森喜朗元首相の長男で46歳で死亡した森祐喜さんが話題です。
この記事では森祐喜さんの家系図や、父親などの家族、結婚した嫁や子供、押尾学事件や田中香織さんとの関係、死因、現在は既に死亡しているが、生きてる説を含め様々な真相の噂が流れている件などについてまとめました。
この記事の目次
- 森祐喜(森喜朗の長男)のプロフィール
- 森祐喜(森喜朗の長男)の家系図
- 森祐喜(森喜朗の長男)の家族① 父親は森喜朗元首相
- 森祐喜(森喜朗の長男)の家族② 母親は智恵子さん
- 森祐喜(森喜朗の長男)の家族③ 祖父は元石川県能美郡根上町長の森茂喜
- 森祐喜(森喜朗の長男)の家族④ 曽祖父は根上町初代町長の森喜平
- 森祐喜(森喜朗の長男)は結婚していて美樹さんという嫁がいたが離婚
- 森祐喜(森喜朗の長男)の子供は娘が1人
- 森祐喜(森喜朗の長男)と押尾学は友人で田中香織死亡事件と関与の噂も
- 森祐喜(森喜朗の長男)は酒気帯び運転事故を起こし石川県議会議員を辞職
- 森祐喜(森喜朗の長男)の現在…2011年に46歳で死亡している
- 森祐喜(森喜朗の長男)の死因は急性膵炎による多臓器不全
- 森祐喜(森喜朗の長男)死亡の真相の噂① 本当の死因は薬物中毒
- 森祐喜(森喜朗の長男)死亡の真相の噂② 押尾学事件に関連した暗殺
- 森祐喜(森喜朗の長男)死亡の真相の噂③ 東電OL殺人事件と関係した暗殺
- 森祐喜(森喜朗の長男)死亡の真相の噂④ タイで生きてる説も存在
- まとめ
森祐喜(森喜朗の長男)のプロフィール
森祐喜のプロフィール
生年月日:1964年10月15日
没年月日:2011年7月25日(享年46歳)
出身地 :石川県能美郡根上町(現在の能美市)
血液型 :B型
森祐喜(もり・ゆうき)さんは、元内閣総理大臣の森喜朗さんの長男で、自身も政治家として、石川県議会議員や石川県議会建設委員長などを歴任された方です。
森祐喜さんは、都内の名門私立校である「玉川学園高等部」を卒業後、東海大学教養学部に入学していますが中退し、渡米して「ジョージタウン大学」の英語学校EFLプログラムを修了されています。
その帰国後の1990年から、父親の森喜朗さんの秘書になり、2000年からは公設第一秘書になっています。その後、2006年に石川県議会議員補欠選挙に出馬して当選。2007年の石川県議会議員選挙で再選して石川県議会建設委員長に就任しています。
こうして政治家としてのスタートを切った森祐喜さんは、当初は、自民党の大物議員(当時)である森喜朗元首相の後継ぎとして期待されましたが、2009年に発生し世間を騒がせた「押尾学事件(田中香織さん死亡事件)」との関与が疑われたり、2010年に酒気帯び運転で道交法違反で逮捕されたりなどの不祥事を繰り返し、この逮捕の責任を取る形で石川県議を辞職しています。
そして、森祐喜さんはこの石川県議辞職のすぐ後自宅で倒れ、政治家として復活する事なく、2011年7月に46歳の若さでこの世を去っています。
この森祐喜さんの不可解な経緯を辿った死亡について、何かおかしいと訝しがるような声も多く、その真相だとして都市伝説や陰謀論的な噂が多数囁かれています。
ここでは、森祐喜さんの家系図や家族、結婚や嫁、子供などから、そのパーソナリティに触れた後、押尾学事件(田中香織さん死亡事件)との関与の噂や、あまりにもタイミングがよすぎる突然の死亡の真相に関する噂などについてまとめていきます。
森祐喜(森喜朗の長男)の家系図
森祐喜さんの家系図です。
父親は元総理大臣で、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長も務めた自民党の大物政治家(元衆議院議員)の森喜朗さんです。母親は森喜朗さんの妻の智恵子さんで、森祐喜さんは長男として生まれています。
祖父の森茂喜さんと、曽祖父の森喜平さんはともに在所である石川県能美郡根上の町長を務めた人物で、森家は江戸時代から続く地元の名士でした。
森祐喜さんはその森家の後継者として期待された存在でしたが、跡を継ぐ事なく亡くなられました。
