赤羽喜六さんは食品加工卸売会社「ミートホープ」の牛肉ミンチ偽装事件を内部告発した人物で、同社の一連の偽装事件が発覚するきっかけをつくりました。この記事では赤羽喜六さんの経歴、離婚など告発のその後や後悔、現在について紹介していきます。
この記事の目次
- 赤羽喜六さんが告発した牛肉ミンチ偽装事件の概要
- 赤羽喜六さんの経歴
- 赤羽喜六さんのミートホープ告発の経緯① 偽装に気づく
- 赤羽喜六さんのミートホープ告発の経緯② 退社
- 赤羽喜六さんのミートホープ告発の経緯③ 朝日新聞が調査開始
- 赤羽喜六さんのミートホープ告発の経緯④ 謝罪会見
- 赤羽喜六さんのミートホープ告発の経緯⑤ 農林水産省が調査に入る
- 赤羽喜六さんのミートホープ告発の経緯⑥ 裁判
- 赤羽喜六さんが内部告発を選んだ背景
- 赤羽喜六さんが告発した牛肉ミンチ偽装事件のその後① 従業員への影響
- 赤羽喜六さんが告発した牛肉ミンチ偽装事件のその後② 行政への影響
- 赤羽喜六さんが告発した牛肉ミンチ偽装事件のその後③ 田中一族と会社
- 赤羽喜六さんの現在・離婚して北海道を出ている?
- 赤羽喜六氏は内部告発を後悔していた
- 赤羽喜六さんを公益通報者保護法で守れなかったのか
- 赤羽喜六さんとミートホープの牛肉ミンチ偽装事件についてのまとめ
赤羽喜六さんが告発した牛肉ミンチ偽装事件の概要
2007年6月20日、朝日新聞の紙面で「生協が販売していたCO-OP 牛肉コロッケから、原料にはない豚肉が検出された」と報じられました。
該当の牛肉コロッケは、冷凍食品メーカーの加ト吉の子会社である北海道加ト吉が製造したもので、材料として使われた肉は北海道苫小牧市の食品加工卸売会社「ミートホープ」が卸したものでした。
製造元親会社の加ト吉が調査を行なったところ、北海道加ト吉内では原料の取り違えはなく、ミートホープが納入した牛肉ミンチに豚ミンチが入っていたことが発覚。
その後はミートホープの社長が牛肉ミンチの偽装を認め、同社が卸した牛肉ミンチには豚ミンチだけではなく豚の心臓やパンくず、うま味調味料まで混入していたことが明らかになります。
この件を皮切りにミートホープが卸したさまざまな精肉や加工肉で、悪質な偽装や不正があったことが芋づる式に判明していきました。
牛肉ミンチ偽装事件をいち早く報じた朝日新聞は、2007年の春からミートホープの商品について独自調査を進めていたといいますが、これは同紙に寄せられた告発がきっかけでした。
事件の告発者は2006年までミートホープの常務取締役であった赤羽喜六(アカバネキロク)さんと、数名の元幹部社員ら。最初は農林水産省北海道農政事務所に告発にいったものの取り合ってもらえず、朝日新聞に連絡したとのことです。
しかし、社会的には会社の内部事情を告発した赤羽さんらに対して「食の安全を見直すきっかけになった」「よくぞ勇気を出してくれた」との声があがったものの、彼らの生活は告発を機に急変したといいます。
そのため内部告発をすることは人間としては正しいが、社会人としては会社の利益に反する行為で、必ずしも正しい行動とは言えないのではないかなどの議論を呼びました。
赤羽喜六さんの経歴
牛肉ミンチ偽装事件を告発した赤羽喜六さんは、1935年に長野県で誕生しました。高校は南箕輪村にある長野県上伊那農業高等学校に進学し、卒業後は法務省長野地方法務局飯田支局に勤務。
その後、株式会社三協精機製作所(現在の日本電産サンキョー)に入社、関連企業である三協商事の営業部長や三和興業の常務取締役を歴任しました。
1978年には転職して野口観光株式会社に入社し、定年までに常務取締役、苫小牧プリンスホテルおよび室蘭プリンスホテルの総支配人を務めたといいます。
ミートホープに入社したのは1995年に60歳で野口観光を定年退職してからで、田中稔社長に請われての入社でした。
2人は仕事を通じて面識があり、田中社長が赤羽さんの手腕を買って常務取締役として迎え入れたといいます。その後、2006年までミートホープの営業幹部として勤務していました。
赤羽喜六さんのミートホープ告発の経緯① 偽装に気づく
