マクマーティン保育園裁判は、1984年から1990年の間に起きたとされる幼児、児童の性的虐待事件に関する裁判です。この記事では最悪の冤罪事件・マクマーティン保育園裁判について、犯人の汚名を着せられた被害者のその後、現在もふくめて紹介します。
この記事の目次
マクマーティン保育園裁判の概要【史上最悪の冤罪事件】
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マクマーティン保育園裁判とは、1984年から1990年の間にアメリカでおこなわれた児童の性的虐待事件に関する裁判です。
1984年、389人もの子どもと保護者たちが「先生に悪魔崇拝の儀式を受けさせられた」「体を触られた」等と証言したことから、ロザンゼルスのマクマーティン保育園で働く25歳の青年と保育園関係者らが逮捕されました。
しかし、6年間も裁判を続けた結果、実際には性的虐待の犯人として槍玉にあげられた青年は無罪であったことが判明。それどころか性的虐待自体が、子ども達がセラピーで植え付けられた架空のもので、存在しなかった可能性さえ明らかになったのです。
この裁判にはアメリカの刑事裁判史上もっとも高額となる1500万ドルが費やされ、史上最悪の冤罪事件として知られています。
マクマーティン保育園裁判の経緯① 性的虐待事件の通報
事件のきっかけはロサンゼルスのマンハッタンビーチにある有名プリスクール、マクマーティン保育園に子どもを預けている母親、ジュディ・ジョンソンからの「息子が保育園で性的虐待を受けている」との通報でした。
ジュディ・ジョンソンは2歳の息子の肛門周辺が腫れているのを不自然に感じ、保育園での虐待を疑ったといいます。
1980年代に入ってアメリカでは幼児や児童への性的虐待の問題が表面化し、子どもへの性的虐待の大規模調査がおこなわれて関心が高まっていました。そのため、母親からの通報を受けた警察もすぐに捜査に乗り出したとされます。
そして捜査の結果、1983年9月7日に保育園職員のレイモンド・バッキー(事件当時25歳)が逮捕されました。
レイモンドはマクマーティン保育園の園長の孫であり、内向的ながら真面目で、子どもや保護者から人気の高い保育士だったといいます。
レイモンドは無実を訴え、また決定的な証拠もなかったためにこの時は即日釈放されます。
しかし翌日の9月8日になって、警察はマクマーティン保育園に子どもを通わせる保護者や卒園生の親に対して、以下のような内容の手紙を配布したのです。
・マクマーティン保育園の園長の孫であるレイモンドは、9月7日に児童への性的虐待の疑いで逮捕されました。
・子どもたちがレイモンドのターゲットになっています。裸の写真を撮られた子もいます。
・昼寝の時間にレイモンドに連れ出されたことはないかなど、不審な経験はないかお子さんに聞いてください。
・レイモンドやお子さんにについて思い当たることがあれば、何でも警察に情報提供してください。
手紙はおよそ200世帯に配布されたといいます。このような手紙が警察から渡されれば、これまで保育園に対して全幅の信頼をおいていた親たちも、不安からレイモンドを疑うようになってしまいます。
当然ながら保護者たちは警察に問い合わせをして、手紙について尋ねました。この問い合わせに対して警察は「不安があるなら、ここで話を聞いてもらったらどうか」と国際児童研究所(CII)を紹介したのです。
CIIは、ロサンゼルス最大の被虐待児の治療施設とされています。
そこで人形劇などを見せられ、セラピストから虐待はなかったのか話すように促された子どもたちは、実際に自分が経験していない劇の内容を架空の記憶としてそのまま話すなどしてしまい、3ヶ月のセラピー期間の間に400人近い子どもが「マクマーティン保育園で変な経験をした、怪しい現場を見た」と証言しだしたのです。
さらに1984年2月になるとマスコミがこの件を大々的に取り上げ、「60人以上の子どもが性的虐待の被害に遭った」「保育園職員らが子どもの目の前で小動物を殺害し、園内での出来事を話したら『同じように殺してやる』と脅されたと言っている」など、報道内容は加熱していきました。
マクマーティン保育園裁判の経緯② 犯人・レイモンドと保育園への攻撃
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最終的にマクマーティン保育園で性的虐待を受けたという子どもの数は389人にものぼり、警察はレイモンドだけではなく職員全員が関与した組織ぐるみの虐待事件だと結論づけました。
また、セラピーを受けた子どもからは「マクマーティン保育園には秘密の地下室があって、そこで悪魔崇拝の儀式をしている」といった証言まで飛び出したといいます。