森祐喜さんの兄弟には4歳年下の妹の陽子さんがいます。この方は実業家の藤本真佐さん(デジタルハリウッドCEO、株式会社Platform ID 取締役)と結婚されています。
森祐喜(森喜朗の長男)の家族① 父親は森喜朗元首相
森祐喜の父親・森喜朗のプロフィール
生年月日:1937年7月14日
出身地 :石川県能美郡根上町(現在の能美市)
血液型 :O型
森祐喜さんの父親の森喜朗さんは、早稲田大学第二商学部に入学しラグビー部に入部しましたが、過酷な練習に耐えかねて胃潰瘍を患って退部し、父親が町長だった事から政治家になりたいという気持ちを抱き、将来を期して伝統ある弁論クラブである早稲田大学雄弁会に入会しています。
森喜朗さんはこの早稲田大学雄弁会の他に、留学生との交流を目的とした国際学友会というサークルにも掛け持ちで参加し、森祐喜さんの母親の智恵子さんとはこのサークルを通じて知り合ったそうです。
早稲田大学卒業後に産業経済新聞社に入社して系列の日本工業新聞の記者になっていますが、智恵子さん(旧姓は牧)とは、この記者時代の1961年11月に結婚しています。森祐喜さんはその結婚から3年後の1964年10月に第一子の長男として誕生しています。
その後、森喜朗さんは自民党の衆議院議員だった今松治郎さん(岸信介元首相の側近)と知り合い、その秘書を務めるようになって政治家を志し、1969年の衆議院議員選挙に地元の旧石川1区から立候補し、泡沫候補とみなされた下馬評を覆して当選を果たしています。
その後、森喜朗さんは、岸信介元首相やその子供の安倍晋太郎衆議院議員の後ろ盾もあって政治家として力をつけ、内閣官房副長官、文部大臣、通商産業大臣、建設大臣などの要職を歴任し、2000年には内閣総理大臣の座にも上り詰めています。(在任中に脳梗塞で倒れた小渕恵三元首相の後任)
森祐喜さんは、一代で大物政治家に上り詰めた父親の後継として期待され、経験を積むべく2000年からは森喜朗さんの公設第一秘書を務めています。
この秘書時代、父親の森喜朗さんが失言を繰り返してマスコミからの大バッシングを受けた際には、母親の智恵子さんに「おやじに使ってはいけない言葉のリストを作って持たせろ」と話したというエピソードがよく知られています。
森祐喜さんのこうした発言について、父親の森喜朗さんは「あの野郎、いつのまにか俺より偉そうになりやがって」と言いつつも、嬉しそうな様子だったそうで、後継者としてだけではなく、息子としても可愛がられていたようです。
森喜朗さんは、森祐喜さんが46歳という若さで父親の自分よりも早くに亡くなられた時には、「これまで父親の存在が重かったのだろうと思う。可哀想な事をした」と語られていました。
森元首相は27日午前、能美市の自宅で記者団に「最後は笑顔だった。これまで父の存在が重かったのだろう。かわいそうなことをした」と語った。酒気帯び運転については「処方された薬を飲んで意識がもうろうとしていた」と説明した。
森祐喜(森喜朗の長男)の家族② 母親は智恵子さん
森祐喜さんの母親は、智恵子さんという方です。
智恵子さんは1937年1月24日神奈川県横浜市の生まれで、森喜朗さんとは同級で、同じ早稲田大学の教育学部に通っていました。大学時代は水泳に打ち込む一方で、留学生との交流サークル「国際学友会」にも所属しており、森喜朗さんとはここで知り合われたそうです。
当時、智恵子さんは水泳で肌が小麦色に焼けていたため、森喜朗さんは智恵子さんにはじめて会ったときに東南アジア系の留学生だと勘違いして、「あなた、お国はどちらですか」と尋ねたというエピソードが知られています。
智恵子さんはそんな森喜朗さんを「物事に律義で几帳面、夢を持っていてかわいい人」という印象を持たれたそうです。
大学卒業後は日本出版貿易で働き始めますが、その1年後の1961年11月に森喜朗さんと結婚され、1964年10月15日にはじめての子供である森祐喜さんを出産し、1968年に2人目の子供である長女の陽子さんを出産しています。