入社からしばらくは営業幹部として、販路拡大などを任されていたという赤羽さん。
ぜひうちの会社に来てほしい、と社長から熱心に誘われての入社だったこともあり、熱心な営業で本州にも販路を展開していきます。
しかし、ほどなくしてミートホープの工場内で食肉偽装がおこなわれていることに気づきます。赤羽さんが工場で目にした不審な行為には、以下のようなものがあったそうです。
・クレームつきで返品された肉をラベルだけ変えて他の取引先に納品する
・廃棄処分予定のパンを安値で買い取り、ミンチ肉に混ぜ込んでかさ増しする
当時のミートホープはどこよりも安く、どんな注文にも応じるという営業方針をとっていたといいます。また、独自に肉の加工をおこなう大型スーパーが増えてきたこともあって、真面目に商売をしていてはとても売上を維持できない状況でした。
それでも度を超えた偽装を見逃すわけにはいかないと感じた赤羽さんは、田中社長に業務の改善を求めます。これに対して田中社長は何の対応もせず、聞き流していただけだったそうです。
そのため内部告発を決意。最初は厳しい行政処分を期待して、匿名で農林水産省北海道農政事務所や苫小牧保健所などの公的機関に告発をしました。
ところが「ミートホープの社員」という以外の情報を明かさずに匿名の告発をしても、行政は動いてくれませんでした。
一方、安価とはいえ質の悪い商品を卸していることもあって、ミートホープには取引先からのクレームが頻回にあり、赤羽さんはこの対応にも忙殺されていました。
食品偽装を続ける会社、偽装の片棒をかつぐ罪悪感、動かない行政への不信感と苛立ち、クレーム対応…このような日々により赤羽さんは心身のバランスを大きく崩し、2000年頃からは抗うつ剤や睡眠導入剤を服用するようになっていたといいます。
赤羽喜六さんのミートホープ告発の経緯② 退社
2006年4月、自ら退職届を提出してミートホープを退社した赤羽さんは、今度は身分をしっかり明かして農林水産省の機関である北海道苫小牧農政事務所へ告発をしました。
それも電話ではなく、不正ひき肉の現物を持って事務所の地域第九課を訪れ、直接調査を求めたとされます。
しかし、地域第九課は不正ひき肉のサンプルの受け取りを拒み、ミートホープへの調査も指導もおこなわれませんでした。
その後も赤羽さんは諦めずに北海道苫小牧農政事務所のほか、北海道新聞社やNHKなどの報道各社にも告発をおこないましたが、どこも動かなかったといいます。
一方でこの頃、赤羽さんに有力な協力者が現れました。現在は自分で食肉卸の会社を立ち上げていた元ミートホープの工場長も、告発をしようと立ち上がったのです。
しかも、この元工場長の男性のもとにはミートホープの方針に疑問や後ろめたさを感じていた社員が複数人集まっていました。
こうして赤羽さんは元工場長の男性、工場長代理、営業課長代理とミートホープの内情をよく知る元幹部らとともに「告発をしよう、必ずやミートホープの悪行を正そう」と団結。
彼らはめげずに警察やマスコミなど思いつく限りの場所を訪れては、ミートホープの調査を求めました。
赤羽喜六さんのミートホープ告発の経緯③ 朝日新聞が調査開始
そんななか、赤羽さんの告発を受けて朝日新聞の北海道支社が唯一調査に乗り出します。
朝日新聞は、2007年の4月から5月にかけてミートホープの牛ミンチ肉を原料とするCO-OP牛肉コロッケを東京とや北海道など合計4ヶ所のスーパーで購入し、これをDNA鑑定に出しました。
するとコロッケの原料は「牛ミンチ肉」「牛脂」だったはずなのに、検出された肉は豚肉が大半であり、ものによっては豚肉100%だったのです。
一方で朝日新聞はミートホープの工場でつけられている日報も入手し、CO-OP牛肉コロッケを製造していた北海道加ト吉を含む複数の会社に納品していた牛ミンチ肉に、豚の心臓や鶏肉、パンくずなどが混ぜられていたことも確認。
赤羽さんをはじめ、偽装告発を決心したミートホープの元幹部数人にも聞き取りをおこない、以下のような証言も得ました。
・食肉偽装は7〜8年前からはじまった
