったりと、寄り添ってくれる大人がいない過酷な環境で育ったそうです。
幼かった兄弟に残された6000万円もの遺産も、祖母や親族によって使い込まれてしまいました。
成長してからは学生時代の恋人と結婚して自分で会社を立ち上げ、子供も誕生して幸せな時期もあったものの、統合失調症に苦しめられて「盗め」という幻聴に苛まれるように。
ついに窃盗に手を出して逮捕され、妻とも離婚して会社もたたむことになってしまったといいます。窃盗で逮捕されたことが原因で、唯一苦しみを分かち合えた兄との間にも溝ができてしまったとのことです。
JINさんは現在も統合失調症と事件によるPTSDに苦しめられながら生活を続けており、それでも「母親が命がけで守ってくれた命なので、誰かの役に立ちたい」として、不遇な家庭環境から道を外れてしまう少年少女の支援活動をしたいと考えているそうです。
法律で決められたこととはいえ、犯人の堀慶末には最高裁まで上告する権利を与えたうえ、賠償金まで渡したというのに、被害者であるJINさんたち兄弟は大人に利用されて苦しんでいたことがわかります。
これを理不尽だ、税金の使い方がおかしいと感じた人は多かったようで、インタビュー動画のコメント欄でも、被害者遺族を守るための精度を充実させるべきではないのかとの声が多くあがりました。
碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件についてのまとめ
今回は1998年6月に発生した碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件について、犯人の生い立ちや動機、判決、被害者遺族のその後などを中心に紹介しました。
一家の大黒柱が真面目に働いていただけなのに、単にお金を持っていそうだからという理由で、平和に暮らしていた家族が滅茶苦茶にされてしまった碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件。
遺族のJINさんによると、堀は「刑務作業の賃金を送ります」と連絡しておきながら、1円も送金してきたことはないそうです。なんとも暗澹たる気持ちにさせられます。