森喜朗さんが衆議院議員選挙への出馬を決めた時には、森祐喜さんはまだ4歳、長女の陽子さんは生まれたばかりで、その世話をしながら夫の選挙活動の手伝いをする事になり智恵子さんは相当な苦労をされたようです。
森祐喜(森喜朗の長男)の家族③ 祖父は元石川県能美郡根上町長の森茂喜
森祐喜の祖父・森茂喜のプロフィール
生年月日:1910年3月27日
没年月日:1989年11月19日(享年79歳)
出身地 :石川県能美郡根上村(現在の能美市)
森喜朗さんの父親で、森祐喜さんにとっては祖父にあたる森茂喜さんは、早稲田大学専門部法律科を卒業後、京都市役所での勤務を経て、地元の石川県庁に赴任しています。
その後、日中戦争に召集されて特別志願将校(少尉から終戦時は中佐)として従軍し、大陸での主要な戦いを転戦しています。1944年に太平洋方面の戦況が悪化すると、独立歩兵第338大隊長として南洋諸島へと送られ、日本海軍の重要拠点だったトラック島の防衛にあたっています。
学生時代はラグビーに打ち込まれていたらしく、トラック等ではラグビーボールを自作して、部下や捕虜とプレーを楽しんでいたそうです。終戦はこのトラック島で迎えています。
復員後の1947年、地元、根上町の町議会議員選挙に出馬して当選し、1953年には根上町長に就任されています。人徳者であった森茂喜さんは、町民からの絶大な支持を受けて9期にわたって当選し、1989年まで同町長を務められました。
1989年4月1日に体調不良を理由に町長を退いた際には、退職を全額町に寄付されています。町長を退いたその年の11月19日に79歳で亡くなっています。死因は肺炎でした。
森祐喜(森喜朗の長男)の家族④ 曽祖父は根上町初代町長の森喜平
森祐喜の曽祖父・森喜平のプロフィール
生年月日:1875年(出生日不明)
没年月日:1969年2月22日(享年94歳)
出身地 :石川県能美郡根上村(現在の能美市)
森喜朗さんの祖父で、森祐喜さんにとっては曽祖父にあたる森喜平さんは、1875年(明治8年)に、江戸時代から続く庄屋の家に生まれ、1917年に推挙されて根上村長に就任し、1934年の根上町の町制施行にともなって初代町長に就任されています。
28年間にわたって根上町の町長を務め、その発展に大きな功績を残されました。
森祐喜(森喜朗の長男)は結婚していて美樹さんという嫁がいたが離婚
森祐喜さんは結婚されていますが、離婚しています。
森祐喜さんの元嫁は美樹さんという女性で元は議員秘書をされていた方だったようです。
一部の週刊誌などの報道では、森祐喜さんはこの嫁の美樹さんと2009年の時点から見て数年前に離婚したという事です。
離婚の原因については、森祐喜さんからの日常的な飲酒をしての暴力(DV)に耐えかねたためだとも一部のメディアが報じていました。
森祐喜さんと嫁が離婚しており、その原因がDVだったという情報が広まったのは、2009年の「押尾学事件」に、森祐喜さんが関与しているという噂が出た事がきっかけになっています。
この押尾学事件では色々な黒い噂が囁かれており、様々な情報が錯綜する中で、森祐喜さんの元嫁に対するDVや離婚に関する情報も浮上しました。
こうした背景もあるので、どこまでが真実かはわかりませんが、森祐喜さんと嫁が何らかの理由で離婚したという点は事実で間違い無いようです。
森祐喜(森喜朗の長男)の子供は娘が1人
石川県議時代の公式プロフィールによると、森祐喜さんには元嫁との間に子供が1人います。
森祐喜さんと元嫁の美樹さんとの子供は娘で、石川県議時代には嫁と子供は東京で離れて暮らしていたようです。
一部のメディアからは、当時、森祐喜さんは家族を顧みずに六本木や銀座のクラブに入り浸っていたといった報道も出ており、あまり良い夫、父親ではなかったとも言われています。
こうした事が元嫁との離婚につながった可能性もありそうです。
森祐喜(森喜朗の長男)と押尾学は友人で田中香織死亡事件と関与の噂も
森祐喜さんは、2009年8月2日に発生して世間を震撼させた「押尾学事件」(田中香織さん死亡事件)との関連が噂されています。
押尾学事件の概要