・偽装はコストカットのためで、徐々に方法が大胆になっていった
・ミンチ肉や形成肉は「牛脂を混ぜてしまえば偽装してもバレない」という方針だった
・腐臭のするような肉を殺菌処理をしたうえ、家畜の血液で着色して新鮮な肉と偽って出荷したことがある
これらの証拠や証言を得て赤羽さんの告発は事実と確認した朝日新聞は、2007年6月20日に「コロッケに偽ミンチ、生協が全国販売 北海道の業者出荷」という記事を発表します。
赤羽喜六さんのミートホープ告発の経緯④ 謝罪会見
初めて偽装が報じられた朝日新聞の記事のなかで、北海道加ト吉は「契約とは異なる肉が納品されていたとは思わなかった」と説明し、社内に危機管理本部を設置して至急、調査を進めるという方針を発表していました。
また販売元の日本生活協同組合連合会も「商品は販売前に詳細な検査をするが、対象となるのは残留農薬などの項目で、肉の種別までは検査していない」と説明したうえ、問題のコロッケについては朝日新聞からの連絡を受けて精密検査を依頼したことを明かしました。
さらに加ト吉や生協、コロッケを販売していたスーパーなども商品の回収や販売停止を発表。牛肉コロッケの製造元、販売元それぞれが「自分たちは何も知らなかった」と説明している以上、世間の目はミートホープただ一社に向かいます。
しかし田中社長は朝日新聞の取材に以下のように回答し、誠意のない対応をとりました。
ミート社の田中稔社長は「ごまかしはないが、間違いはある。結果的に間違った製品を入れてしまい、申し訳ない」。古い肉の利用については「ひぼう中傷だ。期限切れ4日前ぐらいの肉を仕入れ、殺菌処理して冷凍した。冷凍すれば2年間は持つ」と説明した。
「申し訳ない」とは言いつつも、悪いことはしていないと開き直ったような説明と言えます。
田中社長は記者会見でも「工場長から牛肉が足りないから豚肉を足していいかと聞かれて、容認したことはある」「故意に偽装していないし、自分が偽装を指示したこともない」と同じような説明を繰り返しました。
しかし、田中社長の長男である取締役と工場長が遅れて会見に同席すると、雲行きが怪しくなります。
記者からの「豚肉を混ぜることを発案したのは誰なんですか?」という質問に対し、社長は「工場長だと思う」と答え、工場長は「社長です」と答えるなど食い違いが出てきたのです。
こうなると記者からの追求も激しくなり、社長もごまかしきれなくなってきます。
最終的には取締役の長男が「社長、やったなら『やった』と正直に言うべきです。あいまいな発言はやめて、本当のことを言いましょうよ」と説得。
息子に諭され、田中社長もやっと自分が偽装を指示したことを認めましましたが、お粗末な会見内容に当然ながら消費者は納得しません。
「よりにとって食中毒のおそれもある生モノを扱っていながら、なんという態度だ」「間違いで牛肉率0%の牛肉ミンチなんてできるか!」と、田中社長とミートホープに対して批判の声が上がりました。
赤羽喜六さんのミートホープ告発の経緯⑤ 農林水産省が調査に入る
出典:https://substandard.sub.jp/
こうして牛肉ミンチ偽装事件が明らかになると、告発を無視し続けてきた農林水産省もミートホープと子会社であるパルスミートに一斉に立入検査をおこないます。
その結果、問題となったコロッケ以外の商品でも以下のような偽装がされていたことが発覚しました。
・肉の産地を改ざんする
・消費期限切れの精肉のラベルを剥がして、未来の期限を印字したラベルに貼り替える
・腐った肉を塩素水につけて加工や販売をする
・肉に水を注射してかさ増しをする
・ひき肉に廃棄処分用の馬肉や中国産の安価なウサギ肉を足して赤みを出し、鮮度をごまかす
・加工の過程で出たクズ肉に骨、廃棄予定のパンなどで加工用に卸すひき肉のかさ増しをする
・サルモネラ菌が検出されたソーセージの検査データを改ざんして、校給食用に納品する
・1983年から食品偽装をおこなっており、近年では賞味期限改ざんや再出荷が日常化している
また冷凍肉を雨水で解凍するなど、ミートホープの衛生管理にも問題があったことが判明。
