検索してはいけない言葉「POSO」とはインドネシアで起きたポソ宗教戦争の虐殺を記録した動画です。
この記事では検索してはいけない言葉「POSO」の概要、ポソ宗教戦争の概要や発生した理由、写真や動画の閲覧方法、ポソ宗教戦争の現在の状況などについてまとめました。
この記事の目次
POSOは「検索してはいけない言葉」でポソ宗教戦争の虐殺を撮影した動画
「POSO」とは日本では「検索してはいけない言葉」として知られているワードで、インドネシアで1998年から2001年にかけて発生した「ポソ宗教戦争」で行われた虐殺の様子を記録した動画のタイトルです。
POSOは6分43秒の動画(オリジナルのものは14分53秒だが、現在ネットに出回っているのは6分43秒の動画)で、その内容は「ポソ宗教戦争」での人間同士の殺し合いの様子と、それによって殺害された人々の遺体、巻き込まれて虐殺された女性や子供の遺体などが多数記録されたものです。
動画に記録されているのは、激しく損傷した多数の遺体、頭部が割れた遺体、露出した脳に大量の蝿がたかる様子、小さな手を切断された幼い子供の遺体、首の辺りを切断された子供の遺体を抱き抱える親、切断した人間の生首を掲げて歓声を上げる男達、布に包まれ並べられた大量の遺体など、終始衝撃的な内容となっています。
現在も「POSO」の動画はネット上で視聴が可能ですが、心理的に強いダメージを受ける場合もあるので興味本位での視聴はオススメしません。
「検索してはいけない言葉」としての「POSO」の危険度は「6」に指定されていて、これは「検索したらトラウマが生まれ、閲覧が推奨されない要素を含むコンテンツ」とされるものです。
POSO(検索してはいけない言葉)のポソ宗教戦争の概要
「検索してはいけない言葉」である「POSO」の動画によって、日本でもその悲惨さが知られる「ポソ宗教戦争」は、1998年末から2001年末にかけて、インドネシア中部のスラウェシ州(スラウェシ島)、北東沿岸部の港町「ポソ(Poso)」で起きた、現地に住むイスラム教徒とキリスト教徒が衝突した宗教戦争です。
ポソ宗教戦争では、2001年12月の和平合意までに推定で1000人以上が死亡、少なくとも60000世帯以上が家を追われて難民化したとされています。
ポソ宗教戦争の経緯
1998年12月24日、キリスト教徒のクリスマスイブとイスラム教徒のラマダンがちょうど重なりました。その日、プロテスタントのキリスト教徒がイスラム教徒の若者の腕を刃物で刺す事件が発生。
イスラム教徒の若者はモスク(イスラム教の礼拝堂)へと逃げこみ騒動が拡大。12月27日には武装したキリスト教徒、武装したイスラム教徒のそれぞれの一団が集結して自警団を組織し武力衝突が発生。紛争はすぐに周辺地域へも拡大しました。この最初の衝突は12月29日まで続きました。この時点では、まだそこまで大きな数の死傷者は出ていません。
その後1年半ほど小康状態が続きますが、2000年4月に地方の権力者の裁判がきっかけとなって再びポソ地域での緊張状態が高まり、4月16日に、イスラム教徒の若者がキリスト教徒に襲われて負傷したと主張。一部のイスラム教徒が報復のためにキリスト教徒が多く住む地区を襲撃。再び武力衝突へと発展しました。
4月17日、インドネシアの国家警察部隊が群衆に向けて発砲し、イスラム教徒2名が死亡し8名が負傷する事件が発生。これをきっかけに暴徒化したイスラム教徒は、キリスト教徒が多く住むロンボジア地区を襲撃して教会や学校にも放火し、何人かのキリスト教徒が殺害されました。
その後、インドネシア政府は軍部隊600名を派遣し、5月3日になってようやく治安が回復しています。
しかしそれからわずか20日後の5月23日、武装したキリスト教徒の一団が報復としてイスラム教徒2名を殺害。5日後の28日には、広範囲複数の地区で同時に武装したキリスト教徒によるイスラム教徒への攻撃が発生しました。
この攻撃により、女性や子供を含む一般市民が大勢虐殺され、少なくとも39名の遺体が見つかり、公式発表で165名が死亡したとされ、イスラム教徒側の発表では合計で191名が殺害されたとされています。