マスコミが取り上げたことからロングビーチの住民はパニック状態になり、その結果、マクマーティン保育園は何度も放火され、壁には「レイモンドは死ぬべき」といった落書きまでされてしまいました。
さらに批判はほかの保育園にまで及び、周辺の9園が休園に追いやられたとされます。
マクマーティン保育園裁判の経緯③ レイモンドと職員の逮捕
1984年3月27日、ついにレイモンドは性的虐待など97件もの嫌疑で逮捕されることとなります。
また、レイモンドの母親のペギー・マクマーティン、園長である祖母のバージニア、姉のペギー・アンなど経営者一族と3名の職員や元職員も児童虐待容疑で逮捕されました。
マクマーティン保育園裁判の経緯④ 証拠のない予備審問
1984年6月8日、マクマーティン保育園裁判の被告人であるレイモンドら7人の予備審問が始まりました。
予備審問とは被告人の嫌疑について、裁判をするだけの証拠があるかを確認する手続きで、判断は裁判官がおこないます。この予備審問をクリアしないと、起訴できません。
予備審問で検事は、虐待が疑われる子どもの診察をしたというミネソタ大学病院の小児科医を呼び、「子どものお尻に性的虐待をされた痕跡がある」と証言させました。
一方、レイモンドの弁護人であるダニエル・デイビスは別の医師を呼び、「お尻に傷があったとしても『性的虐待があった』と断定はできない」と反論。デイビス弁護士はレイモンドの前にも15件の児童虐待裁判を担当しており、そのすべてで無罪を勝ち取った人物でした。
この時点で検察側が出せる具体的な証拠がお尻の傷だけであったため、予備審問は長引くこととなります。
一方で警察は複数の子どもが「性的虐待をされている際に写真やビデオを撮られた」と証言していたことから、写真の捜索を開始。FBIまで捜査にくわわり、虐待の証拠となる写真や動画には1万ドルの報奨金がかけられました。
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しかし、それでも写真の1枚さえ見つからなかったことから、周辺住民や保護者は重機を使ってマクマーティン保育園の敷地を掘り返し、子どもたちが証言する「悪魔崇拝儀式のための秘密の地下室」を探そうとしたのです。
ところが地下室など存在せず、保育園からも虐待の証拠は見つかりませんでした。
被害に遭ったという子どもの証言
物的証拠がないことから、実際にマクマーティン保育園で性的虐待を受けたと訴える子どもたちが証言する必要が出ました。
大勢の大人の前で性的虐待について証言をすることで子どもの精神状態に悪影響が出ると危惧されましたが、最終的に予備審問での子どもの証言は実施されることになります。しかし、その内容は以下のようなとても証拠とは呼べないようなものばかりでした。
・歌にあわせて服を脱ぎ、飛び回るという「裸の映画スター」というゲームがあった。
・「このなかから、性的虐待をしてきた大人の写真を選んで」と、証言台で頼まれた少年が、保育園にいるはずがないハリウッド俳優のチャック・ノリスの写真を選んだ。
・マクマーティン保育園のトイレでレイモンドに性的虐待を受けたという8歳の少女は、現場の絵を描くように頼まれて4つ便器が並んだトイレを描いた。しかし、マクマーティン保育園のトイレはすべて個室で、4つも便器があるトイレは存在しない。
・ペニスの中にペニスを入れられた。
このように被害者の証言にも信憑性がなく、物的証拠も見つからないまま1986年1月17日に1年半にも及んだ予備審問が終了。
裁判官は389件の嫌疑のうち証拠能力が乏しい247件について棄却し、その結果、レイモンドと母親のペギー・バッキーを除く5人の告訴が取り下げられました。
マクマーティン保育園裁判の経緯⑤ 裁判と冤罪の証明
予備審問の結果、レイモンドにかけられた嫌疑90件、母親のペギーにかけられた嫌疑11件について起訴されることとなりました。
予備審問で子どもの証言が虚偽だと判断された保護者らは怒り、涙ながらに「アメリカは小児性愛者を罪に問わないのか」と訴えました。この様子が報道されると世論は保護者や子どもに同情的になり、レイモンドが有罪だと考える人が圧倒的多数になったとされます。
そのため証拠がないことはレイモンドに有利には働かず、1987年7月、余計に不利な立場に立たされた状態から裁判が始まりました。
最初の通報への疑惑
騒動の原因となった通報をしたジュディ・ジョンソンは、もともと精神が不安定な状態にあり、アルコール依存症と統合失調症に悩まされていました。
