1991年7月に福島県で発生した石井舞ちゃん行方不明事件の真相やその後、現在などが注目されています。
この記事では石井舞ちゃん行方不明事件の概要、玉川和弥が犯人と疑われる根拠、ネット上での真相の考察、その後や現在の状況などについてまとめました。
この記事の目次
- 石井舞ちゃん行方不明事件はネットでも注目されている未解決事件
- 石井舞ちゃん行方不明事件の概要
- 石井舞ちゃん行方不明事件関係者と行方不明事件発生時間帯の行動
- 石井舞ちゃん行方不明事件の犯人が玉川和弥とする根拠① 当日の不審な行動
- 石井舞ちゃん行方不明事件の犯人が玉川和弥とする根拠② 前日に石井舞ちゃんを遊びに誘っていたとの証言
- 石井舞ちゃん行方不明事件の犯人が玉川和弥とする根拠③ 石井舞ちゃんの所在を知っているかのような発言
- 石井舞ちゃん行方不明事件の犯人が玉川和弥とする根拠④ 父親の賢一さんとの関係性
- 石井舞ちゃん行方不明事件の犯人が玉川和弥とする根拠⑤ 霊視番組での意味深な発言
- 石井舞ちゃん行方不明事件の真相の考察① 関係者による犯行の可能性が高いと見られている
- 石井舞ちゃん行方不明事件の真相の考察② 石井舞ちゃんが自ら家出をした事はまずあり得ない
- 石井舞ちゃん行方不明事件の真相の考察③ 霊視番組で発見された犬の死体が怪しいという声も
- 石井舞ちゃん行方不明事件のその後
- 石井舞ちゃん行方不明事件は現在も未解決のまま
- まとめ
石井舞ちゃん行方不明事件はネットでも注目されている未解決事件
出典:https://cdn-image.alphapolis.co.jp/
「石井舞ちゃん行方不明事件」は、1991年7月24日から25日未明にかけて、福島県田村郡船引町(現在の田村市)で発生した行方不明事件で、現在も未解決となっています。
この石井舞ちゃん行方不明事件は不可解な点があまりにも多く、現在もネット上などで真相の考察などが盛んに行われるなど注目度の高い事件です。ここでは、この石井舞ちゃん行方不明事件についてみていきます。
石井舞ちゃん行方不明事件の概要
この事件で行方不明になった石井舞ちゃんは、福島県田村郡船引町の2階建ての事務所兼住宅で建設会社を営む石井賢一さん(当時37歳)の長女で、当時7歳で小学生に上がったばかりでした。
石井舞ちゃんはこの自宅で就寝中に行方不明となりましたが、当時、家の中には両親や兄弟、たまたま泊まりに来ていた友人2名など、大勢の人が在宅しており、そうした状況の中から石井舞ちゃんは忽然と姿を消しています。
事件が発生した日時は、1991年7月24日夜から25日未明にかけての遅い時間(行方不明事件発見時刻については、24日22時30分から23時の間や25日未明頃といくつかの推測がされている)と見られていますが、関係者の中に石井舞ちゃんが自宅から出て行く瞬間を見た者はおらず、正確な行方不明事件発生時刻は不明となっています。
24日22時30分に母親が石井舞ちゃんの姿を確認したのが最後
1991年7月24日、石井舞ちゃんの友人2人が泊まりがけで遊びに来ており、石井舞ちゃんは21時30分頃にこの友人と3人で子供部屋のベッドに入り、川の字になって並んで眠っています。
石井舞ちゃんの姿が最後に確認されたのは、そのちょうど1時間後の22時30分頃で、母親のヨシ子さん(当時27歳)が、3人で眠っているのを確認しタオルケットをかけ直しています。
25日午前5時20分、一緒に寝ていた友人が石井舞ちゃんがいない事に気づく
翌朝の7月25日の早朝、午前5時20分頃、石井舞ちゃんと一緒に寝ていた友人が目を覚まし、石井舞ちゃんの姿が消えている事に気がついています。
つまり、石井舞ちゃんが行方不明になったのは24日の22時30分から翌朝早朝までの間という事になります。
自宅のどこにも石井舞ちゃんの姿はなく25日午前6時に警察に通報し捜索開始
石井舞ちゃんの姿が見えない事に気がついた家族は、すぐに自宅中を探しましたが、石井舞ちゃんは見つかりませんでした。
そして直後の25日午前6時に、家族は警察に通報、学校やPTA関係者、地域の自治体にも連絡して大規模な捜索がすぐに開始されています。