それから約1年間は大規模な衝突は起こりませんでしたが、2001年6月にイスラム教徒の女性や子供に対する虐殺、街への放火などが起こり、周辺地区から双方を支援する民兵組織などが集結し紛争は拡大の一途を辿りました。
ここにきてようやく政府が仲介に動き、2001年12月にイスラム教徒側とキリスト教徒側の双方の指導者が南スラウェシ島の丘陵地帯のマリノという街に集められて、和平合意(マリノ合意)が行われました。
このマリノ合意を契機にして、表立った紛争は収束に向かい「ポソ宗教戦争」は一応の終結を迎えています。
しかし、その後も同地域におけるイスラム教徒とキリスト教徒の緊張状態は続いており、2003年には武装集団によって13名のキリスト教徒が殺害される事件が発生。
2005年5月にもキリスト教徒の多く住む地域で爆弾が爆発し、22人が死亡し30人以上が負傷。同年10月30日には、キリスト教系の学校に通う15歳から17歳の少女3名が殺害され斬首されるという事件も発生しています。犯人の男の1人は裁判でポソ宗教戦争で殺害されたイスラム教徒の復讐のためだったと発言しました。
POSO(検索してはいけない言葉)のポソ宗教戦争が起きた理由
出典:https://live-production.wcms.abc-cdn.net.au/
POSOの動画で知られる「ポソ宗教戦争」が起きた理由についても見ていきます。
大きな理由としては、「ポソ宗教戦争」の以前から、インドネシアでは、人口の80パーセントを占めるイスラム教徒(ムスリム)とキリスト教徒や仏教徒など他の宗教を信じる人々との間の宗教的な緊張状態が問題化していた事が挙げられます。
特にポソは長く、イスラム教徒とキリスト教徒(プロテスタントもカトリックも)それぞれのコミュニティが混在して存在しており、対立が起こりやすい雰囲気が醸成されていました。
そうした背景の中、1998年12月24日(クリスマスイブとラマダンが重なった)にプロテスタントの若者がイスラム教徒の腕を刺しすという事件が起こり、街のあちこちへと争いが波及した事が「ポソ宗教戦争」発生の直接的な理由(原因)となったとされています。(アメリカの人権団体「Human Rights Watch」の現地リポートや現地メディアの報道より)
また、ムスリム(イスラム教徒)の少女がキリスト教徒に性的暴行を受けたという噂など、様々な噂が広まった事もポソ宗教戦争が拡大した理由となったと考えられています。
小規模な争いからイスラム教徒とキリスト教徒(多数のプロテスタント教徒と少数のカトリック教徒)の間で非難と復讐の連鎖が起こり、それに根も葉もない噂や陰謀論などが加わって過熱化した結果、虐殺が虐殺を呼ぶ宗教戦争へと発展したと見られています。
POSO(検索してはいけない言葉)の動画や写真の閲覧方法
検索してはいけない言葉「POSO」の動画や写真はネット上で簡単に視聴できます。
動画については、FC2動画やカルロ・グローチェなどで「POSO」と検索すればすぐに視聴可能です。
ニコニコ動画で「POSO」で検索するとモザイク付きのものが見られるので、モザイクなしの動画を見るのに抵抗がある人はこちらをオススメします。
写真については、「POSO」というワード単独ではヒットしませんが、関連するワードをいくつか絡めて画像検索すれば閲覧できます。(例えば「guro POSO 1998」など)ただ、衝撃的な遺体の画像などがヒットするので、自己責任で検索してください。
POSO(検索してはいけない言葉)の動画を公開したのはイスラム主義組織
出典:https://cdnimgen.vietnamplus.vn/
あまりにも衝撃的な内容の「POSO」の動画ですが、インドネシア当局の捜査により「ジェマ・イスラミア(Jemaah Islamiyah)」というイスラム主義組織がネット上にアップロードした事が判明しています。
「POSO」の動画をアップロードしたイスラム主義組織「ジェマ・イスラミア」は、ポソ宗教戦戦争にもイスラム教徒側を支援して武力介入しています。