性的虐待を受けたという通報のほかにも「保育園で息子の耳がホチキスで打たれた」「ハサミを目で刺された」「レイモンドがライオンに息子を襲わせた」など、ひと目見ただけで妄言だとわかるような話をしていたそうです。
そして1986年12月19日、ジュディは急性アルコール中毒で亡くなっていました。
このことを検察は3年以上も弁護側に話さず、「最初の通報は著しく信憑性に欠けるものだった」という重要な事実を隠蔽していたのです。
明らかになった誘導尋問
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デイビス弁護士は、裁判で証言台に立った保護者達から「最初は『保育園で虐待事件なんてなかった』と言っていた子どもが、CIIのセラピーを受けてから『自分は性的虐待をされていた』と話すようになった」という証言を裁判中に引き出しました。
そこで中心となってセラピーをおこなったキー・マクファーレンという人物が、どこの州のセラピストの資格も持っていないこと、また「虐待はない」と言う子どもに対して「馬鹿だから覚えていない」などと詰り、自分の話に同調するよう仕向けていたことが明らかになったのです。
デイビス弁護士はマクファーレンによるセラピーの様子を録画したビデオを法廷で流し、彼女がセラピーを受けに来た子どもに対して誘導尋問をおこない、架空の虐待の記憶を植え付けていたことを証明しました。
司法取引による証言の偽証
ほかにも検察側は、レイモンドと拘置所で同室であったジョージ・フリーマンという囚人から「レイモンドから児童虐待の経験談を聞かされた」という証言があると主張します。
しかし、このフリーマンという人物は9の重罪歴を持ち、裁判の証言台に立つことを拒んで逃げ回っていました。
デイビス弁護士はマスコミの前で「フリーマンは司法取引で偽証している」と指摘。姉の家に隠れていたフリーマンを捕まえて法廷に連れていき、「この男には児童の性的虐待の前科がある」とフーリマンの前科について暴露します。
そして裁判で、フーリマンの口から「自分の証言は確かなものではない」という言葉を引き出しました。
マクマーティン保育園裁判の経緯⑥ 無罪判決
1989年11月2日、12人の陪審員によってマクマーティン保育園事件の審議が開かれ、翌年の1月にレイモンドとペギーに対して無罪判決が下されました。
この時は65件の嫌疑について52件が陪審員の全員一致で無罪となり、13件が「評決不能(陪審員の評決不一致)」と判断されました。
この13件のうち6件について検察が審理のやり直しを要求しましたが、7月27日にまたもや評決不能となったことから、レイモンドの無罪が確定しました。
マクマーティン保育園裁判のその後① 冤罪被害者たちの現在
レイモンドはもちろん、母親や告訴されなかった5人も裁判費用のために経済的に破綻し、予備審問で潔白を証明できたにもかかわらず、親族までもが非難の対象になったそうです。
また再就職も難しかったために、レイモンドはロングビーチを離れ、名前を変えて生きていると言われています。
無罪判決が出ても、地元で有名な保育園を経営していた一家が名声を取り戻すことはありませんでした。
さらに最後まで裁判で「レイモンドに性的虐待を受けた」と訴えていた少女は、大人になった現在も「虐待はあった。あの事件のせいで人生が壊された」と話しています。
レイモンドは無罪となりましたが、最後まで陪審員が全員一致で「疑いなし」とならなかった嫌疑が6件あったことから、冤罪被害者も、またセラピーで虚偽の記憶を植え付けられた子どもたちも苦しみ続けることになってしまったのです。
マクマーティン保育園裁判のその後② 事件が映像化される
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マクマーティン保育園裁判は1995年に『誘導尋問』というタイトルで映画化もされています。主人公は裁判を担当したデイビス弁護士となっており、主演のジェームズ・ウッズの硬派な演技が高く評価されました。
本作はエミー賞のテレビ映画作品賞など、多数の賞を受賞しています。
マクマーティン保育園裁判についてのまとめ
今回はアメリカ史上最悪の冤罪事件とされている、マクマーティン保育園裁判について紹介しました。
この事件では冤罪で何もかもを奪われたレイモンドらはもちろん、証言台に立った子ども達や、「CIIのセラピーでやっと思い出したくないことを我が子が話してくれた」と思い込んでいた保護者も被害者だと言えます。
現在ではマクファーレンが実施したような、誘導尋問型のセラピーは禁止されているといいます。このような酷い冤罪事件が二度と起きることがないよう、また名前を変えたレイモンドが現在は平穏に暮らしているよう願いたいです。