石井舞ちゃんが行方不明になった時点から見て1ヶ月の期間で、福島県警察はのべ3900人の捜査員を投入して捜索。捜索範囲は自宅から半径約6kmにまで広げられ、自宅内と周辺、近隣建物内、周辺の山林や池沼、河川、マンホール内部、工事現場、公衆トイレ、防火用水路なども含め、約6370ヶ所におよぶ徹底的な捜索が行われましたが、石井舞さんの発見はおろか、手がかりすら発見されませんでした。
現在も石井舞ちゃんは発見されておらず、行方不明の状態が続いています。
石井舞ちゃん行方不明事件関係者と行方不明事件発生時間帯の行動
石井舞ちゃん行方不明事件では、その不可解な状況から、家族や同居者にまで疑いの目が向けられました。
ここからは、事件の考察のために、石井舞ちゃん行方不明事件の家族や同居人などの関係者の情報と、その関係者それぞれの発生時間帯の行動などについて順番に見ていきます。
石井舞ちゃん父親の賢一さん
石井舞ちゃんの父親の石井賢一さんは、建設会社を経営しており、行方不明事件が発生した自宅はその事務所に隣接していました。
行方不明事件発生時間帯の行動は、7月24日20時50分に、長男の賢人くん(当時6歳)、次男の礼央くん(当時1歳)と一緒にリビングに隣接する寝室に入り一緒に眠っています。
翌7月25日の早朝4時20分に起床し、仕事の準備のためにリビングを通り、2階の玄関(1階には石井舞ちゃんの祖父母が居住しており2階にも玄関があった)を出て、隣接する事務所へと向かっています。この時、石井賢一さんは、施錠されていたはずの玄関ドアが少し開いていた事に気が付きますが、そのまま一旦事務所へと向かいます。
しかしその後、胸騒ぎを覚えた石井賢一さんは自宅へと戻り、そこで石井舞ちゃんと一緒に眠っていた友人2人から石井舞ちゃんの姿見えない事を聞き、異変に気がついています。
なお、石井賢一さんは建設会社経営の仕事柄、いつもこの時間帯には就寝しており、翌朝早朝に起床するという生活習慣であり、この日も普段と変わらない行動パターンでした。
石井舞ちゃんの母親のヨシ子さん
石井舞ちゃんの母親のヨシ子さんは、7月24日の22時30分頃に2階の玄関ドアの鍵が閉まっている事を確認しています。その後、そのまま子供部屋へと向かって眠っている石井舞ちゃんと友人2人の姿を確認しています。
その後、ヨシ子さんはお風呂場に行き入浴していますが、この最中に1階のドアが閉まる音を聞いています。
この時、ヨシ子さんが2階の窓から外を見て、住み込みの従業員の玉川和弥が南の方向へと歩いて行くのを目撃。ただ、コンビニにでも行くのだろうと気にかけなかったようです。
そしてそのすぐ後、ヨシ子さんは何者かが階段を登る足音を耳にしていますが、1階住んでいる祖父母のどちらかだろうと考え、これも気にかけなかったという事です。
その後、入浴を済ませたヨシ子さんは、23時10分頃に、賢一さんと長男、次男の眠る寝室へと行き布団に入り、1時間ほど寝付けない時間を過ごしたのち眠りについています。
石井舞ちゃんの祖父母の直之さんとハル子さん
石井舞ちゃん行方不明事件当時、祖父母が住宅の1階に住んでいました。
2人は、7月24日の21時20分頃にタクシーを呼んで、行きつけのカラオケスナックに遊びに行っています。
祖父母は1階の玄関を使っていますが、外出時には施錠したと証言しています。午前2時頃に祖父母がカラオケスナックから帰宅すると、1階の玄関ドアの鍵が開いており、また、住み込み従業員の玉川和弥の姿も見えませんでした。
この事を不審に思った祖母は、石井舞ちゃんの父親の石井賢一さんに「玉川和弥の姿が見えない」と伝えに行きますが、賢一さんは「明日事情を聞く」と言ってそのまま眠っています。
石井舞ちゃんの弟の賢人くんと礼央くん
石井舞ちゃんの2人の弟で、石井賢一さんにとって長男と次男である賢人くんと礼央くんは、行方不明発生時間帯は父親の賢一さん、母親のヨシ子さんと一緒に寝室で眠っていました。
たまたま泊まりに来ていた石井舞ちゃんの友達2人