一連の結果報告を受けて北海道警察も、2007年6月24日に不正競争防止法違の疑いがあるとしてミートホープ、田中社長の自宅、北海道加ト吉などの十数箇所への家宅捜査をおこないました。
赤羽喜六さんのミートホープ告発の経緯⑥ 裁判
次々と明らかになる不祥事によって事業継続が困難になったミートホープは、最初の報道から約1ヶ月後の2007年7月17日に、自己破産申請をして廃業。従業員も全員解雇されました。
なお、倒産時の負債総額は約6億7000万円にものぼり、「債権額が大きい会社の全回収は絶望的か」と報じられました。
当時、ミートホープと取引をしていた会社からは、偽装肉が使われた商品の回収費用の負担や損害賠償を求める声もあがりましたが、とても応じられるような状況ではなく、結局取引先の泣き寝入りに終わったそうです。
また一連の偽装を指示した社長の田中稔氏、三男で専務の田中恵人氏、総工場長の中島正吉氏、汐見工場長の岩谷静雄氏の4人が不正競争防止法違反で逮捕・起訴され、さらに契約とは異なる商品を納めて取引先からお金を騙し取った疑いもあるとして詐欺容疑でも追送検されました。
この頃になると田中社長も罪を認め、「嘘をついて混ぜもののある肉を卸すことは詐欺行為だとわかっていた」「会社ぐるみで偽装を続けていた」と供述していたといいます。
しかし逮捕前の取材や公判でも、「安く仕入れさせろと要求してくる取引先も悪い」「半額セールをしないと加工食品を買わない消費者にも問題はある」と責任転嫁とも取れる発言をしており、本当に反省していたのかは不明です。
こうして2008年3月19日に田中社長に対して懲役4年の有罪判決がくだり、赤羽さんの告発もようやく実を結ぶこととなりました。
赤羽喜六さんが内部告発を選んだ背景
赤羽さんがミートホープを正すべく、内部告発という当時あまり選ばれなかった手段を選んだのには理由がありました。
まず、ミートホープは2006年の時点で売上高およそ16億円、500人以上の従業員を抱える食肉加工会社だったのですが、役員やグループ会社の社長は田中一族で固められていました。
田中社長は中学校を卒業してすぐに食肉業者で働いて起業したという典型的な叩き上げで、食肉業者で学んだノウハウを活かして会社はあっという間に急成長したといいます。
1人で会社を大きくしたというプライドからか経営は田中社長のワンマンであり、社内には取締役や工場長などの幹部社員の肩書が複数あったものの、これは単なる業務上の分担であって社員に発言権はなかったそうです。
そのため赤羽さんも常務取締役という役職に就いていましたが、業務に口を出すことは許されず、社長の指示に従って動くことを強要されていました。
またどんなに優秀であっても、どれだけ高い役職を与えられていようと、田中社長が一言「クビ」と言えば、その場で解雇されるという環境だったといいます。
そのためミートホープで働いていた人は全員、社内でおこなわれていた食肉偽装を知っていた、もしくは加担していたわけですが、誰も社長を質すことはできませんでした。
赤羽さんはこのような会社を変えるには外部の力を頼るしかないと考えましたが、社長の性格を考えると下手に動けば職を失う従業員も出るのではないか?との危惧もありました。
そこで匿名での告発を開始しましたが、匿名での告発電話ではどこも真剣に取り合ってくれず、ついに退社をして実名の告発に踏み切ったのです。
一連の偽装のなかで、とくに赤羽さんが憤りを感じたのは小中学校の給食センターに納品する品物に怪しい肉が使われていたことだったといいます。
安心安全でなければいけない給食に偽装肉が使われている。この事実をどうしても見逃すことができなかったと赤羽さんは語っていました。
赤羽喜六さんが告発した牛肉ミンチ偽装事件のその後① 従業員への影響
偽装が明るみに出たことであっという間にミートホープと子会社は倒産し、従業員は全員職を失うこととなりました。
しかし、「ワンマン社長に指示されていたとはいえ、末端の社員やアルバイトも偽装に加担していた」との事実からミートホープの元職員を受け入れる企業は非常に少なく、就職先が見つからない従業員も少なくありませんでした。