「POSO」の動画をアップロードした理由については、「宗教戦争の雰囲気を醸成するため」としています。「POSO」の動画は、イスラム教徒側からの視点で撮影されており、映されている遺体の多くはイスラム教徒のものです。動画がアップされた目的は、キリスト教徒側から受けた被害をことさら強調し、イスラム教徒側の復讐心を煽るためであったと考えられます。
しかし、ポソ宗教戦争はどちらが加害者でどちらが被害者という明確な構図はなく、お互いに非難し合い復讐が復讐を呼び、両勢力のどちらともが、戦闘に参加していない一般の人々に対する虐殺行為を行ったと見られています。
POSO(検索してはいけない言葉)のポソ宗教戦争の現在
出典:https://akcdn.detik.net.id/
現在もインドネシアポソでのイスラム教系勢力とキリスト教系勢力の緊張状態は続いています。
2020年11月27日には、ポソ近隣の街であるスラウェシ州シギ・リージェンシーの村落が、イスラム教系の過激派テロ組織「「東部インドネシアのムジャヒディン(MIT)」」に襲撃されキリスト教徒の住民4名が殺害される事件が発生しました。
犠牲者のキリスト教徒4名はいずれも頭部を切断されており、集落の建物4棟も放火により焼失しています。
このMITというイスラム系の過激派グループは、2011年以降から地域のキリスト教徒住民の多い地域へのテロ行為を繰り返しており、インドネシア当局はMITの掃討作戦も展開していました。
MITはポソの山岳地帯に拠点を置いていると見られており、2005年に起きた15歳から17歳の少女3名が殺害され頭部を切断された事件にも関与したと見られています。
その後、インドネシア政府は、掃討作戦により、2022年9月29日にポソ地区のポソ・ペシシル・ウタラ地区カウェンデ村にて、最後のMITメンバーを射殺したと発表しています。
現在、インドネシア政府が本腰を入れてポソ地区の治安維持に動いているため、同地区では大きな紛争は発生していません。しかし、現在も緊張状態は依然として続いており、政変などの政治的空白が生まれれば、すぐにまた対立が表面化してもおかしくない状態だと見られています。
まとめ
今回は、「検索してはいけない言葉」として知られる「POSO」という動画と、その衝撃的な動画がきっかけで知られるようになった「ポソ宗教戦争」についてまとめてみました。
「POSO」とは、インドネシアスラウェシ州の港町「ポソ」で発生した、イスラム教徒とキリスト教徒の間で発生した抗争「ポソ宗教戦争」での、虐殺や殺害された遺体、悲惨な人々の様子が記録された動画です。
「ポソ宗教戦争」は、1998年12月から2001年12月にかけて、何度かの小康状態を挟みつつ続いた大規模な紛争で、イスラム教徒側、キリスト教徒側の双方に合計で推定1000人以上の女性や子供を含む人々が死亡し、数万人規模の人々が家を追われて難民化した宗教戦争です。
ポソ宗教戦争が起きた最初の理由は、元々が宗教間での対立があった地域で政変によって緊張が高まり、1998年12月24日のクリスマスイブとラマダンが重なった時期に、キリスト教徒の若者がイスラム教徒の若者の腕を刺すという事件が発生し、それをきっかけに街の各地で衝突が発生した事でした。
最初は小さな衝突でしたが、非難が非難を呼び、それに噂話や陰謀論が加わって暴力の応酬が起こり、報復に次ぐ報復で双方が憎しみを募らせ自警団や民兵組織化、さらに周辺地域からのイスラム教系、キリスト教系のそれぞれの武装勢力も介入し歯止めの効かない宗教戦争へと発展しました。
この「ポソ宗教戦争」の悲惨さが伝わる「POSO」の動画ですが、FC2動画やカルロ・グローチェなどで「poso」と検索するば簡単に視聴できます。また写真も関連ワードで検索すれば閲覧可能です。「ニコニコ動画」にはモザイク処理された「POSO」の動画がアップされているので、遺体画像などを見る事に抵抗がある方はこちらの視聴をおすすめします。
ポソ宗教戦争の現在ですが、同地域では依然として宗教的な対立が残されています。現在はインドネシア政府の介入もあって一定の治安が維持されていますが、何らかの政治的な空白が起これば再び一気に暴力が噴出しかねない状況と見られています。