2009年8月2日の18時過ぎ、六本木ヒルズのマンションの1室(六本木ヒルズレジデンスB棟2307号室)で、銀座のクラブ「ジュリア」の元ホステスの田中香織さん(当時30歳)が変死体で発見されました。
その後、田中香織さんの死の直前、このマンションの部屋に、当時人気俳優であった押尾学さんが一緒におり、合成麻薬MDMAを服用していた事が判明。
押尾学さんは田中香織さん薬物を服用しつつ何らかのプレイに及んでいたようですが、薬物中毒か何らかの理由により田中香織さんの容態が急変して死亡してしまいます。
押尾学さんは当時の担当マネージャーを電話で呼び出して後の処理を丸投げし、田中香織さんの全裸の遺体を放置したまま現場から逃走。
翌日の8月3日、押尾学さんは警視庁麻布署に出頭し、麻薬取締法違反で逮捕されています。
その後、押尾学さんは保護責任者遺棄致死罪で起訴され、懲役2年6ヶ月の実刑判決が下されました。
押尾学事件の主犯は森祐喜という疑惑が浮上
そんな押尾学さん1人が犯人として処理された押尾学事件ですが、実はその現場には押尾学さん以外にも複数の男性がおり、その中の1人が森祐喜さんだったという疑惑が、事件発生後かなり早い段階で浮上していました。
実は父親の森喜朗さんの議員秘書を務めていた頃から森祐喜さんには違法な薬物を日常的に使用しているという疑惑を週刊誌などの一部のメディアが報道していました。そして、押尾学事件直後、警察関係筋から漏れた情報として一部のメディアが、森祐喜さんがこの事件に深く関わっていると報道。
それによれば、この時に田中香織さんと部屋にいたのは森祐喜さんで、田中香織さんに合成麻薬MDMAを服用させて事に及ぼうとしたが拒否されたために激昂。森祐喜さんは田中香織さんに対して、額が陥没し肋骨が折れるほどの暴行を加え、その結果田中香織さんは薬物中毒の症状を併発させて意識不明となったとされています。
この時、押尾学さんは六本木ヒルズレジデンスの別の部屋に移動していたが、事態の急変を受けて森祐喜さんに呼び出され、身代わりを頼まれたと言われています。
押尾学事件が発生した2009年8月は、衆議院選挙戦の真っ只中(投開票日が8月30日)で、父親の森喜朗さんが出馬していたため、息子の森祐喜さんのスキャンダルはなんとしても避けなくてはならず、政治の力を総動員して事実を揉み消して、押尾学さん1人に罪をなすりつけたのが真相だと噂されているのです。
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また、田中香織さんと森祐喜さんの関係を示す証拠だとして、田中香織さんと思しき女性と、森祐喜さんと父親の森喜朗さんが一緒にいるところを撮影した写真(上画像)がネット上に出回りました。
上の画像のうち左の2枚は韓国人タレントのユンソナさんのブログに投稿されていたもので、青っぽい服を着ているのがユンソナさんです。ユンソナさんと森祐喜さんのツーショットと、父親の森喜朗さんとユンソナさんを含む女性3人が一緒に写ったものですが、森喜朗さんの後ろに顔の上半分だけ写っているのが田中香織さんだとされています。
これが、田中香織さんと森祐喜さん、そして、森喜朗さんの関係を示す証拠だとされています。
ただ、森祐喜さんと田中香織さんの関係を示す証拠として出回っているものはこの画像だけで、押尾学事件に森祐喜さんが直接的に関与していたという証拠は表には出ていません。
しかし、どういうわけか、警察がいち早く押収したとされる六本木ヒルズレジデンスB棟の防犯カメラ映像は、押尾学さんの裁判で証拠として採用されていません。この事が、森祐喜さんが防犯カメラ映像に映っていたため、表に出すわけにはいかなかったためではないかとの疑いを呼んでいるのです。
そして、一説によると田中香織さんの遺体には何者かに暴行を受けたかのような形跡が残されていたとされていて、元嫁に対するDV癖が噂されていた森祐喜さんが田中香織さんを暴行し死亡させた証拠ではないかという噂にまで発展しています。
森祐喜(森喜朗の長男)は酒気帯び運転事故を起こし石川県議会議員を辞職