とくにミートホープ本社があったのは札幌などの大都市ではなく小さな港町の苫小牧でしたから、前職を隠すのは困難だったそうです。
ミートホープの元従業員であることを隠して再就職した人も、すぐにバレて嫌がらせを受けたという話まであります。
そんななか、2008年の3月には元参議院議員の大仁田厚さんが新千歳空港内で会見を開き「ミートホープの元従業員とともに『正直コロッケ』というコロッケの製造、スーパーなどで販売する」と発表しました。
なんでも大仁田さんの知人の家族もミートホープで働いており、再就職先の見つからない元従業員5人とともに、道内の牛肉やじゃがいもを使用したコロッケを作ろうという話になったといいます。
赤羽喜六さんが告発した牛肉ミンチ偽装事件のその後② 行政への影響
赤羽さんら元幹部から直接の告発を受けていたにもかかわらず、行政が何もしていなかったことに対しても厳しい目が向けられました。
とくに1年間も告発を放置していた北海道農政事務所に対しては、当時の農水省が「食品表示110番」「食品表示ウオッチャー」といった制度まで設けて消費者からの食の安全に関する通報を求めていたこともあり、告発に対応しなかった理由が追求されました。
農水省の表示・規格課はマスコミの取材に対して「この件の担当は農水省ではなく北海道であったため、道の担当部署に報告して資料を提出した」と説明。
しかし、北海道庁の環境生活部は「そのような報告は受けていないし、資料も受け取っていない」と反論したうえ、「そもそも告発があった時点でミートホープには東京営業所があり、事件の管轄は北海道ではなく国だ」と農水省の間違いを指摘しました。
これについては北海道庁の言い分が正しく、本州にも営業所があった以上はミートホープの偽装問題は国が対応べき事案でした。
ところが農水省側は管轄の間違いは認めても「資料は送ったし、対応も依頼した。告発を放置したのは北海道庁だ」という主張は譲らず、双方が検証チームを立ち上げて調査するも送った、受け取ってないで意見は対立。
最終的には農水省が告発の処理に関わった農政事務所職員の処分を発表し、2007年7月11日をもって告発放置についての調査を打ち切るとしました。
赤羽喜六さんが告発した牛肉ミンチ偽装事件のその後③ 田中一族と会社
前述のように偽装が報じられてすぐにミートホープは倒産し、田中社長と三男も逮捕されました。
しかし田中社長の長男と次男は、それぞれ子会社のイートアップとパルスミートという別会社の社長をしていたことから、一連の食品偽装発覚後も事件に直接関与していないと判断されて逮捕されませんでした。
とくに会見で田中社長を説得した長男の等氏は「親を正せる立派な息子」と見られて、イートアップの経営に父親の影響はでなかったといいます。
また等氏は早々に北海道新聞に謝罪広告を掲載して、「イートアップは仕入先をミートホープから変更します」と父親の会社との決別を表明しました。
さらにもともと兼任していたミートホープの役員職も、牛肉ミンチ偽装事件が報じられた直後に辞任していたそうです。
このように事件発覚後に速やかにミートホープ本社や父親と距離を置き、謝罪広告まで出したことから等氏の評価は上がり、イートアップが経営するバイキングレストランも繁盛したとの話もあります。
ミートホープ本社のその後
会社が倒産した後もミートホープ本社は、もぬけの殻のまましばらく放置されていました。事件直後は、TVなどでも頻繁に移っていた黒い牛のオブジェの前で記念撮影をする人などもいたといいます。
その後は2008年5月には会社のシンボルとなっていた黒い牛のオブジェも撤去され、ミートホープ本社は売却も可能な賃貸物件として借り主募集を行いました。
しかし、借り主は現れず数ヶ月後には本社は取り壊されることに。本社の向かいにあった2億円とも言われる田中社長の自宅も、銀行の抵当に入っていたことから買い手を募集していたと思われますが、本社取り壊しが報じられた時にも売れていなかったといいます。
赤羽喜六さんの現在・離婚して北海道を出ている?