行方不明事件が発生した日には、前日から泊まりに来ていた石井舞ちゃんの友人2人が在宅していました。友人2人は石井舞ちゃんと共に子供部屋のベッドで川の字になって眠っており、石井舞ちゃんを友人2人が挟むような形でした。
この友人2人のうちの1人が、この日の夜中のいずれかの時間帯に、優しげに石井舞ちゃんの名前を呼ぶ声を聞いたと証言しています。
翌朝、友人2人は目を覚ますと石井舞ちゃんの姿が見えない事に気が付き、それを石井舞ちゃんの父親の賢一さんに伝えています。
石井舞ちゃんの父親の姪(当時17歳)
石井舞ちゃん行方不明事件当時、石井賢一さん宅には賢一さんにとって姪っ子にあたる当時17歳の少女が同居していましたが、この日は実家に戻っていて不在でした。
なお、この石井賢一さんの姪っ子は当時、住み込みの従業員だった玉川和弥と交際していました。
住み込みの従業員の玉川和弥
石井舞ちゃん行方不明事件の当時、石井賢一さんの自宅には、賢一さん経営の建設会社従業員で住み込みで働いていた玉川和弥(当時22歳)が同居していました。
この玉川和弥は、石井舞ちゃんが行方不明になった当日に不審な行動をしており、警察にも容疑者として目をつけられ、2週間勾留されて事情聴取を受けています。
しかしその後、玉川和弥が石井舞ちゃん行方不明に関わった証拠は発見されずに釈放されています。
玉川和弥の不審な行動については次の見出しから順番に紹介していきます。
石井舞ちゃん行方不明事件の犯人が玉川和弥とする根拠① 当日の不審な行動
石川舞ちゃん行方不明事件では、住み込みの従業員だった玉川和弥が容疑者として警察にも疑われました。玉川和弥が犯人ではと疑われた根拠はいくつも上がっており、現在でもネット上ではこの男が犯人では無いかと見る向きも多いようです。
ここからはこの玉川和弥が犯人と疑われる根拠について見ていきます。
まず何より、玉川和弥は石井舞ちゃんが行方不明になった7月24日から25日にかけて、かなり不審な行動をとっています。
まず、玉川和弥は7月24日の22時過ぎに外出しています。その後、1度着替えのために部屋へと戻り、22時30分頃に再び出て、石井賢一さん自宅から見て南側に位置する公衆電話へと向かって友人に電話をかけています。石井舞さんの母親のヨシ子さんが目撃したのはこの時だったようです。この時、1階の玄関の鍵はかけずに出たという事です。
玉川和弥によれば、この時公衆電話で話した友人から「精神に異常をきたした」と伝えられ、その友人の状態を聞くために、別の友人と郡山駅で待ち合わせる約束したという事です。ところが、この友人は「そんな約束はしていない」と証言しています。
その後、玉川和弥は自分の車で郡山市へと向かおうとしますが、バッテリーが上がっていたためエンジンがかからず、諦めて23時頃にタクシーで郡山駅へと向かっています。この時のタクシー料金は7000円近くかかったようです。
玉川和弥の供述によると、結局この待ち合わせ場所に友人は現れませんでした。この時、郡山駅前のデパートの近くで、玉川和弥は客引きの男性に声をかけられています。この客引きの男性はその後警察によって発見されており、玉川和弥がこの時間帯に郡山駅前にいた事は事実だと確認されています。
その後、玉川和弥は駅前のデパート近くのベンチで一晩を過ごし、7月25日の始発電車に乗って同日午前6時30分頃に石井賢一さん宅へと帰宅しています。
玉川和弥はこの一連の疑わしい行動から、25日中に警察に連行され、その後2週間の勾留をうけて事情聴取を受けています。
しかし、結局証拠は上がらずに玉川和弥は釈放され、最後の給料を受け取った後に石井賢一さんの建築会社を退職し、実家へと戻っています。
石井舞ちゃん行方不明事件の犯人が玉川和弥とする根拠② 前日に石井舞ちゃんを遊びに誘っていたとの証言
玉川和弥は、7月24日の夕食前の時間帯に、石井舞ちゃんとその友人2人と一緒にゲームで遊んでいますが、友人2人の証言によると、この時に玉川和弥が石井舞ちゃんを「夜の12時に遊びに行こう」と誘っていたとのことです。
ただ、これについては、幼い子供による証言ということで事実確認が難しく、警察は証拠として採用する事ができませんでした。