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押尾学事件への関与が疑われた森祐喜さんですが、この騒動からちょうど1年後の2010年8月7日に、石川県小松市内のコンビニエンスストア「ポプラ小松大島店」に自動車で突っ込む交通事故を起こしました。
コンビニ店からは、「物損事故を起こした車の運転手の様子がおかしい」と110番通報があり、駆けつけた警察官による検査で呼気1リットルあたり、0.15ミリグラム以上のアルコール分が検出され、道交法違反(酒気帯び運転)の容疑で逮捕されています。
石川県警小松署は7日、酒気帯び運転でコンビニエンスストアに突っ込んだとして、道交法違反(酒気帯び運転)の疑いで、森喜朗元首相の長男で石川県議の森祐喜容疑者(45)=同県能美市=を逮捕した。
逮捕容疑は7日午前10時10分ごろ、酒気帯びの状態で車を運転し、同県小松市大島町のコンビニ「ポプラ小松大島店」に突っ込んだ疑い。
森祐喜さんはこの責任を取る形で、石川県議会議員を辞職しています。
そして、この逮捕時、森祐喜さんの言動がおかしかったにもかかわらず、警察は尿検査を行わなかったという噂が流れ、父親の森喜朗さんの圧力を受けた警察が、森祐喜さんが違法な薬物を使用している事が判明しないように工作したのではないかといった噂にまで発展しました。
森祐喜(森喜朗の長男)の現在…2011年に46歳で死亡している
森祐喜さんは現在は既に死亡しています。
道交法違反による逮捕から約2ヶ月半後の2010年10月31日、森祐喜さんは自宅で倒れ、一時は心肺停止状態に陥っていますが、救急措置を受けて一命を取りとめ、その後入院しています。
その後、一時は回復して退院したものの2011年5月頃に再び体調を崩して入院し、2011年7月25日に入院先の病院で46歳という若さで死亡しています。
森祐喜(森喜朗の長男)の死因は急性膵炎による多臓器不全
森祐喜さんの死因は、公式の発表では「急性膵炎による多臓器不全」とされています。
元首相で衆議院議員の森喜朗氏(74)の長男で、元石川県議の森祐喜(もり・ゆうき)氏が、7月25日午後11時22分、重症急性膵炎(すいえん)による多臓器不全のため、金沢市の病院で死去していたことが27日に分かった。46歳の若さだった。
ただ、森祐喜さんのこの突然の死亡は不可解だとして、その死因や真相については様々な都市伝説的な噂が囁かれています。次の見出しからそうした噂を紹介していきます。
森祐喜(森喜朗の長男)死亡の真相の噂① 本当の死因は薬物中毒
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森祐喜さんの死因は「急性膵炎による多臓器不全」と発表されていますが、詳細についてはほとんど触れられておらず、本当の死因は薬物依存による中毒死では無いかという噂が流れています。
祐喜氏が事件に関与したという証拠は何もないが、押尾逮捕後の10年、飲酒運転でコンビニに突っ込む大事故を起こして県警に逮捕されており、このときは「車から降りる際に足下がよろめき、意味不明な言葉を発していた」という報道もあり、ドラッグ使用のウワサも流れた。この事故をきっかけに議員辞職した祐喜氏だったが、まるで薬物依存者のようにその後は体調不良を繰り返し、翌年にこの世を去っている。
森祐喜さんには生前から悪い噂が絶えず、その中には違法薬物に手を染めているという噂もありました。そこへきての押尾学事件に関係している噂が浮上し、酩酊状態で物損事故を起こし、それからわずか数ヶ月後に倒れて心肺停止状態になり、一命を取り留めたもののその後も入退院を繰り返して46歳という若さで死亡したという流れは、真相は薬物中毒死という噂が出るのも無理からぬところです。
ただ、これについてもあくまでも噂です。
森祐喜(森喜朗の長男)死亡の真相の噂② 押尾学事件に関連した暗殺
森祐喜さんが突然死亡した真相は、押尾学事件に関連した暗殺だったのではないかという噂も流れています。
押尾学事件で逮捕後、押尾学さんは没落するかと思いきや、どういうわけか非常に金回りの良い様子で悠々自適な生活をしており、再婚もして子供も生まれているようです。