牛肉ミンチ偽装事件の告発後、赤羽さんは周囲から「あんたたちのせいで職を失った」「告発した人達だって、偽装に加担していたくせに」と責められるようになり、一緒に告発をした仲間たちとも縁を切り、家に閉じこもるようになったといいます。
また兄弟からも「なんであんなこと(告発)なんてしたんだ」「家名を汚した」と非難され、住んでいた白老町にはいられなくなったといいます。
そのため2009年頃には北海道を出て生まれ育った長野に移り住み、現在は1人暮らしをされています。
取材に応じた際などに家族の姿が見えないことから「奥さんも逃げてしまったのだろうか」「離婚したのか」との噂が流れたようですが、北海道テレビによると赤羽さんの奥様は北海道を出る前に病で倒れてしまったとのことです。中傷に耐えきれずに離婚を申し出たわけではありません。
赤羽喜六氏は内部告発を後悔していた
2017年にヤフーニュースの取材に応じた赤羽さんは、告発を後悔していると語っていました。
「あの時はね、やはり勇気があったと思う。(会社が)こんなことしていいのか、と。すべてが偽装だったんだから。でも、今になってみればね、『バカなことをしたな』という気持ちが強いね。社会的には意義があったかも知らんけど、本人の利益を考えたらだめですね。後悔したって仕方がないけど、返り血が大きすぎますから」
また、2019年に北海道テレビの取材に応じた際にも、告発を振り返って「つまらんことをしたと思う。ずっと、その気持を引きずっていますね」と後悔で眠れない日もあると話していました。
赤羽さんたちの告発は、国民の食の安全を守るという非常に大きな意義のある行動でした。しかし、社会正義を果たした一方で最愛の妻や家族まで批判を浴びせられ、また連日連夜、家の前にマスコミが押しかけてくるなど赤羽さんの生活は急変してしまったといいます。
「結局、一番守らなきゃいけなかった家族まで巻き込んでしまった」とも赤羽さんは語っていました。
ネット上でも「赤羽さんは人格者なうえに経歴もすごくて、本当なら悠々自適なリタイア生活を送っていたはずだよね。それなのに人目を避けるように暮らしているのはあんまりだ」といった声が目立ちますが、自分の告発が家族を含めてたくさんの人の生活を壊してしまったことを一番悔やんでいるのかもしれません。
2010年に赤羽さんが上梓した書籍『告発は終わらない―ミートホープ事件の真相』は、偽装事件や内部告発、消費生活など事件について考えさせられることが網羅された手記として、高い評価を得ています。
しかし、赤羽さん本人は「告発に関するものとは縁を切りたい」として、自身の著作なのにも関わらず読んでいないといいます。
赤羽喜六さんを公益通報者保護法で守れなかったのか
赤羽さんが身分を明かしての告発に踏み出した2006年には、社会の利益のために内部告発をした労働者を保護する目的で「公益通報者保護法」が施行されています。
この法律に則って、赤羽さんたちも誹謗中傷などから身を守ることはできなかったのでしょうか。
2017年に赤羽さんのインタビューを掲載した記事でヤフーニュースは公益通報者保護法に詳しい弁護士にも取材をしており、「現在の時点で制度の知名度は低く、未だに内部告発者は組織の裏切り者という風潮が強い」「法律ができても内部告発の件数は非常に少ない」と説明していました。
それもそのはず、この法律に「内部告発に対して適切な対応をすることが企業側の義務である」との条文が盛り込まれたのは2022年の改正時からで、それまでは「告発に対応するかは企業の判断に任せる」としていました。これでは会社に不信感があっても、告発までする人は少ないでしょう。
なお、改正後も従業員300人以下の中小企業に関しては内部告発への対応は努力義務と定められています。
また、「企業側は内部告発で損害を受けても、告発者に損害賠償を求めてはいけない」という条文も、2022年の改正でやっと盛り込まれたほどです。
2006年の施行当時の公益通報者保護法で赤羽さんたちを守るというのは、無理だったのかもしれません。
赤羽喜六さんとミートホープの牛肉ミンチ偽装事件についてのまとめ
今回は2007年に明らかになった北海道のた食品加工卸売会社・ミートホープの食品偽装と、偽装を告発した赤羽喜六さんの経歴や内部告発の流れ、その後について紹介しました。
ミートホープの一連の偽装事件は消費者庁が前倒して創設されるきっかけになったといい、赤羽さんたちの告発は間違いなく食に対する社会の意識を改善させました。
しかし事件発覚当時、不祥事が大きく報道された陰で赤羽さんが苦しんだことを報じて、問題提起をするマスコミがあったでしょうか。
法律で守ることができないのなら、せめて世論で赤羽さんたちを守ることはできなかったのか。告発を後悔し続けているという赤羽さんの言葉を聞くと、遣り切れない気持ちになります。