石井舞ちゃん行方不明事件の犯人が玉川和弥とする根拠③ 石井舞ちゃんの所在を知っているかのような発言
玉川和弥は当時、石井賢一さんの姪の当時17歳少女と交際関係にありましたが、この事件後、玉川和弥はこの姪っ子とラブホテルでシンナー遊びをしている最中に「今探しているところに舞石井舞ちゃんはいない」と発言したようです。
姪っ子はこの発言に恐怖を覚え、これをきっかけにして玉川和弥と別れたと話しています。
シンナー遊びの最中の酩酊時の発言という事で、証拠能力としては低いと見られてしまいますが、そうだとしても極めて重要な発言ではないかと思います。
さらに、mixiで石井舞ちゃん行方不明事件を扱った記事についていたコメントに、以下のようなものがありました。
福島の土方として飲んだけど
玉川和弥が職場仲間に自慢してたよ
見つけられるわけがないってね
500万円くれたら教えるよとか言ってたんでどうでもいいわって答えた
怪しいというより犯人じゃね
これについても、匿名の投稿ということから信憑性の低いものですが、仮に事実であるとすれば、玉川和弥は飲酒時に石井舞ちゃんの行方不明に関与している事を仄かしていた事になります。
石井舞ちゃん行方不明事件の犯人が玉川和弥とする根拠④ 父親の賢一さんとの関係性
上でも触れていますが、玉川和弥はシンナー遊びに興ずるなど、反社会的な人物であったようです。
そうした事を雇い主の石井賢一さんは問題視しており、何度も注意をしていたようですが、玉川和弥はそれを疎ましく思っており、2人の関係性はあまり良くはなかったようです。
また、石井舞ちゃん行方不明事件の前日にあたる、7月24日、玉川和弥は石井賢一さんに急遽出勤を命じられ、交際相手で、石井賢一さんの姪っ子と行く予定だった旅行をキャンセルしており、その事を不満に思っていた節があります。
こうした背景から、玉川和弥は石井賢一さんへの恨みを募らせており、その腹いせに娘である石井舞ちゃんの誘拐を企てたのではないかとの推測がネット上で出ています。
石井舞ちゃん行方不明事件の犯人が玉川和弥とする根拠⑤ 霊視番組での意味深な発言
石井舞ちゃん行方不明事件は、何度も未解決事件の情報を呼びかけるテレビ番組などで取り上げられていますが、テレビ朝日系の「奇跡の扉 TVのチカラ」で取り上げられた際に、出演した玉川和弥が「時が来たらお話しします」と意味深な発言をしていたとの情報があります。
この発言は石井舞ちゃんの行方不明事件の真相を知っていなければ出ない発言のように感じられます。
ただ、本当に玉川和弥がこの発言をしたという証拠が確認できないため、これはあくまでもネット上の噂にすぎないようです。
石井舞ちゃん行方不明事件の真相の考察① 関係者による犯行の可能性が高いと見られている
石井舞ちゃん行方不明事件の真相の考察もネット上では盛んに行われているので、代表的な要素をいくつか紹介していきます。
まず、石井舞ちゃんの行方不明事件は、事件の発生した絶妙なタイミングや、当時の石井賢一さん宅に同居者が大勢いたという複雑な状況などから見て、内部事情をよく知る関係者による犯行とする説が有力とされています。
石井舞ちゃんは普段は両親や兄弟と一緒に眠っていましたが、その日は友人が来ていた事から初めて子供達だけで眠っていたそうです。そうした状況を知るのは、関係者以外はあり得ません。
また、石井舞ちゃんが何者かに連れ去られたとして、そのタイミングがあまりにも絶妙すぎます。1階に居住する祖父母は外出しており、父親と兄弟2人は既に就寝、母親は入浴していました。
このタイミングを見計らえるのも、自宅内部にいて様子を伺える関係者しかあり得ません。
こうした状況から見ても、当日犯行が可能で、なおかつ動機らしきものがあるのは、住み込みの従業員の玉川和弥以外はいないのです。こうした事も真相として犯人は玉川和弥との考察がされる大きな根拠となっています。
石井舞ちゃん行方不明事件の真相の考察② 石井舞ちゃんが自ら家出をした事はまずあり得ない