これは、押尾学事件の犯人は本当は森祐喜さんだったが、父親の森喜朗さんの勢力が押尾学さんを身代わりに仕立て、その対価として数億円を支払ったためではないかといった噂が囁かれています。
この噂を仮に事実だとすれば、森喜朗さん(と、その支援勢力)からすれば、森祐喜さんは奔放な行動で問題ばかり起こし、莫大な金銭的損失まで出した事になります。
森喜朗さん(と、その支援勢力)は、これまでは息子という事で好き放題させてきたが、事ここに至ってはこのまま森祐喜さんを野放しにしておくのは、あまりにもリスクが高すぎると判断し、病死に見せかけて暗殺したのが死亡の真相だとする説が囁かれています。
森祐喜(森喜朗の長男)死亡の真相の噂③ 東電OL殺人事件と関係した暗殺
森祐喜さんが、1997年3月に発生した未解決事件「東電OL殺人事件」にも関与していており、その関係で口封じのために暗殺されたのが死亡の真相という噂も浮上しているようです。
東電OL殺人事件では、被害者の遺体が発見された現場の隣のアパートに住んでいたネパール人男性が強盗殺人容疑で逮捕されていますが、2012年に無罪が確定しています。
このネパール人男性の無罪が証明されたのは、2011年に実施されたDNA鑑定の結果でした。ネパール人男性の無罪が確定的となったため、真犯人だった森祐喜さんが何者かによって暗殺されたのが真相という噂が流れました。
根拠とされているのは、ネパール人男性の無罪が確定的になった直後に森祐喜さんが死亡しているという事だけで、さすがにこれはあまりにもこじつけが過ぎます。
森祐喜(森喜朗の長男)死亡の真相の噂④ タイで生きてる説も存在
死亡したという事になっている森祐喜さんですが、実はこれは森祐喜さんに対する疑惑やバッシングをかわすための嘘で、現在も別人として生きてるという説も存在します。
この生きてる噂については、森祐喜さんの葬儀が密葬で行われている事や、タイで森祐喜さんを目撃したという噂がネット上に流れている事が根拠とされています。
父親の森喜朗さんは森祐喜さんの問題行動に頭を抱えていたものの、息子はやはりかわいく、政治的な力を駆使して表向きは死亡した事にして、別人としてタイで生活させているというのは、なんとなくありえそうな話にも聞こえてきます。
ただ、そもそもこのタイでの目撃情報が匿名によるもので、証拠の画像なども公開されておらず、信憑性の低い噂です。森祐喜さんが実はタイで生きてる説は、あくまでも都市伝説と受け取っておくのが良さそうです。
まとめ
今回は、自民党の大物政治家である森喜朗さんの長男で、数々の問題行動の末に46歳の若さで亡くなった森祐喜さんについてまとめてみました。
森祐喜さんは石川県の有力地方政治家だった曽祖父と祖父、父親に元首相も務めた森喜朗さんを持つ政治家家族に長男として生まれ、自身も森喜朗さんの秘書を経て石川県議会議員を務めるなど、政治家の道を歩んでいました。
しかし、政治家としては問題の多い人間で、結婚して子供を儲けたものの、嫁に対するDVが原因で離婚しており、激しい女遊びや違法薬物使用疑惑が週刊誌などで度々報じられていました。
そして、2009年に発生して世間を震撼させた「押尾学事件」で、田中香織さんに合成麻薬を摂取させた上暴行を働いて死亡させたという噂が浮上し、さらにその直後の2010年に酩酊状態で交通事故を起こして道交法違反で逮捕されるという不祥事を起こします。
そして、この事故からわずか数ヶ月後に自宅で倒れて心肺停止の状態になり、一命は取り留めたものの、以降は入退院を繰り返し、2011年7月に46歳の若さで死亡しました。
このあまりにもきな臭い流れから、森祐喜さんの死亡の真相として様々な都市伝説的な噂が流れる事になりました。
森祐喜さんの死因は表向きには「急性膵炎による多臓器不全」とだけ発表されているものの詳細は伏せられておりその真相は違法薬物依存による薬物中毒死だとする噂や、押尾学事件や東電OL事件に関わる暗殺説、実は死亡しておらずタイで生きてる説など、様々な噂が囁かれています。