もう一つ真相として考察しなければならないのが、石井舞ちゃんが自分自身の意思で家を出た家出だとする説です。
ただ、これは色々な面から考えづらいといえます。まず、家族や友人の証言によれば、石井舞ちゃんはとても怖がりな性格で、夜中に1人で外に出る事などあり得ないという事です。
石井舞ちゃんは普段から慎重な性格で、どこかへ出かける時は必ずメモを残す習慣もあったそうです。この日、石井舞ちゃんはこうしたメモも残しておらず、忽然と姿を消しました。さらに、靴箱からは石井舞ちゃんの靴がそのまま残されています。
加えて、行方不明になってすぐに大規模な捜索が行われていますが、当時7歳の石井舞ちゃんが、自分の意思で家を出たとして、大規模な捜索をしても発見できないほどの距離を移動する事や、探しても発見できないような場所に自分の意思で身を隠す事など考えづらいでしょう。
こうした事実から、石井舞ちゃん本人の意思による家出説はまずあり得ません。
石井舞ちゃん行方不明事件の真相の考察③ 霊視番組で発見された犬の死体が怪しいという声も
ネット上の匿名掲示板などには、石井舞ちゃん行方不明事件の真相の考察として気になる内容もいくつか書き込まれています。
その中に、超能力者の力を使って未解決事件を解決しようと試みるテレビ番組で石井舞ちゃん行方不明事件が取り上げられた時、ダウジングの能力を使って池のほとりで麻袋に入れられた大型犬の死体が発見された事があったが、その下をさらに掘ると石井舞ちゃんの遺体があるのでは?と推測する書き込みがあります。
この書き込み主が言うには、昔から殺人を行って遺体を処理する際には、匂いなどから遺体が発見されたときに備えて、人の遺体を埋めた後、その上にさらに犬などの動物の遺体を埋めておく事があるのだとか。
そのため、実は、この番組で発見された大型犬の死体の下には、石井舞ちゃんの遺体が埋められているのではないかと推測していました。
この書き込み主は、わざわざ犬の死体を埋めるときに麻袋に入れるだろうかという点も疑っているようでした。
石井舞ちゃん行方不明事件のその後
石井舞ちゃんの行方不明事件のその後は、何度もテレビ番組で取り上げられるなど、世間からもかなり注目されていました。
また、石井舞ちゃんの父親の石井賢一さんは、玉川和弥が犯人だと確信していたようで、その後、経営していた建設会社を廃業してまで玉川和弥の動向を探っていたようです。
ただ、その後2年ほどして、石井賢一さんは精神的に限界を迎えたのか「もう顔も見たくない」との理由から玉川和弥を追うのをやめてしまっています。
また、その後には、石井舞ちゃんが行方不明になったのが原因で、石井賢一さんとヨシ子さん夫妻の関係もギクシャクし、一時は別居状態になったとの情報も出ています。その後の夫妻の関係については情報がなく不明です。
石井舞ちゃん行方不明事件は現在も未解決のまま
石井舞ちゃんの行方不明事件はその後、2006年7月24日に時効を迎え、福島県警察の捜査本部も解散となり現在も未解決事件のままとなっています。
ただ、現在も福島県警察は石井舞さんに関する情報を募っており、情報提供を求める公式ウェブサイトも公開されています。
なお、石井舞ちゃんの家族や、今も犯人として疑われている玉川和弥の現在の様子などは情報がなく不明です。
まとめ
今回は1991年7月24日から25日未明にかけて発生した石井舞ちゃん行方不明事件についてまとめてみました。
石井舞ちゃん行方不明事件は、当時7歳だった石井舞ちゃんが、家族や同居人ら多数が同居する自宅から、夜間に忽然と姿を消し、そのまま現在まで行方不明となっている不可解な事件です。
犯人としては当時住み込みとして同居していた石井舞ちゃんの父親の経営する建設会社の従業員だった玉川和弥が容疑者として浮上し、警察からの事情聴取も受けていますが、結局証拠が出ずに逮捕には至りませんでした。
この事件は世間からも注目され、テレビ番組などでも取り上げられて霊視による事件解決なども試みられていますが、手がかりすら見つかっていません。
その後もインターネット上でも考察などが行われていますが、現在まで解決には至っておらず、真相は謎に包まれたままです。